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獅子兎で、ライアンがシュテルンビルトを無限ループする話










トンッと自慢のブーツがその場所に落ちたとき、足が吸い付くようなずしりとした重さを感じ取った。そうだ…いつもこの瞬間から始まる。
「また…か」
その奇妙な現象に小首をかしげることもなく、ただ一つだけ声を漏らすのだ。そう…ライアンはこのシュテルンビルトの地へやってきた。
これから短い期間ではあるが、ライアンはこの場所でしばしを過ごす。そして去らなくてはいけない。それを知っている。それはなぜかコレばかりを繰り返しているからだ。主にアポロンメディアのヒーローとして想定通りの活躍をし、ジャスティスデーにシュテルンビルトに大穴を開けると自分をも利用しようとした輩たちを排除し、そしておさらば。そうして次のもっと良い話を貰い旅立つ。良い意味でも悪い意味でも凝縮された日々。その一連を、ただだだ…反覆するばかり。このシュテルンビルトから一歩でも離れた瞬間の、瞬きをし、次に目を開けた瞬間にはまた戻る。そう…こうやって初めてシュテルンビルトへやってきた時の、あの瞬間に。もう何度目だろう…正直二桁に突入してから数えるのはやめたが。このループの中でライアンも何もしなかったわけでもなく、色々な帰路を試してみた。自家用ジェットとかなんというありがちなお約束はもちろんこと豪華客船や車や列車での大陸横断。しかし、どれもシュテルンビルトを一歩でもでた時点で、また巻き戻る。だったらこの奇妙な現象を楽しもうと思い始めた。
シュテルンビルトでの日々は、多忙だった。アポロンメディアでのヒーローとしてお披露目してから仕事は舞い込み舞い込み。HERO Radioのゲスト・恒例の握手会・カメラ雑誌の取材・ピザのCM・最近できた慰安地のPR・自スポンサーとの打ち合わせetc... この街の観光どころか自慢のペットの世話をゆっくりする余裕さえ薄い程。

そしてまたあの事件だ。明日はジャスティスデー。深夜にさしかかろうとする時間帯にライアンはまだ真新しいヒーロースーツに着替える。ゴールドステージにあるアポロンメディア社屋前に用意されたダブルチェイサーの指定位置となっているサイドカーにどかりっと横たわる。隣の運転席には今だけの相棒バーナビー。
「正気かよ…パトロールなんて」
「明日を楽しみにしている人が大勢いますから………いいですよ、これは僕一人で」
「んな訳にはいかねぇよ。ジュニア君だけ好感度上がっちまうだろ?」
「は?」
「一人だけ美味しい思いはさせねぇよ」
「僕は、ただ純粋に…」
「…市民を守りたいんです………だろ?」
「………行きます」
「おうっ」
一応納得させたか、それでもどこか少しバーナビーは不機嫌そうだ。向こうはどこかこちらを勘ぐっている最中の絶対的な優位なことだけは最初から最後まで変わらないが。了承を得たと判断したのか、ダブルチェイサーが瞬く間に走り出す。夜の道路は車も少ない―――
パトロールとは言ってもバーナビーはともかくライアンはまだまだシュテルンビルトの地理にはうとく、運転もそちらに任せているから緊張感は薄い。だいたいライアンの乗車態度では見える視界なんて限られているようなもんだ。首を少し傾げれば同じくヒーロースーツを身にまとったバーナビーの横顔が見える。さて、どうしたものかと。ライアンは顔にはもちろん出さないが割合とバーナビーのことを気に入っている。そもそもアポロンメディアとの契約条項にこの相棒が入っていたのだから、ライアン自身が資料を見てバーナビーと組んでもいいと判断したのだ。気まぐれな時分があるとはいえ、基本は誰かと何かするなんてめんどうくさい事は望んでいない。それがたとえ金の為でも…である。対して、バーナビーはライアン君の存在に完全戸惑っている。それが態度にも顔にもありありと出るので見ている分には面白いが、常にこれというのを何度も繰り返している身としては飽きたかな?まあ…つまり今は暇ということだ。
「ジュニア君、たまには何か面白い事を言えないの?」
第一印象マジメ君の通り、マトモな冗談も聞いたことない運転中のバーナビーに声をかけるという名の無茶振り。だいたいパトロールと言っても、明日のジャスティスデーに備えて早めに休んでいる人が多いようで人通りどころか車通りさえ少なく至って平和だ。ダブルチェイサーは幹線道路を周回するかのように進む。だからこそバーナビーもこの会話に乗ってきたのかもしれない。
「………正直に言いますが、僕はあまり貴方のこと好きではありません」
目線はあくまでもドライブモード。珍しくライアンの方を一ミリも見ずにしゃべった。それはライアンから放たれた質問に返す内容ではなかったが、伝えておきたかったのであろう。
「ま、別に知ってるけど、なに今更。理由でも教えてくれんの?」
ライアンが案外空気読めるタイプだということを差し置いても、誰から見てもバーナビーの顔からそんなことはアリアリわかる。思いっきり好かれていないことぐらいは。
「それは…」
少し言葉を返すが、それも口が重いようで、ためらう様子で言葉はもちろん続かない。
「べつにぃ。そこまで知りたいわけじゃねぇし、言わなくていいけど。でも俺は案外アンタのコト、嫌いじゃないぜ」
無理に互いに嫌いあう必要性もないしと、それだけは伝えた。
「どうしてですか?お世辞にも僕は貴方に対してそこまで良い態度ではないとわかっていますけど」
そこまでわざとやっているわけではないだろうが、明らかに自分でも駄目な部分があるとバーナビーは驚きと共に後悔を含む言葉を出す。
「ま、そうかもな。アンタ、人に嫌われたことないだろうし」
幼少時に両親を殺されたりして苦労しているとはいえ、平均的な面ではどこまでも良い子なお坊ちゃんに対してのライアンの評価はそれで、そして別にこちらも理由を開示する気もない。互いにそうなのだからそれでも構わないだろう。
「はい?」
ここでダブルチェイサーは初めての信号待ちを食らい止まり、ようやくバーナビーもライアンの方を少し見た。歩行者はいないが、対向車線の大型トラックが急ぎ足で横切る。
「いんや、わかないならいいさ」
だからバーナビーの視線を振り払うかのように、青信号になったとライアンは右手をあげて前を示す。その場に止まり続けるわけにもいかず、またダブルチェイサーは進みだす。比較的治安の良いゴールドステージを抜け、次はシルバーステージへ突入だ。
「…なんでも僕の優位に立とうとするのやめてもらえませんか?」
何一つ明確な事が明かされないので少しイラついたのかまたダブルチェイサーがスピードに乗ると、やや上から目線で言葉を落とされた。
「んじゃあ、まずその敬語やめたら?俺、ヒーロー歴は長いけど一応年下だしタメ語でも気にしないぜ。この街ではアンタの方がセンパイだろ」
よっと、少し体勢を上げてサイドカーに腰をかける。別に雇用主だろうがスポンサーだろうが殆ど敬語を使わないライアンと同じ口調にしろとは言わないが、あまりにも丁寧なバーナビーにそこまで理解は出来ない。それにライアンがバーナビーにタメ語なのは相棒だからという理由もある。
「僕と貴方の関係はまだ確定していないと思っていますので」
未だにこの関係に納得がいっていないのか、バーナビーは上辺の言葉でもきちんと返してきた。
「腹のうちからはまだ心を許せてないってことか」
ふんっと鼻を鳴らし、でも別にそこまで気に留めはしない。身を上げると風がよく当たる。いくら分厚いスーツ越しとはいえ、良い風はわかるもんだ。
「それは…貴方もでしょ?」
表面上でどこか不信感を示すバーナビーより、本当は何を考えているのか周囲に示していないライアンの方が余程バーナビーには奇怪と思っているのだろう。それは明日の敵との関連も含めているのかもしれないが。
「ま、好きに受け止めればいいんじゃね?俺は、互いにビジネステイクが適っていると思っていたんだけどな…」
検討違いだったかと、半分残念そうな声をわざと出してみる。
「そういう意味での嫌いじゃないって意味ですか…」
未だにライアンの言葉を掴めないバーナビーが、単純な疑問と言う質問を出す。
「いんや、それもあるけどこの俺様がコンビを組むに相応しいと思ったんだよ」
別にバーナビーが見ていなくとも構わないが、ライアンは右手の親指を自分に向けた。
「わかっていると思いますが、僕が初めてヒーローになって…それは始めてのコンビヒーローでした。僕が前にコンビヒーローとして組んでいたからという面倒回避ですか?」
初めてピン同士で組むと色々問題が起きやすい。事実バーナビーもそのようで、コンビとして波に乗るまでに随分と時間がかかった。それは互いに性格が合わなかったという点もあったようだが。
「いちいち悲観的だねぇ」
「あなたの態度がそうさせているんでしょ!」
仕事以外の話はあまりしないのに、やはり二人はどこまでも平行線だ。
「はっきり言っておきますが、僕は貴方とコンビを組みたいわけじゃない。今は会社の契約に縛られて仕方なく組んでいるんです」
「あーいいんじゃね。それで」
だがライアンは、いつかは面と向かって断言されると思っていたので軽く返せる。
「…不愉快ではないですか?」
やはりどこまでもライアンという男を掴めないらしく、逆に面を食らったかのような疑問の声が落とされる。
「自分が望むように仕事したいと思うのは当たり前じゃんっ。俺だって金の為に来たわけだし。利害は一致している」
まあそれは今のところだけ…なのだが、これから先の未来をバーナビーに語る必要性などないので、この場はその言葉にとどめておく。それに伝えたとしても信じて貰えるほどの信頼関係を築けるはずもない。
「じゃあ手伝ってくれるのですか?」
わずかに色めいた声――初めて聴いたかもしれないが、無為だ。
「まさか。そんなのめんどい。逆に気に入ったんだぜ。俺を拒む人間と一緒に仕事できるなんて機会はそうそうないからな。ま、せいぜい楽しませてもらうさ」
ライアンは気をまぎらすように視線を少し上に見せると、同じくスカイハイがパトロールするのがチラリと見えた。あちらさまも空の低いシルバーステージも網羅しているらしい。ここの街のヒーローは皆、熱心なことだ。そしてバーナビーはマスクの下で若干不満そうな顔をしているに違いない。
―――やはり少しずつバーナビーとの会話が増えている気がする。このループの中で、余裕のある時間がそれくらいしかないからかもしれないが。割合と顔に似合わず必死で本当に余裕がないのはいつもバーナビーの方なのだが。せっかく暇なのだから色々なバーナビーを見てみたいと思った。だからあれやこれやと話しかけてみるが、その反応もさまざまでなかなか興味深い。それもこのループの中では何度目か。あまり自由時間のないシュテルンビルトの日々では隣に居るのはバーナビーであることが多かったが、それでも誰かにこの奇妙な現象を伝えたりしはなかった。今までこの隣にいる相棒にでも。そもそもライアンはそんなに他人を信用してはいない。裏切らないのは金だけとは思っていないが。だが、何となく今回だけは…こんな言葉が口からついて出た。
「なあ、ジュニア君。シュテルンビルトから抜け出せないんだけど、理由わかる?」
シルバーステージで行き交うのは、こんな時間まで仕事をしている社畜のサラリーマンばかり。明日のジャスティスデーの為のプレゼントを抱える人たちも少なくなり…次はさあいよいよダブルチェイサーは最下層のブロンズステージへと突入する最中、何気ない一言のようにライアンはつぶやいたのだ。
「はい?」
案の定、不思議ちゃん一歩手前のリアクションが帰ってくる。
「だから、シュテルンビルトから出れないの。今の俺」
冗談だか真面目だかわからない口調を添えて、説明してやる。そもそもバーナビーはこの事件解決後、ライアンが去る事を知らないのだから…本当に突然なにを言っているんだと謎めくのもわかるが。
「まさかNEXTの仕業ですか?」
そんな中でもやはり真面目に回答してくれるのは驚嘆に値するだろう。
「それが、わかっんねーんだよな。司法局には一応確認したけどなしのつぶてだし」
正確には捜査中?というか、直ぐに色よい返事をもらえなかっただけなのだが。ライアンがこの街にいるリミットは都合上ほぼ決まっているので間に合わなかったというのか正しいかもしれない。
「この街のNEXT全てを司法局が把握しているわけではないと思いますが…」
「変な街だよな…なんかこの街って思わぬNEXTに引っかかるのは日常茶飯事らしいじゃん。俺はそんなヘマした記憶ないんだけど」
だいたいそんなこと自体をライアンの矜持が許してはいない。だからこそ、誰かにだまされているのではないとしたら、あとは何が残るやら。
「なんで僕にそんなこと聞くんですか?」
まさか自分に相談事が持ち込まれるとは思っていなかったらしく、素直な疑問としての質問がやってくる。
「だってジュニア君って、シュテルンビルト生まれシュテルンビルト育ちだろ?そんなにこの街がいいのかなって」
身振り手振りの為にライアンはサイドカーの上で大きく腕を広げる。このブロンズステージはお世辞にもキレイとは言えず、特にこのような深夜では犯罪うごめく街の一端をありありと見せつけているのだ。そもそもヒーローは犯罪や災害など人様に不幸が訪れなくては活躍の場がない。ヒーローも多少は抑制力になるとはいえ、他人の不幸を救った上に成り立つ職業としてはそれでもいいのかもしれないが、めんどうくさすぎるという側面があると感じていた。
「貴方の目にこの街がどう写っているかわかりませんが、なかなか味があるとは思いますよ。僕も一度ヒーローをやめてしばらく他の地へ行ったことはありましたが、やはりここが落ち着くんです」
それが生まれ育った土地だかという刷り込みもあるかもしれないが、それがわかっていてもバーナビーは教えてくれたのだ。
「そっか。だからこの街でヒーローやりたいってことか」
さすらってばかりの自分との信念とはまるで違うが、それでもどこかで少しだけ思い入れがあるのを羨ましくも感じる。
「何を言いたいのかよくわかりませんが、シュテルンビルトから出たいんですか?」
当初から話の流れがどんどん動いてしまったせいか、ようやく元に戻る言葉をかけられる。
「そう」
半分諦めているかのような、自分にしては随分つまらない声を出したな…と後で思うが、それより。
「でも出れない………ということは、何か未練があるのでは?」
「は?俺に」
全く思いがけない予想が投げかけられて、目を見張った。まるでふいをつかれたような衝撃だった。だって今まで、外的要因ばかり思っていたから。何よりバーナビーがきちんと考えてアドバイスしてくれたことに一番驚いたのかもしれない。
「いえ、決して断言は出来ませんが………何か思い当たる節でも?」
少しうかつな発言だったかもしれないとバーナビーは声をとどめながらも、こちらの反応にも意外という表情を出した。
「あー、、、」
しばらく声を上げたまま、ライアンは押し黙った。だからこそ、バーナビーもそれ以上は聞かなかった。それからしばらく二人は会話なくパトロールが続けられた―――





ジャスティスデーに示された本当の正義。
最初に体験した出来事が正史だったと決めつけるわけでもないが、実際ライアンが記憶の中の想定外の行動をするだけで結末は少し変わった。誰かが死んだり誰かが傷ついたり…誰も救われなかったり。それでも行き着く場所は一つだけのループループ。たとえシュテルンビルトでライアンが大穴を空け、多くの人間が犠牲になろうといつかはこの街をでていくライアンの運命はきっと変わらない。もしかしたら本当はこの街から出たくない。そんな深層意識があるかもしれないという仮定。でもそんなわけにもいかない。もう…この場所にライアンの未来はないのだから。ライアンにとって街を渡り歩くのはいつものことで、それでもがき苦しむなんて自分には似合わない。そんなにつまらない人間ではないと信じているのだから。
そしてライアンはまた何度目かの同じ事件を解決し、より高額なギャラを左手に再びシュテルンビルトを去る算段となった。しかし、相変わらず引き寄せられているかのように、未だに足が重かった。きっとこのまま向かっても今までと同じでまた最初に戻ってしまうだろう。今回だけははっきりそう思うことができた。輪廻の歯車から思い当たる起因。それはこの街で必然的に一番近くにいることとなった人物。自分の気持ちに観念しなければいけないのだろうか。それがどういう結末でも。つまらない繰り返しから逸脱するための無様に画策するつもりもなかったが。
「ジュニア君。俺、22:15発の船で出国するからさ。見送りに来てくれない?」
初めてライアンは自分らしからぬ電話をかけた。

シュテルンビルト港は、市内中心部から少し離れてはいるがバンゲリングリバーとイーストリバーという二つの運河の先にあるシュテルン湾随一の港だ。その投錨地および港湾施設は巨大で広範で、もちろんライアンはその中でも一等のラグジュアリー船のクルーズターミナルで足を止めていた。船での出航は行きでもそうだったからのチョイス。ライアンの愛するペットは繊細で適切な温度管理が要求されるため、単純な空輸は無理だから時間があるならばのんびりと海を横断するに限る。今更ながら最後に見ることとなるシュテルンビルトの高層ビル群を眺めるために、広い窓に寄る。左手に持ったバウチャーが海風になびく心地よさを感じながらも後ろに感じる騒々しさ。
「馬鹿っですか。貴方…こんなギリギリに!」
車だかタクシーだか知らないが、おそらくかっとばして来たと思われるバーナビーが、少しの息切れした様子を隠すことなくライアンに詰め寄った。一時間前の突然電話とピア番号を告げただけだったので多少は迷ったのか、当然の怒りのありさまさえ示していた。あまりにバーナビーが狼狽しているので、ライアンは右手に持っていたペリエを投げて渡した。
「ありがとうございます………じゃなくて」
さすがに本当に水を欲しがっていたらしく、一応栓を開けて何口か喉を鳴らしてからバーナビーの言葉は続く。
「アンタ、本当に俺には怒ってばっかりだったな」
最初から最後までという過去形をライアンは口にする。
「だから突然すぎるんですよ。他の皆さんに声をかける暇もなかった………それに本当に行ってしまうんですか?」
ここにきて多少は落ち着いたのか、しおらしい声も出てくる。
「俺の人選にはヴィルギルの野郎も一枚からんでいたらしいし、仕方ないだろ」
飄々としながら何気ないことだったとライアンは口にする。
「本当なら餞別の一つも渡したかったのですが…」
まあライアンがそう仕向けたのだが、今のバーナビーは完全な手ぶらでせいぜい右手には先ほど渡されたペリエを持っただけという状態。対面できたのは良かったろうが、どこか口惜しい気持ちも残っているのだろう。
「あ、いーよいーよ。最後にアンタに会えたって収穫あったし。それに、なんだ…ヒーロースーツ着てない必死なジュニア君、見たかったし」
こうして呼び立てても、その間にヒーローとしての事件が起きたら、きっとバーナビーは今この場にはいなかっただろうが、別にライアンはそれでもかまわなかった。きっと自分たちはそういう因縁なのだろうから。それだから今、この場にバーナビーがいることで満足だった。
「本当に貴方は…最後まで意味がわかりませんね」
それでもバーナビーは緩やかにほほ笑む。苦笑しながらも、それは綺麗だった。すべてに同調はしていなくとも、きっと最後だからこそ笑顔で送りたいのだろう。今までちょっかいかけてきたけど、なんだかんだとずっとしかめっ面だったから。だから、惜しいと思った。
「あのさ…俺、ジュニア君のコト好きだからさ。付き合わない?」
ちょっとこれからランチでもいかないか程度のノリで、その言葉は口から出た。
「は?…付き合うって、僕も貴方と一緒に海外に行け?とでも」
まるで理解していないらしく、ここにきてとんちんかんな方向な質問で返された。目を丸くしながらも何かを考えているようで。
「いや、それは絶対ないな。ジュニア君が一番輝くのはこのシュテルンビルトだと思うし」
それだけは確実に断言できるから、スパッと即答した。バーナビーのこの街への愛着も理解しているし、やはり似合っていると今は思うのだ。
「だったら付き合うって………というか好き?貴方が僕のコトを好き?」
ようやくここでライアンの言葉の本質を融解したらしく、なんだそれはあり得ない的な顔をして理解が追いついていない。別に嫌いではないと伝えたことはあったけれど、あれはその反対語だという理解の線上にはいなかったらしく。ただ、すべてを組み込むことなんてそんな簡単には出来ず、思わずかっとなったらしく。
「からかわないでください!」
この後に及んで、ふざけるなとでも言いたいのか、バーナビーはすかさず持っていたペリエをこちらにぶっかけた。ビンの中身半分ほどがライアンの顔に襲い掛り、ポタポタとしたたる。
「ったく、俺にこんなことをしても許すのはアンタぐらいだぜ。そう…その目だ…今のジュニア君にはぞくぞくするよ」
半分予想していたからこそ目には入らなかったが、炭酸は割合とキツイ。ライアンは自慢のサングラスをいったん外し、袖で軽くふいた後セットしてあった髪を撫でつけた。風が気持ちいい。
「だいたい!僕たち…コンビ解消しましたよね?」
戸惑いながらも、自分のした行為にそこまで反省するつもりもないらしく、謝りはせずに言葉が続かる。
「ああ、そうだったな」
だからこの場にいるわけだが、不思議とそのことに未練は感じていなかった。
「そして貴方はこれから海外に行く…本気ですか?ヒーローは自分の所属している都市から滅多に離れられないんですよ」
「あ、遠距離恋愛ってやつ?」
そういえば初めてそんなことをする気になったなぁと、今更ながら感心した。まさか自分にまったり付き合いたいと思う日が来るとは。
「それもありますけど、まず付き合いたいならコンビでいたいとか…そっちが先でしょう!」
あっさりコンビ解散を進めてきて、この期に及んで何をいっているんだということを言いたいのか、言葉だけでも言い寄ってきた。
「そうか?俺はビジネスとプライベートは分けるタイプだから、別に四六時中一緒にいなくても付き合えるんじゃね?それに無理な吊り橋理論とか信じてないしな」
背中預けてもいいと対等な立場を許したからこそ、次へを望んでの持論を口にする。別に自分の考えが世間一般様と同じでありたいという願望はない。
「僕は貴方の大好きな女性ではありませんよ」
当たり前だが、バーナビーから向けられるのはどこまでも疑惑の目だ。ライアンとしては年齢相応な女性好き発言しかしていないつもりだったが、潔癖すぎる人間からみるとそうは写らないようで。
「別に女なんて俺はわざわざ選ばない。俺が選んだ…のはアンタだよ」
この大把なシュテルンビルで落としがいがあるとライアンが感じたのはただ一人だったから、それが最後に目の前にいて言うこともひとつしかないと思ったのだ。
「本当に正気ですか?」
最後の念押しをするかのようにバーナビーは問いただす。今からでも、あの発言は冗談だったとって言ってほしいという願望がありありと見て取れるが、そんなことはもちろん言ってやるつもりはない。
「そう、言ってるだろ。愛してるし、もちろんセックスもしたいと思ってる」
ライアンは顔に出ないタイプだからこそ、こうやって口ではっきり言うしかないのだから。
「あ、、、貴方。直球すぎます!」
あまりにも素直な願望を食らってバーナビーは瞬く間に赤面した。
「だって男の子だもーん。あ、もしかしなくてもジュニア君ってチェリー?」
「今、その話は関係ないでしょう!」
うろたえは止まらない。今までいろいろと怒られてきた認識はあったが、多分一番怒った瞬間だっただろう。怒らせたのだ。これ以上悩ませないために―――
「じゃあ返事は?もう俺、行かなくちゃいけないだけど」
どんなに会話のキャッチボールが進まなくとも、時間だけは無情にも過ぎ去っていくもので、ライアンの視界にはターミナルで一番目立つ時計が入り続けている。
「貴方は卑怯な人だ………」
バーナビーの方ばかり見続けるのも居心地がわるそうなので、ふいに横を見れば乗務員用の桟橋から荷物の最終積み込みをしている。ギリギリだからこそ、乗り込んでいる人もこのラグジュアリー船では珍しいもので、もうターミナルから見送り用の通路へと急いでいる人ばかりだ。そうしてタイムリミットを知らせるように汽笛が鳴る。実際には意味のないただの演出効果だとしても、後押しするのは十分で。
「………すみません。突然すぎて、わからないです」
たっぷりの余白の後に、ぽつりとつぶやくように告げられた。それでも何とかこちらを見ながら伝えてくれたから、もうそれでいいと思った。
「そっか。そうだよな」
どこかでそう言われるとわかっていたからこその納得の言葉。選択の余地もないほど切羽詰まった状況を作り出したのはライアンで、どこか逃げ道を用意していたのかもしれない。しばらくの二人は対面したままの沈黙。夜の海…きらめくネオンが綺麗なだけでフロアには誰もしない。
「もう、時間だわ。じゃあなっ」
するりとバーナビーの横を通りすぎる瞬間、少し謝るように頭が下がっていたバーナビーの頭にぽんっと一度だけ髪の上に手を置いた。ライアンとはまた違う髪質の柔らかい髪が指先に絡まったのが、少しだけ名残惜しいように。きっと自分たちは決して良い出会いではなかったと思う。だから別れもこれがお似合いなのだろう。
「ライアン!待ってください!こんな別れだなんて………」
それでもバーナビーはライアンを完全に引き止めることはできない。船のポーターに大きい荷物は預けてあるので、小さなタッグ付のボストンバックを片手で担いでライアンはゲートの向こうに消えていく。颯爽と階段を登って行く最中、頭の後ろで手を組むと振り替えずにただ、後ろに向けて手を振った。
もう時計は進む事しか知らない―――いつもここから始まるループの終わり。重力が突然浮いたかのように、なにかから時放たれたようなずしりとした重みが消え去り、ライアンは無事に船に乗り込むことが出来た。これはもしかして…自分の能力。今までは他人にかけていたばかりの己の能力が自分にかかっていたのだと、初めて知った。能力に目覚めたてじゃないんだから、自分はそんなの食らわないと思っていたが…もうたしかに足は重くはなかった。
シュテルンビルドは面白い都市だ。さすがバーナビーが生まれ育った土地。でも、きっとここはライアンの帰る場所にはならないだろう。それでもバーナビーがいるからこそ胸をわずかにえぐるとしても。見送りをしているのもわからないが、甲板には出なかった。ただ今は少し瞼を閉じたくなって。アールデコの意匠のインテリアには目もくれずペントハウスのグランドスウィートルームに着くと、アームチェアに腰かけ…ライアンは瞳を閉じた。



コン コン コン
「失礼します。もうすぐ優先下船のお時間となります」
あれは夢だったのか。どこまでが夢だったのか。どこからか。目が覚めたのは、スウィート専用のバトラーからの声で、祖国に入港した連絡はアナウンスではなくわざわざの扉の向こうからだ。エグゼディブベッドに横たわっていたライアンはわずかに額に手をやりリネンの上を泳ぐ。どうやら、うたた寝をしていたようだ。こののんびりも嫌いではないが、今は目覚めがあまり良くない。大きな窓の外をぼんやり見やれば見慣れた祖国の港のにぎやかさが垣間見れる。シュテルンビルトは大陸自体が少し寒かったが、戻れてうれしいのかそれとも他意を持ってか、なぐさめてくれるかのようにペットがこちらに寄り添った。
「今何時だ?」
軽く身支度を整えて久しぶりの祖国へ足を成す。下船時のハイヤー送迎サービスに申し込んでいたことを思い出し、時計を持ってないのでスマートフォンを開いた。観光船ではなく目的地に行くためだけの終日航海でも長く、オフにしてあったから改めて立ち上げることとなる。電源を入れるとその国に対応した時間が現れる。よし、時間は大丈夫だ。そして次には、なにかの着信で画面が揺れるのだ。メールが来た。
「ジュニア君?」
まず目に入るのはその宛先で、自分でも随分と驚いた声を出した気がする。次に届いた時間。ライアンがシュテルンビルトを経ってから数日が経過しているが、メールはついさっき届いているのだ。いつ本国に着くかは伝えていなかったので、これは偶然だと思うが。数日悩んで悩んで…悩みぬいてこれを送ってきたのだと思うと。
『まずは…友達になりましょう』
機械的な文章ではすべてを読み取れはしないが、それでもバーナビーはこう送ってきたのだ。
「く、…はははっ」
しばらくその場で立ち止まって、笑いが止まらなかった。そうだ。今まで友達ですらなかったなと、今更気が付く。そして。
「まずは、…まずはね」
含みを持たして、ライアンはその言葉を反復する。だが、そんなに自分は甘くはない。少しでもつけいる隙があるならば、進むまでだ。優先下船中の最後で他に誰もいない最中、ライアンは慣れた手つきで電話のコールボタンを押した。

「もしもし、バーナビー?」
随分と間があったが、それでも電話口の相手は出てくれたのだから。













鋲 螺