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ライアンがアポロンメディアとヒーロー契約する話です。










その日、ヴィルギル・ディングフェルダーは天国に一番近い島へと来ていた。
もちろんその名称は島への観光キャッチフレーズであり、実際の名称はコンチネンタルエリアでも屈指の国の海外領土という名の植民地。平たく低俗に言うと南の島である。島へ一歩足を踏み入れるだけでも一般庶民から逸脱するような場所だったが、ヴィルギルはさも当然顔でこの場に居た。南国独特のうだるような暑さの中でも抜かりなく、ピシリといつもの指定されたブランドスーツに身をまとい決め込んでいる。つまりビジネスである。向かう先は島一番の高級ホテル。高層の建物などあるはずもないこの島で、贅沢にわざわざすべてコテージ式のスウィートを用意してある一角に足を進めるのだ。

「うげっ、時間ぴったりかよ」
穏やかに休んでもらうことを目的としているホテルの部屋には基本的に時計はない。だからこそ来訪を知らせるベルが鳴ったとき、その中でくつろいでいたライアンは嫌な声を出したのだ。おっくうだが仕方なく、マイ・スィートペットを撫でていた腕を下ろし、リモコンで部屋の開錠を成す。
そうして入ってきたヴィルギルだったが、他の部屋なら冷房が効いているであろうにこの部屋が窓を開けただけの暑い最中であろうと眉ひとつ動かさない。
「はじめまして」
そしてくすりとも愛想笑いもせずに、まずは一挨拶される。
「あー、アンタ本人がわざわざ来たのか。えーと、名前なんだっけ?」
目的の人物ではあったが、ライアンの頭の中では誰か来るという程度にしか思っていなかったことも事実で、まあ一応の確認のための言葉を出すのだ。
「アポロンメディアの新オーナー、マーク・シュナイダーの代理で来ました、ヴィルギル・ディングフェルダーです」
まるでそう言われるのに慣れているかのように、表情筋を動かすこともなく淀みなく答えられた。そうして折り目正しいスーツの内ポケットから名刺ケースを差しだそうとしたのだが。
「あー、いらねぇわ。管理すんのめんどいし」
軽く右手をあげて左右に振り、NOのリアクションを一つ入れる。たとえ貰った名刺をこのままゴミ箱に直行されようが、どうせ気にしないだろうが、わざわざそんなことするのも面倒くさいのだ。
「そうですね。私はオーナーの代理で来ただけですので」
初めから自分自身の価値などないとわかっているようにライアンの返事を受け入れるヴィルギルは、今まで電話などで下打ち合わせしていた時と同じく仏頂面だった。ライアンも表情は顔に出ないタイプではあるが、目の前の男よりは喜怒哀楽は出す方なので、気が合うとは思えない。だが、ビジネスとなれば話は別だ。
「卑下るねぇ… アンタがあのオーナーの優秀すぎる右腕って事はその筋では有名だぜ。それなのに、よくわざわざこんなトコまで来たな」
「私はただの秘書ですが…オーナーからすると、それほど我が社にとって重要な案件ということです」
すべてのお膳立ての上に…その言葉がいまこの場所を示している。そう…ヴィルギルはライアンをアポロンメディア社へ引き抜きする為にこの場にやってきたのだ。
ヒーローは基本的に契約している国や都市から離れるのにいろいろ束縛がある。だからこそ、ライアンが今所属している国の別荘地とも言えるこの島が選ばれた。形式的には同じ国ではあるとはいえ、普段活躍する本国とは数千キロ離れた孤島を指名されるとはさすがに思わなかったが。そもそもライアンは本国では顔が割れすぎている。別に本人は隠す気もないのだろうが、引き抜きを考えている会社からすると目立たないようにするのは当然だった。この島へ来るための手はずや金銭的な問題もすべてアポロンメディア社が負担している。ライアンとて高待遇には慣れているとは言え、ここまでされて悪い気持ちはしない。
「それで、なに?ここでまた説明すんの?」
ヴィルギルが唯一持っていたメタリック製のアタッシュケースから、ざっと片手では持ちきれなさそうな書類の束が出てきて、半分げんなりした声でライアンは問いかける。
「そういう規則ですので」
そういわれるのがわかっていたのだろうか、特にこちらを見もせずにヴィルギルはさっそく書類をめくる。
「俺、そういう前置きは嫌いなんだよ。さっさと用件すましてくれ」
ここでライアンは完全にヴィルギルの方を向くのはやめた。
「…わかりました。読み上げます」
ヴィルギルは立ったまま、本形式になっている書類の束を見開いた。これからアポロンメディアとライアンがヒーロー契約を結ぶ為に必要な形式的な書面。呪文のように長い文章をまるで暗記しているかのようにすらすらと読み上げるのだ。そもそもここに至る前に事前合意はしてあり、たたき台はメールでもらっているからこそ、やはりつまらない。今まで数々の国や都市でヒーローとして活躍してきたライアンだったが、ヒーロー発祥の地と有名なシュテルンビルトでは特に司法局がしっかりしているからうるさいのか、それともこの目の前の男の性格なのか、わからないが、どこまでも常套文が耳を素通りしていく。
最初こそ少しはあーはいはいと生返事を返していたが、いつしかそれをも飽き、隠すつもりもなくあくびをひとつ噛み入れる。その後はわざわざヴィルギルの方を向くわけもなく、不遜な態度で腰掛けていた雄大なソファから立ち上がり、自身のヒーロースーツと同じ色をした黄と青のダーツを手に取った。
横を向いて、コンピューターとクリケット勝負をする。BGMが野郎の声というのはいけ好かないが、的確にダーツボードに三本の矢は刺さっていく。しかし、いくらこの島一番の最高級ホテルとはいえ、本国で最近バージョンアップされた型式から一つ旧バージョンなので、設定をあげても手応えが薄い。リモコンで別のゲームに切り替えようかとしていた、その時だった。
「…………続いて、新しくコンビを組んで頂くヒーロー名、バーナビー・ブルックスJr.についての説明に移ります」
それまで一応耳は向けているような仕草さえしていないライアンの腕が止まった。それに気が付いているのかいないのかわからないのか知っているのか。ヴィルギルはそれまで読み上げて書類を小脇に抱え、次に自社製の端末タブレットを開きライアンへと画面を向けた。プレゼンテーション用ソフトが立ち上がる画面が一瞬消え、現在二部で活躍中のバーナビーの映像が映し出される。口角を釣り上げたライアンは初めてマトモにヴィルギルの方を…正確にはその画面を見据えた。
「Gravity×Hundred Powerのシミュレーション結果はこちらとなります。もちろんこちらが示した数パターン以外でも良い結果が出ています」
ヴィルギルが画面を見ずにスライドグリッドをしてパターングラフを数値で表示している。きっとライアンがこちらを見ていようがやることは変わらないのだろうが、心なしかほくそ笑んでいるのかもしれない。
「まったく…相性最高な相棒を用意したねぇ。俺を引き抜こうという奴は数多いるけどな。相棒付っていうのは、アンタたちが初めてだったよ」
ヒーロー契約には自分の価値を示す高額のギャラ以外の興味は示さない―――そんなライアンの唯一の関心事がコレだった。
「それも全てオーナーの提案です」
契約の最中、初めてライアンがしゃべったというのにわずかに目を伏せ、テンプレートのように言葉が返される。
「コイツ、今ほかの相棒と組んでるんだろ。一応聞くけど、あのアライグマのおっさんはどうなるわけ?」
さきほどのバーナビーPVの活躍の最中、チラリと映った緑色の蛍光色の影を見据えて、契約事項には全く記載のなかった存在にライアンは言及した。単純な興味ってやつだ。
「わざわざ聞くまでもないかと」
多くは語らずヴィルギルは短く言葉を切った。これまでのこの男たちの手腕による手際の良さから考えると、みちびき出される結論は容易に想像できるものだった。
「そうだな…野暮な質問だったな」
「互いに同じ能力であるのに発動に時間差がある………バーナビー・ブルックスJr.の能力が切れていない4分間。彼は全く無駄な存在ということが判断されました」
そうして補足のような説明が短絡的になされた。これでトリオという選択肢は絶対ないと示してくれる。
「ま、それは同感」
聞きたいことはそれだけだと、ライアンも納得を示す。基本的に他人には興味を示さないが、新しい相棒となる人間の情報を仕入れる心の余裕くらいは持ち合わせているつもりだ。
「改めての確認ですが、貴方が誰かとコンビを組むのは初めての筈。これは…個人の意見ですが、意外でした。あっさり了承するとは思いませんでしたので」
ここで一つヴィルギルはプレゼンテーションの道筋から離れた。それはライアンの茶々より余程貴重だと、ヴィルギルを少しでも知る人間から見れば思う言葉だろう。
「コンビとか最高の引き立て役だろ?ま、踏み台で終わるつまんねー人間かもしれねぇけど。多少なりとも期待させるんだから、俺を失望させないでほしいけどな」
「こちらで対処できる全ての用意は準備するつもりです」
ライアンの杞憂をすべて汲み取れるわけもないだろうが、表面上だけでもヴィルギルは良い言葉を選んで出した。
「一つ言っておくけどな。アンタたちが俺を選んだんじゃねぇ。俺がアポロンメディアを選んでやったんだよ。俺様の初バディだぜ?」
確かにこの提案自体はアポロンメディアからもたらされたものだったが、最終判断はライアン自身が行っている。ヒーローはサラリーマン業であると世間一般的には言われているが、たぶん世界で一番フリーのようにヒーロー業をしているのはライアンで、彼には彼の自由の上で仕事をしている自負があった。今回の提示が単純にギャラだけなら他の大富豪からの引く手あまたの方が良かったという現実もあったが。だが、それ以上にいろいろライアンの気を引くものがアポロンメディアにあったことも事実だった。それでもあくまで優位に立つのは雇用主より自分という気持ちは譲れる筈もない。
「光栄に思えとでも言いたいのですか?」
「ま、そういうことだ。なんたって、おもしろそうだからな。そちらのオーナー様の思惑に乗ってやるよ。今は。それと、アンタの思惑にもな」
ヴィルギル自身をも名指しするようにライアンはダーツの矢を向ける。
「なんのことだか、さっぱり…」
その瞬間、今まで部屋の隅で寝ていた部屋の主以上に我が物顔なそのペットは誇張するかのように悠然とヴィルギルとライアンの間を横切った。
「アンタたちが何を思ってようが、俺は俺のやりたいようにするだけだ。もう御託はいい。サインするから、出せよ。契約書を」
そう…アポロンメディの後ろにあるガーゴイル・テクニカに纏わる黒い噂。それを知っても尚の決断だった。ライアンはそんなことに綿密な興味はない。ただ、自分の価値を高める面白いことがありそうなら、何でも良かったのだ。
少しいぶかしむ様子を含みながらも、ヴィルギルは本契約書を差し出した。
ライアンは、卓上にあったヴィルギルが来るまでわざと白と黒のフールズ・メイトにして遊んでいたチェス盤を両手でどけた。乱雑に落ちた駒が、やわらかい絨毯の上に落ちる。机の上に置かれた契約金の提示は、あらかじめ示していたものよりやや箔をつけられているが、ライアンは何も言わない。ただ、差し出されたペンでサインをした。
「………契約成立ですね」
「せっかく契約したんだから、ここは一つ握手でもするもんなのかね」
あくまでも冷淡なヴィルギルに、冷やかしのような物言いを加える。今はそのメガネの内側にあるものまでは見えない。だが、それでもいいと思っている。
「いえ、結構でしょう。互いの利害の一致の為にも…」
それから一通りの事を成しえると要件が済んだヴィルギルは退室した。異物がいなくなったことで、ようやく警戒していたペットがライアンの元に戻ってくる。



用意されたのは、最高の出会いを演出してくれる鮮烈的なデビュー。そして、さすらいの二つ名が変わるかどうかは新しい相棒次第。
「せいぜい、楽しませてくれよな。ジュニア君」

それでも、シュテルンビルトにはライアンの求めている風がありそうだなと薄く感じ取っていた。



















重 力 ≒ 万 有 引 力 ≒ 林 檎