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銀魂 土銀 現代パラレルです。








「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
この二つの言葉を発する接客業はこそこそ多いだろうが、ここまで何度も何度も繰り返すのは、なかなかないだろうなーと暇つぶしの一つとして無理やり銀時は思った。
そうなのだ。今日もいつもと変わらぬ仕事風景である。
ありふれたコンビニレジの店員として、時折やってくる客相手に商品を売り、合間を見て品だしやら掃除やら発注やらをする簡単なお仕事。
はたから見ればごくありきたりな様子に見えるだろうが、ほんの一つだけ違うのが客層である。
もちろん一般的に考えると定番の客と見られるサラリーマンやら学生やらが買いに来ることがないというわけではないが、それは限りなく0に近い。
そう…ここは、警視庁の中にあるコンビニなのだった。
電話などに出る時は、一応「大江戸マート警視庁店です」と名乗るほどの。
百歩譲って警視庁の正面玄関の横とか別館のように併設された施設とか、そういった場所にあるのならわかるが、残念ながら完全に警視庁の建物と一体化した(まあゴレンジャー系ロボットみたいに変形するわけじゃないけど)内部からしか入れない一階部分の一角という立地は、そのままここへ足を運ぶ客をも物語るものである。
今までそこまで正確に考えたことなんぞないが、九割?いや…もっとか?まあ、一言で示すと警察関係者しか来ない。
まれーに食堂や備品の出入り業者やら、あと何かしらの事情を含んだ理由があって警察に用がありやってきた外部の人間が買いに来る(特に事情を知りたいとは思わない)
しかし、彼らの大抵は早くこの空間から出たいという衝動に駆られているので、必要に迫られての客単価は極めて低い者であった。
ということで、銀時が相手をする客は大抵顔馴染みということになるのだった。
そうはいえども、別にそれほど苦手意識があるというわけではないが、さすがに相手が相手なだけあってフレンドリーに声をかけるなんてことを積極的にしたことはない。
これは銀時がここ以外のコンビニで店員をしていた時もそうなのだが、基本的に自分の性格が面倒くさがりやなのである。
確かに、仲の良い客が出来れば、本部から怒涛のように勝手に告知されてくる色々と煩わしいキャンペーンやらノルマやらをこなすのが楽になるのだが、そういうだけの関係というのもどうかと思い、あまり積極的にはなれていない。
自他共に認める楽天的な性格はこういう時に発揮されるもので、与えられる仕事を着々とこなす駄目の日々だ。
「いらっしゃいませー」
確かに都会な立地ではあるが、その標準的な都会のコンビニより更に敷地が半分ほどしかない、この店に客が入って来て、元からやる気の薄いように感じられる銀時の声が飛んだ。
やってきた客は、まだ若い男。
とは言ってもやはり身につけているのは黒地スーツということは、もちろん警察関係者なのできちんと20代以上ではあるのだろう。
人間観察が趣味というわけでは全くないのだが、良く来る客というものは本能が望んでいなくても自然に頭が覚えるものだ。
基本相手はただ商品を選んで買うだけという按排なので、別に名前を知っているというわけでもないし、警察関係者と言う職業柄安易に口にすることもないのだろう。
ここは限りなく職場に近い場所過ぎて、プライベートなどという楽観的な単語とは程遠いのだから。
さて、さきほどやって来たまだ若そうな地味な印象を与える男は、今日は比較的時間があるらしく珍しくひと通り店内を見回ると、菓子パンが陳列してあるコーナーの目の前で足を止めた。
やべっと、銀時は内心で舌を出し、またタイミングの悪い時に来たな…と改めて思った。
彼は定期的に、そこにある、うちのコンビニ自社ブランドではなく全国展開をしているメーカーの、あんパンを買うのだ。
いや、買い占めると言った方が正しいかもしれない。
とにかく店頭に並んでいる全てのあんパンを攫っていく。
今日はたまたま両手に抱えるほどだが持ち切れる数だったので、そのままだが、まだまだあれば、うちの店ではあまり使われないから少量しか置いていない買い物カゴを手にして来るほどだ。
別に毎日来る客というわけではないので失念していたわけではないが、銀時はもっと発注をしておけばよかったと後悔する。
正直、いつ来るかもわからない客の為に、菓子パンにしては比較的賞味期限が長いとはいえ、あんパンなんぞを大量に陳列などは出来ないのがネックである。
だからと言って、お客に「いつ来るんですかー?」と、どこかのお笑い番組のテンションで聞ける筈もなく、ただ表情は変えずにまた裏で舌うちするだけだ。
あんパンを大量に買っていく男のことを、銀時は密かに「ジミー」と呼んでいる。
実は店員が客に勝手に名前を付けているのは、非常に良くあることである。
まあ、それも暇つぶしの一つぐらいで、大して深い意味はないが、裏で他の店員仲間と話す他愛もない流れの中で名前がついていないと色々と話も通らないわけで、ノリと便宜上でてきとーな名前がつけられている。
こちらは相手の名前が知れないのだから、買っていく商品の名前つけりゃあいいとかいう簡単なものでもない。
普通は結構容姿とか服装とかで決めたりもするのだが、警察関係者ともなると身につけているものはスーツか制服だし、見た目もぶっちゃけそんな大差ない野郎ばかりなので、常連客の名前付けは勝手に困難をきわめているのだった。
何人か集まれば、勝手に色々と名前の候補はぽんぽん上がっていくものである。
ただし、この、あんパンを大量購入する男は、満場一致でジミーに決まってパチパチと拍手をしたくらいだ。
「ありがとうございましたー」
そうして、今日もジミーはレジ袋(中)にパンパンと詰まった、あんパンを片手に店を出た。
あんなに大量になぜ購入するのだろうかとか深い事を考えては、店側としては負けだ。
ただ有り難いカモだと思おうという念じ。
それに、何といってもメーカー側がシールを集めると春に白い皿が貰えるというキャンペーンをやっている。
メーカーの社員寮の横にある体育館に隙間なくピサの斜塔よろしく積み重ねられているらしい白い皿を大量に欲しいのだろうと、今はその準備期間で足踏みしているのだと勝手に想像している。
そんなくだらないことでも考えなければ、比較的な暇な時間はつぶれないのである。
そうしている間にも、とりあえず客足も遠のいだことだし、ということで、銀時はレジから出た。
今の時間帯はたった一人で、この店を受け持っていることになるので、何もかも一人で切り盛りすることになる。
と言っても、簡単に店内を見回ることが出来る程度なので、ちょこまかちょこまかと少しずつ仕事をこなしていくだけだ。
商品陳列を直そうとレジから出た銀時であったが、次の客が来たので慌ててレジへと戻る。
普通の客相手ならば、商品を手にレジ前まで来た時点で戻るのだが、この客にその対応は駄目だと銀時は知っている。
何しろ、さっきのジミーみたいに別に買う気はないけれどー他の商品見てみようー何て可愛い遊び心は一切ないのだから。
ちなみに、この客の名前は「多串くん」である。
銀時が何となくー付けた名前なので、別に深い意味はない。
何事もノリとテンションである。
たまにはそういう気分で名前を付けたくなる時もあるのだ。
多串くんこそ、本当に独自の定番ルート上しか歩かない。
まずは今日の曜日を思い出そう。
そう…水曜日なのである。
賢い青少年の皆ならわかるだろうが、週刊少年マガシンと週刊少年ジャンプの発売日である。
2冊同時買いをする客も高確率でいるので、週刊で一番雑誌類が売れる曜日と言っても過言ではないだろう。
ちなみに銀時は、根っからの週刊少年ジャンプ派だ。
テンションがあがるのは、基本月曜日並びに祝日が重なった時の土曜日に限られる。
正直、惰性で買っていた時期がないというわけでもないが、それでもやっぱり男はジャンプだろう?と確固たる信念として持っている。
確かにジャンプにはグラビアはないがそこは…そこだけは残念すぎるが、でも何が何でもジャンプなのである。
毎週マガジンとサンデーを買うには財布が寂しいという事情がないというわけではないのが、実は心残りである。
話が随分と脱線したが、まあ…この大串くんは水曜日ということで一番に雑誌コーナーへと行き、マガジンを手にする。
ちなみにうちのコンビニで立ち読みする客は極めて少ない。
店内が狭いという圧迫感と、所詮は仕事の延長上という悲しい定め。
それによって雑誌類は立ち読みが前提ということで、外部から目につきやすい窓側に陳列するという法則は崩れている。
ただし、おかげで雑誌が立ち読みによって汚れるということはないが、銀時や他の店員が裏に持ちこんで読んでいるのであまり意味はない。
マガジンを片手に大串くんは、一度レジ前を通っていつも吸っている銘柄のタバコを二箱取る。
普通のコンビニの万引き率NO1は実はタバコなので最近はタバコの陳列をレジの奥にしたりすることも多いのだが、うちは店舗が狭いのとおかげさまで万引きするような勇気のある客はいないので、レジ前に置いてあるのだ。
ここまでは一般的な客としては良くある流れの一つとして捉えられるのだが、大串くんはレジ前を通り過ぎて、調味料コーナーに足を運ぶ。
大変残念なことに、うちの店の調味料コーナーの陳列は極めて悪い。
というか、一段のうちの3分の1しか占めていないほどだ。
大体コンビニに少量の調味料が置いてあるのは、うっかり買い忘れた主婦が仕方なく定価だが少量を買っていくとか、その程度なのだから。
そうなると客層を考えて本当に少ししか調味料なんて置いていない。
しかし、大串くんはそんなことを全く気にしない様子で、500gのマヨネーズをむんずっと当たり前のように掴んだ。
そう…大串くんは毎日これを買うのだ。
それこそジミーのように、たまーにあんパン大量購入なんて甘いもんじゃない。
毎日毎日毎日…なぜかマヨネーズを買っていく。
悪いがうちの発注ラインナップに業務用やら1kgやら700gやらのマヨネーズはない。
いつか発注画面で×マークがつきそうな500gのマヨネーズだが、それでも本部が届けてくれるというまで入れ続けるだろう。
つか、大串くん以外買うお客しないしね…
意気揚々と全てを手にした大串くんは、他の新商品などには見向きもせずに真っ直ぐレジへとやって来た。
「いらっしゃいませ。お預かりします」
軽く一礼をして、レジ前に並べられた商品に銀時は手をかける。
「260円が二点…440円が一点…263円が一点………合計1,223円となります」
ピッピッ…と連続的な機械音が鳴り全て終えると、表示された金額を続けて口にした。
その言葉を聞く前に、大串くんは分厚い黒革の高そうな財布から一万円札を取り出していた。
無造作に差しだされた一万円札を銀時は受け取り、一枚であることを確かめる。
この平和な世の中では偽札確認というよりは、確実に受け取った枚数を間違いないための確認だ。
「一万円からお預かりします」
そのまま一万円札ボタンを押し、最後に客層を押さなければレジは開かない。
裏技使えば開けることも出来るが、それは特別な時に限るので、普通はその流れだ。
男はブルー。女はピンク。そして、下から12 18 29 39 49 50と年代が並んでいる。
そういえば昔の不真面目な深夜バイトで、めんどうだから誰か来ようが全部、50の男を押しているというとんでもない奴がいたことを、ふと思い出した。
客層からどんな商品買っているか本部は全部リサーチしているから大目玉を食らったもんだ。
12と18だとタバコや酒購入者には警告が出るというありがたい仕様な為、もちろん大串くんの客層は29の男だ。
レジがもたついているので先に、手前からレジ袋(中)を取り出して、マガシンを入れる。
タバコはというと、いつの間にか大串くんの胸ポケットに勝手におさまっている。
一個や二個のタバコを袋に入れてほしいという客は少ないので、見慣れた光景だ。
しかし、大串くんはマヨネーズも胸ポケットにしまう。
あそこのマジどーなってんだ?と銀時はいつも思うんだが、なぜかタバコもマヨネーズもきちんと収納できる4次元ポケットとなっているらしい。
そもそもなぜマヨネーズを胸ポケットに入れる必要性があるのかと、本当なら小一時間尋ねてみたいと思ったことがないわけでもないが、毎日のことなので最近はそんな感覚も麻痺している。
雑誌類を専用の紙袋に入れるのも邪魔だ。どーせ直ぐ読むんだからいらねぇ…と何度言われたことやら。
だから文句を言われない限り、こうやって一緒にレジ袋に入れ込むようにしている。
取っ手のところを少しだけねじって表を向かせて、差しだす。
そうしてレジが開くと、一万円札をお釣りで使うことはないので、レジの札入れの奥にしまい込む。
「最初に8,000円からお返しします」
五千円札を嫌がる客も稀にいるので、とりあえず余裕のある千円札を8枚ほど抜いて差しだす。
ここまでは非常に普通に大串くんは、お札を受け取った。
しかし、
「あ…」
この微妙な声を出したのは、銀時の方だった。
まあ、良く考えればなんてこともないのだが。
「残り777円のお返しです…」
そう、いつもの口調とは違う様子で、続けて言ってしまったのだ。
お釣りが、777円。
7が三つ並んでいるだけだが、いわゆるラッキーセブン…スリーセブンと呼ばれるものだった。
下3けただし、ありがちと思いきや…これだけ勤めていても一年に一度あるかないかという奇跡なのだ。
それが今、目の前で渡された筈だったが…
ちゃりんっ
響く音を立てて、いくつかの硬貨が転がった。
一番重いのは500円玉…1円玉などは、酷くか細い音なくらいだった。
大串くんから差しだされた手に、銀時はレシートと一緒に確かにお釣りを手渡した筈だった。
しかし、レシートを完全に台には出来ず、二人の指はほんの少しだけ触れ合った。
その瞬間、大串くんはびくりっと反応して右手をひっこめたのだ。
結果、はらりひらりと床へ舞い散るレシートと硬貨という図になったのだ。
いくら大串くんが手をひっこめたのが原因とはいえ、それを面と向かって悪いと言えるのが、店員という立場ではない。
「すみませんっ…」
お客様は神様ですというまでの深々しい気持ちはさほどないが、それでも銀時は軽く頭を下げてレジに散らばったレシート硬貨を拾った。
良かった…床まで落ちていなかったようだ。
安心して拾い上げると、再び大串くんへと向き直りお釣り一式を渡した。
今度はきちんと受け取ってもらえたし、接触もなかった。普通だ。
つか、確かにたまにレシートなんていらねぇよと無理やり、レシートを外して硬貨だけ貰おうという柄の悪い客もいるのだが、大串くんにはいつも渡してたよな…おかしいな……と少しだけ銀時は思ったのだ。
「ありがとうございました。またお越し下さいませ」
そうしてお決まりの言葉を出して、本当に終わりの筈だった。
しかし、軽いおじぎが終わり顔を上げても、大串くんはそこに居た。
それも何だろう…出口のある後ろを振り向くわけでもなく、こちらをじっーと見ているのだ。
何だ…自分は何かやったのだろうか?と銀時は一抹の不安を覚えた。
普段通りの筈だ。
確かにお釣り落としたが、いや…あれはどう考えても大串くんが悪いわけだし、それくらいはいい大人なんだし、KYじゃないんだからわかるよな?と自分の中では納得しているし。
何か言いたいことがあるのなら、せめて渡したままのお釣りくらい財布にしまった方がいいんじゃないか?と言おうかなーと銀時が思った時だった。
突然、大串くんはレジシートとお札と硬貨を握りしめた右手を握りしめた。
次の瞬間には、左手で募金箱(よく森林の為にある緑の募金とかいうあれだ)を無造作に手繰り寄せると、そのままレジシートもお札も硬貨もブチ込んだのだ。
「んなっ!」
あまりに突飛な行動に驚いて変な声を銀時は出してしまった。
いや…確かに募金箱に寄付している人間はまれーにいるが、それはあれだ…たとえばお釣りが中途半端に細かかったりすると財布が重くなるから面倒くさいとか思って、釣りは募金箱へ入れておけとか、そういうことは確かに言われたことあるけど。
こんなに募金している人がいるんだぞ!ということでわざとらしく千円札が入れっぱなしになっている時もあるけど。
むしろゴミ入れと勘違いしてんじゃねーかと思うくらい、あんな狭い入口にレシートを丸めてブチ込む奴もいるけど。
間違っても、777円(それでも銀時には大金)を募金したとしても、大きな心で目をつぶれたのだが、千円札が八枚…千円札が八枚を募金するなんて、有り得ないの一言だった。
某募金団体でさえ怪しいと言っている人物がいるが、彼らがこれを見たら倒れていたに違いない。
と、ここまでぐちゃぐちゃーと考えて、銀時はやっと…接客にふさわしくない擬音語を発したことに気がついて取り乱した。
よく考えれば、募金なんて個人の自由じゃないか。
駅前やらなんやらで良く募金をお願いしまーすと首から白い箱をぶら下げている高校生やら若い青少年やらがいるが、募金を頼むよりその分おまえらが他のバイトした時給なりを募金した金額の方が高いんじゃね?とかそういうことを思ってはいけないのだ。
金額より大切なのは心という建前が動いている。
動揺を見せないように、銀時は募金箱から目を離して、某ファーストフード店のごとくスマイル0円を目指して顔を大串くんへと向けた。
ん?なんだろう…いつもの淡々とマヨネーズを買っていくのとは違う表情は。
なんか、こう切羽詰まっているような焦っているような顔。
そして
「おい…」
次に低い声を発したのは大串くんで、その声は明らかに銀時へ対しての呼びかけだった。
「はい…なんでしょうか」
こちらもやや声を落としながら銀時は伺いを立てるように声を出した。
「お前、俺と付き合え」
そして、とんでもないことを、その妙に嫌な予感がした表情のまま凄み、大串くんは、のたまった。
「は?」
銀時は、一瞬自分の耳が劣化したのか?もう年なのか…ヤバいなと勘違いした。
頭の中では聞き間違いだと思いたいのに、ちょうどこういうときに限って店内のおきまり宣伝をしているBGMが切り替えの時で、嫌にクリアに聞こえてしまったのだ。
いや…待て………この目の前の男は何を言った。
まさかのまさかで自分に命令したような気がしたんだけど。
立場的に有る程度命令されてもいいとは思う。ぶっちゃけ。
例えば、箸を渡せとか、両替しろとか、肉まんをとれとか、コンビニで出来うる限りのサービスは命令形だろうがお願い事だろうがするよ。
でも何かとてつもなく違くね?と突っ込みたい。
これが「俺に付き合え」というならば、あれ?どこのヤのつく雰囲気?それとも体育館裏への呼び出しですか?という、冗談でも嫌な部類のことを連想出来ただろう。
でもあれだ…今大串くんが言った付き合うって世間一般的な認識だと、好きだから恋人になりましょ♪って意味にしか思えない。
そう考えても、やっぱり命令形だから拒否権がないってやつなのだろうか。
もう既に決まり切った決定事項か何かなのか。
あまりの出来事に、銀時の頭の処理量では限界だった。
それなのに大串くんと来たら…
「返事はどうした?」
完全に強要を迫るスタイルを取った。
自分が何か微塵でも悪いとは一つも思っていないのだろうと言う態度を示す。
「え…っと、返事ってか…俺………お前のことなんも知らねぇし」
この段階で店員としての言葉づかい全てを銀時は捨て去った。
だってどう考えてもプライベートな用件だよね。
しかし、正直言って、はいとかいいえとかそういう段階ではなさすぎる。
いや…大串くんは「はい」以外の答えを要望してないようで、「いいえ」と言ったらヤバいという雰囲気だけは感じとったのだけれども。
「ああん?…んなもん。最初は誰でもわかんねーもんだろうが。だからその為に付き合うんだろ」
そうして大串君は独自の恋愛論を語ってくれた。
正直、銀時はそんなことあまり知りたくなかったのだけれども、聞こえてしまったのだから無視を決め込むわけにもいかない。
そりゃあ友達からスタートとかでなければ、ぶっちゃけ誰だって他人のことなんてわかる筈もないだろう。
でも、何で、つか、あまりにも突然過ぎるのだ。
しかし本人は突飛な話をしているという自覚はないらしいのだから、余計にややこしい。
「いや…だから。つーか、話をするのも殆ど初めてじゃね?」
しもろどもろに、銀時は様子を伺いながら言った。
だってぶっちゃけ多分…銀時が大串くんの声を聞くのも多分初めてだ。
こっちは仕事柄、上辺だけだろうがきちんと接客の言葉を出しているが、基本コンビニの買い物に一切言葉を発しなくても客は行けるのだから。
そりゃあ、宅急便サービスとか、インターネット料金の払込とか、そういう特別なサービスをするときは、あれこれ聞いて進めなくてはいけないが、大串くんはマガジン・タバコ・マヨネーズという三種の神器以外見向きもしないのだから、会話とか全く縁がなかったのだ。
タバコだってそこそこメジャーな銘柄だから、奥から取って来る必要ないし、毎日買っているからカートン買いとかしないし。
いや…よく考えれば、もしそれらで言葉をやり交わしたとしても、あくまでも業務の上を滑っているだけで、いわゆる会話として成り立つものではないような気が、銀時にはした。
「別に話なんかこれからしてくんだから、関係ないだろ」
しかし、またまた大串くんから出たのは銀時には理解できない…したくない超理論だった。
いや…ホント……どうしろって言うんだと、銀時には激しい頭痛ばかり訪れる。
つか、大串くんって何なのだろう。
銀時の中にある大串くんの知識なんて、おそらく警察関係者でマガジンとタバコとマヨネーズが好き?この程度なのだ。
それ以上でもそれ以下でもない相手なのに、いきなり付き合うとか突飛すぎる。
「………おいっ、メモか何かあるか?」
いつまでも一人でぐるぐるしていた銀時に、痺れを切らした大串くんがイラッとした様子を見せつつ、手持ちぶたさを示した。
突然何だろう?と銀時は思ったが、悲しいことにこういうことに慣れているというのが店員の定めという感じで、自然に身体が動いていた。
銀時はレジ前へと少し身体を向けて、レジシート送りボタンをしばらくの間、押し続けた。
ガーーーと独自の音を出て、白紙のレシートが出て来る。
タバコの補充とかの為に銘柄を書いておくメモ代わりに使ったり、また今回とはちょっと違うが宅急便の為のメモとか客の要望に応えるために使う機能だった。
レジシートが勿体ないから、普段はあんまり酷使しないのだが、大串くんの望むメモにふさわしいのはこれしかないから仕方ない。
自動で切れたレジシートと、そして胸ポケットからボールペンを軽く取って、銀時はその一式を大串くんの目の前に置いた。
次の瞬間にはレジ前に少し身を屈めて、ボールペン片手に大串くんはレジシートに何やら書き始めた。
それは本当に短い時間で、さらさらと流れるように何かを書き終えると、最後にカチッとボールペンを置いた。
「俺のケータイだ。話したいんだったら、こっちにかけてこい」
そうして、銀時に携帯電話番号が書かれたレジシートを押し付けたのだ。
「はい?」
その時、銀時からでた言葉は間違いなく疑問視系だったのだが、日本語って本当に曖昧で嫌な事に、思い込みの激しい大串くんはそれを肯定と受けったらしく、満足そうな顔をした。
えぇー違うよね。そうじゃないよね。何かおかしくね?いや…凄くおかしくね?と、またもや銀時は頭を悩ました。
だって別に話したいなんて言ってないっつーか、あの会話の流れどうしてここに行きつくのか謎すぎた。
それに、肝心なところはそこではないだろう。
もっと重要な問題がたくさん積み重なっているというのに、どうしていきなり携帯電話番号なのだろうか。
一度受け取ってしまったレジシートをいらないと突っぱねられる状況に、今の銀時は立たされていなかった。
「じゃあな」
ようやく身体の方向をレジから逆にした大串くんは、軽くそう言うとやっと店内から出て行ってくれた。
ものの5分もしないやりとりではあったが、残されたレジシートを目の前に、銀時はどっと疲れを感じた。
「せめて、名前くらい名乗れよ。大串くん」
一番言いたかったのは、それだったが完全にタイミングを逸脱してしまった。

それは彼が銀時にとって、うざい存在になった最初だった。









翌日。
今日も変わらぬ仕事風景と言うわけにはなかなかいかなかった。
あの日というか昨日なのだが、銀時は大串くん(仮)に告白?されてしまった。
おかげでその日は全く仕事に身が入らず、お弁当の箸を一膳入れ忘れて代わりにプラスチックのフォークを入れてしまったり、おにぎりの温めを通常15秒なところをお弁当の温めである40秒にしてしまって半分爆発させたりと、ミス続きだった。
唯一の幸いが、大串くんの2度目のご来店がなかったということぐらいだろう。
来るかもしれないということで若干びくびくしていたから、効果的には微妙な部類に入るのだろうが。
そうして激しい疲労を追えてようやく家路に着いたのだが、それでもあの携帯番号が書かれたレジシート持参なのである。
せめて…せめて……これさえなければ、あの出来事は白昼夢か何かと思って記憶の片隅で抹殺出来たというのに、形あるモノって恐ろしい。
近くに大串くんが居ると言うわけではないのに、圧倒的な存在感を誇っていた。
そうして銀時は次の日である今日も問題の仕事先であるコンビニに重々しくやって来た。
いや…しょうがないじゃん。来たくはないけどさ。シフトっていうものが決まっているのだから。
銀時の勤める大江戸マート警視庁店だが、営業時間も普通のコンビニとは違う。
7時から11時まで営業してんじゃないんですか?という某コンビニよりも格段に営業時間も短い。
最近のコンビニといえば24時間営業が当たり前になったが、まだ田舎の方には11時で終う店もあるらしいが、うちの店は朝8時から夕方6時までの10時間しか稼働していない。
それはつまり建前上は警視庁が公共施設ということで、お役所の仕事時間である9時から5時に合わせてあるのだ。
まあ、コンビニだから出勤前と後の1時間をプラスして出来あがっているが。
そんなわけで、店自体は夕方6時に閉まるのだが、一応夜は人員が減るし、人の出入りも制限されるが警視庁自体は不眠不休だったりする。
それに土日祝日も休みである。
ほぼ警察関係者しか来ないのだから、要望があればやらないというわけでもないのだが、人件費と水道光熱費などの固定費などとの兼ね合いを考えると、採算が取れないのだろう。
だから基本、銀時のシフトと言ってもその日は交替などはせず仕事をしていることが多い。
ただし労働基準法だかの建前上は8時間労働なので、昼休み1時間と30分ずつ小休憩を2回取っている。
正直言うと、昼休みが一番忙しいのであまりそんな時間は取れないのだが、日本人は名目っていうものを大切にするもんだ。
店員は銀時以外にももちろんいることが多いが、若干時間帯にもよる。
なんといっても混むのは一般的なコンビニと同じく、朝・昼・夕方だから。
警察関係者は工場のように決まり切った時間で仕事をしているわけでもないものもいるので、明らかに外回りか何かのついでに立ち寄る客もあるのが救いだろう。
それでもさすがに一人では店を回しきれないので、従業員は一人だったり二人だったりということで数人のバイトを雇っている。
人数が多いわけではないのでシフトは簡単には動かせない。
だから嫌でもまた今日も銀時はレジに立つのだった。
そう…なのに、それなのに、昨日と同じく銀時が一人の時間に、奴は来た………
「いらっしゃ…」
入口にさしかかる軽快な音を聞いて、反射的に銀時はおきまりの声を出したのだが、その姿を確認した瞬間には言葉が固まった。
やってきた男は、今銀時が一番会いたくない人物だったのだから。
大串くんは木曜日だからと言ってチャンピオンは買わないが、いつものタバコやマヨネーズのコーナーにさえ行かなかった。
ずんずんと歩き進んで真っ直ぐに銀時の居るレジへとやって来たのだ。
これでは逃げようもない…いや店内に一人きりという状況で店員が逃げるのは職務放棄だとわかっているが、それでも時間的余裕があったら間違いなく銀時は逃げていたに違いない。
「おいっ…何で昨日電話して来なかった?」
やっぱり怒ってるぅ〜と、想像通りの様子を見せて大串くんは凄み睨みをきかせた。
「…えっと………いや、ほら…なんか忙しそうだから、仕事中に電話もどうかと思ったし」
ごまかすように銀時は何とか声を絞り出した。
正直、電話しようかどうか悩んだのだ。自宅であるボロアパートできちんと。
テーブルの上に例のレジシートを置きにらみ合いをするように対面なんて、人生のうちでも何度もあるもんじゃないとは思ったが、考えたのだ。
そして考えた結果、電話はしなかった。
だって、話したいって別に思わなかったのだから。
つか、むしろしたくない。なんか怖い。
電話しても怖いし、しなくても怖い、という板挟みをどうしろっていうんだ。
ずーと番号をガン見していたせいで、おかげでその11桁を丸暗記してしまったくらいだった。
それでもボタンを押す勇気が最後まで出なかったことは間違いない。
今日会うと大体予想してこうやって怒って来るとはわかっていても、結果を先延ばしにしたかったのだ。
「あれは仕事用のケータイじゃねぇから、別にいつ電話してもかまわねぇよ」
「そ、そう?」
何とか銀時のごまかしに乗ってくれたようで安心したが、でも何か違うよなーという思いはぬぐいきれない。
一瞬、まだメールアドレス教えてもらった方が楽だったんじゃないかとも思い始めたが、それはそれでまた面倒な気もするし、第一女々しい。
電話も迷惑だが、メールも難しいものだと銀時は思うのだ。
携帯を取り出して、仲良く赤外線通信しろと強要されるよりはいくぶんマシだったと今は考えることにした。
「そうだ。折角教えてやったんだからきちんとしろよ」
相変わらずその無駄な自信はどこからやってくるのかわからないほど偉そうな態度を多串くんはとった。
「別に電話しても構わないんだけどさ…そもそも俺と付き合うとかマジで言ってんの?」
ここにきてやっと会話の成り立ちを求めた銀時は、初めて自分から積極的な発言をした。
最初の誤解は早いうちに解いておいた方がいいだろうという判断の元だ。
色々と勢いに騙されて電話までする約束を取り付けたことになったのだが、そもそも何で自分と多串くんが付き合わなければいけないのか…それがまずわからないのだ。
名前は知らないし、面識もないし、会話だってあの時始めてしたようなもんだ。
自慢ではないが、銀時の容姿が人より良いと思ったことはそんなにない。
つーか、このくるくる天然パーマのおかげで、勝手にマイナス付けられていることが多いのだし。
こうやって仕事もしているが、世間的に見ればたかがコンビニ店員だろって感じに捉えられるだろうし、事実そうだ。
差し障りなく問題なくこなしている程度で、愛想がそんなに良いわけでもなく接客時の声がでかいとかそんなインパクトのあることもしたことない。
そんな中で、なぜよりにもよって自分なんだ?としか銀時には思えないのだ。
多串くんは警察関係者のようだし、捜査だか何だか知らないが仕事関係で仕方なくっつーのなら、初めから言っておいて欲しいなと思う。
それに何といっても、二人は同姓である。
この最大障害を乗り越える要因なんて何かあったかと、わからなすぎる。
銀時はもちろん女が好きだ。
いや、大好きな部類に入るだろう。
もう少し仕事の時給がよければ、綺麗なお姉ちゃんの居る店に行きたいし、出来れば同伴もしたい。
欲を言えば一本うん万円コースとかをやってみたいと思うぐらい、平均的男児だ。
男友達は数名いるが、あくまで彼らは友達で恋愛の対象に見たこともないし、他の男に対してもそんな気持ちを抱いたことは一切ないのだ。
まあ、目の前にいる多串くんは、そうではないのだろうから銀時に告白?なんてしてきたのだろうが。
「俺が、冗談でそんなこと言う性格とでも思ってんのか?」
ここで多串くんはちょっと不機嫌そうにそう言った。
「えーそうは思わないんだけどさ。じゃあさ、何で?何かキッカケなわけ??」
ある意味、銀時のどこが好きなのか言えと言っているようなものだが、だからと言って何も聞かずにお付き合いしますというのも馬鹿なものなので嫌々ながら仕方なく聞いた。
「おまえ…前に、競艇場前にあるコンビニに勤めていたことあっただろ」
「へ?ああ…良く知ってるね」
予想外の所から切り出されたので銀時は、一瞬記憶を手繰った。
競艇場前のコンビニは、このコンビニの前に銀時が勤めていた店だった。
コンビニチェーンはある程度軌道にのるとオーナーが複数店舗を展開することが多い。
つまりこのコンビニも競艇場前のコンビニもオーナーは同じでなのである。
コンビニ経営と言えば、ブラックでやりたくないと評判ではあるが、当初はそうではなかった。
酒とたばこの取り扱いが売上を左右するのだが、昔は酒税とたばこ税の免許を取るのが大変だった。
今は簡単な講習を受けるだけでいいのだが、以前は本部が酒屋とたばこ屋に声をかけることが多かったのだ。
そんな感じで結構前にオーナーになったらしいのが、お登勢である。
お登勢は地元では結構有名で信頼も実績もあり、警視庁舎が建設される時に、声がかかったらしい。
そうして出来たのがこの店なのである。
一応、一店舗に一人は社員がいなければいけないというお達しがあるのだが、アルバイトは多数いようが社員になりたいなんていう人物はあまりいない。
かくいう銀時もその一人で、仕方なくこの店はお登勢が直接統括して結構長く勤めている銀時が仕切るという形になっていた。
まあ、お登勢は銀時に任せきりであんまり店に来ないけど。
そもそもお登勢がなんで営業時間が短く客も少ない警視庁なんかに店を出そうとしたかというと、ただの宣伝という一言だ。
警視庁に入っているコンビニというだけでステータスになるので、本部からの鶴の一声もあったらしい。
だから銀時がだらだらやっていも平気というのと、住んでいるアパートから近いからという理由で、競艇場前店から移動して来たのだった。
「何年か前に、そのコンビニに強盗が入ったことあっただろう。覚えてるか?」
確認するように大串くんは切り出した。
「あーあったかも。」
よく考えれば警察関係者である多串くんと接する機会なんて、そういう出来事ぐらいしかないよなと銀時は気がつく。
あれは、結構騒ぎになった事件だった。
深夜だったと思うが、ヘルメットかぶった男が押し入って、定番のセリフ「金を出せ」だ。
そんなにないのにな…実はレジには殆どお金がないって勤めている奴しか知らんだろうけど。
前の人が大量の公共料金を支払ったとか、そういう良いタイミング以外お勧めできない。
なんていっても、万札が数枚たまると裏の金庫へ入れてしまうから。
その金庫も普通の構造ではなくて、地下に埋まっており、隙間からそこへ落とすのだ。
店長レベルしか鍵を持っていないので、ぺーぺーなバイトごときでは金を用意することはできない。
おかげで、レジから差し出した金が少ないので、怒った犯人は持っていたバールのようなもの(苦笑)で、レジと中華まんを暖めるケースとおでんを煮立てケースを破壊した。
ついでに働いていた深夜バイトにも怪我を負わせて逃げた。
立派な強盗傷害の出来あがりだ。
「でもさ、俺…その場に居合わせていないから警察にも行ってねぇし、おまえと会った記憶とかねぇんだけど」
そうなのだ。
確かに銀時は強盗が入った日にシフトがあったのだが、それは夕方で事件が起きたのは深夜。
怪我もしていないし、立ち会ってもいないし、証言できるわけでもなかった。
「調書はとってねぇが、翌日バイト店員全員の指紋取りに行っただろ」
そこまで多串くんに詳しく言われて、銀時はくるりと頭をひねった。
確かに翌日もシフトが入っているので来た。
つーか、新聞やテレビをチェックしていなかったので、その時初めて自分のバイト先に強盗が入ったのだと知ったのだ。
それで、とりあえず店員全部の指紋とるってことになったのは覚えている。
「あーーーもしかして、ジミー君来たよね?」
ぴんっと思いだして、結構大きな声を出した。
存在感が地味すぎて今までとんと忘れていたが、そういえば相手はジミーだった気がする。
「ジミー?誰だ、そりゃ。あの時は、たしか山崎とかも居たが」
今度は多串くんの方が思い当たらなくて頭をひねった。
無理もない…ジミーというナイスネーミングは、うちの店の中だけで通じている名称なのだから。
「へー山崎って言うんだ、彼。パンメーカーね。うん。合ってると思うよ」
思わぬところでジミーの本名を知った銀時だったが、多分これからも内心はあだ名で呼ぶんだろうなと思う。
悪いが、ジミーの方がしっくり来すぎているから。
「山崎のことはどーでもいい」
なぜか勝手に話題が盛り上がっていて、多串くんは変に戸惑った。
「確かに、あの時、おまわりさんが何人か来てたことは覚えているよ。でも、やっぱりお前が居た記憶はないんだけど」
銀時がバイトしに来た時は、夜でよく見えないし実地検分も終わった後らしく、ジミー以外のまばらな警察官という印象だった。
そこに多串くんがいたら、多分覚えているだろうに、さっぱり覚えがないのだ。
「俺は現場総括していただけだから、店員たちに直接会ってねぇよ。ただ…」
「ただ?」
「お前、指紋取るの一番最後だっただろ。しかも来るのが遅くて、つーかまあ何も知らされていない夜勤だったから仕方ねぇんだろうけど。それで、指紋担当官が少しめんどうくさがってな。本来の職務から考えればそんな適当なのはいけねぇんだが、まだ若い奴で夜も遅いからたるんでいたんだろうが。犯人手袋してたし、形式的に全員の指紋とるっていう捜査の役には立たないこともあって、おめぇに対する応対も適当だったろ。それを俺が後ろで見てたんだよ」
多串くんの言葉を聞いて、なるほどと銀時は合致した。
確かにそれなら直接会ってはいないし、一方的にこちらを覚えているのも納得できる。
ただの一人である自分を良く覚えていたなと思うばかりだが。
「えーと、とりあえずわかったけど。それだけ?…それだけで、俺と付き合う気とかなるの??」
つか、あの時は確かバイトだけでも15人くらいは勤めていた気がするんだが、何があったかわからんが、そんなんなら、誰でも簡単にお付き合いしたくならないのだろうか。
「お前…あの時、自分が何言ったのか覚えてねぇのか?」
えーちょっと微妙だなと思いつつも、記憶をたどることを強要されているので、銀時はその昔の事を思い出すこととした。
さすがにバイト生活のありふれた一日を思い出すなんて普通なら到底無理だが、何しろ強盗が入った翌日ということで、けっこう鮮明に覚えているのが幸いだろう。
あの時、指紋を取りますと言って来た警察官はジミーではなかった。
顔なんかろくに覚えていないが、確かに多串くんの言うとおり、若い男だったような気もする。
そう言われてみれば、あんまりやる気のない警察官だった。
普段から警察官にお世話になる生活を送っているわけではない銀時だったから、多少はその態度に驚いた気がする。
指紋を取るのも自分で最後だったらしく、随分と待たせてしまかったのも確かだ。
まあ、さすがに人生で指紋とったことは一度もなかったので今まで知らなかったのだが、指紋を取ると言っても親指とか人差し指の先だけではなく完全に手形を取られた。
しかも表面だけじゃなくて指の横の部分もぐりぐりとねじられて、手という部分のありとあらゆる全てが真っ黒になりましたとさ。
そんなこんなで結構時間がかかるせいで、俺はその警察官と簡単に話をした気がする。
指紋取られたからもう犯罪はできない(苦笑)とかそういう当たり障りない雑談だ。
ちなみに、こういう捜査の対象として薄い指紋は一定期間保管して廃棄するらしいから大丈夫なようだが。
あとは当日のシフト確認をして…うーん。やっぱりそれくらいだったと思うんだけどな。
多串くんは一体何を言ったことを問題にしているのだろうかと、銀時はさっぱり思いつかない様子を示した。
いつまでも考え込む銀時の様子を見て、痺れを切らした多串くんは言葉を出した。
「指紋を取り終わった後、二人でべちゃくちゃ話込んでただろ。まあ、俺は注意しようと思って近寄ったんだが。最初はよく聞こえなかったんだが、あー何だ。何でその年齢でコンビニバイトなんてもんしてんだ?みたいな見下した質問されてただろう、お前」
「あー言われたかも。あの時既に俺は、軽く二十代に悲しくも突入してたからね。大学生アルバイトって言っても苦しい感じだったから、シフトも見られていてコンビニに永久就職してるだろうって感じな会話したかも。え…でもそれ普通の反応じゃね?」
「正直言うと、俺もあの時までコンビニバイトなんて見下してた。それが、あいつ…他のバイトにも逐一そんなこと言ってたんだよ。でも、お前はだけは反応が違ったんだよ。なんつーか、ただのコンビニバイトじゃない。きちんと誇り持ってやってるって。俺は仕事柄、真っ当じゃねぇ人間と対面することが多い。そいつらは犯罪に手を染めるのも普通だし、悪びれた様子なんてない。逆に、警察関係者っつーのは変にプライドが高くて偉そうで始末におえねぇ奴が多いんだ。そんな両極端の人間ばっかり相手している俺には、お前みたいな普通の人間のありがたさが特別に見えたんだよ」
多串くんはそこまで言い切ってちょっと照れたらしくふいっと視線をずらした。
世間一般的にコンビニのアルバイトは、バイトの中でも最下層ぐらいの楽な部類に入ると銀時はわかっている。
スーパーのように特売品を覚える必要もないし、ウェイトレスのように歩き回ることもない。
あの警察官だけじゃなくて馬鹿にされるような目を送られたことは何度もあったので、一言で言うと慣れた会話の一つだったのかもしれない。
だから、銀時にとっては当たり前のことを言っただけだった。
パラサイトシングルでもニートでもない。
働いているんだから「フリーター馬鹿にすんなよ」と、それを言った時…確かに誰かを見た。
ああ…それは………そうだ。
遠くに見えた綺麗な長い黒髪を一つに結んだ男が、一瞬の視界と共に入って来た記憶を。
髪型の印象でわからなかったけど、よく思い出すとあれが多串くんだったのかもしれない。
言葉には出さないけれども、銀時はその事実を胸にしまい込んだ。
「あのさ…名前教えてくれない?」
いつまでも視線を外している多串くんがいたたまれなくなって、銀時はそう尋ねた。
付き合う付き合わないは別にしても、まず人間関係ってそこから始まるんじゃないかなと思うのだ。
それに地味にずっと気になっていたのだ。多串くんの本当の名前を。
適当に内心ではそう呼んでいるけど、本当に多串くんって名字だったらどうしようかというぐらいのレベルなのだが。
まあ、多串くんは銀時の名字知っているんだろうなーとは思う。
だって仕事柄、ネームプレートの「坂田」が左胸に君臨しているし、出会い?の事件の関係からからもわかっているのだろう。
仕事関係なしに考えると、相手はこっちの名前知っているのにこっちは名前さえ知らないって何か異様な光景に感じたのだった。
銀時の言葉に一瞬目を丸くした多串くんだったが、すぐに口元に僅かな笑みを浮かべて
「そうか。やっぱり、てめぇも俺のことが好きなんだな」
と、ポジティブシンキングに銀時の言葉を解釈した。
はあ?言ってねぇー全然全く一ミリもかすってもいねぇーと、職場でなければ銀時は確実に叫んでいたであろう。
思い込み激しい。つーか、勘違いも甚だしいにもほどがある。
ただ、名前聞いただけじゃないか。
それ以上でもそれ以下でもないという他意がわからないのだろうか。
ここはがつんっと一発言ってやらないとやはりわからないらしい。
銀時は意を決して息を吸い込み、思い切り言ってやろうとした………
「何やってんですかィ…土方さん」
その声は、多串くんの左斜め後ろから二人の間に割り込むように飛び込んで来たのだ。
あ…ドSだ………と、銀時は内心だけで思った。
勤務時間だろうが構わずふらーりとやってくるこの若い男のことを、バイト仲間の間では「ドS」と呼んでいた。
それにしても今この男は「土方」と呼んでいた…ということは、もしかして多串くんの本名は「土方」なのだろうか。
直接聞こうとしたというのに、タイミングが良いというか悪いというか、銀時は少し微妙な気持ちになった。
「総悟。何、てめぇさぼってんだ?」
多串くんが反応したことで、それは決定打となった。
つーか、総悟って名前だったのか…と、うんうんと銀時は頷く。
「あんただってこんな時間で何してんですかィ?俺はちいと休憩と補給兼ねて、ソーセージ買いに来ただけでせェ」
そういう彼の手には、レジに来ただけあって確かにソーセージが握られていた。
どこで作ってんのかよくわからないが、なぜか警視庁店では人気なソーセージだ。
あれ?つか、何…彼………ソーセージ食べてるよね。これ。
もう三分の一ないんですけど、そんでむしゃむしゃと口が動いるんだけど。
まだ会計済んでないのに、小学生じゃないんだから…と思うが、よく考えると銀時と多串くんのやり足りを見てちょうど良く声をかけてきたんだと思うと、痴話げんかではないが見られていたことになるので、うげっと嫌な気持ちになる。
「俺は、今大切な話してんだよ。少し待て」
「何言ってんですかィ。ここはコンビニでさァ。客優先してもらいますぜィ。それとも何ですかァ?そちらの旦那とは、どういう関係なんですかィ」
そう言って、既に半分まで減ったソーセージで銀時の方を指差した。
「うるせぇ…俺達は付き合ってんだよ。だから邪魔すんじゃねぇ」
悪びれもなくそこまであっさりと多串くんは言いきった。
さすがのドSくんもそれには驚いたらしく、不敵な顔を少し変化させた。
「な、な、な………」
開いた口が一番ふさがらないのは、銀時だった。
まだ百歩譲って、二人の間で付き合う付き合わないと押し問答しているのは許してやろう。
自分はまだ全く認めていない段階で、もう付き合っていると断言。
それも赤の他人どころかよりにもよってS気質の知り合いに言うだなんて…
握りしめた拳がぷるぷると震えた。
さも当然という顔をしている多串くんを前に、ぷちっととうとう銀時はキレた。
「ふざけんなよ。コノヤロー!」
それは客相手とか親しみのある友人をも越えた精いっぱいの暴言だった。
友達にいると便利な職業に、医者と弁護士と警察官がいると聞いたことはあるが、友達とかそういうレベルではない。
嬉しくも何ともなかった。
「なんでィ。旦那怒っているやありやせんか。土方さん…思い込みの激しい妄想はいけねェでさァ」
傍観者となってしまったドSくんさえ呆れる様子を見せた。
しかし、やはり多串くんは違った。
普通の人間と言うか神経の持ち主ではなかった。
「何言ってんだ。照れ隠しに決まってるだろ?ツンデレなんだよ。こいつは…」
あっけらかんとそう言うのは、もちろん多串くんだ。
某ファーストフードのスマイル0円か何かと勘違いしているんですか?
駄目だこいつ...早くなんとかしないと………
銀時はこの時決定的にそう思い、近くにデスノート落ちてねぇかなと現実逃避することにした。

うざい奴って、思いこみも激しいのか?









ややこしいので、これからはあだ名からきちんと本名で呼ぶこととする。
ジミー→山崎。ドSくん→沖田。そしてそして問題の多串くん→土方。である。
さて、以上のように登場人物が揃ってしまったのだが、銀時の気持ちは下降していくばかりであつた。
え?デスノート??
大変残念ながらどんなに探しても、無駄に道端を歩いてみても見つからなかった。
あれは選ばれた者だけが持つことを許される品物らしい。
まあ、デスノの結末を知っている銀時としては、もっとうまくやれる自信などないが、それでもあの時はイラッとしたのだ。
デスノートのない以上、自力で何とか切り抜けなければいけない。
しかし、日々が過ぎるごとに自体は悪化しているような気がする。
あの日あの時あの場所で君に…じゃなかった………あの場はなんとか切り抜けて、土方と沖田を追い返した銀時だったが、自体はその場では収まり切らなかった。
ぶっちゃけ全て悪いのは沖田というサドに、銀時と土方が付き合っているという恐ろしい勘違いが伝わったせいなのだが。
にやりと嫌な笑いをした沖田の顔を銀時は一生忘れないだろうと言うトラウマは、次の日から早速来た。
案外冷やかしなどに沖田は来なかった。
まあ、土方は相変わらずおかしなことを言って来たが、三度目ともなればある程度のスルースキル発動である。
より異常事態がやってきたのは、他の客だった。
何度も言うが、このコンビニには警察関係者しかほぼ来ない。
その客が………なんていうか、普段とは違う目で銀時を見るようになったのだ。
ただのコンビニ店員Aという存在から変な方向へ職業を変えたように、全員が全員…「坂田」というネームプレート並びに銀髪天然パーマを見て、「ぁ…」と小さく声をあげた。
中には、小学生かよてめーらは?というように、別に買い物という用が無いのにちらりと店内をのぞいていくまだ新人っぽい野郎もいる。
つまり、あれだ。
人のうわさはというか、人の不幸こそ伝わるのは早く、あっという間に警察署内では土方と銀時が付き合っているということになってしまったらしい。
どうも土方は他人にそういうことをべらべら話すような性格というわけには見えないから、間違いなく犯人は沖田だろう。
本当に…相手が相手じゃなかったら名誉棄損と個人情報保護法違反で訴えたかった。
こんな公認さっぱり銀時はいらない。
どいつもこいつも面と向かって冷やかしたりするなら否定する機会もあるというのに、裏でひそひそしているばかりだ。
何て情けない野郎達だ…お前ら本当に市民を守る警察官ですか?と聞きたい。
しかし、直接何も言われていないのに言い返すなど、自意識過剰?みたいに思われても恥ずかしい。
仕方なく銀時は、もくもくとレジをこなすだけなのだった。
「休憩行って来るわー」
だるい午前中が過ぎ、一番忙しい昼休みの客ラッシュも過ぎると、一気に客足もまばらになる。
ここから夕方までの時間が、うちのコンビニで比較的楽な時間だった。
だからこそ普段客が居てなかなかゆっくり出来ない品だしや清掃、新商品のPOP作りなどをやれるのだが。
昼ごはんもまだだった銀時は、先に休憩に行っていた長谷川(マダオ)とバトンタッチして、レジから出た。
在庫置き場と簡単な休憩室も兼ねている狭い事務所へ行くと、昼ごはんとして食べる廃棄を漁る。
このコンビニでは、美味しく食べられる賞味期限を過ぎたおにぎりやパンはゴミに捨ててしまうので、食べたければ従業員が食べても良いことになっている。
ただし、衛生面的に持ち帰りはなしだ。
この廃棄弁当は、ホームレスやらカラスやらが狙っていたりするので、ゴミとして捨てるとしても、わざわざ鍵付きの物置きに放り込むくらい普通な代物だ。
「おっ、今日はフルーツサンドがある♪」
好物が見つかって、銀時は思わず浮かれる。
フルーツサンドは、サンドイッチの具が生クリームとイチゴとキウイフルーツという素晴らしい組み合わせなのだが、ぶっちゃけ新商品として並んでは消え、たまーに復活する程度というあまり人気のない商品であった。
発注担当をしている銀時としては、つい贔屓から少し多めに入荷してしまうのだが、売れ行きは気持ちとは比例せず、廃棄へと回って来る。
それを見とおして無理に多く発注した昔、オーナーであるお登背から鉄拳が飛んできた昔を忘れない。
今日は通常通り発注して余ってしまった。
やっぱりそろそろ発注リストから消えるかなーとちょっと寂しい。
飲み物の廃棄は滅多にでないので、自腹で500ml紙パック100円のいちご牛乳を買う。
普段なら、その場で本部へ繋がるPOSシステムを使いながら、天気と来週の新商品をチェックして時間を潰すのだが、どうも今日はそんな気がしない。
それはこの場所が窓一つない狭い圧迫される空間なせいで、気分が重いままだからだ。
手早くフルーツサンドを食べた銀時は、ついでにおにぎりも温めてさっとと胃に入れる。
食欲が満たされたところで、残ったいちご牛乳片手に店を出たのだった。
今日の外は暑すぎず風も適度にあり、心地よい陽気だった。
ガジガジといちご牛乳のストローを噛みながらとぼとぼと歩くと、太陽の暖かさに眠気が誘われるくらいだ。
うつろうつろになりながらも、銀時は建物の周りを歩いた。
やはり中に居ると、好奇心の目に当てられて落ち着かないから、外に出て良かったなと頷く。
建物の裏側を歩いていると、木陰の日当たりのよい場所に木製のベンチを見つけた。
誰も使っていないらしく、少し薄汚れて枯れ葉と埃が周囲に見えた。
銀時は少し埃を払うと、太陽が当たりすぎない場所へと腰かけた。
周囲からは死角となっているから静かだし、木の下で風は程よく気持ちいし、とてもよい場所を見つけたなぁと、ほんわり思った。
しかし、こんなに良い場所なのに何で誰も近寄らないんだ?と頭をひねったが、ああそういえば真横は警視庁だもんなと思い当たる。
防犯上、警視庁舎の周囲には大きなビルなどはないし、基本は他の官庁ばかりあるから、こんな平日の真昼間に遊びでやって来る人間はいないのだろう。
こんなところにわざわざベンチを作っても、今まではただのオブジェだったのだろう。
誰も見ていないことをいいことに、銀時はごろりっとベンチに寝転んだ。
木製だからそれほど痛くはないし、多少汚れてもいいやと思うくらい、今の銀時は上機嫌だった。
警視庁舎があるので空は少し限られていたが、それでも見上げると十分視野は広かった。
「ん?」
雲のゆっくりとした動きをのんびり眺めていた時だった。
分厚く白い雲とは違う、ゆらゆらと不規則に動く白いものを空に発見したのだ。
変わった雲だな…と錯覚した銀時は、少し身体をずらしてその白いものの正体を見た。
「げっ………」
それは雲の一部ではなかった。
細く長くやがては消え行く存在は煙草の煙で、それを吸っていたのは、今銀時が一番頭痛の種にしている土方だった。
銀時は地上に居るのだが、土方は警視庁舎のちょっとしたバルコニーのようになって突出した部分に寄りかかって、空を見上げていた。
「何で…あいつ………」
煙草を吸うイメージの強い警察関係者だが、人々の模範になる存在がそんなのではいけないと、確か少し前に警視庁舎内でも禁煙が施行された筈だったのだ。
禁煙ルームがないというわけでもないが、まるで見せしめのごとくガラス張りの6畳ほどの空間に詰め込まれて、中は白い煙でいっぱいという凄惨な場所であった。
あれを見ると、よほど重度の喫煙者でなければ、吸う気がなくなるらしい。
もちろん外で吸うのだって普通はご法度のようで、禁煙者には肩身の狭い世の中になった。
それなのに、土方は…また随分と堂々と吸っている。
確かに銀時が居る場所と同じく、やや通りから死角になっているので誰かが見かけるという可能性は薄いのだが、度胸が据わっているというか、何というか、よく上司は文句言わないなと変な意味で感心した。
ん?上司??
はたりと思いが行きついた銀時は、そこで一つの疑問に達した。
よく考えなくてもなのだが、土方は銀時の事をよく知っていると言うのにこちらはあちらのことをまるで何も知らなかったのだ。
それは銀時が知りたいと言う気持ちがなかったせいなのだが、名前だって昨日初めて知ったし、あとジミーとドSが部下らしいということくらいで、土方が普段何の仕事をしているのかどんな立場に居るのかもまるで知らないのだ。
職場がやや一緒?な割に仕事に関してもそんなものでは、プライベートなんてほんとに知りえていることは皆無に近かった。
と、ここで三階の土方は黒い携帯用灰皿を取り出して、短くなった煙草を押し付けた。
その手慣れた感じに、よくあそこで煙草を吸っているのだろうと安易に想像できた。
折角、お気に入りの場所を見つけたというのに、土方が視界に入るだなんて…少し悔しい。
でもだからと言ってこの場所から動くというのも少し負けたような気持がして嫌だったから、意地でも動かないし体制も変えない。
そうこうしているうちに土方は、次の煙草を口にくわえた。
そして小型マヨネーズじゃなかった…ライターを取り出して火をつける。
吸っている煙草の銘柄は知っているのでメンソールも入っていない最初の一口を吸うと、また少し息を吐き出した。
その一連の姿が絵になるほど様になっていて、銀時は伺うように眺める。
それにしてもこれだけの距離が離れていても、端正な顔立ちなことを再確認する。
ここより三階は多少風があるらしく、何度か土方の黒髪揺れるが髪は全く乱れていない羨ましい。
ここにきて、銀時は少し丸まった自分の銀髪を恨むほどに。
自分に対して変なことを言わず、黙っていれば文句ない男だというのに、なんと勿体ないことだ。
そんな土方に対して、まず自分自身が嫌になった銀時だった。



「眠い」
結局、昼過ぎ一時間の休憩は、いつものように昼寝などは全くせず、ぬるくなったいちご牛乳片手に、土方がいなくなってもそこでぼっーとしていた。
時間を過ぎたところで長谷川から携帯に電話があり、慌ててコンビニに戻って夕方まで仕事をこなす。
普段とる仮眠を全く取らなかったせいと、まあ土方のせいで色々と考え事をしていたせいで、頭がよく回らない。
店じまいである5時を過ぎた時、銀時は強烈な睡魔に侵されていた。
だらだらした気持ちのまま、レジの売上金を確認して、金庫閉めて、必要な場所以外電気切って、といつも通りのことを済ますと、最後に鍵をかけてシャッターをガラっと閉めた。
終了だ。疲れたーと、一つ伸びをする。
「銀さん。ちょっと早いけど、飲みにでも行くか?」
今日は戸締りまでシフトが一緒だった長谷川が声をかけてくる。
この時間から飲み屋に直行したら、開店待ちぐらいだろう。
飲みに行くといっても、一軒や二軒は梯子して、財布に余裕があれば綺麗なお姉ちゃんが居るお店に行ったりもするので、早いに越したことはないのかもしれないが。
「いや…今日は眠みぃから遠慮するわ」
いつものような死んだ魚の瞼半分をより落として、銀時は答えた。
それになにより、今日は愛車の原付で来てしまったので、代車も頼めないしペスパ転がして帰るのも何だしと思ったのだ。
いや、それにしてもちょっと前までは軽く一杯飲んだだけとか、近場ならいくら飲んでもそのまま運転して帰ったのだが、道路交通法が酒にだけ異様に厳しくなった昨今ではそれも出来なかった。
ああいう時に警察官に声をかけられるのは、運転があやしい奴という相場かと思っていたが、最近は取り締まりも厳しくなり、運転手があやしい奴という理由だけで直ぐ職務質問受けるようになった。
ヘルメットから飛び出した天然パーマでさえ駄目らしく、酒も飲んでいないのにあやしいという理由で銀時は何度か飲酒検査させられたもんだ。
こういう歩き方は生まれつきだっつーのというのは、なかなかわかってもらえない。
あれ、酷いよね。冤罪でも謝らないし…
それでいて、ちょっと若い免許取り立ての女の子とかには甘い、贔屓を見てしまったこともある。
そんなわけで、最近あんまり酒を飲む気にならないのだが、それをさしおいてもアフター5なんてOLのような素敵な響きは銀時には一切存在しないので、スーパーへの買い物などの用事がなければ家に帰るだけだ。
がらがらな地下駐車場で、ヘルメットをかぶり止めてあった愛車の原付に乗り込むと、エンジンをかけてさっそうと走りだす。
疲れたから今日は、さっさと帰ろうと決め込んだ。
銀時は最初の信号から早速引っかかった。
都心の信号の多さは異様だ。
そこそこ大きい国道を走れば、目の前に無数の信号が立ちふさがる。
優先道路ならば、一斉に切り替わるので多少はマシに思えるのが唯一の幸いだ。
横の信号のタイミング的にもうすぐ青になるなーとぼんやり思っていたところだった。
ぐらりっとほんの一瞬だが、銀時の姿勢が前のめりになった。
同時に、信号待ちのストッパーとなっていた右足が、がくりっと外れて、ややバランスを右へと崩す。
そこまで衝撃を受けたというわけではなかったので、反射的にまた直ぐ右足をアスファルトへ戻した。
しかし、何だこれは…おかしいぞ?
そう思い、猫背体制を変えぬまま首だけぐるりと後ろを見ると、突然黒い圧迫感が襲いかかった。
白い愛車の間近にあったのは、黒い国産車の4WD。
つまり、後ろから車をぶつけられた。おかま掘られた…ようだった。
はたりと運転席へ目を合わせると、まだ若い男だった。
いや、つーか若すぎね?
免許取れるのって18歳だよね、うちの国って。
国際免許だとしても、顔立ちが日本人すぎるし。
童顔な高校生っていう言い訳もキツいな…嫌な予感がするな………と思っていたが、それより先にどこからともなく大きいクラクションの音が鳴り響き、先にやることがあるとはっと気がつく。
事故が起きたら二次災害を最初にとどめるって教習所でみんな習ったよね。
あんな教本持っている方が希少価値高すぎるけど、知識としては持っている。
こんなメジャーな道のど真ん中で、2台が棒立ちしていたら、邪魔以外の何物でもない。
ちょうど近くの路肩に横づけできる有料パーキング仕様ではない場所があったので、エンジンを切って銀時はそこへ原付を移動させた。
後ろの4WDもそれに倣い、くっついて来た。
ようやく落ち着く場所へと着くと、4WDを運転していた若い男が降りてきた。
どうやら一人で運転していたようで、連れはいない。
「あーとりあえず、警察に電話するから」
事故と言うものは起こした側も起こされた側も気まずいものだったが、とりあえずの言葉を銀時は切り出した。
今後は保険屋に任せるとはいえ、自爆以外は警察に事故証明貰わないと全く動いて貰えない。
めんどうくさいことこの上ないが、仕方ない。
こういう場合、今時は珍しすぎる公衆電話があると直ぐに場所分かってもらえて楽なんだが、周囲にはまるで見かけない。
当然の如く、銀時はポケットから携帯電話を取り出し、110番をプッシュしようとした。
「け、警察は駄目だ!」
青い顔をした若い男は、その銀時の様子を見て挙動不審になりながらも叫んだ。
いや…んなこと言われても、こっちが困るし…とボタンはあっさり110の3番号を押し終えていた。
「事件ですか?事故ですか?」
半刻も経たないほどの短いタイミングで、オペレーターと思われる女性が受話器へ出る。
「あ、車と原付の交通事故です」
緊の迫った声が言われたので、銀時は短くそう返した。
「けが人はいますか?」
「いません。へーきです」
「では現在地の確認をします。近くに電信柱や標識があったら確認して教えてください」
「えーとちょっと見当たらないんだけど、あーそうだ。交差点近くなんで、そこの信号の地名が『警視庁前』になってます」
「わかりました。それでは安全な場所に移動して待機していて下さい。30分以内に警察車両がそちらへ来なかったら、また電話して下さい」
マニュアル通りの言葉を淡々と読み上げると、オペレーターは電話をがちゃりと切った。
携帯電話をしまい、改めて銀時は目の前に男に向き直る。
「30分以内に警察来るって」
明らかに年下だとはわかるがそれでも初対面の複雑な相手なので、ある程度言葉を選んでそう伝えた。
銀時の言葉に男は肯定も否定もせず、ただ青い顔をこちらに見せていた。
おいおい…大丈夫か?こっちが被害者なんだけどなぁ…と思いながらも、あまり余計なことは言えないというのが保険屋に任せることが前提とした交通事故だ。
とりあえず無言で男の様子を見ていると、何やらアスファルトを気にしている。
拾い上げたのは、銀時の原付についていたバックライトの欠片だ。
あ、やっぱりぶつかったんだから破損してたのかと、オレンジの欠片を見ながらこちらも原付本体の壊れた場所を見た。
修理代いくらぐらいするかなぁ。こればっかりは、馴染みの修理屋である平賀じいさんに聞かないと予測つかないなとか、銀時は短絡的に思っていた。考え込んでいた。
だから、非常にうっかりとしていたのだ。
ふと、気がついた瞬間には全てが遅すぎた。
バックライトの欠片を拾ってくれている相手の男はいつの間にか、自身の4WDの運転席に座っていた。
そのまま銀時に視線を合わせないように急いでエンジンをかけて、信号が青なことをいいことに、あっさり走り去ってしまったのだ。
「え?なに…マジで、どーいうこと???」
あまりに突然過ぎる出来事が目の前で展開されて、銀時は呆然と立ちすくむだけだ。
もしかして、まさかこれって当て逃げですか?
え、何なの?当て逃げってさ。するなら、ソッコー逃げるもんなんじゃね?
やっぱり何か。銀時が警察を呼んでそれで焦ったってことですか。
でも双方怪我とかないし、あっちの車体もそんなに壊れた印象なかったし、こっちの原付はバックライト壊れたけど、そんなの直しても数万程度でしょ?
それも払えないのか…というか、やっぱり若かったからなぁ。
酒飲んでいるって感じじゃなかっただけ幸いって奴?
よく考えると、原付のバックライトの欠片を拾ったのも、立派に証拠隠滅しようとしていたのではないかと思って来た。
しかし、完全に逃げられてしまった。
機能性からすれば相手が4WDとはいえ、こんな街中だったら原付で追いつくのは十分可能だったというのに、呆気に捕らわれるって凄い。
何もかもやる気がなくなった銀時は、仕方なくその場で警察を待つことにした。
今更追っかけても見つかるとは思わないし、それで警察と行き違いになったら、それこそいたずら電話をしたという容疑がかかってしまう。
そうして40分が過ぎ、そろそろ電話かけてみた方がいいかなーとおもうぐらいのギリギリの時間にようやくパトカーが来た。
免許証の提示を求められ、事情を説明すると、警察官は困った顔をした。
どうやら、事件性があるなしという問題らしいが、普通の事故とひき逃げは交通課の中でも微妙に管轄が違うらしい。
ひき逃げならひき逃げと最初に言って欲しかったと多少愚痴られながらも、捜査専用の車両を呼ぶことになったらしく、警察官は無線で連絡をかけたようだった。
はあ…もう40分も待ったのに、これ以上待つのか………と、少々諦め顔で銀時はだるさを覚えた。
ぼうっとしながらも、目の前は国道で常に渋滞している。
帰宅ラッシュの時間帯から微妙に外れたのは幸いだったが、今日の帰宅は遅くなりそうだと嫌に思っていたところだった。
遠くから甲高いサイレンの音が聞こえる。
その特徴的すぎる音に、周囲の車も察したらしく、方向指示器を点滅させてほぼ全ての車両が左側に寄った。
「救急車?」
こんな夜にさしかかった時間にご苦労様だなぁと思いながら、野次馬根性で銀時はそちらの方向を見た。
日本の救急車は無料だから必要以上に呼ばれる傾向にある。
どこかの市は割り切って有料にしたようだが、市民の声は明るくない。
だから決して珍しいというわけではないのだが、銀時が気になったのはそれが救急車だけではなく覆面パトカーもひきつれていたからだった。
いや、覆面パトカーが誘導して救急車を連れて来るという光景はなかなか見られない。
どっかで殺人事件か何かでも起きたのだろうかと、携帯のニュースで調べようかなと思ったくらいだ。
覆面パトカーと救急車が横を通り過ぎて、行く方面くらい当たりをつけようとした時だった。
何かがおかしいというか、確実におかしい。
だって銀時の原付と事故処理に当たってくれた警官のパトカーがある場所へ来ると、覆面パトカーも救急車もサイレンをぴたりと止めて止まったのだから。
銀時は思わず、近くに居た警官の顔を見た。
「ど、どーなってるの?」
上辺だけの敬語も吹っ飛ぶくらいの口調だったが、その警官も何が何だかわからないらしく、目を丸くしている。
あれ、もしかして近くにパトカーが見たら挨拶するとかそういう習慣でもあるのだろうか。
同業種のトラックとかは独特なサインがあると聞いたことがないわけではないが、パトカーは無線もあるしわざわざ止まって挨拶する必要なんかないんじゃないだろうか。
それにお世辞にも、銀時の事故処理に当たってくれた警官は、まだ新人に毛が生えた程度に若く本庁勤めだとしても貫禄も微塵もないので、キャリアだとしてもお偉いさんって感じでも何でもない。
何でここに覆面パトカーが救急車ひきつれてくるのか?単純にその謎だけが辺りに漂った。
その空気をぶち壊したのは、覆面パトカーから降り立った一人の男だった。
荒々しくドアを開けるとさっそうと黒い男が飛び出してくる。
「銀時!無事か!!」
「ひ、土方!何でお前、ここに居んの!?」
すかさず歩み寄って来たのは、銀時の悩みの種である土方だった。
「何でって…おめぇが当て逃げされたって聞いたから、飛んで来てやったんだろうが」
本当に急いでいたのだろう。
いつもより多少髪が乱れているが、少し立ちすくめば元に戻った。
これだけは天然パーマな銀時と違い羨ましい仕様だ。
「え…土方君って交通課なの。ちょっと意外と言うか…」
銀時は、土方の仕事のことを何も知らなかった。
まあ、出会ったばかりなので仕方ないと言えば仕方ないのだが、単純なイメージ的に交通課とは漠然と持っていなかった。
「ちげぇ。たまたま違う用で交通課に居て、おめぇの名前を聞いたんだよ」
「いや…だったら、わざわざ土方君が来なくてもいいでしょ」
ないないと銀時は右手を何度か振る仕草をする。
仕事出来るんの?つか、仕事しろよ…と単純に思う。
「何言ってんだ。被害者の身内が駆け付けるのは当然だろうが」
当然の如くの彼氏ヅラをして土方は、言い切った。
いやーーーやめてーーー恥ずかしいっ
ちょっと待ってほしい。
一体いつどこで何時何分地球が何回回った時に、自分が土方の身内になったというのだろうか。
そもそも身内ってどっからどこまでだよ。
親族でしょ?義理の兄弟でも家族でもない。
籍も入れてない…いや、入れたいわけじゃないけど、内縁とかでもOKなのか?と思い始めた。って違う。
そんな場合ではない。
こんな場所でそんなこっぱずかしいこと言うんじゃない!と叫びたかったが、そう大声で否定するにも恥ずかしすぎるわ。
だって、銀時の後ろには最初に来てくれた警官。土方の後ろにはパシリに使われたらしいジミー。そして後方には救急車から降りて下さった医療従事者の皆さまがいらっしゃる。
全員男ってことだけが救いか?それとも恥なのか?
そんなこんなで赤面して固まったままの銀時を見た土方はますます勘違いしたらしく、救急隊員にタンカを持ってくるように命令して、無理やり救急車に押し込めた。
もう、無理だ。
まさか今更怪我とか何でもないんです…何て言える雰囲気ではない。
そのまま土方は現場検証に残るのかと思いきや、確実に身内の付き添いと言う雰囲気で銀時と一緒に救急車乗り込んできた。
銀時は、違う意味で本当に死ぬかと思った。
土方は銀時の身内(笑)もう笑うしかないということで、事故現場に来たわけだけど、個人で来たとか言ってもどうみても覆面パトカーだし、救急車を無理やりひきつれているし、無理がありすぎだ。
酷い羞恥プレイの恥ずかしさで縮こまっていると直ぐ近くの救急指定病院に運ばれた。
さすが天下の救急車様…到着もお早いことだ。
診察室まで一緒についてこようとする土方を押しとどめて、医師にとりあえずの事故状況を話し、診断してもらって念のためにCTやらなんやらよくわからないハイテクすぎる機械のいくつかに押し込まれる。
その間の銀時は、治療代高そうだなーつか国民健康保険しかないから保険きくのかな…当て逃げだけどとか色々とネガティブ方向にばかり考えが及んでいた。
血液検査などの精密的な検査を除く当日中に結果が出るものが出そろったので、銀時は改めて診察室に呼ばれた。
わかっている…何も悪い結果が出ないことなんて…それでも、呼ばれたからには行かなくてはならなくて、長椅子の隣に当然の顔で座っている土方に一声かけてから診察室へと入って行った。
「失礼します」
「坂田銀時さんですね。どうぞ」
やややる気のない声を出して入室すると、医師の目の前の丸椅子へと腰かけた。
やべーやっぱり怒られるかな…何もなかったわけだしと、銀時の肩は自然とすくんでしまう。
「事故による外傷はないようですね。ただ、日ごろ少々不摂生なさっていませんか?血糖値がやや高い割に、中性脂肪が低いですね。それと若干熱も高いようです」
ぺらりといくつかのカルテをめくりながら、医師は的確に指摘をしてくる。
「はあ…すみません。つまらないことで大騒ぎして。連れが、どうしても病院行けっと言われて…」
まあ食生活関係は普通の健康診断とかでも良く言われるので想定の範囲内だったが、やっぱり事故とは何ら関係ないとわかって、ほとほと困った顔を見せた。
いや…銀時だって来たくて来たわけじゃない。
全部悪いのは土方くんなんだと、ちょっと愚痴る。
「いえ、何もないのが一番ですよ。それに意外と後ろからの衝突事故って大したことないからと高をくくって、病院に来ない方も多いんですよ。それで後から、実は首を痛めていて鞭打ちになってたとか、結構ありますよ。お連れの方の心配も当然だと私は思います」
そこまで医師に丁寧に説明されて、銀時はようやく土方が大騒ぎした理由に行きついた。
今回は何もなかったが、土方は警察勤めだ。
やはり色々な事件や事案を知っているのだろうし、もしかしたら交通事故だけじゃなくてもあらゆる最悪の想定も見てきたのかもしれない。
だからわざわざ心配して来てくれたのだ。
酷い鞭打ちだったら、首を少し動かすだけでも致命的だから、救急車でのタンカ対応だったのだろう。
一応、三日後に精密検査の結果が出るので、また来るように言われた銀時は会釈をしてから、退出した。
「どうだった?」
扉を開けて広い廊下に出ると、一番に土方の顔が目に入る。
こうやって普通に歩いているのだから、大怪我などしていないとわかっているだろうに、それでも不安そうな表情をしている。
「ん…ヘーキだって。鞭打ちとかもナシ。ごめんな…色々と心配してくれたのに邪険に扱って」
そう考えるとさっきまでの銀時の土方に対する言葉は全部冷めていたのを思い出して、素直に謝った。
過剰すぎる心配も全て銀時の為を思っていたのに、自分は微塵も受け取っていなかったことを、逆に恥じる。
「お前が無事なら何でもいい…良かった」
そう言って立ちあがった土方に両腕を掴まれた。
あ、わかった。こいつ…俺がちゃんと生きているか心配だったんだ。
大した事故でもないのに、それでも。
「ありがとな、土方」
土方が掴んできた腕には結構力がこもっているけど、それが嫌だとは銀時はなぜか思わなかった。

うざいとお節介って、もしかして似てる?









色々と考え事をしていると世界はぐるぐると回る。
違う意味で、今銀時の頭はぐるぐると回っていた。
「げほっ…」
また絶え間ない、せきが一つ喉の奥から漏れた。
普段の薄着体質をこれほど呪ったことはないだろう。
薄っぺらい煎餅蒲団に縮こまりながらも、銀時は今確実に風邪をひいていた。
これが風邪でなかったらもっとヤバい病気ということになるので、考えるのも嫌で風邪に認定しておく。
規則正しい生活を送っていたと豪語することは全く出来ない。
昨日、まあ色々とあって健康診断みたいなことをしてもらって、不摂生な生活をずばりと指摘されたのだから。
それでも睡眠は比較的取っている方だしと高をくくっていた感は否めない。
食生活の改善なんてそんな直ぐには効果は表れないものだしと、何とかすることを想いつつも、逆にそっちに気を取られて、多少の熱があるという言葉を軽くスルーしてしまったのだ。
油断していた感はあった。
何しろ色々ありすぎて頭も混乱したから体調の悪さなんて気にしている余裕がなかった。
原因は多分というか恐らく薄着で40分も寒空の下で棒立ちしていたことだろう。
地球温暖化だか何だか知らないが、日本の冬というのは寒くなるように出来ているものだ。
昔よりは雪が降らなくなったとかそんなことは目の前の寒さには通用しない。
元々、アパートに帰るだけという身支度の銀時には、身体の芯まで冷え切る結果となったのだった。
まだこれでもマシなのかもしれない。
土方に無理やり引っ張られなければ、あのまま当て逃げの現場検証に立ち会ったわけだし、あの時はうやむやになってしまったが、警察車両だってまだ来ていなかったのだ。
より寒空は夜となり凍てつくように身に当たったと思う。
それでも風邪をひいてしまった一因をそればかりに押しつけることなど出来ないのだけれども。
ちくしょ…インフルエンザ予防接種をケチるんじゃなかったと、内心思う。
直接的に風邪と要因がかぶっているわけではないだろうが、あれをするとなぜかその年は風邪をひく確率が減るんだよなと思い出す。
今年はちょっと財布がピンチだったし、ここ数年は新種のインフルエンザが猛威を振るおうと、結構ピンピンしていたから油断していた。
風邪だけじゃなくて、このあとインフルエンザにまでなったらどうしようか。
全快したら、予防接種も受けに行かないとなと、この先の嫌なことを感じる。
あー喉が痛い。頭が痛い。
愚痴っぽくそう言いたいのだが、それを発することさえ、少しうっとおしく感じるほどだ。
何もかもやる気がなくて、そのまま部屋で寝て過ごすしかないのかな…と悲観にくれようとした瞬間だった。
ガチャガチャ
ほんの少しだが物音が、静かすぎる部屋に響いた。
壁が薄いと評判の某賃貸マンション並み以下の伝導率の高さを誇っている銀時の住んでいるアパートではあったが、それは明らかに不自然な音だったのだ。
銀時の部屋は二階の奥の部屋なのだが、ボロアパートの入居率なんて知れたもので、お隣さんは気がついたときから居ない。
唯一物音が響きそうな真下の部屋の住人は、こんな平日の真昼間から家にはおらず、きちんと仕事へ行っている筈だった。
つまりというか、方向的に確実にその物音は銀時の部屋の玄関から聞こえたことになる。
というか、絶対ドアノブを不用意に回した音だったのだ。
誰だ?と回らない頭の中だけで銀時は、その相手の思い当たる節を探す。
この部屋に銀時が住んでいると知っているのは、一部の身内とあと馴染みの悪友たちだけだった。
しかし身内なんてここに来たことないし、単純な住所だけでは辿りつけないほど、このアパートはごちゃごちゃした路地裏にあるから、それはナシ。
幼馴染といえば聞こえがいいが、ただの悪友たちは、たまーに遊び?に来ないというわけでもないが、必ず銀時の携帯電話に一報入れることが多い。
そうでなければ鍵は開いていないし、そもそもこの時間帯の銀時はコンビニで仕事をしている可能性の方が高いのだから、その線もナシ。
つーことは、誰だ?ということに行きつく。
治安が物騒だからという理由だけではなく、銀時はアパートに帰ると必ず鍵をしていた。
じゃないと新聞の勧誘やらセールスやらがうるさくて仕方ない。
ボロアパートは住人でなくてもフロアに入りたい放題なのは、何とかしてもらいたいものだ。
よっぽど重要なことでなければ居留守を決め込むぐらいの心持だったが、予想をしていたインターフォンはいつまで経っても鳴らなかった。
昔、近所のガキに強烈なピンポンダッシュを何度か決められてから、全く信じていないインターフォンだが、賃貸なのでぶっ壊すわけにもいかずきちんとあったりする。
用があるなら何度か押されることを覚悟していたのに、5分経ってもなしのつぶてだ。
ああ、さっきのは頭が痛いせいで勝手にやってきた幻聴か何かだったのかもしれないと、本格的に寝入ろうとさえした。
しかし
カチャリッ
その無機質に鍵が開く音を聞いて、一気に眠気が吹っ飛んだ。
何で鍵が開くのだ?
予備の鍵なんてシャレた物を銀時は誰かに渡したりはしていない。
あれ、もしかして昔失くした時、警察に届けなかったのが悪かったか?
一応そこそこ健全に生活しているつもりなので、誰かに恨まれるような記憶はない。
いや、それよりとてつもなく現実的なのは、泥棒…という線ではないだろうか。
こんなボロアパートの住人が現金を持っているだなんて思わないだろうが、最近はパソコンやらなんやらと高額な電子機器を持っているのが前提だ。
現預金をたんまりと持っていそうな家はイコールそこそこの警備会社が入っていたりするもんだ。
しかし、このアパートの防備は鍵オンリー。
変に高いリスクを侵すよりは、簡単なアパートに忍び込んで金目の物を探して行く方が、足がつきにくいと考えるのも悪くないかもしれない。
でも本当に銀時の部屋には何もないからねと、叫べるものならとっくにこの場で叫んでいるだろう。
変に居留守を決め込んだから、泥棒と鉢合わせとか激しく嫌だった。
どうするか。
このまま寝たふりをして見逃してもらえる相手ならばいいが、顔を見られたことに逆上して暴行を受けるのが一番恐ろしい。
ならば抵抗ができるように布団からでていた方がまだマシというものだろう。
しかしこの風邪をひいて体力の落ちた状態では、起きあがるのでさえ億劫でぜーはーと息を荒く吸い込むぐらいだ。
やはり助けを求めるべきかと、枕元においてあった携帯電話へともそもそと手を伸ばして取った。
そうしている間にも、誰かがこちらへやってくる足音がする。
その相手が随分とゆっくりと進んでいるように感じられるのは、やはり犯罪心があるからだろうか。
何しろ、低家賃の小さな部屋だ。
玄関と六畳一間を隔てる薄い扉が一つあるだけで、簡単にこちらへやってこれる。
こういう焦った時にこそ、警察の番号をなぜか思い出せない。
昨日は簡単にかけられたというのに。
仕方なく発信履歴を開こうとしたが、頭がおぼろげなせいで間違えて電話帳が開かれる。
そこにある一番最近に登録した電話番号…土方の名前を見つけた。
いくら警察関係者とはいえ、土方に助けを求めるだなんておかしいことだと頭ではわかっているのに、いろいろと冷静でいられなくなった銀時は、そのまま通話ボタンを押した。
プルルルルル……
期待して聞こえてきたのは、耳元で鳴る機械音だけではなかった。
扉の向こうから確実に電話音の方が、一段と高く響きわたる。
まさか…と銀時は半分身体を起こして顔を扉の方へと向けると、引き戸がゆっくりと開いた。
そこから現れた男と無情にも目が合う。
「ひ、土方…?」
予想外すぎる男の来訪に銀時の頭はさらにぐるぐると回った。
あれ、助けにきてくれたのか?
いや、なんか早くね?早すぎじゃね?
じゃなかった…
「おまっ…何でここにいんだよ!思いっきり泥棒と勘違いしたじゃねーか!」
「なっ…誰が泥棒だ。おめーが風邪ひいたっつーから見舞いに来てやったっつーのに」
よりにもよって自分の職業の間逆にある犯罪者呼ばわりされて、心外だと言わんばかりに土方は吠える。
「それは有り難いけどさぁ。何?大体何で風邪とか知ってんの」
別に風邪ひいたなんて土方にわざわざ言ってないのに、銀時は驚くばかりだ。
「バイト先にてめーがいなかったから、長谷川だっけ?接客業なのにグラサンかけてやがる野郎に聞いたんだよ。んでお前んちの住所を吐かせた」
かろうじてネームプレートに書いてあった名前を土方は口にする。
「あーそこまではわかったけど、家の鍵は?きちんと施錠してあったと思うけど。まさか壊してないよね。もしかしてピッキングできるほど器用なの?」
人の個人情報を勝手にばらまいた長谷川さんには、後できちんと詫びを入れて貰わなければなと思いつつも、一番気になっていたそれを銀時は訪ねた。
「んなことすっかよ。一階に大家住んでるだろ。借りたんだよ」
そう言って土方はむき出しの鍵を見せた。
「ちょっ……なんて言ったんだよ。普通、貸さないだろーが」
「んなもん。警察手帳見せて、事件性があるって言えば一発だ」
ちょろいなと土方は口元に笑みを浮かべた。
「おいおい…どっちが犯罪者だよ。職権乱用すぎるわっ。まるで俺が犯罪者みてーじゃねーか。もうちょっと音便にやってくれよ」
都会にしては珍しく大家には毎月現金で家賃を払っている。
ということは毎月顔を合わさなければいけないということなのに、直接は言われないだろうが、そんな気まずい関係になってしまったことに銀時は頭を悩ませた。
「嘘かもしれないと思ったんだよ」
ここで土方は一つ、声のトーンを落とした。
「あ?嘘…何が?」
何をいきなり言い出すのかと思った。
嘘とか言われても銀時には何一つ思い当たる節がないのにだから。
「だから、風邪だよ。タイミング良すぎるだろう。昨日の今日でなんて」
そう言いながら、熱を確かめるように、土方は銀時の額を右手でピタッと触った。
さっきまで外にいたせいか、土方の手は冷たい。
それが氷枕も作る余裕のなかった銀時にとっては、とても気持ちよく感じた。
「別に…たまたまだよ。ただの風邪だし………」
額を押さえられるのは恥ずかしくあったが、振り払ったりしようとは思わなかった。
確かに風邪は昨日の事故が原因ではあったが、土方の心配しているような怪我による発熱とかではないことぐらい自分でもわかる。
それでも心配してわざわざ来てくれたのかと思うと少し気持ちが素直になってきた。
「熱は、何度だったんだ?」
確認するように土方を訪ねる。
「確か37.8℃だったかな」
虚ろな意識の中で、測った体温を伝える。
なんだかどうも具合が悪いなとは思っていたが、熱を測るまでは自分が風邪だと信じたくなかった。
でも、その体温を目の当たりにした時は、まるでその瞬間から病状が悪化したかのように気持ち悪くなった。
病は気からというが、気持ち一つで本当に病人となったくらいだるかった。
「そこそこ、熱があるな。メシは食ったのか?」
土方としての印象だが、銀時は体温がそこそこ高そうなイメージがあった。
それでも37.8℃は十分な熱が出ていることになるだろう。
熱を出すということは、体内に入ったウィルスをやっつけるために身体が働いているという証拠だ。
だから良く考えれば熱が出た方が治りが早いというのはわかるのだが、本人は辛いだろう。
体力の消耗のことを考えて、土方は食事の有無も確認する。
「少しおかゆ作って食ったけど」
そう言って、銀時は台所の方へと目配せした。
あまり食欲はなかったけど、こればかりは仕方ない。
「薬もメシん時に一緒に飲んだのか?」
周囲には見当たらない風邪薬を探しながら聞く」
「………薬は飲んでねぇ」
ちょっと目を泳がせながらも銀時は、ぼそりと答えた。
「何で飲まねぇんだよ。医者にも行ってねぇんだろ?」
対する土方は顔を少ししかめて尋ねる。
これが平時ならば、頭の上から怒鳴っていたかもしれないが、あくまで相手は病人であるので、何とか少しは感情を抑えたのだ。
「買ってはあるんだけどさ。前飲んだら………苦かった」
その瞬間を今かと思いだし、銀時は嫌そうな顔をした。
「何、いい年して…ガキじゃねぇんだから。良薬口に苦しって意味わかってんのか?」
少しあきれ顔で土方は銀時の顔を見下ろした。
確かに土方だって、風邪薬がおいしいだなんて一度たりとも思ったことはない。
もしかした子供の時は嫌いだったかもしれない。
でも、今は大の大人だ。
苦いも甘いもわかっているだろう。
医者が儲かるようにと処方された薬は効くが、民間の薬はわざと効果が薄いように出来ているという黒い噂を聞いたことがないというわけではないが、それでも飲まないよりは飲んだ方がマシに決まっている。
「嫌なもんは嫌なんだよ。それにいつも飲まなくても治るだから平気だって」
そう言って結局、銀時は駄々を捏ねる。
「………わかった。んじゃ、とりあえずさっさと寝ろ」
少し考えた後、土方は寝ることを強要した。
「いや…寝るのはいいんだけどさ。何で、あんたはそこにいるわけ?」
どかりとあぐらをかいて座り込む土方を指摘する。
こういう流れになるのなら普通は、もう大丈夫なようだから帰ると気を使うべきなのではないかと思うのだ。
しかし土方の行動はその真逆を行って、居座る気満々に見える。
「てめーがちゃんと寝るのを確認してやるよ」
「えっ…………別にそんなことしなくてもいいって」
驚きの土方論を突き付けられて、逆に困る。
土方としては善意で言っているのだろうが、むしろ気になって眠れない。
「遠慮すんな」
そう言うと、やや強引に銀時の肩を押して、布団に舞い戻らせた。
そうして、わざわざきちんと上布団を首のあたりまでかけなおしてやる。
そこまで丁寧にされると、迷惑だから早く帰れとも言える雰囲気ではなかった。
仕方なく銀時は、無理やり目をつぶることになる。
正直、寝顔とか見せるのやだなーと思うし、なんか妙に緊張して心臓はバクバク言ってるし、こうやっている間に早く帰ってくれないかなーと思う。
案の定、そんなこんなで銀時はなかなか寝付けなかった。
元々、昨日の夜はきちんと寝ていたわけだし、時間帯的には普段ならばバリバリ仕事をしているのである。
いくら多少は風邪をひいているとはいえ、生活習慣的にそんなに簡単に寝られるわけがない。
まあ、完全に寝なくても目をつぶってじっとしているだけで、睡眠から比べると半分程度の疲労回復効果はあるらしいが。
しかし、こうやって目をつぶっていると、どれくらい時間が経過しているのかさっぱりわからない。
それでも…おそらく30分程度経ったぐらいだろうか。
そろりと薄目を上げると、まだそこに土方が居た。
完全に開けると寝ろと言われるに決まっているから、バレないようにちょっとだけ様子を伺うと、やたら真剣な目をしている。
本当に寝るまでここにいるのだろうかというより、どうやって寝たって確認するのだろうか。
いびきとかかくのを待っているとしたら嫌だなーとか、寝なければずっと側に居てくれるのかなーとかそんな相反することをぐるぐるとずっと考えていた。

あー何だか、とても気持ちが悪い。
その気持ち悪さは、風邪をひいてとかそういうんじゃなくて、汗をかいてそれが気持ち悪いんだと気がついた時、銀時は目覚めた。
重い瞼を何とか開くと、いつもの自分の部屋である。
何も変わりはない。
「あ…」
変わらないからこその、寂しさと喪失感が襲いかかる。
「帰ったのかな…」
少し汗で張り付いた前髪をかきあげながら、銀時は布団から身体を起こした。
もしかしたらあれは夢か何かだったかもしれないと思うほど、何の痕跡も残さずに土方は消えていた。
早く帰れと思っていた筈なのに、いざ居ないとなると自分の気持ちは裏切られたように反応するのが嫌だった。
時計を見ると、寝る前から3時間ほど経過していたようだ。
そんなに長い間、仕事のある土方が自分の側にいるわけないというのに、期待するから悪い。
やっぱりあれは夢か何かと思う方が自分の為なのかもしれない。
夢に出るほどの相手だと言うことを自然に思ってしまう矛盾には、直ぐには気がつかなかったけれども。
ガチャリ
顔をうつむけていると、玄関の扉が開く音がした。
自然に勝手に期待して心が跳ねる。
これは…これでは………3時間前の焼きまわしではないか。
まさか、そんな、自分に都合が良すぎるではないか。
世の中が、世界が、地球が、自分を中心に回っているだなんて、偉そうなことは思ったことなかった。
でも、それでも、この瞬間だけは、そうなのではないかと思うくらいの錯覚。
いや、未だ夢の中に漂っているのだろうか。
そうでなければ、熱による幻想か何かなのだと、銀時は必死に心をなだめた。
がらりっと開かれる扉の先にいたのは、やっぱり土方だった。
「お、起きたか。身体は、平気か?」
そう言いながら土方は布団に近寄って中腰になり、こちらの顔を何気なく覗き込む。
「何で…」
震える声で小さく銀時が口元だけでしゃべる。
「あ?」
やはり聞こえにくかったのか、確認するように、土方は声を出す。
「…何で、ここに居んの?」
「病人放り出して帰るわけねぇだろうが。さっきはちょっと買い物に行ってただけだ」
ほらっと白いビニールの買い物袋を差しだす。
その答えは銀時の求めたものではなかった。
それでも、それだけで十分だった。
居て欲しいだなんて傲慢に思ったわけじゃなかった。
それでも、居てくれて嬉しいと思ったのも事実で。
ああ、何だかこの瞬間だけは、自分で自分の気持ちがよくわからなかった。
「随分と元気になったみたいだな。もう一度、熱測ってみろよ」
布団に入る前とはうってよくなったような顔色を見て、土方は提案する。
テーブルの上に無造作に置かれていた水銀温度計を差しだすと、銀時はゆっくりと受け取ってパジャマの下に入れた。
その間、バタバタとちょっと音を立てて甲斐甲斐しく土方がタオルを取り出したりしていると、あっという間に3分程度は経過をする。
時計をぼんやりと見ていた銀時は、もそもそと水銀温度計を取りだした。
「どうだ?」
ちょっと銀時の顔を伺いながら、土方は尋ねる。
「36.8℃だって」
境目が微妙になりがちな水銀温度計を良く見ながら銀時は答える。
「もう、大体は大丈夫みたいだな」
ほっとした表情をしながら土方は言う。
どっちが病人だよというくらい、やはり心配していたらしく、今の表情は少しだけだが普段より緩んだ印象を受ける。
「うん。ありがと…」
「一応、ヨーグルト買って来たぞ。食うか?あと、果物は…よくわかんなかったんだが、おめーは何が好きなんだ?」
そう言いながら、土方はがさごそと買い物袋からプレーンヨーグルトとプラスチックのスプーンを取りだした。
「うーんと、いちごとか好きだけど…」
ぐるりと頭を悩まして、銀時はぱっと思いついた好みを答えた。
「悪い…みかんしか買ってこなかった。買いに行ってくっか」
踵を返してそう言うと、土方は再び立ち上がった。
「い、いいよ。わざわざ…みかんも好きだしっ」
そんな…何十種類もある果物からピンポイントに好きな果物を当てるなんて無理すぎる。
立ち上がった土方をせき止めるように、銀時は慌てた。
それでも土方は行く気満々だったらしいが、何とかズボンの裾を掴んで行き先を阻止する。
しぶしぶと言う顔をしながらも、何とか座り込んだ土方は、微妙な顔をしながらみかんを取りだした。
惚れた奴の為とはいえ、他人の為に、わざわざみかんを白い筋まで取ってあげて渡している姿は何だか凄かった。
銀時は、気恥ずかしかったけれども、そこまで嫌だとは言わなかった。
昼食を食べる気力はまだなかったが、ヨーグルトを食べていくつかみかんも食べると大分身体も落ち着いてくる。
ここでようやく一息ついた銀時は、しゃべり始めた。
「土方…仕事は大丈夫なのか?」
もう昼をとっくに過ぎた時間だった。
明らかに平日だし、土方って見るからに有給とるようなタイプじゃなさそうだし、一番気にかかっていたそのことを銀時は尋ねた。
「安心しろ。これも仕事の一環だ」
「は?どこが??」
いつもの調子を取り戻した銀時は、冷静にそう突っ込む。
「おめーは昨日の当て逃げの被害者だろうが。アフターケアするのも仕事のうちだ」
「えーと、それは拡大解釈すぎじゃね?それより犯人捕まえる方が先だと思うけど」
そもそも土方が交通課ではないことは、昨日確認済でよく正々堂々とサボっていて上司とかに怒られないなあというか、これから怒られるのだろうかと疑問に思う。
「犯人なんてとっくに捕まえたから、ここに来てるんだろーが」
正々堂々と自信満々に土方は言いきった。
「は?でも、昨日の今日だぞ。まだ半日ちょいしか経ってねぇんだけど」
そんな素振りが微塵も見えなかったので、今更ながら銀時は相当驚いた。
ってことは、何か?朝、銀時のところに来た時…いや、コンビニにいつも通りに突撃した時には既に捕まっていたということなのだろうか。
「お前、逃げた車の車両ナンバー暗記してただろ。そこまでしてあれば、大抵判明するっての」
そうなのだ。
当て逃げされて呆然としていたが、だからこそ逆に銀時の頭の中には車両ナンバーがくっきりと印象残ったのだ。
それを最初に応対にあたってくれた警察官に、きちんと伝えてあったからこその結果だった。
「いや、でも随分と早くね?」
「車両ナンバーからデータベースに照会したから、車両登録者とお前が見た年代の男は同一人物とは思えなかったからな。逃げるっつーことは、前科持ちの可能性が高い。盗難車か厄介な荷物を持っている心配もあるし直ぐに検問かけたら、旧道で引っかかったんだよ」
「そっか…やっぱり当て逃げってヤバいのか?」
「当て逃げより、無免許だった方がヤバいな。お前の思った通り、高校二年生だったんだよ。盗難車じゃあなかったが、親の車を借りて運転していたことだけが幸いってところか」
「うあーやっぱりそうだったんだ。あー保険とかどうなんだろう。修理代出してもらえっかな」
銀時自身は、自賠責保険も任意保険も入ってるが、後ろからぶつけられたなんて本来は100対0の割合になることが多い。
そうなると相手の保険を使うのが筋なのだった。
「安心しろ。ガキの引き取りにはきちんと父親が来て、親の保険を使わせるそうだ。事故証明出してやっから、後は保険屋に任せとけ」
「うん。色々とありがとな………げほっげほっ…」
寝込んでいる間にも若干気に病んでいたことが解決して肩を撫で下ろしたが、安心したと同時に、少し銀時はせき込んだ。
やはりちょっとしゃべりすぎたようだ。
熱は下がったとはいえ、まだ喉は痛いし身体は微妙に火照るし鼻水も出て来るような気がする。
「おい…大丈夫か?やっぱり薬飲んどけ」
やや無理をさせてしまったことを後悔する顔で、土方は銀時の様子を伺う。
どうやら土方が買って来たのは、ヨーグルトやみかんだけではないようで、ビニール袋の中からはよくCMしている製薬メーカーの風邪薬が色々と出て来る。
「子供用風邪薬とか、ない?」
伺うように、銀時は土方が並べた風邪薬を見る。
「子供向けなんてきかねぇだろうが。ねーよ」
大人用の風邪薬を分量少なくして飲んだりはするだろうが、子供用を大人が飲むなんて聞いたことがなかったから、もちろん土方のラインナップにもそんなものはなかった。
「いや…だって、それ全部多分苦い………」
もう駄目だった。
銀時の頭の中には、薬イコール苦いの方程式が成り立っていて、こびりついて離れない。
「ああん?ふざけんなよ。せめて一つくらい飲めや」
病人相手に強気に行くつもりはなかったが、これも本人の為である。
土方は何が何でも飲ませる勢いで、銀時を問い詰めた。
「うえぇぇぇ…仕方ねぇな。んじゃ、どれが一番甘いかな」
かなり嫌であったが、色々と面倒を見てもらった土方の言い分を全部無碍にするわけにもいかず、銀時は何とか妥協することを受け入れた。
ただし、自分が一番楽な方向へ回避することは忘れていない。
「甘い苦いじゃなくて、効能を見ろよ。で、せきと鼻と熱のどれが一番治って欲しいんだ?」
律義に銀時に選ばせていたのでは、あれやこれやと文句をつけられて一向に飲まないと判断した土方は、目的用途を明確にして薬を決めつけることにした。
「えーと。熱は下がったから平気かな。鼻はそんなに出てない。どれかというと、せき?」
結構治って来たような気がするけど、ここまで来て飲まないと言いだすとまた土方が怒りだすような気がする。
仕方なく銀時は消去法で、それを選んだ。
「せき、か。んじゃ、これだな」
そう言って、一つの薬箱を銀時の前にずいっと押し出した。
「これ、薬用トローチ?」
パステルカラーの緑に近い真ん中をくり抜いた薬を見て、客観的に銀時は言う。
「良かったじゃねぇか。買って来た薬の中でも一番マシなんだから。飴玉か何かだと思って舐めてろよ」
薬用トローチは完全な風邪薬とは違って、喉専用だが、それでも別の薬を無理やり飲ませるよりはよいような気がしてきた。
良い妥協策というやつだ。
「えーと、それがさ。俺もそう思って何度か薬用トローチは買ったことあるんだけど、意外と苦いのもあったりして、当たり外れ激しかったりするよ結構」
しかし、銀時は昔の経験をつらつらと語りだす。
やったー飴の延長だと思ったら大間違いで、確かに子供向けはそんな感じなのもあるが、大人用となると罠が待ち受けていることが多かった。
よくよく考えると、風邪薬ならば粉状をせき込んだりしない限り、一瞬だけ苦い味を舌の上で味わうだけだ。
しかし薬用トローチともなれば、その味を解けきるまでずっと味わい続けなければいけない。
そうやってどんどんと銀時の思考はネガティブへと落ちて行く。
「この期に及んで、まだ抵抗すんな。ほらっ、飲め」
パキリッと薬用トローチのフィルムを折った土方は、銀時の眼前にまで押しつけて来る。
「わかったよ…」
嫌々という表情は忘れないが、それでも何とかその一つを手に取る。
いやあ、何だってわざわざこんな苦そうに危なくあやしい製品番号がわざわざ薬に刻印されているのかわからない。
間違えないためとはわかっているけれども、ずっと眺めているとより嫌な部分まで見えてくるものだ。
親指と人差し指で薬用トローチを掴むと、銀時は勢いよく喉へと放り込んだ。
喉に近い舌の上へ見事に落下する。
「どうだ?」
「んーあぁ………ふ」
「ふ?」
何か困ったような顔をする銀時を見て、土方はその言葉を疑問視で反復した。
「ふ…、は、、っ、はくしょん!!!」
やばイと思った瞬間、枕元に丸めて置いてあったティッシュを手に出来たことがまだ幸いだった。
口元を押さえて最悪の自体だけは逃れられたが、それでも盛大に銀時はくしゃみをした。
「おいっ、大丈夫か?」
土方も慌てて、新しいティッシュボックスに手をやって何枚か引き抜くと銀時に渡してやる。
「サンキュっ。って勿体ねぇ…トローチ吐き出ちまった」
よだれだらけの口元とついでに鼻水を吹きながら、残念がる。
「やっぱり苦かったのか?」
「あー何かもう味覚も微妙でよくわかんねぇけど。やっぱり俺の身体は薬を受け付けない身体なんだよ!」
はっと、とても素晴らしいことを思いついたかのように銀時は言いだす。
そうだ。通常の言い訳はもう土方には通じないのだから、これで行こうと決めた。
大体、なかなか解けない仕様になっている薬用トローチを一瞬でわかれというのも無理な相談だと思ったのだ。
「心配してやったのに、なーに中二病くせぇこと言ってんだよ。たくっ、仕方ねぇな…俺が味見してやるよ」
風邪薬ならはともかく薬用トローチならば多少のどが痛くなくても無害だろっと決めつけて、土方は残っていた一つを口に放り込んだ。
苦いか?正直よくわからなかった。
確かに苦いか甘いかどっちかを選べと強要されたならば苦いにはいるのかもしれないが、それは極論すぎるだろう。
それに、自分が吸っている煙草の方がよほど苦い部類に入ることだけは確かだ。
「な?苦いだろ」
同意を求めるように銀時は、しかめっ面をしている土方の顔を見上げた。
「そんなに苦いのが嫌なら、甘いのにしてやるよ」
そう言い放つと、土方は布団の上で何とか起き上っている銀時をぐいっと引き寄せた。
普段ならここまで簡単には行かなかっただろうが、風邪で全身の力が思うように行かない銀時は咄嗟な自体と言うことを考慮しても、全く何もできずに身体を預けてしまった。
何だ?と思う余裕もなく、林檎のように赤くなった両頬を包みこんで近づかせられると、そのまま下りて来るのは、土方の唇。
重ねるだけの曖昧なものではなくて、下あごをくいっと掴まれると、そのまま自然に銀時の緩くなっていた唇も開く。
閉じる気力もない歯も呆気なく割られて、土方の舌と共に入って来る物がある。
かちりっと一瞬だけ歯に当たった感触で、それが土方が舐めていた薬用トローチだということに気がつく。
そのまま銀時の舌の上にやって来たトローチを、土方は舌の上で何度か転がす。
ときどき、真ん中の輪っかから溶かすように押しつけられたりして苦しくて、銀時はついっ舌を引っ込めてしまう。
舌の下へと少し小さくなったトローチ落ちると、今度は土方がそれを追いかけるように迫って来る。
そうして舌や歯の裏まで舐めてくるのだから、銀時はたまったものではない。
ただでさえ、鼻の調子がいまいちよくなくて酸素不足なところに、それでは息も吸えない。
嫌だ嫌だと首を振ろうとしても、がっちりホールドされているので、仕方なく土方の舌を追い出そうと銀時は自分の舌で押し出そうとするが、それは逆効果だったようで、より深く絡め取られてしまう。
「っふ………く…」
脳内に酸素が渡らないことをいいように、もうぼうっとするしかない銀時は、仕方なく土方の好きにさせてやるしかなかった。
殆ど噛めば砕けて無くなるくらい薄くなってしまったトローチを最後に、喉元まで押しやられると息苦しさに、こくりっと飲みこんだ。
「……はぁ…はぁ…はぁ………」
そこまでやられて、やっと土方は銀時の拘束を緩めた。
ぜーはーとまるで酷い喘息になったかのように、銀時は息をする。
「どうだ。甘かったか?」
銀時の呼吸が正常に戻る一歩手前で、いけしゃあしゃあと土方は尋ねてきた。
「苦い!」
恥ずかしさに全てが耐えられなくなって、銀時は一言そう叫ぶと布団を引き寄せて頭からかぶると丸くなったのだった。

油断をしていた!うざい奴だってわかっていたはずなのに。









それでも次の日もやはり来るのが、土方という男である。
わかっていた。わかってはいたけれど、何だか自分のことさえも銀時は嫌になりそうであった。
マメな男はモテるとよく耳にする。
しかし、それはイメージに合うかないかという前提も存在していることを忘れられては困る。
ということで、今日も朝から銀時の携帯に一通のメールが届いている。
これが「おはよー」や「おやすみー」などというほぼ意味のない内容だとしたら、とっくに拒否っているだろうが、土方という男はそこまで愚かではない。
いや、むしろもっと愚かだというべきか?
出来れば普段とメールの文面は統一して欲しいと銀時は思うが、まさかギャップ萌えでも狙っているのだろうか。
手の平より小さいディスプレイに並ぶ文面に、いつもの俺様口調はなく…何だろうどこの可愛いJK?と思うような子リスっぽいのだ。なんか。
これで顔文字やらデコったりしていれば、嫌悪感が湧いていただろうが、一応そこまで酷くはない。
最低限の絵文字の一つや二つで、収まっている。
でもだからこそ、なんか…ウザい。
突然の電話も迷惑だが、マメなメールというものも考えものであった。
昨日のあれ以来、銀時は全く土方の顔を見なかった。
正確に言えば、土方が帰るまで布団から出て行くことを断固拒否したからではあるのだが。
しばらく少し人を小馬鹿にしたような様子をしていた土方だったが、銀時の風邪がもう大丈夫だと判断すると、買って来た物を置いて帰ったのだ。
その間、銀時は義務的な返事しかしなかった。
たったそれしか、それしか出来ない状況だったのだ。
何なんだろう自分は。
あそこはもっと、盛大に怒るべきだろう。
たとえ、やや病人で弱っているとはいえ、もっと何か出来た筈だ。
それなのに上辺だけの抵抗で全てを受け入れてしまった。
トローチ舐めさせるためとはいえ、手段が極端すぎるだろうが。
あれって…どう考えてもキスだよな?
いや、普通のキスとは違うけれども、つか普通のキスなんかより何倍もヤバいと思うけども。
土方にとって、あれは別に何ともない行為だったような顔をしていた気がする。
つか、自分たちって本当にお付き合いしているのか?
何だその錯覚は。
大体、無理なのだ。
この地球に、今56億人の人間が住んでいるらしい。
そこからたった一人を好きになる確率は物凄い。
そこからまた更に同じ人間を好きになる確率はもっと物凄い。
今だけではなくて、死んだ人間も合わせればどれだけになると思っているのだろうか。
って、今の計算にまるっきり女だけじゃなくて男も普通に入れていたよ。自分大丈夫か?
それに銀時は、付き合うことに了承の意を示したことはなかった。
しかしよく考えたら拒否もしていない。
この中途半端で曖昧な立場は何なのだろうか。
こちらは何も認めていないのに、自体はどんどんと勝手に進んでいく。
それは土方であったり、銀時の知らない心の奥だったり、本当に勝手すぎる。
まるで世界が自分一人を取り残して先に進んでいるようだった。
それでも目覚めると、まるで昨日風邪をひいていたことが嘘だったかのように、体調は全快していた。
むしろ寝すぎたせいか、普段は遅刻ギリギリにしか目が覚めないと言うのに、携帯の目覚まし機能より早く目覚めたくらいだった。
今日も、もちろんシフトに入っている。
仕事に行くのが嫌だという気持ちはあった。
しかし、銀時の勤め先はそう簡単にシフト変更が出来るほど人員的余裕がないのだ。
昨日だって突然無理を言って長谷川さんに入って貰ったのだから、これ以上は望めなかった。
のそりと準備を始めるが、心は憂鬱のままだと言うのに身体だけが万全なのがどこか嫌だった。
そうして、いつものように買い物にやってきたのが土方だ。
どうせ大方…銀時の姿を見かけられなかったら、また今日も家の方へ押し掛ける気なのだろうから、ここで会う方がまだ心の準備が出来て良かったのかもしれない。
でも、どんな顔を見せればいいのかと、そんな余裕まで銀時にはまだ生まれてはいなかった。
「いらっしゃいませ…」
接客業にあるまじき、段々と小さくなっていく声を尻目に、一人でやってきた土方はいつものように商品を眺めたりはせずに、真っ直ぐにレジにいる銀時の元へとすたすたと歩いてやって来た。
「体調はどうだ?」
「うん、平気。…昨日は色々とありがとな」
「もう無理すんなよ」
そう軽く声をかけると、ちょっと目配せをしてから、土方はマヨネーズが陳列してあるいつもの棚へと向かった。
ああ、良かった。いつも通りだと、銀時はちょっと突っ張っていた肩を撫で下ろす。
あれはなかったことになればいい。
そうすれば…いや、そうすればって何だろう。
無理だろう。もう何もかもが。
もし、本当にもしだが、あの行為に土方は病人の世話という以外の気持ちを持っていなかったとしたら、どうする?
いや、それが今の銀時には一番好ましい筈なのだが、何だろう。
この釈然としない気持ちが、黒い毛糸のようなものがぐるぐると胸のあたりを回り続けている。
もしかして土方はあーゆーの慣れてるとか?
別に贔屓しているわけではないが、土方は同姓の自分から見てもカッコいい部類に入るだろう。
銀時と対面して出て来る言葉は突飛な物が多いが、あれは自分がドン引きしながら捉えているそう思うのだろうし、女性だったら素直に受け入れるのではないのだろうか。
そう思うと、何で自分何だ?という気持ちがまた湧き出て来る。
確かに土方が銀時が気になったというエピソードは聞いたが、未だに実感がないのだ。
自分にとって、当たり前すぎて、普通すぎて、この男は何をしたいのか、何を求めているのか、わからなかった。
「おいっ…」
そんな中、ちょっとドス黒く土方に声をかけられたもんだから、傍目から見てもありありとわかる姿で銀時はびくりっと震えた。
「な、何?」
気のせいか、土方の顔は少し怖かった。
「マヨネーズが、ねぇじゃねーか」
「は?嘘だろ………」
土方から有り得ない言葉を聞いたような気がして、ふらふらとなりながらもレジを出てマヨネーズコーナーへと急いで向かった。
狭いコーナーをぐるりと回って、普段土方が張り付いているマヨネーズ置き場を見る。
確かにない。ないのだ。
あのマヨネーズが。
無残に残るのは値札だけで、その先はまるっきり空いていた。
隣においてあった、ちんまい50gのマヨネーズさえ消えた。
「嘘だろ………」
驚きすぎて、またその言葉を銀時は繰り返した。
大江戸マート警視庁支店の名にかけて万引きだけは有り得ない。
となると、原因は一つしか考えられない。
それでもきちんと確かめたくて、バックヤードへ駆け込んだ。
「って、土方。ここ従業員専用だから、勝手に入っちゃいけないんだけど!」
動転したままだったが、そのまま土方が後ろからついてくるので更に驚く。
「別に少しくらいいいだろ?へぇ…意外と狭いな。逃げる場所はないっと」
そうは言いながらも結構観察しているようで、最後に恐ろしい一言まで付け加えた。
確かにお世辞にも、うちの店のバックヤードは広くない。
というか、コンビニの規模自体が小さいので本来の在庫を置くというスペースも比例して小さいのだ。
後は従業員用のロッカーとか金庫とかパソコンとかマニュアルが詰まった本棚とか、そんなものだ。
物珍しそうに眺めている土方は置いておいて、銀時はメインパソコンの前へ座り込む。
パソコンと言っても、WindowsやMacが搭載されているわけではなく、完全に商品管理をするコンビニチェーン専用のシステムしか入っていない。
アルバイトあたりは、ここにタイムカード代わりの出退勤を管理しているので、そのくらいの機能しか触ったりしなかったりもする。
「で、何をやってんだ?」
直ぐに飽きたらしい土方は、銀時の操作するパソコンを覗き込んでくる。
既に立ち上がっているPOSシステムの販売実績は、これも客に見せるようなものではないのだが、必要なページ以外はショートカットして進んでいるので大して見られても困るページは通過しないからいいだろう。
何度かマウスを動かしてクリックをし、目的のページを目指す。
「売れてる…昨日の夕方に。土方、お前昨日マヨネーズ二本買ってないよな?」
マヨネーズの販売実績を見ると、確かに[1]という堂々とした数字が鎮座していた。
「一本しか買ってねぇよ。何だよ…マヨネーズが売れるなんて普通のことだろう」
「いや…あんなドでかいサイズは、うちみたいな店だとお前しか買わないんだよ」
有り得ない奇跡だとしか銀時には思えなかった。
出来れば暇な時間にレジについている重ね撮りをしている画質の悪い監視カメラを見て、どんな人物が買ったのかみたいぐらいだ。
銀時は初めて少しだけストーカーの気持ちがわかったような気がする。
「だからって、一本売れたくらいで何で切らすんだよ。ストックはねぇのか?」
「発注担当俺だからないよ。つか、不味った。昨日俺、風邪で休んだから発注誰もしてねぇし。二日ぐらい切らしたままだと思う」
「ああん?何だって………おめー俺に対する愛が足りねぇんじゃねえか?」
「は?」
とうとう愛だとか恋だとか言い始めて来た土方を目の前に、やはりどうしようもなく銀時は呆気に取られた。
付き合っているつもりもない。恋もしていない。ましては愛だなんて…そんな言葉の一欠けらも口に出していないのにだ。
当たり前だという顔をこの男はしている。
「つか、マヨネーズなんてそこらへんのスーパーで買えよ。そっちの方が絶対安いし」
やっと頭が動き出した時は、反抗する声を出していた。
そうなのだ。
大体マヨネーズなんて希少価値のあるもんじゃないし、土方が買うのはメジャーなメーカーだ。
コンビニに陳列されていることがその最もたる証拠で別にわざわざこの店で買うことはない。
値段だってコンビニはメーカー定価だ。
メーカー定価が設定されていない商品は商社の中の談合か仕入に30%ぐらいの利益を乗せているというぼったくりなのだ。
スーパーの方が100%安いし大量にある。
マヨネーズなんて賞味期限半年以上あるだろうし、ある程度買いだめしておけばいいのに…と客という一線を越すと、そうしか思えなくなってくる。
「スーパーに男一人で行くなんて周りの見る目痛いだろうか。男は黙ってコンビニだ」
「いや、じゃあ…うちのコンビニじゃなくて余所行け。外のコンビニの方がラインナップいいから」
「俺は忙しいんだよ。何で警視庁の中にあんのに、わざわざ他のコンビニに立ち寄らなくちゃいけねぇんだよ」
だからお前が用意しておくのが当たり前だと、確実に土方は言いきった。
「…………はあ…まあ、悪かったよ」
なんだかもう疲れた。
マヨネーズを土方以外が買うという想定をしていなかった銀時が悪い。
ここまで強烈に言われると、そう自分自身も段々思うようになってきた。
「まあ、今回は風邪だとわかったから、大目に見てやるよ。その代わり…何か埋め合わせをしろ」
偉そうに自己完結した後言い放つ。
「埋め合わせ?いや、そんなこと言われたって全然思いつかないんだけど」
また突然過ぎる発言に銀時はハテナマークだ。
だって、金とか殆どないし、持っている物なんてこの身一つだ。
え?まさかそれが目的なのか?それは断固拒否する。色々と無理だ。
「さっき、そのパソコンでマヨネーズ一覧が出てただろ。それ、もう一度きちんと見せろ」
「へ?ああ…」
まるで脅迫されたからのようだったが、それくらいならいっかと思って銀時はマウスを動かした。
調味料ページカテゴリの中でドレッシングからマヨネーズは一応一つの場所をぶんどっている。
カチリッとそこをクリックすると、ずらっと並ぶのはやはりマヨネーズ。
全てマヨネーズだ。
その数…ざっとは数え切れないほど。
コンビニ程度でもこの数が出て来るんだから、スーパーとか卸売だったらどんな風になるのだろうかと思う。
表示された数は多くとも、種類自体がそれほどたくさんあるわけではない。
同じマヨネーズでも分量がいろいろあるのだ。
ご存じチューブにスティックパックに瓶詰めと容器の形状だけでもこれだけある。
そして下は12gから始まり、上は1kgまでと、内容量はもっと種類が多い。
純粋なマヨネーズはこのラインナップだが、ツナ入りやら明太子入りやらと疑似類似品は数知れずなのかもしれない。
これがメーカーごとにずらりと並んで表示されているのだから、マヨネーズが好きというわけではない銀時にとっては胸がうっとくるくらい壮観である。
土方ってまさかマヨネーズ見ているのも好きなのか?と思うほど、ディスプレイをガン見している。
「それ…商品明細見せてみろ」
それと土方が指差したのは新商品だった。
コンビニが出来てからというもの、コンビニの一部の地域や全国で先行販売して売れるようなら後日スーパーに回るという方式が成り立っている。
だから、銀時も一度も見たことのない商品だった。
「特農マヨネーズ?」
なんだかとてもヤバいネーミングの商品に思えたが、そう書いてあるのだからそう読むしかなく、首をかしげながら銀時は読み上げた。
どうやらこの商品…土方がいつも買っている有名メーカーに勤めているマヨラーがマヨラーのために作り上げたという相当マニアックな商品らしい。
通常のマヨネーズの三倍の濃さを誇り、尚且つ食感はタルタルソースのごとく重く存在すると。
ここまで読んで銀時はちょっとこれ以上読むのをやめた。
何だか読んでいるだけで相当胸やけしそうだったから。
なんか下にはどれだけこの特農マヨネーズが素晴らしいのかと、成分構成とか書いてあったから、見ない方が幸せだ。多分。
「詫びにこれ買え。まずは十本でいい」
そしてやはり当然の如く命令してきた。
「えぇぇ!十本も!?つか、このマヨネーズ。通常の三倍くらい値段高いんだけど」
気持ちと言うことで、一本くらいなら買ってやってもいいけど、十本とか野口が自分の財布から何枚飛び出るか考えたくない。
確かに多少は土方の気持ちもわかる。
新商品というのは、消える商品があるからこそ出て来るものなのである。
人間は飽きるように必ず出来ているようで、毎週何十、いや何百…もの新商品が発売してもその中で定番化して残る商品なんて一パーセントにも満たないんじゃないのかと思うくらいだ。
また同じような新商品だなあと思いながら銀時が見送ったものも数多い。
新発売した時は目新しさに買っていく客がいたりもするのだが、次第に新鮮さも薄れ、また後ろの新商品が発売されれば、自然に売れなくなっていく。
そして、発注画面からも消えて、その先はどうなっているのか知らない。
だからこそ定番化なんてなかなか成りにくい調味料のカテゴリなんて、多く購入するのは自然なのかもしれない。
本当に凄くおいしいのならば、桃ラーみたいに爆発的に類似商品もやがては増えるのだろうけど。
頭では分かっているが、今銀時の中で最も大切なのは自分の懐の財布の中身だった。
「なんだ。金の方が大切って言うのか?」
イラッとしながらも土方は追求する。
もしかして、また愛とか恋とか言い出したいのだろうか。簡便な、マジで。
「そうじゃなくて…今、十二月だろ?色々と出費が多いんだよ。俺だってノルマとかあるし」
「ノルマ?」
「あれ」
そう言って、銀時は横にあった白い壁を差した。
「俺には、ただの棒グラフにしか見えねぇぞ」
顔を少しゆがめて土方はそう言う。
たしかにその通りで、壁に張られたどでかいA3の紙を四枚ほど繋ぎ合わさった上に、何本かの棒グラフがあった。
「それ、クリスマスケーキの予約獲得数なんだよ。一応、バイトレベルと地区レベルで競ってんの。うちの店はいっつもドベだけどな。だから仕方ないから、ある程度は自腹切ってんの」
口をとがらせながらも銀時はしゃべる。
まあ、仕方がないといえばそうなのだが、ケーキを買うなんて一部の浮ついた若者か主婦かそんな程度である。
コンビニスイーツがもてはやされるようになったおかげで、一般的なコンビニケーキの地位も向上したが、それでも専門店のケーキには見劣る部分がある。
また、普段はケーキを作ってないような食品関係の業種も便乗する気満々なのである。
一人が食べるクリスマスケーキの数なんて知れていることなのだ。
必然的に客層が警察関係者で占められているこの店では、積極的な勧誘による獲得は殆ど見込めなかった。
自腹でケーキを買うのは痛いが、ある程度は悪友に押しつけたりしている。
「ケーキなんか俺が買ってやるよ」
「えっ?ホント??土方くんって甘い物好きなように全く思えないんだけど」
とてもありがたい申し出だったが、半信半疑で銀時は聞く。
「あ?」
疑いの眼差しを向けられた土方は不機嫌そうに聞き返す。
「いえいえ…是非買って下さい。はいっ、申込書。ここにあるし」
慌てて営業用トークに切り替えた銀時は、クリスマスケーキの申込用紙を土方の前に差し出した。
「どれ、買えばいいんだ?」
クリスマスケーキでも、4号・5号・6号サイズ。他にもチョコレート系やらチーズ系やらブッシュドノエルやらアイスタイプがある。
普段、甘い物に縁がない土方にとってはどれもこれも同じようにしか見えないだけだ。
「パンフレットあるけど見る?普通のイチゴショートでいいんなら、4号サイズが2〜3人向け。5号サイズが3〜4人向け。6号サイズが4〜5人向け。みたいだよ」
やたら豪華な装丁になっている本部作成のパンフレットを開いて、銀時は示した。
「めんどくせぇ…とりあえず一番でかいのでいいか。あと、このチキンやらオードブルやらサンドイッチやらとりえず一つずつ。あと、お前…何が食いたいんだ?」
ボールペンで、一通りの商品の数量に「1」を書きこんだ後、土方はそう銀時に尋ねた。
「え…俺?俺、何か関係あんの?」
「何、言ってんだ。てめーが食うに決まってるだろ。まさかクリスマスの予定が入ってるんじゃねぇだろうな?」
「まあ、昼間は仕事だけど…確かに夜は………まさか、うちに来んの?」
「当たり前だろうが。俺は甘いもんなんて食わないんだから」
そうこういいながら、土方は申込書のお届け指定日を12月24日の午後6時と勝手に記入している。
「土方…お前………クリスマスに予定ないなんて…寂しい男だな。モテそうなのに」
「何、ふざけたこと言ってんだ。普通に仕事で忙しいに決まってるだろっ。休みなんて無理やりもぎ取ったんだよ。大体、そんなこと言ったらてめーも一緒だろうが」
銀時の憐みの目と勘違いを振り切って書き終えた土方は、申込用紙を突き付けた。
「あ、毎度あり」
条件反射で銀時は軽く頭を下げる。
しかし…こんなに頼んで………男二人で…たった二人でどうするのだろうか。
土方はケーキ食べないって言ってるし、一人で一晩で6号サイズを食べられるかなと少し考えるが、翌日に持ち越してもいいかと前向きに考える。
「それで、金は?」
「前払いも出来るけど管理するの面倒くさいから、商品と引き換えかな」
「わかった。てめーも、特濃マヨネーズ十本をきっちり注文しとけよ」
クリスマスケーキでどたばたしたので忘れ去られるのを懸念して、土方はきっちりと釘を差した。
「あーうん。ちょうど、特濃マヨネーズも12月24日入荷するみたいだしね。………ところでさ」
言おうか言わないか少し考えたが、やっぱり後でいちゃもんつけられても困るので、銀時は意を決して言葉を発した。
「何だ?」
「元々、俺がマヨネーズを入荷していなかったから、俺が埋め合わせをするって話じゃなかったっけ?俺が特濃マヨネーズを買って、土方くんがクリスマスケーキを買うってことになると、プラスマイナス0じゃね?」
結局は等価交換が成立してしまう。
正確に金額換算すると、土方のクリスマスケーキ+αの方が特濃マヨネーズより何倍も金額が張るのだが、そこまで細かいところはあえて言わない。
「言われてみれば…確かに」
「わかってると思うけど、俺金はないからね」
「…………そうだな。じゃあ、次の日曜…俺に付き合え。朝9時に迎えに行く」
少し考えた土方は、一方的にそう告げた。
今度の付き合うというのは、また違う意味で面倒そうだな…と思いながらも、仕方なく銀時は了承したのだった。
もしかして、これって初デートじゃね?と気がついたのは、後の祭り。

うざい奴って、困ったことに押しも強いらしい。









本日は快晴なり。
比較的晴れ男な自覚のある銀時ではあったが、別にてるてる坊主を作るほど期待した日というわけではない。
もしかしたら、台風が来たり大雪になったりしたら中止になる可能性があったのかもしれないけれども、この季節にそんなことが起きたら天変地異である。
銀時の普段の休日は、何の用もない日が多いので、お昼近くまで睡眠を貪っていることが多い。
仕事がある日よりかなり遅い時間に起きた銀時は、一応持っている服の中でラフすぎない比較的マトモな格好を選んで着替える。
洗面台の前に立ったいつもの自分の天然パーマはこれ以上どうにか出来るのなら、とっくにどうにかしているというレベルだ。
とりあえずクシを通すが、無駄無駄無駄ァ―ッ!と、DIOのセリフが聞こえそうなぐらいなので、仕方ないと割り切る。
もう時間もないので、面倒くさいから朝ごはんも食べないで、余っていたいちご牛乳パックをラッパ飲みする。
ピンポーンと今日はきちんとチャイムが鳴ったので、牛乳ヒゲのチェックだけ鏡ですると、慌てて玄関を開ける。
遅れたら絶対に不機嫌になると決まっているのだから。
ガチャリッ
「………おはよう」
なんか目が合っても相手は無言だったので、正直銀時も反応に困ったが、とりあえず挨拶しておく。
「おぅ…行くぞ」
ざっと銀時の様子を確認してから端的に言った土方は、くるりと後ろを向くとさっさと先に行ってしまう。
「ちょっ…待てよ」
まあ、部屋で長々と待たれても困るからそれでいいかもしれないけどと思いつつも、財布とケータイを持った銀時は履き馴れた靴をひっかけて、扉に鍵をかけた。
すでに土方の姿はなかったが、こんな狭い通路で待っている方がおかしいので表に出たのだろうと見当をつけた。
カンカンと独特な安い金属音が鳴る階段を降りて、路地に面した場所へ降りると、やはりそこで土方は待っていた。
「え…車?もしかして土方のなのか?」
狭い道を完全に塞ぐように置いて合ったのは、一台の黒い車だった。
その運転席近くに土方が腕を組んで待ち望んでいたのだから、これは何をどう考えても彼の車なのだろうと思い当たる。
「俺のじゃなきゃ、誰のだって言うんだ?」
何か問題でもあるのかと言わんばかりに土方は答える。
「いや、まさか車で出かけるとは思わなかったから…」
さすがにレンタカー持ち出すような男ではないとわかっているが、それでも冗談半分に銀時は聞いたようなものだった。
しかし早々に車が登場するとは…予想外だ。
確かに出かけると土方は言って、どこにだとかそういった具体的なことは一切言われなかったといえば、そうなのだが。
都内に住んでいると交通手段イコール電車やバス…自転車やバイクという選択肢ばかり思い浮かべるのは仕方ないと思う。
かくゆう銀時も一応、車の運転免許は持っているが、もはやペーパードライバーの領域である。
オートマならともかくマニュアルなんて近頃滅多に運転していない。
そもそも原付に甘んじているのだって、小回りが利くという利点があるが、ほぼ完全に維持費の問題がある。
自動車は本体も高いし駐車場も高いし税金やら保険やらと、お金がかかる事項をあげるとキリがないくらいだ。
若者の自動車離れと嘆かれている事態はよく耳にするが、単純に若者にお金がないだけだと、いい加減気がつかないのだろうかと謎だ。
ということで、さすが公務員の土方君である。
お給料の方はそこそこ頂いているようだ。
「いいから、突っ立ってねえで早く乗れ。他の車が来たら身動き取れなくなるぞ」
そう言って、土方はくいっと顎で助手席を指し示した。
女性みたいにバックとか持っているわけではないので、身一つでさっさと銀時は乗り込む。
うわーシンプルだ。余計な物は一切乗せていない。
綺麗好きを通り越して、ただの仕事用の車に思えるほどだと銀時は感じた。
しかしリクライニングは良好で、腰掛けると身体がほどよく沈みフィットする。
「行くぞ」
土方も運転席に乗り込みシートベルトを確認した後、エンジンをかけると少し独特な音が響き渡った。
車好きには丁度よい音を立てて、車が動き出す。
「俺、そんなに外車詳しくないんだけど、これBMWだよな。やっぱ好きなの?」
先ほどはあえて言わなかったが、やっぱり気になるので車に関してはつっこんでおく。
大体東京でわざわざ車持っている奴は、比例してそこそこ良い車なことが多いが、土方の年齢くらいでBMWってなかなか珍しい気がする。
それに日本人って日本車大好きだし、事実日本車は日本で走る用に適した作りをしているので、燃費も良かったりする。
「まあな。頑丈さが売りのボルボと迷ったけど、結局こっちにした」
視線は前方を崩さずに、何気なく土方は言った。
どうやらそこまで極端に車に対するこだわりは見受けられないようだ。
しかし、ボルボも年代的に上に感じる。
基本的にちょっと渋いようだ。
「ナビは?」
端っこにETCはついてるようだが、オーディオにナビの開閉ボタンも見あたらないので聞いてみる。
「つけてねえ。あまり遠出しないからな。一応、後ろに地図積んであるぞ」
不安なら見ろという暗示だろうか。
そう言って、土方は視線だけ軽く後ろに流す。
「あーいいんじゃね?この車に下手にナビつけると安っぽく見れるし」
そんなにグレードの高いナビを見たことがあるというわけではないが、どうも高級車でオプションはウッドデッキまで標準しながらも肝心のナビがチープだったりすることがあったりしたので、銀時は軽くそう言った
「助手席座ってんだから、道わかんなくなったら地図開いてナビしろよ」
「うえー!んなことするなら、ケータイのナビ機能に頼るっての。つか、マジでどこ行くんだよ」
こうやって乗り込んだ時点でも、未だに土方は行き先を告げなかったことが不満だった。
よく考えるとナビがあれば、目的地が表示されていただろうから、暗にわかったかもしれないのに、まあ銀時はポータブルナビなんてもっていないからしかないが、そこも含めて土方の言いぐさに困る。
「おまえが行きたいって行ってたとこだよ」
「はあ?俺、どこか行きたいとか行った記憶ないんだけど」
瞬時に即答できるほど、銀時には心当たりはなかった。
そもそも土方と雑談とかしたことあんまりないし、今行きたい場所とか特にはない。
出きることなら、家で惰眠を貪りだらだらとしたいというのが本音だ。
旅行好きとか買い物好きではないし、そもそもそういったことをするのに一番必要なマネーの捻出が出来やしない。
そりゃあ、出掛ければそれなりに楽しいかもしれないけれども、それを考慮したとしても、そんなに多趣味ではない銀時が行きたい場所など本人でも思いつかないのに、土方にはわかるというのだろうか。
「だったら、着くまでに考えるんだな」
そう言いながら狭い路地を抜けた土方は、ギアチェンジを四足から五足…そして六足まで一気に持っていき、国道へと突入した。
横でそれを見ていた銀時は、六足マニュアルなんて運転したことないので、絶対バックと入れるの間違えてエンスト起こしそうだなとか思っていた。
大体、外車だから左ハンドルではないだけマシなのかもしれないけれどもと思っていたら、実はウィンカーとワイパーが日本式とは逆に取り付けられているようだ。
土方がそれを間違えるようなタイプとは思えないが、そんな姿も見てみたいかなーおもしろいなーとか思った。
それにしても着くまで…と言うことは、そんなに時間がかかるのだろうか。
休日の都心の道路事情は主要ビジネスが休みに入っている為、それほど混み合ってはいないので、官庁方面へ向かう車などは顕著にそれが現れている。
都心の一部の観光地は逆に混雑の兆しを見せているようだ。
そんなことを思っているうちに、土方の運転する車は軽快に三車線をすり抜けて行く。
「お前…警察官関係の仕事についている割には、結構スピード出すんだな」
普段見かけるパトカーの制限速度+二十キロ程度の速度を思いながらも、銀時は話しかける。
助手席からのぞき込んでメーターが簡単に見える仕様にはなっていないのだが、体感と外の移り変わりで大体は予測出きる。
「仕事中はきっちり運転してるからストレスが溜まるんだよ。休日ぐらいは好きにさせろ」
「安全運転でお願いします」
「プライベートでは事故ったことはねぇから、安心しろ」
「仕事中はあるのかよ!」
限定的な土方の物言いに銀時は即座につっこむ。
何しろハンドルを完全に任せているのだ。
教習仕様車みたく助手席にブレーキがあるわけでもないのだから、残りはサイドブレーキしか身動きがとれない。
傷一つない車体だったから、心配していなかったが、さすがに事故るのは困る。
「仕事中は……まあ、色々あるんだよ。普通に運転する分には何の支障もねぇ」
少しだけ遠くを見て土方は曖昧に誤魔化す。
「つか、あんまりスピード出すと警察に捕まるよ?」
「俺がそんなヘマするわけねぇだろ。オービスの場所も把握してるし、今日取り締まる場所も覚えてる」
「うわあ、職権乱用」
そんな明らかな交通情報をあっさりと口にされて、銀時は暗に言う。
もしかしてこの車にオービスの探査器が着いているのかと思ったが、もっと悪い情報だった。
「新聞に掲載されている情報は誰でも知ってるだろうが。それに抜き打ちでやる場所も大体決まってるんだから、いーんだよ。今日は天気がいいから多少出てるけど、雨が降ると中止するしな」
そう言いながらも、土方は車線を左へと外れていく。
「げっ…もしかして首都高乗るのかよ」
明らかにインターへ乗る専用の広い道へ移動したのを見て、銀時は驚く。
「下の道なんてちんたら走ってたら夜になるからな」
ETCが着いているので専用レーンを減速して進むと、バーが速やかに開く。
ここから制限速度も80kmに跳ね上がるわけだが、もちろんその速度で走っていたら、トロい車認定を受けるので、車はどんどんと飛ばしていく。
普段はトラックなどで混み合っている首都高も休日の昼間ともなればそれほど多く見かけるものではない。
こちらの車線は都心を出るので空いているが、反対車線は都心へ向かう車が短く渋滞を起こしていたので、大方事故か何かであろう。
非常にスムーズに車は進んだが、やはりどこへと向かっているのか銀時にはさっぱり予想がつかなった。



首都高へ乗り込んでかなりの時間が経過した。
すでに首都高の範囲からは外れて、地方の高速を走っている。
高速上でも結構スピードを出していたが、警察のお世話になっていないのは、土方の運転の要領の良さだろう。
もちろん高速上でもオービスだけではなく、覆面パトカーが定期的に警戒しているようだが、スピードガンで計っているわけでもないし、結構スピード違反を計測するのは難しいらしい。
一般的な手段は、速度違反になるスピード出してその違反車と併走することで検挙するという方法だ。
しかし、その方法だとかなりスピードを出している逃走車を追っかけるように並ぶ為、警察車両も妙に馬力のある特別仕様車に乗っているため、車を見るだけで大体わかるのだと土方は言う。
警察は滅多に単独行動はしないので、中年男性が運転席と助手席に二人きりで乗っていてしかもスーツなんて着ていればまず間違いないらしい。
そんな程度の話はしたのだが、ほかのその間の二人の会話は弾むような弾まないような…そもそも土方と銀時の共通点って年齢が近いのと性別が男であること以外ほとんどないのだから。
それでも強引な土方に銀時は少し文句を言いながら突っ込むばかりだったのかもしれない。
まだ着かないのかな…一体どこまで連れて行くつもりだ?と思い始めた時、やっと車が止まった。
「休憩?」
そう銀時が訪ねたのは、止まった場所がサービスエリアだったからだ。
今まで休憩取らなかったのがおかしいというくらいだったが、というか一時間に一度程度は休憩取らないと運転手の身体に悪いんじゃなかったかと思っていたから、普通なことを言ったつもりだった。
駐車場へと降りると、身体が少し軋んでいたことを確認する。
やはり座り心地が良いとはいえ、何時間も同じ体制でいることに多少の疲労があるらしい。
おっさんじみているなと我ながらに少し思ったが、ちょっと伸びをする。
それにしても随分と大きいサービスエリアのようで、ざっと見渡す限りパズルのピースのように敷き詰めた車が勢ぞろいしている。
軽自動車や小型車よりワンボックスカーやバスが多いのもサービスエリアならではだろう。
休憩所近くにちょうど停められてラッキーと思った方がいい。
「行くぞ」
ん?何でサービスエリアまで土方にくっついていかなきゃいけないんだと思ったが、そう当たり前に言われたのでついていく。
「なんか、混んでるな…」
土方が進んでいった先は、土産や食事処がある休憩所方面ではなく、もっと奥の小さい公園だった。
子供が多少なりとも遊べるようにと比較的最近に作られたサービスエリアではよく見かける仕様だ。
そこにいたのは単純に子供や保護者だけではなかったので、銀時は謎がる。
「お前…運転中、外の風景見てなかったのか?」
そう土方が言ったとたん、少し高台の開けた場所へと出たので、銀時は空を見上げた。
「うわあ」
思わず声を上げてしまうほど見事な七色の虹が視界へと開けた。
確かに少し遠いが、それでも長々とした全貌が見渡せるので、絶景だ。
都心は雨など降っていなかったが、こちらは山に近いから朝方に雨が降ったのだろうか。
そうしてできた晴れ渡った空へと浮かぶ虹は空気が澄んでいて、とても綺麗だ。
「俺、虹なんて本当に久しぶりに見たよ」
目を見開きながらも銀時は言う。
「俺もだ。都心でも見たこともあるが、空があんまり綺麗じゃねえからな」
そうこうしていると先ほどより人がたくさん集まってくる。
みんな、考えることは同じようで、見渡せるポイントを探して来たようだ。
最初は子供の遊び場の延長と言うことで、親子連れを多く見かけたのだが、そのうち若いカップルや夫婦が周囲に増えたことを感じて、少し銀時は気恥ずかしくなる。
「ひ、土方。タバコ吸ってくんだろ?喫煙所行こうぜ」
必要以上に早口でそう言った銀時は、土方の裾を引っ張る。
「ああ…そうだな。もういいのか?」
「うん、ありがとな。俺、ちょっとトイレ寄ってくるから」
途中まで並んで歩いたのだが、喫煙所まで行くとちょっと小走りをしてトイレへと向かった。
別にそんなに立ち寄りたかったわけではなかったのだが、これからまた移動だからと自分に言い訳をして、一番の目的の気恥ずかしさを飛ばした。
所用を終えて喫煙所へ向かうと、もう土方の一本目は短くなっていた。
さすがヘビースモーカー…吸うのも早いらしい。
銀時の姿を見つけた土方は、途中でタバコを灰皿で消した。
「少し、中を見て行くか?」
そう言って視線を出店の方へと土方は向けた。
「え?いいのか」
驚いて伺うように銀時は訪ねる。
ちょっとというかかなり見たかったが、まだ目的地にも着いていないし急ぐのかと思ったのだ。
それに土方が土産物や出店のテイクアウトに興味があるようにあまり思えない。
「さっきから、ちらちら見てんだから、気になんだろ?別に急いでねぇから、見たいならかまわねぇ」
喫煙所へ行く途中に立ち並んだ出店にきらきらと目を輝かせていた銀時を土方が見過ごすわけがなかった。
「ホントか?んじゃ、ソッコーで見て回るから、土方も一緒に見ようぜ」
「あ?俺は買うもんなんて、ねーぞ」
「わかってるって。最近のサービスエリアは簡単な観光地なんだから、休憩するだけじゃないんだよ。少し一緒に見ようぜ」
そう言われて、さっきまで全く興味なかったが、改めて土方はサービスエリアの建物を見上げた。
ここで車を止めたのはただ虹が出ていたから、比較的大きいサービスエリアにした方がいいという判断だけではあったが、確かに相当立派な建物である。
都心から随分と離れたので田舎のレッテルを張られてもおかしくないというのに、最近造られたと見られる西洋的で広々とした佇まいだ。
いくつか立ち並ぶ建物には、有名なコーヒーチェーンが丸ごと入っていたり、しまいには外れに日帰り温泉なんてものまで見受けられる。
建物の外にはいくつかのテントが張られてあり、出店のごとく食べ物屋が出ていたり、地元の特産野菜が売られている。
変わった車が近くにあるなと思ったら、それは車体ごと加工されている、たこ焼きやだったりクレープ屋だったりだ。
銀時が、出店の中で地元名物と謳われている甘味を眺めていたので、買ってやった。
土方の知らない甘味ではあったが、まずくはなかったようだし、銀時が喜んでいるようだから、まあいい。
建物の中に入るとそこは予想より天井の高い空間になっていた。
確かに銀時の言うとおり、昔からのサービスエリアの古くさいイメージは払拭され、どこぞのショッピングモールのような内装になっている。
大型和食や洋食レストランを併設して、フードコートのように小さな店舗がいくつも並んでいる。
広々としたテーブルとイスが無数に並んでいるので、皆そこで食べたりしていた。
一番混み合っているのはやはり土産物売場だったが、地域色を出しながらも近隣周辺の都道府県の土産も取り扱っているので、そこへ行っていなくても名物は見れるし確かに少し行ったような気にもなって、ぶらぶらと見た。
目的地に着く前に土産を見るという衝動に耐えている銀時の姿は見ていて飽きない。
やはり甘い物には目がないようで、ほぼお菓子で占められている土産物コーナーは毒なようだ。
「何か、買うか?」
「うーん。とりあえず、ここはいいよ。だけど、コンビニ寄ってくれない?飲み物買うから」
そう言うと断腸の思いも含んだ様子で無理矢理、銀時は土産物コーナーを離れた。
コンビニと行っても、一般道へ降りたのではなく、こちらもきちんとサービスエリアに付属している。
普通のコンビニとは違い、サービスエリア用に商品のラインナップを変えているところが、銀時の働いているコンビニと一緒というところだろうか。
最近よく見かけるようになった道の駅コンビニの高速版という感じなので、基本は中も変わらないようだった。
「何してんだ?」
飲み物を買うと行った割に、銀時が張り付いているのは総菜パンや菓子パンの並ぶコーナーだった。
うーんとか悩むように小さく声を出して、凝視している。
「ここ、うちのコンビニと系列違うから新商品チェックしてんの。パンのラインナップはこっちの店の方が力入れてるから充実してるし」
と言いながらも次は後ろの紙パックコーナーを見ている姿はとても楽しそうだ。
ようやく何を選ぶのかと土方がそちらをのぞき込むと、銀時は素早く紙パックがのっかている白い台座の前で手を広げて、両端のスイッチを同時に押した。
ガコンッと小さくだが、何かが外れる音がする。
「おい…」
何…ケースを壊しているんだと土方が言おうとしたところ、紙パックの乗った白い台座がゆっくりと前に動いた。
どうやら銀時が引き出しているようだ。
なるほど、こういう仕組みになっていたのか。
そして、所々取られた紙パックの配置を直すべく、手前に陳列し始めた。
「あー、ごめん。どうも俺…取り出しにくくなってるの気になってさ」
そういいながらも銀時は、無心で紙パックを動かしている。
店員は人数が少ないようで、レジの隅でおでんの機械を洗っていて、そんな客がいるとは微塵も思っていないようだ。
一通りそろえると、いちご牛乳かないことに悔しがりながらも、近くにあったバナナオレを取って銀時は会計に向かった。
土方も、適当な缶コーヒーを選んで買った。
一回りしてようやく車へと戻ってきて、乗り込む。
サービスエリアが一番渋滞しているんじゃないかと思うくらい、本道へ出るのが大変だった。
またしばらく高速運転だ。
「あ、もしかして飲食禁止じゃないよな?」
普通にバナナオレのストローをくわえた銀時だったが、綺麗すぎる車内を見渡して確認する。
「別に…飲み物くらい構わねぇ」
そう言いながら、ハンドル片手に土方も缶コーヒーを口にする。
「はー良かった。車好きなダチがいてよ。そいつの車は土足禁止だったから、助手席でスリッパとか履いてたんだぜ」
思い出して笑いながらも少しげんなりする。
「そういえば、さっきのは職業病か何かか?」
さっきとは、銀時が紙パックの陳列をなおしていたことだろう。
これが噂の職業病かと、銀時のような仕事でもやっぱりあるんだなと土方は感心する。
下手に馴染みある仕事をしていると、日常に接する機会も相当多いだろう。
「んーまあ、そんなもんかな。賞味期限が古いのが奥にあったりするの見るとイラッとするし。土方君も色々あるでしょ、職業病」
自分なんかより、よっぽど土方の方が面倒な癖の一つや二つもってそうなので、逆に気になって訪ねた。
「そう言われても…そんな簡単には思いつかねぇな。色々と役立つことはあるが」
自分では気が付かないが、いつの間にか身についているのが職業病という奴だと土方は思っている。
自分の周りも警察関係者ばかりだし、それが当たり前すぎて、深く考えたことなんてなかったかもしれない。
「それ、ただの職権乱用じゃない?」
今日の朝の捕まらないような交通情報然り、確かに国家権力って恐ろしいなと思いつつ、銀時は言う。
「そうは言うけどな。結構めんどうくせぇ職業なんだからな。それくらいの特典は当たり前だろ。言うの忘れてたが、もし今携帯に仕事の電話かかってきたら、職場にとんぼ返りしなきゃいけないんだぞ」
「うげっ、マジ?せっかく、こんな遠くまで来たのに呼び戻されたりすんのか」
帰るだけで何時間かかるんだよ…と時間を逆算する。
「そうならねぇように、仕事は大体片づけて来たが、突発的な事態の方が多いからな」
「ふーん、そうなんだ。てか、土方君が警察関係者だっつーことは知ってるけど、どんな仕事してんの?」
交通課ではないとは聞いたことがあるが、だからと言って銀時は土方の仕事をしている姿を見たことがなかった。
というか、職場一緒と言ってもせいぜい同じビルに入っているというだけだから、基本はコンビニの外とかあんまり出ないし。
「服務規程で、あんまりべらべらしゃべることは禁止されてる」
「少しぐらい、いいじゃん。ね、教えて?」
じらされると余計に気になって、銀時は両手を合わせてお願いのポーズをした。
「そうだな…身内には言っていいことになっているから、教えてやる」
そうやってにやりと一瞬いやな笑みを浮かべて、スーツの内ポケットを探った。
「えー身内じゃねぇし。今もこれからも」
なんか前々から何度かそんなことを言われているような来もするので、きちんと否定しておく。
一体…土方の頭の中で自分はどういう存在なのかと銀時は謎がる。
不思議がっていても、結局土方自身はそうマジで思っているのだろうから悲しいところだが。
「遠慮すんな」
「遠慮なんて全くしてねーよ。つか、何?名刺でもくれんの??」
つっこみながらも、土方が内ポケットから名刺サイズの物を取り出したのを見る。
まいったことに銀時は名刺なんて代物は持ってないから、少し困る。
「名刺は、普段あんまり持ち歩いてねぇんだよ」
「へーそうなんだ。刑事ドラマではよく見かけるけど」
毎日、昼間やら夜やらよくやっているサスペンスをそれほど見るわけではないが、定番なのでそれくらいは覚えていた。
「犯罪に悪用されることがあるから、そこらの営業みたいにばらまく習慣はねぇんだよ。それに名刺も名前と最低限の情報しか書いてないしな。ほらっ、これでわかるだろ」
そう言って、ぽんっと銀時に投げてよこしたのは名刺ではなく黒革の警察手帳だった。
土方の仏頂面をした写真と金の刻印。そして本名やら所属やら役職やらがシンプルに書かれている。
「警視庁…武装課?何すんのここ」
そう書かれていてもやはり銀時に馴染みはなかった。
ドラマによく出てくるのは言わずと知れた刑事課だし、自分がお世話になりえるのは交通課ぐらいだ。
そんなに詳しい知識を持ち得るわけがない。
「まあ、簡単に言うとテロ対策本部だ。たまにテレビで耳にするだろ」
「へぇ。随分と物騒な」
「最近はサイバーテロだの生物テロだの横行しているから、インパクト狙いな爆発物とかは少ねぇぞ」
「でも一応、だから突発的なことが多いわけね」
納得納得と銀時はうんうん頭を縦に振る。
「テロを起こさないことを前提にしているから、そっちの仕事は片づけてきたが、突然事件でも起きない限りは心配ねー。ただ予想できないのが難だがな」
自分が忙しくなるような事態がないことが一番良いことだと、土方は語る。
「なんか結構、束縛されてるんだな。いいのか?今日、俺なんかと出掛けてて」
「休みが全くないほど鬼な職場でもねぇよ。建前上は、公務員だしな。所属管轄からある程度離れる時には申請書出す程度だ」
「なにそれ。もしかして今日も出したの?」
随分と都心から離れてしまったが、まさかと思って訪ねる。
「まあな」
「あんまり遠出するのヤバいんじゃね?」
「もうすぐ着く。そこのインターで降りるぞ」
ちょうどタイミングが良かったようで、次のインターまで一キロという緑色の看板が見える。
ウィンカーを出して追い越し車線を離脱すると、そのまま側道へと入っていく。
料金所もETCでさっさと抜けると、広がるのは山と田園風景だ。
冬という季節的に稲と言うよりは麦だろうが。
地名はきちんと見たが、銀時にはさっぱり馴染みのないという知らない場所であった。
まだ東北までは突入していないだろうが、ギリギリ関東の地方都市の地名まで把握しているほど、記憶力が良い方ではない。
「なあ、もうすぐ着くんだろ?結構色々考えたけど、やっぱりどこに行くかわかんなかったんだけど。本当に、俺ここに来たいって言ったの?」
「まあ、直接的に言ったわけじゃねぇな確かに」
そう言って、狭く細い道へと車は向かっていった。
結局一度も地図を見なかった土方だったが、迷わずに目的地に着いたらしい。
砂利の敷かれた駐車場を見つけると、停車する。
「降りろ。少し歩くぞ」
言われて降りると、外は結構風があった。
さすがに山から降りてくる北風が寒く感じる。
砂利道を五分程度歩くと、開けた空間へと出た。
そこは意外と田舎なだけではなく、農産物直売所とか食堂を併設した結構大きな場所だった。
近くの駐車場はにぎわっており、子供がソフトクリーム片手に歩いたりもして、完全に地元の人の憩いの場と化している。
え…まさかここなのかと思いつつも、銀時は土方の後ろを歩いていく。
土方は大型食堂に見向きもせずに、すたすたと横を抜けて奥へといった。
「着いたぞ」
突然立ち止まった土方の目の前に、描かれた看板には『いちご』の文字がでかでかと書かれていた。

うざい奴って、自分の都合のいいようにマイペースだよね。









突然というわけでもないのだが、銀時はいちご牛乳が好きであった。
元々大の甘党で血糖値はいつも健康診断に引っかかり、軽い糖尿病まで併発している自覚アリ。
それでも簡単に甘いものを絶つことが出来るほど、信念の弱い人間でもないという言い訳が我ながらも酷いもんだ。
大体、いちご牛乳があんなにも美味なのがいけないという勝手な気持ちもある。
そうだ。いちご牛乳は、本当に素晴らしい嗜好品だ。
最近は、果肉入り高級嗜好のいちご牛乳もあったが、無駄に値段の高いそれより、500mlの紙パックで100円程度というリーズナブルに溢れたものの方が銀時は好きであった。
値段的意地もあるが、なによりあの味が気に入っている。
単純にいちご+牛乳というカテゴリには収まりきれない、独特の味は、純粋ないちごから離れて甘ったるくて子供や女子の飲み物と世間から言われることもあり、銀時のような年齢の成人男性が飲んでいると多少の好奇の目まで向けられることさえあった。
それを差し置いても、飲み続けるほど好いているのである。
そうしたこともあり、あえて好きな果物と言えば、いちごだと言うことにさしたる抵抗もなかった。
そのまま食べても普通に美味しいだろ。
だから、あの、風邪をひいた日。
土方に食べたい食べ物を聞かれた際、自然にいちごが出てくるのも仕方なかった。
だが、まさか……「いちご狩り」に連れて来られるとは連想していなかった。
え、何?まさかこれデートって奴ですかと、今更現実に戻る。
遊園地やら映画館やらと定番コースよりはマシなのかもしれないけど、意外性は抜群だ。
少なくとも銀時の選択肢には一生入ってこないかもしれないほど。
そう言われてみれば、この県は有名ないちごの品種をプッシュする広告を見たことがあるかも知れない。
そこまで強烈なこだわりを持っているというわけではないので、おぼろげだが。
眼前の山間を縫うように一面に広がるのは、白く透明なビニールハウス。
太陽に照らされて光っているので中の様子までよく見えるわけではないが、これだけ立派な看板が立っているのだから、文字通りいちごのビニールハウスなのであろう。
かなり大々的に展開しているらしく、ざっと見渡しても人間が簡単に入れる大型のビニールハウスが10近くはある。
「いちご狩り…したことあるか?」
いつの間にやら圧倒されて立ち止まっていた銀時に気がついた土方は、何気なく訪ねる。
若干失念していたが、いちごの好きな銀時がいちご狩りをしている可能性がないというわけではなかった。
「いや…ないけど。えーと、そういえばりんご狩りはしたことあるかも、ガキの頃に」
地方の果物名産地へと足を運べば、その地域の果物狩りの看板を見ないと言うわけではなかったが、いかんせん値段との折り合いがつかないことが多かった。
りんご狩りはたまたまという感じで一度やった記憶があるが、昔すぎてあまり覚えていない。
一応、りんごの名産地だったような。ただの便乗だったような。
ただ、銀時はそれほどりんごが好きというわけではない。
美味しいとは思うが、あれは甘いというよりは程良い酸味を押している品種が多いし、特に子供の頃の味覚はもっと素直だった気がする。
極端な話をすれば、好きか嫌いかの二局だ。
それに、りんご狩りといったら丸ごと食べるということで、一つ目は美味しく感じても二個三個と続けて食べられるような可愛いものではない。
結局、一番楽しかったのは、手でぐるぐると回すとりんごの皮が剥けていく機械を操作することだった気がする。
銀時がいちご狩りをしたことがないとわかった土方は、さっさと総合受付へと向かった。
ここで受付の美人なお姉さんを望むのは困難なことで、ほっかむりと割烹着に似た白い服に身を包んだ老年の女性が対応してくれる。
「いらっしゃい」
「大人二人で」
「あらっ、男性のお客さんとは珍しいね。今、ハウスへ案内するよ」
にこやかに笑みを見せた老年の女性は、簡易的なプレハブハウスの受付を出て、土方と銀時を手招きする。
いくつかのビニールハウスの横を通り過ぎると、老年の女性は奥のハウスを示した。
「制限時間は一時間。帰る時はまた受付に声をかけにおいで」
突然のことであったが、テンションは上がって行く。
そう言われて、銀時は携帯で時間を軽く確認して、ハウス入り口のアルコール消毒液で手を洗った。
こうなったらせっかくの機会なのだから、楽しむしかない。
「土方。時間ないんだから早くいこうぜ」
誘った割に、もたもたしている土方に声をかける。
こうしている間にも刻一刻と時間は差し迫っているのだ。
それが時間制限の悪いところでもあり、燃える要素ということでもある。
焦って足踏みする気持ちを抑えながらも、ようやく土方を引っ張ってハウスの中へと踏み入る。
「結構、暑いな」
もわあとした独特な空気に包まれて、思わず土方はそう言った。
ちなみに土方も、いちご狩りは初めてだ。
こんな機会もなかったら、一生足を踏み入れることもなかったかもしれないほど、自分には不釣り合いだともわかっている。
それほど厚着をしているといわけではないのだが、外の冷たい空気とはずいぶん違うので、驚く。
ビニールハウスでの栽培ということで、人工的な暖かさもあったが、天気がよいので照りつける太陽の光までよく吸収しており、見事な相乗効果になっていた。
ハウスの中は、外から見るより広く感じた。
天井が結構高く膨らみのある構造になっているので、銀時や土方が闊歩しても問題はない。
二人が入ると、ちらほらと先客の顔が見えた。
親子連れやらカップルやら定番の客の中で、確かに受付の老年の女性が言うとおり男二人という組み合わせはなかなか異質なのかもしれない。
しかし他の客も時間制限に気をとられていて、別段こちらを気にする余裕がないのは良いことなのかもしれない。
「さあー食うぞ」
きゃっきゃと叫びながら気合いを入れて、銀時は軽く腕まくりした。
目下に視線を移せば、三列横隊よろしくいちごの畑が並んでいる。
いちごは自分でも買って食べるから、はもう少し先だとしっている。
しかし、いちご狩りという話ならば話は別である。
なんといっても早いもの勝ちなのである。
いくつかハウスを分けているので、ある程度はうまく管理しているとは思うが、基本は崩れない。
それを物語るように、入口近くのいちごは既に食い荒らされていた。
きらりと奥へ奥へと目を光らせて、すたすたと先へ進む。
そこには確かに、まだ少し白いままで熟していないが実もあったが、無垢なままで黒いビニールの上に転がっている形の良いいちごもたくさんあった。
ようやくベストスポットを見つけると、銀時はしゃがみこむ。
手を伸ばして、苗からいちごの果実を切り離す。
意外としっかり根付いているので、指先に力を入れてぷちりっと外した。
少しとげとげとしたさわり心地は新鮮な証拠で、赤く熟れたいちごを銀時は口に放り込んだ。
「うん。おいしいな」
もぎたて新鮮な少しの酸味と程良い甘さが口の中に広がる。
場所的に少しぬるいのが気になったが、そこまで生暖かいわけではない。
一つ口に入れると連鎖的に次を求める。
眼前には赤いいちごが一面にあるのだから。
もう一つ、もう一つ、と次々に手が伸びていく。
軽く十個以上は食べたが、まだまだ食べられる。余裕だ。
ぱくぱくと、このエリアのめぼしいいちごは食べつくしてしまった感があるので、銀時は目を輝かせて次のエリアを狙う。
「もっと食べるか?」
目に見える範囲を食べ尽くすと、後方から声がかかる。
銀時が声の方を振り向くと、そこには山盛りのいちごを木製の編み込み籠入れた土方が立っていた。
「ど、どうしたんだ?」
はっきり言ってその土方の姿は不釣り合いで、ちょっと苦笑しながらも銀時は訪ねた。
「やる」
端的に土方はそういうと、ずいっと籠を銀時の目の前に押しつけた。
反射的に銀時は籠を受け取る形になる。
「これ、食べてもいいのか?」
「ああ。俺はそんなに大量に食べられないからな」
どうやら土方は、銀時がせっせと目下のいちごに構っている最中、どこからか籠を見つけてつみとっていたようだ。
うわあ…その姿も似合わないなと銀時は思った。
可憐な少女あたりがそれをするなら微笑ましく思えるだろうが、土方はその基準からかなり外れている。
籠片手のその姿をうっかり目撃したら、もしかしたら笑っていたかもしれない。
しかし、意外にも籠にはかなり量があるのだが、彼は食べたのだろうかと銀時は謎に思う。
と、そこでようやく気がつく。
周囲のカップルやら家族連れやらは仲良く固まって食べ合いっこ?のようにしているのに、自分と来たら制限時間という束縛が一番に頭にあって、土方を放って一人夢中だった。
これはまずいのではないだろうかと、銀時の背中を流れるのは冷汗。
「土方が採って来たんだから、せめて一緒に食べようぜ」
「そうか…食べさせてくれるのか?」
「そ、そんなことまで言ってねぇよ!」
な、なにを言っているのだろうか、またこの男は。
人が折角しんなりしたというのに、調子に乗って…と少し顔を赤らめた。
照れを隠すように、土方から籠を奪い、中のいちごをがつがつと食べる。
「よくそんなに食べられるな…」
「うーん…確かにおいしいんだけど、ちょっと飽きて来たかも」
変な意味で感心をする土方に多少の苦言をこぼす。
いちごは好きであるが、そればっかりというのはやはり味の変化が全くないし、ちゃんぽんでもしない限り満足感は得られなかった。
だからといって、いちごを調理できるような空間でもない。
「さっき外で練乳買って来たんだが、使うか?」
そう言う土方の手に握られていたのは、牛さんマークの紛れもない練乳チューブであった。
「ナイス!土方」
まさしく求めていたものを見つけたように、半分口笛を吹いて銀時は感動した。
普段いちごを食べるとき、素材の味を生かしてという言い訳をしてそのまま食べるばかりだが、出来ればマネーに力を言わせて練乳まみれで食べてみたいと思っていたのだ。
喜々として練乳チューブを受け取った銀時は、詰み立て大降りのいちごに、まるでソフトクリームをつくるがごとくたくさんかけた。
「おい…かけすぎじゃねぇか?」
噛みきるなんて無粋な真似はせず、口いっぱいにいちごを頬張る銀時を微笑ましく思いながらも、一応忠告しておく。
これでは、いちごの味自体が消失してしまうのではないというほどだ。
「いいじゃん。最初だけだって…ね?」
伺うように銀時はそういいながらも、やはり二つ目にも大量の練乳をかけていた。満足だ。
「そんなにうまいものなのか?」
練乳なんて甘ったるそうな物…今まで口にした記憶がないので、不思議と土方は聞いてみた。
「もちろんっ」
盛大にそういいながらも、またしても同じように銀時は練乳を盛りだくさんにしようとするが、しかし。
「あ、」
気泡か何かが入っていたらしく、思わず勢いよく練乳が飛び出た。
それは、銀時の頬にまで飛び散る。
「ついてるぞ…」
いつの間にか近寄って来た土方が利き手の人差し指を伸ばしてきて、銀時の頬をぬぐった。
まだ液体な練乳は頬から指へと移り変わり、土方はぬぐった練乳をぺろりっと舐めた。
「あ…」
ちらりと垣間見えた土方の舌に、銀時は先日の口移しをぞくり…と思い出してしまう。
自然に熱くなる頬が赤くなっていないか心配なほど土方の顔がこちらへと近付いて来た。
あ、何だろう…空気に流されてしまう………
そう、ぼうっと思いながらも瞼を閉じようとした瞬間だった。
「ママーあと10分しか時間ないよ。急いで急いで!」
横から飛び込んでくるあどけない子供の声で、はっと現実へと空間が切り替わる。
そうだった。家族連れやらカップルがたくさんいるんだった。と気が付き、銀時は目を見開いて迫ってくる土方の胸を押し返す。
「…っ………おい………」
さすがに不意打ちだったらしくぐらりと体制を崩した土方は、後ろへ倒れるが、さすが受け身は抜群で、しかも周囲のいちごの苗もつぶしてはいない。
しかし不自然は明らかに隠し切れていない様子だった。
「ご、ごめんっ………俺、ちょっとトイレ行ってくるから」
そう言い残して、脱兎のごとく一目散に銀時は逃げ出した。
危ない…本当に危なかった。
自分は空気読める人間だったし、年齢なりにTPOも弁えていたはずだ。
それなのに…これ以上先を考えることさえ危険を感じた。
適当な方向といっても、駐車場以外の方向は山山山なので仕方なく駐車場の方へと走ると農産物直売所とか食堂を併設した土産物屋の外に工事現場とかでよく見かける簡易トイレを見つけたので、有無を言わさず入る。
こんな狭い空間にでもいない限り、心が休まらないというのはどういうことだろうか。
決して綺麗とは言えない場所で、銀時はしばし目をつぶって、心を落ち着けさせることを優先させた。
こういう時こそ、いつもの馬鹿な出来事でも思い出したかったのだが、脳がそれを拒否しているのも厄介だ。
もやもやと嫌なことばかり考えてしまって仕方がない。
うーだ、あーだ、と変な声まで出てきたところで、ドンドンドンっとノックとは違い、扉が叩かれた。
「すみませーん。まだですかー?」
扉の向こうから聞こえてくるのは、甲高い少年の声だ。
この場に一つしかない簡易トイレなのだが、用もない銀時が占領していれば当然の結果だった。
子供相手に申し訳なさそうに出る羽目となる。
そうして銀時は仮初めの逃げ場も失った。
これ以上逃げると言っても、ここ何県かもよくわかんないし車も土方のだし、手元に残るカードがあるはずもなかった。
しぶしぶとかなり重い足取りで半分足を引きずるように、先ほどいたハウスへの道を辿る。
あー嫌だなーともしかしたら口に出して言っていたかもしれない。
本当に嫌なのは自分自身なのだが、それを認めもしないままに。
「お兄さん、危ないよ!」
銀時を現実に引き戻したのは横から突然かかった、その声だった。
ただならぬ声に驚いて、声の方向へと振り向くと、先ほど受付と案内をしてくれた老年の女性が、年季の入った古びた銀色のバケツを片手に立っていた。
その形相は、穏やかとはまるで対極の険しいものだった。
老年の女性は一瞬だけ銀時の方を見たが、直ぐに視線を離して、新なる方向へと向けた。
その様子に銀時もつられて、そちらへと顔を向ける。
それは、大きなビニールハウスの裏手であった。
抜けるような青い空と太陽へと向かう空へ僅かに立ちこめるのは、細い灰色かかった白い煙。
銀時は、絶え間ないその様子を見て、火の手…あれは、ぼやだと確信した。
「ばあさん。借りるぜっ」
次の瞬間、銀時は半分ひったくる形を取るように老年の女性から鈍色のバケツを奪った。
八分目くらいまでたっぷりと水の浸ったバケツはかなり重たい。
これを老年の女性が手早く運ぶのは相当大変だと感じるほどだ。
銀時も、急ぎつつも水を零さないように、足早に火元へと向かった。
「おりゃっ!」
ビニールハウスの角をカーブするように左足を思い切り出したところで、勢いよくバケツを両手で持ち上げて煙の方向へ水をぶちまけた。
「お兄さん、大丈夫かい!?」
後から追って来たと思われる老年の女性が、慌てつつも心配そうに声をかけた。
「ヘーキ。ヘーキ」
後ろを向いて、軽く右手をぴらぴらと振りながら、自慢そうにそういう銀時だった。
なぜか、真正面に立っている老年の女性の顔色が冴えない。
何とも言い表せない、とても不思議な表情をしている。
もしかして、完全に消し止められなかったのだろうか…と半信半疑な気持ちを心に、銀時は後ろを振り返った。
「ひ、土方!?」
なんと、そこにいたのは土方だった。
もちろん盛大に銀時が水をぶっかけたのでびしょぬれで、煙草を口にくわえながら呆然と立っていた。
これは…もしかしなくても、あれだよね。
煙草の煙と火事を間違えたって奴?
いくら老年の女性の早とちりに便乗してしまった形とはいえ、実際に水をかけたのは紛れもない銀時であるからしてフォローのしようがなく、こちらも固まりたくなる。
「あれ、まあ…ごめんなさいね。私、てっきり火事でもおきたのかと思っちゃって…」
完全に出遅れてしまった。
いつの間にか土方に近寄って来た老年の女性が先にそう言ってしまい、銀時はあーとかうーとか微妙なうめき声しか出せなかった。
「あぁ…まあ、俺もこんなところで煙草を吸っていたわけだし…」
事態の飲みこめなかった土方は、ようやく把握をして歯切れ悪くそう返した。
そのへんのチンピラ相手だったらもっと声を荒げて怒っただろうが、相手が自分の何倍も年数を重ねていると思われる老年の女性では、強く出れる筈もない。
「本当にごめんなさいね。着替えとか、ないわよねぇ…………そうだわ。あそこの建物見えるかしら?」
突然ひらめいたかのようにぽんっと手を叩いた後、後ろの建物を指差した。
「あ、ああ…」
確かに言うとおり、何だかわからないがこんな田舎にはやたら大きい駐車場を備えた建物が見えた。
「あそこは、村営の日帰り温泉なのよ。乾燥機もあるし、行って来なさいな」
そう決めつけるように言った老年の女性は、悪気を感じたのかポケットから村民特待の無料入浴券を土方に押しつけるように、手渡した。
そうして、老年の女性がちょっと受付にまで戻って、いくつかの手ぬぐいを土方に渡すまで、結局銀時は何かを言うことさえ出来なかった。
ごめんね…と何度も繰り返し節介を焼いてくれる老年の女性に何度もなく大丈夫と告げた土方によって、ようやく二人きりという状況になった。
ようやく荷が下りたと言う感じで、土方はひときしり肩をすくめて、ため息までプラスする。
一度びしょぬれになった土方であったが、幸い来ている服が黒や灰色っぽかったため、よくよくみなければ外見から濡れているように見られなかったことだけが幸いだろうか。
辛うじてタオルで髪を拭くと、いつもより鬱陶しく感じられた前髪を軽く後ろへなでつけた。
整髪料なしでも、問題がないのは嬉しいような悲しいような。
若干瞳孔の開いた目から少しヤのつく職業に近づいた感じでもあったが、本人はそこまで気にしていないようだ。
「行くぞ」
何も出来なくて何も言えなくて少しうつむき加減だった銀時に、土方は眉間にしわを寄せながら声をかける。
「え?」
どこに?と口の中だけで声を出したのがわかったらしく、土方は言葉を続ける。
「日帰り温泉にだ。今、何月だと思ってんだ?このままじゃ風邪ひくに決まってるだろ」
大丈夫という言葉は老年の女性に対する強がりで、もちろん12月も中旬になって水をかぶれば寒いに決まっていた。
それに暖房が聞く車に駆け込んだとしても、タオルでぬぐいきれなかった水分に限界があるので、シートが悲惨な目にあうに違いない。
「あ…土方くん一人で行ってきなよ。俺、待ってるからさ」
罰が悪くてつい、いじけるような声を銀時は出してしまう。
だって、だって…何もかもが無理すぎる。
「何、言ってんだ。ほらっ」
冷たい左手で銀時の手を掴み、右手でピッと二枚の紙を見せた。
それは、先ほど老年の女性が土方に渡した村民特待の無料入浴券だった。
二枚あるのは、老年の女性が銀時もいるからと気をつかってくれた証拠であろう。
それでも、純粋に誘ってくれたことが、銀時は嬉しかった。
今更本人を目の前にしては言えなかったけど、小さくありがとうと口の中だけで言う勇気だけは持てた。

もしかして…うざいとおせっかいは紙一重なのだろうか?





う ざ い 彼 氏 は 好 き で す か ?