attention!
リオセスリの前に突然ヌヴィレットの子どもだと名乗る少年が現れて、ああ……失恋したなって思いながらも大人の対応しようとする話。
3/17 春コミ 神の叡智15で無料配布した内容と同一となります。








最初に感じたのは、澄み渡る水の芳香。どこかで……かぐわった事のある香りなのに、なぜかとても馴染み深くもあった。

メロピデ要塞に居を構えるリオセスリの私室。日々の寝食を遂行する自身のベッドの上で、リオセスリはいつものように目覚めた。寝起きはそんなに悪い方ではないので普段だったら明瞭に意識が冴え渡るのだが、どうしてかこの時は多少のまどろみがあった。うすらぼんやりとした眼のまま多少の寝返りを打とうとした瞬間、それに気が付く。同じベッドに自分以外の誰かが居るという事に。元々が監獄な為、管理者の私室は禁域に次ぐ堅牢さだ。そんな場所に、家主の意図しない者が立ち入る事など想定していなかった。しかし今現実のものとして、少し温かいシーツの塊の中に誰かが居る。迅速な解明が必要であった。リオセスリは、咄嗟としての反射でシーツを軽くめくり上げる。
僅かな風と共に、問題の相手の顔が覗かれる―――
「……ん」
状況的にそこに居たのが誰であろうと驚くとは思ったが、寝ぼけ眼で声を出した人物に頭の片隅でリオセスリは心当たりがあって、多少の混乱を期した。
見事な長い銀髪に、時々印象的な蒼が混じる地髪。顔立ちは、美の結晶と表現しても過分でないほどの端正な眉目秀麗。これほどの外見的特徴を持つ人物に心当りは、ただ一人しかいないだろう。言わずと知れた、この国の最高審判官であるヌヴィレットを彷彿とさせる顔が横にあったのだ。
一瞬リオセスリが固まってしまった理由は、ヌヴィレットの事を好意を抱く相手と認識しているからであった。もちろん誰にも話した事もないし、素振りを見せた事さえない。特に当人には、そのような事は気取られないように細心の注意を払っている。このような想いは自覚をしてしまった瞬間に、一瞬で無理だと悟るくらいの潔さがありすぎる相手である。だからこそ、まさか知らぬ間に本懐を遂げてしまったのかと、動揺を隠せなくあった。
「……おはよう」
ぱちりとその幻想幻覚が印象的なまつ毛を伴い瞳を開けて、挨拶をしてきた。そうして、気が付く―――
「あんた、誰だ? ヌヴィレットさんじゃないな」
一瞬で悟り、腹の奥から警戒心の強い声をリオセスリは発した。大半がシーツに隠れて認識出来なかったが、相手が身動きして姿を見せ瞬間に隠しきれない違和感が現実となった。確かにはたから見ればその見目は、ヌヴィレットと酷似していたものの決定的な違いはその体格にあった。どう見ても子どもである。リオセスリは、そこまで子どもの年齢に詳しくはないものの、よくよく観察すればその身長や大きさはメリュジーヌと大差ないくらいであった。多少のイレギュラーがあったとしても、この少年をヌヴィレットと認識するのは無理がある。
「なぜ、私をヌヴィレットと呼んだ?」
「そりゃあ、あんたがヌヴィレットさんに似ているからだ」
「? どうやら……認識の齟齬が生まれているようだ。ここは、メロピデ要塞の管理者の私室で間違いないな?」
「ああ、そうだ。どうやってあんたがここに侵入したのか、それを教えて欲しいんだがね」
「……その前に一つ確認を。リオセスリ公爵の、今の年齢を知りたい」
「俺の? そんな事に、意味があるのか?」
「いや、公爵の自称する年齢はいくつかあるな。この質問は適切ではなかった。では、改めて確認しよう。今、水神は神座に健在だろうか?」
不思議な会話の応酬となっているのに、ヌヴィレットに似た少年は真っすぐとした目でリオセスリに問いかけて来た。その様子がやはりヌヴィレットに酷似しすぎていて、何とも言えない不思議な感覚であった。確かに目の前の少年はヌヴィレットではないと頭の中で認識出来るのに、それをどこか捨てきれないとても奇妙な感覚であった。別に質問に答える義理はあっても義務はなかった。それでも、得も言われぬ強制力みたいなものがあった。
「それを答えれば、あんたの正体を教えてくれるのかい?」
「それは公爵の回答次第だが、私の答えられる範囲で伝える事となる」
「はぁ……わかった。俺の年齢はともかく、水神フリーナ様は半年前に神座を降りた。これでいいか?」
「半年前! 本当に、間違いないか?」
「ああ、今この状況であんたに嘘をつく理由はないだろ。間違いないさ」
半年前という期間に非常に驚いた表情を隠しきれなかったヌヴィレットに似た少年は、その事実を噛み締めるかのように悩み込む仕草を入れた。フォンテーヌ民ならば誰しもが半年前の予言の危機の体現と、それに尽力したフリーナが市井に下りたことは周知の筈であった。それなのに、この少年が非常に驚愕しているということは、やはり只者ではない要素が増しただけでもあった。
「で、あんたの正体をそろそろ教えてくれるかい? 俺も、お子様相手に手荒な真似はしたくないんでね。正直に答えてくれると助かる」
「私は、ヌヴィレット最高審判官の関係者だ」
「ほぅ……まあ、それはあんたの外見から何となく予想はついた。だが、あんたがヌヴィレットさんに危害を与えない存在と確定したわけじゃあない。とりあえず、名を明かして貰えるかい?」
「それは、出来ない」
「なぜ?」
「私が、ヌヴィレット最高審判官の子どもだからだ。元よりこの名は、明かしてはならない事となっている」
凛と部屋に響くほどしっかりと、少年はその正体を明かした。それは、宣言される前から薄っすら感じていた懸念。はたから見れば極めて妥当な線ではあった。無論リオセスリは、ヌヴィレットが純粋な人ではない事を知っている。根底全てを知り得ているわけではないものの、人などというものは超越した何者かという認識。
だからそんな存在が、愛だとか恋だとか一番人間臭さが出る事象には縁がないと思っていたのだ。ましては、子どもだなんて。ヌヴィレットはフォンテーヌの歴史書に古くは五百年前から登場しているが、そのような形跡は微塵も見られなかった。だからこそ、リオセスリがヌヴィレット相手に惚れた腫れたとかいう情を持ってしまった時も、決して叶う事はない感情だと心とは裏腹に冷めた理解をしたのでもあった。それなのに今現実はどうだろうか。単純な恋愛的な感情を抜きにしたとしても、気になる相手の子ども当人から宣言をされて、信憑性が高すぎる容姿を携えられていれば、説得力が高すぎた。それでも、子ども相手に心の中を気取られるのは、リオセスリの本意ではなかった。
だから、あの人が与えてくれた公爵しての必要な対応をする仕草にすぐさま切り替える事が出来た。
「あんたの言っている事が本当か嘘か今の俺には判断出来ないが、ヌヴィレットさんの関係者だっていう事は信じよう」
「ありがとう、感謝する」
「で、どうしてこんな場所に、あんたは居るんだ?」
「詳しい事情は話せないが……私にも断片的にしか予測は出来ない。私の直前の記憶では、秘境で遊んでいた最中、何かに巻き込まれてしまったという事だ」
「秘境で遊ぶ?」
「好奇心ゆえの探索だ。しかし、その時居た同行者ともはぐれてしまった」
「その同行者っていうのが、ヌヴィレットさんなのか?」
「いいや、違う。しかし、この状況を打破するのは同行者の協力が不可欠だと思う。その為にも、ヌヴィレット最高審判官の力が必要と私は感じる」
「まあ、あんたの本当の正体がどうであれ、その外見じゃあここでは目立ちすぎる。確かにヌヴィレットさんに引き渡すのが無難だな」
よしっとこれから決まったので、リオセスリはベッドから立ち上がり軽く身支度をする。元々、要塞ではトラブルが多く管理者として熟睡安眠する習慣がない。だから、ブーツを履きいくつかの管理者としての装飾を身に着けると、そこまで準備に時間はかからないのだ。色々と考えたものの、平素ヌヴィレットの常駐するパレ・メルモニアに向かうのが一番無難だろう。時計にちらりと目をやると残念ながら深夜なので、事前に連絡するというのは不可能そうだ。しかし、人目が薄いという観点からすると、今の時間帯に移動しないと後々厄介そうだ。
足早に少年を連れて、リオセスリは私室を後にした。



◇ ◇ ◇



メロピデ要塞内の看守の配置は熟知している。リオセスリはなるべく囚人含めて、少年を伴っても死角になるルートを選んで進んだ。警備をクロックワーク・マシナリーが主に担っている道ならば、確かに厳重ではあるが、ヌヴィレット似の少年と歩いていても咎める者などいない。最後に専用ボートに乗って、外へと続く受付までやってきた。公爵が水の上に行くのは流石に顔パスであって、その隣に少年が一緒に歩いているならば審査も必要ない。長い長いリフトを起動して、ようやく水の上にやってきた。
視界に開ける輝ける夜空。天気は悪くないので、単純に広い世界が二人を歓迎する。耳を打つのは、溢れるばかりの豊かな水しぶきの音。エピクレシス歌劇場の裏に広がる広大な滝が、水の国を象徴していた。
それにしてもこの子どもは、想像以上に大人しい―――それが、リオセスリが少年に抱いた印象だった。姿を隠すために、元々要塞内でも必要以上に喋ろうとはしなかった事もあるだろうが。あまり多くを語ろうとしない姿は、それこそヌヴィレットの子どもだからという説得力があった。こうして少年に見た目年齢以上に大人びた印象があるのは、ヌヴィレットが純粋な人間ではない事からも納得がいく。本人は子どもと名乗っているが、実年齢を聞いたらもしかしたらリオセスリより相当年上な可能性だって存在する。元々ヌヴィレットはプライベートを排除し、他人に名字を呼ばせるくらい一線を引いているのだ。たとえ子どもがいたとしても、当然のように無為に他言はしないであろう。
そうは言っても、本当に子どもがいたとしたら、リオセスリだって理解はする。今となって再認識することとなった、下手な恋心など最初から抱かなかったであろう。ヌヴィレットのプライベートな部分が一切わからないからこそ、もしかしたらと無残な期待をしてしまったのだ。だったら、初めから叶わないのだから最初から期待などしない方が良いのだ。本懐を遂げたと勘違いをしてすぐに、まさかこんな形で失恋をするとは思わなかった。
「さて、ようやく水の上だ。ここれから先は俺の管轄じゃあないから、あんたには少し姿を隠して貰う必要がある」
「どうやって?」
「その綺麗な髪や顔を隠して貰いたい。ああ、事前に布か何かを持って来れば良かったな。歌劇場に立ち寄って、調達するか」
今までこの少年がどうやって過ごしていたかはわからないが、フォンテーヌ民がヌヴィレットに酷似した少年を見たら色々とあれこれ憶測が立つのは必至だろう。元々ゴシップ好きな性質だ。真実を捻じ曲げ、好き勝手捏造する輩がいるかもしれない。
「それならば、公爵の外套を貸して欲しい」
「俺のか? まあ、構わないが」
確かに、姿を隠すには十分な布地の大きさである。肩に止めている金具をパチンと外して、リオセスリは少年の頭からかけてあげた。襟の外にあるもふもふとした黒いファーが、すっぽりと頭を被さり美しく長い銀髪を隠す。なるほど、これならばかなり少年の印象が変化した。隣にリオセスリが居るから、色合い的に不審者という様子にも見えない。背丈的にギリギリ裾を引きずる程度になってしまったのは、仕方のない事であろうが。
「パレ・メルモニア行きの船に乗る為、ポート・マルコットまで歩く。俺の傍を離れないように」
「了解した」
エピクレシス歌劇場はエリニュス島を象徴する華やかな舞台ではあるが、その裏手に存在するのはメロピデ要塞へ続く道なので、関係者以外殆ど立ち寄らない。篝火の間に整備された道を、リオセスリと少年はゆっくりと進んだ。
結局のところ、少年の激しい感情の起伏の変化は本当に、水神が座を降りて半年という事を告げた時くらいであった。それこそ、初見ならば誰もが多少は驚く筈のメロピデ要塞内の闊歩も気にしていない様子だったし、こうやって水の上に上がってもパレ・メルモニアの方向を示しても特に見向きもしなかった。それほどリオセスリを信頼しているというよりは、まるで全て見知っているという様子であった。記憶にある限り、ヌヴィレットでさえ要塞内のリオセスリの私室に立ち入った事はない筈なのだが、それさえも少年は当然顔をしていたから、本当に不可解である。
だからこそ、ポート・マルコットへ赴くのも何の問題もないと思っていたのだが、まだ数歩しか歩いていないのにすぐ違和感を直ぐにリオセスリは気が付いた。
「少し、疲れたかい?」
「公爵が私の歩幅に合わせてくれている事は理解しているが、少々難しい」
「まあ俺の外套は、それなりに重さがあるからな。あんたの身体には負担か。すぐそこが歌劇場だ。もう少し軽い外套か何かを探そう」
少年の足取りは、明らかに要塞内を移動していた時より重々しくあった。その原因が、リオセスリの外套だという事は容易に判断が出来るくらいだ。外套は元より他人に貸す想定などしていないため、管理者としてある程度の威厳を示すためのじゃらじゃらとして金属の装飾や、万が一の寒暖差に対応するためにそれなりに分厚い布地となっている。そんなものをメリュジーヌと大差ない身長の少年が頭の上から被れば、よたよた歩く結果となるのは当然だろう。
「いいや、これがいい」
「そうは言ってもな。このペースであんたに歩かれたら、朝になっちまうんだが」
そのままリオセスリに剥ぎ取られないようにと、少年は外套の裾をぎゅっと掴んだ。氷の神の目が縫い付けてある以外は特別なものではない筈なのだが、なぜか気に入ったらしい。
「では、抱き上げて連れて行って貰いたい」
「は?」
「私を持ち上げる事など、公爵には容易い事の筈だ」
「まあ、確かに出来るが」
本人の要望なので仕方なくリオセスリは少年の身体を軽く掴んでから、ひょいっと持ち上げた。外套もあるが随分と軽いから、別に負担は感じない。少年の背の高さはメリュジーヌ程ではあるが、身体が随分と細いので抱き上げるとかえって壊しそうでもあった。しかしこの年齢くらいの少年が、赤の他人に抱っこしてもらうなど抵抗はないのだろうかと思うのだが、当人はあまりにも当然顔であった。しかも何かしらリオセスリの腕の中で座る位置にこだわりがあるらしく、んしょんしょと少しだけ体勢を変えて、いつのまにかすっぽりと収まってしまった。そうして最後にはこちらの様子を窺うように、満足顔を見せてくれる。あまりにも安心しきった表情で背を預けられたので、少し拍子抜けした。この警戒心のなさで、よく今までヌヴィレットの子どもなんて重要ポディションを遂行してきたなと、そちらに感心したくらいだ。
「では、行こう」
意気揚々と、抱っこされた少年は前進を告げる声を出した。いつの間にか、少年が主体となって赴く事になってしまったようだ。重要参考人の護送としては正直最上位の扱いとなっているが、当人がヌヴィレットの子どもだと言っているのだからそれもやむを得ないのかもしれない。ともかく方向性は定まったので、リオセスリは少年を必要以上に揺らさないように歩く事となる。正直、子どもを一時抱き上げるのはともかく伴って歩くなんて機会今までなかったので、案外難しい。下手な荷物の運搬よりは軽い事も相まって奇妙な気持ちで進むこととなった。
エピクレシス歌劇場の横手を過ぎると正面玄関が見える。時間帯的に一般の観客などはいないが、警備のためのメリュジーヌや警察隊員が巡回をしていた。リオセスリにとっては馴染みな面々であるので、軽く会釈を向けられてその側面を歩いていく。昼間なら受付係やスチームバード新聞記者なども常駐する箇所だが、静かな正面玄関の階段を外に向かって歩いていく。ここまで進むと水音は壮大な滝から齎されるものから、雄大な噴水に切り替わる。エピクレシス歌劇場の前面には贅を凝らした水路から続く巨大噴水がいくつもあり、夜でも輝いて視界を楽しませてくれている。
その最たる中心にあるのが、ルキナの泉であった。フォンテーヌの全ての水の原点であるルキナの泉は昼夜問わず壮麗であった。リオセスリは少年を抱き上げたまま、ルキナの泉の側面から回り込もうと足を進めたところであった。
「リオセスリ殿?」
「……ヌヴィレットさん、か?」
腕の中の少年に気を取られて一瞬気が付くのが遅くなってしまったが、前面から思わぬ人物の声がかかったのだ。まさかの、目的の人物であるヌヴィレットがそこにいた。
エピクレシス歌劇場は最高審判官の第二の職場あり、よく気分転換に裏手を散歩している事も多いとはいえ、このような時間帯で遭遇するとは思わなかった。正直パレ・メルモニアに向かっても、本来ならば執務時間中ではないのでヌヴィレットと会う事はできないかもしれないと踏んでいたところだったので、安堵する。
しかしながら驚いた面はもう一つあった。リオセスリと同じくヌヴィレットも、その外套を脱ぎならやら大事そうに腕の中に何かを抱えているのだ。当然のように外套は、その腕の中の物を隠すように掛けられていた。まさかの事態に悪い予感がして、リオセスリはつい口に出してしまった。
「ヌヴィレットさん、あんた一体。子どもが何人いるんだ?」
「何を言っている?」
「だって、その。大事そうに抱えているのって、子どもだろ?」
「確かにそうだが……この子は、君の子ではないのか?」
怪訝そうな顔をしながら、ヌヴィレットは外套の一部を少しめくってリオセスリ提示した。そこにはやはり、ひょっこりと表された少年が居た―――
艶と温かさのあるふんわりとした黒い髪質にはところどころには銀が混じり、少しはねた毛先が獣っぽさを示している短く切り揃えられた髪。そこにキリっとした眉と印象的な丸い瞳が加わっている。それは、あまりにも毎日鏡で良く見過ぎている顔。確かにリオセスリに酷似した少年が、ヌヴィレットの腕の中で満足そうにすうすうと眠っていた。
「俺の子? ……いやいやそんなまさか」
「本人がそう言っている。この子の外見的特徴を鑑みるに、疑いの余地はないと思うが」
「どうなってるんだ。ヌヴィレットさんの子どもはともかく、俺の子だなんで」
「私の子? それこそ、聞き捨てならない」
「ああ、それは……」
突如自分の身に舞い降りた疑いに錯乱している最中であったが、目ざといヌヴィレットにも同様の疑問が浮かんでしまったので、軽く説明する。こちらも、ヌヴィレットの子どもと自称する少年の姿を見せる為に外套を少しズラす。その姿を見た瞬間、ヌヴィレットはピシリと固まった。どうやらそちらも覚えがないらしい。どういうことだ。まさか、正体不明の子どもが大量発生するような事態がフォンテーヌに巻き起こっているとでも言うのだろうか。
考え込んでも答えなど出ないとわかっているが、しばし沈黙があたり一面を包んだ最中、リオセスリの腕の中の少年がくいくいとこちらの服の裾を引っ張って喋り出した。
「すまないが、同行者と再会できたゆえ、下に降ろして欲しい」
「ん? こいつが、あんたの同行者なのか?」
「そうだ。寝ているようだが、そちらも起こしてから降ろして欲しい」
大人二人が多少の錯乱をしている最中、ヌヴィレットの子どもと自称する少年が割入って来た。どうやらすべての鍵を見知っているのは、この少年らしい。確かにあまりにも謎が多すぎた。
言われた通りトンッとゆっくり地面に立たせると、そこはルキナの泉の真正面であった。そうしてヌヴィレットも、腕の中に居るリオセスリの子どもと自称する少年をぺちぺちと何度か揺さぶって起こしてから降ろす。あちらの少年は、まだ状況が掴み切れていないのか、ふらふらと眠気眼な様子だった。
そうしてようやく瞳をきちんと開けて、お互いの存在を認識する。
「ん……ここは? って、ああ! やっぱり、そっちはメロピデ要塞の方に居たのか」
「君は、パレ・メルモニアの方か。納得だな。当然、余計な事は喋っていないな?」
「そこは、もちろん。まあ見た目的に誤魔化しがきかないから、公爵の子どもだってくらいは伝えたが」
対面する二人の少年が、こそこそと何やら会話をしている。そうして互いの確認作業を最低限で済ませたのか、うんうんと少年二人は頷いて納得していた。子どもの以心伝心能力と言うのは案外凄いのかもしれないと、はた目から見てわかるくらいの仕草であった。
「―――感激の再会のところ申し訳ないが、そろそろあんたら二人の正体を俺に教えてくれはしないのかい?」
「それは……私の口からは説明できない。もしどうしても知りたいのなら、そこにいるヌヴィレット最高審判官に聞くといい」
「ヌヴィレットさんに?」
リオセスリはぐるりと首を回してヌヴィレットを見やる。そうは言っても、ヌヴィレットでさえ先ほど自分の子どもと自称するこの少年を見て驚いていた筈だ。そのリアクションに嘘偽りは感じられなかった。それに、たとえ本当に少年がヌヴィレットの子どもだったとしても、リオセスリの子どもの事まで説明というのはどういう事なのだろうか。多少の疑惑の視線をやったが、ヌヴィレットは直ぐには答えない。
「突然の事で迷惑をかけたが、私たちもここに居るのは本意ではない。無事に再会も出来たことだし、そろそろ帰らせて貰う」
「そうか。だがどうやって?」
「ルキナの泉の力を借りる。可能ならば、当代水龍の力添えもあると心強い。彼の力を借りられるように祈って欲しい」
「……わかった。協力しよう」
これまでリオセスリが会話のやり取りをしていたが、最後に後ろからヌヴィレットの了承の意が加えられた。こくんと頷いた二人の少年は、互いに手を合わせてそっと瞳を閉じる。
元素の力が集約する―――
騒めく大気の揺れ。空気が振動して流れる対流が、あっという間に変化した。力の中心は、当然少年二人だった。ヌヴィレットに似た少年ならば元素に干渉する何かしらの力があるのかもしれないと予測はしていたが、リオセスリに似た少年の影にもいつの間にか浮かび上がったものがあった。それはあまりにも見知った氷の神の目で、一瞬リオセスリは自分のものかと勘違いするほどであった。しかし、もう自分の外套は返却してもらっているし、間違いなく別の氷の神の目もそこにある。
「「世話になった。では、また今度」」
二人そろって少年は言葉をこちらに告げると、感謝を告げるようにぺこりと頭を下げた。最後に見えたのは、両手をしっかりと繋ぎ合わせる姿だった。
そうして……ルキナの泉を覆い隠そうとするほど巨大な二つの元素の力があたり一面を圧倒し、やがて明らかな共鳴の姿を見せる。キンッ!と響き渡ったのは、大きな凍結反応である。中途半端な氷元素の力を加えても、決して凍り付くことのない筈のルキナの泉が、少年二人ごと氷の塊をその場に出現させたのだ。
「これは……」
リオセスリとヌヴィレットの目の前に現れた巨大な氷の塊に、瞬く間に少年二人が閉じ込められたのかと驚く。これはさすがに救出すべきかと、二人はそのまま手を伸ばすとパリーンッと音を立ててその氷は粉々に砕け散った。空中分解の激しさという一瞬の瞬きの合間に、視界が覆われる。
「誰もいない……」
「そのようだな。彼らいわく、これで無事に帰ったということだろう」
あっという間の出来事ではあったが、あれだけ震えざわついていた水と氷元素の外的要因は、氷がダイヤモンドダストのように砕け散った瞬間にどこかへ行ってしまっていた。
残されたのは、大人二人だけである。またルキナの泉はいつものように噴水を体現していて、まるで何事もなかったかのように水音を立てている。ヌヴィレットは納得した声を出したので、恐らく多少なりとはこの結末が訪れる事を知り得ていたのであろう。一応リオセスリの死角になってはいたとは思うが、それでも何らかしらのルキナの泉への干渉を行う水元素が残っている。あの少年がヌヴィレットの力が必要だと行ったのは、やはり戻る為に必須だったのだろう。リオセスリの手元には疑問ばかりが残ったが、唯一の回答者であるヌヴィレットは、ようやく少しの考え込む仕草を降ろした。
「さて、ヌヴィレットさん。事情はあんたに聞けと言っていたが、話してくれる気があるのかい?」
「正直、私も全てを知り得ているわけではない。だが、あの少年が私の子どもというのは事実だと思う。純粋な人間ではない私には、同類を見分ける能力がある。だからようやく確信した」
何かを納得したヌヴィレットは何故か、ずいっとリオセスリに近づいてきた。
別にそんなに近くで説明欲しいとは言っていないので正直こちらとしては、今は辛い。本人の口から紛れもなく子どもが居ると伝えられて、失恋のショックの上塗りをしているのだ。そこは、リオセスリとしては最低限の事実関係の確認だけで済ませたくあった。だから、こういう時は多少の軽口を叩いて誤魔化す方が良いだろうと思った。
「ヌヴィレットさんに子どもがいるとは知らなかった。何か祝いでも贈った方が良いか?」
「何を言っている。あの少年は未来から来たと言っていたから、まだ先の話だ」
「は? 俺は聞いてない、そんな事」
本日何度目かの驚きだが、その中でもさらりとヌヴィレットの口から出た事項については、特大の驚愕を得た。今思えば、思慮深いヌヴィレットの子どもだから本当に必要最低限な会話しかしなかった。
まさかの未来?とか、そんなトンデモな事とは思ったが、相手がヌヴィレットの子どもだとしたら正直割と何でもアリな気がしてきた。現にこうやって目の前で現れたり消えたりする姿を、先ほど目撃したのだ。きっと疑う必要はないだろう。そうして少年が未来からやって来たとすれば、これまであれこれ飛び出た色々な疑問のいくつか解消はされる。会った事などない筈なのに初見でリオセスリの名前を言い当てた事や、私室に入れた事がない筈なのに少年が見知っていたことなど、色々だ。まだまだ疑問は残るが、大抵の事はこれで解消された気がする。必要以上の多くを語らなかったのも、未来を知り得ているからこそ余計な先入観を持たせないためだったのだろう。どうしても隠しきれない、ヌヴィレットと酷似した容姿という一点を除いて。
「私も正直驚いている。私自身に、そのような機能はある事は知ってはいたが、子を成すとは思っていなかったからな。しかし、こうやって改めて考えたところ、今納得をした」
ヌヴィレットは少し頷きながら、間際にいるリオセスリの頭の先からつま先までじっくりと観察した。先ほどヌヴィレットの子どもを見せた瞬間から色々と思慮していたようだが、ようやく憑き物が落ちたかのように、冴えた表情をしたのだ。
ああ、やっぱりこの人はこういう顔が良いなとリオセスリは再認識したのだが、惚れ直している場合ではなかった。案外、自分が諦めが悪い人間だと言う事にリオセスリは一番驚いたのだ。未来とはいえ本人が認知した子供がいるというのに、まだ気持ちを捨てきれないらしい。ヌヴィレットの子どもは確かに理想的であった。だから偶然とはいえ、この腕の中で抱けた事を思い出として残すくらいは許して欲しいと思うほどに。
だからこそ今のこの近すぎる距離感はないなと、公爵と最高審判官という地位に相応しい関係性の為に間合いを戻そうとした瞬間であった。
「子どもの為に、色々と準備をしなくては。リオセスリ殿も、そのつもりで頼む」
「あんた、何を言って……」
「先ほど、同族の気配はわかると伝えた筈だ。あの少年は、双方ともに私と君の子だ」
「は?」
「初めての出産で双子を産むのは少々大変そうだが、君との子だからこそ歓迎しよう」
それはまるで、ルキナの泉に子宝祈願するようにヌヴィレットは申し伝えて来た。



ここは、二人の少年たちとの始まりの場所。
再会までの時間は―――そう先の事ではないのかもしれない。

















本 懐 は 遂 げ た