attention!
ヌヴィレット先天性女体化。いつものカッコ良いリオセスリはいませんので、注意。
パレ・メルモニア上層階には、男性禁制のサロン・ド・テがある。
フリーナの許可がなければ入室出来ないこの女の園に、今二人の美しい女性が集まっていた。
その一人は、フォンテーヌ最強の決闘代理人であるクロリンデ。特殊な職業であるが、その身体能力を買われてフリーナの護衛やメロピデ要塞や方々で巻き起こる厄介事の極秘任務をこなすこともある、多忙な身だ。そんな彼女が、今回のお茶会に参加したのは、この場にいるもう一人の女性が声をかけたからであった。
フォンテーヌ最高審判官であるヌヴィレット。水神フリーナと並んで、この国を統べる女性である。象徴二人が女性な事もあり、他国に比べてフォンテーヌは随分と女性が活躍しやすい態勢が整えられていた。この場にいないナヴィアやシュヴルーズも実力がきちんと評価されて、相応の地位にいる。サロンでのお茶会は本来ならば、もっと大規模に行うものであった。しかし、今回呼ばれたのはクロリンデだけで、奥の貴賓室である小部屋に二人は向かい合ってお茶を囲んでいた。
「ヌヴィレット様。今日は何か私に用があって声をかけて下さったので、間違いありませんか?」
このサロン・ド・テには、暗黙のルールがある。
それは、政治・宗教・経済・仕事などの話は禁句ということだ。元々はフリーナがそういった堅苦しいのを嫌って言い出した事ではあったが、それ以後このルームの使用者は皆がそれを守るようにしていた。だから、さきほどまでの二人の歓談内容も、ナヴィアの話題や流行りの紅茶や菓子の話、はたまた劇場の新しい演目などと、普段の二人の立場からはかけ離れた仕事は一切絡まない話題であった。
だがもちろん、場所柄密談には最適である事をクロリンデは自覚している。必要ならばと、フリーナもそれを咎める事もないだろう。華やかな空間とは裏腹に、一瞬の緊張が響く。
「実は、クロリンデ。君に、相談があって今日は来てもらったのだ」
「相談……ですか?私が役立てる事でしたら、話を聞きますが」
そう……ヌヴィレットには、深い悩みがあった。
それを察する立場的には金銭を伴うとはいえ部下に当たるクロリンデが察してくれたのは、流石だと感じていた。仕事人間なヌヴィレットは、そもそも自発的に誰かをサロンに呼ぶという事はあまりしない。それでもあまりに個人的な悩みだった為、この場を借りる事となったのだ。
「助かる。君の配慮に感謝しよう……それで、相談事というのは。恋愛に関しての事なのだが……」
「恋愛ですか?私もあまり得意ではないのですが、そもそも待ってください。ヌヴィレット様は、公爵と交際をしていると聞いておりますが」
その通りである。大々的に公表しているわけではないが、周囲の人間にはリオセスリとヌヴィレットがお付き合いをしていることを隠してはいない。もちろん盛大に驚かれた事項ではあり、かつてはさすがのクロリンデも一言……本当ですか?と問い正したくらいであった。
周りの反応はある程度想定内だったので、普通に交際をしているとヌヴィレットは告げていたのだが、やはりここにきて問題が発生してしまった。
「そのリオセスリ殿との恋愛に関して、少々悩み事があるのだ」
「まさか……公爵が、ヌヴィレット様に無理強いか何かをしたんですか?わかりました。早速、審判にかけましょう。抵抗するようならば、私が法に則って対処しますし。対外的に決闘が行われるのでしたら、代理人も引き受けます」
流石に驚いたのか、いつもより口数多くクロリンデは結論づけた。
ヌヴィレットは、リオセスリは信頼に値する男性と思っているのだが、どうもクロリンデや他のフォンテーヌ人からすると彼はどこか含みがあるので率直に信用してはいけないと思われている節がある。それがどこまでクロリンデの本心かはヌヴィレットも掴めなくあったが、一瞬で彼女がこちら側に好意的に付いてくれたという気持ちだけは伝わった。
「心配してくれるのはありがたいが、そのような事実はない。リオセスリ殿は、とても紳士的だ。彼に問題はない」
「それならば、安心しましたが……では、どのような悩みがあるのですか?」
「問題があるのは、私の方なのだ」
簡単にはとても口に出せず、ヌヴィレットはここでいったん言葉を切る。
喉が非常に渇くような気がする。クロリンデには申し訳ないとは思ったが、目の前のカップに注がれているストレートティーを一口含んでから、話を続ける事になる。
「君も察しているとは思うが、私は純粋な人間ではない。だから、男性との交際に慣れていないのだ」
「公爵ならば、ヌヴィレット様のペースに合わせてくれるとは思いますが」
「だが、一般的に交際している男女ならば、もう一歩踏み込んだ関係になる月日と言えるくらいには付き合っている。しかし、まだリオセスリ殿から手を出されたことがない」
「それは……確かに少々意外ですね」
クロリンデがどのようにリオセスリを印象しているのかは定かではなかったが、概ね世間一般的には奥手なタイプとは見られていないというのが、二人の仲にある共通認識が合致した瞬間でもあった。
確かに交際前よりは、仕事ではなくとも一緒にお茶をする機会は増え、二人の休暇が重なれば互いのプライベートな空間に踏み込む事もある。だが、それだけだ。男女という性別が違うからこそ、交際をしていれば当然である距離感であるが、はたから見れば精々同性同士の友人関係と行う事は大差ないほど。キスどころか、手を繋いだことさえもないという清らかさであった。それを、ヌヴィレットに合わせてくれるからと説明づけるには、そろそろ少々限界を感じていたのだ。
「実は、私は今まで誰かと交際をしたことがない。全て、リオセス殿がはじめてなのだ。それを彼にまだ告げておらず、だがそれを彼に知られる事を悩んでいる」
「ヌヴィレット様は、ずっと今までご多忙でしたから。そういった事情は、公爵も汲み取るとは思いますが……そんなに問題でしょうか?」
初めてヌヴィレットは、このような恋愛相談を誰かにした。クロリンデ相手なら、茶化すこともなく冷静に判断してくれると踏んでいたからだ。彼女は通常の女性の感覚を持っているから、適任と思っていた。
そうして、ヌヴィレットからすると一世一代のこの告白も落ち着いた様子で、返答してくれた。それはきっと本心からであろう。だが。
「私が、十代や二十代の婦女子ならば、経験がないというのも許されただろう。だが、公文書などから見てもわかる通り、私は少なくとも五百年は人間と接している。それなのに、誰とも交際経験がないというのは、おかしいと受け止められると思うのだ」
「身持ちが堅い事は、軽率な事よりは良い事だと思いますが」
これが、一番の悩みであった。交際経験がない、つまりヌヴィレットは紛れもない処女である。
ただでさえ、立場的にも重い存在なのに……これで更に処女を貰ってもらうなんて、おこがましい気持ちになっていた。いくらなんでも、五百歳の処女は重すぎる―――
そうして、この年で処女なんて引かれたらどうしようと、そればかりが頭を占領していた。
「私に今まで交際経験がないのは、男性を魅了する力がなかったからだと、そう……リオセスリ殿にとらえられるかもしれない」
男性にモテなかったのは容姿や性格に欠点があって、男性から敬遠されていたと、ヌヴィレットは思っていた。
確かに、そのような事を進んで積極的に取り組まなかったこともあり、苦手意識があり今まで無意識に結界を張っていたのだろう。処女は守るべきものとはいえ、あまりにも後生大事に守りすぎた感がある。こんなことなら、ワンナイトラブでもしておけば良かったと、少々とち狂った考えさえも過ぎる。
「いえ、それはないでしょう。あなたが高嶺の花過ぎて、誰も近づけなかっただけ。それに、この国ではフリーナ様やメリュジーヌなど、今までヌヴィレット様の周囲には女性が多くおりました。なかなか気軽に男性がヌヴィレット様に近づけなかったのも、要因かと。決して、あなたが原因ではないと思います」
「そう思ってくれるのならいいのだが……実は、彼が私に触れてこない理由に少々心当たりがあるのだ」
「それは……どのような?」
クロリンデは、何度もヌヴィレットを気遣う言葉をかけてくれた。
だが、どんなに喜ばしいその言葉をもってしても、拭いきれない事象が一つあった。
「恐らくだが……リオセスリ殿は、私に以前交際相手がいたと勘違いをしている―――」
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思い出せばそれは、うららかな昼下がりであった。
多忙な二人が、珍しく昼間にまとまった時間に合致することとなった。
最近開店した新作のケーキを持ってヌヴィレットの屋敷を訪れたリオセスリと、いつものように茶を嗜みながらの歓談をしていた。二人の立場的にどうしても多少なりとも仕事の会話も混じってしまうが、それでも概ねは最近あった出来事を報告して楽しく過ごす時間である。
ヌヴィレットもその時は、あの日以来念のため気に掛ける回数を増やしていたキアラの話題を口にしていた。一度、キアラの件でリオセスリに用立てて貰ったことがあるから、それはただの何気ない会話の筈だった。
「……キアラと話をすると、姉と慕っているカロレの話題が出るから、私もとても懐かしく思うのだ」
「そのカロレっていうのは、確か四百年前に亡くなったメリュジーヌだったな」
「ああ。キアラを通して、私が知らなかったカロレの新たな一面を知ることが出来るのが、とてもありがたい。非常に悲しい出来事ではあったが、それでも誰かの心に彼女が今でも生き続けているのは喜ばしい事だ」
カロレの話題に関しては、今なおヌヴィレットの心を揺さぶる痛ましい事件として、深く心にあった。それでも、救いのように楽しくキアラは話をしてくれるし、またそれを話すリオセスリという相手がいるので、前よりはほんの少し心が軽くなったような気がしていたのだ。特にリオセスリは恐らく人間の中でメリュジーヌに最も慕われているからこそ、興味深そうに聞いてくれる。
「ヌヴィレットさんは随分と記憶力が良さそうだが、昔の事を全て覚えているのかい?」
「いいや。恐らく、普通の人間よりはそういった事には長けているとは思うが、さすがの私でも印象的な相手でなければ、簡単に思い出すことは困難だ」
「そりゃそうか。あんたのように長い年月を生きるとなると、関わって来た人間の数も相当だ。それにあんたの仕事的に犯罪者に関わる事も多い。全てを覚えている事は、負担になるだろう。適度に忘れる事も、必要な事だ」
「出来る事なら、審判に関しては忘れたくはないのだがな」
審判の判定や量刑は、概ね過去の判例によって比重が変わる。それこそ数百年前の判例を基準にすることも多々あるからして、覚えておくに越したことはなかった。だが、本来ならば過去の審判とその際の審判が重なり合う事はない。なぜなら、人がかかわることだから同一という事はあり得ないのだ。どの審判にも、原告と被告のとても複雑な感情が入り混じっている。それをも全て考慮して、審判に当たる。それが、最高審判官としてのヌヴィレットの本来の職務であった。
「忘れたくても忘れられない審判もあるって顔をしているな?」
「……ちょうど先ほどカロレの話をしたこともあってか、彼女に関わる審判に関しては……やはり私も思うところがあった」
「それは、彼女の為に復讐をしたというヴォートランの審判か?」
「ああ。当時の私は、それが最良だと思い審判を下した。それでも、もっと何らかの最良の余地はあったかもしれないとは思っていた。だから改めて君が調べてくれた事を教えてくれたことは、今でもとても感謝している」
「そいつは、どうも」
四百年持ち続けていた懸念。何の因果か、先日再びそれを彷彿とさせる事件が起き、結果的には杞憂となったわけだが。その過程で、リオセスリからヴォートランの服役中の様子を窺い知る事が出来た。そうして憶測かもしれないが、一つの真実という可能性が見いだされた。それによって、長年の危惧が少し晴れたような気がした。今となっては多くを語らなかったため、本当の真実はヴォートラン自身にしかわからないだろう。それでも、自分の知っているヴォートランならば、法廷での取り乱しは本筋でなくきっとリオセスリが語ったようであろうと感じてはいた。
「しかし、君が「助け合いの会」を気にしたとはいえ、ヴォートランの事をそこまで子細に知り得ているとは思わなかった」
「別にそこまでヴォートラン自身に興味があったわけじゃない。ただ、ヌヴィレットさんの周囲で特別な関係の人間がいるっていうのを珍しく思ってな」
「当時、私には人間の協力者が少なかった。だから彼には、随分と助けて貰ったのだ」
「それで、とても親しい関係と俺が口にしても否定しなかったわけか……」
「……リオセスリ殿?」
「いいや、なんでもない。ああ、きっとそろそろポットの湯が切れたな。沸かし直してこよう」
珍しく露骨に話題を切られて、かつリオセスリはガタリと立ち上がり早々に席を離れてしまった。
不思議に思い、テーブルに置いてあるポットの中身を確認したが、まだ並々と湯は残っていたから、つぎ足す必要はないように見受けられた。
それでも、一人残されたヌヴィレットの基にその後、そう簡単にリオセスリは戻ってくることはなかった。それは湯が冷めそうになるくらいの時間が必要だったのだ―――
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「その話をした際は気が付かなかったが、これでこの話題は終いだと言われたような感覚があった。後に気が付いたのは、リオセスリ殿は私がヴォートランと交際していたと勘違いしたのでは?という事だ」
「つまり、昔の男の話は聞きたくないと。あり得ますね」
再び話は舞い戻り、クロリンデは的確に話の確信を付いてきた。
きっとリオセスリからすれば、疑いが確信になった瞬間だったのだろう。事実はそんなことはないとはいえ、リオセスリは露骨にそういった事を聞いてくるような人間ではないからこそ、察しが良すぎたのだ。
きっと、ヴォートランをヌヴィレットの元彼だと思ったのだろう。
「その後も、何度もリオセスリ殿と対談する機会はあったのだが、私はヴォートランとはただの上司部下で何もなかったと、否定をする言葉を伝えるのを躊躇してしまった」
「なぜですか?」
「リオセスリ殿が勘違いしただけで、綿密には私が嘘をついているわけではないからだ。卑怯かもしれないが、それならば私に交際経験が無いことが隠せるかもしれないと思ってしまって」
「公爵には、素直に告げた方が良いと思いますが」
頭ではわかってはいるが、当たり前の事をクロリンデはアドバイスしてきた。
思わせぶりな態度を取ってしまったのは、きっとヌヴィレットの方である。非はきっとヌヴィレットにある。処女ではないふりをするためには重要な要素だったから、悪い意味で利用をしてしまったのだ。
「今はなんとか誤魔化せているかもしれませんが、事が進んだら、きっと隠し通すのは無理かと」
「私もそれは、理解はしている。リオセスリ殿は、きっと経験豊富だろうから」
自分とは真逆の、リオセスリの過去の女性の話を直接聞いたことがあるわけではない。
だが、ゴシップ好きなフォンテーヌ人の気質なせいか、具体的な証拠は何もないものの色々な噂は飛び交う。水の下にいるからこそ浮名が流れて来るわけでもないが、あの地位と性格と姿かたちの良さである。相当に女性にモテていることくらいは、ヌヴィレットだって交際前から見知っていた。ヌヴィレットの前では相当紳士的に振舞ってくれるが、その反動か。元々メロピデ要塞の治安は相当に悪かった。いくら水の上から干渉出来る立場ではなかったとはいえ、男女で区域が分けられているわけでもない無法地帯だ。そこで何十年も生活していたリオセスリには、色々あっただろうと察する。たとえ夜が百戦錬磨だったとしても、別にそれを責めるつもりも資格も権利もヌヴィレットにはない。
だからこそ、逆に男女のあれこれを何も知らずに五百年過ごしてしまった自分を嘆かわしく思うのだった。
「少なくとも私は、直接公爵が女性と何かしらがあったとは目撃したことはありませんが」
「気を使ってもらって、感謝する。だが、リオセスリ殿は対人関係の立ち回りが非常に上手だ。他人に知られるような事はないだろう。だから、私は彼の事は気にしていない。ただ、私が経験不足な事を申し訳ないと思うのだ」
刑事審判ならともかく民事審判の多くが大なり小なり男女のいざこざを発端としている事が多い。だからヌヴィレットは下手な人間よりそういったトラブルに関して、熟知をしていた。
且つ、この度実際に体感することになるかもしれないという事で、改めて性行為に関して自分なりに調べてみたのだ。
その結果は……どう考えても初心者では、男性を気持ちよくできはしないだろうという結論。仕方はないが、つまりヌヴィレットはセックスが下手ということである。そもそも男性側は、処女とのセックスは面倒だと思っているようだ。痛い思いをするから気を遣う・対応がわからない・スムーズに進まない・セックスに集中できない・相手やベッドに血をつける可能性があるから汚らわしいと、ネガティブ要素満載である。そうして、そもそも受け身でつまらない。終いには、膣口が狭く濡れにくいから挿入できないなんて面倒だと……それに尽きる。
身体の相性が合わないから別れたという、審判を目撃したこともある。当時は経験がなかったため、そういうこともあるのだろうと脳内で処理をしていたのだが。いざ実際自分が体験するとなると、考え込むばかりであった。
「ヌヴィレット様が無理はしなくても、きっと公爵は上手くリードしてくれると思いますが」
「そう、私も思いたくあった。しかし、彼が手を出してくれないのであれば、その機会も訪れない。これ以上、待たせるのは申し訳ないと思い、私は彼を誘う事にした」
「えっ!ヌヴィレット様が誘う……のですか?」
「ああ、明日の夜。私の屋敷に泊まって貰うよう約束をした。さすがに何かしらの進展はあると思われる」
気がはやっているとは思ったが、もし関係が壊れるのだとしたら、寿命の限られているリオセスリからとしたら早い方がいいだろうと思った。
流石に泊まって欲しいとねだったときは、一度はとても紳士的に断られた。それを強引にどうしてもと愛を試すように疑うように畳みかければ、リオセスリとて固辞することはできなかったのだ。若干しぶしぶといった表情ではあったが、ヌヴィレットの屋敷に泊まる事を了承してくれた。交際している男女が泊まり込む意味は、一つしかないだろう。
明日は、もう間近に迫っていた。
折角クロリンデとのお茶会だったが、この話を始めた後半は申し訳ないが食欲が失せてしまい殆ど菓子に手が伸びる事はなかった。
結論がうまく出せず、意気消沈したヌヴィレットを見て、気を使ってくれたクロリンデはお開きの言葉をかけてくれた。明日に向けて、とりあえず今日は早々に寝た方が良いと。解決したわけではなかったが、長年の悩みを吐き出すことが出来て少し心が軽くなった礼をヌヴィレットはクロリンデに告げた。
彼女は最後まで、はじめての交際相手がリオセスリな事は必ず告げた方が良いとヌヴィレットに念押しをしていた。
◇ ◇ ◇
その日は結局あまり眠ることはできず、色々と気持ちの整理をしていたら、あっという間に約束の時間の夜となってしまった。
屋敷を訪れたリオセスリの様子も、一応普段通りには見えた。二人が交際してから、この屋敷で共に過ごして歓談をするのはいつものことであった。その夜も瞬く間に更ける。
段階を踏んで、寝室へ……そしてベッドへ……と進んでいくのは自然な流れだった。
「ヌヴィレットさん……」
ギシリと、ベッドにリオセスリの体重が重みとして乗る。マットレスが少し沈み込むことで、余計に男が迫っている事を体感する。
かつてないほどの緊張に、ヌヴィレットは声も出せずに固まってしまった。
何とか、恥ずかしいからと照明をある程度暗くしたこと以外は何も出来なかった。
結局そんな勇気もなく、処女であることを未だ告げられてはいない。
血が出たときの言い訳を予めしておかなくては。久しぶりにするから血が出てしまうかも、痛がったら申し訳ないとか。セカンドバージンを捧げることになるが。久しぶりだが経験はある、処女膜は復活したとかいう謎の言い訳くらいしか思いつかない。
だが、ぎこちなさすぎてそれさえも言えなかった。
「緊張しているのか?」
「す、まない……私は」
「悪いが、俺も緊張しているんだ。もしかしたら、スマートにエスコート出来ないかもしれない」
「リオセスリ殿が……緊張?」
なぜ?と率直に疑問を感じた。
もしかしてまだ触れてもいないのにもう自分が処女だとバレたのかと、ヌヴィレットは焦った。
照明を落とすように要望したせいで、部屋はやや暗い。この顔の距離では、リオセスリの表情全てをくみ取れるほどの近さではなかった。
「今まで黙っていて悪かったんだが、俺に女性経験はないんだ。だから、これがはじめてになる」
「え……はじめて?」
「ああ。水の下では、拳闘で忙しくてな。そんな暇がなかった。だから、経験のあるあんたには物足りないかもしれないが……」
まさか、まさかの告白であった―――
そうして今まで張り詰めていたヌヴィレットの肩の荷が、ようやくするりとまるで憑き物が落ちたのかのように脱力した。
突然へなへなと力が抜けてしまったヌヴィレットに驚き、リオセスリは慌てて身体を支えてくれた。
「ヌヴィレットさん?どうしたんだ」
訝しみ、こちらの顔を覗き込んでくるリオセスリの瞳をみいやる。
これでようやく本当の彼を知れた気がする。だから、躊躇なくヌヴィレットは、そのままリオセスリにガバリと抱き付いた。
突然の事でバランスを崩しそうになっていたが、さすがの体幹の強さだ。リオセスリは、見事に受け止めてくれる。
だから、きっとこの先も大丈夫だろう。そうして、彼の耳元でそっと囁く……
「私も……君がはじめてなんだ。だから、優しくして欲しい……」
ベッドの上で他の男の話題を出されるのは困るだろうから、きっとこれが最初で最後になる。
その言葉に驚き一瞬目を見開いたリオセスリであったが、それ以上は追及せずに、ただぎゅっとヌヴィレットを抱きしめて、全てを悟った。
そうして、それはキスから始まった。
お互い初めて同士なのだから、きっと一緒に慣れていけばいいのだ―――
そう理解して。
*
その日の男性禁制のサロン・ド・テは、クロリンデがヌヴィレットを誘う形となった。
本来ならば他愛のない歓談から始まるのだが、そういったまどろっこしいことは好まないらしく、かなり早々にクロリンデはその話題を口にした。
「失礼ですが、ヌヴィレット様。公爵との交際は順調ですか?」
色々と心配をかけてしまったからこそ、確認の為の誘いであったのであろう。もし何か問題があるとしたら、彼女は助力する気満々に違いない。鋭い眼光が一瞬過ぎる。
「すごく……良かった。リオセスリ殿が最初の相手なってくれて、とても嬉しかった」
「そうですか。それなら、安心しました。もう、大丈夫なようですね」
「また、直ぐに誘いたいのだが。やはり、はしたないだろうか?」
一瞬安らいだクロリンデを瞬時に動揺させる発言を投下したヌヴィレットは、そんな事は気にせずただただはじめての甘すぎたあの夜を、ほうっと思い出していた。