attention!
全てが捏造。








「リオセスリ殿、もう一杯紅茶をいかがだろうか?」
「ん?じゃあ、お言葉に甘えて貰おうか」

パレ・メルモニア内のヌヴィレットの執務室に備え付けられた袖机。枢律の宮殿のカーディナル・キャビネットは小型の本棚という取り扱いだが、ことヌヴィレットの執務室では国事行為に当たる重要書類が御座す収納道具だ。今、その場所はそれらの公的文書を押し退け片付けられ、代わりに上質なティーセットがセッティングされていた。
最高審判官と公爵というお互いの公的な立場を脱いだ二人は今、仕事終わりのティータイムを楽しんでいた。いわゆるお付き合いをしている恋仲な二人ではあったが、両者ともにその職務は多忙を極めている。だからこそ、仕事終わりのティータイムが何よりも心安らぐひと時であった。

「今日は、やけに高待遇だな。何かあったのか?」
「……実は下心があるゆえ、このようなもてなしをしている」

共律官の評判通り、いつもリオセスリが提出する書類は完璧だ。そうしてヌヴィレットもイレギュラー対応も含めて稟議書に対する処理決済能力に長けている。そんなわけで大抵のところの終了時間は予測できるので、茶葉を蒸らすタイミングも見極められるという事だ。ヌヴィレットは頃合いを見計らって、追加のティーポットと一口サイズのプクプクシュークリームをキャスター付きキッチンワゴンで運んできた。
そうしてティーカップに一煎目を注いでリオセスリに渡しながら、ヌヴィレットは何食わぬ顔で伝えたのだ。

「下心?ヌヴィレットさんがそんな俗っぽい単語を使うなんてな、俺のせいか。これは」
「他に適切な言葉が思いつかなかっただけで、恐らく君が感じ取ったような意味はないと思われる」

折角真新しいティーカップを用意したのに、差し出したそれではなく、リオセスリはゆらりとさりげなくヌヴィレットの長い指に手袋越しとはいえ触れて来た。まだ紅茶を楽しんでもらいたいので丁重にお断りしたが、言葉選びが芳しくなかった事だけは読み取った。情人につれなくされたとはいえ弁えている性格なので、そのままリオセスリはカップを片手に口を付けた。

「それで、ヌヴィレットさんのありがたい下心っていうのは何なんだい?」
「そうだな。まずはこれを見て貰っても良いだろうか」

少しの場所移動をしてヌヴィレットは戸棚へと向かう。立ち並ぶ引き出しの中から目的の物を取り出すと、そっとその二体を手のひらに乗せて、リオセスリの目の前まで持ってきた。

「これは、人形?に見えるんだが。もしかして、俺とヌヴィレットさんなのか?」
「そうだ。私と君を模ったものだ。指人形となっている」

ちょこんっと手のひらよりも一回り小ぶりな指人形は、頭にボールチェーンも縫い付けられていているので、ぬいぐるみとしても扱える。ヌヴィレットの両の手にそれぞれ乗せられているのは二体で、文字通りこの場にいる二人に似た二頭身の髪型服装をデフォルメしていた。

「こいつは随分と可愛らしいな。しかしヌヴィレットさん、あんたは確か自分自身の偶像崇拝を禁止してなかったか?」
「もしかしてそれは、パレ・メルモニアの正面に私の胸像を建てるという事が出た時の話をしているのだろうか?」
「ああ、あんたは反対したって聞いたけど。七天神像が、水神を模しているのだからと。確かそれを引き合いに出された筈だ」
「そうだな……では、念のために聞くが。もし、看守たちが君への信仰心と評して、メロピデ要塞の正面にリオセスリ殿の胸像を建てたいと声を上げたら、君は認可するのだろうか?」
「……確かに、そうだな。俺なら絶対にごめんだ」
「理解をしてくれて助かる」

確かに、偉業を成し遂げた者を讃える為に像を根立する事はよく見かけることであった。七天神像は世界各地にあるが、例えばモンド城の風神バルバトス像や稲妻城の千手百目神像など、それでも神をモチーフにするならともかくヌヴィレットは必要以上に目立ちたいという気質ではなかった。

「それで、この指人形はまさか量産化されているのか?」
「いいや、これは一点モノだ。元々メリュジーヌは水の上で人間と同じように手の動き方の練習するために、指人形を遣う習慣があるのだ。しかし、ただの指人形では親しみが薄いということで、馴染みのある人間を模してこのように形成した」

噂では、稲妻では御建鳴神主尊大御所様像などという雷神を模した人形が市販されているのをリオセスリは小耳に挟んでいるのかもしれない。胸像もそうではあるが無許可でそのような事態には陥らないとはいえ、時々フォンテーヌの名物菓子にしたいからとヌヴィレットも名前やら顔やら姿やらの焼き印をいれたいとかいう謎の申請をされるが、全て却下している。その点、フリーナは寛容的で映画の賞や人気店のケーキに名を冠したりしているので、彼女が公の立場から居なくなってしまい再び妙な提案が上がってこなければよいなとヌヴィレットは思っている。
今回の指人形も内々で使用する知育玩具としてメリュジーヌにねだられたからこそ、積極的に動いているだけである。指人形と評したものの、正確にはメリュジーヌの可愛らしいミトン状の手の形の関係からパペットと言っても過言ではないだろう。おじぎやごっこ遊びは出来るものの、それ以上の複雑な動作は難しい。

「確かに、水の上で見かけるマレショーセ・ファントムたちは、人間サイズの道具や家具に苦労をしているな。しかし、ヌヴィレットさんの指人形はともかく、俺の……なんて必要か?」
「何を言っている。今、メリュジーヌたちの中で一番流行しているのは、いかに君に知られずステッカーを貼るかという遊びだ。だから、君の指人形があれば手の動きは練習出来るし、疑似的にステッカーを貼る事も出来る。大人気と言っても過言ではない」
「俺が知らないところで、そんな遊びが流行っているとはな。そりゃあまた随分と光栄な事だが、それで。これの量産化で俺に許可を得るのが、ヌヴィレットさんの下心なのかい?」

少しの困惑顔はしたものの相手がメリュジーヌならは仕方ないと苦笑しながら、リオセスリは訪ねて来た。聞くところによれば、彼は幼少時随分とメリュジーヌには世話になった事。また元来リオセスリは子どもに不用意に厳しくはできないという気質の為、見た目自分より数百歳年上のメリュジーヌにも変わらぬ親しみを覚えているらしい。そんなリオセスリにメリュジーヌの為だと提案すれば、きっと二つ返事で了承したであろう。しかしながら、ヌヴィレットの真意はそこではなかった。

「いや、量産化をするつもりはない。これは指人形とはしているが、折角一点モノなのだからもう少し精度を上げたいと思っている」
「ふーん、今でも十分良く出来てると思うがね。で、具体的にはどうすれば良いんだ?」
「リオセスリ殿と同調関係を得ているものを、埋め込もうと思う」
「…………それは。もしかして、髪の毛とかか?ヌヴィレットさんは、呪いの人形でも作るつもりなのか?」

先ほどまでそれほど興味なく、ティーカップの横に寝そべられて置かれた自身を模した指人形を持ち上げて、軽く外套のフェルトをめくったり、腰についている手錠の出来栄えに感心していたのだが、何か危険を感じてさっと手を離しながら、リオセスリは尋ねた。一瞬、不穏な空気が二人の間に流れる。

「頭髪か。言われてみれば確かにその方が手軽かもしれないが、私の範疇外だな。大体、なぜ私が君を呪う必要がある?」
「いや、なんかさっきメリュジーヌに俺が人気だって言った時。ちょっと唇の先を噛み締めていたように思えたから」
「確かに、メリュジーヌが君に抱く親愛は。私に対する親愛より少々気安いようにも思える」
「それは…まあ、立場の違いだろう。ところで、それは嫉妬にも聞こえるが。あんたは、俺とメリュジーヌどちらに嫉妬をしてくれたんだ?」

わかりきっていることを改めて、確認するようにリオセスリはおどけて尋ねて来る。
二人の最初の出会いは、まだリオセスリが十代の頃のエピクレシス歌劇場で、しかも審判で。それからしばらくは二人の時間は交差することはなかったが、急展開を迎えたのは彼がメロピデ要塞の管理者として名を上げた時。それから、水の上と下の実質的なトップとして会談しやり取りすること数年。本当に様々な事があったが、情人となって日は浅いと言っても過言ではないだろう。人間であるリオセスリとヌヴィレットでは、時間の進みも違う。それでも同じ目線に立ってくれて隣に居てくれるそんな相手と、眷属であるメリュジーヌを並べられてヌヴィレットは微笑みながら「両方だ」と答えた。

「――それで、リオセスリ殿から拝借したいと思うモノなのだが。それは、涙だ」
「涙?そいつは、また。難題だな…………ん?もしかして、さっき大量の茶を振舞っていたのは、そのせいか?」
「ああ。体内に十分な水分がないと、涙を作り出すことが出来ないからな。水分補給をして貰っていた」
「やれやれ。随分と周到な事で」

お望み通りリオセスリは、残っていたカップの紅茶の最後の一口をこくりと飲み干した。
もちろん呪うつもりはないが、ヌヴィレットが媒体として扱うのならば、やはり水に関連するものが一番容易い。体液ならばある程度可能であるからして、本当ならば別に涙に拘るつもりはない。しかし、涙の漏出する眼球は人間の思考である脳に一番近い位置にあるから、涙が一番相応しいとヌヴィレットは考えたのだ。

「生憎だが、そう突然涙を流せと言われても。俺は、フリーナ様のような演技派じゃないんだ。ちょっと難しいな。玉ねぎを切るとか、目薬を差すとか。そのあたりの小道具があれば別だが」
「確かにそうようなモノを用いれば苦労はないかもしれないな。だが、なるべく不純物は混ぜたくない」
「ちょっと訪ねたいんだが。俺が涙を流したとして、それをどうするつもりなんだ?」
「それは、見て貰った方が早いな」

確かにリオセスリの疑問も当然の事だった。どうも、ヌヴィレットは自分が出来る事と人間の常識のすり合わせが疎いので、口で説明するより視認する方がわかりやすいと判断した。目の前に転がるヌヴィレットの指人形を手に取った。自らの姿を模しているからこそ、手荒く扱うわけではないが別段それほどの感情が沸き立つものでもない。ただヌヴィレットは本来ならば指や手を軽く入れるだけの口の奥底を探るように指を入れた。ちょうどヌヴィレット人形の頭の裏側に備え付けられた内ポケットがある。そこから指先で取り出したモノを人差し指の上にちょこんと乗せて、リオセスリの眼前に示すこととなる。

「これは、随分と綺麗なもんだが……宝石か何かか?」
「私の涙だ。少々力を使って、結晶化している。君の涙も流したら結晶化をし、同じように収納しようと考えている」
「ヌヴィレットさんの涙?そいつは随分と貴重だな。これの方がメリュジーヌどころかこの国の人気者になれそうだ」
「そうだろうか?」

あまりにもリオセスリがヌヴィレットの小さな雫となっている涙の結晶に目をやるので、指先で転がすように手渡した。その結晶を日の光に透かすように、リオセスリは詰まんでしばらく見ていた。
あまりに丁重に扱われるが、ヌヴィレットからすると見慣れたモノであるのであまりわからない。確かに簡単には解けない結晶と化しているが、掲げれば雨が降るだとか食べれば不老不死になれるだとか、そんな特別な力など何もない。なぜそのように気にするのだろうとヌヴィレットは不思議がった。

「ということは、ヌヴィレットさんも涙を流したって事だよな」
「もちろんそうだ」
「小道具を使わずに……どうやって?」
「…………それは、言わないと駄目だろうか?」
「是非とも教えて欲しい。俺が、涙を流す参考にもなる事だ」

まさかの問いかけに、ヌヴィレットは少々言い淀んだ。正直、水に関する事ならば大抵の事は出来ると言ってもいいだろう。だから、自らの涙だってコントロールすれば一瞬で生み出すことが出来る。でも、それは何かが違うと思った。それは涙ではあるが、小道具を使用した時と大差なとい感じたのだ。だから。

「その……涙を流すには感情を揺さぶる必要があると思っている」
「そうだな」
「私の、感情を何か揺さぶるとしたら相手は君しかいなくて。最近、君は水の下で忙しくしていて……あまり会えなかったから。少しだけ……寂しかったから」
「それは……なかなか立ち寄れなくて、悪かった」
「ふいに君に会いたくなって、勝手に涙が出てしまったのだ」

最後の方の言葉は消え入るようなトーンになってしまったかもしれない。それでも、全てを察したリオセスリはいつの間にかこちらに近寄って、優しくヌヴィレットを抱きとめてくれた。
ああ…このような抱擁も本当に久しぶりであった。普段は水の上と下で立場があるからこそ、この関係は成り立っているし、互いに無理強いを強いるようなつもりは毛頭ない。だが、ヌヴィレットは知ってしまった。この腕の温かさを。一度見知ってしまったら、感情の抑圧を習慣化しているヌヴィレットとて抗うのはとても困難な熱含量だった。

「ヌヴィレットさん。生憎俺は、あんた以上に感情を体現するのは苦手だと思う」
「君に、私のような涙を流してほしいと願ったわけではない」

同じ想いであった事は今こうして見知った。それだけでヌヴィレットは十分であった。元々ヌヴィレットは審判で人の感情を揺さぶられるべき場所に立つ事が多い。涙と言う形で露骨で人前で見せはせぬものの、そのせいで随分とエピクレシス歌劇場近くの天気を悪くしたものだ。感受性は高いのだろう。それを、泣いている…考えている余裕のない生活を送っていたリオセスリにも求めるのは酷であった。

「だが、一つ。俺だって、生理的に涙を流す事はある」
「それは……どのような時であろうか?」

抱き合っているので顔は元からものすごく近かったが、まるで天啓のように思えるリオセスリの言葉に思わずがばっとヌヴィレットは顔を上げた。
気恥ずかしいからまだ伝えてはいないものの、リオセスリの涙を欲しがるのはメリュジーヌを言い訳とはしたものの唯一の指人形を手元に置いて置きたいという思惑があったからだ。それは会えない寂しさを少しでも埋めるようにと。だから、ヌヴィレットも揃いで作ったし、可能であるならばそちらはリオセスリに持っていて欲しかった。
もちろん、ヌヴィレットがその涙に手を加えたとしても別段何かしらの効力があるわけではない。だが、水に一番近い存在である涙が手元にあるというだけでも安らぎを手に入れられるというただの自己満足に過ぎない。そんな我がままを許してくれるとしたら、その涙が得られるのであればと色めき立った瞬間であった。

「あくび、くらいは俺だってする」
「……あくびか。確かに、それは涙を伴うな」

言われてみればと納得して、うんうんとヌヴィレットは頷いた。それは意識的に行う事ではないが、確かにヌヴィレットにも伴う生理的行動の一環である。

「だが、あくびをするには。俺も相当な夜更かしをしなくちゃ難しい。もちろん、ヌヴィレットさんはそれに付き合ってくれるよな?」
「え……?」

いつの間にか腰を引き寄せられ、頬を寄せられ唇もあっという間に迫る。
先ほどのような軽い抱擁とは違う、それは明らかな色を交えたものであった。

「俺の涙を結晶化するなら、もちろん朝まで付き合って貰うのが条件だ。隣に居ないとそんなこと出来ないだろ?」
「リ、リオセスリ殿!そのような、突然は……」
「ああ……あと。指人形に固執するのも構わないが、偶像ばっか見てないできちんと今後も必要なら俺を呼ぶように」



念押しでそこまで言われて、今夜の予定はすべてが確定化してしまった。そうして未来の約束も。
折角作成した指人形だが、もしかしたらメリュジーヌに披露する機会はあまりないのかもしれない。
ただ―――、指人形に埋め込まれたリオセスリの涙も、確実に愛の感情がこもった涙となったのだった。

















リ オ セ ス リ 、 涙 を 流 す