attention!
全てが捏造。








「個人的に、パブリックコメントを求めたい」

共律官経由でメロピデ要塞管理者であるリオセスリとのやり取りをする書類に、ヌヴィレットは要望を記載した。そうして次の便として要塞から贈られてきた書類に、返答のようにリオセスリの疑問が挟み込まれていたのだ。パブリックコメントとは、なんだと?定義を尋ねられたのだと勘違いしたヌヴィレットは。パブリックコメントとは、公的機関が法律等を制定する際に広く意見を求める事と概要を記載し、且つ過去に多くはないが何度か市民に向けて告示した事例をいくつか取り上げた。残念ながら、今までパブリックコメントを求めても市民から色よい情報交換が成されたことがなかった。その為、有識者としてリオセスリを指名した。そうして教えを請いたいと、付け加えた。
その結果、想定より可及的速やかにリオセスリは、ヌヴィレットの執務室にやってきたのだった。



「ヌヴィレットさん、あんた。人選間違えてないか?」
「そのようなことはない。君を見込んで、折を言って教授を願いたいと思っている」

わかりやすく頭を下げるのはリオセスリは嫌がるだろうからと、ヌヴィレットは礼を尽くして懇願をする方向性に舵を切った。
フォンテーヌの市民からはこの国で知らぬ事はないと思われている部分もあるようだが、ヌヴィレットの知識は幅広くもあり一部分に特化しているともいえる。たとえ全知全能に近いと勝手に評されても、知らない事は多くあった。

「あんたからの要請ともなれば大変名誉な事だが……金融面で俺に尋ねたいことがあるっていうのは、ちと無理がないか?水の上の投資や取引は、俺には無縁だぞ」
「ふむ。確かに相談事項が、モラの投資や取引ならば。シュヴァルマラン婦人に助力を求めていたかもしれないな」
「えーと、そいつはたしかフリーナ様のサロンメンバーだっけ?まあ、幅広い意見を取り入れるのは悪い事じゃあないと思うが。ともかく、俺は普段は水の下でモラとは無関係な生活をしているから、まるで役に立たないと思うぜ」

本来のパブリックコメントはある程度の草案が固まってから告示するが、今回ヌヴィレットはその草案である下書きを練るためにリオセスリに声をかけたという形になった。その為、人目に触れる可能性がある政府間のやり取りである書類に、細かい詳細を記載することができなかった。ざっくばらんに金融面と書き込んだせいか、リオセスリは専門外だと決めつけてしまい、直接断りを伝えに来たのであろう。だが、今回の件についてはどう考えても最適者はリオセスリしかいなかった。

「願いたい事は、モラ関連の事ではない。メロピデ要塞で流通する、特別許可券についての確認をしたいのだ」
「特別許可券?そんなものに、興味が沸く水の上の人間っていうのは、かなり珍しいぞ。事情は説明してくれるんだよな?」

確かに一般的定義からすれば、金融と言っても間違いではい特別許可券を名指しされ、リオセスリは意外だと口の中で含んだようだった。ただ、外套をいくつか探り、そこからたまたま所持していたらしい一枚の特別許可券を取り出して、ヌヴィレットにぴらぴらと見せてくれた。対して、ヌヴィレットもわかりやすく状況を説明するために、引き出しから一枚のモラを取り出し、デスクの上にパチンとその貴金属を置いた。

「情報通なリオセスリ殿のことだ。璃月国で、岩神モラクスが身罷った事は既に知り得ているという前提で話をさせて貰う。モラクスの功績に関しては無数に存在するが、現在我が国フォンテーヌに一番影響があるのか、モラの鋳造だ」
「ああ、聞いたことがあるな。テイワット唯一の造幣局である黄金屋が、モラクスが亡くなった後は動きを止めたということなら」
「そこまで聞き及んでいるのなら、話は早い。今のところはまだ、モラの鋳造中止の具体的な影響は出ていない。そこは璃月七星が上手くやりくりをしていると言っていいだろう」
「……だが、近いうちにフォンテーヌにも影響が出るって、あんたは思っているんだな?」

最後まで言わずとも、察したリオセスリが続きを語ってくれたので、合わせるようにヌヴィレットは頷いた。彼が聡明な事は当然の事だが、他国の情勢についても的確に見定めてくれたのだ。おかげで話はとんとん拍子で進む。
モラは通貨としての側面もあるが、元々は触媒だ。いくら500年人間社会で生活しているヌヴィレットとはいえど、モラに関しては当初から存在し得ていたものだ。無論、単純な元素ではないが、モラの持つ物質転換の力は神の領域に近いため、どちらかといえばヌヴィレットに近いものと言っても過言ではないだろう。

「その通りだ。直ぐというわけではないだろうが、今までのように通貨としてのモラを全面的に頼り切るのは難しくなる可能性が多大にある」
「確かに。それで、事前に準備と対策をしようというのは、賛成だが。具体的にはどうするつもりなんだ?」
「諭示裁定カーディナルが止まった今、律償混合エネルギーが生み出されなくなった。これは、我が国のエネルギー問題だが、これを通貨に置き換えると璃月国では、それがモラだったということだ」
「そのモラが、テイワット全土で流通している通貨っていうのが、大問題なんだけどな」

近年各国では様々な問題を抱えている。フォンテーヌも、この国最大の危機である予言を乗り切ったばかりである。幸いな事に、スネージナヤをはじめとして外務省の働きにより、他の国との関係は特段悪化しているわけでもないし、予言もエネルギー問題も全て国内だけで収集がついた。
正直、復興が完全に成されたというわけではないので、他国の心配をしている場合ではないのだが、モラに関してだけは人間の経済活動として切っても切れない存在であった。モラの鋳造が物理的に不可能となれば、いずれデフレが訪れるであろう。

「この国のエネルギー問題の方は、とりあえずあんたがなんとかしたって聞いたが。通貨の問題も、あんたがどうにか出来るのか?」
「…………断言は出来ないが、理論上は可能だ」
「マジかよ?凄すぎるな」

慎重に言葉を選びつつも、ヌヴィレットは口にした。
元々構想がなかったわけではない。自国で通貨を管理できないという構造にも、そもそもが問題があると常々感じていた。だからこそ、この数百年いくつかの案を自分の身の内に留めていたりもした。だが、今まではモラが安定供給されており、近年だとあの北国銀行もフォンテーヌに支店を出すくらい、通貨が確立していたのだ。物理的に不要であろうと思っていた案の一つだったが、現実の物となったのは、ヌヴィレットが本来の力を取り戻したからである。神も得意分野が存在し、特に岩神からすれば「モラ」という触媒の鋳造は容易な部類に入っているのだろう。例えば、水龍としてのヌヴィレットは固体よりも液体を創造するのが得意である。だからと言って、結晶などを作れないというわけではないし、人間生活に必要という事で通貨は固体の形をしているが、元々固体に必要な力を込める事は十分に可能だった。それこそ、純粋精霊に人の身体を与えた時と同じように。

「私は、モラ自体を鋳造できるわけではないが、モラに近しい触媒を作る事は可能だ。それを、フォンテーヌの通貨として流通させれば目下の問題は解決する」
「まあ、大変だろうが。それが出来れば、万々歳だな。じゃあなんで、特別許可券の事なんて知りたいんだ?」

話は既に解決しているじゃないかとリオセスリは両手を広げてリアクションを取って来た。ようやく話は最初に舞い戻る。彼がここに呼ばれた理由を、だ。

「私の調べたところ、テイワットで広く流通している通貨はモラ以外は、特別許可券しかない」
「そうなのか。特別許可券を通貨として認識して良いかは俺は判断できないが、他国の監獄はメロピデ要塞ほどじゃあないらしいからな。条件としては確かにあり得る」
「そして、私は特別許可券の存在を評価している。確かに特別許可券という最初の構造を作り出したのは、君より随分と前の管理者だ。だが、その昔の特別許可券は通貨として呼ぶにはあまりにも、規則が定まっていなかった。それをここまで改善したのは君の手腕だ」

それもかなりの短期間で次々と改善がされていった。
もちろんリオセスリは特別許可券のルールの制定以外にも、メロピデ要塞内の規則を余すことなく制定していったのだが、やはり驚異的だと思ったのがそのスピード感だった。今回、ヌヴィレットがパブリックコメントを求めたように、国民生活に変化をもたらす法の制定に関しては、数年かけて慎重に議論を尽くしたうえ、ようやく成し得る事が多い。少なくとも今までのヌヴィレットはそうしてきた。それは、長い年月を生きる自分にとっては当たり前の事だとは思うが、人間の寿命はそれほど長いわけではない。日々移り変わる変化に法整備のスピードが追い付いていないというのが実情である。フォンテーヌはヌヴィレットの独立国家ではなく、行政府……特に枢律庭などからは保守的な意見が出る事も多い。人間は現状維持を望み、急激な変化を嫌うのだ。だからこそ、管理者一人の判断によって次々と改善が成されるメロピデ要塞がヌヴィレットの反面に思えた。だから、今回の要望となったのである。

「値踏みをしてもらえるのはありがたいが……具体的にはあんたは特別許可券をどうしたいんだ?」
「そう、難しい事ではない。私も、個人的に特別許可券を手に入れたいと思った。だから、リオセスリ殿にはその協力を願いたい」

未だ手持ち無沙汰でリオセスリがひらひらと特別許可券の端を持っているのを見て、ヌヴィレットは軽く指先で指し示すことになった。その瞬間、ゆらゆらと揺れていた特別許可券がピタッと止まり、双方の視線が注がれることとなる。

「特別許可券が欲しいのか、ヌヴィレットさんが?」
「ああ。私はモラを使用したことはあるが、特別許可券に関してはこうやって実物を目にしたことは何度かあるが、実際に手に入れた事はない故」
「特別許可券を水の上でモラと交換しようとする奴がいると、定期的につぶすようにはしてるんだが、もしかして未だあるのか?」
「その点に関しては、君の監視は十分に行き届いている。リオセスリ殿が管理者になってから、そのような問題は私も目にしたことがない」

メロピデ要塞の囚人が平等になるのは、水の上の人間が収監前にどれだけモラを所持していたとしても、何の役にも立たなくなるからという事が多い。その為、特に政治犯や貴族などは、ヌヴィレットの審判が下り、メロピデ要塞行きが確定すると一番に囚人生活の向上の為に先立って特別許可券を手に入れようとする。もちろん、水の上への荷物のやり取りは全て検疫されているが、一部の看守が魔を指すことがないというわけではない。他にも様々なルートで、特別許可券が水の上に存在することもある。こうやって堂々と水の上で特別許可券を見せる事が出来るのは、本当に管理者であるリオセスリくらいであろう。
そのリオセスリが、予め収監される要注意人物に対しては、直々に迎えをして不穏な輩を根こそぎにしているという話はヌヴィレットも小耳に挟んでいる。

「つまりだ。特別許可券をあんたが手に入れても、水の上では何の効力も発しない。それでも、欲しいのか?」
「ああ。モラの代替通貨を鋳造するかは、まだ構想段階で決定したことではないし、君以外の誰にも話していない。だが、特別許可券を知ることは悪い事ではないだろう?だから、これは私の職務ではなくあくまで個人的な願いだ」
「……これを記念貨幣の代わりにするのは、随分と華がないが。そうまで言うなら、協力しよう。さて、今の手持ちはこれだけだが、受け取ってくれ」

再び、外套を探りよせリオセスリはどこかの収納から、残りの特別許可券を取り出した。それほど分厚い紙幣ではないが、トンッとデスクに威勢の良い音が響く程度ではあった。数十枚の特別許可券が積み重なり、二人の間に置かれる。

「……これを受け取る事は出来ない。私は君から無償で特別許可券を得たいわけではないからな」
「は?んじゃあ、なんで欲しいなんて……」

すっとこちらに寄せられた特別許可券たちを、軽く手で払うようにヌヴィレットはリオセスリ側へ戻した。デスクの上で特別許可券が無為にスライドする。

「メロピデ要塞では、特別許可券を手に入れる為に、それに相応しい見返りが必要だと聞いている」
「確かに、囚人たちが手に入れるには、一番無難なのは工場で働いて給料として貰うがな。後は、要塞内で買い物の代行したり荷物を運搬したり他にも色々と入手経路はある」

とりあえず、真っ当な方法での特別許可券の入手方法をリオセスリは説明をしてくれた。
基本的に何かしらの労働の見返りとして手に入れるのがセオリーだと。それはモラを稼ぐ方法も同様なので、別段驚く事ではない。規模が違うだけで、通貨を取得する手段に根本の違いはない事を改めて確認する。

「では、私もそれに倣おう。私に可能な事で、業務に支障がない範囲で君から特別許可券を取得したいと思う」
「ヌヴィレットさんが、俺の為に働いてもらう?そいつは、ハードルがたけぇな。もしかして書類の融通でもしてくれるのか?」
「いや、頼み事はリオセスリ殿の個人的な事に限る。無論、私も個人的に君に出来る範囲での事を対価とする」

これはあくまで職務ではないと、最初に二人の間で取り決めた。だから必然的にそうなってしまう。
だが実際問題、メロピデ要塞に簡単には足を踏み入れられないヌヴィレットが特別許可券を手に入れるのは、リオセスリ経由以外は相当難しい。あくまでも個人的な頼みだが、自分で手に入れないときっとこれは意味のないことだと思う。

「あんたにプライベートでなにかしらの労働の見返りを求めるっていうのは、なかなか難しいな」
「すまない……確かに私は公務を除くとつまらない者だ」
「そう言ってるわけじゃない…………あっ、そうだな。可能なら一つだけ、頼みたいことがある」

ぽんっとひらめいたかのように両手を軽く叩いたリオセスリは少しだけ悩む表情もしたが、改めてヌヴィレットに向き直ってこちらを見据えた。

「あんたの時間を対価に、特別許可券を渡す。これでどうだ?」
「もちろん、構わない。一般的に労働は、成果物より時間を基軸に報酬が支払われることが多いからな。それで、私は君に明け渡す時間、何をすればよい?」
「アフタヌーンティーに付き合ってほしいって言っても、それじゃあいつものことであんたも納得しないだろう。少しばかり、付加価値をつけて、あんたの知識を買わせて貰うことにしよう」





◇ ◇ ◇





「フォンテーヌ国立公文書館の特別閲覧許可が欲しい」

リオセスリが特別許可券の見返りとしてヌヴィレットに要求したのは、それだった。
一般的な国立図書館は市民に広く開放されて図書分類法によって管理され、それこそ神であるフリーナでさえ手軽に様々な本を読むために通うくらいの場所である。それに比べてフォンテーヌ国立公文書館は、歴史学者や一部の論文を書くための学生などにしか認知をされていない文書館である。その名の通り、歴史的な史料としての公文書。例えば……条約や外交文書、政府関係者の報告書などを保管している。古いものだと、国王文書、官庁文書、教会文書、領主文書などもあるので歴史の凝縮図ともいえる。一般大衆の為の国立図書館に比べれば規模はそれほど大きくないため、ここ行政区パレ・メルモニアの地下の一角に立地していた。昔の文書は光の劣化に弱いので、保存をする為に湿度管理をするのにも地下が最適だと判断されたのだ。
地下へ赴くエレベーターに、リオセスリとヌヴィレットは揃って乗る。

「こんにちは、ヌヴィレット様。本日は、何か調べものでしょうか?」

受付を任せているメリュジーヌがあまり人の来ないフォンテーヌ国立公文書館にヌヴィレットが来たことを素直に喜び、張り切って対応してくれた。

「これからしばらく職務の一部をこの場を借りて取り仕切る機会があると思うので、邪魔をする。特別書庫に居る事が多いので、君たちの手は煩わせないようにするが」
「了解しました。元々特別書庫はヌヴィレット様以外の方は鍵をお持ちでないので、問題はありません」

ヌヴィレットにとっては、国立公文書館は勝手知ったる庭である。立場上、公文書に関与する機会が多いヌヴィレット自身が名目上はここの館長をしているが、実質的には管理に関しては湿度や紫外線の変化に目ざといメリュジーヌや共律官に任せている。いくつかのゲートをくぐり、さらに地下に地下へと降りると暗闇に慣らすためか、どんどんと照明の光度が下がっていく。そうして最後に特別書庫へ続く、専用エレベーターで更に地下へと二人は赴いたのだった。

「予想はしていたが、これまた随分な文書量だな」

重厚な鍵を用いて特別書庫の重い扉を開くと、入口の淡い照明だけヌヴィレットは点灯させた。
構造的に必要な場所にしか照明を付ける慣習なので、入口より奥へとつながる深淵のような暗さがリオセスリには見たのであろう。後ろから鼻歌交じりの歓声が飛ぶ。

「簡単な目録は一応あるが、滅多に人が立ち入らない場所故、詳細な管理はなされていない。必要な文書の場所は私に尋ねる方が早いだろう」
「ん?それじゃあ、ヌヴィレットさんが常にここにいるって前提になるが」
「規則上は、特別書庫の立ち入りは必ず館長である私の同席が必須だ。君がここで調べものをしたいのならば、必然的にそうなる」

当然のことながら、特別書庫の文書たちはすべてが持ち出し禁止である。一部の需要が見込めるものたちは、特別に複写が用意されて、ここより上階の閲覧室で見聞も可能であるが、リオセスリがわざわざ特別書庫に足を運びたいというのであるとすれば、閲覧室で見られるような一般的な文書ではないのだろう。

「常々私も個人的に500年ほど前の文書を再確認したいと感じていたから、君の申し出は都合が良い事だと思った。利用させて貰おう」
「そうか。あんたにも利点があるっていうのなら、俺も心置きなく調べさせて貰おう」





予想に反してリオセスリが探している文書は、一つや二つではなかった。
事の始まりはこうだ。リオセスリがメロピデ要塞を引き継いだ後、歴代の管理者が保存している公文書や図書を全て確認したのだという。それがメロピデ要塞のそもそもの成り立ちや過去を知りゆくために必要なことだからと。結果、フォンテーヌの予言の危機では多文に役立ち、箱舟どころか飛行船ウィンガレット号という空を飛ぶ超大型飛行船を成し得たのだった。しかしながら、メロピデ要塞の全容は未だに明らかにされたわけではなく、リオセスリが知らぬ時代に廃棄された区域などもある。それを把握するには、やはりメロピデ要塞の歴史を公文書や図書から探ろうとしたそうだ。しかしながら、一つの問題が発生した。それが、文書の喪失だ。それが歴代管理者の故意によってもたらされたものであったら、話はまた別であるが、大体の原因が水害によるものだった。今となっては完全に密閉された水中空間であるメロピデ要塞ではあるが、過去には何度か大規模な漏水事故を起こしている。その影響で、ある一定期間より昔の記録がまるまる失われているそうだ。リオセスリは自身の自己満だというが、杜撰となり老朽化したメロピデ要塞の補完。管理者として、昔の記録が抜けてるのは困るという言い分。その為、無くなった公文書の付け合わせの為に、わざわざ特別書庫に足を赴いたというわけだ。

「ヌヴィレットさん。今から、327年前〜334年前あたりのメロピデ要塞との公文書が、どのあたりにあるのか知りたいんだが」
「それなら、ここから十五区画ほど離れた棚に、集約してある。その年代ならば、私もやりとりの記憶があるので、不明点があったら尋ねて欲しい」

「さすがにこの時代は、タイプライターはなかったのか。このメロピデ要塞の管理者の金釘流は、なかなか読みにくいな。ヌヴィレットさんの流麗な文字と並べるとさらに際立つ。あんた、昔から文字が綺麗だったんだな?」
「このころは、審判で採決するよりも文字を書いている時間の方が遥かに長かったからな。機会が増えれば、必然的に文字も書き慣れる」

「あー、この日収監された囚人が気になるな。審判内容の詳細は、どこにある?」
「それならば、特別書庫ではなく上の閲覧室で確認できる」
「わかった、上へ行ってくる。いつも付き合わせて悪いが、あんたも少しは自分の調べものを進めてくれ」






文書を保護するための専用の手袋を脱ぎ置いたリオセスリは、慣れた様子でエレベーターで上へ戻っていった。
―――特別許可券の見返りとして、リオセスリの特別書庫閲覧に付き添い、もう何度目かわからないくらいの回数であった。職務の一環として水の上に上がりヌヴィレットと会議や報告をした後、個人的な時間として特別書庫へ赴く。これが二人の間に決められたルーティーンとなっていた。
それは、とても心の良い時間の経過であった。今までヌヴィレットが個人的に求められるという機会がなかったわけではない。だが、大抵は相手から一方的に理解しがたい感情を押し付けられという一連が多かった。ヌヴィレット自身が望んで、これほどの時間を誰かと共にするというのは初めての事であったのだ。

「そういえば、500年ほど前のヌヴィレットさんの最高審判官就任演説の文書を見つけたぞ。あんたは昔から一貫してて、今もそれを忠実に守り続けているのはすごいことだよ」

目の前に本人が居るというのに、その文書の文字を読みながらリオセスリは喋った。だったら、もう少し私を見たらどうだ?とヌヴィレットは声もかける事は出来ずに。歴史は、ただゆっくりと繰り返す。
実は……ヌヴィレットの方はリオセスリより速読気味であるので、当初の目的であった500年前の文書は大体読み返してしまった。それなので、この際だからと今まで手付かずだった特別書庫の目録を改めて作成しはじめたのだった。それももうすぐ完成しそうだ。もちろん、リオセスリ以外にも必要とあれば特別書庫を閲覧する者もいる。だから、この目録は将来を鑑みれば非常に役立つ物であろう。だが、これの完成をリオセスリに告げたら、どうなるのだろうと。一つだけ、違和感がヌヴィレットの胸の中を薄く巣食った。

「そろそろいいか。今日は、もう終わりにしようと思う。実はさっき、上に行ったときについでにお茶の手配をした。ヌヴィレットさんも、一緒に休憩しないか?」
「…………わかった、同席しよう」

手を止め考え事をしている最中に、いつの間にか上から戻って来たリオセスリに声をかけられた。
ほとんど完成している、特別書庫の目録を隠すように閉じてしまいながら、ヌヴィレットはその場を手早く片付けた。





◇ ◇ ◇





「これが今日の分の特別許可券だ。納めてくれ」
「リオセスリ殿。確かに私は、特別許可券を所望したが。この量はどうにかならないのだろうか?」
「初めから俺は言っただろ?水の上で無価値なこれをあんたが手に入れてどうするんだって」

ヌヴィレットの執務室に戻ると早速、ドンッと軽快な音がなるほどに、デスクの上に置かれた特別許可券があった。
モラが法定通貨として流通していなかった遥か昔、とある国ではハイパーインフレーションを起こし、価値がほとんどなくなった通貨があった。それほど籠いっぱいにその通貨を店先で提示してもパン一つ手に入れない程という過酷さ。
特別許可券に関してはそのような事はもちろんなく、安定的なメロピデ要塞内の通貨として流通している。だから、リオセスリからもたらされる特別許可券の枚数が多すぎると、最初に渡されたときにはっきりとヌヴィレットは言った。確かに、相場の話をしていなかった。特別許可券を対価として欲しいと要望はしたが、具体的な金額にまで言及はしなかったので、リオセスリに任せてしまう形となった。そうして、瞬く間に反論をされた。いわく、公人の為、最高審判官の報酬は広く公表されている。国家元首の報酬が低いと汚職の根源となってしまうので、その金額は膨大である。確かに報酬規程通りにヌヴィレットは職務の金銭を授受している。その為、職務の拘束時間を鑑みてモラから算出してレート計算した特別許可券が、こうやって毎回リオセスリから渡されるようになってしまったのだ。確かに合理的ではあるが、これがとんでもない事であることくらいヌヴィレットも理解している。

「ノブレス・オブリージュは君も周知しているだろう。私の最高審判官としての報酬は、ほとんど社会福祉施設などに寄付させて貰っている。メロピデ要塞にそのような施設があるのならば、同様にしたいと思うのだが……」
「残念ながらそういうお貴族様の習慣は、水の下にはないんだ。囚人たちの居食住に関しては最低限の保証をしているから、気持ちはありがたいが施しは遠慮させて貰う」

ヌヴィレットは自他ともに認めるほどの多忙な為、あまり使う機会がなく、その多くは貴族の義務として社会貢献としてモラを寄付している。もちろん、未だ水中に住まうメリュジーヌたちの為に工面している金銭もあるので、今まで手元に多くの通貨を所持するという経験がヌヴィレットにはあまりなかった。
文字通り積み重なる特別許可券は、専用に用意した枢律の宮殿のストレージボックスに収まり切れないほどで、すでに二箱目の手配をしたくらいであった。

「しかし、これほどの特別許可券をどうやって調達している?」

特別許可券の紙幣の発行や管理については、リオセスリが一任していることは認識している。
リオセスリがメロピデ要塞に着任してから初めて着手したのが、囚人たちを統制する規則の制定と特別許可券の管理通貨制度を改めることだった。長らく囚人として特別許可券をコツコツと見極めてきたリオセスリは、歴代の管理者と違って非常に通貨に対するバランス感覚を知り得ていた。そうして、並ぶ商品や賭けのオッズなどを決めて、囚人たちの需要と供給を見極めて価格を変動させている。固定相場制の方が管理は楽な筈だが、特別許可券が囚人たちの大切な生活の一部だと理解しているので、積極的に介入をしているのだ。

「あんたに渡している特別許可券は、俺のポケットマネーから捻出してるものだから、変に心配しなくてもいい」
「君の……個人的な資産だったのか?」
「ああ。特別許可券の相場っていうのは、使用者が水の下に限られる為、何かがあると変動が大きい。だから、俺は必要に応じて、間引いたりばら撒いたりしてる。水の下には、拳闘っていう俺に都合の良いシステムがあるんでな」
「それで、私にこのようにたくさん渡して、君の手持ちに問題はないのか?」
「ん?まあそういえば、確かに心許ないかもしれないな。俺の予想だが、今現在個人で特別許可券を一番所持しているのはヌヴィレットさんって事になるじゃないか?そんだけの特別許可券があれば、水の下の事は大抵なんでも出来る」

くくっと、笑いながらリオセスリはこちらの疑問に答えてくれた。

「……私が、誰よりも特別許可券を一番所持しているということは、要塞の新たな管理者になりうることも出来るということか?」
「おっ、それも良いかもしれないな」
「で、今の管理者に没収されるのか?」
「そんなことは、俺はしないさ。望みもしない……それは、あんたに渡したものだからな」

現実的に考えて、ヌヴィレットがメロピデ要塞の管理者を兼任することはないし、立場上滅多なことが無ければ水の下に行くこともない。だから、自分が所持している特別許可券はただの紙屑同然だとでも説明されたようなものであった。
そう理解した瞬間、それはとても不快な事だと思った。あれだけの時間を国立公文書館でリオセスリと共にして得た対価が、まるで意味のないとは思いたくなかったのだ。そう、たとえ形として残る特別許可券がそうだったとしても、ヌヴィレットの胸の内には確かに宿るものが生まれたのだから―――

「わかった。では、今度公務ではなく個人的にメロピデ要塞を訪れさせて貰う。その際は、私という存在が目立たぬようにリオセスリ殿には助力を願いたい」
「ん?水の下に来るのか。そいつは、構わないが……何をしに?あんたのお気に召すものがあるとは思えないが」
「無論、手持ちの特別許可券を使用する為、だ。元々通貨の問題を知り得るためには、取得するだけではなく消費も体験する必要がある」

そう言いながら本日新た手に入れたデスクに上に積まれた特別許可券を手に取り、枚数を数えて帯を付けて、ヌヴィレットは枢律の宮殿のストレージボックスに整頓して収納をした。そこには、今まで手に入れた特別許可券が全て入っており、ずっしりと存在感を示している。

「―――水の下でなら、何でも買えるのだろう?だから、この特別許可券で、メロピデ要塞の管理者の時間を購入させて貰う。相場に問題はないと認識している」

ぎっしりと特別許可券の詰まった枢律の宮殿のストレージボックスをリオセスリの目の前に示して、ヌヴィレットはとてもわかりやすい交渉を示した。
今までだって、互いに個人的な時間をこれで購入していたのだ。有無は言わせないと言葉に込めて。

「……はっ、そいつは、また……随分と光栄なことだが。いったい何十時間、俺を拘束するつもりだ?まあ、あんたに付き合うなら、気が済むまで相手するが」
「私の心は既に決まっている。君の心が、私に向いてくれるまで……と言ったら、これで枚数は足りるだろうか?」

二人は最初から最後まで個人的な事にしか特別許可券を使用しない。
だから、ヌヴィレットが水の下で欲するものなんて、一つしかなかった。それしか、必要ないが……とても難しいものだと思っている。それでも、この関係がもし崩れてしまったとしても、伝えたいと思ったのだ。たとえダメ元でも。

「―――そういうことなら、この特別許可券は受け取れないな。もうとっくに、俺の気持ちはあんたに向いているさ。だからこのやりとりは無意味だ」

そう言いながらリオセスリは、枢律の宮殿のストレージボックスに添えていたヌヴィレットの手をぐいっと、自分の方へと引っ張った。
その力強さに、机越しであったがヌヴィレットは引き寄せられて、ゆらっと揺れた。そうして軽く顎に触れられ、顔を向けさせられる。

「っ、…………待って、欲しい。……これは、想定していなかった。一度、仕切り直したい」
「あんな熱烈な告白受けたのに、期待に添わないわけにはいかない。そう簡単に放すと思うのか?」





フォンテーヌ国立公文書館特別書庫で二人が過ごした時間はそれなりに長かった。
ヌヴィレットはそれをとても個人的な時間だと認識していたが、これからはもっと本当のプライベートな時間をリオセスリに認知させられるのだった。
それから二人の間だけで流通する特別許可券は特別な通貨となり、布いては今後のフォンテーヌ通貨金融会議に大いに役立つこととなった。





◇ ◇ ◇






「モラは金属貨幣だが、やはり特別許可券のような紙幣の方が、持ち運びがしやすいし原料とコスト面にも優れているな」
「そうだな。まあ、水の下の規模だからなんとかうまく調整してるが、流通量の多くなる水の上で本格的に紙幣の発行をするとなると、インフレの心配もある。しかし、まったくゼロの状態から新通貨を鋳造するとなると問題は山積みだな」

二人きりのアフタヌーンティーの合間。今日はヌヴィレットがからの要望ということで、名目上の特別許可券のやりとりがなされて、そんな話となった。
極めて個人的な時間を過ごす間柄となったが、そうは言えど二人が交わす会話に昔ほどの違いはない。相変わらず二人とも公務がある身で、話題はそちら方向へ転がる事の方が多いのだから。ヌヴィレットの立場的に偏ることは良くないとはわかるが、あくまでパブリックコメントの一つとして私情は挟まないように、ワンクッションは置くべきだともわかる。直属の右手や秘書がいるわけではないので、国の事情に対して同等の知識があり聡明であるリオセスリに気軽に相談が出来ることは、非常に頼もしくあった。

「草案段階でさえ、大枠として決めるべきことはたくさんある。ああ、唯一新通貨の名前だけはもう決めてあるが……」
「ん?通貨の名前か。そいつは確かに重要なことだが、えーと『モラ』は岩神のモラクス由来だっけ?ということは、新通貨の発行者はヌヴィレットさんだからその名前から取るとなると、『ヌヴィ』か?それとも、フォンテーヌの『フォン』?か。ちょっと言いづらいかもな。うちの国ならともかく、他国が呼ぶことになったら大変そうだ」

「ああ。だから、『リオ』の方が響きが良い」
「は?」



貢献したものの名を付けるのは当たり前だと、ヌヴィレットは平淡に口にした。






















君 の 名 前 が 欲 し い