attention!
全てが捏造。
『大スクープ!!あのメロピデ要塞の管理者であるリオセスリ公爵に、まさかの隠し子か!?』
多忙なヌヴィレットだが、朝の習慣としてフォンテーヌで発行される新聞に目を通す作業がある。
最初に読む朝刊は、主要紙であるスチームバード新聞社の日刊紙スチームバードデイリーである。そこには、様々なコーナーがあり七国の情報からゴシップまでなんでも書かれている。また、各種専門紙も一通りは、斜め読みをする。自らの職務と密接な関係にある経済紙に関しては注意深く。特に政治面や経済面には、経済政策や景気対策、税制改正や年金制度改正などの問題やそれらの法案を巡る動向に関する記事。また、景気動向などマクロ経済に関する記事。銀行・保険・証券といった金融機関の動向や新しいビジネス・サービスに関する記事などが掲載されている。どちらかと言えば速読なので、文書を読むよりもそれらの記事を的確に読み理解することが出来る。余裕があれば、この朝の時間に他国の主要紙にも手を伸ばすのだが……
ゴシップ誌である「七国四海ポスト」を手に取り、目次にぱらぱらと目を通したところ、思わず目を止める表題があった。
「……リオセスリ殿に、隠し子?」
訝しみながらも早速該当ページまで捲り、記事を読む。そこの秘話コラムには、飛ばし記事としか思えないようなとても裏取りをしたとは思えない具体性のまるでない憶測の数々が拡大解釈され記載されていた。
ヌヴィレット自身も、以前七国四海ポストによりあれやこれやと言われなき内容を掲載され、思わず飛んだ三流記事と評したほどであった。報道の自由があるとはいえゴシップ記事に、掲載する内容に関する信憑性は担保されていない。刺激を求めている大衆が読むタブロイド紙にスキャンダルを求める国民性が合わさり、大々的に禁止も出来ないし、こういう内容に敏感な水神に関してはギリギリ許容できるラインを狙っている為、厄介だ。
そもそもの前提として、リオセスリは独身で所帯を持っているわけではない。従ってもし子がいたとしても不貞行為等には値しないのだ。それでも、ヌヴィレットがこの記事を読んで胸のざわめきを覚えたのは、二人がいわゆるお付き合いをしているからである。
コン コン コン
「ヌヴィレット様、お時間よろしいでしょうか?」
「セドナか、どうした」
いつもスケジュール通りに来客を通すセドナが、やや小走りで入室してきた。メリュジーヌの歩幅を考慮して立ち上がったヌヴィレットは、すたすたと扉の方まで歩く。
「申し訳ありませんが、階上の執律庭よりお呼びがかかっております。お忙しいヌヴィレット様をわざわざ呼びつけるなんて、無理だと伝えたのですが、どうにも向こうも慌ただしいようでして……」
「何か特別な事情があるようだな。わかった、執律庭に向かう事としよう」
フォンテーヌの治安維持と法執行を担当する部署である執律庭がヌヴィレットを要請するということは、何かしらの事件が起きたという事であろう。足早にヌヴィレットは共用部へあるエレベーターへ向かい、上層部にある執律庭を目指した。
執律庭には、警備ロボと都市の警備をする警察隊や、精鋭部隊である特巡隊など、様々な組織が所属している。法執行機関であるので、形式上でのここのトップはヌヴィレット自身ではあるが、平素は司法機関である検律庭での職務が中心であるため、自ら捜査などをするような事は滅多にない。唯一直接、指揮するのはマレショーセ・ファントムを中心とするので、わざわざ足を運ぶ機会がそう多くない場所であった。執律庭のフロアの受付に話しかけると、天秤とメリュジーヌが描かれたエンブレムの警察隊の制帽をきちんと纏った警察隊員が恐縮しながらも慌ててやってきた。困り果てた表情で、とりあえずこちらに……と案内されたドアプレートには、地域部地域総務課という記載があった。
「……それで、きみはどこからきたのかな?」
「…………」
「おなまえは、いえる?」
「…………」
「じぶんが、なんさいだかわかる?」
「…………」
「パパやママとは、はぐれちゃったのかな?」
「…………」
最終的にヌヴィレットが通されたのは、狭く簡素な応接室と思しき部屋であった。防犯上の観点から窓はなく、壁も無機質な打ちっぱなしな空間だ。そこに、濃く渋い茶色の色合いのソファと簡易なテーブルだけが置かれている。一応、ノックをして入室したものの、室内は取り込み中だったらしい。
奥には、女性警察隊員がおり、何かしらの質問を投げかけていた。質問を受けているのは、恐らく少年であろう。短い髪の後ろ姿からしか連想は出来ないが、身長はヌヴィレットの半分ほどの男の子。あまり子どもに詳しくないのでわからないが、体型から連想するに恐らく三歳から五歳くらいであろう。
女性警察隊員は根気強くいくつかの質問を投げていているのだが、一向に彼からの反応はないようであった。
「失礼、部屋を間違えただろうか?」
「えっ…、あっ……ヌヴィレット様!?」
邪魔をしたかと一声かけると、女性警察隊員は慌てて立ち上がって敬礼をした。
そうして視線が上がったことに油断したせいか、次にヌヴィレットの足に直接ドンッという衝撃がやってくるまで、その存在に気が付くことはできなかった。
「……これは」
それは、いつのまにか駆け寄ってやってきた少年が思い切りヌヴィレットに抱き着いた激突音であった。
そうは言っても、所詮はか弱き子どもの精一杯の動作である。別によろけるようなこともなく、ただただヌヴィレットの腰に必死にしがみついているようにしか思えなかった。しかし子どもなりにぎゅっと顔も押し付けられヌヴィレットの衣装と髪のリボンごと握られているので、少々身動きがとれなくあった。
「え、え……えーー!も、申し訳ありません。ヌヴィレット様。制止も出来ずに、こんな」
「いや、これくらいの事。別段かまわない。ところで、私を呼んだのは君か?」
「は、はい!大変、失礼ながらご足労をお願いさせて頂きました」
びくんっと慌てて緊張しながらも何度目かの敬礼のボーズを女性警察隊員は入れた。高揚の為、汗さえ噴き出ている様にさえ思える。どうやら入室する部屋は間違っていなかったらしい。
狭い室内に響く大きな声で対応する女性警察隊員ではあったが、ヌヴィレットに抱き着いた少年はそこからピクリとも動かなかった。なかなか度胸のある子どものようだ。
「実は、その少年がパレ・メルモニアの共律庭におりまして」
「ふむ。共律庭に関しては市民にも開放しているから、子どもいるのはいささか不可解だが、あり得ないことではない筈だが」
「それが一人で歩いており、近くに親や縁者も見当たらなかった為、地域総務課が保護しました」
「つまり、迷子ということか」
顔をあげてくれないからその表情は読み取れないが、少年の身なりに関してはそれなりの仕立ての良い恰好であった。また白いシャツに黒を基調としたベスト、同じく黒のショートパンツとソックスの合間から見える素肌からしても、健康状態も悪い様子は見受けられなかった。身寄りのない孤児やスラム街の子どもというわけではなさそうである。
「先ほどから色々と素性を尋ねているのですが、どうも何も答えてくれなくてですね」
「もしや話すことが出来ないのか?」
「いえ、そういうわけではなく。ただ一言は喋ってくれたのですが、その内容がですね。ヌヴィレット様にお会いしたいとの事で……」
「私に?」
「はい。それで、他の手がかりもなくもしかしたらヌヴィレット様なら、この子の事を存じ上げているかと思い、お声がけをしたのですが……」
「いや。申し訳ないが、覚えはない」
そこまで言われて改めてしがみついたままの少年を見下ろすが、これだけでは何も情報を得られなかった。職務である審判の為に、間接的にフォンテーヌ民と接点があるが、ここまで幼い年齢の子どもに関しては、今まで接触するような記憶はなかった。法廷に関しても、入廷には年齢制限が設けられており、この子の年では目撃者としても信憑性は薄いだろう。
だが、このままでいるわけにもゆくまい。ヌヴィレットは手袋越しにゆっくりと、少年の頭にぽんっと軽く手を乗せて、その髪の一房を撫でた。
「少年、顔をあげてもらえるだろうか。出来れば、私の質問に答えてくれれば助かる」
ヌヴィレットから落ちてきた言葉が降りかかった時、少年はピクリと反応を示した。徐々にこちらに指先に込めていた力が外れ、腰に抱き着く力が抜けていく。
そうして、ようやく顔をこちらに見せてくれた少年の面立ちは―――リオセスリに酷似していた。
◇ ◇ ◇
少し癖のある黒髪に銀のところどころに混ざった柔らかい髪型は、フォンテーヌ由来のペット犬ではないが遠い北地の種である灰色がかった白厚い毛皮を彷彿とさせる。健康的な肌色に、信念の強さを彷彿させるキリッとした眉に少しだけ下がった目じりは愛嬌を感じる整った顔立ち。これであと、いくつかの傷跡とピアスとイヤーカフが揃えば完璧だろうか……さすがに、この少年にそれはない。
「ん……」
ヌヴィレットの執務室に備え付けられているソファ。少年は今ここで寝返りと少しの寝息を零した。
執律庭で保護した迷子の少年は、疲労の為かあの後瞬く間にぐっすりと眠りについてしまったのだ。だが、ヌヴィレットの衣装の端を固く握っていた為、どうしようかと女性警察隊員が慌てた。その為、ヌヴィレットは自らの執務室に連れ帰ると伝えたのだった。何か、少年に対する進展があったら報告するようにと伝えると、女性警察隊員はどこまでも緊張しながら恐縮して対応をしてくれた。
さて、どうしたものか。正直なところ、この少年がリオセスリに似て居なかったらもう少し事務的対応をしていたとも思う。結局、直ぐ眠ってしまったため、少年の光彩は一度しか見ていないものの、これはあまりにも……
仕方なく、眉唾物だと決めつけて読んでいた七国四海ポストの秘話コラムを再確認しようと、少年の隣に座っていたソファから立ち上がった。
トン トン トン
「ヌヴィレットさん、入ってもいいか?」
「リオ……セスリ殿……?」
聞き間違える筈がない。まさかの意中の来訪者の声に、ヌヴィレットは思わず反射的に羽織っていた衣装の外套を眠る少年にかけた。
はっきりとした返事をしたつもりはなかったが、ガチャリと執務室の扉は開かれる。個人的にも付き合っている二人の仲だ。これが公務だろうと公務以外であろうと、ヌヴィレットが明確に入室を拒否しなければ、淀みなく入ってくるのは当然であった。
「ん?ここであんたが外套を脱いでるなんて珍しいな。何かあったのか?」
「いや、私は…… そんなことより、随分と急な来訪だが……」
あまりにも急なこと過ぎて正直まだ頭と心の整理がついておらず、簡単には説明が出来なくあった。思わず、ソファであどけなく眠る少年の姿を隠すような立ち位置的構図になってしまったこともあり、とにかくリオセスリの話を聞くこととした。
「ああ、あんたの事だから。朝刊はもう読んだ、だろ?」
「…………もしかして、七国四海ポストの秘話コラムのことか」
「やっぱり、読んでたか。俺も暇じゃないんだが、まあ…さっきちょっと七国四海ポストの社屋へ行って、このコラムを書いた記者をかる〜く締め上げてきたのさ」
「それは、なぜ?」
「もちろん事実無根に決まってるからな。後日、訂正記事を出すようによくよく伝えておいた。まあ、誰も信じちゃいないだろうが、水の下っていうのは娯楽がここよりは少ない。こんな雑なゴシップ記事でも、変に尾ひれが付く可能性があるから、面倒なんだ」
「つまり、貴殿に隠し子などはいない……そういうことか」
「当然だろ?」
一応付き合っているから、わざわざヌヴィレットに報告をしにきたということだろう。リオセスリにはこういう律儀なところがある。だから好んだ相手とはいえ…… この一連の流れの対応は完璧で、本人としては軽く笑って飛ばせる冗談的な扱いなのだろう。ヌヴィレットも、あの朝刊を読んだ時点ならそれくらいの余裕はあった。だが、今はしかし。
しばし、沈黙のまま目を瞑り考えた。だが、先延ばしにするにはあまりにも目下に問題がありすぎた。ヌヴィレットは改めてゆっくりと、ソファに近づく。そうして、眠る少年にかけていた自身の外套をさっと取り除いて見せた。
「……では、この少年に覚えは?」
明け透けになった少年はまだソファに横になり、すやすやと夢の中にいた。まさか現実で、フォンテーヌの重鎮が二人そろってこの場で修羅場を起こしているとは思っていないほど、健やかな寝顔であった。
「は…………?」
「この少年は、リオセスリ殿。貴殿の子ども時代に酷似しているように見受けられる。再度、問おう。この少年に心当たりは?」
初めてリオセスリと出会った時の彼の年齢よりは大分、幼い。それでも、どこか面影を連想してしまうほどであった。
わかりやすく驚いた様子を見せたリオセスリは、ゆっくりと少年に歩み寄った。相変わらず少年は眠りについているので、その瞳は開かない。試しにところどころに混じるシルバーアッシュの髪を撫で、そうしてようやくリオセスリは口を開いた。
「ヌヴィレットさん、あんた。いつの間に、俺の子を産んだんだ?」
不思議がりながらも、極めて真顔でリオセスリは訪ねてきた。
「……いくら人ならざる身とはいえ、私にはそのような機能はない」
「って、ことは。この子は、一体……」
「そうまで疑問に思うという事は、心当たりはまるでないという事に間違いないか?」
慌てる事もなく変に挙動がおかしい事もなく、リオセスリはただただ疑問の様子をうかべるだけであった。その一連に嘘をついているような怪しい点などまるでなかった。
手がかりは潰えた。黒か、白かもはっきりせずに、ただ事実だけが二人の間にあった。
ドン ドン ドン
「ヌヴィレット様!大変申し訳ありませんが、失礼します」
「なんだ?」
今日は嫌にイレギュラーに静粛すべきである執務室の扉を叩く者が多い。
扉の奥から反応に答えると慌ただしく入室してきた、女性がいた。恐らくフォンテーヌ人ではない、その若い女性にヌヴィレットはまるで覚えがなかった。ただ、急ぎ足でこちらに駆け寄り。
「ああ、こんなところに。やっぱり……本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません。ほらっ、起きなさい」
何度もこちらに頭を下げながらも、瞬く間にソファで眠る少年に近づいた女性は、少年の頬を軽くぺちぺちと叩き肩を緩く揺さぶり、目覚めを促した。やがて少年はもぞもぞと何度か身動きをした後、ゆっくりとその瞳を開いた……が、あれ?とヌヴィレットは少しだけ首を傾げた。こうやってリオセスリ本人と見比べると、そうそこまで似ているというわけではないような……並べると少し印象が違う。それどころか、近寄る女性との瞳の印象があまりに似すぎて。
「失礼。君は、この子の母親か?」
「はい、その通りです。迷子になったこの子を探していたのですが、まさかこのような場にいるとは思わず、躾がなっていなくて、申し訳ありせんでした」
少年を起こして改めて向き直った女性は、深々と謝罪のための為の頭を下げてヌヴィレットの質問に的確に答えた。
「……あれ……ここは、どこ?」
「ここは、パレ・メルモニアよ。あなた、まさか本当にヌヴィレット様にお会いしに行くなんて……」
「だって……だって」
ようやく喋った少年だったが、知らない場所の寝起きで母親に猛烈に怒られて、言葉はうまく続けられそうにないし、今にも泣きだしそうなほどに顔をしかめていた。そうして、もだもだとしてそれ以上顔を上げる事は出来ず、わかりやすく肩を落として俯く。
「この少年は、私に会いたいと言っていたようだが。何か、事情があるのだろうか?」
「まあ、そんなことを。……実は、私たち親子はフォンテーヌ人ではなく旅をしております。そして、仕事の関係で他国にいるこの子の父親と合流するために明日フォンテーヌを離れる予定なのです。そのことを、この子に伝えたら……本当にお恥ずかしい限りなのですが泣いて嫌がりまして。まだ、リオセスリ公爵にお会いしてないのにと騒いで、家出をしてしまったんです」
「ん?ヌヴィレットさんじゃなくて、俺か?」
「まあ、まさかリオセスリ公爵までこちらにいらっしゃるなんて!?改めて、失礼しました」
慌てて部屋に入室したので、当然ヌヴィレットは在籍しているだろうと思っただろうが、子どもの事に必死でリオセスリの存在まで気が回らなかったのであろう。女性は本当に驚いて、本当に身を縮こませながら、非礼を詫びる声を出した。
「実はフォンテーヌに来て、この子にメロピデ要塞の話をしたら……父親に似ているリオセスリ公爵にとても憧れを抱いたようで。それ以降、リオセスリ公爵を真似して喋ったり、髪型を同じにして欲しいと頼んだり……」
「あー、だから。この子は、俺と似たような髪とか恰好をしてるわけ?」
「はい。新聞紙でリオセスリ公爵の写真を見かけましたので。それで、リオセスリ公爵に会いたいとも言っていたのですが、まさか水の下に行く手段もありませんので、私がふざけてヌヴィレット様に審判されれば……と冗談を言ってしまったのです」
「それで、この子は私に会いに来たという事か」
ようやくすべての疑問が解決した。全ては、国を出る前に憧れの公爵に会いたいという純粋な少年が巻き起こした騒動であった。
そういわれてみれば、七国四海ポストの秘話コラムに小さく掲載されていた、リオセスリの隠し子とぼかされていた写真はこの子に体格などが似ている気もする。もしかしたら、それを起因としてあのゴシップ記事も面白おかしくネタとして取り上げたのかもしれない。偶然とはいえ、これで全ての一連の点と線が繋がった。
「ほらっ、折角憧れのリオセスリ公爵がいらっしゃるのですから、きちんとご挨拶しなさい」
母親に怒られて罰が悪そうにソファから立ち上がった少年は、隠れていた母親の衣装の裾がそっと顔を出した。もじもじとしながらも、何度か顔を出したり引っ込めたりとして、明らかに焦った様子を見せている。
「よーし、少年。ちょっとこっちに来な」
よいしょっとしゃがみ込み少年の目線に合わせるように屈んだリオセスリは、ちょいちょいと手招きして少年を誘き寄せた。緊張した面持ちで、憧れのリオセスリの前にやって来た少年は、ぴしっと背を伸ばしてから喋る。
「あ、あの……こーしゃくさま!いつも、わるいひとたちをかんりしてくれて、ありがとう。とっても、かっこいいとおもいます」
「ああ、ありがとな。あんたも、悪い人が母親に近寄ってきたら、きちんと守れるようになるんだぞ?」
「うん!こーしゃくさまみたいに、からだをきたえるよ」
ここで、ぶんぶんっとリオセスリの真似っ子をして、少年はファイティングポーズをした。だから、リオセスリも同じく、こつんと拳を合わせてあげたのだった。非常に微笑ましい様子に母親は感動をして、ありがとうございますと、また何度目かの頭を下げて礼を伝えた。
しばらくそのままに楽しそうにしていたが、ふいにひょいっと首をちょっと動かした少年が、ヌヴィレットの方をじっと見て話しかけてきた。
「ぬう゛ぃれっとさま!さっきはとつぜん、だきついてごめんなさい」
「いや、構わない。気にはしていない」
「ぬう゛ぃれっとさまがあまりにきれいだったから、びっくりしました。また、だきついてもいいですか?」
「……おいおい、少年。ヌヴィレットさんは、そう簡単には抱けないぜ?」
「リオセスリ殿。子どもの前で何を……」
そうやって笑いながらリオセスリは、ひょいっと少年を軽く持ち上げて、ヌヴィレットの元まで抱いて連れてきた。憧れのリオセスリに抱っこされながらも、傍にはヌヴィレットまで居るというベストポディションだ。
まあ……と母親は再度微笑みながら、欲張りとなってしまったその三人の光景をにこやかに見ていた。
◇ ◇ ◇
「リオセスリ殿。あのまま、彼らを行かせて良かったのか?名前さえきちんと尋ねずに……」
ばいばーいと左右に力いっぱい腕を振る少年と、お世話になりましたと改めて深々と頭を下げた母親は、今度は離れることが無いようにと仲良く手を繋ぎ、名残惜しくも執務室を退室してしまった。残ったヌヴィレットとリオセスリは賑やかだったその二人の様子を見送るのみだ。
だから思わず、一抹の不安をヌヴィレットはリオセスリへと問いかけたのだった。
「そうだな……あれだけ似てたんだ。もしかしたら、あの母親か父親は俺の遠い親戚で隔世遺伝した子の可能性もある」
「彼らがフォンテーヌ人ならば、出生証書などで調べる事は出来るが。あの口ぶりだと、父親もフォンテーヌ人ではないだろう。そうなると、あとから調べるのは困難だ」
「いいさ、幸せそうな家族に変に水は差したくない」
リオセスリの権限をもってすれば、フォンテーヌの個人登録の閲覧が出来る。だが、他国にまでそれは及ばないし、国によっては戸籍管理などをきちんとしてなかったりする。ここで別れたら、彼らが進んで望むまで二度と手がかりは潰える可能性が高かった。
一度は自身の出生の秘密を探ったリオセスリだ。知りゆく機会があるのなら、もっと探りを入れるかと思ったが、呆気なく断りを入れた。それは、あの里親の元で育てられた兄弟たちにも横やりを入れたくないと感じたようだから、同様なのかもしれない。
「そんなことより、ヌヴィレットさん。あんたやっぱり、あの少年が俺の子だって少しでも思ったって事だよな?」
「……私は君ではないからな。完全に否定をする要因が存在しない以上、可能性としては考慮するしかなかった」
「まあ、つまり。嫉妬してくれた、と」
リオセスリは得意げに少しにやけた表情をしながら、こちらを見ている。普通なら疑われた事を懸念するだろうに、そちらへと拡大解釈されたようだ。
「そうだ、きっと私は嫉妬をした、認めよう。過去を問うつもりはないが、君には私のような人ならざる者ではなくもっと相応しい相手がいるのかもしれないと、考えたこともある」
確かに、よくよく見ればあの少年はリオセスリに瓜二つというわけではなかった。リオセスリと初めて出会った少年時代を知っているとはいえかなり昔であるし、ヌヴィレットは普通の人間よりは記憶力がある方だが。やはり朝刊で隠し子などいう本来ならば鼻で笑うようなゴシップを目にして、一度は払拭したものの無意識のうちに頭に残り続けて、そんな最中にあのような少年に出くわしてしまったことで、変にもやもやとしてしまい冷静な判断が出来なかったようだ。
二人の交際は比較的最近で、その前はどう考えても自由だ。ヌヴィレットと現在付き合っているリオセスリはとても誠実で、何かをやらかした様子はない。色々と配慮されているのもわかる。だが、リオセスリの経歴を考えれば、ヌヴィレットがメロピデ要塞に落とした一因ということもあり、完全に後ろ暗い事がなかったとは言い切れないだろうという思いはあった。
「俺は、あんたに怒って貰いたかったのかもしれないな。でも、ずっと不機嫌だったのはわかったぜ」
「私が……不機嫌?」
「ああ。久しぶりに、水のように冷たい最高審判官様から尋問を受けて、ぞくぞくしたさ。それこそ、初めて会った時を思い出すくらいに」
ヌヴィレットがリオセスリの子供時代を彷彿した時のように、リオセスリも同じような体験をしていたのだ。思わぬ事態に、少し虚を突かれた思いがあった。
今の二人の立場は大分様変わりしてしまった。でもそれは、きっととても良い方向性だろう。
「正直俺だって……。俺が、生まれる前のあんたの過去の想い人は気になるさ」
リオセスリからすれば、余程己より長生きをしているヌヴィレットの方が年数的に色々あったと感じ取っていてもおかしくないだろう。あまりにも当然の疑問だったが、交際の為のマナーとして今まで双方そのような話題は避けてきたのだろう。
だから、淀みなく明確にヌヴィレットは答える。
「それに関しては、案ずることはない。私には、君だけだ―――」と。