attention!
ヌヴィレットが亡くなった後の、リオヌヴィの子ども(捏造過多)視点で話が進む悲恋。フリーナ実装前時点で書いています。








「やあ、改めておめでとう。リトル・ヌヴィレット。キミがもう成人の儀を迎えるなんて、月日が経つのは本当に早いね」
「……フリーナ殿か」
「僕たちは人ならざる者だからね。人間の言うところの成人の儀は本当は当てはまらないのかもしれないけど、他にいつ祝えばよいかわからない。折角だからこの目出度い日を盛大に祝おうじゃないか」
「今日は、先代の最高審判官の命日でもある。例年、自粛をする日だった筈だ」
「それは僕が作った法律だからね。どこまで法を犯しているか決めるのも、僕さ。それとも、キミが僕を告発するのかい?」
「……遠慮しておこう」

パレ・メルモニアの最高審判官執務室へ我が物顔で堂々と入室してきたフリーナは、現在の部屋の主であるリトル・ヌヴィレットより遥かに自由に振舞っていた。
確かに今日は記録上、リトル・ヌヴィレットが生まれてから18年が経過する日であった。そして、先代の最高審判官であるヌヴィレットが没した日でもある。どれもこれも、なにもかもが未だに理解が出来ているわけではない。ただ、当時の書類には確かにそう記載されている。自分自身が生まれた時のはっきりした記憶は、己が何かの使命を帯びて人の形態を持って生まれた水龍だという事だ。水龍としては三代目に当たる。初代と先代に関しては直接的な繋がりなどなかったらしいが、自分は先代水龍の直接の子らしい。だが、先代の記憶が直接頭の中にあるわけではないので、ずっと疑問をかかえてこの年まで生きてきた。

「それにしても、みるみるうちに背が伸びてしまったな。今でも僕より随分と高くなってしまった」
「成長に関しては、全盛期の状態で止まると認識している」
「ああ、それじゃあもっともっとキミの背は伸びるだろうね。まあ、僕の場合は。身長はこれくらいが愛嬌あって相応しいから、最適なのさ」

ふふんっと言いながら、フリーナは改めてこちらの横に並んで背比べをしている。
この水神は、身長どころか見目も初めて認識した瞬間から一切変化がないから、自分もいつかはそうなるのだろうと思っている。

「キミ用に仕立てた最高審判官の衣装も、成長に合わせて徐々に作り直さないと。……そういえば、どうだい?その衣装は?」
「まだ、着慣れない」
「まあその衣装も今日が初出勤なんだ。動きにくいのにも、時期に慣れるさ」

フォンテーヌ裁判所法第四編第四十一条の制限により、最高審判官の着任には規定がある。識見が高く法律の素養があることは当然として、加えてその者は成人を迎える必要があった。その為、本日長年空席だった、その地位についたのだった。
最高審判所に所属する他の14名の審判官の推薦の元、フリーナの指名によって任命された式典が本日の昼、エピクレシス歌劇場で行われた。先代の命日でもあるし、華美な式典は断ったのだが、フリーナの性でそれが通るわけもない。結局のところ、国事行為の一つとして親任式が盛大に開催されてしまった。任命する旨の勅語を読み上げるフリーナは感慨深かったのであろうが、官記(任命書)が手交されようとも自分自身の感情は何も沸き立つことはない。昔から感情を表に出すことが得意ではないので、その些細な違いに気が付いたのはきっと一部のメリュジーヌくらいであろう。

「で、ようやく手に入れたその椅子の座り心地はどうだい?明日からは、エピクレシス歌劇場の定位置にも座ることができる事だし。全く…最高審判官不在の今までは、諭示裁定カーディナルに判決を委ねられる事も多かったから、僕も落ち着いて見られない裁判はドキドキだったさ」
「フリーナ殿は、スリルを好んでいるのだから問題ないだろう」
「僕が求めているのは、程よいスリルだ。眠れないような悩み多きスリルは求めていない。しかし、これでキミが今後は名実ともに隣に居てくれるから、僕も楽しい毎日が過ごせそうだ」

これからの日々を期待するように、デスク近くのソファに座ったフリーナはクッションを両手で抱えて、のびのびと寛いだ。
水龍としてフォンテーヌの地へ降臨することとなった自分は、何の記憶も所持していなかった。水神フリーナは自分の唯一の立場的上の存在であったから、本当に色々とこちらをかまってきた。気質的にどうしても反応が薄くなってしまうが、それでも今まで目にかけてもらった事には確かに感謝している。

「明日は、朝一で早速審判が入っているだろ?えーと、確か内容は……」
「死体裁判だ」
「そうそう。この僕でさえ、そんな裁判は初めてだ。死者の裁判は数多くあるが、だいたい死人に口なしでドラマがないからね」
「一度は埋葬した死体を掘り起こし、法廷に運ぶとは……なかなかに容認しにくいが」
「告発者が、死体に証拠があると言っているんだから仕方ないだろ?年数的にもう骨になっているだろうけど、どんな証拠が出てくるのか見物だ。もしかしたら幽霊が証言してくれるかもしれないし」
「もし、明日途中でフリーナ殿が退廷したら、幽霊に怯えたと解釈しよう」
「いやそんな……ぼ、僕はそんなもの信じてない……し」

昼間の最高審判官の親任式が長引いたせいで、もうかなり遅い時間となっていた。思わずフリーナは、窓の外の暗さにびくりと反応し、持っていたクッションを強く握りしめてきょろきょろとした。先ほどまでの悠々自適とした足組みはもうなくなっている。もしかしたら、一人で自室には戻れないかもしれない。
自分とそこまで背も変わらないのに、何か怖い事があったりすると、さっと後ろに隠れたりする癖もあるので、明日の法廷でも発揮されるかもしれない。その仕草を、まだ自分がとんと小さいころからもやってきたのは、きっと昔からの癖だからだ。無論その相手は自分ではなく、その前の……

「……たとえ骨だけでも遺体が残っているのなら、何かしらは掴めるだろう。何も残らないよりはいい」
「ん?キミが、親の話題を口に出すなんて珍しいね」

さすがのフリーナも、そこまで露骨に言えば察したらしい。
何も残らなかった遺体……それは、先代ヌヴィレットの事を指示しているということを―――
当時の膨大な資料は、何度も目に通した。だがどれもこれも枚数に対して、結果の事実があまりにもあっけなさ過ぎた。
先代ヌヴィレットは、自分という子を成した後に、身罷られた。跡形も残らず水となって。そうして、その水さえも蒸発してしまい、やがて海へ帰った。
全ての集約はそれで、他の事実は何一つとしてない。だから先述した死体裁判さえ出来ない。

「確かにキミの背も伸びたけど、やっぱり成長するにつれて、どんどん似てきたね。さすが親子だ」

うんうんと頷きながら、フリーナは改めてこちらを覗き込んで感心している。顔も姿も形も似ていると先代ヌヴィレットの生き写しだと、小さい頃から周囲にそればかり言われていたが、とうとうフリーナからもお墨付きをもらうほどになったらしい。
彼の写真は一応残っているが、どれもこれも公的なものばかりだ。スチームバード新聞社が捉えた先代ヌヴィレットの写真はいつも同じような表情をしており、何も掴めなかった。また、インタビューにもそう滅多には答えていなかったし、珍しく記事が残っていたとしてもプライベート部分の返事は常に曖昧だった。その為、自分が先代ヌヴィレットを一番見かけるのは、過去の法廷記録を読むときなどの公的文書の文字の方が遥かに多い。自分の親らしいが、会ったこともない相手で私生活が全くわからなくもあった。フリーナがよく喋ってくれるおかげで、若干ではあるが私的な部分も知りゆくことが出来たが、それでも普段の軽口からすると情報は少なかった。メリュジーヌという種族を眷属のように連れてきたこともあり、そちらから話を聞くこともあったが基本的には優しいくらいの情報しか引き出すことは出来なかった。これでも、親の存在を知った時一応調べようとはしたのだ。しかしあまりにも手がかりが少ないので、それ以上は求めなくなり、やがて口にも出さなくなった。あと一番見知っているのは……

「久しぶりに、似ていると言われた気がする」
「あれから18年だ…人間の記憶は移ろいやすいからね。リトル・ヌヴィレット。そのうち、誰もキミをそう呼ばなくなるかもしれない。だが、僕は決して忘れないさ。だから、キミも一分の隙もない公正無私な親がいたことを覚えていて欲しいんだ」
「……成人したとはいえ、私が人々の多大な推薦を受け最高審判官に任官されたのは、先代の功績が過分にあると認識している。無論、国民審査で過半数の投票を投じられた際は、罷免される立場ではあるが」
「何言ってるのさ。全く……折角の最高審判官就任の初日から罷免される可能性を考えるなんて、キミらしくはあるけど。そんなことは僕が認めないよ」
「だが、私がもし罪を犯したら、直接判決を下せるのはフリーナ殿のみだ」
「それは僕だって同じだ。もし僕が罪を犯したら、キミが審判してくれないと、困る」

冗談のような本気のようなフリーナの言葉は、しんと心に染み渡った。
先代ヌヴィレットが親であると小さい頃から周囲に言われてきた。出会ったこともない親の事を理解しろというのは、そう簡単な事ではないと思っている。だからこそ、いつも近くに居てくれたフリーナが、まるで親代わりのようであった。
自分の誕生日が先代ヌヴィレットの命日で、今日も含めて例年雨である―――
それこそ、先代ヌヴィレットが身罷った旨がフォンテーヌの国民に通知された際は、あまりにも深い悲しみに包まれた事を、はっきり覚えている。それほど多大な貢献をし、偉大な人物であったのだ。今の自分はその基盤を引き継ぎ、仕事を進めているに過ぎない。やがてはフリーナが先ほど述べたように、若い世代の子どもたちは先代ヌヴィレットの存在を、歴史書で知る程度となった。人間の寿命は短い。今は実感がないが、長くこの地位にいる事となれば、最高審判官と言えば当代のヌヴィレットだという時代もやってくるのだろう。ただ、代替わりしただけとフォンテーヌの日常にまで成り得てしまう日々が、いつか。

「あれ?そういえば、さっきから珍しく書類が進んでいないようだけど、キミの手が止まるなんて珍しいね」
「フリーナ殿が話しかけているせいでもある」
「何、言ってるんだい。だいたい今何時だと思ってる?一体何を見て……」

先ほどまで視界の端であっちこっちと動いていたフリーナは、執務机によどみなく歩み寄ってきた。くるりと踵を返して、こちらが持っていた書類を取り上げられる。そうされると予備動作でわかったが、破れるのを危惧して成り行きに任せた。
今まで最高審判官は空席で、15名の審判官たちが5人一組構成となり小法廷を回してきたので、非常に審議に時間がかかった。最高審判官の権限で問題なく採否を下せる書類は、早めに精査すべきであった。しかし初日は式典のせいで、ほぼ業務ができていない……その建前もあったが。
よりにもよって、フリーナが奪った書類は、手を止めるのに十分な理由があるものだった。

「なになに………って、これ辞任届じゃないか!?」
「フォンテーヌで公的役職を得ている者が辞職を希望する場合は、届出を提出する必要がある」
「そんな事は僕にだって、わかってるさ!だって、だって……この辞任届の差出人は」
「リオセスリ公爵となっている」
「なんで、キミが最高審判官に着任した途端、公爵が辞任届を出すんだ!?」
「特に、理由等の記載は見当たらないようだ」

ここにきてまさかの人物の名が飛び出で、普段以上にフリーナはその場を騒ぎ立てた。信じられないと、あわあわと震えて何度もその辞任届をひっくり返して署名を確認している。だが、そこに記載されている名に間違いはないし、筆跡などからしても本人が書いて提出したことに間違いないだろう。
内容も、一身上の都合によりという定型文が記載されているだけというあまりにもシンプルすぎるもので、真意などみじんも計り知れない様子であった。

「そうじゃなくて、リオセスリ公爵は。キミの親でもあるんだぞ。なぜ、突然辞める?」
「彼が私の親である事と公爵の公的な職位に、直接的因果関係は存在しないと思うが」
「だって、今だって。キミたちの関係、全然親子らしくないじゃないか!公的にでも無理やり接触しないと、余計に……」
「それは……仕方のない事であろう。私が生まれた経緯を鑑みれば」

決して、公にしていたことではないらしい。他の者だとフリーナと一部のメリュジーヌだけが知り得ていた事項。
先代ヌヴィレットとリオセスリ公爵の間に生まれてきたのが、自分であるという事を。だが、その対価として先代ヌヴィレットはあっけなく崩御してしまった。リオセスリ公爵が簡単にそれを受け入れられないのは、当然だろう。
世間的には先代ヌヴィレットの子としか明かされていなかった為か、自分がリオセスリ公爵も親であると知るまでには少しの年月を要した。だから、フリーナからその事実を教えられたまだ昔、一度だけ本人に尋ねたことがある。あの時の自分はまだ少しは無邪気さがあったのかもしれない。だからこそ、公務が完了したほんの隙間時間に断りを入れてから口にした「貴殿は、私の親なのか?」と。質問を受けたリオセスリ公爵は悩む素振りさえもせずに「そうだ」と。短く答えたのみで全ての会話が終了してしまった。あれ以来、二人の間でこの話題が出た事は一切ない。
フリーナが言った通り、二人の立場的な関係上、必然的に仕事上で会ったり会話をしたり手紙をやりとりすることは必須事項となっている。だが、その内容に業務以上の事項が含まれることは一切なかった。あまりにも模範的な事務対応しかしない。リオセスリ公爵は本来はどちらからと言えば気さくな性格で、それこそ相手が神であうが最低限の敬意だけは払いつつも親しみやすい軽口をする。しかしそれさえも、自分に対しては希薄であった。リオセスリ公爵が他人に向ける笑みを、外野的視点でしか観測したことはない。無論、差別されているわけではなく、例えば……茶葉の差し入れをされるときは、分け隔てなく他の14人の審判官と同様の物がきちんと配られる。それ、だけだ。特別だったことなんて一度たりともない。
今の地位に自分がよどみなく着けたのは、リオセスリ公爵の補佐があったからこそだと、その手腕に関しては絶大な信用を置いている。その理由が自分が先代ヌヴィレットの子だからなのかと、そこまで尋ねられるような間柄では決してなかった。ただわかるのは、残された子どもは愛されていない。むしろ憎まれている可能性さえあるのだという事だ。

「ああ、どうすれば良いんだ。本当に……最近の茶会の頻度が良くなかったのか?先日の公爵の誕生日を狙って半強制的に召集をかけたのが癪に障ったのか?それとも、年に一度の矯正展に無理やりキミを連れて押し掛けたのが、悪かったのか?」
「フリーナ殿、いつも気遣いには感謝する。だが、もうこれで君も余計な事を気にすることも無くなるだろう」
「なんでそんなことを言うんだよ!だいたい、公爵がキミの名付け親だから、僕だって遠慮して……キミの名を直接呼ばず、姓で呼んでるって言うのに。肝心の公爵ときたら……名付けただけで一度たりともキミの名前を呼んだことさえないじゃないか」
「私の名前が決まったのは、まだ先代ヌヴィレットが存命中の時で、二人で話し合って決めたのだと。君は、そう言っていただろう。その時と今では状況が違いすぎるから、私の名を直接呼ぶ必要性はないだろう」
「名前は、親が子に一番最初に渡す贈り物なんだ。それを大切にしないなんて……やっぱり僕は公爵の事を理解できないよ」

文字通り頭を抱えてフリーナは深く苦悩をした。わあわあとまだ口の中で何かを言っているが、聞き取るのはやめた。
二人の微妙な関係をあれやこれやと心配して別に望んではないが、今まで数々のおせっかいを焼いて画策してくれた。しかし、そのどれもこれもが不発となってしまった。結局のところ当事者である双方の気持ちが気薄だったことから、何もかも叶わなかったという結果で今日まで至る。

「……まさか、キミ。その辞任届を受理するつもりじゃないだろうね?」
「特段、却下する理由が存在しない。そもそもメロピデ要塞の管理者である矯正監の任期については、別段の定めはない。また、リオセスリ公爵が自身の後任として指名した者も信頼できる人物だ。本人が希望をしている限り、受理する以外ないだろう」
「そんな、あっさりと……」
「私は……リオセスリ公爵の事をそれほど深く知り得ているわけではないが、きっと彼がこうと決めた事は私が覆すことは不可能だ」

公の立場からの観点を説明した後、余談となってしまったかもしれないが、個人的な感想も付け加えフリーナに伝えた。
リオセスリ公爵は意思の固い人物だ。それは、もう辞任届がこうやって手元にある時点で、受理されようがされなかろうが、結果は決まりきったことなのだろう。一応は形式を重んじて、パレ・メルモニアに送ってきたに過ぎない程度の。たとえ無茶をしてフリーナが突っぱねたとしても、本人が決意した瞬間にすべては終わっているのだから。だからきっと、最高審判官となった自分が行う最初の仕事としての皮肉だ。
そうして、フリーナが力なく執務机に戻した、その辞任届を受理するために、付随する必要書類を書き進める事となった。

ただ………この地に自分が降り立った意味。何のために生まれて来たのか。
目標としていていた座には、こうしてついた。敷かれた用意されたレールに従って。
宿命かと思っていたその一つが、こうやって一つ潰えた―――





◇ ◇ ◇





わかりやすく肩を落とし落胆するフリーナを、部屋まで見送る事となる。そんなこんなの移動をした結果、また執務室に戻り仕事を続けるには、あまりにも遅い時間となってしまった。
それに、今日から自分の住まいは変わる。俗に、最高審判官公邸と呼ばれる場所にだ。フォンテーヌには、首脳級の公的職位が居住に使用するために設けられた官舎が存在する。それまで判事官舎の一室でずっと生活していたが、立場的に必要となり引っ越しをすることとなった。その名の通り、最高審判官公邸は先代ヌヴィレットが身罷って以来、誰も住んではいなかった。空位の間、一度は取り壊しの話も出たようだが、フリーナの強い拒絶によって当時のまま残っている。その様子をこの目で見たことはあるが、威厳を残すため〜〜とかひどく曖昧な言い訳をしていた。結局のところ、当初の目的はそれだけではないことがバレバレであった。今となっては歴史的……いや古い建物となるが無論、定期的な管理はなされているようで、18年ぶりに住まうことに関して不都合などはないとの事だ。
判事官舎で使用していた生活用品の一部の引っ越しについては、多忙の為外部委託してしまい、まだ一度も足を踏みいれてはいなかった。

支給された鍵を使い、扉を開ける。
広すぎる正面玄関、晩餐会も執り行われる大ホール、賓客との面会に使用されるロビーなど、数々のフロアを素通りして進む。今まで使用されてなかった部屋だ。今更日の目を浴びることは早々ないであろう。だからこそ、本来の居住としての部屋。つまり寝室を真っすぐ目指すこととなった。



「随分遅かったな。初日ぐらいしか定時で帰るチャンスはないっていうのに」
「…………なぜ、貴殿がここにいる」

たっぷりの沈黙の後、この場にいるあり得ない人物に苦言を指すこととなる。
寝室に備え付けられている簡易な椅子に、足を組みゆったりと座っていたのは、リオセスリ公爵であった。こちらの入室に気が付いても、不遜な態度を改めようとはしない。正直、プライベートで会話をするのはこれがはじめてなので、非常に驚いた。

「貴殿は、昼間執り行われた最高審判官の親任式を欠席した筈だが?」
「水の上の式典関係は、招待してもらって悪いが毎回断らせて貰ってる。何か、伝えたいことがあるなら直接言いたのさ。今回のように」
「貴殿が、何かしらの用がありここに赴いたのは理解した。それで、どうやってこの部屋に入室した?」

曲がりにも、ここは最高審判官公邸である。フリーナが住まうパレ・メルモニア最上階の警備とは立地的に方向性が違うものの、屋敷の周囲には警備用マシナリーと見回りの警察隊員が厳しく巡回している。いくら長らく主が不在だったとはいえ、フォンテーヌの威信にかけて不法に入室するすべなどない筈だった。

「普通に玄関から入ったさ。俺も鍵を持ってるからな」
「それは……」

ひょいっとリオセスリが懐から取り出したのは、自分が所持しているのとまったく同じ最高審判官公邸の鍵であった。月明かりに揺らめく鍵が、二本今この場に揃った。

「以前の鍵の持ち主から預かったんだが、返す相手がいなくてな。ようやく新たな主が現れたから、返却しに来たんだ」
「わざわざ直接、私に返却しなくとも……普段だったら」
「そうだな。いつもの俺なら、最高審判官執務室に返却しに行ってただろうな。だが、この鍵は俺があの人から貰った二つだけの贈り物の一つだからな。丁重に扱いたかったんだ」

そう言いながら、こちらに歩み寄ったリオセスリは呆気なくその鍵を渡した。
確かにその立場なら、持ち主不在のこの鍵を持ち得る事も考慮すべき事項であったのに、鍵の管理がなされていなかった事は失念でもあったのだろう。そうして手に入れた18年間、彼の手元にあった筈の鍵は、どこか今自分が持っている鍵より古めかしく感じた。

「……本当は、そのような事を伝えるためだけにここに足を運んだわけではないのだろう?」
「察しがいいな。ああ、そうか。もうあんたのところまで上がったのか」
「貴殿の辞任届は、確かに受理をした。特段の不備などもない」
「そいつは、ありがとう。これで心置きなく残りの人生を謳歌できる」

んっと、少し伸びをする仕草を入れたリオセスリは解放感をわかりやすく示した。
やはりこの男は、メロピデ要塞の管理者という立場に一片の悔いも見せていなかった。年齢的にリオセスリの着任はあまりに若い年代だった為、辞任した今でも彼は人間年齢としては脂がのったまだまだ働き盛りである。あれほど長く居座っていたというのに、辞めるときはあまりにもあっさりとしていた。

「貴殿は、メロピデ要塞の管理者としてのこれまでフォンテーヌに多大な功績を残した。元々は、その特殊な立場ゆえの爵位ではあるが、そのまま残すことを約束しよう」
「そこまでの希望は、俺は出していないが……」
「貴殿の爵位は、先代の最高審判官が与えたものだ。私が、それを取り上げる事は出来ない」

ここで初めて先代ヌヴィレットの話題を自ら口にした。
普段の執務室のやり取りでは、敢えて口に出さないようにしていた事項の一つでもあったことだ。それは二人の仲の暗黙のルールであったはずだ。それが今、双方が重ねて口に出すことで破られた。

「貴殿がわざわざこのような場所に赴いたのだから、私の質問に答えてくれるものと推測する。だから、尋ねる。なぜ、このタイミングで辞任届を提出した?」
「簡単な事さ、あれから18年経過したからだ」
「やはり、私が最高審判官に任官されたことが起因ということか……貴殿にとっての、最高審判官は私ではない。そうだろう?」

予想はしていたことではあったが、こうも直接的に伝えられるとは思っていなかった事項でもある。
無論の事、親任式では皆から祝いの言葉をかけられたことではあったが、フォンテーヌ人にとって最高審判官の象徴は500年近く先代ヌヴィレットであった。いくら直接の子とはいえ、受け入れられない者もいるだろう。その筆頭が、リオセスリということだ。誰よりも最高審判官としての先代ヌヴィレットを理解していた者が、そこに座るのは相応しくないと判断をした。きっと本当はそのまま空席の方が良かったのだ。この公邸も含めて……だから、彼は鍵を返却しないといけない羽目にもなってしまった。だからこそわかりやすい抵抗の形として、辞任を選んだのだろう。

「おいおいおい……何か勘違いをしてないか?」
「勘違い、とは?」
「あんたが最高審判官になったから、俺はようやくあんたにこの国は任せられる。そう判断したから、辞任したんだ」
「私は……そう言われるほどの功績はまだ成していない」
「全く、謙遜するのもあの人そっくりだな。何も問題が起きていない……それが何よりの証拠だ」

確かに、昔に比べたら新聞でも審判が必要以上に取りざたされる機会は減った。法の番人が目立つような事項がないことこそ、最善だ。目立った功績がないということは、事前に犯罪の目を潰し民衆が持つ不満不平を解消するという地道な活動の結果でもあった。

「あんたは頑張った。もう誰も、あんたをヌヴィレットさんの代理とは呼ばない」

あまりにも、先代が偉大すぎた。政治基盤はそっくり残されていて、整備された規則に信頼できる部下たち、その部分を改革していく必要性はまるで感じられなかった。だから、自分にできる事は既存を活用してよりフォンテーヌを発展させることだった。それが長い年月をかけてようやく認められた。それも、他でもないリオセスリに。それは何よりも過分な言葉だった。

「貴殿は、最初から私を先代の最高審判官と同列視はしていなかった」
「そりゃそうだろ。ヌヴィレットさんは、もういない。ちょうどそこのベッドで、姿を消した」

ふっと、視線が向けられたのはこの寝室で最大の存在感を示す、天蓋付きベッドであった。当然の事ながら、リネンなどは当時の物とは差し替えられているであろうが、ベッド本体に変わりはない。先代ヌヴィレットが亡くなった場所。

「そして、ここはあんたが新たに生まれた場所でもある―――」
「……だが、貴殿にとっての私は結局、先代ヌヴィレットの代わりにはならなかったようだ」
「別に、代わりになんてするつもりはない」
「だが、私が生まれたせいで、先代ヌヴィレットが亡くなったことは事実だ。フリーナ殿も貴殿も、そうなることは知らなかったと聞いている」
「ああ、俺は何も知らなかった。だが、はっきりと言われたわけではないが、以前ヌヴィレットさんはこう言っていた。『私という存在は、たとえ殺そうとしても外的要因で亡くなるものではない、可能性があるとした自死ともう一つ……』それ以上の方法は教えてくれなかったが、きっと」
「次代への水龍の継承、か」

今自分がここにいることこそが、何よりの答えであった。この身体については18年経った今でも全容は明かされていない。多少は、初代と先代水神が残した書物がないわけでもないが、それでも手がかりは少なかった。自分が人と関わる必要のある審判官という立場を受け入れたのも、もちろん皆が望んだからという理由もあったが、それ以上に自らの事をもっと知りゆくために必要だと判断したからであった。初代がどれほどの年月、その在位であったか記録は呪っていないが、先代は500年近く。まだ摩耗はそれほど進行していなかったと思われる。それでも、継承の儀が起きた理由は。
水龍としての力は確かにこの身に宿り、水を自由自在に操ることが出来る。だが、自身を構成する一部であるせいか水を生み出す代償として多大な体力を失う。もし、回復する術の許容を超えたらどうなるか、それが自死なのか。その最たる例がここにある。

「きっと、ヌヴィレットさんはあんたが生まれたら自分がいなくなるって認識していたさ。だから、後悔なんてないだろう。俺はもしかしたら最後まであの人の全ては理解できなかったのかもしれないが、少なくともあんたはヌヴィレットさんに、望まれて生まれてきた。それは確かだ」
「そうまでして私が生まれた理由は、私が先代ヌヴィレットと貴殿の子であるから、なのか?」
「……そうだと思う。あんたの誕生を心持ちにしていたからな」

流石のリオセスリも、ここで初めてその飄々たる表情を崩した。
故意ではないとはいえ、先代ヌヴィレットが亡くなる起因の一つになったことは間違いないのだから。いくら先代ヌヴィレットが後悔しなくとも、リオセスリは後悔しているのだろう。だからいくら自分が先代ヌヴィレットの子だとしても、愛することなど到底できやしない。恨んで当然だろう。

「絶対的不動の立場であった最高審判官が突如いなくなり、あの当時はフォンテーヌ国内で混乱に乗じた犯罪が増加した。さすがの俺も随分と骨を折ったさ。だからこそ、残されたあんたを次代の最高審判官として、この国の新たなる希望として育成することは必要事項だった」

誰もが落胆をした司法のトップでもある象徴存在の喪失は、国の治安を大幅に悪化させた。人とは法の下に制御されている部分があるからこし秩序と均衡が保たれている面もある。急激な犯罪者の増加は、水の下……メロピデ要塞へ送られる事となる罪人の急増にも繋がった。一番忙しくなったのは、そこの管理者であったことに違いはないだろう。結局、死者の招きより、生者が犯してしまう罪の方が遥かに目の前にやってくるのだから。
地下で地上とバランスを取っているリオセスリが水の下の管理で離れられない中、自分はパレ・メルモニアの一室で過ごすこととなった。無論、フリーナは色々とかまってくれたし、メリュジーヌたちも良く慕ってくれた。だが、基本的に人々が求めるのは先代ヌヴィレットの代わり。他に自身が進むべき指針など示されることはなく、レールを歩いて来たそれしかなかったし、それしか望まれなかった。先代ヌヴィレットがいないから、仕方なく誰も自分を必要としていないと思っていて立場を受け入れた。この国にはどうしても一抹の希望が必要だったのだから。
そんな忙しい最中の延長を引きずり、結局いざ親としてのリオセスリと対面しても、今更特別な感情が沸き立つような事はあきらめてしまっていた。期待をすれば裏切られるのだから、初めから余計な感情など生み出さない方が余程良い。そうして錯誤が生み出された。

「確かに、かつての私は審判官という仕事の全てを容易に受け入れられなかった面もあった。皆が望むからと波風を立てないように職務を進めてきた。フリーナ殿は好きにすればよいと言っていた事もあったが、何より私をこの職務へと留まり続ける要因になったのは。リオセスリ公爵、それを貴殿が望んでいると認識したからだ」
「俺の、せいか」
「非難しているわけではない。貴殿の行動には何か意味があると、私が勝手に感じ取っただけだ」
「そうだな。ヌヴィレットさんは公務を何よりも重視していたから、あんたにもそれを求めていたことは確かだ。だからこうやって独り立ちするまでは見守りたかった。この立場にしがみついてでも。そうして、生け贄としてこの国にあんたを差し出したんだ。だから、俺は今更あんたの親だと名乗る資格はない」

ようやくリオセスリは答えてくれた。なぜずっと平坦な態度をとり続けていたかのかを。
フォンテーヌの為に必要な犠牲だったという認識。彼にはきっとこの後悔が残り続けているのであろう。先代ヌヴィレットを失った後悔、そしてその子の自由を奪った後悔。そのどれもが今更取り戻せるものではないほどの年月が経過してしまった。ずいぶんと待たせてしまったのだろう、その整理に。今更遅いとはわかっていて、別に許してほしいとは思っていないのだろう。

「貴殿は、少し勘違いをしている。確かに当初のきっかけは、貴殿に望まれたからこの地位を目指した。それに間違いはない。だが、18年だ。長く審判官の職務を全うして、これこそが本当に自分がやりたかった事だと私は認識した。愛着が出たと言っても過言ではない」
「それは、誰かからの影響を受けたわけでもなく、か?」
「ああ、自分で選んだ事に間違いはない」

はっきりと明確にリオセスリへと伝えた。今までのように誰かに縛り付けられたわけではない。ようやく生み出した個人的な部分であった。

「そっか。もしあんたが望むのなら、俺も自由になった身だ。一緒にこの国を逃亡しても良いと思っていたくらいだった」
「それは……随分と突飛な発想と感じる」
「あんたはこの国で水神についで二番目に偉くなった。あんたの経歴を考えればここから好きにしても誰も、それこそ水神も咎めないだろう。当時は、生まれたばかりのあんたをどうにかするほどの力は俺にはなかったが、今なら」

みんなわかった、最高審判官が突如いなくなる可能性があることを。これだけの年数が経過したからこそ、また最高審判官が居なくなることを一度知ったフォンテーヌ人は咎める事はしないだろう。
だから自分は……差し出されたこの手を掴むことが出来るだろうか?思わず反射的に手をとってしまいそうな誘惑。
それは、一瞬の夢―――そう、瞼を閉じて想像する事だけは許された。

「…………魅惑的な誘いだが、遠慮をしよう」
「ああ、あんたなら。きっとそう言うと思っていた」

リオセスリは寂しさの表情はみせず、ただ頷いて見せた。それは伝える前からの確信だったのだろう。
それでも敢えて口にしたのは理由がある。それが彼が親として与えようとする、職務以外の初めてだったのだろう。だから、いざというときの逃げ道を用意してくれた事に感謝をしたかった。

「逃亡は無理だが、一つ貴殿に願いたいことがある」
「なんだ?辞任届の取り下げは受け付けないぞ」
「……ずっと、貴殿と共に紅茶を飲んでみたかった」

そうしてこちらも心の片隅にずっと残っていたほんの小さな望みをついに、口にすることとなった。
何も今までリオセスリと紅茶を飲んだことがないわけではない、だがそれはフリーナたちや他のメリュジーヌがいたり、職務で必要だからと同席したりが常であった。横並びで贈答された、茶葉も菓子もずっと一人で消化するのみだったのだ。でも、いまここでならば、ようやく叶うだろう。
そうして話をしたかった。自分が知らない先代ヌヴィレットが何を考えていたのか。そしてリオセスリ自身のことも。

「ああ、俺も喉が渇いたところだ。この屋敷で紅茶を入れるのは、俺の得意分野だったから、ちょうどいい」
「今後も私と時々、茶を飲む。それを約束してくれるだろうか?」
「もちろんだ。願ってもない」
「では、この鍵を貴殿に返そう」

早速リオセスリは勝手知ったる様子で立ち上がり颯爽とキッチンへ湯を沸かしに行こうとしたから、留めるように鍵を差し出した。
もちろんそれは、初めてこの部屋にやってきたときに返却された公邸の鍵であった。これできっとこの鍵の持ち主は彼になる。
リオセスリは一瞬驚いた顔をして、でも確かに鍵をしっかりと受け取った。握りしめて実感した後、感謝の言葉を告げた。



「ああ、ありがとう。『――――――』」

そうして初めて、リトル・ヌヴィレットではない………本当の名を呼ばれたのだった。









フォンテーヌ全域を見渡せる小高い山の一角に、先代ヌヴィレットの墓は存在する。
月命日に訪れると、いつも先に備えてある花束があった。先代ヌヴィレットはフォンテーヌ民に慕われていたため、供え物はいつも何かしらはあったが、その立派な花束だけはいつも存在感があり、それをいつも不思議に思っていた。
次の月命日は、きっと二人揃って墓参りをすることになる。
まずはここから二人は歩み寄る、ゆっくりと。これからが、親子の本当の始まり。語りきれない長い長い話があるのだから、思い出はいくらでもこれから作って行けば良い。

―――そこにはわが子を誇りに思う親がいて、実は肉も好きだからおすすめを教えて欲しいと伝える子が、不器用に歓談していた。






















親 愛 な る リ ト ル ・ ヌ ヴ ィ レ ッ ト へ