attention!
フリーナ実装前時点で書いています。









「公爵様、試食品をお持ちしました」
「ん?今日は、夜食なんて頼んでいないが」

執務室に既定の三度ノックが叩かれた後、響いた言葉は特別許可食堂の管理人であるウォルジーからもたらされたものであった。
メロピデ要塞での生活基盤の要ともなる居食住の一角の責任者を担うウォルジーがこの場にやってくるのは特段珍しいことではないが、このように遅い時間とは稀だ。多少の疑問は覚えつつもリオセスリが入室を許可する声をかけると、少しの螺旋階段を上りあがる足音が響く。最初に宣言した通り、ウォルジーは配膳用のトレイを両手で持ちつつ、やってきた。

「なんだ、それはケーキか?」

そこにはトレイの大きさに似合わぬカットケーキが、ちょこんと載っていた。甘味が好物の一つでもあるリオセスリにとってケーキも同様の扱いである。だが、一般的にメロピデ要塞内での需要は水の上よりは低い為、どちらかというとこの場で見かけるのは貴重な部類でもあった。

「はい、明日は水神誕生祭なので。皆に配給するケーキの試作を一足先にお召し上がりください」
「あーありがとう。そういえば水の上ではもうそんなイベントの日、か」
「フリーナ様が恩赦の一環として、毎年一定の予算を割り当てて下さいますからね、囚人たちもきっと喜ぶでしょう」
「まあ今はなんとかそれだけになってくれたが………昔の恩赦は、大罪人の大赦や特赦まで要望されて、毎年この時期に合わせるのが面倒だったからな」
「今は、少額の罰金の免除と国家資格の公民権復活くらいでしたっけ?」
「ああ、ヌヴィレットさんが水の上だけで完結出来るようにってしてくれてな。マジで助かった」

基本的にメロピデ要塞は追放の地で、審判が終わった後は水の上から過度な干渉をすることはないのだが、国一番のイベントごとで諸外国からも注目されている水神生誕祭だけは特別だ。フリーナは何かとドラマを求めがちという気質でもあるため、例外的に赦免復権を求めてきていたのだ。刑罰権の消滅や減刑は確かに昔の自分を含めて囚人たちにとっては嬉しい事項であった、昔は。しかしながら、リオセスリが管理者についてからというもののメロピデ要塞内の生活環境の改善が大幅になされたことで、逆にもっとここで働きたいとか、刑期を終えても滞在するものが増加した。
減刑などの価値が薄みを増したことを知ったヌヴィレットは時代の変化に対応する必要がある事をフリーナに説明し、現在の形に落ち着いたのだ。
メロピデ要塞の管理に季節性が全くないとは言い切れないが、それでも本当にそれまでは水神誕生祭の恩赦の為に、選定作業やらパレ・メルモニアとの書簡のやりとりで多忙だったので、今こうやってリオセスリがのんびりしていられるのはヌヴィレットの手腕による。

「で、今年の恩赦はケーキか。初めてだな、去年はなんだった?」
「新鮮な生の二枚貝を振舞いましたよ。普段、生ものを口にする機会がないから、囚人たちも喜んでいました。しかし、ここ数か月はあまり海の水質が良くないらしく不漁と聞いておりますので、今年はケーキにしてみました。いかがでしょうか?」

水神誕生祭は大切なイベント事でもあるが、家族とともに過ごすこともポピュラーだ。その為、フォンテーヌ伝統料理である去勢鶏のロースト、陸生貝類のバターソース、鳥類の肝臓のテリーヌ、生の二枚貝などの高級食材をディナーに迎える事が多い。食後のデザートはもちろんケーキとなるが、伝統的には丸太や切り株をモチーフとした形が多い。
ちょうど仕事の片手間休憩に紅茶を嗜んでいたこともあり、促されてリオセスリはそのケーキを口にする。形こそ丸いホールケーキをカットしただけというシンプルではあるが、色合いは水神を模して青を基調としている。食欲を減退させる色味とも言われているが、この国の祝い事であるから国民からすれば違和感はない。口に入れると、豊かな大海の塩を使用したクリームと、清涼なジュレなどが合わさった三層のケーキだった。表面は海のように青く深く、中層は浸透度が高い色合いは口当たりもなめらかで、口の中でとろける味わいだ。この上品で繊細な味を囚人たちが理解できるのか、本来ならばカロリーぶち込んだ方が良いのかもしれないが、祝い事の一品としては最適と感じた。

「うん、うまいな。アフタヌーンティーに添えるならもう少し小振りが良いが、囚人たちにはある程度量も必要だろう」
「ありがとうございます。公爵様のお墨付きも得られましたので、明日のケーキはこの方向性で用意します」
「水の上では色々なイベントをやるんだろうが、ここでは通常通りだからな。少しでも気分が味わえれば良いだろう」
「公爵様は、イベントに参加されないのですか?」
「一応、式典の招待状は貰っているんだが…どうも俺には合わなくてな。毎年、断りを入れている」

様々な催しが行われる水神誕生祭だが、特にオープニングセレモニーとして式典が開催されている。
パレ・メルモニアで要職に着くものや諸外国からの来賓などを招くが、当然のごとく爵位を所持している者も同時に招待される。根っからの貴族ではないリオセスリだが、名目上必要なので下賜されている公爵という身分は、こういうときもしっかりと効力を発揮しているのだ。しかし、リオセスリとしては水神に対して良い意味でも悪い意味でも思い入れなどはないし、細かい式典のしきたりなども面倒だ。だから、今まで一度も参列したことがなかった。

「そうですか。式典に欠席するとなると、他の催しも堂々と見る事は出来ないから残念ですね。公爵様のお立場なら、自由に水の上に行き来できるのですから」
「ウォルジーくんも遠慮しないで、来年は休暇を取ってくれても構わないぞ?俺は、子供のころから水神誕生祭とは無縁の生活をしてたから、あまり特別だとは思えないが」

リオセスリは別に賑やかな事が嫌いなわけでもないが、そもそもマトモに水の上で生活していたころの水神誕生祭のイメージなんて、精々その日の配給の内容が良くなったことくらいなので、今のここと大した違いはなかった。
今頃水の上は、どこもかしこもお祝いムード一色に染まる特別な装いだろう。愛国心を表する日でもあり、お祭りを楽しむ日でもあるのだから。中心地の一部となるフォンテーヌ廷では、人や動物を模した電動のからくり人形を展示するショーウィンドウが立ち並び、特別で大規模なマルシェが何日も前から開催されるはずだ。町並みは色鮮やかなオーナメントが飾られ、子供たちには無料でキャンディーやお菓子も配られる。オープンな公園でもモニュメントをバックに楽団がコンサート演奏をするので、音響は今一だが臨場感が最高と好評だ。また、この日の為だけの移動遊園地が登場する。美術館や記念館もこの日ばかりは入場無料なので人が殺到するし、水路も開放されるのでクルーズの記念日ディナーを楽しむ者もいる。また、フォンテーヌ独自としては普段は禁止されているメリュジーヌとの記念撮影が解禁されるので、諸外国民からも好評と聞いている。唯一、式典周辺や一部の厳格な領域だけは飲酒が禁じられるのだけは玉に瑕か。

「いえいえ。今年はケーキでしたが来年の特別料理も担当したいですからね、それに向けて頑張りますよ」
「そう思ってくれるなら、何よりだ。俺ものんびり過ごすこととするよ」

ゆっくりと食後の紅茶をもう一杯、口に運ぼうとした瞬間、けたたましく執務室の扉がドンドンドンと叩かれた。

「公爵様、いらっしゃいますか!?」
「なんだ。騒々しいな」

今宵は随分イレギュラーな来客があるなと思いつつも、入室を許可すると螺旋階段を乱雑に一段飛ばしで駆け上がってきたのは、郵便室を管理するルッツだった。
囚人からすれば特別許可券と引き換えにフォンテーヌ内の手紙を運んでくれる便利屋だが、もちろんそれだけしか仕事をしていないわけではなく、メロピデ要塞とパレ・メルモニアの書類を整理する共律官のイメナとのやり取り往復の一部も担当している。無論、機密性の高い文書はホットラインであるクーリエ便が存在しているが、万一漏洩しても問題ないとされている文書を運ぶ場合は、郵便室に任せているのであった。

「ほ、本当に申し訳ありません!明日の水神誕生祭の為の書状ですが、宛先を間違えてしまい先ほど返送されてこちらに戻って来てしまいました」

最後は今にも消え入りそうな涙ぐんだ声で、ルッツは力なく伝えた。震えながら、元は差し出した書状をリオセスリに仰ぎ示したのだった。
つまり、水神誕生祭の欠席連絡はパレ・メルモニアへ届いていないという事になる。フォンテーヌは体面を重んじる国だ。特にたまに気分屋な面もあるフリーナには一定の配慮が必要で、機嫌を損ねないことに越したことはない。
さてどうするかと、リオセスリは一先ず紅茶を口にした。





◇ ◇ ◇





「貴様!こんな遅い時間に、エピクレシス歌劇場に何の用事だ?名前と身分と目的を名乗れ」
「ん?」
「明日は、水神誕生祭の式典がこの場で執り行われる。一般人の立ち入りは固く禁じられている為、早々に立ち去るように」

ルッツからの知らせを受け、自らが記載した水神宛の書状を懐にその足で、リオセスリは水の上へ向かった。
審判が行われるエピクレシス歌劇場のすぐ裏手にメロピデ要塞の入口があるのは、すぐさま有罪判決を受けた囚人を収容できるようにという皮肉ではあったが、今日のアクセス的には都合が良い。夜遅い時間に何の手続きもなしに水の上へ自由に出入りできる権限を所持しているのは、リオセスリぐらいである。水神誕生祭に関する書状は、リオセスリには直接関係ないが式典会場で読み上げられる来賓関係の文書もある為、全て一旦は式典会場であるエピクレシス歌劇場に集められるのが習わしであった。期限の遅参に関しては、リオセスリ本人が足を運んだことで相殺されることを見越してこの場にわざわざやってきたという次第だ。
そんな慣れた足取りでエピクレシス歌劇場の扉へ向かったところ、正門近くで警察隊員に呼び止められたのだった。

「あんた、見ない顔だな。新人か?」
「私は、明日の式典の為に配属された者だ。新人ではない」
「そいつは失礼。ああ、だから俺を知らなかったのか。なるほど、その方が幸せだ」

よくよくルキナの泉方面に目をやれば、儀礼用の警察隊員の配置間隔は普段より過密で、特巡隊も要所に配置されているのでとても厳重な警備である。前乗り前泊で、式典会場に爆発物でも仕掛ける輩や危険物の持ち込みがいないわけでもない。そんな折にふらっと突然やってきたリオセスリに声をかけるのは、当然の体制ではある。
そうして思う。自分を見かけたことのない人生の方が、きっと有意義であろうと。

「……公爵様、このような時間にどうなさいましたか?」
「え、この方が公爵……?」
「ああ、すまないな。一応、そうなんだ」

外野からは揉めている様に見受けられたのだろうか。エピクレシス歌劇場の受付係を担当している顔馴染みのルゼネが声をかけてきた。リオセスリの爵位を知った警察隊員は驚き、こちらの服装を何度見かした。もちろんリオセスリは管理者としての普段の装いではあるが、間違っても式典の参列するような儀礼用の礼装ではないし、それを差し置いたとしても一般なイメージとて公爵が身に着けるような動きにくそうな服装でもない。
失礼しました!と最初に警戒の声をかけてきた警察隊員は慌てて謝罪の言葉を出した。間際らしい立場であるから、こういうのには慣れているし、別にリオセスリは気にしていないと言葉を返す。
そうして、受付係のルゼネに向き直る。

「そうだ。式場には、書状を並べて置く一角があるだろ。悪いが、これをそこに置いてくれないか?」
「そんな……公爵様からフリーナ様への書状なんて、とても私ではお預かりできません」
「……それも、そうか。仕方ない、俺が直接置きに行く。あんたは、俺が持参したって事だけ記録に残しておいてくれ」
「え!ちょっと待ってください。今、中に入られると…………、あ。行ってしまわれた。……本当は立ち入り禁止なのに、でも公爵様なら中に通しても大丈夫かな多分」

返事を聞かずにエピクレシス歌劇場に勝手に入ってしまったリオセスリを、ルゼネは無理には追いはしなかった。
速足で中に入るとマレショーセ・ファントムに所属する何名かのメリュジーヌが施設内を警戒はしていたが、皆リオセスリの顔を見知っていたために呼び止める事は一切しなかった。いつも通りの会釈で済ませる。
大階段は登らずに、真っすぐにメインホールへ足を踏み入れる―――
今は誰もいない観客席は伝統的な馬蹄型で元々絢爛な建築物ではあるが、さすが今回の式典のメイン会場なだけはある。審判などが行われる通常とはまた違う佇まいを見せる絢爛豪華な装飾が施されていた。追加の燭台やイルミネーションまで含めて、君主制の明主の誕生を祝うに相応しい場になっている。確かオープニングセレモニー完了後は、オペラ、演劇、マジックショーやダンスパーティーなどこの後も盛りだくさんの内容になっていた筈だ。盛り上げるのに十分な装飾達を横目に、リオセスリはゆっくりと舞台の方まで下りて行った。通常ならば、ホールへの扉を開けば論示裁定カーディナルが一番に目に飛び込んでくるはずだが、今宵はそうではなかった。舞台を遮るように、式典用の緞帳の幕が下りているのだ。この距離では中は窺い知れない筈だった。

「誰か来たのか?」

凛と、広い舞台に響き通る声があった。
舞台上に触れるタッセル紐がゆっくりと上に上がっていくのと同時に、掲げられた幕が移動音と共に上方へと移動する。広大で重い幕が舞台から立ち退いていけば、徐々にその全貌が明らかとなる。舞台に近づいたリオセスリの視界に飛び込んできたのは、ステージ上に広がる青い海のような花々であった。華やかに演出する明るく生命観溢れる色味の花は、これからのフォンテーヌの繁栄を願う気持ちを込めているかのようで。今までの歴史や功績を称え、これからのますますの発展を願っているようで相応しかった。またステージ上に飾られる演台花は、入口などに飾られていたスタンド花やアレンジメントとは一線を画しておりボリューミーで豪華な印象だ。連なって咲く姿が美しく上品で、深みのあるシックな色味がある。メイン会場に飾る花には、その大空間に調和しながらも、会場全体を盛り上げてくれるような力が必要だ。後ろの方の出席者から見てもよく映え、存在感のある花は式典会場の背景に溶け込んでしまうような同系色は避けて、青の中で目立つ様々な白い色味を折り重ねた花であった。

「ヌヴィレットさん?」

その圧倒的な水花の海に佇んでいたのは、予想だにしていない人物だった。
上品な花姿が魅力的に映り、大輪の白い花と強い香りが特徴ではあったが、それに全く見劣りしない主役の一花として舞台に立っていた。その手には、水神の花とも呼ばれる一凛の蒼い国花を手にしており、まるで水系の源にある絵画のようにさまになっている。それは規定された演出の一つのように、息を飲む程の美しさがあった。

「リオセスリ殿、か。このような場所で、何用だ?」
「いや、それはこっちのセリフだって。劇の演目にあんたが参加するなんて聞いていないんだが」
「私のような者が劇などに出たら、観客は興醒めだろう」
「はは。まああんたが劇に登場したら、たとえ喋らくとも軽々と主役の座を奪っちまうからな」
「君は、なかなか滑稽なことを言う」
「まあ、冗談はさておき。式典は明日だろう?こんなところで何をやってるんだ」

ヌヴィレットは必要以外はあまり公の場に姿を見せないが、その必要な場の一つが今回のような式典だ。過度に目立つことも避けているので、フリーナがその面を担っているという事は案外バランスも良いのかもしれない。

「急ぎの公務が押して昼間のリハーサルに参加出来なかったので、実際の会場で立ち位置などの確認をしに来た」
「さすが真面目の化身だな」
「それと、この子たちが水を欲していると訴えていたからな」

水花の海に佇むヌヴィレットは、手元から幾ばくかの水元素を生成し、さっとまだ生きている足元の花々に水という恵みを与えた。本人からすればただの水やり、潅水作業に過ぎないのかもしれないが、場の雰囲気と本人の容姿もあって、あまりにも幻想的に見えた。演説に相応しい舞台は、きっと明日を終えても瑞々しくあり続けるであろうと確信できるほどに。

「それで、リオセスリ殿こそ。なぜ、ここに?他の者の立ち入りは禁止していた筈だが」
「あーそれについてはすまない。色々と手違いがあって、明日の式典の欠席連絡が遅くなったから持ってきた」

手元に持っていた書状をチラっと見せ、軽く訴える。
本来ならば正式な手続きを経てフリーナへと献上するものではあるが、ヌヴィレットに渡しても大した違いはないだろう。形式は必要ではあるが、別にリオセスリの文章には期待されていない。式典絡みとはなると公文書に近いものでもあるので、ユーモアを振る舞ってフリーナを楽しませる内容でもないからだ。

「……欠席?それは困る」
「いやいや。俺なんて、いてもいなくても一緒だろ。というか、一度も参加したことないから頭数に入れるような存在じゃないだろうに」
「今まではそれでも良かったが、今年は少々厄介な事項がある」

まさか、参列を望まれるとは意外な反応であった。
風の噂ではあるが、水神誕生祭は概ねフリーナとの人間関係の深さによって来客なども厳選されている。リオセスリは、業務上フリーナと話しをするような機会はないし、過去に必要であるからして迫られあいさつ程度はしたことがあったが、それきりだ。彼女の逆鱗に触れたこともないので、一応無味無臭の存在である筈だ。またリオセスリは、公式の場に参加したことが無いので式典に参加できるような着飾った儀礼服など一着も持ち得てないし、作法もそう身につけてはいない正直、物理的に不可能としか思えなかった。

「リオセスリ殿は、水神誕生祭のパレードを見たことはあるか?」
「あーチラっとくらいは」

プログラムのチラシにはさらっと目を通しただけで、頭の中の把握しかしていない。
元々孤児である自分にはそんな余裕もなく、こうやって水の上に自由に上がれる立場となっても、さして興味がないパレードだが、式典に直接参加できない一般市民からすれば一番の催しものである。神の誕生日は国民の祝日であり、人々は自由に国内を行き来する。そんな中で行われるパレードは、フォンテーヌ騎馬隊の威信をかけたイベントだ。スメール側からの入口であるロマリタイムハーバーから開始され、護衛も兼ねた精鋭の騎馬隊が同じく騎馬に乗ったフリーナを取り囲んで陸路を進む。水路はもちろん巡水船での移動とはなるが両方の水路も騎馬隊が連れ立つので、途中の騎馬交換は行いつつも長い長い道のりとなり、エピクレシス歌劇場へと到着するのだ。練り歩き沿道の民衆に姿を見せる為、ヌヴィレットは同席しないが、身動きがとれないほど混雑する。民衆も最初から場所取りをしており、観閲行進曲が流れる中、民衆自身も国家を熱唱して行進を見守るのだ。

「今年のフリーナは、連隊の身長を気にしていてな。異国の歴史書に影響を受けたらしいが、なるべく背を揃えようとしている」
「へぇ、まあパレードだし、見た目が良いに越した事はないとは思うが」
「背の並びで隊員の配置を変える程度なら、私もさほど気にしなかったのだが。今度は、この式典の観客や来賓の背も揃えたいと言い出した」
「あー、だからあんたがわざわざこんな時間まで調整しているのか」

もちろんヌヴィレットはただ舞台で軽やかに水やりをしていただけではなく、来賓席のリストのようなものを持って立ち位置を見定めている。遠近法のせいで、指定席とはいえただ観客も同じ身長を並べればよいというわけではない。
フリーナの凝り性にも困ったものだが、年に一度の彼女の誕生日くらいはできうる限りの要望は叶えてやりたいというヌヴィレットの優しさであろう。そこは甘いとも思うが、彼らしいと思う一つでもあった。

「で、その話がどうして俺の参列に繋がるんだ?」
「もちろん、私の隣に君が座るからだ」

何の表情の変化もなく、平坦な口調でヌヴィレットは言い切った。
ついで、そここそがリオセスリが座る場所だと示すように、並ぶ席へ視線をやって。ヌヴィレットが座る壇上の席なんて、当然のように国の最高位であるフリーナの次席の位置である。その注目度は計り知れない。

「は?あんたの隣に、俺……が。それこそ場違いだ」
「話を聞いていなかったのか?背を並べる必要がある、と。私の横に並べるほどの地位の者で、君ほどの長身男性は他には居ない」
「納得は、した。けど、ヌヴィレットさんは別に一人でも良くないか」

思わず、手の拳をぽんっと叩くような仕草をするほど理解した。
リオセスリ自身の爵位は、本当に特例中の特例と言っても過言ではない。フォンテーヌの爵位はどちらかというと、先祖代々の貴族ではなく、当人にだけ付与される名誉システムみたいなものだ。そうは言っても、フォンテーヌの国益に多大な貢献をしたと見なされるものにしか下賜されない。その為、概ね爵位を所持している者は年齢層が高い。その厳選された中から、高身長の男性を見繕うのはなかなか難しいのであろう。そんな中、ちょうど良くでかくてがたいが良く他者の利権と絡むことのない自分のような存在が、一番高い爵位にぽんっといたため、フリーナの目に留まったのだろう。

「一人だけバランスが悪いと、フリーナから苦言を貰った」
「それで、俺が引き立て役?勘弁してくれよ……」
「何を言う。滅多に公の場に姿を見せない公爵が初めて式典に参加するんだ。翌日のスチームバード新聞社の一面はさすがにフリーナだろうが、君の記事もかなり取り上げられるだろう」
「あんたそれ大真面目に言ってるから、厄介なんだよな……」
「…………まさか、本当に欠席を希望するのか?」
「最初から、そう言っているんだが」

欠席に疑問を持っているのか、多少理解が及ばないような口調ではあった。しかしさすがに露骨に明確にはっきり言えば伝わったようで、一考のしぐさを見せた。

「このような席順になったのは、私のせいでもある。君が欠席でも可能か、リストを確認して検討する」

舞台に上がっていたヌヴィレットは幻想的なその場所から降り左手に存在する大休憩室へ足を進めたので、リオセスリも後を追うこととなった。
形式上、大休憩室という名はついているが、実情はサロンと変わりない。社交界の応接間として機能するようデザインされた室内は、簡単な晩餐会なども執り行う事が可能な程に広い。実際、オープニングセレモニー終了後は、この場でフリーナ主催の茶会が開催される筈だ。現時点では、背面の棚やテーブルには正式文書や書状の山が積み重ねられている。本来ならば、この場にリオセスリの欠席連絡も含めた書状が有象無象のように届いていれば、こんな面倒は発生しなかったのだが仕方ない。まさか、ヌヴィレットの目の前で水神への書状を納めて、ぽんっと置いて逃げるわけにもいかないし。

「…………ふむ、まあ何とか可能だろう。リオセスリ殿は、式典で読み上げる人物リストには入っていないし、私なりに解が見つかった」
「あーすまない、面倒をかけるけどマジで助かる。俺なんか参列したら、その場の雰囲気を壊す自信あるし」

招待客がずらっと並ぶリストをテーブルに戻したヌヴィレットの真正面に立ったリオセスリは、早速形式を整える。片膝をつき、持参した書状を持ち上げ恭しく献上するのだ。規則に厳しいヌヴィレット相手に、これくらいは示す必要がある。
だが頭を下げて差し出した書状はいつまでたっても、ヌヴィレットがその手に取ることはなかった。

「あのーヌヴィレットさん?何か問題でも」
「君のことを考えていた」
「そりゃ光栄な事だけど、なんでまた突然?」
「私も君が参列すると思っていた。フリーナに対する君の欠席は整理がついたが、私自身の整理がついていない」
「え、どこらへんの整理が?」

始まりはフリーナでリオセスリは最初から最後まで一貫として、彼女の機嫌を変に損ねないようにとずっとここまでやってきた。そうしてようやく肩の荷が下りた審判がヌヴィレットから下されて、一息ついたと思ったのに、なぜか戸惑われるのかイマイチ理解が及ばなかった。

「フリーナが、私の隣の席に君をしていた時、私は嬉しいと思った。だが、君は私を拒絶した」
「いや、別にヌヴィレットさんを拒否したわけじゃなくて、俺は式典が苦手なだけだから。なんでそんなに隣に、俺が必要?」

言われてみれば、ヌヴィレットからすると一貫として欠席は残念だと言われている気がする。てっきりフリーナの体面とか公務の為に必要な事項だからとスルーし気味ではあったが、先ほどのヌヴィレットの言葉は何とか頑張って自分なりの気持ちを伝えようとしているようにも見受けられた。かなり普通の人よりわかりにくいが、二人の付き合いは別に短いわけではない。公務上だけでも話す機会はそれなりに今までもあった。だから、どちらかと言えば何かほかにヌヴィレットが伝えたい事があるというところまでは何とかくみ取れた。

「水神誕生祭は、家族などの親しき者と過ごすのが一般的と聞いている。リオセスリ殿と一緒と聞いた時に、そう思った。君の出自的にあまり馴染みがないかもしれないが」
「あー、そっちか。気を使ってもらってたんだな、俺」
「いや、公の立場だからこそ知りえた君の出自や過去の経緯をこのような場で持ち出すのは、違反行為だと思う。すまない」
「まあそれは、審判に参加していた奴は誰でも知ってるし。今となっては、勝手に変な風に吹聴されてるから別にしていないが」

よく考えれば、フリーナには全く罪はないがリオセスリが水神誕生祭という国一番の祭に対してドライな対応をしているという事が、ずっとヌヴィレットは引っかかっていたのだろう。爵位的に嫌でも式典には呼ばれるが、欠席をするとなると大手を振るって他の催しものも堂々と参加することは立場的に不可能になってしまう。それでいて水の下から出てこず、家族もいないで過ごすことに配慮したのだろう。

「君の本当の誕生日も、……。いや、これこそ私だからこそ知りえる事だな。勝手に検分したことをずっと謝罪したかった」
「そんな事まで調べるのか、大変だな」
「君に爵位を与える過程で必要な調査だった」

ヌヴィレットからの称号の授与に関しては、当時はかなり賛否両論だったらしい。
フリーナは特に興味がなかったらしいが、あまりにも色々と前例がない。しかも無冠から突然の最上位の爵位である公爵の授与ということで反対も多かったと、のちに人づてで聞いた。実際、最初に打診されたリオセスリでさえ必要性を感じなかった程だ。だからこれはヌヴィレット主体で与えられたものである。様々な要因を排除する一つに、リオセスリ自身の素性を調べる必要があったのだろう。孤児だったとはいえ、仮初の身分登録を確認したとヌヴィレットは語った。

「実は前の誕生日は、もう覚えてない。ろくに祝いもしなかったからな。だから、ヌヴィレットさんだけでも覚えていてくれたら、俺は嬉しい」
「……そうか、わかった。では、確かに承ろう…………」

そこまで納得したヌヴィレットはようやく、リオセスリの書状を手にしてくれて、既定の場所へと置いた。
自分の為に杞憂してくれることは、リオセスリもとても嬉しく感じたのだ。だから、つい一度は暗くなった雰囲気を払しょくするように明るい話題を投げることにしたのだ。

「そういえば、俺はヌヴィレットさんの誕生日知らないけど、こんな機会だから教えてもらえるのかな?」

別に秘め事を共有したいとか思ったわけではない。
なんといってもヌヴィレットは、超が付くほどの真面目である。一応現時点では考えていないが、もし今後リオセスリに二つ存在する誕生日に対して、何かをしてくるという可能性もありうる。そう思ってしまったのは、今日がフリーナの誕生日でそのあまりにも多すぎるプレゼントがここではないがパレ・メルモニアの一室を覆いつくしているという噂を聞いた事があるからだった。神へわざわざ献上する誕生日プレゼントなんてリオセスリからすれば見当もつかないが、別にフリーナとて過分なものを求めているわけではなく、質よりも受け取る個数など拘っているらしいから、可愛いものだが。正直、こういうイベントごとに慣れていないリオセスリからすると、今回のようにヌヴィレットの行動に関しては予防線を張っておくに越したことはないと思った。

「私の誕生日は公言していない……が隠しているわけてばなく、面倒を避けて進んで公表していないだけだ。フリーナやメリュジーヌ達には答えている。君に伝えても差し支えはない」

そう言いながら、続いてヌヴィレットは自分の誕生日付を口にした。今日のように水神に誕生日があるからあまり疑問には思わなかったが、今考えるとヌヴィレットに誕生日があること自体にも少し神聖な雰囲気を感じた。

「ふーん。案外、俺と誕生日近かったんだな」
「君の登録してある方の誕生日は、メロピデ要塞内で催しをしたりするのか?」
「まさか、誰もそんな事を気にするわけがない。俺自身だって気が付いたら誕生日が過ぎていたってこともあるくらいの一人寂しくいつも通りに過ぎるだけの日だからな。ああ、また年を取ったなって感じる程度だ」
「そのような感覚があることが少々羨ましい。私自身の正確な年齢は、古い書物には記載しているが必要にならければ、確認するようなことはない」
「ヌヴィレットさんの誕生日も祝日になったら、うちの看守たちは喜ぶかしもしれないな。うちの国は祝日少ないから」

この人はそんなことは望まないだろうなと思いながら、リオセスリは軽口を叩いた。それなのに、少しだけヌヴィレットは浮かない顔をするかのような微妙な反応になった。

「……質問を一つしたい。だが、それは君を不快にさせる内容かもしれない」
「俺相手に、遠慮することなんて今更あるか?」

確かに今日は随分とリオセスリの深いところの話をしたかもしれない。だが別にそれを不快と思うような事は全くなかった。ただ、ヌヴィレットの立場上、避けられなかった事項の再確認をしてそれを律儀に教えてくれたのだから、整理がついただけだ。
元より、ヌヴィレットに対して水の上に関してはそこまでの隠し事などないのだ。自分をこうやって公的に引き上げてくれた相手なのだから。

「これは非常に野暮な質問かもしれないが……リオセスリ殿はそろそろ結婚適齢期な筈。所帯を持つ予定などはあるのだろうか?」
「は?…………はははっ、なんだソレ」
「……私の質問の内容に問題はあるかもしれないが、決して笑うような内容だったとは思わない。どうしてその結論になったのか教えて欲しい」
「あー悪い。いや、まさかそんな質問があんたから飛び出てくるとは思わなかった」
「そういえば、このような俗っぽい問いかけを誰かにするのは初めてだ」
「俺に感化されたとしたら、悪い悪い。だが、良い傾向だと思うぜ」
「悪いと感じたのなら、私の質問に答えて欲しい」

律儀に前置きはあったものの、どんな質問が飛んできても答えるつもりだったのに、あまりに突拍子もない内容で思わずリオセスリの笑いは止まらなくなってしまった。ちょっと落ち着いてから答えさせて欲しい。
特定の伴侶やら今のご縁やら、あまりにも公明正大にヌヴィレットが問いかけるもんだから、これは新手の審判の一環か?と錯覚するくらいであった。

「俺みたいなどこの馬とも知らない出自でメロピデ要塞なんかの管理をしている人間のところに来たいなんて、奇特な人間には今まで会ったことはないな。その答えで満足かい?」
「つまり君自身ではなく、君の立場が問題という事か?」
「いや。なんだかんだといっても公爵という立場が人気がないとは言えない。だからこそ、俺の余計に周りに近寄ってくる人間の意図が単純なだけではないって事さ」
「やはり、私が与えたものは君を幸せにしなかったということか」
「別にヌヴィレットさんが悪いってわけじゃない。…………って、聞いてる?」

勝手に自己完結した後に深々と腕を組み、ヌヴィレットは明らかに深く考え込む仕草をした。
目の前でリオセスリが軽く手を振っても、何かしらの反応を見せる兆しはなく露骨に眉間にその綺麗な顔に少しの皺を寄せて悩んでいるようだった。やがてその澄んだ曇りのない瞳さえ閉じ、本格的な推考に入ってしまった。
そうして二人の間にしばしの沈黙が過ぎた時間、ふわりと瞳が開いて宣言される。

「これからパレ・メルモニアに戻り、早急にリオセスリ殿の婚約候補者を選定しよう」
「…………なんで、そういう結論に至った?」

まるで悟りを開いたようなヌヴィレットは、揺るぎない気持ちがあるようだった。
それより、当人であるリオセスリの気持ちを優先してくれる方がよほど嬉しかったのだが、今の彼にはあまり伝わるような気がしない。正直婚約候補者とか、この身に降りかかるのは初めて聞いた用語である。先ほど笑った事を諫められた為、今回は我慢したが。これがヌヴィレットではなく他の輩から口にでしたトンデモ発言だったら、リオセスリは一瞬で切り捨てていた自身がある。しかしながら体面的に所持している爵位という立場からすればそれは当然とヌヴィレットは考えたのだろう、多分。
あまりの突飛に俗世に馴染むのは、やはり良くない事ではと思い始めるほどであった。

「ああ、すまなかった。君の好みを聞いていなかった。要望は可能な限り、受けよう。後々整理したいから回答は文書でお願いしたい」
「話が飛躍しすぎてるけど、なぜかヌヴィレットさんが俺に結婚してもらいたいと思っているのだけは、わかった」
「君の優秀な遺伝子は後世に残すべきだと思う」

生半可な相手ではという懸念以上に、とうとう婚姻だけではなく生物学的な話まで飛び出してきた。これは放っておくと、面倒で難しい話へどんどん移行しそうだ。それは困る。
ヌヴィレットがわざわざ自分を気にかけてくれるのはありがたいことだが、さすがにそこまで干渉されてもあまり嬉しくはない。そのこともわかった。先ほどから理解している事項は多いのに、根本的な解決に至っていないような気がする。

「俺はもともと孤児だし、今の俺の存在は遺伝子のおかげともあんまり思ってない。それに、そんなもの誰も欲しがらないと思うが」
「そんなことはない。少なくとも、私は欲しいと思った」
「は?ヌヴィレットさん、あんた一応男だよな」

会話がかみ合っていないような気がどこまでもして、だがヌヴィレットではないが文書で整理するタイプではないので、リオセスリは再確認することとした。
他国より事実婚の割合が非常に高いフォンテーヌではあるが、基本的な婚姻と言われている者は男女である。法で決まっているのだから、番人であるヌヴィレットが知らぬ筈もない。というか、ヌヴィレット自身は人ならぬ存在であらからして、そういう杓子定規に簡単には当て嵌められないのかもしれないが、それでも根本は確認しておきたかった。

「我が国の法では、女とは……子を成せる器官をもつ者で。男とは……逆に女ではない者と規定されている。これを踏まえると、私は男に該当する」
「解説ありがとう。じゃあ、一旦落ち着いて話そうか」

先ほどまで二人はずっと立ちっぱなしで話をしていた。いい加減、リオセスリとしても一旦クールダウンしたくあって、ここ大休憩室のソファの一つにようやくヌヴィレットを座るようにと促した。
会話の内容はともかくとしても、表情の変化に乏しいヌヴィレットがどこまで熱くなっているかはわからない。ともかく、それでも紅茶……いや水の一杯でも欲しいと思ったのは確かだ。生憎、大休憩室の構造を把握していないので取ってくるのは無理であったが、立ちっぱなしよりはマシだろう。

「隣…」
「ん?」
「やはり私の隣に座るのは嫌だろうか」
「真正面の方が話しやすいと思っただけだ、あんたが望むならそっちに行くさ」

ヌヴィレットが座ったテーブル越しの対面ソファに移動しようと足を踏み出したところ、先ほどよりは音量小さく声が響いた。一応三人掛けのソファではあるが、二人ともに成人男性であるからして、一つのソファにもし二人が座ったとすれば窮屈に違いないと感じた。それでも要望されればやぶさかではない。
ヌヴィレットの真隣、深く沈むソファに腰かけると体重の重みによってやはり二人の距離は近づいた。例えばここで紅茶を飲む動作をするならば、利き手がぶつかるのも仕方ないほどの隙間しかない。

「……私は、きっと浮かれていた」
「ん?なにを」
「式典で君が隣に座るとフリーナから聞いた時……」

真横に座るとヌヴィレットの表情のすべてを甘受出来ない。それでも、顔を向ければまろやかな陶器のように白すぎる肌からわかるものが微かにあった。
そうだ、リオセスリの欠席に怪訝な反応を示したことからこれは始まったのだ。そうして、ようやくヌヴィレットの真意を聞けた気がする。彼の想いはわかった―――
後はどちらかというとリオセスリ側の整理ではあったが、躊躇なく隣に座り会話している時点で、答えなど今更考えるべきことではないのだ。
変わらない矜持に、今この瞬間に瞬く間に惚れたのだから。

「ヌヴィレットさんは、俺をメロピデ要塞の管理人として正式に承認したり、過分な公爵という地位を与えてくれた。正直、あんたがくれるのじゃなかったら俺は受け取らなかったよ。だからもし、俺の気が狂って大罪を犯したら、あんたにも任命責任を問われる。だからあんたの迷惑にならないよう、表には露骨に出ないやり方で水の下を治めてきたつもりだ」

十代だったリオセスリは、あの時自分が裁かれて安堵した。別に後悔はしていないが、罪と向き合う時間を与えられたことに。それをずっと胸に持って、今も生きてきた。
飼い慣らされた忠誠心はどこからと聞かれたら、きっとこの時だ。そうして今は下心もある。

「侮らないでもらいたい。リオセスリ殿を任命した時から、私は君と運命を共にしても良いと、とっくに覚悟は出来ている。特定の人間を作らないのは、審判に影響があるからだった。でも、私は君の立場を定めるときにそれを破ってしまった」
「そうだな、俺のせいだ」

全ての責任をヌヴィレットが持つから、彼は間違えてはいけない立場だ。
互いに超えてしまった一線を認識し、リオセスリはソファに収まっていたヌヴィレットの豊かな髪の一房を手に取った。ヌヴィレットは咎めず、ただその一連の行為に目をやるので、指先を添えてその髪に口づけた。

「だが、リオセスリ殿は私より着実に早く亡くなるし、私は君の子を孕むことさえもできない」
「……それが事実でも、証なら与えられるさ。だがヌヴィレットさんは、抵抗はないのか。こういうことに」

手を出しても構わないと言っているからこそ、わからせるかのようにきちんと手を揃えて折り重ねていたヌヴィレットの右手を淀みなくリオセスリは触れた。
手袋越しとはいえ細く長すぎる僅かに開いた指の隙間に、自分の指を滑り込ませる。びくりとした反応はしたもののこちらがぎゅっと握れば、答えるようにきちんと返してくれた。触れることを許されている。

「誰かと肌を重ねたことはないが、君とを想像するに嫌悪感などはない」
「それは、最高の口説き文句だ。ありがたく頂こう」
「…………一つ、約束して欲しい」
「ああ、何でも言ってくれ」
「君も私を求めてくれるのは大変嬉しい、が。私は元よりこの身をフォンテーヌに捧げている」

ヌヴィレットにとって何よりも優先すべきは、この国である。
それはリオセスリもよくわかっている。たとえ、個人的に二人がどうにかなろうとも、ヌヴィレットは最高審判官なままだしリオセスリもメロピデ要塞の管理人を辞めるわけではない。第一優先を付けるとかそういう類ではなく、もはや持って産まれた性のようなものである。互いにどうしても譲れないものはあり続けてしまう。

「だから、君もこのフォンテーヌと結婚しているようなものだと思ってくれないか?」
「……ああ、喜んで。元よりそのつもりだ。それで、あんたが手に入るなんて最高だ。それに、俺は俺なりのやり方でこの国が好きだからな」



俺は、今日―――フォンテーヌの水の中と結婚する。
結婚記念日は毎年祝日だ、わかりやすくて良いと少し笑った。







◇ ◇ ◇






「もういい時間だ。ヌヴィレットさん、あんた明日式典早いだろ?そろそろ戻らなくて大丈夫か」
「明日は、リオセスリ殿が今のように隣にいてくれないから、帰るのが名残惜しく感じる」

ソファに座り肩だけをくっ付けて会話していた二人だが、流石に日付も変わってしまう。
昼間の仕事の忙しかったであろうヌヴィレットは、思いが合ったこともあり張り詰めた気が抜けて少し眠そうに感じ。リオセスリは彼が寝入る前に声をかけたのだが…帰ってきた返事はありがたいことに空を仰ぎたくなるような内容だった。だが、公人である二人がそう自由になる時間は少ない。

「このまま一晩居たら、手を出さない自信がない。そうなると明日の式典には、無事にあんたを参列されられないかもしれないからな、今日は戻ってくれ」
「……明日の式典に一緒に参加するのも無理なのだろうか?」
「悪いが、好いた相手を隣にして、一日我慢できるほど俺も枯れてはいない」
「……わかった。欠席に関しては、私からフリーナに申し伝える。だが、その次の約束を。私の公務に支障の出ない、都合良い日で良いのだろうか?」
「ああ、その日を楽しみにさせてもらう」
「よろしく頼む」

身も心も本当に意味がわかっているのだろうかと少し思うほど、少しヌヴィレットの反応は疎かった。いや、まだ違いが読み取れないだけかもしれないが。でも、これからか。それでも手に入れたもん勝ちだ。
だから――― 去り際に、不作法な口づけだけ一つ彼に送ったのだった。





















フ ォ ン テ ー ヌ と 結 婚 す る