attention!
金リンゴ捏造タルディル








「なるほど。確かに、わかりやすい目印だ」
思わず独り言を呟いてしまったタルタリヤの目の前にあったものは、人間の二倍以上の背もある大きな動物に近い建造物だった。何とも形容しがたいものの、白と赤色の身体をベースに目・口・頬・耳…土台は手か足かと思われる、何かしらの哺乳類のようなものを模していた。しかしながらその体躯は柔らかい毛や肉で覆われているわけではなく、まるで陶器のような不思議な質感。これが旅人の言う<ドドコ>と呼んだ存在である事の具体的な説明は一切なかったものの、その響きで何となく察することが出来た。
「―――なぜ、ファデュイの公子がモンドに居る?」
「あれ、君も旅人に呼ばれたの?」
計らずも感心してしまいドドコと思われる建造物をまじまじ観察していたところ、タルタリヤの背後から鋭い声がかかった。ここは、モンド城の入り口であるシードル湖にかかる橋を渡った直ぐ脇である。そこに、アカツキワイナリーに所属するディルックが偶然通りかかる事は別に不自然な事ではないだろう。しかしながら、今回ばかりは思い当たる節があったのだ。
ディルックという存在は我らがファデュイを目の敵にしているので、前々からモンドで活動する際の要注意人物に挙げられている。その念頭がありつつも、具体的に存在の認識をしたのは旅人経由での話だった。二人の立場的にもし出会うとしたら戦場かどこかと思っていたが、まさかこんな場所での初遭遇。本来ならば武器を引き抜く間柄であるものの、それを成し得なかったのは、この目の前のドドコという妙に気の抜ける建造物の一躍なのかもしれない。一先ずは現状把握に努める事となる。
「まさか、君も旅人から手紙を?」
「その様子だと、君も旅人からバカンスの誘いを受けたんだね。あまりそういうタイプには見えないけど、意外だな」
「バカンス? 冗談じゃない。僕は、旅人からファデュイが良からぬことをおこなっていると聞いて、確かめる為に向かうだけだ」
「なんだ、じゃあ目的は一緒だね。俺も、消息を絶った部下の様子を見に行こうと思ってね」
ここで、そもそもの発端を思い返す事となる。かねてより旅人に同行をすればタルタリヤの望む強敵に遭遇出来る事が出来る為、機会があれば連絡をするようにと伝えていた。そんな中、久方ぶりの便りが来たと思ったら、少々拍子抜けするような内容でもあったのだ。旅人からの手紙では、正体不明な海に浮かぶ島々で色々と大冒険した結果、今は落ち着いたから暇があったら遊びに来て的な文面。だが、しかしファデュイについての記載があったので見逃せない点があり、指定された場所までやって来たという次第である。
「それじゃあ、俺は先に行くとするよ。うかうかしていると、君に妙な横槍を入れられそうだ」
なんといっても今のディルックの現在の服装は、随分と好戦的な装いであった。それは本業であるアカツキワイナリーオーナーではなく、戦いに赴くための相応しい佇まい格好だ。かっちりとした礼装を基調に仕立ての良い儀礼的な衣装は、神の目は見せないものの動きやすい服装となっている。どこか気品のある趣を見せるのは、ディルック本人の性が滲み出ているせいだろうか。統一感のある黒と赤を基調としているので、燃える彼の髪の色と非常にかみ合っていた。その鮮やかな赤い髪を高い位置で一つに止めているのも、機敏に戦う為であろう。少しでもタルタリヤが不穏な動きを見せれば、容赦ないと思った。だから、抜け駆けした方が良い。
「待て。島のファデュイもそうだが、執行官である君の動向の方が余程見過ごせはしない」
タルタリヤが手早くドドコの土台の足に乗っかり、入口と思われる大きな口へ飛び込もうとした瞬間だった。ぐいっと後ろから自慢のコサックマントを引っ張られ、仰け反りそうになる。敢えて一旦、後方へ流されたふりをしてその後の反動でそのまま逃れようとした。しかし、予想以上にディルックのこちらを掴む力は強かった。そのせいで、勢いのまま転がり込むように二人共ども揃ってドドコの中に入り込む事となってしまった。
「えっ…、て。ちょっと…引っ張らないでって………あ!」
「勝手に行くな、……………ッ、ん? …なっ!」
仕組みはまるで理解できないが、口の中は視界ゼロの真っ暗闇であった。いざ足を踏み入れたものの中には謎の傾斜が存在していて、その足元はとてもおぼつかない。そのまま二人は、なだれ込むようにその空間に吸い込まれていった―――



「っいてて、… ここは?」
「…ッ。島に着いた、ようだな」
気が付くと、二人は揃って白い砂浜に横たわっていた。かんかんと降り注ぐ日の光の下、空にはほんの少しの雲しか見えない天気である快晴。良質な砂浜は一面に広がり、見事な曲線美を描いている。そうして、広大な穏やかな海が尽きることなく水平線を示していた。まごうことなき、見渡す限りの島である。
「漂着…って感じじゃないね。直接ここに落ちたのかな?」
「今回は、こういう形式のようだな…」
「君、もしかして以前もここに来たことがあるの?」
衣服に着いた砂を軽く払いながら、現状把握に努める声を出す。タルタリヤとしては露骨に表には出さないものの多少の驚きがあったのに、ディルックはそれ以上に冷静に努めているように見受けられた。そもそも島へ行くのにドドコなどという建造物から向かうという手段が既に疑問なのだが、ディルックの慣れている感に違和感を覚えつつも、タルタリヤは聞き逃さなかった。
「………過去に一度、足を運んだ事がある。その時は、このような形式ではなかったが」
「そうなんだ。じゃあ、俺は君に邪魔される前にさっさと部下を探しに行くよ」
そう言い捨てて、タルタリヤは手早くその場を後にする。こうやって無下にすれば、またディルックはこちらに突っかかるだろうと思っていた。しかし、なぜか直立不動で渋い顔をしたまま海を眺めている。不自然とは思いつつも、こちらの目的にディルックの存在が問題にある事に変わりはない。迅速に目的を済ませようと足早にその場を去る事に、この時のタルタリヤはまるで疑問に思っていなかった。



「ちょっと、この島どうなってるの?」
数時間後、全く同じ場所で微動だにしていなかったディルックにタルタリヤは詰め寄る事となった。
それは、この島の捜索を一通り終えた後に出来る唯一の手段であったからだ。何といっても、予想以上にこの島は小さかった。外周は歩いて一時間ほどで回る事が出来る程度。ほとんど全て同じような砂浜が続いていて、少しの岩肌や群小な洞穴などは存在しているもののあまり代り映えはしない。平凡な海岸から内地へと調査へ向かえば、自然に形成された陸地とはいえのっぺりとしており、山林というには生い茂る樹木は小規模。せいぜい人間の身長よりやや背が高いくらいだ。島の中心部はやや小高い丘となっているが、ただそれだけだ。そこから島全体が見渡す事が出来て、全てを理解した。絶望的に水平線が全方向へ見えるのだ。タルタリヤの視力が良いとか悪いとかそういう段階を通り越して、ここは完全な絶海の孤島である事に気が付いてしまった。旅人どころか部下も、それどこか人っ子一人いない…まごうことなき無人島である。
「僕に聞かないでくれ」
「前に来た事あるって言ってなかった?」
「以前、連れてこられたのは違う島だった。この島よりは、かなり規模は大きかったが。概ね同じようなものだ」
「それで。君は、その島からどうやって脱出したの?」
「しばらくしたら、旅人がボートでやってきた」
「ふーん。それで、今回は旅人はいつやって来てくれるの?」
「僕にわかるわけがないだろ」
完全に開き直った発言を、ディルックはいけしゃあしゃあとのたまった。動揺していないのかしているのかわからない。ただ二回目の経験だからこそ、むやみやたらと騒ぎ立てて体力を使うのは無駄だと悟っているのだろうか。そうでなければ、ファデュイであるタルタリヤ相手にとっくに?みついたりしそうなのに、意外とこの島に着いてからディルックは大人しかった。しかしだからといって、それがただずっーと海を眺めているだけで解決するとはとても思えなかった。
「ともかく、旅人がいつ来るかわからないんだから。しばらく島で過ごす方法を考えないと」
「………君と二人きりというのは不本意だが、仕方ない…な」
ようやく観念したのか、渋々と言った様子でディルックは同意を見せた。しばらく…と換算するにも、この島に着いてから時間も経ち過ぎたのだろう。いくら海を注意深く観察しても、一粒たりとも変化は見られないのだから。
「とりあえず、飲み水と食料の確保かな」
「島を見て回ったのだろ。水場はあったのか?」
「残念ながら、泉どころか湧き水の一つも見当たらないね」
「そうか。恐らくだが…雨水も期待できない。なぜかわからないが、前回滞在した時にこの島々では一切雨が降らなかったからな」
「え? そうなの」
「だから、最悪。海水を真水にするしかない…な」
「ああ、そういえば君は炎の神の目の持ち主だったね。でもさ、それよりもっと簡単な方法があるけど」
ディルックの神の目があると思われる位置に一度視線を落としつつも、次に。トントンと、タルタリヤは自身の神の目を警戒につついて見せた。怪訝な顔をしたディルックを傍目に、軽く手の平を目の前に示す。水の神の目は存在を主張するように明確な輝きを示し、空中に軽く浮かび上がる見事な水流を作って見せた。
「それは安全な飲料水なのか?」
「空気から直接元素を変換してるから、問題ないと思うけど。昔、故郷の雪山で遭難しそうになった時に何度か飲んでるから、安心していいよ」
「まあいい。とりあえず飲み水の問題は解決したな。後は食料か」
どうにも素直に受け入れる性格はしていないのか、結果だけ確認して後はばっさりと切り捨てたディルックが、次の問題点を視野に入れる。
「普通なら、こういう場所には海鳥の一匹でもいそうなものだけど。見当たらないね」
「この陸地の狭さだと、期待は出来ないな。それに周囲に他の島も見えないんじゃ、外から飛んでくるとも思えない」
「折角、俺は弓を持ってきているのに残念だよ。それに、島内に小動物も確認出来なかったね。もしかしたら、隠れているかもしれないけど…」
「僕の剣も振るう場所が少なさそうだな」
「仕方ない…な。ちょっと君、海から離れてくれる?」
「何をするつもりだ?」
訝しながらも、ディルックは先ほどまでブーツを濡らしていた水面からやや距離を取るように、波が届かない砂浜まで後退した。指示したタルタリヤも直接、水面には近づかない。それでもギリギリまで接近した後に、素早く切り替える。
次に輝くのは、空よりも海よりも青く先ほど光輝いた神の目とは異なる光。霹靂を意味する紫電の煌めきを瞬時に身に纏う。本来の鳴神の力ではない疑似的な威光によって生み出した鋭い稲妻を、タルタリヤは海へと直接放電した。ほとんど波立つことのなかった海面に伝わる電流が、辺り一面に広がる様子がはっきりと見て取れる。しばらくすると、海面に数匹のショック死をした魚がぷかりと浮かんできたのだった。
「とりあえず、最低限の食糧は確保出来たかな。って、ちょっと。まだ海に入るのは危ないよ!」
ディルックは感心して海面を見届けたわけではなかった。こちらの一連が完了した後、躊躇なく海へ入って行ったのだ。浅瀬であるからしてそれほど水位があるわけではないので、魚が浮かんでいる範囲も腰程度までの深度しかない。それでも、歩きにくく感じるのは水圧の抵抗というよりは、先ほどタルタリヤが放った雷元素のせいであろう。直接的な力は随分と放出して分散化されたとは思うが、それでもまだ海中に残骸は残っている筈だ。生身の人間なら、とっくに痺れてうずくまってもおかしくない。それをディルックはものともせずに進む。そうして、海面に浮かんだ魚を一通り攫った後に砂浜に戻って来た。
「僕の前で、二度とその力を使うな」
横切る際、今までで一番低い音を持って、怒気と共にディルックは言い捨てた。その殺気に感じる事があって、タルタリヤは記憶の片隅からこのモンドの貴公子に関する情報を思い出す。そうだ、彼は『邪眼』に執着していたという事をだ。ディルックはそれ以上は言わず、さっさと採った魚の調理をする為に、安定した場所を求めて岩場へ向かって行ってしまった。ディルックの経歴は一通り浚ってある。生まれと育ちから生粋のお坊ちゃん…かと思っていたら、意外と手慣れた手つきだった。ここは馴染んだ剣を所持している彼に任せた方が良いだろう。
タルタリヤとしても本当は釣りは得意な方で、特に漁師町に住んでいたからこそ海釣りは本領発揮の場だ。とりあえず、釣り道具の作成を試みる為に、原材料を調達しにタルタリヤは島の森林へ入って行った。



「君、意外と食べるね」
「必要以上にたくさん採ってきたのは、君だろ?」
パチパチと焚き木の火花を挟みながら、二人は採って来た食材を囲み、揃っての食事をしていた。唯一の和やかさにも程遠くはあったが。結論とすれば別に無理に邪眼を使用しなくとも、確かに釣りは大漁であった。ぱっと見た感じ外敵が少なそうなのでここの魚は釣るのがそんなに難しそうに思えなかったが、想像以上に採れ過ぎてしまった。積み上がる魚の山。ディルックも、浅瀬にいたカニなどを撲殺して採っていたので成人男性二人が平均的に摂取する量としては、目の前にこんもりある状況だった。
二人の力を合わせて作った食事は、なかなかに充実していた。本当ならば、海水や岩塩で塩味を付ける程度がせいぜいで。良くても、木の汁を煮詰めて甘味料を作ったり、肉を煮詰めてようやく油を作るのが限界だったろうが。島には、スイートフラワー・ミント・夕暮れの実・ラズベリー・海産物などが豊富に生息していたおかげで、活動領域が狭すぎわりに味のバリエーションも悪くなかった。偏食な自覚はないが、予想以上に満足で腹は十分に膨れた。ただし、ディルックはタルタリヤ以上にけろりと食していたので、意外な一面を垣間見たような気がする。
「僕は肉派だが、この魚の味だけは認めてやってもいい」
「それは、どうも」
「それ以外の君は、全部駄目だがな」
「はいはい。まあ、とりあえず。君が、炎の神の目の持ち主で助かったよ。さすがの俺も、SASHIMIばかりでは慣れないからね」
食料確保や調理に時間を費やしたおかげか、期せず食事をしながら並んで海に沈むみゆく夕陽を見送る事となった。雲は一応動いているが、確かに遠くの空を見通しても天候が悪くなる様子は見受けられない。湿度が少なくカラッとしているので、日の光が沈んでも気候が悪いという印象はなかった。
後片付けをした後は、もちろん二人に会話などはない。迎えるのは静寂だけの夜である。生きる為に必要な食事をとった後、別に二人が一緒にいる必要性もなかった。自然と各々のパーソナルエリアを作って、夜を過ごす事となる。人体のメカニズム的にもここは本当は一時眠って休息を取るべきだと、戦士としての経験が物語っている。だが、島自体の安全性はある程度確保されたとはいえ。もう一方の存在のせいで、なかなかタルタリヤはそんな気分になれなかった。ここは、かつて暗い深淵に落ちた時より穏やかで困る。まあ、共に居る人物は全然穏やかではないが。そんな少しの過去を思い出すよりに、海に吹く風も気持ちよくいつまでも満点の星空を眺める事の方が余程有意義にも思えた。だから、時間つぶしに妹に教えて貰った星占いでも確かめてみようかと思った最中であった。
「ん?」
物音が聞こえたわけではないが、そもそも視界にも入っているわけでもない相手だ。それでも、タルタリヤがギリギリ悟れる範囲の縁に居たディルックの気配が喪失した。同じ戦士として彼も別に眠っていたわけではないとわかっていたが、何時間もそこに居たのに突然移動して、しばらく戻ってこないのは少々気になる。そもそもそんなに広い島ではない。さすがに様子を見に行くかと、タルタリヤは立ち上がった。
砂浜に残るディルックの足跡を追う。別に本人は隠すつもりなどないようで、何度かさざめいた波の合間で少しずつの形跡も失いかけていた。それでも隠れるような場所は殆どないからこそ、直ぐにその姿を遠目から見定める事が出来る。
―――ディルックが、いた。
岩場と海の落差が少しある箇所に、腰辺りまで海に浸かった姿だった。彼は、それまで身に付けていた衣服を脱ぎ、恐らく濡れるからと岩の上に引っかけて置いていた。唯一、武器と神の目だけは手の届く範囲に置いていたが、それ以外は一糸まとわぬ姿であった。海水を少しすくい上げて、汚れを拭うように身体にかけている。どうやら水浴びをしているようだった。そういえば、タルタリヤはこの島に来た瞬間に暑さに耐えかねて上着を脱いだが、ディルックは頑なに衣服を乱しはしなかった。それが日焼けを嫌ってという理由を、彼の裸体を見てようやく気が付く事となる。白すぎる肌。隠された身体には、戦士としての歴戦の証が刻まれていた。ディルックは何度か水を身体にかけた後に、高い位置でまとめていた髪を解いた。鮮やかな長く伸びた赤髪が、ゆらりと白い肌に落ちる。赤い髪とのコントラストが絶妙に映って見えた。
波のさざめきしか聞こえない、月明かりの下。その夜の光は白い肌が反射して、まるでディルックに一点集中降り注ぎ集まるようであった。映える姿に、一瞬見とれたという妙な思考が入り交じる。仄かな光の元、響くものがあり目を離せなくあった。それがあまりにもディルックの体躯を気高くしなやかに映すので、タルタリヤは思わず見とれてしまっていた事を否定できなくあった。
「何か用か?」
こちらを見もせずに堂々とタルタリヤに苦言の言葉を投げたディルックは、気にせず下ろした長い髪をかきあげてまとめようとしていた。向こうも当然気が付いていたのだ、タルタリヤの存在に。
「…ちょっと、君の動向が気になってね」
「別に不審な事などしていない。汗をかいたから、水を浴びているだけだ」
「でも、海水だから乾かしても塩でベタベタするでしょ?水浴びくらい、言ってくれれば用意するのに」
いくら炎元素のおかげで濡れても直ぐに蒸発させられるとはいえ、海水特有のえぐみは拭いきれない。ここの海はかなり純度が高く傍目からすれば綺麗と言っても過言ではないが、それでも純粋な水には程遠い。どうしても不純物は残る。タルタリヤの予想ではあるが、ディルック自身はあまり気取らせないようにしていたものの、少し潔癖症っぽいような印象もあった。やはり育ちの良さは隠せない。
「ファデュイに、頼み事などするつもりはない」
「気持ちはわかるけど。もしかしたら長丁場になるかもしれないんだから、いつも万全な状況でいないと、ストレス溜まるよ?」
長期的視野を考えたら、不要なケガや病気に備えて衛生的にした方が良いと思うのは確かで。今は放っているが、行く行くは衣類の洗濯などの問題も発生するだろう。早めに対処しておくのに越したことはない。
「君と二人でこの島にいること自体が、既にストレスだ」
お決まりの言葉をディルックは、何度目か口にする。どうにも、苛立ち隠しきれていない様子だ。ディルックが世間的に言われているのは、慎み深い・そっけない・笑わない・冷たいなどがよく聞く評判だったが。タルタリヤに対してはさすが頻繁に心を?き出しにしてくるのだ。そのわずかな表情の変化もなかなか退屈させない様子だ。貴公子と呼ばれるほど評判の良い男に、ずっと不愉快を示される。最初から最後まで一環として、一々過度に反応してくれという。心地の良い噛みつかれ方をされていることが、逐一こちらの胸の内をすくうのだ。
「じゃあこうしよう…神の目に関しては互いに必要に応じて利用するって事で。俺だって君の炎元素がなかったら。邪眼を使って、そのあたりの木に落雷でも起こしてから火おこしするしかなかったんだから」
それこそ、寿命を削って………と暗に言葉を続ける。彼が目の敵にしている邪眼を引き合いに出せば、ディルックはわかりやすくピクリと反応したのがわかった。確実な憎悪を孕んだ緊張感が二人の間に混じり入る。今は良好な関係を演じる為の、取引。それは危うい均衡を保つ毒を折り込んだ手段でもあった。

タルタリヤが場所を移動することを提案したものの、合理的に説明付けたからこそ、ディルックも止むを終えず追随する形を取っただけだろう。先ほど二人が居た岩場からほんの少し砂浜沿いに内地に入った箇所に、ちょっとした洞窟とまでは言えないものの洞穴程度の空間が存在していた。元々自然の創造物なので、人がそれほど多く入れる大きさではない。水が周囲に飛び散らない為にと提案した場所ではあるが、足元がかなりしっかりしているのが一番の決め手だった。
「それは、君が近くにいないと無理なのか?」
先に洞穴に入ったディルックは、開幕早々の容赦のない指摘を口にした。洞穴は狭く、背も直立すればあと少しの余裕しかない。広さとしても、成人男性二人が入れる程度の空間しかないのだから。そんな場所にディルックが先に入って、入口近くで様子を伺うタルタリヤという物理的な構図が気に入らなかったらしい。まあ、見事にディルックの間合いに入っているからこそ、気に障るのだろう。
「離れる事も可能だけど、その場合の水量は保証出来ないな。あんまり遠くに離れると、視認出来ないから微調整が難しいし」
「しかたない…」
ディルックが肩をすくめつつも納得したのを確認した後に、タルタリヤは神の目を使用して、その場に断続的な水流を生み出した。ちょうど背が低い洞穴だからこそ、さすがに調整は上手くいく。洞穴の天井部からディルックの身体へきちんと流れるように、体現した水元素を操るのだ。場所を無理やり指定した分、きちんと一定の間隔で水筋が均一となっている理想的な水浴びだ。さすがのタルタリヤとて、他人に対して直接向ける水元素を繊細に取り扱う事をそうそうしたことなかったので、しばしその様子を眺めることになった。同時に、ディルックのつややかで張りのある白い肌がのる裸体に視線が向く事にもなる。
「どうかな。何か、問題はない?」
「不都合は感じない…が。落ち着かない」
「どうして?」
「他人にじろじろと見られて、気分が良いものだと。君は思うのか?」
「ああ、それはごめん。つい、君に興味が沸いたから」
ディルックの表面上は無防備に見えた。そうそう他人に肌を晒したことはないだろうに、羞恥も見せずにいるが。自分の領域にタルタリヤを入れるのは嫌うというアンバランスさが絶妙だった。厳然な身体に拭いきれない戦いの傷はいくつもついていても、じゃあその内面はどうなっているのかと、一つ勘ぐりたくなるというものだ。
「なぜ、こちらに近づく?」
「折角だから、俺も汗を流したくてね」
ぐっと作為的に、物理的距離が近づく。そもそもの距離でもタルタリヤのブーツやスラックスの裾どころか、結構飛び跳ねる水滴のせいで濡れつつあった。それでも先ほどまではまだ許容範囲であったが、一歩ディルックサイドへ深く核心的に踏み込む。自然と汗で張り付いたタルタリヤのインナーシャツに、露骨に水が降りかかる事となる。衣類越しにべたりと肌に、明確に水飛沫が到来することとなる。
「自分で勝手に水浴びすればいいだろ」
「君を見ていたら、俺もさっぱりしたくなったんだ。ついでだから、この方が効率が良いだろ?」
衝動的に詰め寄る形となったことに、ディルックは露骨に嫌そうな顔を見せた。が、こちらにもたらす効果は薄い。むしろ逆効果だ。逃げられない距離を徐々に詰める。嫌がる相手の領域に無理やり踏み込むのは、満更でもない気分だ。そのまま踏み荒らしたくなる。そもそも、入口はタルタリヤの背であった。元々、洞穴の入り口は屈まないと入る事が出来ない程度だ。外からもたらされる光度は小さく、わずかな星々の光が入るのみだ。薄暗く視界の中、それだからこそディルックの肌の白さは際立って見えた。水滴が、きめの細かい肌の上を珠のように滑る様子が間近で見て取れる。
「って、ズルいな君」
「…何の事だ?」
「こんな無人島で熱い水浴びが出来るなんて贅沢、想定してなかったよ」
「ふんっ、君だって神の目を好き勝手使っているんだから。僕好みにして何が悪い?」
よく見ると、手回り品として少し腕を伸ばせば届く範囲に置いてあるディルックの神の目が赤く輝いている。指摘されて惜しまない様子を示したところ、タルタリヤから供給されている水の温度を炎によって上げていたのだ。湯水のように使うという表現がこれほど相応しい事もないだろう。水浴びも、最初こそは冷たい水が良かったかもしれないが、段々に身体も冷える。ディルックによって熱を帯びた給水は、適度な温度で肌に下り立つ事となった。二つの元素が融合したことで、少しの蒸気が洞穴の中で発生する。その水蒸気でさえ極楽のようで、想像よりも有意義な贅沢を醸し出していた。ただし、作為的にその恩恵をタルタリヤに提供するつもりはないらしく、あくまでディルックは自身の周囲に染みわたる範囲にしか効果を作用されていなかった。だからこそ、タルタリヤはよりディルックに詰め寄る構図となる。無遠慮に立ち入ると…ふいに、二人の肩が触れる―――
元々暑いのは外の気温のせいか?それが水浴びの温度のせいで切り替わり、そして今の熱さを誘発するものは。暑い熱さの、変化の意味を知りゆく。それはまるで、火照った身体を持て余すように。
「君は、そんなに服を濡らして一体この後どうするつもりだ?」
「もちろん、君が乾かしてくれるんだろ?」
「そんなことを僕は言っていない。全く…面倒だ。さっさと、君も服を脱げ」
便利な炎の神の目に期待する声を投げたら、あっさりと拒否の言葉を頂く。そうして厄介事を嫌ってか、ディルックは粗雑にタルタリヤの服の裾を引っ張って、脱衣を主張した。まさかそんな乱暴な行動を取られるとは思わず、タルタリヤはつい足元を踏ん張ってしまった。しかしながら、想定よりディルックの服を掴む力は強かった。これはもしや服が破けるのでは?と思うくらいの反動があったのだ。
「っ、あ…」
散々水浴びをしたせいで、いくら何でも足場が悪くなっていた。ムキになってタルタリヤの服を引き延ばす形となったディルックは変な形で力が入ってしまったらしく、足元が疎かになってしまったようだ。慣れない素足だから余計に滑りやすかったのだろう。そのまま未だブーツを履いているからこそ留まっていた、タルタリヤの方へと上半身が傾く結果となる。
「おっと…大丈夫?」
思わず、飛び込んで来た形となったディルックをタルタリヤは胸にトスンと抱き留める事となる。これ以上滑られたら、水量の問題でこちらが非難されそうでもあるから、反射的に支える為にディルックの腰を抱く形となる。
今までで一番近い距離となった事で、二人の視線が鉢合い絡み合う事となる。薄暗いほら穴の中でも、表情の一つ一つがはっきり視認出来るくらい身近であった。あまり見るなと言われていたから意識していなかったが、こうやってディルックの顔を眺めると、以前妹へプレゼントした精巧な人形を思い出した。同性とは思えない程、パーツの一つ一つが小さい。くりっとした部位があって、それでもきりっと一本の芯が通っている。そんな整った顔の一つである頬には、濡れているせいで肌に張り付いた赤い髪があった。思わず除けるように指先で軽く払えば、半信半疑な表情をされた。
「平気だから、離れろ…」
これは不可抗力の結果、偶然の邂逅である。しかし、あくまでもディルックはこちらをどこまでも頑なに全方向に拒む。二人の関係からすれば当然の事とはいえ。だからこそ、タルタリヤからするともっと剥き出しの感情を探りたくて、面白くも戯れを働きたくなった。どこか、煽られる―――
同年代の貞淑な同姓だからこそ、ギリギリの均衡を壊し甲斐がある。既にこれだけ近いのに、より近づいてみたいと思った。もし、隙を伺い気まぐれにもっと触れたら、どういった表情をするだろう…と。その白い肌に指を食い込ませたら、どんな痕がつくのか。いつかは戦う相手だ。自分もこの身体に傷跡を刻むのかと。その矜持をねじ伏せて引きずり下ろし踏みつぶして、身体を暴いて肌を重ね合わせて征服して暴くように取り扱う。そんなことをしたら、きっとすさまじい抵抗がある。だからこそ土を付けても逃さなければ、やりがいを感じるだろう。
ディルックの表面上の傷はありつつも、決して汚される事のない意志。その心も本当にここにあるのか確かめたい。一瞬の合間に過ぎった脳内の思考を、悪くないとタルタリヤは思った。
「黙ってないで、いい加減…」
口を噤んだままにさすがに痺れを切らしたディルックが、本格的な文句を口に出した瞬間。タルタリヤが明確な意図を持って、その手をディルックに伸ばそうとした―――

「おーい! 公子? ディルックの旦那――― どこだー?」
静寂に一石を投じる声が入り交じる。洞穴より随分と離れているが、微かにこちらの名前を呼ぶ声が反響しつつ、二人の耳に届いた。間違いない。これは、旅人とパイモンが二人を探す声であった。
途端、洞穴内に巻き起こった現象があった。
「うわっ! 暑っ…、」
一帯で巻き起こったのは、熱風で。心の準備のなかったタルタリヤは、ぼうっと一回火あぶりを食らったような気分になった。瞬く間に、目の前のディルックの身体に停滞していた水滴を払いのけられる姿を見とれる事となった。
ディルックは手早く本来の衣服をその身に纏い、乾燥を終える。全てを整えた後は、邪魔だてしていた目の前のタルタリヤを不意打ちして横へ突き飛ばした。
「旅人。僕は、ここだ」
そうして見事に振り払ったディルックは、こちらを一度も振り返りもせずに洞穴を出て、無言で立ち去る。そのままスタスタと声の主を探す為に、あっけなく遠ざかっていった。
ディルックが使った炎の神の目による乾燥は、もちろん彼自身を乾かすための行為であって、タルタリヤへの配慮は一切されていなかった。だからこちらは水浸しのままである。これは…しばらく濡れたまま頭を冷やしてから外に出るべきかもしれない。
タルタリヤは、軽く頭を振って先ほど過ぎったディルックに対する気の迷いを飛ばそうとしたが、拭いきれなかった。それは、どこまでも胸の内に残る事象である。何とも後に残り響く忘れがたい感覚。馬鹿な事をと、振り払うには余りにも魅惑的な思考。

―――だから別に考えを改めるつもりはないなと、再び彼と相まみえる為に動き出すのだった。











お 魚 ツ ミ ツ ミ 、 金 リ ン ゴ の 過 去