attention!
ディルックさん、おたおめ!!!
好きすぎて誕生日話を二つ書いてしまいましたが、それぞれ独立したお話です。










 年に一度のディルック・ラグヴィンドの、その日は多忙である。

「ディルック様。今しがた到着したお届け物について、ご報告が…」
「今日の僕宛の荷物については、予め取り扱いを指示してある筈だが、何か問題でも?」
「それが…どう対応すれば良いものかと少々困惑しておりまして」
「わかった。行こう」
 アカツキワイナリーにて、ディルックが一番席を置いている時間が長い執務室。本日も早朝からモンドで発行される主要新聞と酒造業界新聞。そして最新のワイン評価誌に目を通していたところ、最近雇われた男性使用人の一人からおどおどしく声がかかった。
 本日は、ディルックの誕生日である。その為、いわゆる贈答品の数々が屋敷に届けられるという通例があった。贈り物と言っても上辺の儀礼的な物、商会絡みの何かしら裏の意図がある物、あるいは色々と含みのある好意を示す物と、様々である。それは、ラグヴィンド家当主・アカツキワイナリーオーナー・ディルック個人向けと思惑事態も幾通りも存在する。つまり大なり小なり厄介事であるからして、誕生日には仕事を理由に外を出歩かないと決めてからはこういう方式となった。ディルック宛に贈り物があれば、一先ず屋敷に託けて届ける。そうして後でディルック自身が送り主と中身を確認し、今後の対応を検討するのだ。その方が効率が良い。だから難事でない限りは、使用人には配送人から贈り主を確認し、ただ受け取るようにと伝えてあったのだが。屋敷内で上手く伝達が為されていなかった可能性もある。
 呼び立てる男性使用人に促されて、ディルックはエントランスホールへの絨毯を淀みなく降りた。

 効率を重視している事もあり、エントランスホールは応接スペースも兼ねている。だから生活をする場というよりは、ワイナリーや組合会の仕事場という認識で、同時に亡き父の骨董品が立ち並ぶ場でもあった。案の定、普段は書類が広がるだけの応接机たちの筈が、今日限りは変化する。それこそ色とりどりのラッピングが施された、質の良い箱がいくつも並んでいるという体裁だ。ディルックは、年に一度の見慣れた光景を軽く一瞥した。が、ちょうど表玄関から入った場所に異質とも思えるソレは存在していた。
 立派な屋敷の扉をおおよそ三分の一は覆い尽くす―――無数の花々が視界に入る。あまりにも圧倒されすぎて一瞬霞みそうになるが、一番の問題はこれだけの量をたった一人の男が手一杯持って、その場に居ることだった。

「やあ、おはよう。 はい、プレゼント」
「………君に言いたいことは色々とあるが…とりあえず一旦、置かせて貰う」
 膨大過ぎて前など見えない筈なのに、すかさずその花束とはもはや言えない巨大な花々を手渡して来た男はタルタリヤであった。
 ディルックとしてもそれを無碍にも出来ず一応はこの手に受け取るが、その重さと質量を考えると視界ゼロで立ち尽くすのもさすがに色々と問題があるとわかるだろう。一度断りを入れる声を出すと、後ろで恐る恐る待機していたが空気を読んでくれた使用人が、一番近くの応接机の上を素早く開けてくれた。だが用事を済ませると直ぐにまた離れてしまったので、こちらを遠巻きに見られているのはわかる。まあ、当然だ。ディルックは、一旦は中腰になってから崩れないようにこの花盛りをゆっくり降ろす事となる。タルタリヤも手を添えて、花々が無為にこぼれ落ちないように支えて着地させる。
「随分と花の品種が偏っているな」
 ずっしりとした重さや草木含めた独特な花粉や香りの入り交じり具合から、最初の感想がそれだった。ディルックとてこれほどの大きさではないとはいえ花束を貰う事が珍しいわけではないし、仕事上必要な関係で花畑を自身で管理もしている。その中でも今回一際目に付いたのが、いわゆる定番とは少し離れている花の種類であった。偏りを感じる好みを示している。
「折角だから、昨年の風花祭で取り上げられたものにしてみたよ。君からしたら見慣れているかもしれないけど、俺には珍しいし。選ぶのも楽しかった」
「一体どこで、この花たちを手に入れたんだ?」
 言われてみれば確かに、奥ゆかしくも立ち並ぶ花々はモンド全土のごく一部の地域にしか自生していないものばかりだった。蒲公英・風車アスター・セシリアの花・ヴァルベリー・ググプラムというモンド特産品のオンパレードが方々に散りばめられており、バランスよく色合いを示している。これらはいくらモンドで採取できるとはいえ、生息地はそれこそ全域に渡る。だからこそ、こうやって一括で見る事が珍しくもあった。
「それはもちろん、モンド城の花屋だよ。品揃えなら、あそこが一番だろ?」
「…それにしては、随分とこの花たちは新鮮に見えるが」
 試しに一番手前にあったセシリアの花を片手に取るが、まるで先ほど丁寧に摘み取って生けたかのように朝露に濡れている。蕾もこれから花開くのを今か今かと待ち望むように、透き通るほどの美しさを保っているのだ。それは、千の風にさらされてなびくのとはまた違う瑞々しさであった。
「ああ、それはちょっと神の目を使ってね」
 簡単な応用だと、タルタリヤは水元素の使い手ならではの軽い水流を宙に垣間見させた。慣れた様子で、不規律に浮遊する様子を見せてくれる。属性によって独自の使用法があるから、本人にとってこれは許容範囲なのだろう。
「随分と贅沢な神の目の使い方だな。全く…力を使いながら移動するなんて、馬車の中でよく警戒されなかったな」
 さすがのディルックも、飽きれ半分で少し忠告をする。
 自身もそうだが、別に神の目持ちがそれほど珍しいわけではないが、普通の人間からすればそんなことをずっとしていたら驚かれるのが当然だ。しかも戦闘で使用するわけではなく、こういう方法とは怪しささえある。
「馬車…何で?」
「だから、モンド城からワイナリーまでの移動は、馬車だろう?」
「いや、俺。馬車は使ってないけど?」
「は? じゃあどうやって、ここに?」
「普通に歩いて来たよ。だって急いで走ったり馬車を使うと、折角綺麗に保った花が折れるかもしれないからね」
 至極―――何ともないかのように言い放つタルタリヤが、この場には居た。
 その………あまりの事態に、広がった花々をまとめようとしていたディルックの手がピタリと止まった。ゆっくりと先ほどのタルタリヤの言葉が脳内で反復されて、なんとか理解しようと努めたが。
「まさか、ワイナリーまで歩いて来たのか? モンド城から?」
「別にそんなに遠くは感じなかったかな。君に会えるのだから」
 やはり再度確認をしても驚きしかなく、多少唖然とする。この場に来たタルタリヤの、両手いっぱいを凌駕していたあの花束抱えながら移動していたなど、朝方とはいえ目立ちまくることは想像に難くない。その様子を連想するだけでも困惑するに値する程、道中が派手である。確かに城からここまで別に歩く事の出来ない距離というわけではないが、それでも相当だ。それをタルタリヤのような元から目立つ男が更に花の大群という特徴づけをして、悠然と闊歩していたとなると、瞬く間にモンド中の噂となる。しかもその行き先が、皆が知る誕生日の主がいるアカツキワイナリーとなれば、色々な思惑が渦巻くに違いない。
「やってくれたな…」
「まあ、もしかしたら。今頃、俺が手にした花にどんな意味が込められているのか、花言葉から暗号を探っている輩がいるかもしれないけど」
 それこそ、デカラビア時代の時のような勘ぐりの再現だ。どのような取引をしているのかと、意図を掴むために躍起になる人間がいても可笑しくない。双方疑う方が当然な、それほどの地位と立場の人間である。
 かえってタルタリヤがあまりにも堂々としすぎているからこそ、厄介に違いなかった。表沙汰に出来ない関係だからこそ、平素は夜にばかり現れる男。こんな清々しい朝から邂逅するなんて事は今までしなかった。だから、ディルックも不意打ちで、素で驚いたのだ。この誕生日プレゼントに込められた本当の意味を理解できるのは、当人同士だけなのだから。

「さて、目的も達成したし。俺は帰るよ」
「これ以上、妙な噂が立つ前に早く行ってくれ」
 今後、モンド民から何度も聞かれるであろうタルタリヤとの関係を多少なりとも説明しなくてはいけないという頭痛を患い、ため息と共にディルックは言葉を吐き出す。旅人を通じての知り合いだ。仕事上で多少関係があるという従来の説明では不足している部分の補完に頭を悩ます。一つの騒動として取り沙汰される出来事。二人からすると時間にしたらほんの束の間の邂逅でも、今後も含めて意味がありすぎる来訪だった。

「ああ、そうだ。俺としたことが、うっかり忘れ物をしたみたいなんだ」
「忘れ物?」
 いまさら何を白々しくと、ディルックはジト目で返す。
 性格的に素直に言葉は返せないが、色々と手をかけた上で堂々とプレゼントを持ってきてくれた事自体は評価している。だから、もうこれで十分だと思っていたのに…
「俺が、君の一番好きな花を知らない筈がないだろ?」
 わざとこちらの耳元に口を寄せて、そこまで明確に言われた。
 確かにディルックの一つ腑に落ちない点として、花々を見返すこととなる。どれも見事な切り花たちではあったが、決定打が足りなくあった。
 そうして不遜な笑みだけを残して、ようやくタルタリヤはもったいつけるかのように屋敷を去った。

 嵐のような朝の騒々しさが、ひと段落を終える。こちらの会話を聞くことの出来ない距離で、遠巻きで見ていた使用人たちはようやくほっと胸をなでおろし、怖じ怖じしながらも本来の業務に戻る。
 ディルックも、屋敷の彩として新たに加わったこの様々な花々に水元素とは違うが適切な処置を施すようにと、伝えた。そうして、また何事もなかったかのように振舞い、執務室に戻るのだった。仕事だけが進む、日中が待っているのだから。





 その日の晩、ディルックは自室の窓の鍵を敢えて閉めることはしなかった。
 忘れ物をした人物が、手ずから折って持ってくることになる花であるイグサ。それは、夜にこそ真の姿を見せるように最も輝くのだから。

 彼が選んだ風花と同時に、きっと愛の詩を携えることにもなるだろう―――








※ 以下は二つ目のお話です。







「やあ、待たせたね」
「…その言い回しは、約束をしている場合に使う言葉だ」

 モンドの四季のうちでも、冬といえば特別に長いと認識されている。そのせいで、本格的な春の訪れが綻ぶ事を皆が今か今かと待ちかねているのだ。そうしてようやく訪れた春の期間は実際は短く天候も不安定でもあるが、夏時間に入る事は日が長くなることで実感を味わう事となる。季節の変わり目でもあるが、新緑や花に彩られた暖かな春は、自然と浮足立つものでもあった。
 それが…本日が生憎の雨で夜半に差し掛かろうとしている時間帯だとしても、この男には別段関係のない事なのだろう。
 アカツキワイナリーにある屋敷のディルックの部屋からは、豊かなブドウの香りが漂う荘園が一望出来る。その展望の良い窓から、泰然として不埒なタルタリヤが別に約束もしていないのにおくびも出さずやってきた。もう何度目でもあるので今更驚きはしないが突然やってきた不埒者からの、さすがにその問いかけは初めてだったので、呼応する返答をディルックはすることになる。
「俺としては、君が寝っている場面に是非とも遭遇したいんだけどな」
「それの何が楽しいんだ?」
「そのまま君が眠っていてくれれば、貴重な姿を眺められて俺は満足だし。俺の気配を感じて起きてくれたのならば、きっと素晴らしい夜が始まる」
「相変わらず君は…自分にとって都合の良い推量をするのが得意だな」
「君の一挙一動に、ただ一喜一憂していているだけだよ」
 明け透けのない言葉を続けながら、タルタリヤはこちらを伺うように直ぐには歩み寄らず、少し離れた位置で止まっていた。
 ディルックの私室は元々屋敷の主であった父親が使っていた部屋をそのまま利用しているので、それなりの広さがあるのだが、現在使用されているのはその一角だけ。その場所には私室とは別にある執務室にある机よりは、随分と簡易的な執務机があった。サイドチェストが一つだけ付いている木製机は、長時間の机仕事には向かない筈だが、常日頃の事なのでもう慣れてしまった。部屋の全体的な灯りは外へと漏れぬように既に消してあるが、机上にランプ一つだけ置いて手元の書類だけは確認できるようにしている状況だった。
「それでも、こんな遅い時間まで仕事をするのは感心しないな」
「別に、君が見ても問題ない程度の仕事だ。難しいものじゃない」
「そう。じゃあ遠慮なく」
 相変わらずの仕事熱心だと、感嘆とされたことはわかった。律儀に一言断りを入れてからではあるが淀みなくタルタリヤは、執務の為に書類を整理しているディルックに近寄ってきた。その内容に気が止まったのか、卓上の端に除けてあったいくつか鮮やかな色合いのあるチラシの数々を軽く持ち上げて、眺めた。
「へぇ… 春ワイン特集のチラシか。今の季節は一年の中でも、モンドワインが一番上質になる時期だから、興味深いな」
「その認識をモンドの民も持っているからこそ、要求される品質も高い。おかげさまで難航している」
 アカツキワイナリーは、酒類においてはワインを中心にモンドシェア最大手を確保し、名実ともにモンド酒造業界のリーダーとして君臨する一方、エンジェルズシェアを中心として酒場へも販売強化を推進している。流通産業の担い手としても絡めて、信頼される酒の総合商社として発展に努力を惜しまない。結果、ワイン産業全体を代表するほどの成功を収めているとのことに間違いはない。
 提供するワイン自体のクオリティとコストパフォーマンスの保証は、年々高いレベルを推し出せていると思うし、品揃えも充実させている。そのようにこだわった良質なワインをいざ販路に乗せるならば、様々な方向性からその魅力を伝えなくてはいけない。ディルックは歴史を誇るモンド最古の老舗ワイナリーの経営者として、こういった適用業務を随時こなす必要があった。
「モンド民は特に酒に関しては舌が肥えているから、さすがの君も苦心する…か」
「別にアイディアがないわけじゃない。が、さすがに毎年の事だからな。目新しさは薄くなっているかもしれないな」
 従業員にも協力して貰い、美酒と呼ばれる地酒のアピールはもちろんのこと、名物である蒲公英酒以外にもモンド特産品を試用したリキュールを試みたり、飲み比べセット、酒税法改正に備えてクラフトビール市場に参入を検討したりと、常に新しい構想を実践はしている。
 しかしながらアカツキワイナリーの歴史と実力を兼ね備えた名門と評されるのは、やはりワインである。銘醸地としての自負もあり、早い時期から自然農法に取り組んでおり、栄養分をブドウにしっかりと供給する鉄分を多く含んだ石灰質土壌の畑が特徴だ。瑞々しく繊細な味わいのワインが到来する季節であるからこそ、気品と透明感の満ちた味わいの良い品を推したくもあった。特にこの春は、フレッシュで生き生きとした果実の旨みとキリっとした爽やかな酸味とミネラル感が魅力的であった。

「根を詰めるのも程々にした方がいいんじゃないかな? 明日に備えてさ」
「なぜ、明日の事を………いや、今更か」
「君だって俺の誕生日くらい知ってるだろ? お互い様だ」
 そう…指摘するまで忘れていたわけではないが、むしろ若干忘れる為に仕事をしていたと言っても過言ではない。
 明くる日は、ディルックの誕生日であった。
 そのことをタルタリヤが見知っている事に驚きを覚える必要はない。無論、わざわざ互いに誕生日を伝え合った事など皆無だが、そもそもが宿敵関係なせいで出会う前より先にそのパーソナルデータは調べがついているという関わり合いである。当初こそは、必要な情報だからという事務的な程度の。詳細な組織の所属や所持している神の目、使用する武器種などの情報の中に、たまたま生年月日も入っていたというだけの筈だ。
「君にしては、随分と言い方に棘があるな」
「実は、明日開催される君の誕生日パーティーの招待状が本当は欲しかったって言ったら、どうする?」
「ふんっ。あんなものに君が参加しても、暇を持て余すだけだ」
 突きつけられた目下の厄介事を再認識して、ディルックは今更隠しもしない息をわざと一つ入れた。別に隠していたわけではないが、やはりタルタリヤはその陰鬱なイベントの存在を認知していたかという思いもあり。
 貴族の慣例として、その当主や配偶者、子息子女などの誕生日には何らかの催し物が行われる事は、当然というのが上流階級の認識であった。それこそディルックとて、歴史ある家で生まれ育ったからこそ、幼少の頃から別に誕生日でなくとも様々な催し物に参加を余儀なくされてきた。父親が亡くなる成人前ならば、それは必要な事だと思っていたのだが、一度モンドを離れた今。年に一度のラグヴィンド家で大々的に開催される催し物と言えば、この明日に差し迫るディルックの生誕パーティー以外はない。それさえも、ディルック自身が望んで開催するというわけではなく、最低限の場という認識だった。満面の家族が揃っていた昔ならともかく、誕生日だからと言っても本当に別に何もないただの日となり下がっている。それこそ幼少の方が例年盛大に祝われていたから、あれを上回る誕生日などはもう二度とない。以前を知っているものからは、再びとあの盛り上がりを提案されたこともあるが、もう成人したからと理由をつけて過度な飾りつけや派手な行為をするパーティーは断りを入れていた。
「ははっ、やっぱり乗り気じゃないか。確かに主催が君自身じゃ、壁の花にでもなって逃げることもできないからね。そんな姿を見るのも楽しいかもしれないけど、確かにあまり興味はないかな」
「それが懸命だ。意味のないパーティーだからな」
 いわゆるこのパーティーに参加するのは、上流階級の付き合いがある貴族ばかりで、大抵はどこかの望みもしない令嬢を是非ともこの機会にディルックに合わせたいという無駄な躍起に満ちている。平素、仕事が忙しいを言い訳に、他の貴族へのパーティーには滅多に参加しないディルックと鉢合わせることが出来る貴重な機会として、虎視眈々とされている渦巻く陰謀。
 モンド民は自由で噂好きだ。闇夜の英雄はともかくとしても、ディルックの仕事と結婚をしているという噂だけは、この点に着目して欲しいと一瞬思うがあまり効果がないようだった。単に好機と捉えられているようで、祝われている立場のお陰でいつも以上に無碍には出来なかった。
 ディルックとて無論ラグヴィンド家は大切だが、貴族としての重きをあまり置かなくなった今は、かつて過ごした馴染の旧宅をもあっさり手放す程だ。今正に取り組んでいるようにアカツキワイナリーのオーナーとしても、夜にやるべきことは多いのに、今時華々しい夜会としての催しなのも、なんとも効率の悪さを唄っている。他にも諸所経営者としての悩みは尽きないし、こんを詰めて妥協はできずいくらでも仕事はある。こうやって机に齧り付くほうが、まだ建設的だと思うくらいだった。
「折角君にとって大切な日なのに、残念だね」
「興味のない人間に祝われて手放しで喜べるほど、素直な性格はしていない」
「確かに、君はプライベートの切り売りは好きじゃないだろうね」
 本当の意味でディルックの誕生日を祝おうとして参加する輩は、ラグヴィンド家の使用人くらいだ。これらの形式的で煩わしい些末に、ディルックは微塵も興味がなかった。このイベント事のせいで、毎年自分の誕生日など頭が痛い一因としか思えなくなっていた。

「一応、本人に尋ねるのが筋だと思うから聞くけど。折角の君の誕生日だ。俺も是非とも祝いたいと思うから、何か特別な要望はあるかな?」
「ない。だいたい何かねだったら、君の誕生日に僕も何か用意しなくてはいけなくなる」
「ああ、それなら心配しなくて良いよ。俺の為に君の時間を空けてくれれば良いだけから。ただし、ベッドからは出られなくなるけどね」
「………百歩譲って、君の誕生日ケーキの蝋燭に火をつけに行くくらいなら、考慮してもいい」
 タルタリヤの誕生日は少し先の話にはなるが、今の会話で簡単な約束を取りつけ騒ぎしてしまったようなものになってしまったかもしれない。それでも目先の自分の誕生日という若干の憂鬱を少しは軽減する程度にはなれたか。
「それで充分だ。だからやっぱり、君の為に俺も何かをさせて貰わないとね」

 片手で眺めていたオーガニックワインのチラシを元に戻したタルタリヤは、そのままディルックが向かっていた机上にある書類の数々を無言で取り上げた。広告用の、柑橘類や桃や洋梨の透明感のある写真や送り状であるインヴォイスのサンプルなど。重要度は高くないが試作段階のそれらに、ざっと目を通した後に無常にも宙へ放った。タルタリヤがこの部屋に侵入した際の窓は開いたままのせいで、夜の雨足の残る風の舞いになびくように絨毯を中心とした辺りに散らばる。
 最後に羽ペンを持ったままのディルックの右手へそのまま優しく触れるので、軽い反動で企画を書いていた便箋の白紙部分にインクがぽたりと落ちる。
「なに、を…」
「君の願いを一つ叶えよう。それが、俺からのプレゼントだ」
 捉えられた手首を軸に、タルタリヤに椅子から立ち上がるように促される。そうして、そのまま開けた窓の外への道筋を空いた手で示される。それこそまるで、パーティーでエスコートするかのように傅く優雅な仕草を一つ入れて。
「僕に…この仕事や、明日のパーティーを放り出せと言うのか?」
「誕生日くらいは、君だってワガママの一つくらい叶えてもいいはずだ」
「無理だ」
「そう、君一人だったらね。でも、もしその大切な日に、君が誰かに攫われたとしたら…どうかな?」
「………随分と、チープなシナリオを思いつくんだな」
 即座の否定の言葉からの、タルタリヤの切り替えしは早かった。
 多分この男の頭の中には、どうあがいても引く事など選択肢にないに違いない。地位も名誉も何もかも持っているからこその束縛の一つから解き放つ、あまりにも即物的な誘惑。担う責務を放り出すと言う事は、それを上回る何かが必要だ。雨はまだ止んではいないのだから。
「奇想天外な話題の方が、貴族様には好評になると思うけど」
「前提条件として、そもそもの対象が僕というところに無茶を感じるな」
「そこで登場するのが、モンドで少々評判の悪いファデュイの俺って事だよ」
「何もかもを君に押し付けるのは、僕には合わない」
「じゃあさ、自分の為…じゃなくて俺の為だと思ってくれる? 誕生日くらいは無理をする君は見たくないし、何より俺が祝いたいんだ」
「………君のお祝い方法は、随分と過激だな」
「そうだね。俺はきっと君の身体を傷つけると思うよ。それこそ、優しくね」

 そうして改めて差し出された手が、眼前にあった。自らは決して語る事はない事項を代弁してくれた、目の前の男の。
 その提案に、ディルックは頷きはしなかった。だが、否定もしない…………沈黙。それがきっと何よりの答えだと、タルタリヤは机上にしかない薄暗い灯の中で、一つ嬉しそうな笑みを見せた。二人の間にも、新たなる春の訪れがやってくることを知って。それは、どんな高価で貴重な贈り物よりディルックの胸を打つものだった。
 誰かがもたらした雨足は止まない。知らぬ間に、この雨に溺れるように流される―――



 ◇ ◇ ◇



 コンコンコン

「ディルック様、おはようございます。失礼致します。朝食の準備が整いましたのでお声がけさせて頂きました」
「昨晩は一晩中雨足が強かったですが、本日はディルック様のお誕生日ですから。止んで良かったですね」
「…ディルック様? どちらに………?」

 バタバタと騒がしくそれこそ歩幅など考えないくらいの勢いで、メイド達が慌ててアカツキワイナリーの分厚い絨毯の階段を駆け下りる。
「ヘイリー、モコ。朝から騒々しいですよ」
「アデリン様、大変です。ディルック様がいらっしゃいません!」
「そうなんです! ディルック様のお部屋に伺ったら、乱雑にお仕事の書類が放置されていますし、窓は開けっぱなしで雨が吹き込んでいてカーテンも乱れているんです。何かあったに違いありません!」
「二人とも、一旦落ち着いて」
「アデリン様こそ、なぜそんな冷静なんですか?もしかしたら、ディルック様に何かあったのかもしれないんですよ?」
「そう…ね。今日がディルック様の誕生日でなければ、私も冷静ではいられなかったかもしれないわ」
「そうですよ…誕生日! あ、今日のお屋敷のパーティーどうしましょう? もうお客様には、とっくに招待状も送ってあるのに」
「私たちが不用意に騒ぎ立てても事態は改善しないわ。とりあえず、お客様へ本日のパーティー中止のご連絡をするのが先ね。理由は、ディルック様の体調不良という事にしましょう」
「あの…アデリン様? 先ほどから、何でちょっと嬉しそうなんですか? これから忙しくなるっていうのに」
 ヘイリーとモコは揃って、少し機嫌が良いように見えるメイド長へ首を傾げる質問を投げかける。
 生真面目な主人であるディルックの事だから、急用があれば書き置きの一つでも残すだろうに、いくら部屋をひっくり返してもそんな軌跡はなく、少々の争ったような痕跡と夜露に濡れた雨の匂いが残るばかりだ。不穏しかない。だからこそ、もしかしたら悪者に攫われたかもしれないというのに。唯一の安堵は、馴染の武器も神の目も残されていなかった事くらいだ。それはディルックの手元にあるのだろう。

「ふふっ、そうね。無事に戻ってきたディルック様から、久方ぶりに謝罪の言葉を聞けることが、楽しみなのよ。
 それに今日は無理かしもれないけど、一日遅れのささやかなお祝いを私たちするのなら喜んでくれるでしょう」
 誕生日に、仕事を放り出しパーティー以上の優先する予定が入ったディルックの初めてに、アデリンはなによりも喜ばしい事だと微笑んだ。



 アカツキワイナリーのエントランスホールから大きく切り取られた窓の外を見れば、昨晩から降り続けいていた雨が晴れた結果、もたらした大きな虹が見えた。もうとっくに春は来ているのだから、もしかしたらその向こうに今、居るのかもしれない。













タ ル デ ィ ル で デ ィ ル ッ ク お 誕 生 日 話 2 つ