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「北国銀行VSモンド酒造組合会」 A5/P56/400円
再録+続き話書き下ろし
付き合っているタルディルが仕事上でバッタリ遭遇するが、部下の手前仕方なく不仲営業する話。
書き下ろし部分では、モンドを舞台にタルディルが不動産を巡っての不仲営業をします。
サンプルは、書き下ろし冒頭から9ページ分くらい。










<第二章> ファデュイVSアカツキワイナリー



 慣れた手つきで、ツイル生地のダークグレーを基調としたロングポイントカラー長袖シャツを羽織る。比翼前立てのボタンを留めて、ガントレットボタンの袖口を折り返してから、カフスを揃えた。ワンタックのスラックスに履き替えた後は、深い切込みの入るノッチドラペルの付いたパールホワイトのフォーマルカマーベストを手に取る。そのまま後手で、バックスタイルの尾錠を留めた。シャツより深みのある濃い色の黒いタイを首元に回し、スモールチップからダブルノットを作る。
 そうして最後に、髪をかきあげて後頭部に束ねた瞬間に、その音は割り入った。

 コンコンコン

「ディルック様、ご用向きの方がいらっしゃっています」
「わかった。直ぐ行こう」
 エンジェルズシェアの三階にてバーテンダー衣装に身を包んだディルックは、階段下からチャールズの声を聞いた。こちらも反応の声を出しつつ、締めのバックスキンの黒手袋を嵌めた。
 今日は、情報収集も兼ねてカウンターに入るつもりだった。しかし、チャールズのいつもより少し慌てた声の質から想像するに、今宵の安寧は難しそうだ。やや小走りで二階へと降りると、そこには騒がしいばかりである酒場には似つかわしくない、一人の老人の姿があった。
「ディルック殿、お助けを…」
「ゲーテ殿。そんなに息を切らして、何かあったのか?」
 そこに居たのは、ルートヴィヒ・ゲーテ。モンド一の宿泊業を担っている、ゲーテ家の長であった。各テーブルに配置されている氷の入ったピッチャーを手に取ったディルックは、グラスに水を注いでゲーテに手渡す。慌てて水を咀嚼しようとするゲーテに合わせるように中腰となったディルックは、ゆっくりとその様子を見守った。
「突然、申し訳ない。じゃが、ディルック殿が今日はこちらにいらして助かった」
「一先ず落ち着いたようで良かった。それで、何があったんだ?」
「実は…前々から相談していた、ゲーテホテルの件なんじゃが。とうとう、ファデュイが強引に交渉の場を設けて来て」
 モンドでも悪名高きその集団の名前を聞き、ディルックは露骨にピクリと反応した。
 その名の通り、目の前のご老人はゲーテホテルのオーナーだ。モンドにおける最高級ラグジュアリーホテルと言っても過言ではないその場所は、長らくファデュイ使節団が無期限で貸切っていた。そのおかげで、風の都であるモンドにおけるファデュイ最大の潜伏地と言っても過言ではない。当初は、西風騎士団が提供した宿泊施設が気に入らないという理由ではあったが、キッカケもなくずるずるとその状態が続いていた。
 いくら高額な金銭という見返りがあるとはいえ、あまりにも不当に長い期間である事に危惧をしたゲーテは、一度西風騎士団に相談へ行ったのだ。だが、契約自由の原則があるので、民間同士のやりとりには民事不介入だとあっけなく断られてしまった。相手が、あのファデュイでさえなければ西風騎士団も手を差し伸べてくれたかもしれないが、下手な横槍を入れれば間違いなく外交問題となる。法を犯す程の事態が起こっているわけではないので、積極的に介入し、立ち入ることは出来ないというスタンスを貫いたのだった。
「それで、交渉はどこまで進んだ?」
「一応、さわりだけ聞いて。一旦、外の空気を吸うと言って席を外させて貰ったんじゃ。それでディルック殿を探しに…」
「つまり、交渉真っただ中という訳か」
 統治機構でもある西風騎士団に断りを入れられたため、次にゲーテが頼ったのは、モンドの酒造業を取り仕切るディルックだった。騎士団を辞した今のディルックには、逆に言うと公的身分はないからこそ、民間へ対する取引介入に支障はない。格式は違えども、ラグヴィンド家は名門中の名門。何より直接取り扱うものは違えども同じサービス業にも準じている事を重視され、かねてより事情を打ち明けられて諸所相談に乗って来た。
 今までファデュイ相手に出した提案や要望を毎度一瞥されてきたので考えあぐねていたのだが、あちらが本格的に動いたとなれば、こちらも手段は選んではいられない。
「僕も交渉の場に立ち会おう。
 すまない、チャールズ。今晩は頼む」
 この由々しき事態に、迅速な対応が必要だと判断したディルックは、素早くチャールズに託けをした。
 本来ならば、チャールズはディルックと立ち替わりこの後オフの予定ではあった。しかし、ゲーテからはよく注文貰っているから気にしないで下さいと、快く明るい言葉で後押しをされた為、足早に二人はエンジェルズシェアを後にした。



「何を見ているんだ、用がないなら離れろ。部外者は立ち入り禁止だ!」
「急いでいる、どいてもらおうか」
 エンジェルズシェアから西風大聖堂方面へ一気に駆け登ると、二つ目の噴水の前にゲーテホテルはあった。
 現時刻が、深夜に差し掛かろうという時間帯であろうと、ファデュイの護衛門番が力強く監視の視線をこちらに向けてくる。相手が誰であろうと、その慇懃無礼な態度を崩すつもりはないのだろう。
「一介のバーテンダー風情が、ここに何の用だ? 配達は頼んでないぞ!」
 そこまで明確に提示をされて、一瞬だけディルックは自分の服装に思い当たった。
 火急を要した為、それに気を使っている場合ではなかったが、確かに仕事着のままであった。シングルブレストのジャケットくらいは羽織ってくるべきだったか。だが、そんな余裕を与えてくれなかったのは目の前の彼らなわけで、その程度の事で今更後に引くわけがない。
「僕は…」
「彼は、アカツキワイナリーのオーナーだよ」
「こっ… 公子様!?」
 こちらの続く言葉を遮るように、淀みなくホテルの扉を開いて中から現れたのは、ファトゥスのタルタリヤであった。事もなげに、こちらの身分を明かしてくれる事に、有難さを感じている場合ではない。
 今までファデュイとゲーテホテルが膠着状態だった理由は、モンドの情勢が比較的安定していたからに他ならなかった。別に混乱となる要素がなければファデュイとて、表立っては行動出来ない。つまり、何かしらの変化が起きたからこそ事態が進展したという事だ。それが良い意味でも悪い意味でもあって。その原因が目の前の男であるという事に、ディルックは即座に気が付いた。
 ―――二人は、最初こそ旅人を通しての出会いではあったが、今ではプライベートでも少なくないといえる交流と一歩踏み込んだ関係性。未だにディルックは、タルタリヤという男を全ては掴み切れてはいなかった。だがあくまで、自分の個人的な感情と、使命の切り離しを混在することはない。だからこそ、他のファデュイを見る目と同等の視線を向ける事になる。
「何やら外が騒がしいから、ゲーテホテルのオーナーが戻って来たと思ったんだけどね」
「ゲーテ殿も、この後直ぐに来る。僕も、この交渉に立ち会わせて貰う事となった」
「そう。これは、随分と強力な助っ人の登場だね。さあ、中へどうぞ」
 わざとらしく恭しい態度を示したタルタリヤの横を無心で通り過ぎ、ディルックはゲーテホテルに入る事となった。実直を向くだけで、それ以上の反応はせずに。

「貴様は… 先日の、モンド酒造組合会!」
「まあまあ、彼がモンドに居るのは不思議な事じゃないだろ?」
「そうですが、しかし」
 ロビーで速攻に不信感を表した相手に、僅かながらディルックも覚えがあった。
 先日、モンド酒造組合会の業務の一環で璃月に立ち会った際、タルタリヤとその北国銀行の部下たちと間近で邂逅した。結果としては、双方妥協が出来る落としどころにて引いたという形ではあった。タルタリヤとしては別の目的があったので気にしていなかったようだが、事情を知らされてないであろう部下からすれば、モンド酒造組合会にしてやられたという印象があるのだろう。平素はどうせ高圧的な態度で、自分たちの思い通りに事を進めていたに違いない。こちらとしても、あの場を平凡に収める為に、譲歩した結果と言っても過言ではないのだが。いつものような横暴がまかり通らなかった事を、わかりやすく根に持っている様子であった。
「僕としては、なぜそちらの璃月に居るはずの執行官がモンドにいるのか、聞きただしたいところだ」
「生憎、ファトゥスも人手不足でね。ここの執行官が別の場所に赴任したから、仕方なく隣接している俺が様子を見に来たのさ」
「フンッ、そんな裏事情。僕に話していいのか?」
「構わないよ。君の情報網ならいずれ知りゆく事だからね」
 あくまで余裕顔を携えて、タルタリヤはおくびれもせず淀みなく話をした。
 確かに彼の言う通り、そのような大局はいつか気が付く事ではあろう。ファデュイの動向を探る事はアビス教団と並んで、ディルックにとって、最上位の優先事項だ。だが、今回は完全な不意打ちであった。ゲーテホテルへの干渉の進展、余りにも早すぎると思った正しく原動力が目の前にいる。
「公子様、ゲーテホテルのオーナーが戻ってきました」
「ああ、こっちに通してくれ」
 ・
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「ディルック殿、先に話をしてもらってすまない」
「まだ、具体的な話は何も。それより、先ほどより息切れが酷いように見える。具合は大丈夫か?」
「いや… 久しぶりに興奮をしたら、少し………」
 モンド城の石畳の階段の上り下りは年配にはなかなか酷なようで、ご老人なりに急いできた様子は見て取れたが、それを差し置いても万全とは言い難い様子に思えた。先ほどエンジェルズシェアにやってきたときより、狼狽と疲労が深く見て取れる。元々休暇を楽しんでいたところからの一転は、確かに激しすぎるだろう。
「君の部下たちの視線に威圧感がある。ご老人には負担と成り得るから、何人かこの場から下がって貰おうか」
「残念ながら、それは出来ない。俺の部下たちも、自分たちが今後モンドで活動する拠点の行く先には興味津々なんだ」
「ディルック殿。私は大丈夫だから…」
「しかし…」
「助っ人を呼ぶので精一杯だったかな? そうだな…じゃあ一先ず、隣の支配人室で少し休むといい」
 タルタリヤが目配せした先には、本来ならばオーナーであるゲーテが、堂々と立ち入る事が出来るはずの支配人室があった。今のこの状態では、あの部屋の入退室でさえファデュイに握られている始末だ。先祖代々のホテルを苦心して管理してきたのに、今ではこの歯がゆさという事をまざまざと知らしめる様子でもあった。
「ファデュイに気を使われるのは癪だろうが、体調が戻るまで休憩するのは僕も賛成だ」
「じゃが…」
「安心してくれ。ゲーテ殿の不利益になるような事はしない。この交渉は、僕が承ろう」
「そのことに関しては、心配はしておりませぬ。しかし私が席を外すとなると、ディルック殿お一人でこの人数の対応する事になります」
「別に有象無象なんて相手しないさ。本当の交渉相手は一人なんだから」
 タルタリヤの存在を揶揄しながらそこまで確信的に言い切ったところ、ようやく納得したのか、ゲーテはしぶしぶとだが一つ頷いた。くれぐれも無理はしないようにと念押しの後に託られ、自身が所持していたゲーテホテルにまつわる資料を改めて手渡される。そうして、つたない足取りで、本来ならば馴染の筈の支配人室にゆっくりと向かって行ったのだった。

「さて、これで交渉相手として。俺と君、双方明確になったわけだ。ここはホテルだ。前回のように、立ち話をするのは勿体ない。是非とも着席して話を聞こうじゃないか」
 タルタリヤの一言で広々としたロビーラウンジの一角が、瞬く間にカンファレンスルームに成り代わる。元より、ファデュイ以外の人間は排除された空間だからこその必然とも言える。
 ディルックとて別にじっくり腰を落ち着けたいわけではないが、確かにホテルの入り口で収まるような話ではない事も事実である。交渉の場が用意されているならば、堂々と席に着く事に異存はない。わざとらしく促されたアームチェアに着席すると、ローテーブルを挟んだ対面にタルタリヤも腰かけた。その背後左右には、直立不動のファデュイが男女一人ずつ。護衛なんていらない十分な実力を持っているのに、わざとらしくもあった。どちらかというと、こちらを監視的な意味合いを強く感じる。

「失礼致します」
 二人が着席してしばらくすると、給仕とおぼしき人物が一礼の後、ローテーブルにドリンクメニューを流れるようにサーブした。
「これは?」
「見ればわかるだろ? 折角の客人だ。もてなさないと」
「必要ない」
「そう? じゃあ、俺だけ頂くとするよ」
 タルタリヤは目線だけ給仕に示すと、既に提供するものが決まっているのだろうか、直ぐにトレーに乗ったグラスが目の前に配膳された。
 そのまま淀みなくグラスを手にして、瑞々しい色をしたグラスに口をつけて、堂々と喉を潤す様子を示した。純粋に飲み干す様子をありありと。
「うん、やっぱり美味しいね。璃月でも手に入るけど、やっぱり本場モンドで飲む出来立ては格別だ」
 極上の一杯としてこの場に提供されたのは、アカツキワイナリーの葡萄ジュースであった。交渉の場に、アルコールは適切ではない。文化圏によって違いはあれども、璃月ではお茶に該当するもの、それがモンドの認識として選ばれたのが、この炭酸の入っていない酸化の少ない葡萄ジュースだったのだろう。それを、わざわざオーナーであるディルックの前で飲み干すという描写を見せつけるということに意味がある。
「俺としては、折角だからアカツキワイナリーのオーナーとも交渉をしたいんだけどね。君の父親の代では、北国銀行とも取引していたんだし」
「あれは、創業融資の返済をしていただけだ」
「そして君の代になったら、一括繰り上げ返済されてしまったわけだけど」
「北国銀行とは、距離を置くことが最善と判断しただけだ。今後、僕が君たちと直接取引することはない」
「モンドと言えば詩と酒の国だけど、スネージナヤも酒に目がない。アカツキワイナリーに嫌われたくはないことはわかってくれるかな?」
「相対するビジネスの場なら、僕だって公平に取引するさ」
 開幕前の何気ない筈の雑談さえ、既に不穏だ。この機にタルタリヤはアカツキワイナリーまで探りを入れたが、ディルックは一刀両断をした。全銀システムがあるから金融資産はある程度把握されているのはわかるが、それ以上に毛嫌いされているのは知っているからこそ、タルタリヤも軽い世話話程度に努めただけで切り替えは早かったようだ。リップサービスのように、あっさり断られることも織り込み済で、話は淡々と進む。
 前哨戦の駆け引きは終わりだ。

「じゃあ、そろそろ本題に入ろうか」
「いいだろう。まず、君たちの要望だが、このゲーテホテルを買い取りたいという事だったな。フンッ、ファデュイはいつの間にか地上げ屋の真似事までするようになったんだな」
「不動産売買契約書を渡しただろ? そこに、ルートヴィヒ・ゲーテがサインをすれば、この話は円満解決だ。なんの問題もない」
 改めて、ゲーテから渡された書類の中から、ファデュイが作成した不動産売買契約書をディルックは取り出して眺めた。不動産の所在・地番・地目・登記簿上の地積・持分など必要な情報はもちろん網羅されている。特記事項には、セットバック部分の記載もあるが、特出すべき問題点等は見受けられない。建物の方には、不動産番号・家屋番号・種類・構造・床面積。名目上の仲介とされる宅地建物取引士はさすがにファデュイの息がかかった人物であろうが、既に必要分の収入印紙も貼り付けられている。付随の別紙として、残代金決済の案内・固定資産税及び都市計画税清算書・賃料等清算書も添付されており、もちろん周辺地域の公図と登記情報が最後にあった。これだけ書類がきちんと揃っていると、通常の不動産売買取引として一見して不備はない。権利部(甲部) 所有権に関する事項に記載されている名は、もちろんルートヴィヒ・ゲーテである。
「それで、この売買取引の何が気に入らないのかな? 売買代金に関しては、周辺相場から純資産額と十年分の含み益も考慮して十分な金額を提示してるつもりだけど。希望金額があるなら、限りなく検討する余地はあるよ」
「金額の問題じゃない。大体、いくら北国銀行経由とはいえ、君たちの金銭の支払いにも疑問がある」
「うちの銀行経由が嫌なら、即金で用意するのでも構わないよ。一度、公の機関を挟みたいなら信託をしてもいい」
「万が一、金銭が解決したとしても。ゲーテ家は、長年モンドの宿泊業の中核を担ってきた一族だ。その象徴たるゲーテホテルを失う事は、考えるに値しない」
 ここは、モンド城のど真ん中という好立地且つ一等地。下層の街は高い建物も多いが、ホテルにしては控えめな三階建ての高品質だ。観光業の観点から見ても、外国からの来賓等で一番に喜ばれる物件でもある。それが外資系…寄りにもよってスネージナヤに占領されるなど、モンドの文化面からとしても多大な損失と言っても過言ではなかった。
「ゲーテ家は、ホテル以外にも暁風宿屋の運営やモンド内にいくつかアパートメントなども持っているだろ? 希望するなら、この名前は残してもいいよ。俺たちに大切なのは、それじゃないからね」
「そこまで言う、君たちは…何が目的なんだ?」
「今までモンドは自由の国だからと出入りがしやすいこともあって、あまり本腰を入れていなかったけど。ある程度の拠点を作りたいと思ってね。ファデュイがここを支店登記すれば、税金も払う事になるし、モンドにも十分に利はあるだろ?」
「そうやって、軍を置く理由や外交上の権利を求めていくつもりか?」
「ファデュイは長らく大陸を守護してきた。それは紛れもない事実だ。モンドに於いては、うちの博士が魔龍ウルサ征伐したことも記憶に新しい筈だ。別にゲーテホテルを土地転がしようとしているわけじゃないのは、わかってくれたかな?」
「尚、悪いな」
「それは、残念だ」
 ファデュイからすれば十分に譲歩しているつもりの交渉であろうが、明け透けとなくタルタリヤの口々から出てくる内容は、今後のモンドの未来を考えれば十分に危惧すべき事ばかりであった。
 ただでさえ西風騎士団のファデュイへの対応は後手後手な部分があるというのに、この上民間にまで介入されるようになっては、次第に商業面からも圧力がかかるに違いない。きっとゲーテホテルはある意味象徴として、その足掛かりの一つとして手に入れたいという思惑があるのだろう。そうしてゆくゆくは、毎年開かれている七国関税会議にもモンド側としても影響力を持つに違いない。今のところアカツキワイナリーの尽力もあり、酒を主体とするモンドは対スネージナヤに貿易赤字は免れている。だがこのまま進出をされたら、手つかずに守られている天然資源なども視野に入れられてしまうかもしれない。
「とにかく、君たちの交渉は飛躍しすぎている。ゲーテホテル運営など一族に関わる事は、ゲーテ殿一存だけで決められるものでもない」
「ふむ、一族か。また、君は家族を一番に考えるんだね」
「それの何が悪い?」
「そうだね、じゃあ視点を変えようか。ルートヴィヒ・ゲーテに、息子がいることは知ってるね。名前は、マーヴィンだったかな」
「もちろん把握している」
 突然、この場にはいない人物の名前が出て来て、ディルックは多少の怪訝顔を示した。
 ルートヴィヒには、年の離れた息子がいた。ゲーテ家も有名な一族なので、その跡取りといえば坊ちゃんとモンド民から言われる程だ。どちらかというとディルックにも年齢が近い事もあり、それなりの交流もあった。

「もし、ルートヴィヒ・ゲーテに何かがあった時は、彼が後継者に成りうるわけだけど………」
 そこまで露骨に言われて、流石のディルックも隠し切れない殺気を示した。ゲーテを害する可能性があるとすれば瞬時に、動く。服装がいつもと違うだけで、別に馴染の武器を所持していないわけではない。無論、神の目も携帯している。溜まりかねた、その赤い光彩が一層煌めく。
 タルタリヤの周囲の部下も、それに呼応してわずかに構える仕草をした。息が詰まるように、同時にロビーの空気も張りつめる。対してタルタリヤは、いつもの余裕顔を崩さずにいた。そうして、ゆっくりと組んだ足をわざと組み替えてから、言葉が発せられる。
「殺気は俺の大好物だけど、今日は遠慮しておくよ。心配しなくていい。そんなに怖い顔をしなくても、たとえこの交渉が決裂しても、別に危害を加えようとしているわけじゃない」
「どうだか」
「そうだな… 俺がもし本当に何かをするとしたら、ルートヴィヒ・ゲーテ自身じゃなくて息子の方にする方が効果的だ。そうすれば、ゲーテ一族の本家は終わりだし、希望を失った後のご老人の行動は容易い」
「モンドで、そんな好き勝手が出来るとでも?」
「だからこそ敢えて、あり得ない仮定を示したんだよ」
 相変わらず、基本的に物騒で最悪な未来しか、タルタリヤは提示してこない。あくまで自分たちが都合の良いものという認識を押し付ける。
 ゲーテ一族に何かあり、そのどさくさに紛れてホテルの行く末を操るのも、一族郎党が消え去って国庫に納められた後に横槍を入れるのも、ファデュイにとっては容易に可能だという示唆だ。何としても、この交渉で双方の妥協点を引き出さなくてはいけない。今の交渉相手はタルタリヤだけだが、確かにファデュイ全体を考えると長期的なスパンを視野に入れる事は必要で、だからこそゲーテ家の未来の事まで考慮は確かに必要であった。
「彼の息子が本当の意味で後継者と成り得るならば、今俺と交渉しているのは君じゃなくて彼だったろうね。今日も、清泉町に行ったのかな? それともこの時間なら、今頃は星拾いの崖で恒例の逢瀬かな?」
 本人が隠しているわけでもないから周知の事実だが、マーヴィンには恋人がいる。身分違いとまでは言わないが、当人同士は恋仲なのに、父親であるルートヴィヒが結婚を反対していることは事実であった。しかも、護衛という名の監視さえ付けられている始末だ。あの護衛が、ファデュイに対して抑止力になるかはわからないが。そんなこともあって、父親からすれば息子がまるで頼りないという印象を持ってしまうのも仕方のない事だった。
「他人の恋路に干渉するのは、感心しないな」
「別に邪魔をするつもりはないよ。ただ、立場や身分を考えずに純粋に愛や恋だけに注力できる… そんな人間もいるんだなって。君もそう思わないかい?」
 まるで自分たちとは対照的過ぎるとでも言わんばかりに、タルタリヤは暗に示唆をした。
 二人は、堂々となんて言葉とは懸け離れすぎた関係だ。たとえこの場に彼の部下がいなかったとしても、少しでも他人の目がありそうだと判断をすれば、離れるに他ならない。二人きりだとしても、身体の関係を持っていても、どこまでも全てを曝け出すことはしないと知り得ている。
「僕には、守るべきものがある。それは何があっても変わらない」
「そうだね。俺も大切なものがあるよ、ちょうど最近一つ大きなものが増えたんだ」
 若干わざとらしく、タルタリヤは自身の左胸に軽く拳をやる。そうして視線で、こちらを射抜くのだ。まるで逃げることは許さないとでも言うような示唆をして。どこまでも外堀は埋めて行き、真っすぐな視線を逸らすことも許されない。













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