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付き合っているタルディルでバレンタイン小話。










独特の灯りに導かれるように、静かな湖畔の一角にある望舒旅館へ、フードを被った一人の男がやってきた。
設置されている昇降機は使用せず、宵闇に隠れるように建物の周囲を巡る階段を駆け巡り、上層まで登る。そのまま受付ロビーまで上がると、萩花州の南端にある為の岩々を眺める事の出来る見事な絶景が広がっていた。璃月広しといえども、ここまで展望の良い宿は他には無い。だが、今宵はその見晴らしを堪能しに来たわけではなかった。

「お客様、いらっしゃいませ」
「部屋は空いているか?」
「はい、どうぞ。こちらのお部屋となっております」

一晩の宿をとフードを被ったまま、その男。ディルックは、手短に部屋の手配を済ませた。
案内された部屋はぼんやりとした薄暗さではあったが、対角線上にある窓から月明かりが漏れている…それだけの筈であった。





「ああ、やっと来たね」
「………なぜ、君がここにいる?」

ぼうっと、部屋の卓上ランプに突然灯りが仄かに煌めいた。
揺らめくようにそこに居たのはタルタリヤで、応接ソファに優雅に腰掛けながら、こちらを歓迎の言葉を出しつつ、当然顔で軽く手さえ振っていた。

「闇夜の英雄さんは、ファデュイを御所望かと思って」
「今日は開店休業だ」
「それは、残念」

ディルックは最初こそは驚きはしたが、二人は今更周知な関係だ。
思わぬ緊張が解けたのもあってか何気ないという装いに戻るように、喋りつつも客室のクローゼットを開き、ハンガーに今まで羽織っていた夜露に濡れた外套を翻し、掛けて閉まった。ついでに、素性を隠す為に眼前に見つけていたマスクも片づける。

「で、なぜ僕がここに来るとわかった?」
「簡単な推理だよ。あのモンドの貴公子が、例年モンド城からもアカツキワイナリーからも姿を消す日が今日だからね。モンドから日帰りで戻って来られる場所なんて、限られ過ぎている」
「…わざわざ面倒事を請け負いたくないだけだ。それにしても君が、そんな無粋な事をわざわざ調べるって事は期待でもしたのか?」
「それなら嬉しいけど、一応聞いておこうか。俺宛てにチョコレートを用意したりしてる?」
「あるわけないだろう」

事実だからこそディルックは、バッサリ切り捨てた。その事に、未練さえない。大体、女性陣からのこのイベントを回避するために望舒旅館までの往復で一日が潰れるというスケジュール調整があるのだ。反動で仕事が諸所詰まっており、それどころではない。自分の事で十分に精一杯だった。
問いかけたタルタリヤも、やっぱり期待はしていなかったと応接ソファのひじ掛けに頬杖を突いたまま、改めて項垂れるリアクションさえ取らない始末だ。

「じゃあ、それは僕への当てつけか?」
「え…?ああ、これの事か」

チラリとディルックが横目でチラリと視線を示唆した先にあった物。応接ソファとセットになったガラステーブルの上に鎮座していたのは、可愛らしくラッピングされた包み紙が全てを物語っている紙の小箱だった。
タルタリヤにとってそれは催促にも聞こえたらしく、チョコレートが入っていると思しき小箱をわざとらしく口元に寄せてこちらに見せつける仕草を入れた。

「折角貰ったから、大切に食べようと思ってね」
「君がそう言うってことは、つまり…」
「もちろん、姉妹から貰ったのさ。わざわざスネージナヤから、本国の氷と一緒に船で運ばれてきたからね。美味しさは保ったままさ」

ここにきて一番わかりやすい明るさを、タルタリヤは示した。
…………いつものことだが相変わらず家族が大好きで、シスコンもブラコンも遺憾なく発揮してくれる。家族の事を語る時のタルタリヤは、戦闘狂な時ともまた違った方向性で飛んでいる。

「それで、せっかくだから今年は君と一緒に食べようと思ってね」
「…姉妹から貰った大切なものだろう?」
「だからだよ。今までだって、家族みんな揃って食べてたんだ。俺にとっての君も、その中に入るんだよ」

足を組み替えてリラックスを表した後に、タルタリヤはこちら導くようにソファから立ち上がった。手を伸ばして、早くこちらへ来るようにと促す。
こうやって、この男は当たり前のように簡単に自分を取り込もうとするんだ。だけど、他の事はともかくとしてもタルタリヤは家族の事に関してだけは、余りにも本心である事だけは、確かにディルックにも伝わった。

「…そこまで言うなら、頂こうか」
「折角なら、これで少しは君が嫉妬でもしてくれれば嬉しかったけど」
「それは、しない」
「可能性を一ミリも?」
「君も十分にモテるだろ。お互い様だ」
「うちの組織はこういうイベント事は賄賂につながるから禁止しているとはいえ、君の方はかなり露骨なんだね。逃げるくらいなんだから」
「自由の国だからな」
「俺は姉妹から貰えるから大満足だけど、君はもしかしたらこのイベントはあまり良い思い出がないのかもしれないね」
「もう、とうに諦めている」

この日はそういうものだと割り切った認識することで、ため息一つを交えてディルックは感嘆した。
世間一般で言うバレンタインという日。正直、年々熱気が増しているように感じるのは気のせいだろうか。うら若き女性たちからすると絶好のイベント事であるようだが、自由が利くようになった騎士団を辞めて以来、ディルックは毎年この方法で全面的に回避していた。波風を立たせない事こそ一番である。もちろん屋敷に届けられるものはそれなりに対応し、受け取った品物に関して最後は西風教会を通して寄付している。
今年もそれで穏便に凄そうと思っていたのに、目の前の男の存在は思わぬ不意打ちであった。



「だからさ…塗り替えてあげるよ、俺がこの日を」

月夜が反射するガラステーブル越しに、迫る影があった。
対面の応接ソファに腰かけたディルックがまるで微動だにせずとも、勝手に物事は進みゆくと暗示するように。

「折角貰ったチョコレートを、直ぐに食べなくていいのか?」
「きっと、このチョコレートは甘いだろうからね。味覚を占領される前に、先により深く味わっておきたいものがあるんだ」

今は、目の前の美味しそうなものに目がないと言わんばかりのギラついた視線が容赦なく向けられる。明け透けなく好意では済まされない感情を、隠しもせずに。
これは、軽い味見どころでは済まなさそうだ。





「僕は、何も用意しなかったからな。今日は君の好きにしていい」



覚悟している溶けない筈の心を、溶け合うにようになるまで―――
今宵の月は、目の前に極上に躍起になるに違いない。















恋 人 と 一 緒 に 月 を 眺 め る 最 高 の 場 所 ら し い