attention!
付き合っているタルディルが仕事上でバッタリ遭遇するが、部下の手前仕方なく不仲営業する話。










「今日…か」

ディルックから届く手紙の内容は、いつも事務的で短かった。
それでも本来の自分たちの関係から考えれば鳥で手紙のやり取りをするというだけでも、驚愕なのが本当。さらりと目を通した文脈にタルタリヤは一瞥をする。
その手紙には、ディルックが仕事で璃月に用事があるとの記載があった。守護神でもある彼がモンドを離れるのは、大変珍しい。それでも、隣国程度なら自分の足を運ぶことがある。商談などで必要な場合というわけか。生真面目なディルックがわざわざ自分の予定を教えてくれると言うことは、つまりはそういう事だ。
幸い璃月には、タルタリヤのような一定以上の地位にある人間が利用出来る口が堅く人目につかない宿がいくつかある。こちらの夜の居場所を伝える手紙を鳥につけて返したが、別にその返事を期待しているわけではない。だが、今宵は久しぶりに垣間見られるような予感が、この時のタルタリヤにはあった。



コンコンコン

「公子様、少々お時間宜しいでしょうか?」

ノックと共に部下の声が、璃月で仮の執務室とているタルタリヤへと響く。思考が遮られる。
時刻はまだまだ真っ昼間。ファトゥスとしての責務は限りなく存在している。

「入れ」
「失礼します。例の顧客の件ですが………」

こういう事案の場合、大抵タルタリヤの元にやってくるのは部下には対処しきれない厄介事だ。案の定、今回もそうだった。
さて、お仕事の時間だと執務机に向かっていた身体を立ち上げる。どちらかと言えば身体を動かす方が性に合っているので、臨むところでもある。
案件対象者の情報をと再確認を求めると、いくつかの書類の束が提示された。今回の対象者は、北国銀行の取引先の一人だった。先代の時代から主要融資先となってきたが、突然に元本返済猶予の申し入れがあった。資金繰りが厳しい場合、一考に値する価値があるが、ここはそうではなかった。なぜなら先代が亡くなってから二代目となった瞬間に、資金繰りが不自然に悪化したからだ。いろいろと調べたところ、かなりの自転車操業。且つ、表には出来ない個人的な借金も多いようで、これ以上は手に負えないと判断された。

「で、何が問題なのかな?」

債権回収を専門の業者に依頼する金融機関は多いが、北国銀行は後ろにファデュイが付いているからこそ、対応も迅速だ。取り立て業務に関してはよくある案件過ぎて、タルタリヤの基まで上がってくることは少々珍しい。

「実は、株主の中の一人が乗り込んできまして、邪魔立てを」
「株主?リストを見たら同族会社っぽいけど……… ああ、そうか。上位三名までしか記載義務がないから」

何を少数株主程度に手間取っているのかと叱咤したくもあったが、今日は嫌な気分になりたいわけではない。安売りするわけではないが、自分が行った方がさっさと片付くなら構わないとタルタリヤは部下を連れて、執務室を出ることとなった。





「申し訳ありません。公子様の御足労をお願いする形となりまして」

案内されてやってきたのは、璃月港の郊外にある資材倉庫だった。
今回の対象者の業種は、材木屋である。伐採された、竹材、却砂材、松材、萃華材が天井の高い簡易納屋に所狭しと置かれているので、少し独特な香りが漂っていた。
ここは、材木屋と言っても加工がメインではなくどちらかというと林業寄りで。地道ではあるが、植林、間伐、枝打ち、下草刈りなど林木の育成管理をしている筈だった先代までは。二代目…これは道楽息子と言っても過言ではないだろう、になってからはそれらを怠り。亡くなった先代の残した遺産を食いつぶしているだけとなっていた。ゆうに100年以上はかかる植え付けから伐採まで毎年一定量の事業が途絶えた今、借金を返す見通しなど皆無に等しかった。

「その二代目とやらは、ここにいるの?」
「はい、その問題の株主もおります。どうか公子様のお力添えを」
「今日は気分がいい、早く片付けよう」

そうして、いつも通りのフードを被ったデットエージェント・ジャバートに促されながら、タルタリヤは倉庫内の一角に設けられた区画に足を踏み入れた。

「こ、これはこれは北国銀行の使者のお方。このような場所にまで、わざわざ足を運んでいただき恐縮です」

外面だけは良く口も回るように思われる二代目と思われる男が、早速こちらに媚びを売るように話しかけてきた。二代目と言っても苦労をした先代の息子なわけで、もちろんタルタリヤの年齢の倍以上はある恰幅の良い男だ。手をこまねいて、上辺だけはこちらを歓迎する口先がついてくる程度の。

「挨拶はいいよ」
「早速本題と来ましたか。それでは、こちらもお呼び立てをしますので少々お待ち下さい」

もはや今更いらない無駄な自己紹介が始まりそうだったので、一蹴したタルタリヤに頭を下げながら二代目は早々に引っ込み助っ人を呼びに行った。
しばらくすると、入口からは遠い奥で書類の確認をしていたと思われる二人の男が、二代目に促されてやってきた。
そのうち一人の、鮮やかすぎる赤い髪の色にタルタリヤは見覚えがあるという段階を凌駕した相手がいた――――

「こちらは、うちの株主の一人であるモンド酒造組合会の方々です」

わざわざ名乗らなくても知っている。知りすぎている。
そこには、本当なら今夜会う筈のディルックが酒造組合会の部下を連れ立って立っていつもの佇まいで居た。酒造組合会の一人と思われる男性が、あちらもタルタリヤのように上役を連れてきたという業態だった。
仕方なくとも何でこんなことになったのかと一瞬頭が痛くなったが、互いに微塵も表情に出す事はしない。仕事モードだったから微動だにしなかったが。一度軽く目を伏せてから、切り替える。
二代目はうやうやしくも、その株主リストを見せてくる。記載はバッチリだ。まさか、モンド酒造組合会が絡んでいたとは。突然回って来た案件だったので、調べる時間がなさすぎたのが原因か。元々、北国銀行に提出されているのは、同族株主で上位三グループのみしか記載がなかった。株主リストを見ると、実に5パーセント程の所持。だが、発言権はあるギリギリ最低ラインだ。議決権はなくとも、主張をする権利は確かにある。
ここに至るまでの過程の資材倉庫。確かに未加工の木材も積まれていたが、それ以外にも存在しているある品物があった。それが、木製の樽だった。前にディルックから聞いたことがある。樽には、ウイスキーの色や香りを左右する効果があり、ウイスキーの透明感や味にも役割を果たしていると。
債権回収部門というのはどうしても現状の資産・負債・資本に目が行きがちだし、最初に視界に入る部分だから今回ばかりは失念していたと言っても過言ではない。改めて二代目が提出した手元の書類を確認すれば主要取引先に、モンド酒造組合会の名が記載されてあった。
組合会の仕組みというものは、通常の商売とは少々異なっている。組合員は、全て組合の株を持ち配当を受けるのだ。反対に、見返りとして組合が関連会社の少数株主になる持ち合いになることも多い。今回は完全にそのパターンだったようだ。

「北国銀行は、ここの土地も建物も抵当権設定登記をしている程だ。これ以上の介入は辞めて頂こうか」

仕事モードのディルックは真っすぐモンド酒造組合会の代理人として、意見を述べてきた。
さすが生真面目に書類全てに目を通しただけの事はあって、本来ならば一株主程度には知らされていない登記情報まで把握している。あの二代目にそんな知恵があるとは思えないから、関連書類を確認したのだろう。
当たり前ではあるが、銀行はたとえ利息を徴収するとはいえ何の担保も無しに金銭融資をする事はない。商売を生業としている場合、大抵経営者…この場合はこの二代目が保証人となるのだが。審査の段階で早くも、二代目個人には保証人欠落が下った。そのため、担保として所持している土地と建物を押さえているのだった。つまり、最悪のところこの二代目が北国銀行に金銭を返せなかった場合、土地と建物で相殺しろということだ。まずは真っ当なところから攻めてきたか。

「確かに担保は確保してあるよ。だけど…建物はともかく、土地が問題なんだ。どうやらそちらが雇った不動産鑑定士の評価が疑問でね。現在の価値は、評価額の十分の一………いや、それ以下だっていうのが、うちの試算なんだ」

ついでにタルタリヤが件の不動産鑑定士業者の名を出すと、二代目は分かりやすくひいっと震えるのが見て取れた。こっちの裏取りは済んでいる。反面調査で、不当に高額な金銭の見返りに評価額の水増しがされた事にだ。今度頼む不動産鑑定士は、主要銀行に北国銀行を選んでいない事をあらかじめ調査しとくべきだと、そんなアドバイスはしないけれども。

「だからといって、突然一括返済を要求するのはどうかと思うが」
「事前告知はしていたよ。資金繰りが厳しいなら、他行に借り換えればいい」

あの北国銀行が断るような案件を受け入れる他の銀行があるわけないという共通認識が、少々白々しくタルタリヤの口からついて出た。別に根回ししたわけではない。

「まだ期日の猶予はある筈だ。ともかく一旦、在庫の強制接収は直ちに辞めてもらおうか」

それが一番の望みだとディルックは強く主張した。
預金はもちろん一番に抑えてある。そして土地と建物も担保だ。次に収益性の高い資産で仮押さえが出来るものと言ったら、この資材倉庫にある在庫たちだった。直ぐ現金化しやすい流動資産の確保は一番わかりやすい。そのためせっせと北国銀行の息のかかった者たちが接収していたのだが、相手が木材や柱や船や樽など大型のものばかりなので元々多少手間取っていた。その状態で割り入って来たのが、ディルックたちだったという事だ。

「接収を辞めるつもりはないけど、一応そちらの主張を聞こうか。いくら株主とはいえ、モンド酒造組合会からしたら出資金なんて些細な金額だろ?なぜ止めに入るのかな」

いくら木樽が酒造に重要だとは言え、モンドと璃月のパイプ役としても決定打に欠けている。わざわざディルックが出てくるような案件でもない筈だ。それはこの場にいるタルタリヤからしてもそうなのだが、それにしても納得のいく理由が必要だった。

「従業員への給料が、未払いなんだ。少なくとも、それだけは確保したい」

多少の心苦しさから、ここで初めてディルックの表情が変わったように見えた。熱いようで根本は優しい人間なのだ、ディルックは。並みの人間なら、北国銀行相手にここまで啖呵を切る前にとっとと逃げ帰っている。全ては困窮する従業員の為…か。見ず知らずの人間とはいえ、モンド酒造組合会に関わる人間さえも全て救済するつもりなのだろうか。
彼の事情はわかった。だが、同情を出来るような立場は今のタルタリヤに用意されていなかった。

「確かに、君の言う通り。従業員への給料未払いは銀行債権より優先されるっていうのは、法律でも決まっているね」
「知っているなら、早々にお帰り願おうか。ここにある在庫含めて全てをこちらで処分した後に、然るべき比率でそちらにも返済をしよう」
「そうしたいところだけど、毎月提出されている月次試算表を見るに不自然な金銭の流れがあるんだよね。とてもじゃないけど信用出来ないな。だいたい報告されている在庫の棚卸も、仕掛品の掛け率が異常値だ。実棚卸をしていない証拠としか思えない。年間売上高に比べて金額が高すぎる」

そう言いながら、タルタリヤは月次試算表の中で具体的に金額を取り上げて、違和感のある点を連ねた。劣化している筈の何年も残っている廃材など、それは多岐にわたる。しかも、これはあくまで取り繕われた数字上の問題だ。実際に、こうやって現地で色々と調べればボロはもっと出てくるだろう。それはディルックも分かっている筈だ。

「ここのところ、材木の単価は需要増加に伴い上昇傾向だ。うちの組合でもそれは把握している。君たちの取り分は多すぎる」

資料はこっちにある…と、ディルックの部下がこちらに最終原価仕入法に基づく実棚卸高の試算を手渡してきた。チラッと目を通しただけだが、良くできている。彼の事だから無論の事、不正などに手を染めてはいないだろう。だが、それはタルタリヤがディルックという男を知っているからこそ、判断出来る事だ。今この場にいる自分はファトゥスで、相手はモンド酒造組合会の代理人という立場だ。部下の手前、はいそうですかと引き下がるわけにもいかなかった。
それはもちろんディルック視点でもそうなわけで。この後も、互いの主張を展開し、証拠資料も出し尽くしたが結論は尽かなかった。譲ることもない。双方あと一歩、これと言った決定打に乏しい結果となる。
話はどこまでも平行線で、お互いに折れる要素が現状ない。タルタリヤとしても、いつもなら多少の強引な手もあるが、どうするかと考えあぐねていたところ。
とうとう痺れを切らしたのは、タルタリヤでもディルックでもなかった。

「お二人とも…そろそろ良いお時間ですし、本日はお帰りになられたら」

いけしゃあしゃあとしたたかに割り入り口を挟んで来たのは、一番の問題人である二代目であった。ゴマすりのような猫なで声を出してきたが、ここまでタルタリヤとディルックの討論に対して理解が及ばない表情を醸し出していた事を忘れてはいけない。当事者がここまで蚊帳の外になってしまったのは、二人とも最初から二代目を相手にしてないせいとはいえ、どの口がそれを言うのかと。嫌悪感に苛まれた。
タルタリヤだって別にディルックと対峙したいわけではなく、本当はこの道楽息子を直接ジャンプでもさせてモラをはぎ取りたいのだが。
特にディルックからすれば、従業員の為とはいえ二代目側にやや付いているにも等しくて、余計に不快感を表しているようだった。

「他に何か言う事はないのか?」
「全て…ディルック様にお任せ致します」
「そうは言うが、最初僕の質問に協力的ではない部分があったと思うが?北国銀行がここにやって来ると聞いて、一転したな」
「それは、ですね。えーと」
「では、まずここ最近の預金引き出しについて尋ねようか。個人名義の口座に移してないのは、そちらの銀行が一番理解していると思うが。使用用途は?」
「領収書が今手元になくて。取引先に、先にツケておりまして」
「では、その取引先を教えて貰おうか。使途不明金について、僕が直接聞きに行く」

ディルックの容赦ない攻め立ては、今度は二代目へと向けられた。そもそもディルック事態も、この二代目を別に守ってやろうというつもりはないらしい。こればかりは自業自得なので同情の余韻もない。他にもあれやこれやと疑惑の点を次々と追及するが、どれも二代目から返ってくる言葉は抽象的且つ曖昧だった。加えて視線も左右に泳ぎ、及び腰の様子を見せていた。

「………これ以上は、擁護が出来ないな」
「そんな!ディルック様、どうかお助けを」

見切ろうとしたディルックに懇願する情けない言葉を二代目は発した。余りにも往生際が悪いと、タルタリヤが見ていても非常に無様な様子であった。ここまで好き勝手やっていたのに、今更明確にせずどうにかなると思ったら大間違いだと。それはこの場に居た誰もが思ったであろう。
しかしながら、そんな恥も外聞も二代目には存在していなかったらしい。
あろうことにか、ここにきて、次の瞬間には床に膝をついてディルックの右足に縋りついたのだ。切実に詰め寄り、無様に這い上がる。ここで、北国銀行に対する求心力となりえる抵抗勢力を失うわけにはいかないという必死な形相であった。
すべての元凶のあろうこともないその行動に、タルタリヤは思わずとっさに殺気を隠せず、武器に一瞬手をかけた。

「やりますか?公子様」

ついにタルタリヤが痺れを切らしたのかと思われたらしく、背後の部下も察して武器を構える仕草に入る。
一触即発の空気は直ぐに感染し、それに呼応するようにディルックの後ろに居た組合会側の男も帯刀に一瞬気が入った。

「ひいっ!」

そんな中、武器なんて頭もなく怯え叫ぶのはやはりこの二代目だけであった。
とりあえず離れてくれとディルックが目で訴えるので、仕方なくおずおずと下がった様子だけは見せたのだが。

「すみません、すみません。ですが、この場で戦うのだけはご勘弁を。どうか外で………」

二代目は明らかに自分が居る後方が気になるらしく、チラチラと動揺を隠しきれずにここ一番の懇願の様子を見せた。

「何か…先ほどから気になっている場所があるようだね」

あまりにも不自然なその背後の様子に、タルタリヤはあからさまな指摘を向けた。元々他人の動きには機敏だが、特に怪しい動きをするのは、これは素人でも見逃さない程のお粗末さだった。その、不自然な箇所に分かりやすく視線を向けてやる。

「いえ、そんなことは………ただ、ここの在庫が被害に合わないかと心配で」
「そう。じゃあ別に俺たちが調べても問題はないよね?後ろのその壁を確認させてもらうよ」
「え!あの………そこは!」

タルタリヤが素早く目配せをすると、無言で部下が問題の箇所に詰め寄った。あわあわと動揺する二代目の汗がだらだら噴き出ているのは、傍目からでも容易に見えた。しばらくすると、壁を詳細に調べた部下からの報告が飛んでくる。

「公子様、どうやら隠し扉があるようです」
「隠し扉………それは初耳だなあ。さあ、鍵を」

さっさと差し出すようにと、タルタリヤは優しく右手を二代目に向けて添えた。

「随分と白々しいな」
「誉め言葉と受け取っておくよ」

いつもだったらもっと強引なやり口もできたわけで、これでもスマートなつもりなんだが。さすがの演技っぷりにディルックがこちらを苦言してくる。
最後に救世主が表れてくれた。あまりにも絶体絶命のピンチに再び現れたのがディルックで、本当に助けを求めている状況ということで、史上最大級の懇願をしようとした二代目だったが。

「鍵がないなら、僕の炎で壊そうか」

無情にも見切りを付けたディルックの判決が、最後に下されたのだった。



「ひぃ、やめて下さい!中の物まで燃えてしまいます………」

ようやく堪忍した二代目は、切実な訴えと同時に大慌てで渋々と懐から隠し扉の鍵を取り出した。手渡した後はガクリとうなだれて、二度とマトモに顔を上げることはなかった。
そうしてここまで来た建前上、タルタリヤとディルックの部下が一人ずつ同時に揃ってその扉を開く事となった。巧妙に隠す必要があったせいで、その空間はそれほど広い個所ではなかったらしい。眼をこすってようやく確認できる程度のスペースに向かって、膝をついて中身を確認することとなった。
それでも小型の金庫程度の収納に、ギッシリと詰め込まれていたものは。

「ありました!裏帳簿といくつかの借用書と、あと他行ですが貸金庫の鍵です」





つまり、不自然な在庫は全部これらになっていたということだ。中身の吟味などの諸所細かいことは、タルタリヤが出るような幕ではない。今はタルタリヤとディルックの部下が揃って、隠されていたものたちを再確認し、二代目に問い詰めて出所を吐かせているところだった。

「北国銀行は…最初からこれが目的だったんだろ?」
「なんのことかな?」

同じく新たな活躍の場を部下に譲ったディルックも手持ち無沙汰なせいか、タルタリヤに話しかけてきた。あくまで親密という体ではなく、向いている視線は隠し扉を漁る部下たちから外さないとはいえ、明らかに意図のある問いかけであった。

「銀行は、全銀システムでつながっているのだから他行であろうと債権者の金融資産を全て把握している筈だ。だから、あの男が別の銀行に貸金庫を持っていたことも知っていたんだろ?」
「…まあね。他行であろうと預けている金融資産ならうちの権限でも引き出せるけど、さすがに他行の中に設置してある貸金庫は鍵がないとどうしようもないから」

見逃さなかったかと。部下から一番に確保された、その貸金庫の鍵をタルタリヤは今盗み持っていた。本丸はコレだ。本来ならば在庫を接収する合間のどさくさに見極めるつもりだったので、都合が良かった。

「何をするつもりだ?」
「別に財産を横取りするつもりはないさ。ただ………うちの銀行と取り交わした契約書がこっちに入っているようだから、回収させて貰うだけだよ」

実は多少だが、その借入の為の利息が法廷利率を上乗せていた。双方同意の取り決めがなされているのでこの場では別段問題にはならないが、法律家が出てきたら少々面倒なことになる。今回わざわざタルタリヤが足を運んだ最大の理由がそれであった。ファデュイは国の暗部だからいいが、北国銀行はあくまで表の世界には必要な機関で、資金調達…特に他国の外貨獲得にはなくてはならない存在だ。表向きには綺麗な存在で居て貰わなくては困る。

「目的も達成したし、在庫の接収は諦めてモンド酒造組合会に任せるよ。
ここの在庫を売りさばくのは、俺たちより業界人である君の方が上手くやるだろ?処分が終わったら、是非とも報告してくれ」
「なぜ僕が…」
「君はきっとそういう事はきちんとやるよ。従業員の為なら…ね」

この時ばかりは、どうしてもディルック本人の人柄を知っているからこその、タルタリヤ私人としての言葉になってしまった。

本当に二人の立場がもし違ったら………と一瞬考えて。
いや、今の立場だからこその関係だと、思い直すのだった。
だから、別に名残惜しくもなく。





◇ ◇ ◇





部下に引き上げるように伝令をしたそのまま足で、早速他行の営業時間外に強引に割り入り、タルタリヤは淀みなく貸金庫の中身を確認することとなった。
問題なく仕舞われていた目的の自行との金銭消費貸借契約書を見つけて、引き抜く。後で差し替えて戻すが。しかしどうして皆、貸金庫に詰められるだけのモラを詰め込むのだろうか、邪魔でしかない。今まで何度も見た光景にいささか辟易する。
とりあえず思わず時間がかかってしまったが、炙り出しには見事に成功した。ああ、あの問題の男を自ら蹴ることさえ出来なかったのは唯一の後悔か。



一仕事が終わっての夜は、あっという間に訪れた。
タルタリヤが、個人的に璃月で馴染にしている宿へと向かう足先。
別にディルックとは、元から今夜を明確に約束しているわけではない。双方ともに仕事が忙しいとの理由でタイミングが合わず、邂逅できなかったことだって今まで何度もある。
そうは言っても、今回はきっと特に無理だろうな…とは思う。ディルックは、見た目通りプライドがそのまま高いから。そして、仕事とプライベートはタルタリヤ以上にきっちり分けている。
僅かに名残惜しくも、うまく切り替えをしないとと思い頭を整理する。せめて、仕事上で会えただけでも良かったとここは思うべきだろう。だが、今更いつもの自室に戻るのも気分ではなく、結局こうして取っておいた宿に自然と足が赴くわけだった。
宛がわれている部屋に向かうために、通路をやや重い足取りで歩いていると。

「………君、なんでいるの?」
「なんでって…元は君が呼んだんだろ?」

通路の反対側から、こちらに向かって歩いているディルックとバッタリ鉢合った。
正直、仕事モードでは絶対しない驚きの顔になってしまった自覚はある。それなのに、あまりにもディルックが平然としているので少し拍子抜けするくらいだ。しかも、応えと同時に心外だなと一度だけ眉を顰めたような気もする。
だからこそ、その存在を確かめるかのようにゆっくりと歩み寄る。

「だって昼間」
「そうだな、昼間会ったな。何だ。僕に会うのが、嫌だったのか?」
「そんなわけない、嬉しいよ」
「………どうして君はいつも恥ずかしげもなく、そういう事を言うんだ」

ふいっと視線を斜めに外して、僅かな照れの様子を隠したディルックがそこにいたから、これはタルタリヤが望んだ本物だ。そんな彼の本心が知りたくて、やや勇み足で二人は部屋の中に入る事となる。
パタリと扉を閉めたのを確認した瞬間、タルタリヤは後ろから躊躇なくディルックを抱き寄せた。喜びの後の破顔の代償だ。前振りもない突然な行動にディルックは、一瞬の躊躇だけは見せるが、少し身を固くした後は任せてくれた。
ああ、ようやく彼にようやく触れられる。昼間なんて、目の前にいるのに視線の交差さえも許されない状況であまりにも歯痒かったのだ。それは、なかなかに経験の出来ない生殺しだった。別に他人の前で、堂々としたいわけではないとはいえ、今回はさすがに参った面があった。その重なったストレスを解消するように、タルタリヤはすうっと息を吸い込み堪能する。
今更何度も抱きしめたことがあるのに、超えられない一線があるのか、矜持なのか。気恥ずかしくもあるようで、ディルックはいつも直ぐには慣れてくれない。それでも、しばらくその態勢でぎゅっとしていたら、そっとこちらの背に手を回し返してくれた。
抵抗をしないことが何よりの証拠だった。ディルックがこんなことを許してくれるというだけで優越感がある事を、彼は知らないんだろうな。そのまま、流れるように向きを変えて唇を添えようとすると………

「待て、確認したいことがある」
「なに、こんな時に」

向き直って飛んできた声と添えられた手に、タルタリヤは分かりやすく不満を示した。一気に脳内が現実に引き戻された感があったからだ。二人の間にわずかに出来た隙間。流石ディルックは簡単には流されてはくれないか。そういうところも好いている一因ではあるが。
まあ話というのは十中八九、昼間の事であろう。さて、別に心当たりはないが。何か機嫌を損ねるようなことでもあっただろうか。

「ファデュイの強引なやり口は、ある程度耳にしているが」
「仕事の話をここでするの?」
「そうじゃない、君の事だ」
「俺の事?」

珍しく一瞬言い淀んだディルックに対して、確認の言葉が飛ぶ。
今までだったら、双方の仕事に対して過度な干渉はしない。これが二人の暗黙のルールだったのだ。そこに深く触れたら、この関係は一瞬で壊れると理解しているからこそ、敢えて言及しない。偶然とはいえ、邂逅してしまったから、今更蒸し返すとはあまり思わなかった。
しかしディルックの問いかけは、想像とは違う方向にあった。

「………君はなぜ、あの時。武器を手にしようとした?」
「そんな事が気になるの?」
「そうだ。少なくとも理由もなしに、君が理不尽な力を使う人間ではない事くらいは理解している」

昼間、確かに一瞬空気がピリついたのは、タルタリヤが殺気を放ったからであった。おかげで事態は好転し、結果的にはとんとん拍子に物事が進んだとはいえ、別にそれを狙ったわけではないとディルックは考えたようだ。不可解な疑問を率直に投げかけてくるのは、らしいなとは思うけど。

「別に君相手に、何かしようと思ったわけじゃないよ」
「結果的にはそうだったな、だが一瞬考えた」

その可能性を…か。当初の、いや本来ならばそうであろう。本当に敵対するべき関係なのだから。だが、少なくとも今の自分たちはそれとは違う形で邂逅している。偶然という必然が飛び込んで来た。まさに魅惑であるとしか、思えない。引け目を感じる姿も魅力的で、背徳だからこそ感じる部分もありのかもしれない。この不思議な事実には、揺らぎない意志があるのに相容れない筈の関係を凌駕する程の想いが有ったからこそ。その反動で、今ここに居る喜びも一入なのだ。
それを、ディルックは多少顔をしかめて思い出しているようで。

「興奮した?」
「相変わらず、言い方が悪い」
「君に意識して貰えたのなら、価値はあったかな」
「話を逸らさないで貰おうか。それで、本当のところは?」
「やっぱり聞きたいんだ…」

若干不機嫌そうな顔をしつつも、ディルックはこちらを疑っている。タルタリヤがきちんと白状しないと納得しないという頑固さを、ありありと示した。そうまで言うなら。

「そう…、じゃあ教えてあげるよ」

一瞬ディルックが身を引いたとはいえ、先ほどまで抱き合っていた二人の距離は半歩ほど詰めれば鉢合う程度である。だから軽く手を伸ばしただけでも、意図もたやすく触れられる。
タルタリヤは少し膝を折り曲げて、ディルックの右膝からその太ももにかけてするりと…左手でじっくり丁寧に撫で上げていった。なるべく性急ではなく、じわりじわりと追い立てるように努める。
その思わぬ行動に、ディルックは抱き寄せられていた身体を離すようにビクリと露骨に反応をしてしまう。

「なに、を………君は答えるつもりがないのか?」
「これが答えだよ。昼間、触れられていただろ」

触る?なんのことだとディルックはまだ見当がつかないらしく、一生懸命思い出しているようだ。呼び起こそうと、ぐるりと思考が一瞬飛んでいる。だからその隙をついてやるのだ。

「あの男がこうやって…べたべたと」
「そんな風には…触っていない。ただ演技的に、足にまとわりついていただけだ…」

即座に否定する言葉が出てくる。ようやくこちらの主張に合致がついたものの、そこまでの問題ではなかったとでも言いたいのだろうか。
執拗に撫でるタルタリヤの左手を宥めるかのように、僅かにディルックも手を添えて止めるかのような微妙な反応をしめした。抵抗というには、あまりにも軽すぎるけど。

「そんなの君がそう思っただけだろ。俺は、君が他の男に好き勝手撫で回される姿を見せつけられたわけで、我慢が効かなかったんだ。ねえ、何で蹴り飛ばさなかったの?」
「…あの場は、そういう雰囲気じゃなかっただろ………」
「じゃあ、懇願されれば誰にでも触らせるんだ?」

言ってもわからないなら、きちんと自覚して貰わないと。
勿論、並みの男ではディルックの相手になんてならないとは理解はしているが、本人が無自覚では意味がない。相手に不純な気持ちなど一切ないと、決めつけている。さすがのタルタリヤだって、薄汚い気持ちも持つものだ。恋人が、他者を惹き付ける極上の存在であるというのに。
それを意識づけるように、太ももの上を滑らす左手を徐々に上へ上へと迫り上げるとピクリと反応して、ピンと伸ばしていた背を僅かに窄めたのがわかった。

「もう少し、気にして欲しいな。君に近づく全ての存在に」
「…誰かさんみたいな男もいるって事だからか」
「否定はしないよ。現に俺は、君に夢中だからね」
「………わかった、善処する」

ようやく満足するディルックの返答を貰えたので、思う存分の堪能が出来る。
ディルックはきっちりと引き締まっている身だが、だからこそ明確な意図を持っての接触が有効だ。貴族然とした服装の下に隠された、その中を確かめたいと思わせる魅惑を毎回思い知る。再確認させて欲しい。
元々ゆるく撫でていた右太ももだったが、足のベルトまでタルタリヤの左手がせり上がると、小さく息の漏れる音が響く。もしかしたら伝わる熱があるのかもしれないが、それ以上も。
指を這わせて、脚の付け根のきわどいところより前のベルトの内側に滑り込む。リングの隙間に、指を遊び確かめるように通して転がす。指を折り、丁寧に暴きたいと思わせるのだ。
より先を見据えたくて、空いていた逆の手で内股を丹念に撫で上げると、さすがに不意打ちだったのか。ディルックの後ろ足だけ僅かに上がるのが、わかる。不用意に脚の指先に力が入ったようだ。

「っ………」
「もう、立ってられない?」
「君は…どうして、いつも」

そこでディルックの言葉が一旦途切れたので、不思議に思い少し顔を上げる。
珍しくディルックの方から、口づけが上から降って来た。せがまれたのだから、ありがたく応えるに越したことない。一度制止して欲しいなら、言葉で言うなり払い除けるなりすればいいのに、相変わらず素直でないのがこれはこれで嬉しい事だ。中断の意味だった為、一瞬の唇だったのは残念だが。
そうして何か言いたげにしていた言葉が、ありのまま率直に落ちてきた。

「一つだけ、わかったことがある」
「なに?」
「君以外に触られても、やっぱり何の感情も湧き立たないと思う」



ああ、眩暈がする―――
タルタリヤなんかよりディルックの方が余程確信犯であるという事に。
そうして、理性が切れて。二人共に暗転するしかないのだ。








その日の寝屋では、やっぱりタルタリヤがずっとディルックの右太ももに固執したので、しつこいと最後には軽く蹴られてしまったのは仕方ない事だった。
執拗に攻め立てられている右脚とは対照的に空いている左脚で寂しそうに思えたので、次はこちらも可愛がらないとタルタリヤは、また一つ新たな発見を喜んだ。













北 国 銀 行 V S モ ン ド 酒 造 組 合 会