attention!
付き合ってない降谷→→→御幸で、白クマ効果のお話。










「降谷、入るぞ」

ガチャリと後輩の寮室を何気なく開けた御幸であったが、扉の先で見たもの相手に一瞬で硬直した。
熊だ。熊がいたのだ。
白い…自分より巨大な熊を目の前にして、俗世間が言うように死んだフリなんてする余裕はないんだなと御幸は瞬時に悟った。瞬きさえできない。なにか身動き一つしようとすれば、それは同時に死を意味することをだ。
ピシリと固まったこちらとは対照的に、熊がのっそりと動き向かってくる。



喰われる…と本能が明確に告げた。



「…御幸センパイ」

こてりと、その真っ白い熊は首を傾げてしゃべった。そうして、ようやく当たり前の現実に御幸は気がついたのだった。

「お前、降谷か?」
「…はい」
「なにそれ」

他人に指をさしてはいけないと教育を受けていたものの、思わず喋る降谷に向けてしまうほどで。こればっかりの状況は仕方ないと思いたくなる。それほど男子高校生から連想するに現実離れした姿だったのだ。

「…白クマです」
「えーと、着ぐるみかなんかか?」
「…ルームウェアだって書いてありました」

そう言って、真っ白い熊のルームウェア?に身を包んだ降谷はそのまま説明書らしき一枚の紙をこちら差し出した。
ぺらり。ふむふむ、なるほど。しかし、それだけではこの状況が不可解なことに代わりはなくて。

「やけにリアルじゃね?これ、お前が買ったのか」
「…北海道の親から送られて来ました」

すげー、すげーなさすが北の大地、北海道。ただの通販かもしれないけど。
あまりに存在感のある巨体に錯覚してしまったが、今の降谷の状態は顔だけ出したもこもこふわふわの白い固まりにも近い。言われてみれば確かにきちんとルームウェアなのかもしれない。近づくと随分とふんわりとした素材で作られているがわかる。
だか、それをも圧倒するのが最初に見た瞬間からの印象だ。でかい、でかすぎるだろ。いくらなんでも。そもそも長身の部類に当たる降谷が身にまとう時点でお察し下さいだ。単純にこえーよ。
御幸には全く縁ないが、これが同世代の女子が着るもこもこのルームウェアサイズだったら微笑むのだが、この大きさでは圧倒される方が先立った。よくこのサイズ存在してたな。需要なさそう。特注か?

「お前、よくこんなの着れるな」
「?どうしてですか」
「ああ、そういえば。動物好きなんだっけ…」
「…はい。特に白クマが好きです」

たまにぼんやりしている時、降谷は動物図鑑なんてものを広げていたなと、自分には興味が薄かったものを御幸はふと思い出す。
そもそも年甲斐からして恥ずかしくないのか?という意味で問いかけたのだが、本人にはこちらの意図をくみ取っては貰えなかったようで。まあ、好きは個人の自由だからと、深くは突っ込まない。
しかし御幸の不可解を察したのか否か。降谷は、その着ていた白クマのルームウェアをのそのそと脱ぎ始めた。よく見るとチャックで離脱式のお手軽仕様だったらしく、あっというまに普通にいつものTシャツ姿の降谷が出てくる。

「あ、別に脱げって言ったわけじゃないんだけど」

気を悪くしたかと、一声いれる。
確かに高校男児としてはどうなんだ?とも思ったが、室内着にそこまで干渉するほど先輩後輩厳しく言うつもりではなかった。

「…いえ、違うんです。なんか着てみたら、これじゃないなって」

なにやら考え込むような顔をした降谷は脱いだ白クマのルームウェアを手に持ち、じっと見つめた。むぎゅむぎゅしている。
そして、次に御幸の方を見つめた。なぜそう視線が続く?

「これじゃないって…お前が白クマ好きだから親御さんが送って来てくれたんだろ?」
「…でも、僕は。僕自身が白クマになりたいわけじゃないって気がついたんです」

白クマは好きですけどと、降谷は言葉を続ける。
どこか納得のいかないような浮かない表情なのは、野球以外はいつもの何考えているんだかイマイチわからないという印象通りだ。
え、なに………まさか、降谷なりの哲学か何かかと。そんなに考えることか?これが。好きなものは好きでいいのではないだろうか。違う?
単純に親は息子が好きなものを送った、それだけだろう。わざわざこんな珍しい品物を送ってくるくらいだ。それなりに愛されているのもわかるが、当の本人の反応は鈍かった。悲しむぞ。

「…そうだ。御幸センパイ…僕の白クマになってくれませんか?」
「は?どうやって」

きっと降谷にとっては、降谷なりに悩んだ末の言葉だったのだろう。だがあまりに突飛もない連語に、今度は御幸が抜けた声を出すことになる。その発想、いったいなんなの?
無言のまま降谷は、先ほど自分が着ていた白クマのルームウェアを御幸に差し出した。
ああ、そういうことか。御幸にコレを着ろということか。じゃあだからこそ、はいはい…と納得できるようなものではなくて。

「なんでだよ!」

えーとなんだ。たとえば白クマの着ぐるみってどっかのテーマパークにいなかったか?とここで頭を巡らせる。
クマは非常にメジャーな動物だ。愛くるしいのは人間の創作だとしても。でも茶色やら黒色やら黄色やらのクマのキャラクターはわりかしいても、真っ白いクマはコ〇ラックマくらいしか思いつかなかった。確かに降谷の望む白クマとアレは違うだろうが。

「…御幸センパイが白クマになるが、僕の中で一番しっくりくるので」
「確かに俺はおまえより身長はちょっと低いくらいだけどさ。他にもいるだろ…誰か」

そうぶつくさ言いながら、御幸は野球部でいわゆる長身とカテゴリーされる面々を頭に思い浮かべた。そもそも野球部全体が高校でわざわざ野球留学するほどスポーツをしているという面々なので長身が多いのだが、降谷ほどとなるとさすがに限られる。
たとえば同じ投手の丹波先輩とか…いや、上級生に着てもらうのは無理だ。勇気がありすぎる。御幸と同学年なら前園とか…いや、体格が違いすぎる。このルームウェアは比較的細身の降谷だから着れたのであるって感じだ。降谷との同学年ではそんなに背が高いといえば…あー金丸?でもそもそもがである。降谷は基本他人に対して声をかけたりすることを苦手としてるから、頼むなんて事出来ないだろう。一番緩いハードルがきっといつも組んでいる捕手の自分なんだろうなとも感じる。

「…一応、僕と同じくらいの身長なら片岡監督がいますけど」
「却下!」

一番とんでもない相手の名前が出てきて、御幸は即座に切り捨てる言葉を吐き捨てた。もしかしたら下手に生徒相手よりも監督の方が図太い降谷は声を上げやすいのかもしれないと、そんな恐怖に陥る。
しかも一瞬想像してしまったではないか。グラサンをした白クマの凶悪な姿を。御幸は頭をぶんぶんと振り、無理矢理その地獄絵図をかき消す。
そして観念して腹を割ってから、降谷に向き直ることとなる。
身長という消去法で且つ部の主将でもある自分がここでヒール役を受けておくべきなのかと、結局はそれに行き着いた。かなしいけど。
まあ、降谷に必要なのは白クマなのだからと頭をいったん落ち着かせることにする。

「わーったよ。特別に俺が着てやる」



◇ ◇ ◇



―――気分は、まるで羊だった。

そもそも御幸は生涯白い熊にご縁なんてなかったので、予想以上のふわふわもこもこましゅまろぽよぽよ以下etc。女子なら手放しに喜ぶ可愛さだったかもしれないが、確かに降谷が言うように実際に着てみた人間からするとコレジャナイ感が激しかった。
なんだろう…この部屋に姿鏡がないことが自分としては唯一の救いだったかもしれない。とても自分では直視できないだろうから。
降谷からするとその姿を視認できないからこそ、白クマが見れない!→じゃあ他人に着てもらおうって発想に至ったのかもしれないが、シュールだよ。降谷は好きで着たのかもしれないが、興味のない御幸が着たら罰ゲーム以外の何者でもなかった。

「…白クマだ…!」

こちらの俯きたくなる気持ちとは反比例するように、降谷はぱぁっと顔を明るくしながら嬉しそうにつぶやいた。とてもわかりやすいほくほくと童心のような表情だ。底抜けに喜んでいるのが音の調子でわかる。
野球をしているマウンド上では他校からポーカーフェイスと言われているが、こうやって様子を伺うと案外年齢にふさわしいいろんな顔を見せる。

「はいはい。白クマですよ」

しかし御幸としたら、ちょっとやけくそ気味に言い捨てるように呼応する元気がギリギリであった。
そんなこちらを後目するように降谷はこちらに近づいて、唯一プライドから避けていた頭の白クマフードを勝手にぽすんっとかぶせやがった。最後の砦が降谷自らの手で完成される。しんどい。だが降谷はよけいに喜んだ。うれしくない。もう完全に言い逃れができない白クマになり果てた。残念。
どうしよう。もし今、誰かがこの部屋に入って着たら記憶を消してもらうために、この巨体でドロップキックしてしまうかもしれないと。気をつけようと思うほどに。

「ていうか、似合ってないだろ」
「…そんなことないです。白クマです」

あまり嬉しくもないので、あっそと御幸は皮肉混じりにぶつくさと声を返したが、まるで意味はなかったようで。対する降谷は壊顔したような気がする。もともと無表情気味だからものすごい変化というわけではなかったが、口元には外では絶対見せないような笑みがこぼれている。すごいな。本当に白クマが好きなのだと改めて認識した。
そうしてかりそめの白クマと成り得た御幸を一通り見つめた後、まさかまさかの降谷はポケットから携帯電話を取り出した。そしてこちらに向かってそのレンズを構える。

「おい、もしかして…って、無視すんな。お前、写真撮ろうとしてるだろ」
「…ダメなんですか?」
「むしろ何で良いと思ったんだよ」
「…御幸センパイ、よく写真撮られているじゃないですか」
「それは、野球の取材だろ?全然違うじゃねーか」

高校野球は夢を売っている面もある。降谷だって高校2年春のセンバツからは特に甲子園を賑わして、勝手に写真を撮られるのが当たり前である。それを誇らしいと周りの人間は思っているだろうが、当人だって苦手意識を持とうがそれは容赦なく襲いかかるもので。本当に野球だけをしたい自分には、写真や取材が喜ばしいものだと感じ取るのがまだなかなか難しい。
それに肖像権だ肖像権とつぶやきながらも。御幸は、しつこい降谷から自分の顔を隠すにも限界を感じ、強制的にその携帯電話を取り上げた。

「…別に誰かに見せたりしませんけど」
「そういう問題じゃない。記録として残ってると思うだけで違うんだよ」

成り行きで仕方なく白クマのルームウェアなんてものを着たが、それ以上の物証など残してやる義理は毛頭なかった。断固拒否だ。
もちろんきちんと降谷自身にも口止めをするつもりだった。野球部の面々に知れ渡ったとしたら、主将としてのメンツがただでさえ良くなくなる。

「…じゃあ、いいです」

さすがにむっとしたのか、勝手に降谷は携帯電話を諦める声を出す。
それは、えっ、何これ俺が悪いのか?御幸が錯覚しそうになるほどの空気だった。
そうして、先ほどまでの一つの携帯電話を取り合ってドタバタしていた二人の間が縮まった瞬間―――。

ぽふんっ

なぜか御幸の視界が暗転した。そして少しの息苦しさを感じて、直ぐにはその事象が判断出来なかった。

「む、…ぐ…… お、おい!降谷。何をして…」
「…白クマを確かめてます」

瞬く間に、御幸は降谷にぎゅっと腕を巻かれていた。なにこれ。
そもそも確かめるってなんだろう?理解の範疇に及ばないまま、この状況は紛れもなく抱きしめられていたといって間違いなかった。いや、降谷が抱いているのは御幸ではなく白クマのつもりなのだろうが。あいにく中身の人間への考慮は一切感じられなかった。
確かに降谷はルームウェアを一度は着たが、この白クマの素材の良さを外からは体感していない。着心地という観点からみたらそれが一番重要なことには変わりなくて。でも抱きしめる必要性があるのだろうか。普通にさわればいいのでは?と思うが、降谷がそうしたかったのだから、もう仕方ないのかもしれない。
少しの身長差から、ルームウェアの分だけちょうど良い感じですっぽりと降谷の腕の中に収まる。白クマがそれなりにもふもふな素材な為、隔てているものが壮大であるから傍目から見てもギリギリセーフと言ったところだろうか。いや、そうだと自分が思いたくあるだけかもしれない。
そんなことより一番の問題は降谷の腕の力だった。さすが豪腕が自慢の速球投手。本人はさほど力を入れているつもりはないのかしれないが、押しつぶされてもふもふのクッションとの間にサンドイッチになった気分だ。これは、本当に白クマからもぎ取った毛というわけではないだろうが、自分が普段着ているような寝間着とは違いすぎる上質さだったから。こんなに良い材質なのに、白クマの着ぐるみという造型にしようということ自体が凡人の発想にはない。とにかく謎の弾力の圧が凄い。

うっ、息苦しい…そもそもが暑いぞ。まさかの雪国仕様だったのかと、油断だ。

色々と限界を感じてあっけなく足の力が落ちていくのがわかったが、重力には逆らえない。そのまま床へ落ちるのが条理ではあったが、元も支えるモノがあった為にそれは叶わなかった。
その重りであった降谷に半分引きずられる形となりつつ、よたよたと滑り込む形となる。御幸はベッド脇に腰掛けることとなった。それなりに重みあるルームウェアだし、立ち尽くすのはさすがに疲れた。
息を整えるために、悪いが一度白クマのフードを外す。あー暑かった。メガネ曇るっつーの。季節はずれだが、うちわが欲しいと渇望するくらいだった。というか、まだ降谷の顔が近いぞ。まだ用か?と。

「ったく…満足したか」
「…とっても、白クマでした」
「もういいだろ。脱ぐぞ」
「…あの、もっと白クマっぽく動けませんか?」
「はぁ?ていうか、白クマって何すんの?全然知らない」

ここにきて無理難題の投下である。これ以上、降谷に付き合う義務あるか?いや、義務はないが、義理はあるかもしれないが。今、自分は寛大な心がある方だと思う。
なりきりとか絶対しないという以前に、同じくほ乳類以外の共通点程度しかない御幸は、結局は呆然と頭をひねることしかできなかった。

「…歩いたり。寝たり。ご飯食べたり………」

変な要求したくせに、ものすごい抽象的でふわふわしたことしかわざわざ指折りにした降谷の口からは出てこなかった。そんな生物なら当たり前すぎることを言われても、な。
今まで降谷はあれだけ読んでいた動物図鑑でいったい何を見ていたというのだろうか。まあたとえ動物園の本物の白クマを眺めたとしても、本当に北極やら南極やらにいる野生のとは違うから。その程度が知識の限界なのかもしれないが。

「あー、わかった。がおー、食べちゃうぞーって奴?」

じゃあ別のもっと白クマっぽいものとして、がうがうと御幸は冗談混じりの軽い威嚇ポーズをとってみた。最初、この部屋で白クマの降谷が対峙したときはもっと全然怖かったけど。

「…いやです。僕きっとおいしくないです」
「お前、肉付き悪そうだもんな。俺、一応さっきお前の白クマ姿見たとき一瞬喰われるかと思ったんだけど」
「…僕が御幸センパイをたべる?」
「おいおい。それならいいかも的な顔すんな。もっとマシなこと考えろ」
「…白クマは、僕をいやしてくれる存在なんです」
「なにお前、癒されたいの?」

返事ではなく、降谷はこくんと首を下げた。どうやら当初からそれが一番の目的だったらしい。いまいちわかりにくいんだよ…最初から言ってくれ。
しかし癒す…またそれこそどうやって?と今度は御幸が首を傾げる番となる。まあ、これ着てるだけで降谷の好きな白クマなのだから癒されるというならば別にいいけど。

「…センパイが何もしてくれないなら、勝手に癒されます」

また謎の断言をした降谷は、そのままベッドに腰掛けていた御幸をぽてりと横倒しにした。完全な不意打ち。
元々身動きが取りづらい服だ。少しの反動で呆気なく簡単に後ろにその背を預けることとなる。
そうして。

「おーい」

瞬く間の出来事だった。
また降谷が抱きついてきたと諦め気持ちなところであったが、ここがベッドなせいか。そのまま降谷は安らかに目を閉じてしまった。つまり寝たのだ。こんな瞬時に眠りにつけるだなんて、羨ましいことで。今度特技に追加した方がいいと思う。
大好きな白クマと眠ること、これが降谷にとって一番の癒しなのだろうなと。仕方なく一応は納得したけど、覆い被さられて同時に御幸も身動き一つ取れなくなったことだけはどうしようもなかった。

「おやすみ、降谷」

ぽんぽんっと何度か降谷の頭をなでても一向に起きる気配はなかったので、御幸もまた同調するように瞳をうっすらと閉じた。





◇ ◇ ◇





前にそんなことがあったせいか、それ以降。たまに降谷は疲れている時に癒しを求めて御幸に抱きつくようになった。
周囲も、まああの天然な降谷だから仕方ないなとスルーするし、被害全部こっちにくるんですけど。ああ…御幸の知らぬ間にとっくの昔からねらい定められて、喰われているのかもしれない。それはまるで確定事項のように、勝手に不思議発言も添えて。

「もう、あの白クマは着ないぞ」
「…御幸センパイは、僕だけの白クマですから」




白クマ=好きの方程式に御幸が気がつくのは、もう少し先のお話。



















白 ク マ の 方 程 式