attention!
嵐迅で、迅さんの父親が城戸さんという捏造設定話。パラレルパラレル。








1,side迅 }RBINOEDK

未来視で既に知っていた…その時、自分が母親の墓の前にいるのは。その日が月命日だからだろうとは思っていたけども、結局のところ少しズレていて。

「ありがとう、迅。親御さんに挨拶させてくれて…」
三門市の少し小高い丘の上のお寺の裏手に、迅の母親が眠る墓はあった。そこは運よく警戒区域を外れていて、ちょうどそちらが見渡せる程。見晴らしの良い迅家の墓は、ほぼ中心部にあるボーダー本部がありありと眺められる場所だった。それを背にしながら、隣にいる嵐山から迅は感謝の言葉を告げられた。
先日の迅の二十歳の誕生日から、色々とあって二人は両想いを経ていわゆるお付き合いというものを始めた。その経緯を思い出すと、ちょっとさすがに恥ずかしいから今はいいとして。お試しで付き合ってみる?的な軽いノリではなかったというか、結局は嵐山の生真面目さが押し出されて。そんなやりとりの中、二人の時間が合うときに、迅の親御さんにきちんと挨拶をしたい…と告げられたのだ。
もしかしたらその時、迅は微妙な顔をしてしまったかもしれないが、別段嫌だというわけではなく。もちろん、母親はいいって言ってくれると思うのだけど。
あまりボーダー内でも公言はしていないが、迅の母親はネイバーに殺されている。そのことで余計に嵐山は気にして、きちんとしたかったのだろう。今思えば、迅も母親に見て貰いたかったのだ。自分を好きだと言ってくれる相手を。だから、これでいい…とこの場限りの問題はとても円満に終わりを告げた。
さあ、では。その先の…
「じゃあ、次に行こっか」
「次?どこに行くんだ」
「うーん…一応、ボーダー本部かな?」
だって、まだどういう結果になるかわからないから、そう漠然と言うしかなかった。





一概にボーダー本部と言ってもその敷地は膨大で。普段、本部勤めではない迅の方が慣れていないと言っても過言ではないかもしれない。
基地の一番のメインは、迅や嵐山がよく使用している防衛隊員エリアで、不測の事態に備えるために一番出入りしやすい幅広い構造となっている。基本、防衛隊員の認証で入れるのはそのエリアだけなので隊室はもちろんのことラウンジや売店など、戦闘訓練以外の付属設備も一緒くたとなっている。ただ迅も嵐山もボーダー本部設立から平隊員ではないので、嵐山は特にメディア室エリアなど、それなりに自由に出入りが出来ないわけではない。上層部面々の執務室が並ぶ部屋や開発室など、ありとあらゆる専門部署エリアへ向かう認証はフリーではないとはいえ、必要がなければわざわざ立ち寄ることはなかった。
何より遠いので、やたら歩く歩く。迅なんかトリオン体でいることが多いからまだいいのかもしれないが、きちんと徒歩でこなしていたら息切れ必死な距離だった。慣れない足取りを伴って、目的の場所まで二人は進む。
「居住区に行くのか?」
「うん。もう少しで着く」
「それで、俺に会わせたい人って誰なんだ?」
「うーん。ここではちょっと言えないというか、おれの未来でもまだ不安定な相手なんだよね」
それは本当だった。迅にはいくつか視える未来はあるとはいえ、どれもこれもはっきりとした決め手がなく、だったら直接会うのが一番だとやはり感じた。
ボーダー本部内の一角には、隊員や一般職員が住まう居住区が存在して。最初は、第一次大規模侵攻で家を無くした関係者の避難先として用いられたが、警戒区域として指定された本部周辺では外で生活するより不便を生じることが多く、今は主に本部で仕事をする単身者が主な入居者となっていた。
長い長いエレベーターで、居住区のエントランスフロアへと向かう。そこはいくつか区切られたエリアの中でも、一番上層部の一角だった。さすがにボーダー古株の迅とて、あまりにも縁がない場所である。そもそも防犯カメラの数が物凄いとはいえ、どうやら区画は階ごとになされているらしくここまではすんなりと来ることが出来た。鏡張りの高級感溢れるエレベーターホールに降り立ち、敷居を隔てた横に備え付けられたインターフォンで、目的の部屋の主へと電話をかけた。
《こんにちわー 迅悠一です》
迅の明るい問いかけに即座に、だが短い返信がインターフォンの向こうから成された。ここまでは予想通り。
《ちょっと話をしたいことがあるんで、開けてもらえると助かるんですけど》
続いての問いかけには、別段と直ぐには返事がなかった。ただ、たっぷりと余白の間だけは存在していていたと思う。繋がっている電話を切らずに少し待っていると、ほどなくロックが解除されましたとの自動アナウンスが天井から響いて、来訪者を隔てていたガラスの扉が音を立てて開いた。
「大丈夫みたい。行こっか」
「すごいな…この階。もしかして最上階か?」
「あ、よく気が付いたね。防犯の関係上、一応は303号室扱いだったかな?」
「空が近いからな。中庭も随分と立派に手入れされてる」
「そうだよねー でも勿体無いんだ。この階、一人しか住んでないからさ」
「迅は何度か来たことあるのか?」
「ううん、初めてだよ。未来視でちょっと見知ってるだけというか、こんなことなかったら多分来なかったと思うし」
最上階エリアに相応しくきちんと手入れされている中庭の横の通路を、てくてくと二人で並び歩きながら進む。ボーダー本部内にこんな場所があるなんて、普通の人なら思わないだろうと感じるほど雄大な場所だった。堅苦しく無機質な通常の本部内とは、それなりのギャップをもたらしてくれる。
表札がかかっているというわけではなかったが、きちんとした取り扱いのある扉と呼べるのはその一室だけなので、それだけは迷いもせずに備え付けられたインターフォンを押した。向こうから別段と問いかけはないのは、まあさっきエントランスを開けてもらったこともあるし、そもそもここに来る人間なんて少ないだろうという気持ちもあったけども。ガチャリと施錠を外す音が鳴り、よどみなく扉が開いた。部屋の向こうの人間が、こちらを見やった後に、やや怪訝そうにしゃべる。
「同行者がいるとは聞いてないぞ?」
「カメラから見えてると思ったので、あえて言わなくてもいいかなあと」
そんな何気ないようにも見える二人のやりとりではあったが、完全に開け放たれた先にいた人物の姿を見て、さすがの嵐山も酷く瞠目して声を出すことになる。
「き、城戸さん!?」





迅はきちんと泊まったことはないとはいえ、高級ホテルのスイートルームってもしかしてこんな感じなのかなあ?と漠然と感じた。ふかふかすぎて簡単には慣れなそうな絨毯の上をてくてくと歩く。それなりのゴージャスな細工がされた調度品の置かれた廊下を過ぎると、小休憩も出来そうな小部屋にも見える幅広な玄関口から、向かって直ぐの応接フロアの対面ソファに三人は腰掛けることになった。
さてこの状況どうするかと。ナビった当人である迅も少しの悩みどころ。
タイミング的には、たまったま迅も嵐山もオフで尚且つあの忙しい城戸が自分の部屋に居るってことだけで奇跡みたいなものなんだが。これも運命の一つかと、未来が視えるからこそ漠然と感じた。しかし、その城戸だって完全にオフな佇まいではなくボーダーの規程制服ではないだけで、普通にスーツ姿なんだが。休みというわけではないが、外で何かしらの用事があるのだろう。
とりあえず突然の訪問すぎて、こちらが全く歓迎されていないことだけはわかった。それだけ。
「えーと、迅。それで、俺に会わせたい人って城戸さん…でいいんだよな?どうして、今更」
「うん。城戸さんが、おれの父親だから一応ね」
「は?………えっ、…あ。そう、なのか!?」
これ以上ないというくらいくらい少し甲高い声を出した嵐山は、軽くソファから飛び跳ねるようにビクついた。そして少し失礼という気持ちもあるのか戸惑いながらも、迅と城戸の間をきょろきょろと何度も何度も見比べた。
まあそうなるのが普通だよねと思って、迅は苦笑交じり。嵐山が直接言うことはないだろうが、顔とか似てないなあって自分でも思うから仕方ない。そもそも寝食を共にしているわけでもないし、そういう性格の面でも似る要素がまるでない。
城戸の方も、別段と普段の仏頂面から変わりはない。そもそも迅は、城戸の喜怒哀楽など今まで一度も見たことがないわけで、もしかしたらこれでも少しの変化があるのかもしれないが、わからないし、知らない。
「おれが今まで父親の話題をはぐらかしていたのは、これが理由ね」
「迅の本当の苗字は、城戸ってことなのか?」
「ううん。子どもの頃に離婚してるみたいだから、おれは普通に母親の旧姓で間違いないよ」
「いや、しかし…どうして隠していたんだ?」
「うーん。直接誰かから、城戸さんが父親か?って聞かれたことはないし、そもそもおれがその事実知ったときもうボーダーに入ってたからなあ」
別にそこまで意図的に隠していたわけじゃない。そもそも疑問にあがる筈もないくらいだろうが。タイミングの問題でもないような気はしたが、ずるずるとこうなってしまったことはちょっと認めようと思う。
今のボーダーに入隊するには親の同意が必要だが、迅が入った頃にそんなガッチガチなルールはなかったわけで、最初は知らなかったし、父親のことを気にしたことがなかった。
城戸のこと、好きでも嫌いでもないというか。最初から上司だったから。迅が実力派エリートと称するのは、事実概ねその評価が外からも中からも得られていると自負する。城戸はあくまで迅を一隊員としてどこまでも扱ったし、七光りだなんて微塵も。さすがに迅としても思う事がないわけではなかったが、互いにそのことに関しては干渉しないことが一種の暗黙のルールのようなものにもなっていた。だから、親子として城戸の前に立つのは今回が二度目ということになる。
嵐山に…好きな人に、変に隠し事はしたくないし。だから、このカードを切って向かう。ただ、ありのままを。
「事実確認を終えたようだな。それで、私に何か連絡事項があって来たのならば、用件を言いなさい」
城戸のその言葉は父親というよりは、やはり上司的な物言いだった。今まで、プライベートに互いに干渉しあったことなどないし、仕方ないこととはいえ、上から的な目線はあくまでも頑なに崩さないようで。
「あーそうそう。嵐山が、俺の親に挨拶したいって言ったから連れて来たんだ。ということで、おれたち付き合うことになったからヨロシク」
「迅。そんなに、軽く言うことじゃないだろ…」
「え?ってことは、よくドラマとか見るやつみたいに。息子さんを下さいって言ってから、嵐山は城戸さんに殴られたいの?」
「…そういう未来が視えたのか?」
「いや…全然」
あっけらかんと言う。だって、絶対さっぱりすませた方がいい。回りくどく言ったって結果は一緒なわけで、まあ先ほど父親だと明かしたときはそうだが、さっさと終わらせるに越したことはないと思ったのだ。だから事後報告。
迅は別に城戸の答えなんて気にしてない。YESだろうがNOだろうが、何も変わりはしないのだから。そもそもが好きにしている。嵐山がこうやって報告したいと言い出さなければ、黙っていた可能性の方が高いくらいだし。それでも同じ職場で聡い上の人たちに自分たちの交際がバレないわけもないので、いつかは自然と城戸の耳にも入ったことだろう。だったらあれこれ隠すよりは先に言っておいた方が合理的かと、それでもけじめの一種としてさらりと。
「…事情はわかった。ボーダーの任務に支障をきたさない範囲ならば、個人の好きにしたまえ」
わりと特大なびっくり事項を告げたはずだったが、最初にこの部屋に来たときの方がまだ表情筋が動いていたかもしれない。城戸はまるきり普段と変わらず様子で、言葉を告げる。まるで報告連絡相談を形式的にしただけのようではあったが、まあ仕方ない。こればっかりは、迅だって城戸だってどうにか出来るようなものではなかった。
だからこれで終い…と、きっと城戸の方だって思ったのに違いない。だが、この現状を打破する声が横から響いた。
「待ってください!」
「…嵐山?」
「何かね?」
思わずその場から立ち上がる嵐山に、他の二人の視線が注がれる。
「さっきの城戸さんが言ったことは、ボーダー最高司令官としての言葉ですよね?迅の…親としての言葉ではなかったように思えるのですが」
「…私に、きみたち二人の交際を反対してもらいたいのかね?」
「違います。認めて欲しいです。もちろん家族として…」
ぐっと胸に右手を当てて、固く伝えてきた。それこそが嵐山の信念である正義だとでも主張するように。なんとなくそれは、未来を見るまででもなくわかった。
嵐山には家族に対するモデル、そしてビジョンがある。だから、誰よりも家族のあり方を大切にする。それを作りたいという気持ち。今の迅と城戸の奇妙な関係は、なんとも受け入れがたい状況なのだろう。それは迅にもわかった。
「嵐山…言いたいことはわかるんだけどさ。城戸さんとおれは一緒に住んだこともないし、そもそも家族になったことないから。前提段階で無理なんだって」
「それはわかった。でも、今まではってことだろ?これから、家族になればいいじゃないか」
「え、と。どうやって?」
何か少しの胸のざわめきと共に嵐山を視ると到来する未来、それがページを捲るように幾重にもパラパラと切り替わる。
元々、嵐山をここに連れて来たのは何かを期待してのことではなかった。なんとなくぼやかしてきた父親の事、そうでもないと言う機会もないだろうと、だったらはっきりした方がいいと思ったんだが、少し裏目に出たのだろうか。そもそもこの三人がこの場に揃っている状況という未来さえ、最初の迅にとってはか細かったもので、それでも嵐山が隣に来た瞬間に鮮明になる。この未来はまさか…
迅一人には、掴み取ることの出来ない。嵐山が居たからこそ、有り得た一筋の未来が空から降り立つ。そうして閃いたかのように、はっきりと道が示されるのだ。
「家族はまず一緒に生活しなくちゃいけないって、俺は思うんだ。だから、迅。ここに住もう!」
「は…?はーーーー?」
さすがにこの発言には、対面に座る城戸も僅かながらの同様を見せて目を細めたのがわかった。でもそんな変化をじっくりと眺めているほど、迅の方にも余裕がなくて。
どうしてそういう発想になるんだ、と。ただ驚く。だって考えたことさえなかった、そんなこと。でも、嵐山にとってはきっとそれが当たり前の発言で、特別な理由なんてまるでないのだろう。それくらいの断言だった。
「勝手に話を進めているようだが、部屋の主である私が了承するとでも思うのかね?」
「大丈夫です。迅だけじゃなくて俺も一緒に住むので。俺と迅が付き合っているってことは、俺も城戸さんの息子ってことになりますから」
「いや、ちょっと…なに、えと。家族の範囲、広すぎ………」
呆然と、迅は珍しくただ思い立った事だけをつぶやいた。
いや、何の解決にもなってないんじゃないかと。でも、あまりにもさらりと嵐山は爆弾発言を投下しすぎていたからこそ、それこそが正義に見えるんだ。未来の視える迅にとっては、そういう漠然としない嵐山だからこそ好きになったという経緯があるとはいえ、あまりにも拡大解釈激しすぎに感じた。嵐山はどれだけ膨大な人間を身内に抱え込むつもりなのだと、呆気に取られる。このままだとボーダーは皆家族とでも言い出しかねない。心が広すぎて、おっかなびっくりは止まらない。
あの城戸と速攻で家族になると言えるのは、本当にあれだけボーダーに隊員や職員が居ても嵐山ぐらいしかいないと思う。それくらい突飛すぎた。
「嵐山。きみの基準では、一緒に住んでいることが家族とのことだが、結婚や就職で子どもが家を離れることもあるだろう?」
「はい。でも、俺はまだ未成年ですから。城戸さんに扶養とまでは言いませんが、お世話になる義理くらいはあると思います。だから、迅ともども…厄介になっても構いませんでしょうか?」
まるで確定事項のように嵐山は言った。いつの間にかこの場の誰よりも、嵐山が仕切っているかのように。はたから見れば一番遠いはずなのに。そう…第三者だから、いや嵐山だからこそ。これが出来ることなのだろうと、どこもでも煌いて見える。
「随分と、無茶を言うんだな」
「城戸さん… この状態の嵐山を説得するの、凄く難航するっておれのサイドエフェクトが言ってるんだけど………」
こうなった嵐山のルートは全然揺るがなくて、てこでもなかなかに動かない。いつもならば、いくつか見える枝葉が些細過ぎて変動を望む気配がなかった。
嵐山は、迅が想像もしないところで少し頑固な面がある。特に家族が絡むと毎回それが顕著で。元来の人間としてその信念を曲げたりするわけもなく、嵐山という人間の内側に一歩迅が踏み張ったとたん、それはもう決まりきってしまったことになったのだ。その範囲が、今城戸へも伸びようとしているのは流石に予想外すぎたけど。
「迅。おまえは、城戸さんと一緒に生活するのが嫌なのか?」
「嫌とかそういうんじゃなくて、よくわかんないんだよ。家族としてうまく振舞える自信、ないし」
「俺も城戸さんと一緒に生活するのは始めてだから、同じだぞ。大丈夫だ!それに、何かあったとしても俺も一緒だから、何も心配することはない」
嵐山の中では確固たる自信があるらしく、強く導かれるように言われる。最初はどう考えても無茶振りでしかないと思った、その提案さえ嵐山が大丈夫だと言えば、間違いなんてないと思えるほどに世界が広がる。迅が開こうとは思わなかった方向へと。
両手をぎゅっと包み込まれ、握られる。どこまでも明るく前向きな説得。それが悪いとか良いとかそういう問題ではない。ただ、そう単純に思ったからこそ包み隠さない嵐山の意思は、結局のところ行き着く先は一緒なのだろう。
そんなこんなで、迅と嵐山がやりとりを繰り広げていると、少しのタイミングを見はかって立ち上がった城戸は、無言のまま応接フロアから静かに姿を消した。
「迅。城戸さんが黙って向こうに行ってしまったけど、帰れってことかな?」
「…いや。多分、嵐山の粘り勝ちだよ」
ほどなくすると、再び応接エリアを隔てる扉が開いた。さきほどより近く、軽く立ち上がっていた迅と嵐山の目の前に城戸はやってきた。
「今、予備がこれしかないから、先に一つ渡して置く」
ぶらりと二人の目の前にガチャリと提示されたのは、銀色の鍵だった。思わず反動で迅が手を差し出すと、ぽとりとその中に落ちた。軽い…なんてことはないその鍵の本当の意味は。
「これは、もしかして…」
「このフロアに入る鍵だ。突き当たり右の二人用の客室が使ってないから、寝起きするならそこを使いなさい」
「っ!ありがとうございます!…っ、ほら。迅もこれから厄介になるんだから」
最大限に喜んだ嵐山が会釈と共に感謝感激を口にし、続いて迅の横腹を小突いた。さすがにそう簡単には素直になれるものでもなかったから、迅は小さくお礼を口にしたに留めたけど。どちらかというと、城戸相手というより嵐山に言うような雰囲気でもあった。



それにしても、これからの前途多難が始まる。それだけは予感じゃなくて、確実にわかったけれども。










2,side嵐山 K4L)HT@3.

いわゆる引越しと呼べるものは、ないようなものだった。
元々、嵐山も迅も生活の大半をボーダーで過ごしていることもあり。本部内の隊室や私室には、簡単ではあるが寝食を行なうための私物が置かれていて。防衛隊員が行きかうことの出来るエリアだけでも、簡易キッチンやシャワーや仮眠室など生活するには十分な設備が備わっていた。大掛かりな家具や家電を移動したわけではないので、各々が使っていた生活道具の一部を城戸の住まう部屋に持ち寄った、最初はその程度であった。それも、本腰を入れてというよりは、忙しい中で少しずつと段階を踏んだおかげか、いつのまにかと言っても過言ではなく。
そもそも、ここは多分ボーダー本部内でも一番上等な部屋で、家主の使用頻度に反比例するかのように一通り生活するのに支障ないように生活用品は十分に備わっていた。迅あたりはコンドミニアムっぽいと言っていた程。さすがに本部の隊室などでも使用されているトリオンで作られているだけではないから、なんでもかんでも自由自在というわけにはいけないが、生活するための家具や調度品はきちんと本物が備え付けられていて、機能的ではないものも存在していた。
新しい生活を始めるということは慣れに時間がかかることもあり、多少の忙しさに拍車がかかった。それでも二重生活のようなアンバランスは、比較的直ぐに解消した。さすがに完全に生活の拠点をここに置くのはまだ最初で不便はあったものの、嵐山隊の隊室からここまで数分もかからないという面はとても魅力的であった。嵐山の実家はもちろん警戒区域の外にあるわけで、大学に通う分にはそちらからの通学の方が近くあるが、ボーダーの任務や広報活動においては寝食を取る場所から近いに越したことがないので、よく借りていた本部の仮眠室とは少し縁が切れるようになった。迅も傍からは予知予知歩きと揶揄される未来視の対象の多くは本部の人間という面もあり、本部詰めをする機会も多いのでじっくりと腰をすえることができるこの部屋の存在はありがたいと言っていた。
しかしこんな広い部屋。城戸は綺麗好きそうだとはいえ、掃除はどうしているんだろうと思ったら専用のハウスキーパーが定期的に入っていると迅が教えてくれた。なるほど。さすが驚くほどに綺麗だった。だから、余計に城戸は一応自分の私室なのに、迅や嵐山が立ち入ろうとあまり感心がないようであった。
城戸はこの部屋の生活のルールのようなものは一切言わなかったし、己の私室でさえ入りたければ勝手に入ればいいというそんな感じであった。城戸に生活能力がないとか、出来ないとかそういう次元ではなく、きっと他にやるべきことがあるのだろう。そういう立場の人間なのだから、嵐山はそれでいいと思ったが、きちんと住んでいる様子がまるでなかった。多分、迅や嵐山以上にこの部屋にはただ寝ているだけ。それも、司令室に付属している部屋には簡易ベッドがあるらしいとそれは嵐山でさえ知っているので、仕事が立て込んでいれば、そこに何日でも寝泊りをしているくらいらしいから。せっかく本部内に自宅があるのに、それさえも時間を惜しむ程に忙しい撲殺具合は傍目から見てもよくわかった。
実際、嵐山と迅が幾度か物の持ち運びをしている最中、城戸は一切この部屋に訪れなかった。おかげでというか、逆に割り切ることにして比較的好き勝手にしたようにも視えるだろう。もし城戸に、文句を言われるほどの大物があるとすれば、それは迅の運んだぼんち揚のダンボールの山くらいか。それでも、二人に宛がられた私室の四隅に積み重なっている程度ではある。何往復するつもりだと少し嵐山は笑ったが、軽いから平気だ。玉狛の自分の部屋の他にも置き場が出来て良かった。買い込める。と迅は言っていた。それはとても本心に見えたから、迅がここからドロップアウトする気はないようでそれだけは嵐山は、ほっとしたのだ。嵐山とて、多少無理にここで生活することを貫き通した自負はある。もちろん良いことだと信じて疑わないが、あくまで一番は迅の為であると考えているから。

そうして、いつしか城戸とは程よい距離感が保たれる。互いに干渉しないし、されない相互関係。
嵐山は、別に城戸と駆け引きをしたいわけじゃない。それでは家族ではないと思っている。ただ、今まで城戸と迅はそういう関係ではなかったのだろう。その前提にさえ、立っていなかったようだから。ここから始まると思いたかったのだ。
ある程度のキリもつき、落ち着いた時。嵐山もようやく、さてこれから現状をどうしようかという段階になった。
迅と城戸の親子関係をどうにかしたいというのが、もちろん嵐山の第一目標であって。でもそれがそう簡単に進むものでもないと、嵐山にだってわかる。一番の難関はもちろん城戸自身ではあるが、生半可な相手ではない。そうして、迅の気持ちもそちらへ誘導していけるように、家族というものを本当の意味で知ってもらいたいが、現状忙しいを理由にあの場に二人が揃わないのは、なかなかに難しいことだった。何より城戸にその気があまりないのかもしれないというのが問題だ。今のままでは、そのうちこちらの気が済むだろうと思われている程度にも思える。あまりにも干渉されなさすぎた。城戸にとって、この事はもしかしたらそれほど重要視されていないのかもしれないという危惧。
―――だったら、とりあえず外掘から攻めてみようと思うのは当然のことであった。

「うちのボスには一応、報告しといたよ」
案外、迅の方が肝が座った様子だった。玉狛支部は元々家族のようなのだから、林藤支部長は全てを察していて、引越しの経緯を話せばすんなり了承したらしい。迅と城戸の本当の関係を知っている林藤ならば、協力を仰ぐに相応しいだろう。



そうして、嵐山は時間と折を見て忍田とのアポを取った。
直属の上司である忍田と面会を行なうこと、何も珍しいことというわけではない。嵐山はボーダーの規程以上に、随時連絡報告事項があれば上げるようにしているわけだし。だから、今回のことも偶発的に起こりえた報告の一つと考えも含めて言う事にしたのだ。
「忍田本部長。私事ですが、報告したいことがあります」
「珍しいな。嵐山が改まってそんなことを言うなんて」
本部長室の一角。先にもちろんクリップファイルに記載のある報告事項を伝えて、特に問題ないと判断されて。それは、最後のおまけみたいな扱いの言い方になってしまったが、さすがに仕事にも関係しないわけでもないので注意深く嵐山は告げることにした。
忍田は、積んでいた書類のいくつかを執務机の横にずらして、改めてこちらに向き直った。ありがたいことに平素嵐山は、よく出来た部下という認識を貰っているから、こういう頼みごとをする機会があって本当に良かったと思う。
「先日、城戸さんと迅が親子だと聞いたので、その確認と…」
「っ!嵐山!?何でそれを知っているんだ」
まさかの話題だったらしく、思わず忍田は椅子から立ちあがり、だんっと机に手を突っぱねることになった。
「二人から直接聞く機会があったんです。それで、他にそのことを知っているのは、ボーダー内では忍田本部長と林藤支部長だけと聞いたので改めて確認をしたいと思いまして」
「そう…か。知ってしまったか… そうだな。今まで当人以外は、私と林藤支部長と、迅の師匠の最上さんくらいしか知れ渡ってなかったから。いや、驚いてすまないな」
そうは言うものの、忍田は改めて椅子には座りなおさずに、また嵐山に向き直った。
「先に迅が林藤支部長に連絡したと言っていましたから、忍田本部長にも事情が伝わっているかと思いました」
嵐山は、なかなかに広報の仕事が忙しく時間が取れないこともあり、少しの日数を置いての報告となったが、迅は元々林藤と一緒に生活しているからこそ少しの時間でも取れたらしく、割と早く言ったと連絡は貰っている。
「そういえば、今度。林藤支部長とは時間が空いたらと、会う約束をしてはいるな。ところ構わず話せる話題じゃないから、その時にと思っているのかもしれん」
少しの鈍い表情をこちらに見せた。忍田は十分に若いが、ボーダーのあれこれで苦労が多いのかわずかに顔が歪むこともある。大変だ。そんな忙しい中で、相談事を持ちかけるのは少しの恐縮を感じたが、二人のことをどうにかするのはいつしかボーダーにとっても良いことに繋がると嵐山は信じているから、続ける。
「迅は周りに言うタイミングを逃しているだけだと軽く言っていましたが、やはり今後も二人の関係は隠していった方が良いということでしょうか?」
あの二人の場でそう堂々と言う勇気は出なかったものの、他に相談出来るような相手もいないので、つい嵐山は忍田に理解を求める。嵐山としても、その事実を驚きとして汲み取ってなかなかに直ぐ吸収できたわけでもなかった。しかし、それでも譲れないものもあって。なんとか、あの部屋で家族として生活することだけはもぎ取ったけれども、本当はそれだけではダメだとわかっているから。
「私たちも二人の関係は、途中で知った事だからな。思う事がないわけではないが、今更扱いにくいとも感じていた。それに、結局は当人同士の問題だ。二人が口を閉ざすなら、外野があれこれと言うにも限界がある」
忍田とて、このままで良いとは思っていないのだろう。悩みを浮かばせる表情が滲んだ。ある程度の理解は備えていたとしても、やはり忍田も嵐山と同じ気持ちを持っている部分あるに違いない。それでもどこか寂しく感じる。
ボーダーでは珍しいものではないとは言え、迅の母親がネイバーに殺されているという事実さえも隠しているのだ。こちらはよりハードルが高い。本当は血の繋がった家族なのに隠さなければいけないということ、やはり嵐山には少し悲しく感じた。あの風刃の正体を知っている人間さえ一握りなわけで、やはり迅はどちらかというと秘密主義に近い面もあった。だが、ボーダーに属しているということで、皆隊員は多少何かしら身内を亡くしたり家を壊されたりとあまり進んで口にしたくない面を持っているからこそ、あまりプライベートには干渉しないようにと去勢術が存在していて、嵐山もあえて深くは気にしなかったという面もあった。
「実は、俺と迅は城戸さんの部屋に住むことになりまして。それで俺が二人の間を取り持とうとするのは、そう簡単なことじゃないですね。やっぱり」
「ちょっと、待て。嵐山… 一体、何がどうして、そんなことに」
相当、想定外だったのだろうか。一気に何かが頭に突き詰められたように珍しく混乱する様子で軽く頭を抑えるように忍田に、事情を順序だてて説明するように促された。たしかに事後報告になってしまったとはいえ、さらりと流しすぎたかもしれない。
「はい。まず、俺と迅が付き合うことになって…その上で、迅の父親である城戸さんに挨拶をさせてもらい、そうして城戸さんの住まいに俺と迅が一緒に住まうことになりました」
「は…?迅と、付き合っ…ている?」
「はい。城戸さんにも許可は貰いました。とりあえずボーダーの任務に支障がなければ構わない、と」
「…城戸さんが、そう言ったのなら。私の方も何か言うことはないが…」
やはり少し戸惑っている部分があるようで、複雑な表情を向けられる。それは、少し整理させてくれというジェスチャーが入ったかのようにも思えた。林藤は薄々、迅と嵐山の関係に気が付いていたらしいが、それは一緒に住んでいるからこその特権というか。そこまで深く付き合いがあるというわけではない嵐山を視ているだけで、忍田に気が付けというのは無理だ。
確かに男同士だし突飛に思われる部分があって当然だと思う。しかし誰かに何を言われようが、嵐山の中でそれだけは揺ぎ無いから、あまり気にならない。別に自分たちの関係に後ろ暗いことがあるとは、嵐山は一切思っていない。あまりボーダー内で恋愛のいざこざを聞いたことがないのは、隊員同士が付き合うと忙しすぎるのが原因と聞いたことがあって、外に相手がいるという話の方が多い。それだけのことだ。
律儀だとよく迅には言われるが、それでもこれで忍田に報告しなくてはいけないことは、全て済ませた。

「引越しといっても、俺も迅も完全にそこで寝泊りするわけではないので、今は簡単に済ませただけですが。一応、本部の移住区に出入りする機会が増えると思いますので、報告をと」
「おまえたち二人が付き合っている事、周囲には伝えているのか?」
「基本的には隠してくれと迅に言われているので、任務や広報に差し支えのない親しい仲間には数人伝えている程度です」
もちろん、迅と城戸の関係までは話しているわけではない。二人が隠しているようなもので、嵐山がそう簡単に言うべきことではないからだ。だから、もし周囲にいう機会があるとしたら、それは本人たちの口からいつか…を望む。その日の実現の為に、今嵐山はこうやって努力をしている。
「そうか。私から言うのも少しおかしな話かもしれないが、嵐山。迅を頼む。あの子は母親を、最上さんを亡くしてから、一人で… それでも城戸さんとの関係も変わらず…それ以外の本当に大切な人間を作ることはないと思っていたんだ。だから」
迅は、間違いなくボーダーの子どもだった。それは、小南の方が長いのかもしれないがきちんと家族や嵐山のような円満な家庭を持った子どもより、より深くボーダーに根付いていた。迅は、もう精神的にも肉体的にもボーダーを離れることが出来ない。他に拠り所がないからだ。それは肉親や家族を失った経緯があまりにもボーダーに依存しているから。そして、本当の父親がボーダーにいる。それが何よりもの証拠。たとえ今まで城戸が父親としての振る舞いを一切していなかったとしても、ただ最高司令として君臨しているだけでか細いつながりは途絶えなかった筈だ。その身を戦いの場に捧げることとなったとしてもだ。忍田や林藤もずっとそんな迅の姿を時には父親として、時には兄として、詰まるところは家族として見守ってきたという経緯があって、だから。どこまでも仮初の関係にも思えていたに違いない。
「わかっています。迅のことは任せて下さい。だから、忍田本部長には城戸さんとの関係こと…色々と協力して貰いたいと思ってます」
「ああ。こちらこそ、嵐山が加わってくれれば力強いよ」
互いに、良い結果になることを期待する言葉が出る。機会は、無理やりにでも作らなければいけないのだと感じるから。



ようやく動きだそうとする時計の針。その場に当人たちがいるわけではないから、確定的ではないものの。
だって嵐山は、思うのだ。本当に互いが親子関係を否定するのならば、同じ場所に存在するわけがないだろう…と。所詮は、本来あるべき姿に帰る、だけなのだから。
迅に家族を作ってあげたいと願った嵐山。その願いは、みんなの願いでもあったからこその結末でありたいと深く思った。










3,side迅 BSIXED)I

最初こそはどうなることかと思っていたが、案外収まってしまえばそれほど大したことではないんだなと、迅はベッドの上でごろごろしながら感じた。
だって迅は嵐山が好きで、嵐山も迅のことを好きでいてくれて、ただそれだけでいいと思っていてその先以上を求めるつもりはなかったから。結局のところ、城戸のことまでここまで伸展したものを望んだのは、迅が特大にというわけではないことは未だ胸にあって。そんなに簡単に自分の気持ちを切り替えられないのは申し訳なくあったけど。とりあえず嵐山の向上心には、毎度驚かせられる。それが、好きな人相手だからこそ出来る技なのかもしれないけど。
嵐山は、家族は多い方がいいと思っているに違いない。でも迅は、自分は男だしもう他に家族なんていないから作れないと思っていた。それでも嵐山は、迅一人をいっぱい愛せると言うだろうけど。だからこそ城戸の存在をこれ以上隠したりはしたくなかった。

「迅、ここにいたのか」
「嵐山、おかえりー 忍田さんへの報告どうだった?」
ボーダー本部内にある、城戸の住まう部屋。二人に宛がわれたのは夫婦用の客間で、元々ベッドが二台おいてあったので、そのまま使っている。本来ならば来客用の寝るだけのスペースなのだろうが、簡単な応接セットは備え付けられているし、書き物をする立派な机も余裕で置いてある十分な広さがある部屋だ。二人合わせて使うにしても、玉狛の自室より十分に広々としている。
そこは清掃が行き届いているという以上に、過去に誰かが使った痕跡が全然なかった。それはこのエリアがボーダー本部の中枢すぎて外からの客人があまり訪れないことと、万が一そういう機会があるとしても司令の自室にまでわざわざということがないからであろう。司令の独断だけで外部の人間はここまで入れるほど、ボーダーの規程は甘くはない。むしろ上に立つ人間だからこそ、それは守らなくてはいけないのだ。その不規律な規則を作ったのは城戸自身だろうし。
か細くあり得る可能性にしても、城戸には泊まりに来るような親戚身内は他にいない。その数少ない一人だった迅が、今こうやって住み込むことになったのだから何かの因果さえ感じるが、それを促したのは隣の嵐山であって。
「さすがの忍田さんも、驚いていたな」
「まーそうなるよね。おれ自身だって、そういえば城戸さんが父親だったなぁってたまに思い出す程度だし。知った当時はともかく、最近は誰も口に出さないからね」
それは寂しいとか、そういうものではなかった。だって迅にとって城戸はあまりにもボーダー総司令官としての印象が強すぎて、他が霞むのも仕方のないことなのだ。別に人間味がない人だと思うわけではないが、仕事人間がどうしても優先される。
「迅は、ボーダーに入ってから城戸さんが父親だって知ったって言ったよな。それは本人の口から直接聞いたのか?」
聞かれて、そういえば改めての経緯なんて言ってなかったなと思った。嵐山のことだから、家族のこととなれば何かしらのドラマが存在しているのかと思っているのかもしれないけど、現実は。
「あーそういう感動的なのじゃないんだ。単純なことだよ。
高校に入学するのにさ。戸籍謄本提出するじゃん。そこに名前書いてあったから、城戸正宗なんて名前そうある名前じゃないでしょ」
まあ正直な話。そのときまで一切父親のことなんて気にしたことがなかった。第一それどころじゃなかったのだ、ボーダーが忙しすぎて。それさえも城戸の作戦だとしたら、してやられたって感じだが、たぶんそれは偶然だろう。だだ、母親という当時の唯一の身内がなくなった歳、まだ学生だった迅が別段施設などに入ることにはならなかったのは確実にボーダーのおかげではあった。一応、ボーダーに扶養された立場になったわけだが、迅もネイバー相手に戦いきちんとボーダーに見返りは渡していたし、まあそれはそれでとあまり深く考えなかったのだ。今思えば、城戸からすれば当然のことということだろうが。実際、血の繋がった子どもなのだから。
たまたま他にそういう子どもがいなかったが、木崎だって父親をおそらくネイバー絡みで亡くしている。きっと、他にも迅のように両親がいなかった場合は、あの時組織に所属していた子どもならきっと城戸は施設になんて行かせなかっただろうしと、それは思う。だから、多少なりとも特別扱いされたんだなという気持ちなんて、ぽーんと飛んでいたのだ。
「城戸さんは、最初から気がついていたのか?迅が自分の息子だって…」
少し切なく尋ねられる。別に嵐山が悲しむ必要性はないっていうのに、やはり家族が絡むと感傷的になりやすいらしい。そう、だから迅もほんの少し昔を思い出す。記憶の中の城戸は、やっぱり昔からあまり変わっていないような気がする。人間としては多分、旧ボーダーを創設したことで強い信念を持ち、ある程度出来上がってしまっていただろうから。迅が知っているのは、それ以降の城戸でずっと揺らいでいない。
「よくわかんないけど、おれよりは先に知ってたと思うよ。迅なんて名字、珍しいからね」
元々、子ども相手なんてとくに自分の表情を明かさない人だ。そして子どもたちの中でも、迅はもしかしたら一番に警戒されていたかもしれない。未来視なんて能力のせいで、下手な大人よりよほど扱いにくかっただろうから。
しかし、迅がいくら未来視で視たとしてもそんなそぶり一度もなかったわけで、実際に戸籍謄本なんて確定的な代物を手にするまで気がつかなかったわけだ。完全なポーカーフェイスだ。その迅の能力さえ見知っていたからこそのそぶりだったとしてたら、本当に完敗だと思うし。
正直、迅は初めて城戸と出会ったその時をそこまで鮮明には覚えていない。未来に記憶容量を裂きがちな迅にとって、過去の方がどこか曖昧にも感じて余計に思うのだ。今となっては旧ボーダーと呼ばれるあの場所に入ったとき、一番偉い人が城戸だという程度の認識であとは同じく子どもの小南だとか、師匠の最上だとかそちらにばかり気を取られて、直接的に話をしたりする機会がなかったからだ。それが結局は今もずるずるということだが。
「迅は、一度も城戸さんに尋ねなかったのか?どうして父親だって言ってくれないんだって…」
やはりそこが、一番嵐山が苦心するところなのだろう。そう簡単に理解…出来ない部分。
「多分、おれはわがままで今の関係がいいんだと、その時は思ったんだよ。でも一応まだ若かったから、確認はしたよ?城戸さんに直接、おれの父親なのかって……… そうだって返事をされてそれ以上、会話は弾まなかったけど」
少しの苦い思い出を口にする。先天性ではないからこそ、勝手に知ってしまった的な呆気なさ。あまりにも殺伐としたやりとりにも思えて、それ以上は続かなかった。喧嘩をしている方がまだ救いがあると言うか。偶然か。だからこその必然か。それも改めてと言うよりは、何となく聞いてみただけっていう軽い感じで迅が口にしたのがいけなかったのかもしれないけど。
結局のところ変化を望まなかったのだ。今までの関係が、その均衡がそのままであって欲しかった。今更、何も求めはしないようにと頭の中をコントロールして、そのまま動かさなかった。結局、迅はどこか臆病であったのだ。一度家族を亡くして、もうこれ以上はと割り切って。でも、また嵐山という好きな人が出来て。だから彼と一緒にだったら踏み出してとようやく。
きっと、まだ迅が知らない城戸のことなんて山ほどあると思う。それはまだ迅が語るに落ちていないのかもしれないし、信用の方向性が違うのかもしれないが、それでいいと思っている。父親としてもボーダー司令としても、それでこそ城戸だと思う要因であったから。それが虚像の上に成り立っていたとしても、恐らく城戸は迅相手如きにそう簡単に変わるような人ではないと、もう随分と前から知りえてしまった。だからもし何かあるとしたら、それは諦めるなんて気持ちは微塵も持ちえていない目の前の…
「迅… 忍田さんも、二人の親子関係をずっと気にしていたようで、だからどうにかしたいって俺が言ったら、協力してくれるって」
「それ、うちのボスも似たようなこと言ってたよ。忍田さんよりは大分軽い感じだったろうけど」
林藤は城戸とはまた違う方向で、迅のことなんてお見通しで。それなりに驚いたリアクションはしていたものの、すんなりこの状況を受け入れてくれた。元々は、お相手が嵐山だからこそ心配なんてしないだろうけど。それよりみんな城戸の方に意識を持っていくんだから、良いような悪いような複雑な気持ちだ。
そもそも本当は迅が城戸との関係を知りえた時に、畳み掛けてどうにかするつもりだったらしい。その機会をスルーしたのは迅自身だから、大人組もきっと今まで手をこまねいていて、そして。
「だから、迅自身にも城戸さんの事。前向きに考えて欲しいんだ。今までのことがあるから直ぐに…とは言わないが」
迅が寝そべっていたベッドの横に腰掛けた嵐山は、両肩をこちらへと向けさせて真摯に言った。
嵐山とて、火急にすべてを進めるつもりはないだろう。きちんと迅の心情も理解してくれていて。デリケートな話題だから、もしかしたらおせっかいをしている部分もあると思って遠慮しているのかもしれない。そんなこと気にしなくていいのに。
迅は、本当に嫌だったらきちんと言っている。だから今までなあなあにしてきた点、つつかれると痛いけど嵐山のはそういう次元じゃないんだ。本当の意味で、迅の幸せを祈っているからこその選択。
ある意味、嵐山は城戸さえも天秤にかけて見ているのだろう。仕事上では最高位の上司ではあるが、今のこの部屋では好きな相手の父親なのである。それがふさわしくないと思うようなら、とっくにここでの生活なんてやめてしまうだろうし、嵐山自身だって見極めの最中なのだろと思う。それは迅がとうに諦めてしまったものを、嵐山はきちんと律儀に掴もうとしてくれている最中。だから、どんな結果になろうとも多分、嵐山が隣にいてくれることには違いない。
「わかったよ。今まであんまり城戸さんを父親だって思ったことなかったけど、きちんと考えてみることにする」
心の中の整理。自分のことだからこそそう簡単ではないとはわかっていたけど、とりあえず口に出すくらいは今出来る。そしてここから始まるのだろう、きっと。
「そうか。ありがとう」
そうやって嵐山は、まるで自分のことのようにその事をとても明るく喜ぶのだ。迅の手を取って、ぎゅっと握ってくれた。少し痛いくらいにも…
「嵐山、今日ここに泊まる?」
「そのつもりだが、迅は?」
「おれも泊まるつもり。今までの引っ越しも結構部分的だったし、そうなると初めてだよね。一緒の部屋で寝るの…」
「そういえば、そうだな。しかしこれで忍田さんにも林藤さんにも事情は話したし、ようやく落ち着けるな」
これから腰を据えてやっていくつもりなのだろう。嵐山が迅の為に色々とがんばってくれるのは素直に嬉しい。でも本当は…
「せっかくだから、一緒に寝ない?ベッド、無駄に広いし」
「えっ?」
虚をつかれたようにわかりやすい声が出る。さっきまで結構な真面目モードだったから、余計に落差があるようにも感じられて。
そうなのだ。いざ付き合い初めてそれなりの日数は経過しているが、二人ともボーダーで忙しくそしてこの城戸の部屋に住むことになってよけいにバタバタしてしまい、何も恋人らしきことしている暇がなかった。でも、ようやく…
「嵐山がさ。おれと城戸さんの関係、気にしてくれるのはありがたいけど、成り行きとはいえ一応同じ部屋で寝起きすることになったんだしさ。もっとおれを見てくれてもいいんじゃないかなって」
少しもごもごとしながらも、下を向きながら言う。今、絶対恥ずかしいことを言ったなって自覚はある。
結局のところの本質は嵐山は先の先まで見据えていて、迅のためにそれを改善しようと躍起になっているだろうけど。そう簡単なことではないと、それは誰にだってわかって。だから、迅は少しは目の先をも求めてしまう。贅沢だってわかっているけど、好きな人が隣にいて、そんな感情をそう簡単に制御できるほど迅もまだ大人ではなくて。
「そうだな。少し迅の気持ちを置き去りにしてたかもしれないな、ごめん」
「別に謝って欲しい訳じゃなくて、ね。でも、そう思うなら… たまには行動で示して欲しいかなって」
自分を見てほしいと願う―――
ふいに優しく嵐山の手が、迅の頬に触れた。それは、どこまでも望む暖かい手。
本当は、迅のことで嵐山を振り回したりなんてしたくはないんだ。ただこうやって一緒にいたいだけって、わがまま。
だから、今は…と、迫り来る嵐山の綺麗な顔に気がついてそっと瞳を閉じようとした………





「―――内鍵がついているのだから、そういうことは鍵をかけてからしなさい」
意識外から飛び込んできた声に、一瞬でビクついた。瞬時に開いた目は、嵐山の方も同じだったらしく、鼻先にドアップが存在していたものの、彼の方がまだ余裕があったらしくガッと迅の両肩を掴まれた後に、身を引かれた。
「き、城戸さん…?いつから、そこに…」
首を部屋の入り口の方へと向けた嵐山は少しの手に汗をかいた様子で、扉を半分だけ開けてその前に立っている城戸へ何とか声をかけたようだった。明らかに気まずい空気が流れる。
「一応、ノックはしたが…反応がなかったから誰もいないかと思ってな。邪魔をしたようだから、謝ろう」
わずかに目を伏せるように、だが上辺だけにも取れるような言葉が流れる。自分達二人のプライベートに干渉するつもりはないと以前、言われたもののところ構わずいちゃつく姿を見せる相手としては、まだまだ無理を感じて。
「いえ、こちらの方こそ。すみません… でも、あの。まだ、手は出してませんから。俺と迅は健全な付き合いを…」
「ちょっ!嵐山。そこまで言わなくていいから!」
何だ、さすがに気が動転したのか。嵐山にしては謎な言い訳が出てきて、思わず制止をかける言葉を迅の口から飛び出た。
いや、確かに気持ちはわかる。相手の父親にそう見られて良いシーンではなかったということくらい。そこは時と場所を選ばなかったという奴だろう。二人ともどこか油断していた。
でも、その相手はあの城戸なのだ。おそらく今後、プライベートより仕事で会う機会の方が100倍くらい多そうな相手で、それも避けられない感じで。普段から難航する上司なのに、余計に話しかけにくくなるのはちょっと勘弁と、それは。
「この前、一本しか渡さなかった部屋の鍵。スペアが出来たから、ここに置いておく。私はまた出かけるから、続きは好きにするといい」
入り口近くにある机の上にカチャリと二本目のスペアキーを置いた城戸は、相変わらず表情を変えずにそう言った。そうして何事もなかったかのように、また扉を閉めて行ってしまった。強い…
さすがに嵐山がはっとして、行ってらっしゃい。気をつけてと言ったことだけが、その場で一番の成果だったろうか。





「………なんかさ。促されるのも困るよね。逆になんか言って欲しかったよ」
「そう、だな。とにかく今後は気をつけよう」
なんだかどっと疲れて、二人はベッドに脱力した。そのまま、ぐだぐだする。
やっぱり申し訳ないが、嵐山からしても迅からしても城戸はまだまだ緊張する相手であることには違いなくて、難関な相手であることを改めて思い知ったのだ。
「で、嵐山。もう大丈夫だけど、さすがに。だから…キスの続きは?」

まだ考えることもやることもてんこ盛り。それでも、今はこの甘さに迅は身をゆだねてありたかった。
だって結局のところ嵐山以外の誰かに何を言われようが、その気持ちはそう簡単に変わらないのだから。










4,side城戸 GT@ZEQ

切り出されたのは日数的には結構前ではあったが、ようやく叶った時、遅いと口に出さないが思われていただろう。
「すまない。少し、遅れたな」
「いえ、私もさっき来たところですので」
城戸が忍田に誘われてやってきたのは、三門市の繁華街から少し離れたシティーホテル内にあるバーだった。
このホテルは第一次大規模侵攻後に作られた、元は東三門地区にあったホテルが移築されたものだった。ということは当然ボーダーの意図が多少なりとも関与していて、三門市の警戒区域に近い構造物は高さに制限が設けられているので、ここのホテルはそのギリギリのラインにある。だから、上層階にある飲食が出来るレストランなどは普通眺めを重視出来るものが多いのだが、ここに限っては席によってはざっくりと警戒区域が視界に入らないような構造となっているのだ。
そういう席が使えるのは、もちろんボーダー関係者で。交渉の材料に使う特に唐沢あたりの息が特にかかっている。三門市で実際にネイバーがどんなものかと、プレゼンではなく己の目で見たいというスポンサーは数多くある。そういう時にまず第一につれてくる場所がここということだ。元からある学校施設などからでも双眼鏡を使えば警戒区域を見ることは十分に可能だが、外から見下ろすということが出来るのは市内でもここだけだろう。それでもさすがに肉眼では、普通のネイバーでも米粒ほどの大きさで、防衛隊員に至ってはその姿さえ見えないが。
もちろん今日、わざわざ外からネイバーの様子を眺める為に、このバーに城戸が誘われたわけではないことは重々に承知だった。具体的な用件は言われなかったが、本来ならば会議以外にも話すことがあればボーダー本部内にいくつでも機密をしゃべれる十分な部屋はいくつも用意してあって。それでもあえてボーダーから離れた外ということは、一応仕事の話ではないことは明確だった。そして。



「城戸さん。俺も、お邪魔させてもらいます」
バーカウンターに座った忍田の横にはちゃっかり林藤がいて、恐らく忍田より先にグラスを開けていた。
「すみません… 城戸さんと話をすると言ったら着いて行くって無理やり」
少し困った顔を忍田は示した。この真面目な忍田から事前に他の人間がいるという話がなかったということは、そうとう急に林藤が押しかけたのだろう。ま、いつものことだ。うまいことやっているのは昔からで。ちゃっかりとした同席のうえ、林藤はタバコをふかしていた。
「別に私は構わない」
いつまでも立ち話もどうかと思い、季節柄堅苦しいジャケットを軽く脱いで椅子にひっかけて、忍田の横へと城戸も腰掛けた。
着席が促されたことで、バーテンダーのマスターにドリンクを聞かれる。もちろん、この人物も古くからのボーダー関係者である。本部内勤めではないから、そうそう知る人間はいないだろうが。そうでなかったら、いくら交渉相手に使っているとは言えボーダーの機密を一つたりとも漏らすわけがない。だだ、今回は上層部の三人が集まったということで余程の話題と思われているのか、ドリンクを提供するという本来の業務に留まり、必要以上にこちらへ干渉をすることはしないだろう。もちろんそういう適切な動作が出来る人間を人事部が手に止めて起用しているからこそ、今回の会談にこの場が選ばれたということだ。
というか、いくらある程度掌握している三門市であるとはいえ、身内であるからこそ逆に不用意に他に外で話せるような場所はないのだ。城戸がボーダー本部に住んでいるのもそれが理由である。結局本部に住居を構えたところでも、ろくにあの部屋で寝起きなどはしないが、元々住んでいた外の家に住むのもボーダーで重役をやっている面々には面倒ごとが多すぎた。
その点、玉狛の支部長をしている林藤などは他の支部が市民との窓口なんてやっているせいか、普通の人間にはそこまで重役だと思われていないだろうが。それを武器に迅に暗躍をさせつつも本人もうまくやっているのだから、一番要領がいい。そうして事実、ここにもちゃっかりいる。
表向きのボーダーの顔は嵐山ではあったが、それは隊員としてで。もちろん城戸はボーダーの最高責任者として、三門市にいても外にいてそれを振るわなくてはいけなかった。そうして忍田こそ現場の管理者として隊員に模倣されるような対応をそれこそ、平時常日ごろに。つまり、ボーダーに係った時点で安息などないのだ。だが、それを分かっていて三人ともボーダーの基礎を作り今に至っているのだから、それは単にやるべきことなのだ。
家族を含めたプライベートを全部捨てろと、城戸も言ってはいない。それこそ鬼怒田が妻や娘と別れたのは本人が勝手にやったことと、冷たく言うつもりだってある。忍田は若い頃はやんちゃもしたが、結局のところ自分には厳しくあり弟子である太刀川にきちんと守るものを伝えてきたら、ああ育ったのだろう。そして、大学のことで太刀川の親に感謝されるのならそれでいい。林藤なんて、アットホームな玉狛を一番作ってそれが一番だと。そうして外からのネイバーさえ気兼ねなく取り込んでいるくらいなのだ。
その心を全て理解しているとは言わない。だが、城戸が習わなかったからこそ、こうやってプライベートな用件で話すことが出来てしまった。結局のところはそうだろう。
「ま、おれも一応は完全な無関係じゃないでしょ。迅から報告貰ったし」
「その報告。こっちに回るのが随分と遅かったようだが?」
「悪い、悪い。玉狛のおれからより嵐山から報告するのが一応、筋が通るなとも思ったしさ」
実はどうやら城戸が来る前からこの二人で軽い会話がなされていたようで、早速のところ横でその続きが成されているようだ。真ん中に座ったのが忍田だったのが運のつきか、左右どちらの対応もできるようにと、少し身を開けられる。
開いた時間に、城戸は最初のグラスを一口つける。三人ともだが、アルコールはマトモに入っていない。酒はやっぱり思考をどこか鈍らせるし、付き合い以外では城戸もあまり口にしなくなったのだ。隊員で成人しているものは迅に未来視を頼み、その日飲んでも良いかと良し悪しを聞いたりしている者もいるらしいが、林藤はそういうことをしたりしないだろうから、適当にやっているに違いない。
場は用意されたものの、まだ三人全ての腹を曝け出してまで至るわけもないのだ。それは今だからというわけではなく、今後もずっと。それがビジネスを含めた関係でもある。
「それで城戸さん。今更、迅と一緒に生活するってどういう心変わりですか?」
さっそく本題を切り出したものの、口にした忍田自身が一番戸惑っている。手をこまねく仕草さえ一つ。
以前から、このことは考えあぐねていたことは知っている。迅と仲が悪いわけではないが、親子な筈なのにあっさりしていると周囲からは思われていたに違いない。
城戸は、別に自分と迅の話題を改めてタブーとしたわけではなかった。ただ、黙っていることでもないだろうと思って、連絡事項程度にこの二人には伝えただけだ。自分は迅の父親だ、と。そうして最初こそはあれこれと言われた。当時は、忍田も十分に若かったし、家族の大切さを遠まわしに説かれたりもした。だが、それ以上にあの頃には余裕がなかった。今もあるとはいいがたいが。まだネイバーに対する手段が十分ではなく、そっちに意識が取られた。
林藤は今の風間の兄。そして忍田が太刀川。という弟子を本格的にとって以来、余計に忙しくなった。わが子とは言えないがそれなりに年の離れた弟子が出来て、また二人は思うところがあったのかもしれないが。いつしか、それこそ今更という年月が経過してしまったのだ。だから城戸自身ももしかしたらどこか、そんな感情を置き去りにしていたのかもしれない。
「住んでいるのは、迅だけじゃない。嵐山も一緒だ」
いつのまにか息子が二人になったのは不思議な誤算だと、笑ってもよいものか。
家族が大切だという嵐山の言葉わかりはしたけども。結局のところ、実際に城戸が掴み取ったのは家族よりボーダーと言う組織であった。それは誰もが否定しないだろうし、息子である迅がなじるようなこともないであろう。その関係は良い事なのか――― どこまでも、閉ざされた口は固く。
「それが一番面白いですよね。なんか、一気に溜め込んでいたツケがやってきたというか」
ははっと笑いながら林藤が見事な横槍を入れるので、笑い事じゃないと忍田がたしなめる声が響いた。林藤は本当に冷やかしもあるだろうが、この状況を楽しんでいる節がある。世帯持ちだからこその余裕か。当事者としてはそう漠然と笑えないし、忍田もそういう立場ではないだろうが。
「別にどうするつもりもない。二人が、一緒に住みたいと言い出したから許可しただけだ」
単に気持ちを表現するなら、それだった。城戸は実際、そう嵐山と迅に伝えた。それ以上でもそれ以下でもない素振りを示して、端的に。しびれを切らしたというわけでは無かったから、観念するも何も城戸にとってやることは変わらない。
「でも、城戸さんが自分のテリトリー内に他人を入れるってことは、やっぱり迅が実も息子だからですよね?」
「私は、ボーダー隊員なら全員平等に取り扱おうと思っている」
一度内側に取り込んだものに多少なりとも甘いのは、同じつもりだ。ボーダーが育ててきた子どもたち。規則に則った範囲ならば、好きなようにやらせるつもり、それだけだ。無関心は拒絶よりも酷だから、今のままでいいと思っている。だから特別に目をかけてやったことがない。
「その言い方だと、もし小南あたりが駄々を捏ねて、アタシも城戸さんと一緒に住みたーいとか言っても許可しそうですね」
少しのジタバタする手振りを入れて、林藤はこちらを茶化す言葉を入れる。ヒゲ面に女子高生のふりは辛いなと、この場の誰もが思っただろう。
「林藤支部長。話を反らさないでもらえるか?」
「いや、だってさ」
「そうかもしれないな。実際に、駄々を捏ねたのは迅ではなく、嵐山だったしな」
嵐山は城戸から見ても十分に、優秀だ。優秀すぎた。今まで問題なんてなかった。なさすぎたからからこそ、断る理由がとっさに思いつかなかったということもある。平穏な良心の一つだったのに、出来過ぎなのが仇となった。
あの時の嵐山は、筋が通っていた。が、所詮は子ども目線であることに違いない。否定する要件はいくつか存在していて、でも完全にあの時の場を納めて納得させるにはそう簡単でないことくらい城戸にもわかった。結局は自分が撒いた種がしでかしたことなのだから。いつか折りを見て清算しなくてはいけないと思っていて。先延ばした結果、こうやって目の前に突如としてやってきた。
もしあの場で断固として拒否をしたとしても、きっとあれよこれよと色々な方法でどこか家族であることを直面させる方法を取られたに違いないだろう。だったら、元々殆ど帰らないあの部屋にいるだけで少しでも納得するならと、置かせたまでだ。それで何かが激震的に解決するとは思ってはいない。迅のことだってそうで、時間が何かを解決してくれたわけではなかった。平行線どころか、より気薄になっていただろう。それを半強制的に近づかせられて、それこそ忍田が言うように今更どうなるのか、と。
城戸は決して決断力が鈍いほうではない。だが、相手が身内でそれも見知りすぎている部下も兼ねている存在だからこそ、そう単純な扱いで除けてしまうわけにもいかなかった。
「ま、正直。嵐山が居なかったら、迅だって城戸さんに会いには行かなかったと思うな。おれとしては嵐山に感謝したいところだよ」
「私もそう思います。これが良い事だと城戸さんからすれば断言出来ないかもしませんが、私たちはずっと二人に進んで欲しいと思っていたんですから」
珍しく同調して二人の言葉がハモる。根底にあるものは変わらないことが、ひしひしと伝わってくる。
迅とて完全に嵐山に流されてというわけではないだろうが、キッカケの一つとしては大きすぎたとも思う。
「迅が、私の息子としてきちんと目の前にやってきたのは、今回が初めてだった。だから、親としての最低限の義務として叶えた要望が今回だ。それは認めよう」
そう認めると思い出す。あの子が、あまりにも亡き妻の面影を残しすぎていることを。
子どもは親に迷惑をかけるのが仕事の一つとはいえ、きっとこれは最初で最後のわがままだろう。それがどんな結果に転んでも、城戸は見守るだけだとは感じる。

「まずは、一歩前進ですね。長かった…それでも迅はもう二十歳の誕生日を迎えてしまった………」
年月が過ぎるのは早いものだと、少しの忍田の溜め息が混じる。
そうして自分たちも年をとったと、忍田は感嘆にくれているが、まだ三十と少しを経過しただけだろうにと、城戸から見れば思う。だが、あまりに濃密すぎたのだろう。忍田や林藤は自分たちより学生という青春時代をそれこそ今の隊員たちより過酷に過ごしてきたのだから、余計に年月の経過はあっという間なのかもしれない。
「子どもというものは、知らぬ間に成長しているものだな」
毎日とは言わないが、本部と支部と違えども城戸と迅は何かと顔を合わせる機会は多い。互いにその役割が重いから。それも一緒に暮らしているわけでもないから、少しの報告だったり、直接会話を交わすわけではない会議室に存在していたりと、その程度だったが、それでも。手のかからない…子だと思った。最初は。
一番近くで成長を見ていたつもりだった。そう、見続けているだけだった。
「城戸さんだって、きちんと迅の成長に寄与してますよ。玉狛で一緒に住んでるおれほどじゃないかもしませんが」
「何言ってるんだ。おまえより、最上さんの功績の方が遙かにあるだろう」
この場にいない…居て、あって欲しかった名前が出て三人は僅かに押し黙る。
もし…もし、最上が生きていたらという仮定を。城戸と迅の関係ももっと違ったに違いないと、断言できるほど重い存在。しかし、そんな酩酊に酔うのを許されるのは一瞬だけだ。死した人間が生き返らないのは、風刃という存在があるからこそ余計に深く知らしめられたから。そう、ほんの一瞬だけ後ろを視ても、また前に進み続けなくてはいけないのだから。それこそ迅の未来視のように。
「とにかく、この件に関しては。おれは迅の味方ですので、そこんとこヨロシク」
「私も…嵐山に協力を要請されていますし、城戸さんにはもう一度家族の有り方を考えて欲しいと思っています」
こんな時にだけはきちんと結束した二人が言葉を並び立てる。さっきまで軽く口喧嘩していたというのに、狙いを定めたら固い。この団結は、嵐山と迅そのままをも彷彿もさせて、援護射撃がうまく通っているようでもあった。

「それは、あの二人の出方次第だな…」
グラスに残った液体をぐいっと傾けて、一口で煽った。
結局、城戸一人で何でも決められるのはボーダーの最高司令官という立場だけで、家族の事は皆が考えなくてはいけない。

柔軟な子どもと違って、そう簡単に城戸は自分の生き方を変えられるとは、このときあまり思っていなかった。そうして嫌でも思い知らされることになる。










5,side嵐山 GS@T@D@Y

コンコンコンとノックは規則正しく三回。
「入りたまえ」
「失礼します。予めご報告しておいた書類を、お持ちしました」


城戸の司令室の入り口で、用件を伝えた嵐山は制止の言葉を受けなかったこともあり、よどみなく中へと入った。
それは、きちんと正規の手続きをしたアポイントメントだった。ボーダーの顔が、最高司令と面談を希望している。
ここはこう言っては難だが、司令室それほど広いと言える部屋ではないという印象。本来ならばこの組織最高幹部の部屋なのだから重厚であるべきなのかもしれないが、どちらかといえば機能的に収まる。城戸の性格あるだろうとも思う。ボーダーはトリオンでの活用をフルに使っているせいか、通信面等もそれで差し障りない。城戸が腰掛ける広い机の上には立体操作パネルとディスプレイ、それくらいだ。整理整頓が成されているというよりは、収納がきちんとされているようで、傍目からは見えないところにいくつか仕掛けがあるのかもしれないが。
応接セットも黒を基調とした落ち着いた印象。トリオンで出来ている部分も多いのか、調度品は最低限に留めているようだった。元々ボーダー本部が警戒区域にあるせいか、外からの来訪者というのは限りなく少ないし、もっと広い応接室はたくさんある。わざわざ中枢の司令の部屋の応接まで使うことはないのだろう。このあたりは今現在、迅と嵐山が間借りしているあの城戸の部屋にも十分に言えることだったから、別に驚きはしなかった。そして、部屋自体が高い位置にあるせいか、窓の外の風景はそれなりに見えるがそれも虚空な空ばかり。それでも、この部屋の息苦しさを少しの解消が成されているように思える。でも、部屋にいるのが主の城戸なのだからそう安堵できるわけもなく、それは仕方ない。
嵐山が司令室に来るのはもちろん初めてというわけではないが、頻度はそれほどでもなかった。何かあって呼びつけられることがあるとしても、例えば嵐山の隊が広報に選ばれたときもそうだったが、城戸とマンツーマンになることはまずない。嵐山からすれば城戸は上司である忍田本部長の上の存在であるから、単純に立場が違いすぎる。会議等で直接意見でも求められない限り、今まで殆ど話したことさえない相手だった。居るだけでもにらみを効かしているには違いないが、どの会議も言葉がそう多い人ではないから余計にそう思う。それが組織のあり方で、そういうふうに城戸が作ったのがボーダーだ。それが本来のあり方で嵐山もいいと思っている。それでも最終的な決定権は城戸が全て持っている事には違いないことは見て取れた。ボーダーは城戸が創設者の一人として作った組織なのだから、今はただ一人残りワンマンであっても不思議ではない。それでも均衡を保ってやってきた。
もしかしたらここに来るのは迅の方が多いのかもしれないし、思うところがあってか迅はわざと城戸と二人きりになるのを避けていたかもしれないし、それは聞きたいような聞きたくないような。迅はこの件に関してそこまで積極的ではない。それは不思議なことではないし、促した嵐山も最初からあれこれと苦心することを望んだわけではない。だが、相変わらずの平行線で城戸のリアクションもないままで、そうまずは自分がと嵐山は思ったのだ。



「ご苦労」
嵐山が持ってきたクリップボードに挟まれたそれなりに分厚い書類のたちを軽い一礼と共に手渡すように城戸の執務机の上に置くと、規定の部屋に低く言葉が響いた。
城戸が嵐山を視認したのは恐らく一瞬だけ。部屋に入ってきた相手が本当に嵐山本人かという、その当たり前の動作程度だ。また、目を伏せて机に向かう。それ以外は、さっそく次の仕事に取り掛かろうとその書類をみやるのだから、さすが忙しい仕事人間だと思う。だが。
「どうした?確認をしておくから、下がりなさい」
ふと、ようやくこちらの顔をチラリと見やり、書類から目線を上げた。その視線は絡み合わなかった。嵐山はなるべく他人とは目を合わせるようにしたが、城戸はそうではないのか、それともそれ以外の意図が、わからない。でも。
「お節介かもしれませんが、城戸司令の仕事を手伝いたいと思います」
「それは…確かにお節介だな。私が、書類の確認程度に部下の力を必要とでも?それに、嵐山。君はボーダー隊員の中でも随一忙しい…そう私は認識していたが、違うかね?」
何を言い出すかと思えばという、少しの呆れたような物言い。失望したのだろうか。
別に無理にやっているつもりは嵐山自身にはさほどないのだが、それでもどうしてか世間の評価で優等生と称されることが多い。嵐山は自分の出来ると思った事を精一杯取り組んでいるだけだ。そうして自分が思ったことをただ貫き通しているだけに過ぎない。なるべく出来ないとも思わないようにしている、ただそれだけだ。城戸の認識もその評価の一貫だろう。実際、城戸が嵐山を直接見る機会なんて広報をやっているから目に着きやすいそれだけのことだと思っている。もちろん嵐山とて、評価がよいことが悪いとは思ってない。周囲に認められればそれだけ出来ることも増えるから。
それこそ迅…迅の方が暗躍なんてしているからこそ、誰からの目にも留まらないようにと逆に苦心しているのだ。その事を城戸はもちろん評価しているだろう。直接見てもいないのに。いや、組織のあり方としてはそれでいいのだろう。迅の直属の上司は林藤であって、命令権限はない。一隊員の動向全てを最高司令者が注視する、それはおかしい。それは城戸が作った組織だから、そうした。城戸はもしかしたらわざとそうしたのかもしれない。息子である迅と故意的に触れ合わないようにと。互いに考え方の違いは認めているからこそ、同じ土俵に立たないようにと。
だったらまだ話をしやすいのは本部にいる嵐山の方なのだから。か細い糸でもしっかりと掴まなくてはいけない、やはりそう再認識した。
「自分の仕事はきちんと片付けてあります。こんな時間ですから、うちの隊員は学生なので全員帰宅させました。その上で、いつも忙しい上司に助力を申し出て、それは悪いことでしょうか?」
「…なら、問おう。何が出来るというのかね?」
ばさりと眺めていた書類を開け放して、城戸は嵐山に向き直った。
「先ほどお渡しした書類。ご存知と思いますが、作成したのはうちの隊です。書類形式で読むより、直接作った本人から口頭で説明した方が効率いいと思います」
どちらかと言うと伺うというよりは断言するように、言い切る。城戸相手に上手く画策など出来るわけがないから、直球勝負。もちろん期日も十分に守り内容も吟味した件だ。忍田によるチェックも済ませているから、本来ならそちら経由で運ばれるべき案件を嵐山が立案者であるからということで、直接城戸まで届けた。当初、本来ならばそれだけのはずだった。だが、含むところが出来てしまったのは、それは何も嵐山だけが悪いというわけではないと思う。
「そこまで自信があるというなら、聞かせて貰おう。但し、もし差支えがあると判断したら中断する言葉は入れさせてもらう」
「はい。ありがとうございます!」
意気ごみは買ってくれたと思いたい。多少深く椅子へ座りなおした城戸を前に、普段以上に背をピンと伸ばして、嵐山はよどみなく続きの言葉を早速始めることを許された。






「…以上で、報告を終わらせてもらいます」
正直、多少は緊張したと言っても差し支えないだろう。広報担当として人前や見知らぬ他人と面談をする機会は通常の隊員より遙かに多いとはいえ、知っているようで本当は何も知らなかったこの上司相手の方が緊張をするのは少し不思議に思えるかもしれない。結局のところ一方的に嵐山がしゃべっているだけで、城戸は相槌を打つわけでもなくその表情も変わりはしなかった。別段、画期的な案件を話しているわけではなかったので、確かに驚くようなこともなかったとはいえ。それにしてもあまりにも。事後報告。無事に終わった、それが一番だった。
「報告、ご苦労。だが、こんなことをしなくても嵐山…私は、君の仕事振りは十分に評価している。それでもあえて、わざわざこんな手段を取ったということは、何か私に言いたいことがある…と捉えるが?」
何が本当の目的だ?と城戸は暗に言った。
嵐山とて本来やるべき仕事を踏み台にしたつもりはない。だが、あまりにも…あまりにも城戸と接触するチャンスが薄くてだから。
「公私混同と取られるかもしれませんが、こうでもしないと城戸さんと話をする時間が取れなさそうだったので」
「確かに今ので、君が私の仕事の時間効率を短縮したことには違いないな。…わかった。その分くらいは、話を聞こうか」
決して良い意味の表情ではなかったが、それでも嵐山にとっては随分と前向きな城戸の言葉が成された。
「それでは、お言葉に甘えて…
俺と迅が城戸さんの部屋に住むようになってからそれなりの日数が経過したと、思っています。でも、肝心の城戸さんは荷物を取りに来たり所用を簡単に済ませる程度で、一度も寝泊りしたことない…ですよね?その理由を教えて下さい」
そう…それが嵐山の一番の懸念だった。今更かもしれないが、一筋縄でどうにかなる相手とは思っていなかったものの、まさかここまでとは。
兼ねてからの忙しさや深夜の防衛任務もあるおかげで、嵐山も迅もきちんと毎日あの部屋で寝泊りしているというわけではないから、もしかしたら見逃した日もあったのかもしれない。それにしても、チラリともその姿かたちらしきものを見かけないということはどういうことだろうかと、さすがに。
一緒に住む。それは嵐山にとっては、家族になる…ことのまず第一歩で、どうにか城戸から許可を取り付けたというのに何の伸展もないまま日だけが経過して行って。だから、今回こんな少しの強行に出たといっても過言ではなかった。
「私は普段から、あの部屋でそれほど寝泊りしているわけではない。特に最近は仕事が立て込んでいる」
暗にこちらの事は追求せずに、城戸は答えを語った。確かに、立地的に司令室の横に付属している仮眠室で寝るよりあの自宅として使っている部屋の方が遠い。それは間違ってない。だが、通勤時間を考慮したとしても、そこまで時間がかかるというわけでもないと思うのだ。
「城戸さんが、お忙しいのは承知しています。それでも、完全に休日がないというわけではないでしょうし、それに…」
「…それに、何かね?」
「勝手で申し訳ないですが、忍田本部長に確認したところ。今までは多くはないもののそれなりの頻度では、城戸さんは部屋に帰っていたと聞いています。俺や迅は、別に城戸さんの日常の邪魔をしたいわけじゃないんです。それは、理解して貰いたくて」
歩み寄る事、そう簡単ではないとわかっている。でも、あえて近くに寄る権利を許可されたのに、城戸自身が遠くに行かれてはお手上げだ。結局のところ迅も嵐山の城戸の手のひらの上にいることには違いないのだ。ボーダーにいるのだって、そんなこと城戸はしないがそれでも鶴の一声でどうとでも出来る。それを手繰り寄せる努力、それを嵐山はしたかった。全てが城戸の許可の上に成り立つ。スタートにもたてやしないしないこの現状。むしろ、どこかぎこちなくなってしまったからこそ前の方がまだマシ。このままうやむやにされて、こちらが諦めるのを待っているのかもしれないと考えるのは嫌だった。
「確かにおまえたちの事、少し厄介なことになったと思わなかったわけではない」
「すみません」
「しかし、そうなる経緯を考えるにそうまで至った事、仕方ない部分がないわけではないと感じる。また私自身に多少なりとも原因があることは、理解しているつもりだ。だから部屋に帰る事、多少は考慮しようとは思う」
淡々と…それでも少しの確証を得た。それは嵐山にとっては公明にも思えて。
「っ、ありがとうございます!」
ぱあっと花開くように、嵐山は初めてこの部屋に来て明るい顔をした。
「納得したのなら、そろそろ下がりなさい。私は仕事の続きがある」
ようやく話の決着がついたと、区切りの声が飛ぶ。あくまで城戸が仕事を優先する事に変わりはないようだった。
「いえ。今度こそ本当にきちんとした形で仕事を手伝わせてください。書類整理でもなんでも…」
先ほどまでは序章に過ぎなかった。単に嵐山が、自分がやるべき仕事を多少延長させただけに過ぎなかった。あくまでそれは嵐山の事情。だからそれ以上を求めた。
「たしかにたまには部屋に帰るとは言ったが、仕事が終われば今日直ぐにでもと言った覚えはない。何より、明日は早朝から恒例の幹部会議がある。時間的にも寝泊りする余裕はない」
「わかっています。でも、城戸さんだって最低限の食事くらいは取るでしょう?だから、もし時間が合えば俺たちに付き合ってもらいたいんです」
それは、これからの自分の仕事振りにかかっていると嵐山は決め込んで、迫った。行動で示さなくてはいけない。ボーダーは、実力主義なのだから。
肝心の城戸は、観念したとはとても思えないそんな顔はしていたけれども。





「迅、今帰ったぞ!」
「お帰り〜嵐山。ナイスタイミング。今ちょうどいい具合に…………って、城戸さん!?」
かなり遅い時間帯であったが、料理途中だったのか。かつても玉狛支部で使っていた黒い馴染みのエプロンをしたまま玄関で出迎えてくれた。そう、まあ予め連絡しておいたからこそ待ってくれていたのだろうが。
そして何より、嵐山の後ろにいた人物に一番驚いたに違いない。
「俺が城戸さんを連れてくるの、てっきりサイドエフェクトで知ってたかと思ってた」
「いや、さすがに可能性薄いのはたとえ視えてもスルーする能力がおれにも備わっているからね。今回はそっちの公算の方が高かったから。ともかくやるじゃん」
その功績を褒め称えるように、肩をぽんっと叩かれた。それは迅自身が喜んでいるというよりは、嵐山に対してという部分が多く見えた。強いては迅の為に繋がるから、いいけど。
「あ、すみません。城戸さん。どうぞ、中へ」
「元々私の住まいだからな。好きにさせてもらう」
確かにその通り。玄関先でバタついていた二人を尻目に、たじろぐこともなく進む。当然だ。それでも真っ直ぐ進むのは城戸の私室ではなく、この部屋で一番広いリビングダイニングというのが嵐山たちの意図を汲み取ってくれた結果であるかもしれない。迅と嵐山も慌てて進むこととなる。
「え、てか。普通に嵐山と晩御飯する程度の認識だったから、水炊き鍋なんだけど…城戸さん食べられるの?」
「大丈夫ですよね、城戸さん?」
「私は、特に好き嫌いはない」
「鍋は迅の得意料理なんです。お世辞抜きでとても美味しいですよ!期待して下さい」
「ちょ、ハードル上げないでよ、嵐山。確かに良い鶏肉がみつかったと思ったけど、城戸さん口に合うかわかんないんだよ!?」
嵐山はどこまでもニコニコとしていた。だって嬉しくて仕方なのだ、この状況が。迅は少し照れているようにも思えるし、城戸だってそう簡単には変わりはしないだろうとわかっている。それでも、見違えるほどの光景に思えるのだ。

これから食事を取ったら、また城戸は仕事をしに司令室に戻る。その一抹の寂しささえを消し飛ぶくらいに、今は…この歓談に身を任せたくありたかった。










6,side迅 JM.Q/I

それからは、さすがに以前ほどは城戸には避けられなくなったとは思うような。そもそもの基準がわからなくもあったが。
もちろん城戸もわざと避けていたつもりはないだろうが、突然戸籍上の息子に押しかけて普段どおりに振舞えという方が無理というのはわかる。元々露骨に表情を出すような人ではないし、たとえ何かしらの感情を読み取れたとしても本心までは明かさない人だから、それでいいと迅は思っている。人間味があるかないかは別問題だけど。
嵐山の方も、わりとあれこれと画策しているようで、なかなかに精力的だった。恐らくではあるが、この場に限り城戸はようやく通常通りになっただけだと思う。嵐山が言うように本当に城戸の仕事は忙しくあったことは、迅も間接的に見知っているから嘘ではない。しかしあまりにこの場所へと寄り付かなかったこと対しての他意が本当にあったのかなかったのか、そこまで全てを知りはしないし、知ること全てが必要とも思えなかった。それはきっと城戸本人にも認識しているかどうか定かではないのだから。やはりどこか一線引かれて来たし、迅もそうした。結局は、お互い様だ。
放任主義にも程があるのかもしれないけど、仮初めにも軽く一緒に住んでいるということは今までに比べたら見違える状況とも言える。特別な会話など微塵もしないが、だからこそなのかもしれない。互いにぎこちないのは似合わないのだから。ただ、嵐山だけはそんな二人のうまい舵取りをしようと頑張って振舞っていたが、はてさて。いくら嵐山とて身近で大切な人間同士だからこそ、慎重になっている部分が恐らくあると思う。ここへ至る経緯を考えても、わりとぐいぐい前進していた様子が少しの切り替わりさえ見せる。それが、嵐山の良いところで、好きなところだから、嫌味を感じさせないのがまた嬉しいような困るような。城戸とて本心で嫌がっているわけではないが、扱いあぐねている部分もあるのだろう。また、それが迅単体とか嵐山単体とかそういう単位ならばまた違ったのだろうが、自分達二人にタッグで組まれれば面倒だと外野気分でもわかる。
嵐山の為に城戸と仲良くするっていうのはおかしなことだと思うし、彼もそんなことはきっと望んでいないだろうと思った。あくまでもスタート時点に経ったばかりなのだから。それこそ子どもではないのだから、いつものように達観しなくてはいけない。でも隣に嵐山がいて、それでその先まであったかのように感じてしまったのだ。心と言うものは簡単に変化するものではなく、また無理やりコントロール出来るものでもなくて。今更、どこまでも職場の関係という強い概念がひっくり返ることなんて、今後もし迅がボーダーを辞めたとしても未来永劫ないと、それだけは確信できる。ただ、同じ部屋にいても以前よりは自然に振る舞えるようになったような気もする。
時間はやはり偉大だ。城戸は認めないのかもしれないが、血縁関係を差し置いたとしても結局似た者同士な部分もあるのだろう。そもそも、あまり考えたことがなかったんだ。初めからいない父親のことは考えてはいけないことと、幼いながらも察していた、その継続。それでも進んでもいいんだと、嵐山に後押しをされた。城戸相手に真っ直ぐ突き進む人間はそうはいないだろうから、余計に眩しくも見える。きっと、嵐山はこの部屋にいる時の城戸を司令として見ているわけではないのだろう。変に公私混同をしていないからこその、歩み寄り方がある。

それでも多分初めて、休日を過ごす城戸という姿を眺めたと思う。
しかし城戸の性格的にまるまる一日休日ではないようで、夜は堅苦しい会食が待っているとスーツ姿が、自身の未来視で見える。知ってはいたけど、立場が上がるにつれて週休二日制なんて夢物語はマジないなという認識を迅に与えてくれる。それでも城戸はやりたくて仕事をしているわけだし、全ての責任を負う立場だから仕方ないのかもしれないけども。
まず真昼間に部屋にいるのが珍しい… だから迂闊だったのかもしれない。
「城戸さん。読書中悪いんだけど、ちょっといいかな?」
ノックもそこそこに、書斎で英字ではないどこかの言語の経済新聞を読んでいた城戸に、迅はひょいっと声をかけた。
「なんだ?」
「これからこの部屋、掃除するからさ。ちょっと読書する場所を変えてくれない?」
既に迅の後ろの廊下を縦横無尽に全自動お掃除ロボットがウィンウィンと動く声が響いたので、というかさっきから多少は物音を立てながら主張をしている。次の掃除場所を目指して、そわそわと待ちかねているかのようでもあった。
「部屋の掃除は、業者に頼んでやってもらっているはずだが?」
最初は実質城戸一人で住んでいたのだから、無駄に部屋数がありすぎるといっても過言ではない。事実、嵐山や迅が与えられた以外の客間もいくつか存在する。城戸の私室は、面倒なのかこのフロアの中でも一番狭い部屋を使っている。それでも一般的な六畳の部屋より一回り広く、ベッドや机や簡単な本棚くらいしかないのだから、それで十分なのだろう。それでも城戸はそれほど頻繁に部屋に帰っていたわけではないし、ちらかすことなどないから余計にだろう。今までの痕跡を見るに、特にキッチンなどは料理とか絶対したことないだろうなと伺えるほどの綺麗さ。それはハウスキーパーの手腕だけではないだろう。掃除なんてしている時間がないというよりは、有用ではないと判断をしている感。それに、掃除が苦手だとか嫌いだとかではなく元々綺麗に使っているのだから、生活感がまるでないだけだ。さりとて。
「それがさー 嵐山が、自分達が住んでる部屋は自分で掃除すべきだって言って。決めて、定期的に二人で掃除してるの。その日がちょうど今日ってわけ」
つまり城戸がいるのはタイミングが悪かった。居候しているような身だから、別に家主相手に邪魔だと言う訳ではないが。しかし城戸がいる部屋の掃除だけ置き去りにするのもどうかと思ったので、こうやって移動をお願いしたわけだ。
「その嵐山は?」
「買い物してからここに来るって連絡入ったから、しばらくしたら来ると思うけど。おれは先にざっと、履き掃除してるんだ。城戸さん、移動するならリビングに行ってくれない?そっちは大体先に済ませたから」
「わかった」
短く言葉を切った城戸は新聞を綺麗に折りたたんで、あといくつかの本やディスクを持ってそつなく書斎を出た。
そうして部屋の主人と入れ替わりに入っていくのが全自動お掃除ロボットなので、おっとと迅は少し慌てる。まるで散らかっていないとわかってはいたが、ほこりは勝手にやってくるものなので活躍の場を与えられた。
書斎の両サイドに重厚な天井まで至る本棚が備え付けられていて、あとはさっき城戸が座っていたデスクが少々。あまり無駄なものがないとはいえ、床に邪魔なものがあるとロボットの進行がうまくいかない。とりあえず先ほどまで座っていた城戸の椅子を動かし、チリ一つ入っていないゴミ箱も避けて、床は頼むと設定をした。
迅はその間、はたきをかける。たまには空気の入れ替えをしなくてはと換気の為の窓を開けると、微妙な曇り空が視界に入ってくる。ここの掃除に限っては、あまり天気がよくないのは好都合だ。本にとっては湿気も大敵だが、日焼けしてはどうしようもない。
パタパタと本棚の端から端へと横移動しながら、はたきを進める。この部屋は、通常の一般住宅の1.3倍ほど天井が高い。見た目重視な造りになっているから、決して無駄ではないが。しかしいくら迅の身長が高い部類に入るとはいえ、さすがに天井まで段のある本棚に手が届くわけもなく、梯子も高さが足りない。やっぱり折りたたみ式の脚立がないとダメだなと、検討をつける。全体的に天井が高い部屋が多いので、電球一つ変えるとしても使用するから脚立の使用頻度は高い。掃除機を最後にざっとかけるとはいえ、側面のほこりを取る前に掃除ロボットがゴミを全て吸い取ってしまいそうなので、少し待機する表示に切り替えて、迅は一旦書斎を後にした。
掃除用具一式を収納しているデッドスペース的な物置に向かう途中、ど真ん中にあるリビングを通過すること不思議ではなかったけれども。何気なく、過ぎ去ろうとリビングソファに腰掛けていてる城戸が先ほどとは打って変わりテレビをつけていることに気が付いた。大方ニュースを見る為に公共放送あたりにでもチャンネルを回しているのだろうと思ったら、ふと視界の端に入ったテレビ画面に見慣れた相手を発見した。
「…嵐山?」
思わず進む足を止めて、城戸の座るソファの後ろにひょいっと回った。テレビ画面にはご存知ボーダーの顔、嵐山准が微笑んでいる姿が映し出されていた。今、城戸が視ているのはボーダー専門のチャンネル番組だということはわかったけど、相変わらずテレビ見劣りしない男だ。
「これ、今放映してる番組?」
嵐山本人は今買い物中で、もちろんこれが生放送ではないことぐらい察しがついたが少しの違和感。迅とてテレビ番組表全てを頭の中にインプットしているわけではないものの、こんな番組やってたったっけと少しの疑問。
「いや、録画だ。最近確認していなかったからな。少しまとめて見ている」
顔の位置を全く変えずに、城戸はテレビを眺めている。なんだかたとえこの場にいるのが嵐山本人だろうが気にせず見ていそうだ。あくまでも仕事…なんだよな。その姿勢は崩さないというか、きっと普段からこうなのだろうなと思う。趣味が仕事とかそういうレベルではなくプライベート本当にないようだ。まあ、たとえ部屋に帰って誰かいるとしても、今それは迅だったり嵐山だったりする時点で、プライベートっぽくなくさせていることは事実かもしれないけど。城戸の一挙一動は全てボーダーに繋がる。それこそ寝るのも体調が良ければ仕事も効率的に進むわけだし。
やっぱりこの人と家族になるなんて無理だろうなあと、また漠然と思っていた最中だった。
「迅!遅くなった、すまない」
少しの急ぎ足でリビングにやってきたのは、渦中の嵐山であった。テレビ画面の装いとは違い、買い物帰りのせいで両手にスーパーのレジ袋を庶民じみた様子で、ぶらさげている。それでも爽やかさを失わないのはたいしたもんだ。
「あ、騒々しくしてすみません。城戸さんも、おはようございます」
「おはよう」
さすがに面と向かって挨拶をされたためか、城戸もテレビの嵐山からピシッと姿勢を正した本物の嵐山へと目線を動かして答える。スーパーの開店時間に間に合うように出かけた嵐山だったが、こんにちはにはまだ少し早いかもしれない。ここからだと警戒区域の外までは遠いので、今の時刻は10時近くとはなっていたが。
「ちょうど良かった。城戸さん、今日は部屋にずっといますか?」
「いや、夜は会食の予定が入っている」
「なら昼は一緒に食べてもらえますか?ちょうどたくさん食材を買い込んできたので」
少し袋を持ち上げて主張をした。確かに、その両手には育ち盛りを過ぎた嵐山と迅が食べきるにはかなり多くのふくらみがあった。
「わかった。頂こうか」
「ありがとうございます!じゃあ、さっそく準備しますね。何かリクエストとかありますか?冷蔵庫にも食材がいくつか残ってますから、ある程度の融通が利くと思いますから」
馴染みの羽のような髪をはためかせて、はきはきと明るく尋ねている。色々と買って来たから、献立を考えあぐねている部分もあるのだろう。嵐山は器用で、レシピさえあればその通りに味を再現できるというなかなかに超人的な人間だから、相当な無茶振りをされないかぎりそつなく料理することが出来る。
「前にも言ったが、好き嫌いは特にない」
しれっとまた、それを繰り返す。それが嵐山相手だとか迅相手だから特別というわけではなく、きっと城戸は誰に対してもそうなのだろう。それこそ仕事で、外で食事をすることもあるせいか、好きだの嫌いだの言っている場合ではなく食材の味や内容なんかより、その場で話内容の方が重要なわけだし。普段の食事も、もしかしたら生きるための栄養補給の一貫としか捉えていないのかもしれない。
「城戸さん。せめて、和食か中華か洋食くらいはざっと言ってくれない?」
このままでは嵐山が困ってしまうと思って、軽い横槍を迅は入れた。
「…夜が中華の予定だ。昼は和食にして貰えるとありがたい」
そこまでの選択肢を与えられて、それでも消去法的にひねり出されたのはそれだった。今で食事に関してさっぱり無関心だったから今まで、それだけでも十分なのだろう。ほら、だって嵐山が。
「それならちょうど良かったです!さっき、林藤さんから連絡があって玉狛に寄ったら良い魚を差し入れに貰ったんです」
言われて見れば、少し大ぶりの魚。頭が少ししか見えていないから、それが何か種類まではわからないが、ビニール袋越しに少し覗いている。
「林藤支部長の釣りは、不得手と聞いていたが?」
「はい。それであまりに釣れないので、お店で奮発したのを買ったって言ってました」
「あーボス。たまにそうやって魚を大量に買うから、こっちにまでおすそ分けか…」
それでも嵐山にわざわざ声をかけたということは、今日城戸がこの部屋にいると知っていてからこそのさり気無い援護の気持ちもあるだろう。まだ自分達は城戸と数える程度にしか食事を共にしたこともないが、仕事柄何度か食事を一緒にとったことがある林藤なら、城戸が口に出さなくてもある程度の好みは把握しているかもしれない。そうなると林藤が差し入れてくれた魚は、城戸が嫌いではないものということだ。なるほど。

ともかく嵐山の頭の中では、もう魚を使ったメニューが確立したようで、さっそく買って来た食材たち諸共冷蔵庫に入れようとキッチンへと向かう。
迅もやりかけだった掃除を中途半端に放置するわけにも行かないから、手早く続きをしてきりがいいところで嵐山の料理を手伝わなければと少し急ぎ足。
城戸はもちろん、部屋の中央にあるリビングへと戻る。左手のキッチン方向からは嵐山が料理をする音。右手の書斎方向からは迅が掃除をする音。挟まれる形となって、騒々しくないかな?と少し懸念をしたが、どこか先ほどよりも固い表情が揺らいだかのように見えた。










7,side嵐山 ZHZQCDG

その日、嵐山は迅に言われて今日の三時頃はこの城戸の部屋にいた方がいいよと言われていた。
迅がそういう口ぶりをするときは大抵サイドエフェクトで何かを視たのだろうと知っていたので、わかったと了承する返事を出した。いくつかのスケジュールとシフトを少しだけ動かせば、その時間があっという間にひねり出せた。
いくら本部内の部屋とはいえ、持ち帰り仕事をするほどではない。ただ、出来たら大学の勉強をするに越したことはないから、合間を見て持ち込んでいた参考書でいくつか片手に机に向かっていた。対して迅はやはり何かがあるらしく、いつもより少しそわついた様子でリビングにて普段は見ないようなテレビに意識半分だけ視線を送っていた。

ピンポーン
玄関のインターフォンが鳴り響いたことは、比較的奥に位置するこの今は嵐山と迅の私室になっているこの部屋にも鳴り響いた。何といっても、驚く。相当久しぶりに聞いたからだ。
そもそも、ありきたりな宅配業者などもこの部屋に受け取りを頼んではいない。ここはボーダーの社員寮的な扱いも兼ねているので、頼めば別途に居住区を管理してくれる総合受付をもしてくれるコンシェルジュに近い存在もいて、そちらで管理してもらえることになっている。迅も嵐山も元から住んでいる実家と玉狛支部があるので、郵便物などがあれば基本的にそちらに。城戸はプライベートな用件で宅配など頼むことはないようで、個人的なものとおぼしきものも司令宛として届くようで、結局はなしのつぶて。
最初は城戸からスペアキーを一本しか貰っていなかったので、嵐山が鍵を管理し、迅が部屋にかえって来た時はインターフォン越しに帰りを確認して開錠していた。だが、きちんと各々が鍵を持つことになってからそんな機会はなくなった。
もちろん部屋の主である城戸はそんなことはしないし、第一ほんの数十分前にクリーニング業者に頼んでいたスーツを取りに一旦帰ってきたばかりだった筈だ。つまりここに住んでいる三人以外の人間、誰かがチャイムを鳴らしたということになる。ここが城戸の部屋であること。知っている人間は恐らくとても少ない可能性。もちろん忍田や林藤は知っているだろうが、来たことさえあるのだろうか?という感じだ。それほど城戸は未だ数えるほどしか部屋にいなかったし、今日だってたまたま…。いや、たまたまではないと思った。その立役者は、何と行っても迅なのだろうから。
ともかくここで考えていても仕方ない。誰かわからない来訪者を迎えに嵐山は椅子から立ち上がって、玄関へと向かった。
既にリビングにいた迅が相手を確認し、あっさりと最初のゲートの開錠をしたようだった。モニター越しに軽い様子で対応していた。
「迅の客か?」
ちょうど嵐山が近寄ったとき、会話は終了していたらしくモニター画面はぷつりと真っ暗。だから迅本人に確認するしかない。
「いや、どちらかというと嵐山にお客さん…かな?」
どこか含みを持たせた声。折角だから一緒に出迎えてあげようと、手を軽く引っ張られて連れ立って玄関に導かれる。迅はさっさと玄関の鍵を施錠して、待っていた。誰が来るのかさっぱり検討はついていなかったが、それでも迅が自信満々でいるのだからと、少し考える。
数分ほど歩けば最初のゲートからこのエリアまでは辿りつくから。また、インターフォンが鳴るがそれは目の前の扉の前に備え付けられていたもので、応答ボタンの音声をオンにして対応した迅が。鍵開いてるから入っておいでと明るく声をかけた。そしてガチャリと扉が開き。
「「おじゃまします」」
揃って響いた二つの声。それは、嵐山が一番馴染みがあって、聞いている自身の声にも一番近い相手だった。
「佐補!副!?」
驚いた。それこそ今朝方は、実家で寝泊りをしてからここにやってきたわけなので実に数時間ぶりに、弟妹と対面することになったわけだが、まさかここで…とは。
「びっくりした?迅さんにお願いして、来させてもらったんだ」
子どもらしくとっても明るくしゃべられた。一連に加担した迅も、どこか嬉しそうである。
嵐山が提案して、迅と共にこの城戸の部屋に住むことになったとはいえ、直接的に認めてもらったのは当事者三人。そして迅と城戸の関係を知っている、忍田及び林藤には本当の事を話していたとはいえ、嵐山は自分の家族含めてそのことを明確には伝えていなかった。腰を据えてここで生活するわけではないが、二束のわらじのような微妙な感じになっていたことは事実で。家族には、今度から本部の居住区に部屋を持つことになって、迅とルームシェアをしているということになっている。
それは、周りの隊員に経緯を聞かれてもそう言っている。外のアパートに一人暮らししているならともかく、わざわざ本部内の施設に押しかけようとはしないらしく、部屋を見たいと言われたこともなかった。お前たち、双子みたいに仲いいもんな的に言われているので、周囲からもどうとも思われていないようだった。だから、もちろん部屋番号が303号室なことも伏せていた。
「二人だけで、ここまで来たのか?」
他の人間の姿が見えないので、少しのきょろきょろとしてしまう。本部の防衛区画とは別に居住区は地下から繋がる独自の出入り口を持っているが、本部の中でも奥にあることには違いないので外から来ればそれなりの距離だ。
「途中まで、小南に連れて来てもらうように頼んだんだよ」
迅が、その経緯にいたる説明の言葉を入れてくれる。いくら嵐山の弟妹とはいえ、ボーダー隊員以外の部外者だ。そう簡単に警戒区域にある本部に立ち入ることは出来ないからこそ、最適な案内人。
「うん。他に用事があるからって、居住区の前で別れたんだけど」
「そうか。桐絵にもあとでお礼を言わないとな」
「さ。玄関先で立ち話もなんだから、中へ入りなよ」
迅が、手を手向けるように中への示唆を加える。
実はこの部屋に住むようになってから、弟妹からは部屋に行って見たいとは言われていたのだ。だが、まだ城戸と迅の関係も進展が薄いのに、無粋に弟や妹という家族を迎え入れるのを嵐山は慎重に考えていた。その気持ちを汲み取ったのか、きっと迅はその垣根を越えてくれたのだろう。
「「失礼します」」
また、揃った双子の声が明るく響く。



「うわー 想像以上に、広い」
「なんか豪華そうな絵とか飾ってあるー」
一先ずリビングまで通すと、驚き桃の木山椒の木。素直な感想の声が響く。
嵐山は、元々ここはボーダーの住まいという頭があったから、それを念頭にしていたものの。確かに実家は有り触れた平凡な一軒家なので、落差は激しく感じるのかもしれない。それでもただのホテルの一室っぽかった生活感がまるでなかったこの場所に、嵐山や迅が生活するために必要な雑貨を買い入れて置いているので当初よりは少しはマシになったと思っている。まあ、物は増えるばかりと言っても過言ではないが。
そうして広く取られた窓から、ぐるりと外を見渡している。居住区は立地的に基地の内側に作られているが、洗濯物を干す場所の関係で南向きの日の光が差し込むように作られている。警戒区域にはボーダー本部以上の高い建物はないので、眺めはかなりよいと言っても過言ではないだろう。
「騒がしいな…」
弟妹に気を取られてしまい、失礼ながらその存在を失念していた。奥の衣装室となっているクローゼット部屋から、本当の部屋の主が訪れた。
「えっ………まさか。テレビとかで、よく見るボーダーの司令さん?」
一瞬身を引いてからの、かなりの驚きの表情が二人からもたらされる。これからまた職場に戻るところだったから、城戸派いつもの幹部規程の制服姿だ。
「そうだ。きみたちは?」
城戸の方が状況がわからなくあっただろうから、ありのまま尋ねる。
「初めまして、嵐山副って言います」
「私は、嵐山佐補って言います」
「「いつも、兄ちゃんが大変お世話になっています!」」
自己紹介以降は声を合わせて、広いリビングに響いた。祖父祖母と育ったせいか、嵐山家は特に挨拶に対するしつけがきちんとなされており、二人はぺこりと深いおじぎを添えた。
「いや。きみたちの兄は、よくボーダーに尽くしてくれている」
「それなら、良かったです。でも、どうしてそんな偉い人がここにいるんですか?」
純粋な疑問が飛び出て、双子はこてりと首をかしげる仕草を入れたので、ここで初めて城戸は少し押し黙った。状況説明もしておらず、いきなり嵐山の弟妹が現れたら仕方ないことだろうが。
「城戸司令はね。新生活を始めたおれたちを激励しに来てくれたんだよ」
迅がさり気無いフォローの言葉を入れる。さすがに迅と城戸の関係までは明かしてないから、少し苦しいようにも思えるが。
「そうなんですか。じゃあ、私たちと一緒ですね」
「…こちらの用は済んだから、私は先に席を外させてもらう」
話に区切りがついたことを良しとしてか城戸は、立ち寄った理由である私物のスーツが入っているケースをもうぶらさげていて、さっさと玄関先へと移動へ足を向けていた。
「っあ、司令。少しお時間ありますか?家でケーキを焼いてきたんですけど、いつもの調子でたくさんになってしまったので。良かったら、食べて行って下さい!」
全く物怖じせずに、双子はこの場から去ろうとする城戸へと明るく純粋に声をかけた。
城戸相手にそんな用件で足を止めさせるだなんて、さすがに出来る人間は今のところボーダーにはきっといない。子どもの含みのない純粋な善意だからこそ淀みなく伝わり、輝かしく響いた。
「いや、時間が若干押しているから私は結構だ。きみたちで食べなさい」
「じゃあせめて、一人分用に準備しますから。それを持って行くんで、お仕事の合間にでも食べてください。っあ、さすがに私たち。司令のお部屋までは行く許可取ってない…えーと」
困ったなと、二人は少しわたわたしはじめる。
「お騒がせしてすみませんが、俺が後で司令室にお持ちしても大丈夫でしょうか?」
押し付けがましいことは重々承知だったが、兄として弟妹の気持ちを汲み取り、嵐山は進言した。
本当だったら、ここが城戸の住まいだから置いておいてもいいのかもしれないが、いつまたこの部屋に戻ってくるかちょっと嵐山には検討がつかないので、確実に食べてもらうためには確かに仕事の場へ持って行くのが最善だ。
「わかった。頂こう… それでは私は、これで失礼する」
了承の言葉を落とした城戸はそのまま流れるように、リビングを出て行った。



「どうかしたの?兄ちゃん」
「いや、ともかく二人が来てくれて助かったってことだよ。ありがとう」
わしゃわしゃとつい愛犬の頭を撫でるように、二人の髪をぽんぽんっとしてしまった。もーいつもそれやめてよーここは家じゃないんだよ。迅さんも見てるし。とちょっと嫌がられるけど、それさえも心地いい。そんな家族の様子を見て、迅にもにやにやとされる。
いいんだ。ここは、もうひとつの嵐山の家でもあるし、迅も家族なのだからと。
「でも、ボーダーの司令さんに会うとは思わなかったから、すごくびっくりした。なんだかもっとこわーい人かと思ってた」
「まあテレビや雑誌の印象じゃ、そうなりがちだろうねー 仕事が出来る人こそ、そう見えるだろうし」
それも仕方ない、仕方ないと迅が言う。
城戸には仕事でもプライベートでも、切り替えをすることがない。だからこそ、そんな場所を提供したかったけど、まだまだなんとも。最初は他人から干渉されることを嫌っていると思っていたけど、そうではないようだということは先ほどのやりとりからもわかった。きっと誰も言わないからだ。城戸はきっとそうだと周囲が決め付けていて、別段提案しないからそういうふうに見えるだけだ。城戸は冷たい人間ではないから、別に自分達を拒絶するだけではないと改めて知った。だから
「さあ、二人共。ケーキの準備するんだろ?キッチンはこっちだ」
「「はーい」」
またドタバタが駆け巡る。この部屋に三人が揃う事自体が珍しくらいで、普段は物寂しい印象さえ受けるから…家族がたくさんいることの賑やかさが、どこまでも暖かく感じた。

この部屋のキッチンはリビングとの敷居がそれほどないとはいえ、ホテルのコンドミニアムっぽい作りになっているから、もともとの部屋が大きいせいか広々としている。冷蔵庫はもちろんの事、別に同じ大きさの冷凍庫も完備されていて、このあたりが少し日本離れしている。パントリーが別室になっているのだが、今はもっぱら収納の為に使われている。
双子が作ってきたのは、シフォンケーキだった。嵐山の母親は家族に誕生日の人間がいるとよくホールケーキを作るのだが、今回は少し簡単なシフォンケーキの方を双子だけで焼いてきたらしい。それでも元から家にある円形の型が大きいのしかないため、たしかに双子の言うように随分と量があった。それと、シフォンケーキならではなのは添える生クリームをこれから作ると言った。さすがそれなら本当に出来てである。元々ここのキッチンにはハンドミキサーがないので、ここからは力技。器用な女子一人と男三人も居れば、機械に頼らなくてもそれなりに角が立つくらいに泡立ったので良かった。
三十分ほどで配膳をし、さあじゃあ肝心要の城戸用にはどうするか?となったら。さすが迅。抜け目なくちょうどいいサイズの紙の箱を準備してあるのだから、ここまできっと見通していたということか。迅さんすごーいと言う双子。実力派エリートですからといういつもの返しも何もかもが、微笑ましい。仕事の疲れにはチョコレートがきくという迅のアドバイスもあり、軽くココアパウダーも振って準備を終えた。

「じゃあ、これから城戸さんのところに届けてくるから」
よろしくおねがいしまーすと玄関先より遠くで、双子の声が響く。片方の靴をひっかけている最中、迅はわざわざこっちまでやってきてくれて。
「ヨロシク」
ひらひらと、双子と同じく手を振った。
「迅も一緒に城戸さんのところに行かないか?」
「おれはいいよ。これから双子に部屋を案内するし」
キッチンで後片付けと洗い物をしている、また賑やかな声に後ろ髪をひかれる。
「そうか、そっちも頼む。今日は色々とありがとな」
それは深く思った。嵐山も自身の家族のこと気に欠けていたが、このアンバランスな状況。これで弟妹から話が行って、父や母や祖母も今の嵐山の状況を理解してくれることだろう。突然、深い事情も話さずに本部に住むといって心配されていなかったわけではないから。
「お礼を言うのは、おれの方だよ。城戸さん相手にも、なんとかうまく立ち回れたし」
一番に安堵したのは迅なのだろう。あの時間は数分にも満たなかったが、城戸がたまたま帰ってきたのは差し金だろう。
「珍しいな。迅が、城戸さんを気にかけるなんて」
「おれも少しは嵐山を見習おうと思ってね。それに家族っておれもよくわかってないから、こういうのが本来あるべき姿なのかなと、参考にしたかったんだ。まあ、今回は双子の力があってのことだな」
目を細めて少し、きっと不思議な顔をしている双子のいる方向を見やる。
歩み寄る。また、一歩。タイミング的にはシビアだっただろう。それをこなした。実質、城戸は十分足らずしかここにいなかったわけだし。限られた時間の中で、うまく立ち回るのは、迅にとってはいつもの得意なことかもしれないが、身内だからこそどこか慎重になる部分もあっただろう。
「城戸さんは迷惑だと感じる…だろうか」
城戸相手に少し性急すぎたかもしれないと、今更ながらに感じる。これから、これを持って行ってもただそれだけだけで終わってしまう可能性もなくはない。
「それはないと思いたい、ね。大丈夫だって。あんな可愛い双子を邪険に思う人なんていないよ。おれが一人っ子だから余計にそう感じるのかもしれないけど」
単純な未来視ではない迅の気持ちが吐露される。それは、きっと願望。家族になったのだから、嵐山もわかると思いたい。
「そうだな。俺にとって、佐補や副は自慢の弟妹だから。迅もそう思ってくれるのは嬉しい」
「嵐山の弟妹自慢はホントその通りだから、毎回妬けるな」
「そうか?」
「んーじゃあ、たとえばさ。双子かおれ、崖から落ちそうになっていたらどっち助ける?」
「迅。冗談でもあまりそういうのは良くないぞ」
妙な例えだ。迅には未来が視えるせいか、たまに不思議な事を口にすることがある。その多くは実現しない未来だとは知っているけど、内容的に少しの不機嫌。迅はこういう人間だからとわかってはいても、揺さぶりはちょっと意地の悪い言い方だと思う。
「わかってるって。でも、自分の口言わないと未来視でもよくわかんないから…」
「そうだな。じゃあ、はっきり言おう。俺は、まず弟妹を助ける。副と佐補は俺が守る存在だからな。でも、迅は違うだろう?俺の隣にいる存在だ。だから、信じてるし絶対に迅も助ける。迅も、もう俺の家族なんだから」
嵐山は決して、揺らがない。揺らぐつもりなんてない。それが信念。
「嵐山の家族になるって、最初は簡単に思えたけど…やっぱり難しいな。だからおれも頑張るよ。嵐山の横にしっかり立てるように」
きっと色々な家族の形がある。それは知っている。
それを嵐山は、迅や城戸に決して押し付けたいわけではないのだ。ただ、出来ることなら一緒にいてもらいたかった。それが、一番近くではないにしろ。自然に…










8,side嵐山 Q@TOBC

ここで出会うのは、かなりの低い確率。それも、必然であるかのように。
「…城戸さん?今、帰りですか」
「ああ」
嵐山と城戸がばったり会ったのは、居住区にいたるフロントロビーの一角だった。ちょうどエレベーターをあがったホールで行き会う形となる。こんな場所で遭遇するのは珍しくもちろん初めてだ。それでも、城戸は毎度の事ながらのそっけない受け答えではあったが。
先日、弟妹があの部屋にやって来た。ボーダー本部に本腰を入れて住まうこと、やはり家族にどこかは物寂しく感じる面もあったようだが、現状をわかってもらい家族に理解が得られたこともあってここ最近、嵐山はなるべく本部のこちらで寝泊りするようになっていた。迅も元々玉狛支部であれこれするよりは、本部近郊での防衛任務や暗躍もかなり多いようだった。生活の拠点を本部に据える方が便利であることには違いないので、こちらに倣っている。そんな日常の一コマ。
「荷物、持ちましょうか?」
「いや。それほど重いわけではないから、気を使わなくもいい」
ここまで来たら、二人の行き先はもちろん一緒な筈で。たまたま手ぶらだった嵐山とは対照的に、城戸は角張った白い紙袋をいくつか持っていた。こちらも珍しい。そもそも嵐山や迅が押し掛ける前からだって、あの部屋に城戸の私物らしきものは間接的に仕事に関係する書斎の本や些細な趣味と思われる映像ディスクくらいの印象だというのに、物を持って歩いているだなんて姿、滅多に見かけないから余計に。
こちらの物珍しい視線など気にするわけがなく、城戸はそのままスタスタと嵐山と同じペースで歩みを進める。嵐山はただ寝る為に家に帰るといった形だったので、手ぶらなのがなんとも間が持たなくて。ただ、先行してさすがに鍵の施錠と扉の開け閉めだけはした。

「ただいま。迅、帰っているか?」
「いるよー おかえり、嵐山。っわ、城戸さんも一緒!?びっくりした」
先ほどまでリビングのソファで少しくつろいでいただろう迅は、少しずり落ちるように顔の位置を変えた。揃って入ってきた二人を見て、率直な驚きの声を出す。
そうは言っても、おそらくここで仮初めでも暮らす三人の中で一番居座っているのは意外にも迅になってしまったのは、自分自身に少し苦笑さえしていると語っていた。玉狛支部所属とはいえ、別段誰かとチームを組んでいるわけではなく、昔の絡みから色々と隊員以外の職員に用もあったりと、本部を細々と行き来する関係で、腰をこっちに落ち着けたほうが楽な日も多いようだ。迅の能力的に支部に篭ってあれこれというよりは、未来視を使い色々な場所を歩き回る方が多く、その多くの隊員がいる本部に集中することは必然でもあるようで。それでも玉狛支部でやることもあるが、玉狛第一の面々とは古馴染みすぎて迅が外で何をしていようが今更気にしてはいない。玉狛第二の面々は迅の可愛い後輩たちではあるが、皆しっかりしており必要以上に構うことはなくとも、勝手に着実に成長するのだ。少しの物寂しさはあると言っていたが。
「偶然、フロントロビーで会ったんだ。今日は良い日になりそうだな」
「もう…夜だけどね。ああ、でも今日はちょっと奮発して、良いお肉が手に入ったんだ。晩御飯、期待してよ」
カーテンの閉まった向こうの暗闇。すっかりよい時間となっていた。
「そうか、ありがとう。肉は、いつものスーパーか」
「ううん。太刀川さんがよくコロッケを買うお肉屋さんを教えてもらったから、そこで。明日が給料日だからお財布引き締めようと思ったけど、美味しそうに見えて…つい。あ、城戸さんも食べるよね?何となく視えてたから、三人分用意してあるよ」
「…頂こう。相変わらず、おまえの能力は便利だな」
「褒めるならついでに給料上げてくれると、毎日の食卓のラインナップがもっと充実するんだけどなー」
軽口を叩きながら、副菜がもう一品プラスされますと具体的に。
城戸はともかく、まだまだ嵐山あたりは弟妹に触発されてかよく食べるほうであるから、家ではしっかり食べている。食堂のセットもボリューム満点だと言われているが、毎回完食している程。迅の方がそれほど食べないとはいえ、ボーダーは防衛任務の関係で食事を取れる時間がマチマチになるせいか、わりと食事の時間はがっつり食べる。玉狛支部は特に菓子が常備されているのも、そういう理由があるらしい。
「給料に関しては同年代からすると、十分な金銭を支払っているつもりだが。それに給料査定しているのは私ではない。直属の上司である林藤支部長に頼むのが筋だな」
そこは、鶴の一声ってことでと、どこまでが本気で冗談かわからなく、とりあえず言っておいたようだ。
そんなこんなの二人やり取りの中、いつもなら自室へさらりと向かう城戸が珍しくリビングの机の上に、紙袋の一つを置いた。ごとりとそれなりの音が鳴るので、さっき重くないと城戸は言っていたが、はてさて。
「城戸さん。それ、中なに入ってるの?」
やはり迅も城戸がこの部屋に私物を持ち込むなんて珍しいと思ったのか、紙袋を軽く指差しながらも、素直な疑問の声が飛ぶ。
「カメラだそうだ」
自分で置いたわりに、あまり興味がないのかチラリと視線を落として、答えるだけの第三者的物言い。
「その言い方だと、もしかして誰かからの頂き物?賄賂でも貰ったの」
「迅、失礼だぞ」
わりと明け透けなく言葉を出す迅を、咎める声を嵐山は出した。冗談冗談と軽く切り返えされる。
大人の世界を読み取れるわけではないけれども、城戸の立場からするとあれこれと思ってしまうこと、わかるけども。まだ嵐山は、迅ほど簡単に明け透けなく城戸に接することが出来ない。それは迅が元来そこまで城戸に対して言う性格なのか、この生活と環境を得たからこそ城戸に軽い口を叩けるようになったのか。嵐山としては後者であって欲しいとは思うが。城戸は、あまりなんとも思っていないようだからいいのだろう。
「取引先の創立記念パーティーのお返しだ」
あながち間違っていないのか、その真意までつかみ取れる訳ではないが、にべもなく言われた。それは、肯定も否定もしない返答だった。嵐山とてボーダーがクリーンな組織だとはもちろん思っているわけでもない。たが、広報の仕事の関係の上でそういったことをそのまま言うわけがなく表情に出したことはないが、上の人間には自分達よりよっぽど色々とあるとは理解はしている。
「へー、さすがカタログギフトとかじゃないんだ。開けてみてもいい?」
迅の感心はもうカメラ自体に向いているらしく、話がトントンと進む。
特に城戸が否定する言葉を出さなかったので、興味津々な迅はそのまま紙袋から箱を取り出して折り目正しい包みを開けた。三門市にはない、全国展開している某百貨店の有名な包み紙が品格を物語るようだ。精密機械でもあるので梱包過剰気味でもある。ガッチリして箱を分解するようにあれこれと開くので、ついつい嵐山ものぞきこむ。迅と同じく、もちろん興味がまるでないわけではないから。
「うわっ、本格的な一眼レフじゃん。これがお返しって、随分と包んだんだね」
その正体を見知って、迅の真面目な驚き声が響く。
中から出て来たのはフルサイズ一眼レフセットだった。予備の交換レンズもいくつか付属しているようで。見るからに高級感が溢れている。
自宅であるこの部屋に持ち帰ってくると言うことは、城戸がポケットマネーで出した物のお返しということだから、はてさて。素人目どれほどのものか、わかるわけがないが。
「そうなのか。迅、おまえはカメラに詳しいのか?」
「全然。嵐山は?」
城戸の興味はそれでも薄く質問が投げかけられるが、それも迅はさらりと嵐山に振った。
「いや、俺も普通のデジカメくらいしか」
これくらい立派なのを扱えるというなら、それなりにきちんと趣味でやっている。知り合いでも少し思い当たらない。
「だよな。多少興味はあっても、こういう趣味はそれなりにお金もかかるから、なかなかキッカケが…」
せっかくの機会なので、まだ分解されたままのカメラの本体を迅はひょいって持ち上げた。完全に組み立てていないとはいえ、成人男性の手に余る大きさはずっしりとあって、それなりに重いことに少し驚いた表情を見せた。
「興味があるなら、好きに使って構わない」
「えっ、城戸さんが使わないんですか?」
思わず反射的に驚く声を嵐山は出した。持っている迅の方も、少し目を丸くしている。そんなつもりはなかったのだろう。
「私の行動範囲では、使う機会がないからな。おまえたちの方がまだ外に出る機会も多いだろう」
「いや、別に外の風景だけじゃなくて人物を撮るのでもいいと思うけど。たとえば、本部だけでも隊員はたくさんいるんだし」
そんな簡単に勿体ないという言葉を迅は出した。
城戸のような地位のある大人から見れば、大した金額の物ではないのかもしれないが、それでも貰ったのは城戸なのだから使えばいいのにという物言いだった。それこそこの機会にでもと言う気持ちが、相手にもあったのかもしれないということも兼ねて。
「突然上役から写真を撮りたいと言われて、隊員たちが自然体でいられるとはあまり思えないが、どうだ?」
一つ考えた後、城戸は珍しく端的にたとえばの話をした。だから、ありありとその場景が頭に浮かんで歴然とした。
「確かに、撮るのはともかく撮られるのはオレもパスかな〜」
納得の言葉を続けるのは迅だった。意見が合うという同意に、苦笑気味ではあったが。
「そうなのか?俺は別に構わないぞ」
迅が、写真に対して多少の苦手意識を感じているとは知らなかった。学校行事以外では、なかなかそういう機会がないせいか。連れ立って写真を撮ろうという機会もイベント事や旅行先などでないと、そう頻繁にあるわけではないし。ボーダーに入隊してからそこまで自由な時間はそれほど取れたためしがないから、余計にそうなってしまったのだろうか。
「それは、嵐山だからそう思うんだよ。広報の仕事で、カメラ慣れしてるだろ?」
「そういうもの…か?でも、迅は俺が写真を撮りたいって言っても嫌がったりしたことなくないか?」
それにケータイにカメラがついているので、わりと二人で出かけたりするときはそれこそ声をかけてからではあるが、迅の写真を嵐山は撮ったりするし、撮られたりもし合っている。それは歳相応に。今だってツーショットを待受けにしている程だ。それを迅は恥ずかしいとは言うけど、写真が嫌だという意味合いでは多分ない。
「嵐山はトクベツだからね。他の写真はわりと逃げてるよ。こればっかりはサイドエフェクト様々かな」
「そうか。じゃあ、迅。写真を撮ろう」
瞬時に閃いて嵐山は、迅に手を差し伸べるように伝えた。
「えっ…どうしたの?改まって」
そんなの今更、別にわざわざ断らなくていいのにという顔を向けられる。
「そういえば、家族写真をまだ撮ってないって思い出したから。城戸さんも一緒にお願いします」
改まり向き直って、城戸に対して軽く頭を下げた。まさか自分に話が振られるとはあまり思っていなかった城戸は、少し瞳の色を変えたのかもしれない。
「…私も、か?」
「はい。俺の家では、一年に一度全員集合して、写真屋さんで撮ってもらっているんです」
「あ、もしかして嵐山の部屋に飾ってある写真?」
とんっと思い出したらしく、実家に写真立の一枚を彷彿させる。
元々家族写真は、いくつか置いてあるので自室にはずらっとコーナーができあがっている。迅が言うように集合写真もあるが、比率的には弟妹や飼い犬が被写体なことが多い。そこは家族のコーナーで、隣には学校の友達やボーダー隊員で撮った物。そしてもちろん迅とのツーショットもあるので、普通の部屋に比べたら嵐山は比較的写真を多く飾っている方だと思う。
「そう。だから新しい家族写真を、この部屋にも飾りたいと思って。
前に広報の仕事でご一緒したことありますが、城戸さんは別に写真撮られるの苦手ではありませんよね?」
「あれは、仕事だから引き受けたまでだ」
少しの溜め息も混じっていたかもしれない。嵐山が言うように、ボーダーの最高司令として雑誌や映像メディアに写真が必要とされることはあるが、そう頻度は高くない。記者会見などで参列した際、勝手に撮られてはいるようだが基本表情が変わらないから全てを読み取れない。
「んー 城戸さんを市内の写真屋まで連れ出すのは難しいかもね。やっぱりおれたちが一緒だと、変に勘ぐられるし、目立つし」
迅も少し未来を視たのか、追随する言葉が出る。
「それなら手折角このカメラを貰ったんですから、使いこなせるように努力します。そしたら、この部屋でいいんで…一緒に撮っても構わないでしょうか?」
それならと、頼み込む。別にそれで特別変わることなんてないかもしれないけど、だからこそ嵐山はこだわった。
「嵐山。きみは案外、意地を張るタイプなんだな」
「家族のことですから。迅も、それで構わないよな?」
「まあ、おれもカメラには少し興味あるし。嵐山と一緒に使いこなす練習できるから、別に良いけど」
「…多数決が出たようだな。私が与えたものだし、責任は取ろう。ただし、その為にわざわざ時間を取ったりは出来ない。他の用で、たまたまこの部屋に居たら…声をかけてもらって構わない」
「っ、ありがとうございます! さあ、迅。早速、説明書を読み込もう!」
「えー、おれそういうの得意じゃないからさ。まずは適当に組み立てて身体で覚えて、わかんなかったら読むんで良くない?」

カメラに向き合う二人の後姿を眺める城戸の瞳。
もちろん背を向けているからこちらから確認出来るわけもなかったが、それでもどこか温かく感じられるように、気のせいではないと思いたい。ただ、前向きにあることだけは間違いないと感じるから。










9,side迅 UK8OEF

「あれ…城戸さん、珍しい。こんな時間まで部屋にいるなんて…」
ふと、城戸と行き会う。それは迅の能力からすれば努力の結果、決して難しいことではないとはいえ、それが部屋のリビングでというなら話は少し別だった。もはや馴染みとなったソファでくつろいでいる最中に殆ど音もなく遭遇すると、迅とて驚くものだ。
それに今は早朝ではないというだけで、それなりに早い朝なだけである。城戸がこの部屋に居るには遅い印象を受ける時間ではあったが、昨日は午前さまなようだった。それも直ぐに就寝につくわけでもなく、色々と溜まった新聞などを読み込みもするようであったから単純な睡眠時間は数時間に違いない。
ここ最近、月に数回程度は、城戸もこの部屋で寝ることもあるようになっていた。最初、あまりにも帰ってこないので嵐山が発破をかけたということもあったが。林藤・忍田両名に事情が行き渡ると上層部の方からも、なるべく部屋に戻るようにと多少なりとの取り計らいがあったかのように受ける。だから、これが城戸の本心かどうかはわかりかねる。それでも嵐山なんかは全力で嬉しそうに対応するし、迅がその能力で今日城戸が帰ってくるらしいよと伝えれば、普段以上に頑張ってご飯を作ったり話しかけたりしているから、迅だって乗ることはある。ただ、城戸に出すものだからと、うちの食卓のエンゲル係数があがってしまうことが一番の懸念か。太りそう…でもある。
「今日は一人か。嵐山は?」
ほんの少しあたりを見渡す仕草を入れたものの、それよりは目の前の迅に尋ねた方が早いと判断したのか、質問の言葉が落とされる。
「大学に行ったよ。そろそろ試験の時期なんだって」
「そうか」
何を思ったかは知らないが、城戸はいつも通りの声を落とした。こういうとき、変に勘ぐられないから…その面では城戸は迅にとって良い人間だろう。別に嘘をつくわけにもいかないから、普通に言ったが。
本当は迅だって、大学に通っている年齢である。こういうと、大人たちは直ぐに迅が進学しなかったことに関してあれこれと言うのだ。しかし、それも仕方ないと思う。ボーダーの年齢層は偏っているとはいえ、現役の隊員で大学に通っていないのは迅だけだったから。もちろん周囲は、皆がそうだから…迅だって進学すると思っていた。そう…思い込ませていた。多分、他の隊員なら予め高校から口うるさいくらいボーダーなり親なりに連絡が行っていただろう。それこそ迅は玉狛管轄だったから、余計に本部の目をすり抜けていたと言っても過言ではない。そして、今まで唯一と思っていた肉親を亡くし、父親だと別に名乗り出たわけでもない城戸がいて、そっちに連絡行く筈がないし、だからこそなあなあで済んだ。いや、バレたときは上層部の面々にこっぴどく怒られたけどね。本来だったら上級生になるはずだった、上の年代の隊員にも一言二言言われるのは覚悟してた。そんな中、あの時も城戸は別に何も言わなかった。その時は、別に迅のプライベートに興味なんてないだろう…とは思っていたけど、迅の意思を汲み取ってくれていたらとしたら…わからない。何一つとして言わないのだから。迅もそれは胸の内に秘める。父親として、息子の進学云々に干渉する権利があるとは思っていないのか、それとも未成年隊員に目をかけるというボーダーの責務の上か、結局今もわからない。
こうやって感傷に浸っても、直接尋ねたとしても未来はもう変わらないことだけはわかっている。
「これから朝食を作るけど、城戸さんも食べる?一人分も二人分も作るのは一緒だし。って、言っても今冷蔵庫からっぽだから、簡単な卵料理になるけど」
よっぽど時間が差し迫っていない限り、最近は食事の提供を進言しても城戸は断らなくなっていた。もっとも、断るような未来が微かにでも視えている場合、迅はそもそもそんな事を言うわけもなかったが。
「いただこう」
だから、短いその答えも流れるように受け入れた。

別に逃げたわけではなかったが、キッチンで卵を割りながら改めて思った。何気にこの部屋で完全に二人きりは初めてじゃないか?と、今更ながら。
嵐山が気合を入れるので、城戸が部屋にいるような未来がある場合、ざっくりとだが伝えていたから、大抵相対するときは三人一緒が多かった。それでも頻繁ではないが。そもそも、城戸は所用でこの部屋に帰ったりはするが、やることがあると書斎なり自室なりに篭ってしまうから。部屋が広すぎるのも問題か、居たとしても別々の部屋にいれば意識するほどではないほどなのだ。家のことで何かやるわけではないから、城戸は嵐山や迅ほど色々な部屋を動き回ることなんてしない。
別に城戸と話をするのが嫌なわけではない。意識しないでわりと話しかけていると嵐山にも言われたことがあるほどで、それはずっと昔からやってきた。それこそ城戸がまだ自分の父親だと知らない頃から、ずっと。それを継続しているだけのつもりだったけど。今更直ぐ変われないほどに、迅も成長しきってしまった。
日常の最中に放り込まれて、こうやってダイニングテーブルで顔を直接合わせるのは、迅の頭には少なくても昔はありえなかったことで。
迅だって本当は城戸とどういう関係を掴みたいのか、まだわかっているわけではなかった。嵐山は好きだ。愛している。愛されている。その嵐山が、迅と城戸の関係を普通の親子のようにあって欲しいと願っているのは理解出来るしわかるし、そこが彼の良いところだ。そうなら望みはかなえてあげたいと思う。でも、嵐山は自分の為に迅がそう変わること、望んではいないだろう。それが駄目なことだって、さすがに迅だってわかっている。無理やりな形で数ヶ月一緒に生活する事になり、城戸の意外な一面などは正直特に感じたことはなかった。城戸はあくまでも城戸で変わらない。というか、プライベートな面がほぼないのだ。それこそ、迅もそうなのだから一緒くたで。結局は、城戸が変わらない事をより知ることとなったのだ。
思考を遮るかのように、横でトースターがチンッと時間通りに音を立てる。
色々と考え事をしながら料理をするのはよくないこととわかっていたが、簡単な朝食程度ならばこの部屋にいるのなら嵐山と交代で賄っていることなので、自然と卵を割り入れたフライパン捌きに問題が出るわけもない。手早く洗った野菜をちぎってざっとサラダを作り、出来合いのヨーグルトに少しのカットフルーツを彩りに盛りつける。二人分の配膳トレイをシンクの横へ置いて小皿をいくつか。そこまですると最初にセットした、特別上等なコーヒーマシンが良い香りを立ててきた。これだけがおそらく嵐山と迅が来る前からキッチンで唯一活用されていた装置で、薫り高い味わいを提供してくれる。ただのコーヒーマシンにしては随分と立派なので、おそらくその価格は単純な庶民にはご縁のない感じだろうが、有効活用されまくっているのだから、いい。
重いわけではなかったが、二つ一緒に配膳トレイを運ぶのは行儀が悪いので、先に城戸の分のトレイだけ持ってダイニングテーブルへと向かう。
「あれ?」
城戸がいないことに思わず声を出した迅だったが、次に続く隣のリビング方面から何やら物音が聞こえてきたので、トレイをテーブルに置き少しの足早でそちらへと向かった。
「っ、うわ。うそ…雨?」
窓の外から漏れ出る雨音がそれなりの大きさの粒を訴えていて、防音が完璧すぎる部屋の唯一の弊害に、少しくらりと。
「ひとまず、こっちに移動させたが。少し濡れてしまったな」
そう言いながら城戸はベランダから出てきて、案外手際よくTシャツのかかったハンガーを室内干し用のラックにかけていた。
「あっちゃー 油断してた。天気予報見てなかった…」
どうにも迅には未来視という能力があるせいか、普段から天気予報を確認する習慣がついていない。それでも天気を全て毎回未来視で把握するほど容量を切り裂いていないせいか、これは不意打ちだった。朝一で張り切って干した洗濯物が、無残な姿とはいわないが予想外の弊害だ。元からここには、一通りの家電製品が備わっていてもちろん乾燥機も浴室だけではなくきちんとあるのだが、なるべくなら太陽の自然のままで乾燥させたいと思うのは悪いことではないとは思っていたので、残念。
「通り雨のようだな。新聞によると、午後には晴れるらしい」
「えーと、あのー ありがとう。洗濯物を取り込んでくれて…」
改めてぎこちなくはあったが、軽く感謝の意を入れる。
「家事はおまえたちに任せっきりだからな。普段からの礼を言うのは私の方だな」
「いや、城戸さんはこっちに洗濯物、出してないじゃん。それ、おれたちのだし。でも、驚いたよ。城戸さんも、きちんと人間だったんだね…」
ちょっとおっかなびっくりで、自然と素直な言葉がぽろりと、漏れ出た。
「どういう意味だ?」
別に怒っているというわけではなかったが、迅の言った言葉をあまり汲み取れていなかったらしく、そのまま齟齬を返される。
「関心がないのかと思ってたから、家の事に」
「私とて、外で一人暮らしをしていたこともあるから一通りのことは出来ないわけじゃない。今は、より優先すべきことがあるだけだ」
そういえば別に家事が嫌なわけではなく、遠慮して頼んだことがないだけだった。
言う勇気があるならば電球でも何でも取り替えそうで、逆に怖い。そもそもがイメージじゃないだろうし。玉狛支部で共同生活している迅も実家で家の手伝いをする嵐山も家事全般に関して特に苦手意識とかないため、城戸に頼むなんて選択肢が浮かんでくるわけもなくて。確かに城戸はそんなことより、やるべきことがあるから単に優先順位の問題なのだろう。
「お疲れだね…」
「いつものことだ。それに単にボーダーの仕事をしているのだけなら、そう疲れはしない。聞くに、唐沢くんのような外回りの方が体力勝負のようだしな」
デスクワークの鬼とは、系統がまた違うと教えられる。
「唐沢さんには天下のラグビーがついているから、接待ゴルフ連続でしてもまだ四十肩の心配はないみたいだよ」
唐沢のラグビーに対する説得力は、下手すれば迅の未来視を凌駕するんじゃないかと思うくらい頼りになる。得体が知れないが頼もしい、ボーダー七不思議のひとつでもある。
「若いということは、うらやましい限りだな」
これは迅にも向けての含みありな言葉かもしれない。若干、目を細められた感もある。
「別に城戸さんも、そんな年じゃないでしょ。でも、何なら…肩でももみましょうか?」
「いや、別に今はこってない。それより、朝食を貰おうか。暖かい内に」
そういえばと、ダイニングから流れてくる豊かな香りが鼻孔を霞め、食欲をぐうっと促した。
それにしても流れとはいえ、肩をもむと言った迅の本心は冗談だったのか本気だったのか、自分にさえも少しわからないかのようだった。



結局のところ朝食はいつも通り。二人対面して食べるような習慣もないので、先に腰掛けた城戸はそのまま食事を進めたが、迅は洗い物を済ませてから食べると口実をつけてキッチンの片づけを優先した。
やがてテレビが付けられる。時間帯的に民放が主婦向けの情報番組やドラマの再放送などを占めてしまうので、城戸は衛星放送に切り替えて世界経済専門のチャンネルを見ているようだった。日本語の字幕テロップの表示はあるのだろうが、後ろで音を聞いているだけの迅からすると、どこぞの国かわからない言語は耳にあまり入ってこない。
リビングで少し本格的にテレビを見だした城戸と入れ替わるように、手早く朝食を取る。調理中の味見と称して胃袋に収めた食材がいくつかあったので、それは形式的なものでもあった。ただ、折角のコーヒーだけはじっくりと味わって飲む。城戸と違ってブラックではないけども。
ふと物干しへと目を見やると、緊急とはいえ城戸が室内干しへ移動させた洗濯物はA型気質よろしく均等に並んでいたので、そのままでも大丈夫だろう。いや、城戸は迅と同じ0型な筈だから、血液型差別よくない。
しかしこれで一通りの家のことは済ませたから、さてそろそろお仕事の時間だ。馴染みのエプロンを外し、歯磨きを済ませた後。身支度をするために自室のクローゼットを開いて、予め用意してあった今日の服を取り出すと、迅はそれに着替え始めた。

「城戸さん。おれ、もう少ししたら出かけるから、戸締まりお願い。あっ、洗濯物はそのままで平気だから」
「わかった。…しかし随分と、見慣れない格好をしているな」
さすがに見かねたようで、珍しく了承以外の声がかかる。
「嵐山のスーツ借りたんだけど、やっぱり似合ってないかー」
迅とて、少しの自覚はある。基本、隊服でぷらついているのは、もちろん楽だから。嵐山のように広報隊として隊服を着ていることが多いのとは、少しの違う理由。
だから今このスーツ姿が、着慣れない感がありありなのだろう。少し青みかがった布地はやはり本来の持ち主である嵐山の印象が強く、迅には少し綺麗すぎる。パリッとアイロンのノリのかかったワイシャツも、そのまま借りた。ボタンを外さずに、鏡台の姿鏡で確認しただけでも、うわーとちょっと思うくらいなのは確かで、少し背筋をのばして。キリッとしてみたけど、嵐山ほどではない。なんかそもそもの比較対象が良くないようにさえ感じた。スーツを借りるのは今回初めてではないとはいえ、同じサイズが着れるからということで毎回借りるの本当はよくないかもしれないと、さすがに思い始める。
「そんな格好をして、また何をするつもりだ?」
「ちょっと趣味の暗躍をしに、市内のホテルに」
わざと曖昧に、ぼかした。
城戸は本当の意味でこちらを問い詰める気なんてないだろうが、そもそも迅の行動は誰にも縛られない。直属の上司としては、林藤が本気で命令をすれば話は違うが。あとは、まあ…心理面の束縛は嵐山くらいか。直接あれこれと言われることはないのは、迅が未来視なんて能力を持っているからで、言われる前に勝手に察している。わざわざこちらにあれこれと言ってもらうのも手間だし。それに自分のやることが真っ当ではないこと、数多くあるので、何かしら上へ報告するときも過程はすっとばして結果だけ淡々と詰める。今回の行き先も、そんな一つだった。
「真っ昼間から、随分な趣味だな。私のような人間から見るに、今のおまえは不自然に映る。ほどほどにしておくことだな」
「ご忠告、感謝」
そこは道理をわきまえていて、軽く敬礼紛いを。少しでも危ないモノが見えたら、直ぐにでもとんずらを決め込もうとしている。逃げ足の速さにはなかなか定評があるつもりだし。
さて、と。くるりときびすを返して、玄関先へ向かおうとした。
「待ちなさい。ノーネクタイで行くつもりかね?」
後ろ髪を引っ張られるかのように、少しの声がかかった。
世間様、特に公共機関などでは昨今早めのクールビスが押し進められていて今の季節でそれは不自然ではないのかもしれない。だが、それを主に受け入れているのは若い世代が中心という声もある。いわく、上の年代ではネクタイをすることで仕事モードに入るというスイッチがあるとかないとか。迅にはよくわからない、が。そして、迅が今ネクタイをしていないのには、息ぐるさからの解消とは他の理由があった。
「嵐山が用意してくれたネクタイがさ。弟妹がプレゼントしてくれたのなんだよ。だから、おれが使うには遠慮しとこうと思って」
まあ嵐山本人は気にしないだろうし、だから置かれた。もちろん弟妹双子だって別に迅が使ったと言っても、どうぞーのハモり声だろう。問題は、嵐山とてスーツを着る機会が少ないのでそのネクタイを本当の意味で使うのが、迅がハジメテになるということだ。それは、さすがに一番は本人に譲りたいところだ。加えてラフな会合ならそのワインレッドの柄でも明るく見えて構わないが、今回迅は暗躍の為に向かうのであってなるべくならそのあたりも地味でありたいと、差し障りなく一抹。
「少し、そこで待っていなさい」
よどみなく立ち上がった城戸は、スタスタと廊下の先へと向かって行った。
迅の目の前を横切られた時、あ…と未来が明確に鮮やかに浮かび上がったが、城戸に声をかけるだけの時間は用意されていなかった。



「これなら不自然ではないだろう。使いなさい」
手早く戻ってきた城戸は、こちらの顔を見るわけでもなく、迅のスーツに持ってきたネクタイの布地と色合いを見比べてから渡してきた。なるほどに。城戸なら相当の本数のネクタイを常備しているだろう。反射でそのネクタイを受け取ったわけだが、シルクだかなんだかわからない肌触りと光沢にお値段はいかほど?とまた野暮な質問をしてしまいそうだった気持ちをぐっと押し込める。
「せっかく持ってきて貰ったのに、悪いんだけどさ。おれ、中高が学ランだったから自分ではネクタイ結べないんだ。だから」
「…今までも、ずっとネクタイをしなかったのか?」
盲点を付かれたかのように少しだけ驚いた顔をされた。きっと城戸には、そもそもネクタイを付けられないという発想がないのだろう。特にボーダー幹部の制服は、永遠とネクタイだから城戸にとっては生活の一部になっているのだろうし。
「嵐山には言ってあるから、えーとなんて言えばいいかな。こう…ネクタイを一度外した輪っかのまま緩くして、置いて貰ったけど」
普段、ネクタイをしないせいか何とも説明しにくくて形状を、ぐにゃぐにゃと城戸のネクタイを軽く曲げて表現してみたけど、何とも。それでも何となくこちらの言いたいことを察してくれたので助かった。少し前までその奇妙な状態でハンガーにかかっていた、嵐山のネクタイはシワになるといけないからすでに取り外して一本の形に戻っている。
「…なら少し、じっとしていなさい」
迅が緩く持っていたネクタイを再び手に取った城戸は、こちらの真正面に向き直った。
「えーと、城戸さん。もしかしなくても、おれにつけてくれようとしてる…よね?」
未来視を使わなくてもなんとなくなわかる動作に、少しの焦り声が出る。
「他人にネクタイをすることに特別な意味はなかった筈だが、嵐山以外の男につけて貰うのは不本意か?」
「………城戸さんも、そういう冗談を言ったりするんだね。………じゃあ、お願いします」
嵐山との関係こそ今まで追求されたことは皆無だったから、さすがにちょっと軽く汗をかいたかのように焦った。誤魔化すようにとだったら早くやってもらうに限る。これも恥ずかしいことに違いはないが。こういうところは、きっと嵐山の方が今更こんなことで赤面したりしないだろうなとも思う。
ワイシャツの襟を軽く立てると、ぐるりと首の後ろへネクタイがよどみなく回される。以前、嵐山にしてもらったときは、自分でネクタイをするのと、他人にするのは勝手が違うからと少しもたつかれもしたのだが(嵐山は中学がブレザーだ)城戸は年季のせいか、さすが素早い。シュッと首もとまで輪っかが持っていかれて、ちょうど良い長さと案配のバランスを保って締められる。このリビングの立ち位置で鏡があるわけではないから、傍目から見えるわけでないが。息苦しくない丁度良い按排で、きゅっと整った感は激しくあった。さすが。
「きつくないか?」
「大丈夫。ありがとう」
「それと、これもして行きなさい。スーツを着るなら時計もしていないと不自然だ」
さっきネクタイと一緒に探してきたのだろう。それほど重いわけではない、パッと見は普通の腕時計が城戸のポケットから取り出された。
「えっ、いいよ。壊したら、やだし」
高そうだしという言葉は間一髪、入れなかった。迅はこういう腕時計を持っていないので、相場がさっぱりだ。付け慣れていないから余計に扱い方がわからない。
「別に返さなくていい。私が若い頃使っていた物だから、今のお前が使っても問題ないデザインだと思う」
論点が多少ズレたが、この状態でしぶってもアレだし、そのままこちらもありがたく受け取る。
どうもケータイが普及しているから、時計をつける習慣がなく失念していた一つでもあった。いざとなれば未来視でどうにかなると思っていたし、それは見た目の考慮を確かにしてはいなかった。
左手に皮ベルトを回すと、案外しっくりと馴染んできた。新品というわけではないからこその、合致なのかもしれない。そうして体裁という形は整ったから、着慣れない違和感が多少は薄れたに違いない。最終的には迅の立ち振る舞いによるのだろうけど。
「…大きくなったな」
まるでため息まじりのように、つぶやかれる。
「おかげさまで、身長も追い抜かせて頂きました」
「男として、親より背が低いのでは格好がつかないだろう?」
わりと冗談で言ったつもりだったが、素早く切り返えされた。身長程度、別に構わないと思っているらしい。別に城戸だって背が低いわけじゃないから、男なら十分だ。それにまだ、一センチ程度の差だし。
「親としての貫禄は、いいんだね…」
「大人には、子どもにはない余裕があるからな」
「おれ、もう二十歳だよ?まだ子ども扱いするかなー」
成人を迎えて数か月経過した。別にしてないけど、酒やらタバコだって許可された年齢だ。
それにもっと前から迅は自立しているつもりだった。それこそ、母親が…そして師匠が亡くなった瞬間から。ボーダーに身を置くということは、それを加速させた。でも、その籠があったからこそ迅が迅であり続けたことに違いはないとわかっているけど、まだまだ子どもだなと言われている気がして。
「親にとって、子どもはいつまでも子どもだ。それは、ずっと変わらない」
血の繋がり云々を差し置いたとしても、迅とってもはやボーダーが親みたいなものだから、広い意味で言えば確かに城戸は迅の父親なのである。直接その手で育てて持ったなんてこと、一度もなかったとしても。
「そうだね。城戸さんがいなければ、そもそもおれは存在してないわけだし」
それが全ての始まり。子どもは親を選べないけど、親だって子どもを完全には選べない。
良い父親であったか?という疑問は、良い子どもであったか?という疑問と反比例する。ただ、一つの感謝は…城戸は一度たりとも迅を子ども扱いとして適当にあしらったりはしなかった。子どもの意見だからと、その言葉。そして未来視をサイドエフェクトを組織に組み込んでくれた。これが、本当の血縁関係を知っていたとしたら…迅として同じ結果であったか。わからない。
「今更、父親ぶるつもりはない、そんな資格もない。だから…おまえが、何を視ていても私の行く末は変わらない」
「わかってるって」
城戸には真の目的がある。
それを、未来視で知っている迅はフェアから外れていると理解している。でも、その明日に向かってボーダーが進んでいくというなら、それがこの世界に為になる一部だとしたら、迅もまたその渦に巻き込まれて、暗躍を続けていくだろう、ずっと。それで良いと迅自身も思っているから。





「迅、いるか!?」
玄関先の方から慌しく小走りする足音が聞こえる。リビングからは少し離れているので、声がかかるまで迅はその恋人の帰宅に気が付くことはなかったわけだが。
「いるよー てか、嵐山。大学はもういいの?」
珍しく声を荒げた様子に驚きながらも、まずそれが一番。嵐山は朝の早い時間に足早に出かけたわけだが、今の時刻はまだ昼前である。確か予定では戻りは午後のはずだ。少々、早すぎる時間帯。だから元々出かける時間に食い違いがあると思っていたので、二人は鉢合う予定ではなかった。
「確認したいことがあって、早めに切り上げてきた。っ、あ…城戸さん」
そちらへと一瞥目を見やってから明らかに嵐山は、一瞬動作を止めた。城戸がいるとは思っていなかったのだろう。確率的にはそれは当然で。でも、実際に居るのだから…必然ともなりうる。
「随分と騒々しいな」
「ちょうど良かったです。城戸さんにこそ、一番に聞きたかった」
「えっ、おれじゃなくて?」
僅かに不穏な空気が立ち込めて、そしてああ…その未来が。言葉と共に確定する。嵐山が言葉に出すより前に、その悪い内容が迅の脳内に到来し、同時に軽い眩暈も到来するのだから。結局は、現実にそれを聞いて実感するまでのタイムラグは殆どなかったとはいえ、受け入れるしかない。
「大学で同じ移住区に住む隊員から、緊急の回覧の話を聞きました。移住区の一部を取り壊して、新たに改修することが決定した…と」
「…それに、この部屋も入ってるってことだよね」
「そうだ。移住区全部じゃないが、上のフロアだけを重点的に工事するらしい。施工予定表を見せてもらったよ」
嵐山が取り出して軽く広げたのは、回覧でフロアをよく回っている張り紙だった。確かに曖昧にしている部分もあったが、今居るこのフロアこそが一番に該当している。通常のフロアでは、エントランスの一部にもなっている場所と各階のエレベーターフロアに回覧物が張り出されるのだが、ここは外からすると303号室という架空の部屋番号扱いになっているから、わざわざその表記がない。だから、実際住んでいる嵐山も迅も知らなかったのだ、そんなこと。だけど、もちろんそんなこと城戸には。
「城戸さんは、いつから…この事を知ってたんですか?」
それが一番知りたかったことのようで、嵐山は重く語りかけた。
「前々から、ここまで広い部屋は私には不要だと思っていたからな。おまえたちが来たこともあって、改修を進めるようにしたまでだ」
こちらが慌てているというのに、淡々と城戸は表情一つ変えずに、その事実だけをこちらに伝える。つまり、だ。要約すれば。
「おれたちは、邪魔だから出ていけってこと?」
感情を抑えつつもそれでも、やや低い声で迅はその問いかけが咳を切らしたかのように突いて出た。城戸とて回りくどく言うつもりではないのだろうが、そうとしか受け止められなかった。
「そういうことにもなるな」
「待って下さい!それじゃあ、最初の話と違うじゃないですか。家族なのに…」
「嵐山。きみは、最初に私に言ったな。自分はまだ未成年だから、仮に家族としても扶養される立場にある…と。だが、その期限もあと数日に差し迫っている事、理解してないわけでもあるまい」
「それは…」
そう…だった。確かにその名目があった。迅は二十歳を越えていたが、嵐山ももう直ぐ誕生日を迎える。それこそ子どもではなくなる、その歳へ。親の庇護下からは離れるべきと突き放すかのようにと、そろそろ潮時を。
「っ、迅!こんな時に、どこに行くんだ?」
「出かけてくる。時間迫ってるし」
それが今、迅のやるべきことで、嫌なことは考えたくない。それも、何のため?誰のための暗躍なのか、少しわからなくもあったけど。それでも、今ここに長居出来る程の気持ちの余裕はなかったから。
「城戸さんと話し合わないのか?」
「無理だって。おれたちが何を言っても、城戸さんは変わらない。さっき本人もそう言ってたよ。
なるべく早く切り上げて、帰ったらここの引越しの手伝いするから。嵐山もほどほどにね」
最初から答えは決まっている。この結末という確定事項を。それを、嵐山というより城戸相手に切り捨てるように伝えると、さっさと部屋を出て行った。
呆気なく均衡は崩れて、平穏は簡単に過ぎ去る。それも、元から脆ければなおさらだ。
そう…迅は、うまくいっているとどこか勘違いしたのかもしれない。





「迅に、何も言ってやらないんですか?」
不条理にも見える取り残された二人。もはや嵐山さえも無理を感じたのかもしれない。
結局城戸は、何もしなかったのだ。本心でなくとも、迅が欲しい言葉をかけてやることさえしなかった。ただ、黙って居るだけ。それは自然に寄り添うことだと、それでいいと思っていたのかもしれないけど。状況の改善には至らなかった無念と共に。
「私に、今更何を望んでいる… 私は私の考えを変わるつもりはない。そして、迅もそうだろう?」
平行線を語るのがこれほどまでに相応しい人間は城戸以上にいないのかもしれない。だけど。
「それでも…俺は城戸さんのこと、信じていますから」
ぐっと噛み締めるかのように嵐山は自らの拳を握り絞めて、固く言った。
「何を根拠に?」
自信満々というわけではなかったとは思うが、変わらない嵐山に城戸にも思う事があったのだろう。少しの問いかけが成される。
「だって、あなたは俺の好きな迅の父親だから…」
紛れもなく揺ぎ無いこと。それだけは変わらない。

嵐山准は、家族を信じている。信じ続けている――― 










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それからはあっという間だった。元から、嵐山も迅も生活の拠点全てをあの部屋に移したというわけではなかったから。身の回りの私物は、何度か本来の家である嵐山の実家。そして玉狛支部へと往復すれば、呆気ないもので。それでも少しずつ私物を運んでいたからこそ、こんなに色々勝手に持ち込んでたっけと、迅はそんな感傷に浸る余裕がなかったけども。慌ただしく作業をしていれば、深く考える時間などないと思って。
また、元通りだ。いや、これが当たり前の光景。偶発的にもキッカケを作ったのは迅だったとはいえ、嵐山があの部屋に住むと提案した。第三者的立場から家族を見て貰ったからこそ実現した、夢幻だったのだ。迅もそれを了承したのは気まぐれ以外の気持ちも含まれていたと今となって、思う。
別に何も変わらない。ボーダーでの立場も、迅と嵐山とは前々から恋人関係だったし。周囲にも移住区で大規模な改修工事があることは知れ渡っているので、二人はルームシェアを引き上げたとだけなっている。何の違和感もない。ボーダーでの毎日も通常通り。だから、本当にそう…一つ。一つだけなのだ。あの城戸との元からアンバランスな関係だけが本格的に崩れた。それこそが、迅がずっと持ちえていなかったモノ。

「おい、迅。いつまでも、ぐだぐだするな」
「ボス。ノックくらいはしてよー」
他人から見ても情けない様子だったのだろうか。確かに、迅は玉狛支部の自室のベッドの上でゴロゴロしていました。それは間違いない。
こうやって少しでも物事を考える時間を与えられると、勝手にやさぐれて、子供だな。そこが一番、自分自身に驚いたところでもある。
実はうっかりあのときのスーツを着たまま、あのネクタイと腕時計を本来の持ち主に返しそびれてしまったのだった。本人は返さなくていいと言っていたものの、物別れした相手のこうやって自室に持ち帰ることになり今はクローゼットの衣装ケースの片隅に鎮座していて、なかなかの存在感だ。だから、溜め息を勝手に一つ。
林藤の問いかけに、ようやく迅は顔をあげる。またこちらの様子を見に来てくれたのだろうか。
「スマン、スマン。ここ最近は空室だったからな、ここ」
「空室じゃないって。きちんと、ぼんち揚のダンボールは山積みでしたー」
現状、ベッドの先の四隅に積あがっている馴染みの箱へ視線を送りつつも主張する。ストック置場という役割から、また舞い戻る形となった。
「おまえ…部屋に余裕があるからって、買い込みすぎだろ。前、扉開けたらぶつかったぞ」
「そうなんだよねー なんか部屋が狭く感じて。じゃあまた、外で暮らしてみるかな」
城戸の部屋が広すぎた反動か。玉狛支部だって部屋があまりまくっているとはいえ、環境の方向性があまりにも違いすぎるので冗談混じりにも、ぶつくさ一つ入れる。
「改修工事の件は直ぐに教えてやれなくて、悪かったな」
「いいって。支部長に、本部の改修に関する権限なんてないでしょ」
そもそも管轄が違うし、口を挟むことでもない。迅だって自分が仮初めでも住んでなければ、へぇー程度で興味薄く済ませていただろう。だから見逃していた節もある。
嵐山経由で、忍田あたりはきちんとそのあたりを配慮したという話は聞いている。だが、城戸はボーダーに必要なことに私情を挟むつもりはないらしく、そのまま押し切られてしまったという。GOサインはあっけなく、もろく。
「おれだって話くらい聞いてたさ。ボーダーも設立から五年近く経つ。移住区に住まう隊員も、当初との想定からそろそろ齟齬が生まれて来たからな」
だいたい本部基地はトリオンで形成がなされている部分もあるので、通常の工事よりはある程度自由自在に成すことが出来る。だから、その工事も遅すぎた感さえあったのかもしれない。最初は人数少なかったから余裕もあったようだが、処変わる。
「確かに。外の区画整理。随分、進んだよね」
それは三門市の再建がなされたということで喜ばしい一端でもあった。移住区に住まう人だって、出たり入ったりと色々だ。
「おれたちが、司令は本部で一番良い部屋に住まないと貫禄が〜とか言って、無理やり住んで貰っていたわけだから。城戸さんがあの部屋を不便がるのも当然な部分もある。おまえたちをただ、不当に追い出したかっただけじゃないと、おれは思うぞ」
最高司令の部屋だからって無駄に広い、こんなに必要はない、応接使ってないし、見得すぎる。実際それを、迅たちも見た。今思い返せば、合理的なはずの城戸が住まうには最初から違和感だらけだったのだ。
「わかってる。ただ、わりと突然すぎて…まだ飲み込めてないだけ」
改修工事は瞬く間に始まった。あのワンフロアを独身寮なりファミリー向けに改修すれば、そりゃあまあたくさんの部屋が割り当てられるだろう。城戸がそっちを望むことくらい、迅だって理解はしている。それでもどこかぽっかりと抜けたかの胸の感じをどこか埋めたくもあったのだ。でも取り戻すことは出来ない。もうあの部屋はとうに解体されてしまったのだから、二度と。普通の生活をするのに物凄く住み心地が良い部屋だったわけではないと思う。それでも、数ヶ月の思い出。それはあまりにも…隣に嵐山がいたせいか余計に深く。
玉狛支部はもちろん好きだ。迅が一番に守る場所で、それはどこにいても決して変わらない。でも、昔とは違う。一人また一人と隊員が増え仲間が増え友達が増え、そして嵐山という恋人が出来て、迅は贅沢になったのだ。全部が欲しくなった。その端っこに、忘れかけていた父親の存在が引っかかって、でも駄目で。だから、せめて…
「あ、そういえば。嵐山が来てるぞ」
「は?」
「だから、おまえを呼びに来たんだ。忘れてた」
だははと悪びれもなく林藤は笑う。
「早く言ってよ!」
慌ててベッドから飛び降りて、笑う林藤の横を通り去る。きっと沈んでいる迅を励ますために話を進めてくれたのだろう。この暗い顔のままで嵐山の前に立てば、彼は心配するだろうから。わざと、それはありがたいけど。
小走りでリビングを過ぎ去ると、迅おそーい准が待ってるわよーと言う小南の声が入ってくる。待たせてしまったと思い、玄関先へと急いだ。



そうして眼前にて最初に把握したのは、白の大群。
「嵐山、どうしたの。それ…?」
これで白のスーツでも着ていたら、結婚式のプロポーズかと思ったが、さすがに格好はいつも通り。ただ、嵐山の両手には大きな花束が存在していた。どちらかというとカラフルというわけではなく、白を基調として色とりどりがバランスよくある。
「今日は、迅のお母さんの命日だろ?一緒にお参りに行こうと思って」
「覚えててくれたんだ…」
「もちろん」
数ヶ月前の月命日に、初めて嵐山をあの墓へと案内した。その時、流れで母親の命日を聞かれたのでさらりと伝えただけだった。もう、何度目かの母親の命日。迅はもちろんいつも通り一人で行くつもりだったが、こんな早い時間のつもりではなかったから、少しの不意打ちでもあった。今回の件で、歩みが遅かったというのもある。
「ありがとう。母さんもきっと喜んでくれると思う」





嵐山という好青年だからこそ許されていることかもしれないが、寺へ歩く道中。大ぶりな花束を持っていても、絵になるからこそだ。迅も、墓の細々した道具を持ち出して隣に並んで歩くこととなる。
通いなれた寺への道の足取りは、嵐山と一緒だと驚くほど軽やかだった。それは以前にあまりにも一人で通いすぎた反動だろうか。時間は、記憶をそして思い出を風化させる。人間はそのように出来ている。いつまでも過去に囚われないようにと。だから、最初の墓参りより迅の足取りは重くないとわかっていても、やっぱり思うことはある。その未来さえ視えていたからこそ余計に。それでも自分の母親はそんな迅の姿を死してもずっと見たいと望んではいないだろうから、せめて明るくと振る舞う努力をしていた昔。
毎月、来ているのに夏という季節柄か、雑草を抜くことから始まる。小山の傾斜にあるせいか太陽と雨の恵みを存分に受け持つので、草花の育成も周りから比べたら随分と早い気がする。そうして軽く掃除をして供え物をして、最後に嵐山の持ってきた花束を中心に置く。そして、どこまでも深く拝む。遺影も仏壇も持ってはいるけど、やっぱりここが一番母親に近い場所だと、そう思いたくあったから。そんなことは残された人間の勝手かもしれないけど。
これに、何の意味があるのか。結局は自己満足じゃないかと思った事もあるけど。思いなんて天へと届かなくても、すがる場所がここしかなかったから。
失ったからこそ思い出すこともある。母親を亡くして迅は懐かしい過去を視たいのに、この能力は反面ばかりで許してくれない。
「迅の…お母さんって、どんな人だったんだ?」
「おれを育てた母親だからね。普通って言ってもいいのか、わかんないけど…」
迅は本当に初めてくらい、母親の話を嵐山にした。今まで、母親を知る人間なんていなかったから、そう…亡くなった人間の話をするのは聞く人間には辛かろうと。
そもそもボーダーでも明確にその事実を伝えている人間は、今の本部が出来た一期生だって知らない人がいるくらいで。迅は、全部が秘密主義というわけではなかったが、ボーダーではネイバーに身内を殺されている人間があまりにも多く、自分ばかりがなんて思う事許されるものでもないと感じてもいた。
母親との思い出といっても、他愛のないことばかりだった。いくら迅が未来視なんて能力を持って大人びていたとしても、身体はどこまでも子どもだから。有体に母親というものは優しくて温かくて、無条件に自分を愛してくれた。子ども頃の母親という存在は絶対的で、自分を守護する者で、どこまでも眩しく見えた。きっと今見たら違うものも見えるから、多大に美化している部分もあるだろう。
それでも、迅を取り巻く母親という存在がいなかったら、自分は今こうして存在している感がない。それほど影響がたくさんあった。きっと、迅は普通の子どもより遙かに難しい子どもだったに違いない。それでもひねくれずに何とか無事に成人することが出来た最大の貢献人。
そうして母を失った後に出会った、新たな大切な人。それが嵐山で、その存在はどんどんと大きくなっていって、どこまでそれが膨らむのかわからないくらい。もう、迅は一人でいることは出来なくなってしまった。母親を亡くしてから諦めてた気持ちが、また訪れて。どこまでも…
嵐山を好きになって良かった。そして彼も自分を好きだと言ってくれているのだから、これ以上の幸せはないだろう。これが、家族でもある―――
そうして…拝む為に深くつぶっていた瞳を開いて、嵐山の顔を見た。
「そろそろ、行こうか。ちょっと行かなきゃ行けないトコもあるみたいだし」
ふっと遠くを見やるかのように、視界に浮かんだ情景を口にする。ようやくふわりと本心からの笑みを浮かべることが出来たかもしれない。
「何か、視えたのか?」
「出戻って来ちゃったけど、またおれ外で暮らすみたいだから」
玉狛支部ではない場所での生活が待っていると、迅は告げる。
「それは…前みたいに?」
嵐山の明るい顔。でも伺うような少しの期待も含まれていたのかもしれない。あの特別な部屋での生活のことを言っているのだろうけど。
「ごめん。それは違うみたい…でも、隣には嵐山が居たからね。一人暮らしってわけじゃなさそうだ」
「そうか。いや、また迅と一緒に暮らせること、凄く嬉しいよ」
それだけは本当だろう。ただ、嵐山はそれ以上のものを、また思い残すことあるのかもしれないけど。
「じゃあ、とりあえず不動産屋巡りでもする?嵐山も、いいトコ見かけたら、じゃんじゃん教えてよ」
意気込んで明るく言った。
さっき迅が視た新生活は、まだよくわからないビジョンだった。とにかく嵐山が近すぎるのは良い事だからいいけど。迅は全てを未来視に頼るわけではない。結末が決まっている物をなぞるだけということのつまらなさ、よくわかっているから。全部が視えない幸せもそれなりにある。それを嵐山と一緒に進めるなら、何よりだった。
「警戒区域ギリギリでボーダーが借り上げてる格安物件なら、総務に問い合わせれば見つかるんじゃないか?本部にも近いし、任務にも直ぐ行けるから隊員には好立地と評判みたいだぞ」
「そこって、他の隊員も住んでるアパートだったりするよね?出来たら嵐山と静かに暮らしたいなー」
いや、別に他の隊員との団欒も楽しいけど。それは家じゃなくて本部とかでも出来るし。
前のような生活とはまた違うのだろうか。今はわからないけれども。未来は明るくあって欲しいと、迅はいつも思う。そういう未来がいいんだ、きっと。
普段通りの歓談は和やかに。いつもはどこか引っ張られるように感じる墓の前に、嵐山がもたらしてくれた明るさが訪れた。

今更いくら願っても。
迅には未来を変える力はあっても、過去を変える…それこそ母親を取り戻す力はない。だから、どこまでも未来に生きなくてはならない。本当はずっとこうあるべきだったんだ。あの母なら、きっと元気である息子の姿を望んでいるのだろうから。





季節は盆前。通常の墓参りは少し前すぎるからこそ、ここには本当なら誰もいるはずがない。それでも必然と呼ぶべきが如く、二人の後ろから一つの足音が淀みなくやってきた。
「…城戸さん」
振り向いた先。最初にその名を呼んだのは嵐山の方だった。気が付いたのは未来視のおかげで迅の方が先だったとはいえ、一瞬息が詰まって声が出なかったのだ。
「どうして、ここに?」
「命日…だからな」
自然と墓前から少し二人が離れると、白い…今度こそ白すぎる花束を持った城戸は淀みなくそこへと向かい、そっと手向けた。
元々この墓は別に迅だけが訪れているわけではない、先祖代々の場所だ。普段は、寺の住職が管理をしているし母方の親戚も他の墓参りと一緒に線香をあげているのは知っている。だから毎度の月命日で墓前が綺麗になっていても、そう違和感を覚えたことはなかった。だが、それ以外の人間…そうこの人も来ているとなぜか視ていなくても肌で感じ取っていた。
城戸とはあの部屋を出て以来、仕事で必要のある時は会話をすることもあったが、あくまで会議室で皆がいる前とか、結局はその程度。嵐山がいるとはいえ、こんな…個人的な場所で再会するのは初めてだった。
あの城戸が、母親に線香をあげている姿を直視して。迅は嬉しいのか悲しいのかよくかわらなかった。両親が離婚したこと、それはあまりにも小さかったから理由も知らないし実感もわからない。そういうのは当人同士の問題だからと割り切って、別に気にしたことは一度もなかった。それに同年代で片親なんて別に珍しいものでもなかったから、余計に。
だから、本当に父親が城戸じゃなかったら何も迅の心を揺さぶることなんて何一つなかったんだ。今更子どものふりも出来ず、組織でも対等なわけもなく振る舞いを求められているかのようで。そうして迅だけが知っている親の七光りは、逆に降り注いだ。
「邪魔をしたな」
一連の動作が終わり、中腰から立ち上がった城戸がわずかに声を出した。それは短くもあり、とても長い時間にも感じた。涼しい顔の連続をここでも変えずに。
「もう、行ってしまうんですか?」
「あまり長居をするような場所でもなかろう」
嵐山の問いかけに対する返しも簡素で、きっといつもこうなんだろう。たまたま、他にも誰かがいた、その程度の。
「でも、ここには今。迅が…あなたの息子がいるんです。せっかく家族が揃ったのに」
一筋縄でいくような相手ではないとわかっていても、嵐山は必死でそれを訴えた。
そう、今奇妙な形で家族が集合したことになるのだ。それこそ初めて。母は、今この光景を視ているのだろうか。
「…嵐山。きみは、これ以上何を望む?また、家族だから一緒に暮らしたいとでも言うつもりかね。改修工事がなくとも、あの不自然な状況が永遠と続くと思っていたわけでもあるまい」
そう…あれはたまたまのキッカケにすぎなかった。それが早いか遅いか、結局は城戸の手の内に委ねられていただけだ。嵐山や迅が介入する余地なんて、たとえ未来を知っていたとしてもそうたくさんあるものではなかった。それを城戸が望むのならばと、迅も本気は出さなかっただろう。むしろ嵐山はよく助力をした方だ。あの場で、嵐山という均衡がなければ仮初めでもあんな関係は成り立たなかったろうだから。
「それは… でも、今ここにいる城戸さんはボーダーの最高司令ではなく、ただの一個人として居る。だから、この前のような家族の別れ方…あれだけはどうにかしたくて」
今となってすべてのしわ寄せが来た形だった。嵐山は、家族は無条件に信じたく思っている。迅が嵐山を一番羨ましいと思う部分がそれかもしれない。
迅は、自分の境遇全てを不幸だとそうは思わない。どちらかと言えば恵まれていない方なのかもしれないが、そんなの三門市ではありふれているし下を見ればキリがないほどで。そんなの他人の未来をのぞき見ればいくらでも見せつけられてきた。
だからこそ、嵐山のように家族が円満だからこそそれも単純な幸せでもないことを知っている。家族がいつまでも幸せであろうと、彼は努力をきちんとして今をあり続けているのだ。それは守るべきものを本当の意味で知っているから。
だから、迅も踏み出さなければいけない。それは自分の為、強いてはこの場にいる嵐山の為にもなると思って。
「ありがとう、嵐山。おれ、城戸さんとここで遭遇するって前々から知ってたんだ。だから、隣に嵐山がいてくれて本当に良かった」
よりにも寄って、今日かと迅は最初は内心でつぶやいたのだ。いつか…いつかこの墓前で城戸と鉢合う日。迅には前々から視えていた。しかし確実にそれがいつかまでは漠然としていて、そもそも月命日にと決めて墓参りに行くのはそれがいつだかわからなくする為だったのかもしれない。会いたいわけでもなくて、でもいつかはと知っていた。
未来視は勝手に迅に到来する。それが、望む未来でも望まぬ未来でも…だ。だから、迅はまた未来を選ぶ――― 自らの手でつかみ取る為に。

「城戸さんに、前々から聞きたかったことがあるんだ。それだけは教えてもらえるかな」
「…わかった。言ってみなさい」
まるで母の墓前に誓うかのような問答が始まる。
「どうして、おれを組織に入れるの許可したの?自分の息子だって最初から知っていたんだよね」
それでもあえてあの対応だった。城戸はずっと何も言わなかった。もし、自分の手元に置きたいとしても、ボーダーはとても安全な場所ではない。
「それは。幼い、おまえがサイドエフェクトを持っていると気が付いたのは私だったからな。組織に、有用な人間を入れるのは当然のことだ」
あえて一定の線を引いて、城戸はただ事実だけを述べた。
「っ、城戸さん!そんな言い方…」
嵐山の方がよほど瞠目して声をあげた。
それでは、確かに迅は隊員として優秀だろう。それは使える物は息子でも何でも使うから、別に関係ないということにも聞こえて。迅からすればそういう答えが言われるって、わかってて聞いてるから。でもどこか確信にもしたくあった。城戸の返事はどこまでも強固だ。
「事実、そうなった。別に迅だけじゃない。嵐山、君も組織に必要な人間と判断してボーダーに入ってもらった。迅だけを特別扱いすることは、今までもそしてこれからも、ない」
揺るぎない、どこまでも。城戸の信念は最初から最後までそれだった。全てはボーダーの為に、と。城戸の考えに従えないものは容赦なく排除されてきた。それを口に出さずとも誰もが知っている。
「城戸さんは、ボーダーが一番大切なんですか?家族よりも…」
「私は、ボーダーの最高責任者だ。守るべき対象の三門市民、そして職員と隊員を一番に考えなくてはいけないと思っている」
言葉の延長はどこまでも続く。城戸の信念は最初からソレで。何を今更。
「城戸さんは、さ。もしおれがこの墓に入ったとしても、今みたいに墓参りをしてくれる?」
「迅!なんてことを言うんだ!まさか視えたわけじゃないだろうな?」
「たとえ話だよ」
凄い剣幕で声をあげられたので、なだめるように言う。未来は絶対でもないけど、迅が口にすること全てが意味を持つと嵐山は考えているだろうから、真剣にもなる。
「…私が、おまえの墓参りをするような事にはならない。それは、隊員をむざむざと殺させるような司令にはならないからだ。それが責任を取るということだ。
だからもし、そんなことになったら私はおまえの墓の前に立つ資格なんてない。
ボーダーの最高司令として有り続けること、それが私にとって家族を守ることだと、そう思っている」
「っ、城戸さんは、迅を信じているんですね。それこそ、家族だから…」
嵐山が深くつぶやく。
そう…だった。城戸は最初から最後まで、広い視野であった。迅をボーダーに入れればある意味悠然と守ることが出来るのだ。特別な贔屓をしない、出来ないことが一番迅の安全を守れて。それが城戸なりの最大の接し方。形…
迅だってうまく立ち回れていた感覚はないからこそ、こうなったのだろう。
何かの確信は、危険なネイバーとの戦いで命を落とすことなどないということをだ。この、絶対の信頼の置き方は。まるで…自分の息子だからこそだと言われているような感覚を受けた。どこか期待されているのだと、迅は初めて知った。そうして、それがとても照れくさくも感じた。周囲からのいつもの期待とも違う。それは、城戸だから父親だからこそ感じる物。
そもそも知り得た瞬間から、迅はこの人との関係を諦めていた。はじめからいなかった相手だし、迷惑だろうと。父親に対する甘え方も知らないから、親としてみようとも考えなかった。そういうやり方ではない。家族だからと言って、近くに居ることが全てではない城戸なりのやり方。なんて回りくどいんだとも思う。でも、今の迅にはとても染み渡るように感じたのだ。それぞれの家族の在り方があっていい。
「おれはやっぱり、城戸さんを親とは呼べない。城戸さんは、おれにとって最初からずっと城戸さんなんだ」
それが迅の出した納得の言った答え…だった。
やっとわかった。おれは、城戸さんに子どもとしてみられたかったわけじゃない。認めて欲しかったんだ…
城戸正宗という人間はボーダー最高司令という土台から成り立つ。それがあったからこそ、迅も付いてきた。そして、これからも。迅の行きつく先はここなのだから。
「もう、子どもではないというなら…私と並ぶ立場。いや、超える立場となれるように、努力しなさい」
今よりもさらにと、言葉を重ねられた。
未来なんて視えないはずなのに、城戸は必ず実現すると決めている未来をどこまでも見据えて言うのだ。より高みを目指して。
「城戸さんを無事にボーダーから隠居させるのが、ゴールとか。難題だな」
どこか…追いかけ続けるのではなく、追いつけないことを諦めていた。息子ではなく贔屓目のない迅自身をどこまでも。その道がどれだけ困難だか、未来の見える迅にはか細くとも感じたけども。
「迅。何も、一人で頑張ることはないぞ。俺もついてるからな」
横から頼りがいのありすぎる恋人の声が響く。表舞台からの援護が一番。まだまだどこか敵わないと感じるならば、そう二人で双方から攻めればいいのだ。
「ありがとう。嵐山と一緒なら、難しいことじゃないように思えてきた。覚悟しててね。城戸さん」
挑戦状をたたきつけるかのように。二人は、並んで告げた。
この日、迅には目標が出来た。子どもの頃にはなかった明確に生きる目的が、だ。それが何よりも嬉しくて。それも嵐山と並んで進むべき道が出来たのだ。今はまだ、全てを見通せるわけではないけどよりよい道へと繋がるように新たな道が開かれた。自分たちは切り開くだろう。
より、進んでいかなければいけないのは、若い迅たちの方なのだから。
「期待している」
このときばかりは、城戸も少しだけ口元の表情筋を動かしたかのように見えた。受け入れてくれたのだ―――



また、この場では別れることになる。城戸の足取りが、本部へと帰るために離れる。

今は離れていても、一緒に暮らさずともどこにいても家族なことに違いはない、そんな確信。
迅には未来が視えるから、すぐ明日には、隊長会議があるからまた三人で顔をあわせると知っている。それでいい。
――― 晴れ晴れとした風が到来する。それが眼前の母親がもたらした清々しさだと錯覚したい程に、どこまでも。新たな決意をするのは、母の墓前であることに今はただ感謝した。










after

それでも結局のところ、まだ城戸の手の上にいたと苦笑したのは…いつの間にか、迅と嵐山の二人の新しい住まいが本部の移住区に決定していたことだった。

城戸は依然よりは随分と落ち着いた部屋を宛がられて、また一人暮らしに戻る。忙しいのは相変わらずで、たまにしか戻っていない。
改修工事が終了して、前に住んでいた人間が優先的に住まうことになり、二人がその人選に入ったのであれよあれよと話が進んでしまった。こればっかりは完璧に画策された。本来嵐山と迅が二人で住まう部屋が、城戸の隣なのは城戸の意図よりも忍田と林藤の介入がありまくりなことはありありとわかった。誰も司令の隣の部屋に立候補しなかったとか、なんとか。でも、もはや誰も文句は言わなかった。迅と嵐山は幹部候補生を目指すということになってしまったので、そこに住めるで、なかなかにこじつけだ。やはり大人は一枚上手だ。
またあの部屋と似ている銀の鍵を渡される。嵐山が破顔したことは言うまでもないから、いっかとは思ったけど。
嵐山と住まう新しい部屋は確かに形式上、世帯は城戸とは別だけど、なぜか当然のように互いの部屋のスペアキーが置いてあったので、嵐山はまた積極的に換気の為にと掃除している。機会があればと、すかさず三人での食事の機会を狙っている。城戸からも雨が降れば洗濯物をしまうようにと、隣から電話がかかってくる。そんな日常が、また悪くないと迅も思ってしまう。

「嵐山。隣との壁をぶち抜こうとかしないでね…」
リビングで三人分の食材の買い物の話をしている最中、さすがに迅は言う。よく行くのに、わざわざ行きするのが少し面倒とか、先に迅の方が思ってしまったからこその予防線だ。
「それもいいかもな」
冗談とわかりつつも、わりと嵐山は前向きだからこればっかりはどこまでが本心だが不明だ。
「そうだけど。おれは、嵐山と存分にイチャイチャしたいのー」
プライベートは確保したかった。今回はきちんと周囲の人間も招待出来る、二人きりのルームシェア。さすがに隣が司令の部屋だとは伝えてないけど。
「それは俺も同意だな。そういえば、今日城戸さんがこっちに来てくれるんだろ?」
そういう話になっている。だから見計らって、ちょっと二人で待っているようにと差し向けた。
もはや城戸が来るというのに、お茶菓子がぼんち揚のみ。食べてくれる、そんなの未来だけではなく目撃できるのは嵐山と迅だけだろう。
「うん。部屋の引っ越しの時に母さんの古いアルバムが出てきたっていうから、見せてくれるんだって」
「俺も混ぜてもらっていいのか?」
「もちろん。嵐山にも母さんの事、知って欲しいし」
「城戸さんは、どんな話をしてくれるんだろうな。迅の子ども頃の話もあるかな…」
「それは、どうか…な。あっ!」
思わず到来したそれに、ちょっと頭を抱える。可能性を示唆されると、迅の思考も変化するので同時に未来がカメラのように切り替わるのだ。
「どうした」
「いやーなんだろうね。ちょっと予想外の未来を視たというか…」
「確定した?えーと、内容は後のおたのしみにした方がいいか?」
「いや、先に知っといて。その方がまだ精神的に楽だから。
なんかさー おれの名付け親って城戸さんらしいんだ。意外でしょ?」
「そうなのか。良かったじゃないか!」
話の流れで訪れるソレ。悠一と名付けたのは私だという未来が、こりゃあもうバッチリと。
背筋がちょっとピリッと来た。それは最初に、城戸が父親だという未来を見たときの衝撃にちょっと似ていて。でも、複雑な感情具合が当時とは全然違う。名前というものは、親からの初めての贈り物と言われるからこそ余計に感じるものもあった。
「いい…のかな?名付けたわりに結局、城戸さんが面と向かって呼ぶことないだろうし。そもそも普段は下の名前って誰も呼んでないから、なんかこそばゆいんだよね」
別に自分の名前が嫌いなわけではないし、文字列としてフルネームはよく書く。それにしても今更ながらに知ってしまった事実だから、二十歳を越えているからこそ想う感情が色々と沸き立つ。
それに、なんか名字の方がさくっと呼ばれやすくて、みんなもそれで楽だから…うん。
「じゃあ、俺が呼ぶよ。悠一って、毎日でも」
嵐山の方が余程喜んでいるようで、キラキラと告げられる。城戸が付けたのなら、と誇らしく胸を張るかのように。
なんだろう…嵐山に名前を呼ばれると、世界で一番素敵な名前に思える。不思議だ。
「え、あ。うん…でも、ちょっと真っ昼間から素で呼ばれると気恥ずかしいな。しばらくは、ベッドの中だけにしてくれる?」
「悠一が、望むなら…」
そうして…いつものように、軽いキスが訪れるから流される。



酩酊しかける頭の中でこのままベッド行きが確定しそうではあったが、程なくすると部屋のインターフォンが鳴る。
嵐山は、城戸へ律儀にチャイムを鳴らさなくてもいいと言っていたが、こういうときにはやはり必要なのだと、二人は笑った。










七 光 り エ リ ー ト