attention!
嵐迅で、ボーダー本部地下で自主軟禁している迅さんの話。高校生ぐらいの時系列ですが、もはやパラレルなので捏造しかない。








1,Side 嵐山

「君は…嵐山隊員で間違いないね?ちょっと時間いいかな」
「あ、はい」
数ヶ月前に、ボーダーに入隊したばかりの嵐山にはまだそれほど見知っている人がこの本部にいるというわけではなかったが、突然後ろから声がかかった。そして、その相手はよく見かける同年代の防衛隊員というわけではなかった。そうだ。この人は確か嵐山が、ボーダーに入隊試験をした際の面接試験の時に居た人だということを思い出したのだ。
「そこに座ってくれ」
本部内の普段はあまり赴かない区域の後について行けば、小さな会議室の一室に通された。個別面談が出来る程度という、そのいかにも的な長テーブルとシンプルな椅子しかない部屋で着席を促されたので、素直に座った。
話があるから自分に着いて来てくれと言われて、まだ新米と言っても過言ではない嵐山に拒否する権利はない。ただ、目の前の相手の名前さえ知らないのはどうかと思ったが、それを必要とされてはいないからいいと思った。ボーダーの幹部スーツに身を包み、どれだけの地位かは知らないが肩の腕章から偉い人という認識しか持てなかったが、役付には違いないだろう。実際、幹部と言ってもボーダー最高司令の名前と顔くらいしかまだ認識していないのだが。
「実は君に、やってもらいたいことがあってね」
「俺に…ですか?」
その言葉から、軽い驚きは大きな驚きとなった。呼びつけるということはそれなりに用事があるということだろうが、そんなに重要な用件だとは思わなかったのだ。そもそも嵐山は先日、ようやくB級にあがったばかりだった。同じ日に入隊した同期の中ではそれは早いほうだという程度の認識はあったが、目立ってそう飛び抜けてではなかった筈だ。戦闘成績は確かに良かったが、どちらかというと訓練を黙々とこなして上がったという印象が強いに違いない。
「本格的な話をする前に、誓約書にサインを願えるかな。これから説明すること全て機密事項だからね。君が了承してくれればそのまま良し。してくれなければ、申し訳ないけどこの記憶を処理して何もなかったことにするから」
一枚の紙を差し出しつつも、さらりと凄い事を言われた。ボーダーに所属していると一般人の感覚ではないらしく、記憶をどうにかするとかわりと当たり前の事なのだろう。噂程度で目にしていなかった事項が自分の目の前に突きつけられるとは、さすがに嵐山も思わなかったわけだが。
「わかりました」
ボーダーに入隊した以上、こういうことも起こると予期してはいたから、わずかな動揺を外に漏らさず了承の言葉を出す。これを書かないと先に進めないというならば、そもそも辞退するという選択肢はないのだから。
「結構」
それは相手にとって満足の行く返事だったらしく、促されたので、嵐山は添えられたペンを取ってさらさらと自分の名前を書く。
「では、説明に入る。まず、そうだな。B級に上がると防衛任務に付くのは知っているね?」
本題を切り込むより先に、相手は改めての確認事項から入った。
「ええ。ローテーションで何度かですが、回ってきました」
まだそれも片手ほどで実感が薄くはあったが、事実なので述べる。
「それ以外に、君にやってもらいたいことがあるんだ。もちろん通常の防衛任務もやってもらうが、少しローテーションシフトを緩めることになる。君に過度な負担がかかることはない」
これはあくまでも任務の一貫か何からしく、大前提を最初に並べられた。
「ご配慮ありがとうございます。それで、俺は何をすればいいんでしょうか?」
肝心なことがなかなか語られないので、少し歩みだすように尋ねる。
「そうだな…まず君は、A級隊員に知り合いはいるかね?」
次には、予想外の質問が投げかけられた。A級隊員はボーダーの防衛隊員からすればほんの一握りの人口でしかない精鋭中の精鋭だ。彼らは基本チームで行動するので、単純に知り合いを作るのも大変と言われている。
「玉狛支部に従兄妹の小南隊員がいますので、その関係で何人かは」
まだまだ本部に見知ったA級隊員というものはいなかったが、とりあえず目の前にある事実だけを嵐山は伝えた。
「その認識で結構。今回君に頼みたいのは、S級隊員の相手だ」
「俺が…ですか?」
思わぬことに嵐山は拍子抜けするような声を出す。S級隊員。そういう雲の上の存在が居るというという認識がある程度で、嵐山は詳しくは知らなかった。もちろん行き会ったこともないし、ただB級に上がったばかりの隊員には与えられる情報が少なすぎた。
「相手をすると言っても、別に戦えというわけではない。そのあたりは本人に聞けばいいが、主に話し相手が欲しいそうだ」
S級隊員の話し相手…なんだか漠然と聞いても贅沢と感じる文面だった。どうもピンとこないというのも当然だったが。
「あの…いくつか質問いいですか?」
単純に、はいと頷くとかそういう以前の内容だったので、差し出がましいとは思ったが軽く挙手をするように言葉を出す。
「全ては答えられないが、差し支えない程度には回答しよう」
「ありがとうございます。あの…まず、俺以外にも他に同じように声をかけられた隊員はいるんでしょうか」
きょろきょろと何度見渡してもここには嵐山しかいない。こんなパッと見、重要そうな内容を自分一人だけと思うのは当然のことだった。
「いや、相手をするのは君だけだ。君が断ったら、他に誰かという話にも多分ならない」
「じゃあ…どうして俺なんですか?」
それはここに至るまで何度も思ったことだった。ボーダーには優秀な隊員がゴロゴロいるはずだ。何もB級上がりたててチームもまだ組んでいないような嵐山に声がかかった理由が、さっぱりわからなかったのだ。
「そうだね…まず、君の従兄妹に玉狛支部の小南隊員がいるだろ?彼女の親戚ということで身元がしっかりしていること。それと現時点でB級に問題なくあがれる実力があること。面接時の君の態度様子、入隊試験の成績そのあたりは私たちが加味をしたことだが、それ以上に強い要望があった。君を話し相手に指名してきたんだ。その彼が」
どうやらいくつかの条件が当てはまったらしいが、指名されているとは驚いた。
「そのS級隊員は男性なんですか?」
彼という口振りに引っかかって、質問を重ねる。
「ああ、迅悠一という名前だ。他にも男性のS級隊員はいるのが、彼の相手をすればいい」
迅悠一…全く聞き覚えのない名前だった。実は知り合いでだからこそ嵐山を指名したのかと思ったが、今まで迅という苗字の人間でさえ関わったことがなかった。
「それで、どうかね。引き受けてくれる気になったかね?」
だいたいの概要は説明したらしく、最終的な声を出された。それとて嵐山がすべてを納得するにはまだほど遠い程度の情報ではあったが、どこまでも秘密主義のボーダーがこれだけ教えてくれて、それも単純な命令ではないというならば、嵐山の選ぶ道は一つだった。
「わかりました。俺に出来ることがあるのなら、是非やらせてもらいます」
まだまだわからないことはあったが、ここで足踏みをしていても仕方ないと思ったので、はっきり告げた。
「結構。まあそう気難しい相手というわけではないから、緊張することはない。彼は、君と同い年だしね。
早速だが、もう少し時間はあるかね?」
「大丈夫です」
「ちょっと向こうに連絡してから、早速顔を合わせに行こう」
「はい」



そうしてどこかに内線電話をかけたあと、促されるように会議室を出た嵐山は本部通路をひたすら進んだ。今まで立ち入ったことなどまるでないいくつかのエリアを通ると、軽く数十分はかかった。同じ基地内だというのに、随分とメインである区画からは遠い。
「ここは地下ですか?」
「詳しくは言えないが、まあそんなものだ。ここへ至るまでのいくつか認証確認があったのはわかったと思う。今回は私の認証で通ったが、君のトリガーで開くように審査をかけておくから、次からは一人で来るといい」
首からかけたカードが自動認証して扉は勝手に開いていたようだが、別途パネル式もあったから嵐山はそれをトリガー認証すれば開くということだろうか。結局エレベーターでいくつか下に降りたことはわかるが、明確な階層表示はなかったから、どれくらい潜ったのかはっきりしなかった。そうして、もちろんのようにここに至るまで誰とも出会わなかった。最終的に辿り着いたのは、誰もいないのにとても広い空間だった。もちろんスナイパーの訓練室ほどなわけではないが、壁で区切られただけで何も有機物がないのに広いだけというのは不気味に感じた。
「ここはS級隊員のエリアでね。ああ、そっちはもう一人の隊員の部屋に行く通路だ。たまにすれ違うかもしれないから、覚えておいてくれ。彼の方が迅隊員より多少気難しいかもしれないからな。迅隊員の部屋はこっちだ」
促された先には、ちらりとみたことがある隊を組んでいる部隊が持っている作戦室の扉と似たような形状の部屋が一つぽつんと存在していた。どうやらインターフォンのようなもので中といくばくか会話をすると、シャッとスライド式の扉がよどみなく開いた。
「話は通してあるから、君一人で行くといい」
「はい」
それだけ言うと嵐山が部屋の中に入る前に、元来た道を帰ってしまった。これで嵐山は本当に一人きりとなってしまったわけだが、仕方ない。意を決して、失礼しますと声を一つ出してから、そろりと開いたままの扉の先に入る。思ったとおり、中も簡素で無機質な部屋だった。ボーダー特有の書類の棚とかパソコンなのどの通信機器はあったが、人間味をまるで感じない様子で。
「あ、やっと入ってきた」
そんなありきたりな感想を抱いている中で、ひょいっと奥のフロアからその顔と姿が出てきた。
「はじめまして、嵐山。おれが迅だよ」
はにかんだ人見知りしなさそうな顔で、迅は自己紹介をしてから右手で握手を求めて来た。少し明るめの茶色の髪。確かに嵐山と同年代と思われる相手だった。それこそ学校でもボーダーでも見かけるそれなりの。
「嵐山です。はじめまして、迅…さん?」
少し拍子抜けしながらも、嵐山も名を名乗って握手を握り返した。なんだろう…S級隊員というから、何だかもっと違う相手を勝手に想像していたのだが、迅はパと見普通だった。外見で人を判断するものではないとはわかっているが、そう何かしら警戒心を持たせるような印象は受けなかったのだ。とてもこちらに好意的な笑みさえ見せている。
「迅でいいよ。タメなんだし。さ、とりあえず座って」
人懐っこくそう言った迅は、入り口手前にあったシックな黒い応接ソファに軽く手をやって示した。
「ありがとう、迅」
促されて座りながらも、その名前を呼ぶ。別に敬語が苦手というわけではないが、楽な口調で話せるに越したことはないから、最初にそう言われて良かった。
「嵐山は、コーヒー派?それとも紅茶派?おれのオススメは緑茶。なんて言っても、お茶請けがぼんち揚だからね」
そう言いながら、どこから取り出したのか迅はぼんち揚げのパックを丸ごと一つドーンと応接机の上に置いた。何だかそのミスマッチな様子に、嵐山は軽く笑ってしまった。どこか緊張していたというのに、良い意味で気が抜けたのだ。
「じゃあ、緑茶で」
「オッケー。ちょっと待ってて、緑茶のペットボトル持ってくるから」
バタバタと小走りしながらも、迅は奥の部屋へと向かった。けっこう軽快な印象だった。同い年というだけあって、何ら嵐山が普段接するクラスメイトやボーダーで知り合った友人たちと変わりはないじゃないか…と。話し相手をして欲しいということだから、多分迅も嵐山にそれを求めているのだと感じた。だからS級隊員だからというわけじゃなくて自然体に振舞おうと思った。
ほどなくしてトレイにペットボトルと、追加のぼんち揚げが山盛りにされて出されることになった。
「突然ごめんな。見知らぬ奴の話し相手とか言われても困っただろ?でも、嵐山が引き受けてくれて助かったよ。まあ、正直に言えば、おれは小南とも知り合いだから、もし良かったら後で聞いてみて。多分、驚くよ」
お茶とお茶請けという準備の舞台も揃ったところで、迅は軽く本題を切り出した。
「そうか。後で桐絵に聞いてみるよ。それで、迅に何を話せばいいんだ?俺はボーダーに有益そうな特別役立つ知識なんて持っている記憶はないんだが」
確かに嵐山は学校では成績優秀ということで通っているが、それは所詮学生レベルでずば抜けたというものではない。正直、学校の勉強よりボーダーからもたらされる近世界の技術や戦術の方がよほど魅力的に見えた。そもそも嵐山は得意なものがない。逆にいうと苦手なものもないということで、専門的にあれこれ調べたりと特化しているわけではなかった。
「難しいこと考えなくていいよ。そうだなあ…おれの世間話の相手というか。あ、もちろんそれだけで嵐山の貴重な時間を潰したりしないよ。おれ、実力派エリートだから文字通り能力は折紙付だし、下手な防衛任務するより嵐山に有益な訓練つけることも出来ると思う。それもあとでやろうね」
迅の言葉には確固たる自信と実力が見え隠れしていた。自分の事を茶化していってはいるが、S級隊員でもあるし本当に強いのだろうとも思った。
「迅もガンナーなのか?」
ふと考えてから、自らのポディションに重ね合わせて嵐山は尋ねる。
「残念ながら、おれはアタッカー専門。でもスコーピオン開発したのおれだし、嵐山は将来オールラウンダーになるんだから、いつか役に立つよ」
さらりと凄いことを言われた気がする。スコーピオンを開発したって…そういうのは開発部の仕事じゃないんだろうか。S級隊員ってそういうものなのだろうか。わからない。
「そう…なのか?」
おぼろげのように尋ねる。なんだろう…迅の言葉には言葉以上の説得力があるように感じたのだ。
「うん。だって、おれのサイドエフェクトがそう言ってるから」
サイドエフェクト…何度が小耳に挟んだ事がある単語が飛び出た。そういう人間がいると噂では聞いたことある程度のレベルだ。サイドエフェクトの概要くらいは見知っているが、所持している人間が広く告示されているというわけではない。知れば他人に不利益を及ぼすような能力もあると聞いているから、本人も安易に他人に教えるわけではないというのも現実だろう。残念ながら未だ嵐山はサイドエフェクトを持っている人間に出会ったことがなかったわけだが、迅は持っているという。さすがというか、やはりS級隊員は何もかも違うんだなと思った。
「迅が、どういうサイドエフェクトを持ってるか、聞いてもいいか?」
話の流れ的に尋ねても大丈夫そうだと思い、伺いつつも嵐山は尋ねた。やはりどういう能力か嵐山も気になったのだ。
「うん。おれは予知能力のサイドエフェクト。未来を視る力を持ってるんだ」
さらりと、とんでもない事を言ったぞ、目の前の人間が。サイドエフェクトの系統は知っていたが、まさかそんなに凄いとは思わなくて目が丸くなる。
「本当に………?あ、いや。悪い。迅が嘘を付くような人間だとかそう思ったわけじゃないんだ」
疑うべきものではないとはわかっていたが、そう簡単に受け入れるのもなかなか難しいもので、反射的に尋ねる。サイドエフェクトは常人とは違うそれこれ未知の能力の総称みたいなものだとは知っていたが、そこまで凄い能力が存在しているとは、まるで想像していなかったのだ。
「わかってるって。みんなそういう反応するから、平気。慣れてる」
軽く笑いながら、迅は嵐山の反応を受け入れている。まあ、そう簡単に信じられないだろうけどという気持ちもあるのだろう。
「やっぱり、そんな凄い能力を持ってるからここにいるのか?」
ここはあまりに異質だった。いくら希少なS級隊員のエリアだとはいえ、A級隊員は普通に外で生活しているのに、迅はここで全ての生活を賄っているように見えたのだ。そんなことが普通であるはずがない。
「そんなもんかな。別にボーダーに監禁されているわけじゃないけど、自主的にここにいるって感じかな。ああ、でももちろんみんなみたいに防衛任務もしてるよ。だけど、おれ警戒区域内から出られないんだよね。だから少し外の世界とか、あと他の隊員の話とか知りたいんだ」
それが話し相手としての内容ということか。ようやく合致が言った気がした。
「わかった。俺の出来る範囲で、迅に協力しよう」
すべての釈然としない事項がとりあえず円となったので、嵐山は進む言葉を出した。それに知りたいことはこれからいくらでも聞いて良いような雰囲気だったから。
「じゃあ、まずアドレス交換しよ。おれはここに住んでるから大抵はいるけど、任務で警戒区域に出たりたまには上に呼ばれたりすることもあるから、来る時は連絡してくれれば待ってる。嵐山の都合のつくときでいいから」
ポケットから携帯電話を取り出して、迅は示してくれた。
「ああ、よろしく頼む」
嵐山も携帯電話を取り出して、二人はアドレスを交換しあった。
それからいくつかの他愛のない話をして、さっくりとした顔合わせは済んだ。

それが…嵐山にとっては、初めて迅と出会った時となったのだった。









2,Side 迅

「…本当に嵐山だったな」
昨日ここに来た人間の名前を、当たり前のように迅は呟いた。
迅にとっては不思議なことでもなんでもないのだが、嵐山と物理的に初めて出会った時、それはある意味初めてというわけではなかった。迅には未来視という能力があるからこそ、未来と現実の区別はつくにせよ、初めてだとかそういうことはあまり思わなかったのだ。そう…夢にまでみた嵐山が迅のところに来てくれたんだ。この日を指折りで待っていた。それがいつかは未来視で大体わかっていたけど、やはり嬉しく感じた。勝手に美化してたかなと思っていたけど、嵐山はどこまでも優しいかった。最初は他人なのだから多少の警戒心から心を許してくれていないかもしれないと不安だったが、やはり嵐山は迅が思うその人だったのだ。未来との相違がなくて本当によかった。未来で視た彼と何もかも変わっていない。出会う前から好きな人なんて馬鹿馬鹿しいかもしれないが、ずっと待っていたのだから、募りきってしまったのだから、もうそれが当たり前にしか思えなかったのだ。
「大丈夫だったかな…」
嵐山自身に何も問題ないとわかったところで、次に襲い掛かるのは自分のことだった。第一印象はどうだろう。うまくやれただろうか。初対面だったが、嫌な奴だという印象はもたれなかっただろうか。迅の未来視とてそこまで細かいところまで読み取れないし、そもそも嵐山が嫌な顔を外に出すタイプではないから、本心まではわかるわけもない。
嬉しさに勝手に心臓がバクバクするし、久しぶりに緊張も随分した。一応、気難しくとらわれないように気軽に振る舞ってみたつもりだったが、ついべたべたと慣れ慣れしくしてしまったかもしれない。嵐山がS級隊員にどういうイメージ持っていたかしらないけど、親しみやすいように振舞ったつもりだった。幻滅されてないかなとちょっと不安は残る。見知ったその未来では二人は仲良し…だったと思う。たが今はまだわからない。なんだかいっぱいしゃべったなくらいしか内容も思い出せない程度で、まだ頭が知恵熱出たように熱い気がする。まだ昨日のことだというのに。
大丈夫だ。迅と会っても嵐山の未来は変わらなかった。とにかくそれだけが嬉しくて………



二人の二度目の邂逅は、わりと早くやってきた。迅は嵐山の負担にならないように、会うのは週に一度程度でいいと言ったが、何か気をつかってもらって早めに向こうから連絡をもらったのだ。ちょうど迅も別段の用があるわけではなかったので、今来ても大丈夫だと返信をした。
「迅、いないのか?」
約束した時間ぴったりに、入り口に近いフロアから通る成算とした声が響いてきた。嵐山は律儀だからもしかしたら早めに来て、少し外で待っていたのかもしれない。
「あ、ごめん。奥に居て」
迅は慌てて小走りをかけると、再びひょいっと顔を出す形となる。傍から見れば二度目の出会い。だけどやっぱり嵐山が嵐山で良かったなとか思ってしまう。そんな表情を顔に出さないようにしないとと、少し向き直る。
「そっちにもいくつか部屋があるのか?」
ボーダー本部基地はトリオンで出来ており自由自在。しかもこのS級エリアは無駄に広い空間も存在しているのだから、迅に宛がわれている場所が嵐山の視界の範囲だけではない筈と思ったのだろう。確かに迅も自分の与えられた場所くらいは行き来するので自由にしているが、他がどれだけフロアがかれているのかあまり見当がつかなかったので自然な質問だっただろう。
「うん。こっちは、私室。ていっても、俺が寝たりご飯食べたりするだけだけど、あと水回り関係。ここは仕事部屋?的な」
少し首を傾げながらも、おぼろげに言った。何となく公私混同が微妙に掴めないので、迅自身もそれほど明確に分けてはいない。迅はここに住んでいるのだから、移住区的なものと言ってもわりとごっちゃだ。他人が尋ねてくるこちらの仕事部屋は無駄なものをおかないようにはしているか、そもそも迅はぼんち揚以外にこれといった明確な私物は持っていない。
「ということは、ここは作戦室みたいなものか?」
思い当たりそうな節に見当をつけて、尋ねられた。迅もそうだが、そもそも社会に出ていない高校生にとって、仕事をするという概念がまだ曖昧だったのだろう。
「まあ、おれは隊とか組んでないけどね」
S級隊員は単独で行動するとボーダーの規定にあるし、そもそも今のA級だとかB級だとか隊の体制がきちんと出来る前から迅はここにいるので、あまりわからない。昔は人数も少なかったから、グループ分けをして作戦行動をしたものだが、今は随分と合理的になったものだ。実力の余るS級隊員を隊という枠に当てはめるのは勿体無いということはわかるが、自分やもう一人のS級隊員はともかくとしてもサイドエフェクトも持ってない普通の隊員がS級になったとしたらそれは隊での行動するのが前提で育ってきた隊員だろうし、もう少し改善してもいいんじゃないかなとも思う。
「じゃあ、防衛任務もやっぱり一人でこなしているのか?」
まだまだそんなに嵐山も防衛任務に携わった回数が多いというわけではないから、気になったのだろう。B級隊員でもまだ隊を組んでいない人間はまとめてという形になるから、また隊を組んでとは感じは違うのかもしれない。迅もそちらは未体験なのでざっくばらんとしかわからないが。S級隊員というか迅が担当するエリアもチーム組んでないB級とは範囲違うし。今のボーダーはきちんとチームで動くが前提だから、ピンと来ないのかもしれない。
「通常の防衛任務は特に問題ないからなあ」
迅には予知があるので、自分が担当するエリアで特に問題を起こしたことはなかった。今更任務に心配さえされたことがなかったので、嵐山の反応がとても新鮮に思えた。
「急に声をかけたんだが、迅は今日防衛任務はあるのか?」
「おれは割りと深夜の任務が多いから、嵐山がここに来れるくらいの時間は逆に居ることが多いよ。この時間は中学生とか高校生が入るからローテーションも楽だし」
形式的には、ボーダーはまだ比較的出来たばかりの新しい組織だ。嵐山は大規模侵攻後の最初の隊員募集に志願してきたからそれでも早い方だが、トリオン能力という未来性を含めて相対的に若い隊員が揃っている。
「深夜…の防衛任務はまだ当たったことないな。昼間と何か違うか?」
「うーん。そうだな。ネイバーは人間よりは夜目が利くというか、そもそもだいたい人間を攫ったりするのが目的だからトリオンに向かってやってくるようにプログラムされてるから、向こうはあんまり昼も夜も関係ない。俺たちは視界が悪くなるのは仕方ないね。トリオン体でいくらか視覚支援は出来るけど」
やっぱりどちらかと言えば、昼間の防衛任務の方が容易と言っても過言ではないかなと思った。
「警戒区域内にいくつか外灯が設置されいるが、やっぱり暗い印象を受けるか?」
「そうだね。おかげで星空は綺麗だけど、元々住宅街の道路設備を引き継いでいる関係だから外灯を無数に設置するのも限界あるし」
そう言われると、電気が通っている部分があるだけ有り難いと思うべきなのかなとも感じる。
「ネイバーとの戦闘で、外灯は壊されることもあるしな」
嵐山も思うことがあるようで、言葉にだした。
「あー、あれはネイバーが壊すってことはあんまないかな。基本ネイバーは人間狙ってるし。うちの隊員が誘導の為にメテオラでぶっ壊すとかが大体。まあそれも必要だから仕方ない部分あるけど」
迅もまあ気をつけているが、とくにメテオラとかアイビスは元々そういう武器なのだから当然だと思っている。アタッカーだからこそ小回りが利いて加減が出来るようにしているのだか。そういう派手な戦い方をするタイプとて、ネイバーに対する陽動として非常に効果的なのだ。ベイルアウトがあるとはいえ、一応命をかけて戦っているのだからある程度は仕方ないと思っている。
「そうか。俺はそれほど住宅街に近づかないようにしているが、やっぱり力加減が難しいな。気をつけるようにするよ」
自分ももっと頑張ると頷くような声を出された。嵐山の使うアサルトライフルの射程の長さでは完全な小回りは難しいだろうが、きっとうまくやるに違いない。
「そういえば、昨日の今日でもう嵐山が来てくれるだなんて思ってなかったよ。何かあった?」
嬉しさを少し隠しつつも、なるべく気軽な調子で尋ねる。来てくれるのはとても喜ばしいことだが、嵐山は几帳面だから日を置くタイプそうなので逆に気になったのだ。
「ああ。さっき玉狛支部に寄って、桐絵に会ってきたんだ」
そうして、ここに来た目的を告げてくれた。さすがマメで行動力がある。迅が推奨したとおり、直ぐに小南とも連絡をとったのだなと。
「おっ、小南か」
早速出た名前に、喜びが増す。迅にとって小南は数少ない年下の可愛い先輩みたいなものである。まあ小南は誰に対してもああだが。だから相手が誰だろうがまるで態度が変わらないので、裏表がなくていい。
「迅とのことを話したら、とても驚かれたよ」
わずかに笑いながらも、包み隠さず言われる。小南は元々オーバーリアクションな気質があるから、改めて説明を受けなくとも何となくその様子が頭に浮かぶくらいだった。
「うん、まあ最近あんまり会ってないからね」
別に避けているというわけではないが、互いに忙しい身なので時間の調整がつかず、このところたまたま会っていなかった。仲が良いというか、もう互いに見知りすぎている仲という感じだから、わざわざ直接会わなくとも意志疎通はとれているつもりである。それを向こうは否定するかもしれないが。
「迅は元気にしてるって言ったら、喜んでた」
嵐山はそういう表現をするが、恐らく素直にというわけではないだろう。小南はそういうタイプだ。もちろん気にしてはくれているだろうが、迅よりは従兄妹の嵐山の方が素直にそう受け止められるということもあるだろう。
「そりゃ、幸いだ。うーん、小南も本部所属ならもう少し会えるんだけどなぁ。支部全般は警戒区域外にあるから会いにいけないし、厳しい。でもそっちの都合がつくなら是非来てって言っておいて」
一瞬難しい顔をしたが、仕方ない。結局は迅の方が融通利かないから駄目なのだと、少しの反省をもって声に出す。
「わかった。伝えるよ」
迅としては軽く言ったつもりだったが、嵐山はきちんと堅く頷いて見せた。
「小南は…うん、すごく元気みたいだね。嵐山の未来を視るとよくわかるよ。一先ず安心かな」
迅は軽くサイドエフェクトを発動して、納得の声を出した。本当は小南直接本人が一番だが、嵐山は小南にとってかなり近い人間なので、その未来にいくつか垣間見ることが出来る。こうやって詳細まで言わなくても伝わるということだけは、未来視というものはとても便利だなとは思うけど。
「二人は、長い付き合いなんだって?」
どうやら小南から垣間聞いたらしいエピソードを反芻される。確かに漠然と質問されれば、悪く言えば腐れ縁、よく言えば古馴染といったところだろうか。
「うん。小南は、おれより前からボーダーにいるから相当古株の重鎮だよ。あの若さで凄いというか。
他の玉狛のメンバーは元気?林藤さんとかレイジさんとか」
思わず懐かしそうな表情を隠しきれず、何人かの名前をあげる。
「残念ながら林藤さんには会えなかったけど、レイジさんは相変わらずしっかりしている」
嵐山の目から見ても、さすが木崎はそう写るらしい。あの人の未来も揺るがないだろう。元々迅程度でそう左右されるような人間ではない。
「そうだよね。レイジさんは誰よりも安定してるから、あまり心配はしてないけど。あ、ボスはわりと本部にも来るからたまに会うし、大丈夫」
ひらひらと手を左右に振って示唆した。下手すれば一番頻繁にここに顔を出すのが林藤かもしれないなと思う。あれこれと忙しいだろうに。林藤からすれば本部に来たついでだというけど、ついでにしてはその頻度は高いし、そもそもここは上層部エリアから対極に位置すると言っても過言ではない地下にある。一応本部の人間ではない林藤には制限もかかっているし、目をかけてもらっていてありがたいとは思うけど。
「迅は、知り合いが多いんだな」
「いや、古株しかわかんない。ここに入ってからは、新しい知り合いなんて出来るはずもないし。嵐山が始めてだよ」
迅のボーダーでの人間関係は、ここへ来る前に一度ピタリと止まっている。それが良いことなのか悪いことなのかは微妙だが。
「昔はそうじゃなかったのか?」
「うん。ボーダー本部が出来る前はもちろん、みんなと普通にしてた。おれがここに居るのは、今の本部が出来てから」
つい、昔の迅は自由にしていたという口ぶりになってしまった。ボーダーが大規模侵攻後、瞬く間に本部基地を建設したことは嵐山とて知っているだろうし、まあいいかなと。
「…ずっとここに一人で住んで居るのか?」
それだけは少し寂しそうな音で尋ねられた。
「うん。まあ…プライベートがないみたいに思えるけど、元々おれ趣味暗躍のつもりだし、あとはぼんち揚があればいいかなぁと。はたからみるよりは自由にしてるよ。これでも好きなことやってるつもり」
それこそ迅には未来視があるからこそ普通の人よりは多彩なものが視えるから、まだマシかもしれないと感じる。自由に出来た時は、暗躍もいろいろなところにいけたから良かったけど、今は趣味と言えないかもしれないとは思う。
「でも、ここから基本出られないんじゃ、限界があるだろ」
なぜか嵐山の方が悔しそうな表情をしていた。他人の痛みを自分の痛みとして何でも気負うと大変になってまうというのに、だからこそ迅はなるべく軽く返事することにした。
「だから嵐山の力を借りたいってこと。最近は、外の世界を自分の目で見たことはないんだけど、街の再建とかどんな感じ?」
ちょっとひょいっと身を乗り出すくらいのテンションで尋ねる。迅が己の視界に写した最後の三門市はこの本部が出来たちょっと前だから、随分と変わっているだろうなとは思っている。他人の未来視でそれを漠然と背景として視ることはあるが、やはり受ける印象は実際にそこに赴いた人間が語ること一番だと思うのだ。
「そうだな…元々東三門に住んでいた人が移って住宅街が新しく出来た。大学や駅も移動して新しくなったし。あんなに早く出来上がるとは思ってなかったら驚いたよ」
着実に街は新しく生まれ変わっていることを嵐山は前向きに語ってくれた。それが全て良いことではないとは思うところもあるのだろうが、大規模侵攻されたままの状態で放置するわけにもいかないし、それはこの警戒区域で物寂しさは十分だ。新しい物には未来があるのだから、それを成し遂げるのは人間。
「ボーダーには敏腕の営業部長がいるからね。かなり三門市の再建に融通利かせたと思うよ」
ボーダーは今後、三門市を拠点として連携していかなければいけない。傷跡残る地元感情に配慮しながらも、地元の復興も優先として進めてきた。
「本部基地も瞬く間に出来たしな。ボーダーには優秀な人が多いんだな」
ボーダー本部には大分、近未来的技術が取り入れられているとはいえ、端から見れば驚異的に感じるのだろう。それを確立したのは確かに、エンジニアをはじめとする技術畑の人々だった。
「司令の人材引き抜き能力もすごいけど、特に技術部はネイバーからの未開の超技術っていうのに惹かれた人も多いんじゃないかな」
ネイバーフットからもたらされたとはいえ、ボーダーとてトリオンの力全てを把握出来るわけではなかった。別にそこまでブラックボックスがあるってわけでもなかったが、まだまだ未知の要因がいくつも発見されて、それを活用しようと彼らは躍起になっているのだから。
「そうだな。隊員の中にもそういう声はあるな」
軽くうなずいて嵐山も同調する言葉を出した。B級隊員が一番現場の声を聞きやすいという面もあるのだろう。特にチームを組んでいないとそこまで固定概念に縛られないので、色々な話を聞く機会もあるに違いない。
「その興味本位だけで続けられれば立派なんだけどなぁ。実際、戦闘する隊員にはトリオン量とかセンスとか必要だし難しいな」
トリオンの関係で防衛隊員は必然的に学生が多い。彼らの本業は学業で、ボーダーでの責務が一番になりうるわけでもないから、ただ入隊出来ればそれで一人前というわけでもない。時間的制約などもあるなかで、わりとボーダーは高いラインを示してくる。
「やっぱり明確な目標がないと、強くなれないだろうか?」
少し思うところもあったようで、嵐山の質問が一つ飛んだ。
「え?」
「いや、おれは確かにボーダーに入りたいとは思って実際入ったんだが、大規模侵攻を目にして自分にも誰かを守れる力があるなら使いたい。家族や市民を守りたいくらいの気持ちしかないんだ。それじゃあダメだろうか」
「いや、十分でしょ。嵐山みたいな考え方の人の方がボーダー少ないよ。ネイバーに復讐したいだとか拳銃を撃ってみたいとか特別な力を手に入れて目立ちたいとか、わりとみんなそんなもんだよ」
そういう志望動機が後に切り替わることもあるので、一概に駄目だと迅は思うつもりはなかった。それにまだまだボーダーは人材不足と言っても過言ではない部分もあるので、とりあえず今は規定に達していれば来るもの拒まずという状況でもあるから、色々な人材がやってくるの仕方ないと思っている。
「そうなのか?」
嵐山はあまり邪なことを考えたことがなかったらしく、素直な疑問として聞き返される。こういうところが嵐山の美徳だなあと感じる。
「別におれは目的がなんであれいいと思うけど、実力が伴えば」
迅とて隊員の真意全てを知り得ているわけでもない。ボーダーは彼らを利用していることは間違いのない事実だから、隊員側がボーダーを都合の良いように感じるように行動するのは当然だと思っている。ただ、トリガーの力を犯罪にだけは悪用させないように防護策は色々画策しているわけだが。
「そうだな。強くならないと、市民を守る力を手に入れるために」
より確信を得たらしく、嵐山はぐっと少し拳を握ったかののように見えた。
「えーと、じゃあおれと模擬戦やんない?嵐山の実力を知りたいし」
ちょうどいい案配だと思って、声をかけてみる。元々いつかやろうと思っていたことだったから。
「おれと迅で…か?俺はB級にあがったばかりだぞ?」
自分の立場をわかっての謙遜な声だった。前に訓練の相手するって言った事、もしかして本当だとあまり思わなかったのだろうか。
「知ってる。ていうか、嵐山の模擬戦のログも見たよ」
軽く横の仕事用パソコンを示す。嵐山は着実に訓練のポイントを溜めてという堅実の方がどちらかというと加味に多かったわけだが、人柄的に友人が多いせいか野良申請以外の模擬戦闘もそれなりにこなしているようだった。
「そうなのか。なんだか気恥ずかしいな」
「いや、特に見られて恥ずかしがる事はしてないんじゃない?うっかりミスとかもしてないし。さすがにまだトリガーでの戦闘経験に慣れてないぁとは思ったけど、通過儀礼でしょ」
もしかしたらどこかで贔屓目をかけてしまったかもしれないが、概ね迅が嵐山の戦闘を見たざっくばらんな印象はそれだった。それにC級と違ってB級は上位と下位の落差が結構激しいから、最初は伸び悩むのは仕方ないとも思う。
「いや…だが、迅がわざわざ戦うならもっと強い隊員がいいんじゃないか?」
別に渋ってるわけではないだろうが、どこか遠慮をする声が響く。
「あ、それ無理。S級って無闇に他の隊員と戦っちゃいけないんだよね」
ちょいと顔の前で左右に手を振って、NGを伝える。
「どうしてだ?」
「まあ司令が定めたから本意はわかんないけど、ざっくり言えば黒トリガーが秘密だからかなあ」
他にもいろいろあるだろうけど、推測の域を出ないので、表面上だけを説明する。
「なら、おれも迅と戦うのはダメじゃないのか?」
「嵐山は特別にいいって許可もらってる。わざわざここに来てもらってるんだもん。それくらいの役得はないと。まあ、おれが使うのはノーマルトリガーだけって制約はあるけど」
「ノーマルトリガーでも迅は十分に強い…んだろ?」
殆ど確信に近いだろう質問が投げられた。だから。
「もちろん」
ちょっとニヤリと笑って、これからの実力を示した。



「完敗だ」
S級エリアに特別にもうけられた模擬訓練ブースから出てきた嵐山は、正直に言い放った。とりあえず最初だからと軽く十戦ほど二人は戦ったが、単純に示された結果としては迅の全勝で軽く終わったのだった。
「筋は十分にいいと思うよ。おれがシールド張らないと気がついたら、球数増やす攻撃に切り替えたとか、いい作戦」
今回の戦いは嵐山の実力を見てみるというものだったから、単純な戦闘相手というよりは、様子見という兼ね合いが強かったのでアドバイスを入れる。
「それでも少ししか当たらなかったけどな。結局、迅はスコーピオンしか使わなかったじゃないか」
軽くなぎ払われた感があるのか。嵐山の方こそ前情報なしで迅と対峙したわけだし、こちらへ対する観察眼はかなり鋭く思えた。
「いや、別にハンデつけたわけじゃなくて、おれは未来視があるから変にシールド張るよりは回避行動に移りやすいんだよね。黒トリガーにシールドみたいな機能がついてないこともあって、そっちの癖がついてるっていうのもあるし」
相手によって戦闘スタイルを変えたりもするが、今回嵐山相手には自然体で挑んだつもりだったので、やっぱり迅が動きやすいように振る舞ったんじゃないかなと思った。
「普段はあまりノーマルトリガーを使わないのか?」
「いや、そんなことないよ。遠征部隊とかの訓練はノーマルトリガーで相手してるし。あんまり見せびらかすようなもんじゃないから、防衛任務も大抵こっちだし」
迅とてあまり普段の防衛任務でも黒トリガーをわざわざ機動させないので、必要以上はそれでいいと思っている。
「うまく使い分けてるんだな」
「黒トリガーが必要な機会がないってことが一番だと思うよ」
そもそも黒トリガーの成り立ち自体が、胸が良いことではないのだ。巨大な力があることは決して良いことではない。ボーダーは、迅は、それを正しく使おうとしているが、それは自分たちから見た正義の上である。力を使うということは必ず何かしらの相手がいることだ。自分にとっての正義が相手にとっての正義に成り得ないことの方が多いだろう。それでも自分の為ではなく、何かを守る為という言い訳を後ろ髪にして毅然とたち振る舞わなければいけない。それはとても難しい舵取りだった。結局、迅とてこの黒トリガーに執着するのは、自分の近し人の形見だからなのだ。
「そうだな。いつか、抑止力になるといいな」
納得の言葉と共に嵐山もどこか頷いた。その未来はまだまだ難しい。迅も嵐山もこれから先、相当戦い続けなくてはいけないのだから。
「しっかし、久しぶりに誰かと戦うのは楽しいなー。相手してくれてありがとう」
対人戦だといろいろ周囲からの制限かかっているから、完全な自由はきかない。わりと好き勝手やってもいいはずのネイバー相手だとプログラムによる動きが単調すぎて、頭を働かす必要がないことも多いのだ。この人間味懐かしい感じもしたし、何より思いっきり戦うのは気持ちが良かった。生身の身体は収納されているというのに、どこかじんわりと汗をかいたような気さえした。
「いや、おれの方こそ…迅の強さは底が知れない気がしたよ。相手してもらえるなんて光栄だ」
相変わらずの真面目な声が訪れる。嵐山がしゃべると皮肉に聞こえないっていうのが、毎回すごいなと思う。
「おれの戦闘ログは一般隊員に解放されてないし、おれだけ嵐山のこと知ってるっていうのはフェアじゃないなと思って。これで同じ位置に立ったってこと。これから嵐山が強くなるのを見るの楽しみだー」
そうだ。それを間近で見知ることが出来るのだという喜びに、伸びを一ついれたくなった。
「迅の期待に添えるかわからないぞ?」
先ほど連続して負けたせいか、当人は実感ないらしくそんな質問が飛んでくる。
「平気だって。元々、ガンナーって堅実なタイプだし、練習続ければうまくなるよ。嵐山は今だって素質あって強いし、実際そうなるから大丈夫」
「ありがとう。油断せずに頑張るよ」
新たな気持ちを示すように嵐山は前向きに頷いて見せた。
嵐山はコツコツタイプでもある正統派だから、努力は確実に実るのだろう。

それに、その未来を迅は既に知っているのだから。









3,Side 嵐山

毎度のことながら、今日も嵐山は何度目かの、迅の部屋へと入室を果たす。
スライド式の扉は認証でよどみなく開いたが、最初のフロアにいつもある迅の姿がなかったので試しに声をかけてみる。すると。
「っと、すまない。シャワーを浴びてたのか?」
ぺたぺたと裸足で歩きながら奥のフロアからやって来た迅は、いつもよりは幾分かラフなたたずまいで嵐山を出迎えてくれた。その髪の毛先はぺたりと濡れている様子で、いかにもという装いだった。
「あ、ごめん。こんな格好で。思ったより、防衛任務で汗かいたから、嵐山が来る前にさっと浴びようとしたんだけど」
髪を半分乾かしている途中だったらしく、首からかけた厚地のタオルを頭に回して、少しわしゃわしゃと水気を飛ばそうとしている。
「俺は急ぎじゃないから、ここで待ってるよ。ドライヤー使って来たらどうだ?」
タオルだけでは限界を感じるほど、まだ迅の髪の毛は少ししっとりとしているように思えたので提案する。
「うーん。でもそれだと時間かかるし、嵐山一人を待たせちゃうの嫌だなぁ」
折角来てもらったのにという顔をして、迅は悩む様子を見せた。
「そうだな。じゃあ、迅が嫌じゃなかったら、俺が乾かそうか?今でも弟にドライヤーするのは慣れてるし、何より同じ髪型だから、それなりにうまく出来ると思う」
嵐山としては、そこまで奇抜な提案をしたつもりはなかった。しゃれっ気の出てきた妹はともかく、小学生な弟は何かとわざわざドライヤーで乾かすのを面倒くさがったりしているので、兄として声をかけて面倒を見ている機会も多かったから。
「えっ、あ…うん。そう…だよね。人にやってもらったほうが早く乾くし………あの、お願いします」
謎の敬語が出てきた迅は少し恐縮するようにしながらも、こちらに頼んできた。急に肩を縮めるのはどうしてだろうか。
「あ、ああ。任せてくれ」
なぜ迅がそんなにきょどるのか意味はわからなかったが、嫌がっているわけではないような気もしたので、だが若干の責任感も背負って不安を煽らないようにと少しの強めの言葉を出した。

洗面所から小型のドライヤーを持ってきた迅が、こちらに手渡してくれる。いつも二人が往来する椅子の近くにおあつらえ向きにコンセントがあったので、セットするのだ。コードが届く先まで迅が椅子を移動させて座るので、立ったままの嵐山はその後ろに行く。熱かったら言ってくれと忠告をしてから、とりあえずドライヤーの風量を小さくして電源を入れる。さすがに最初は、湿気を含んだ髪がゆらゆらと纏まって風に揺れる。先ほど同じ髪型とはいったが、毛質まで二人は一緒なわけではない。よく考えると嵐山と弟は同じ毛質なわけで、だから慣れているという部分もあるのだろう。まるで他人の髪にドライヤーを当てた記憶などないから、これはなかなか難行かもしれないと感じる。それでも嵐山が来る前に少しドライヤーを使っていたせいか、風量をあげてほどなくすれば良い感じに毛先は乾いてきた気がする。ふわふわと揺らめく迅の髪は茶色なせいか、嵐山の髪より少し柔らかく感じた。嵐山の指の間を透き通る迅の髪の感覚が少しくすぐったいような来さえして、はっとする。最後に冷風を送って全体をクールダウンさせたら完成だ。ドライヤーによって乱れた髪に軽くくしを入れたが、元々柔らかい毛質らしく引っかかるようなことはなかった。なんとか最後まで集中することが出来た。まさか忍耐を必要とする事態になるとは思わなかったから、軽い気持ちで言い過ぎたような気もする。迅の方も、ふいに嵐山がその首の後ろに触れた時にはピクリと動かれたが、それ以外は概ねそのままの状態でいた。
「どうかな?」
ここは洗面室ではないので、目の前に鏡があるわけではないから、迅の表情が見えない。顔色を覗うように尋ねる。
「う、うん。いい感じ…このあとは用事ないから、寝るだけだし。今日はよく眠れそう。ありがとうね」
首を後ろに向けて笑ってから迅は立ち上がって、ドライヤーを片付けた。移動した椅子を元の位置に戻す。自分が乾かした髪なのに、流れ動く様子に少しの視線が向いてしまって、どうしたのかと思った。
「ところで嵐山、何持ってんの?」
一区切りついたところで、最初からやや気になっていたらしく、軽くそれを指さされた。本部内で余計な物を持ち歩くことは推奨されていないのに、ここに入室した際、嵐山が茶色い紙袋を抱えていたので気になったのだろう。不思議そうな瞳の色を見せて訪ねられた。
「いつも迅には、ぼんち揚をもらっているからな。俺もお茶受けを持ってきた」
そうして紙袋の中から、がさりと和柄の落ち着いたデザインの包装紙の包みを取り出した。
「ぼんち揚布教は、おれの趣味だから気にしなくていいのに」
そうは言われても、ぼんち揚に関してはここで食べるだけではなく良かったら持って行ってと渡されることも今まで度々あったからそうはいかない。迅としては別に金銭的に困窮しているわけではなく本当に好意でやっているのだろうが、一方的にもらってばっかりだとさすがに嵐山としても何かを考えたくはなる。
「桐絵からおすすめされた、どら焼きなんだが、甘い物は好きか?」
多少覗うように尋ねる。同姓の中には、甘いものを好まない知り合いもいるのでワンクッションだ。
「うん、好きだよ。あ、これいいところのどら焼きじゃん。ありがとう」
パッケージを見てどこか思い当たったのか、迅はにんまり笑って返してくれた。どうやらお世辞ではなく本心のようだったから、嵐山もほっと胸を撫で下ろす。
「一応、つぶあんとこしあん両方用意したんだが、迅はどっちが好みだ?」
嵐山は特に気にしないが、こだわりが有る人と耳に挟んだこともあるので尋ねる。
「うーん。あんまりこだわったことないかも。どっちでも大丈夫かな」
そういいながら、迅はがさりと二つのどら焼きを取り出して眺めている。二つ共に、市販のどら焼きよりも大ぶりなので、机の上に置くだけでもそれなりの存在感だ。それは自分たち高校生からみてもかなり食べ応えがある様子だった。
「そうだな…じゃあ、じゃんけんしよう」
嵐山としても、どちらがいいとかなかったので、そう提案した。嵐山の家は比較的家族が多いから、物を分けるときにはわりと直ぐこういう提案が出てくる。一番さくっと決まって良い手段だと思っているのだ。
「じゃんけん………?」
きょとんと、不思議そうな単語を聞いたかのようなリアクションが返ってくる。
「えっと、すまない。じゃんけんとか、子どもっぽかったな」
どうも弟妹がまだ小学生なせいか目線が下がってしまう。自身も高校生とはいえ、迅は嵐山より余程しっくりしているからそういう俗学的なものにはあまり感心しないのかと思ったのだ。
「いや、そういうんじゃなくて。よく考えると、じゃんけんってあんまりしたことないかもって思って」
「そうなのか?迅の周りではあまり見かけないものなのか?」
嵐山とてじゃんけんが世界全国共通だとは思っていないけど、少なくとも三門市ではポピュラーな出来事かと思っていたのだ。もしかしたら嵐山が知らないだけでボーダー内には何かしらじゃんけんに変わる代替手段があるのとさえ考える。
「そんなことないよ。周りはしてる。おれは、未来視があるから…知ってる奴に誘われたことないだけ」
「そういう能力があると大変…なんだな」
別に迅の能力の事を忘れていたわけではなかったが、軽く失念していた。
「うーん。正直、慣れたから平気。でさ、じゃんけんするとやる前から勝敗わかっちゃうから、やめる?」
せっかくの提案だけど…と少し躊躇する声を出される。迅からすれば意味のないことを無駄にする必要はないという配慮だろう。
「いや、やろう。それが、迅の選択を見てみたい」
だからといって今更やらないというのも、何か釈然としなかったので、嵐山は続きの意気込みを見せた。
「…何気に難しいこというね。ま、いいや。じゃんけーん」
迅が掛け声をかけたので、二人とも右手を振りかぶって備える。
「「ぽんっ」」
二人の言葉が重なり勝敗が見事に決したのだった。
「…俺の勝ちだな」
迅にとってのじゃんけんは、一度きりで良かったのだろう。見事に嵐山の勝ちだった。
「そこまで言われたら、おれ決められないし、嵐山が選んでよ」
やはりこの勝敗も迅の手の上にあったようだったが、別に嫌だとは思わなかった。どちらが勝っても本質的な意味は変らないのだから。
「そうだな。じゃあ、半分こしよう。随分とボリュームがあるしな」
別に食べ比べをするわけじゃないけど、折角ならば二つの食感を楽しむ方がいいと思ったので、さっそく一つのどら焼きを手にして割り始める。
「…嵐山がそう提案するって、知ってたよ」
それでもどこか嬉しそうに迅は笑ったように嵐山には見えたんだ。
そうして新たなお茶請けと共に、今日も話が始まる―――




迅の顔を見て話していて、つい…はっとした。
「す、すまない」
とっさに、慌てふためいて、嵐山は謝り言葉を突発的に入れる。
「何が?」
机に頬杖をついていたが迅が、まるでわからないと聞き返してくる。
「いや…さっきから妹と弟の話をしていた」
それもずっと一人でだ。完全に迅は聞き役に回っていた。いくら元々、嵐山の話を聞く為に訪れているという名目があるとはいえ、限度があるだろう。嵐山とてボーダーの仕組みとかでわからないことは迅に聞いたりすることの方が多いとはいえ、一方的にべらべらしゃべり続けているのはこれが始めてだったと思う。それもさして有益とは思えない嵐山の弟と妹の話では、呆れられても仕方ないと思う。おしゃべりな男は嫌われると両親から忠告を受けたこともあったというのに。
「うん、話してたね。何が駄目なの?」
だが、迅はそれが何の問題があるのかと聞き返してきた。
「えーと。驚かないのか?」
これは嵐山のクセでもあった。五つ年下の弟妹を激愛しているのは他人からも指摘されることで、ついスイッチが入るとその話ばかり続けてしまう。今回みたいにはたりと気が付く前に、他人に注意されることの方が多いのだ。もしかしたら呆気に取られていたのかとさえ思った。
「別に驚いてないよ」
「大抵、周囲には引かれるんだが…」
まだ忠告してくれる相手ならいいのだが、そんなに弟妹のことでしゃべるとはまさか思わなかったのだろうと止め時をわからなく、呆然とされてしまうのが大抵だ。話の区切りがつかず、つい次から次へと話題が見境なく飛び出てしまう。多少ならば端々につい出てしまう程度なのだが、さっきのは完全にセーブできないモードだったと自分でさえ思う。
「ああ、嵐山がブラコンシスコンなことにか。他に弱点らしきものないもんね。人柄いいし勉強も運動も出来るし完璧だと思いたかったのかな?」
ようやく合致がいったように納得した言葉を出される。しかしかなりはっきりブラコンシスコン言われた。悪意がないとこんなにもさらりと響くものなのかと、少しこちらが驚いたくらいだった。
「いや、そういうわけじゃないと思うけど。ただ、妹と弟に関しては、その無意識に気になってしまうんだ」
嵐山は他人の評価などさして気にしていなかったが、自分の懐に入り込んだ人間には弱い自負がある。その筆頭が妹と弟なのだ。家族も友人も大切だが、特に庇護する必要がある弟妹に対しては強い執着がある。
「いいんじゃない?それだけ家族大切にしてるってことじゃん」
その当たり前のような指摘が、すんなりと心に染み渡った。
「そういう反応されたのは初めてだな。やっぱり周囲が言うほどは、大したことはないのか?」
大抵驚くのは嵐山の周囲にいる友人たちだったが、男子はともかく女子は露骨に嫌な顔をされたことがあった。最初は年下の双子がいるってことで珍しいらしく興味本位で質問を受けて、それで話が長引いてしまっただけだと嵐山は感じていたのだが、だいたい相手はそう受け取ってもらえなくて、ついぞうんざりとした顔を見て、はっと気が付くのだ。迅の顔色はさっぱり変わらなかったので、もしかしたら普段より長々と話してしまったかもしれない。
「いや、かなりマシンガントークだったよ。副が、とか佐補が、とかちょっと何回言ってるか数えようと思ったくらい」
結構、ずばりと言われた。迅は無理に繕ったりオブラートに包んだりしない。だからこそ、こちらもすんなりと受け止められた。
「迅は平気なんだな…」
妹と弟に関しては盲目な自負もあるので、他人が聞いていてそんな楽しい話だったかとも思う。だいたい話していたのが妹と弟の家や学校でのエピソードだったし。
「正直言うと、未来視で嵐山のシスコンブラコンぶりは知ってたっていうのあるし。いや、予想よりはちょっと凄かったけど」
わずかに苦笑しながらも、答えられた。
「すまない…」
さすがに反省した。高校生にもなってこれじゃあ駄目だとはわかるけど、直し方があまりわからないのだ。迅の視る未来には直っているのだろうか。でもこれから先もずっと妹と弟は、嵐山にとって存在が変わるわけではないから、可愛い存在であることに違いないとは思うのだが。
「嵐山が双子の話するの聞いてて楽しかったよ。いや…多分、おれは羨ましかったんだと思う」
頬杖の位置を少し直してから、ちょっと考えたかのように迅は言った。
「え?」
「おれ、母親いないし元々一人っ子だから。家族が円満で従妹まで近くにいる嵐山がね。ああ、ごめん。別に僻んでるとかじゃなんだ。好きなものがあることっていい事だと思うし」
初めて、迅の家族状況を聞いた。そうだ、迅の年齢ならば本来ならば親の庇護下にいるものだった。ボーダーに所属しているという点で隊員は少なからず普通の学生よりは、給料が発生する関係で責任感だとかが発生するということはあるが、嵐山とて親に養育してもらっているのに違いはない。迅は高校にさえ通っておらず、ここに一人暮らししているのも同然なのだ。むろん、本人はボーダーに十分寄与しているし、ボーダーも迅をきちんと暮らせるようにしているだろうが、迅の家族のことまで考えなかった。そういう雰囲気をまるで感じさせないのだ。まるで初めから世界でただ一人でも生きていけそうな…どこか寂しささえ感じた。
以前、迅は今の本部が出来た時からここに居ると行っていた。それは当然といえば当然だったからこそ、それ以上を嵐山は深くは聞けなかった。嵐山は、ネイバー侵略によって家族も家も何の被害もなかったとはいえ、三門市にはそうではない人間が大勢いる。今のボーダーが出来る前から所属しているという迅に何が起きたのか。決して良い出来事ではないだろうと、それくらいの見当はついた。迅の事情を鑑みないで、自分はもしかして幸せを押しつけていたのかもしれない。
「おれは家族の話してる嵐山が一番見てて楽しいと思うから、またしてね」
それでもそれはとても本心に見えた。こんなところに一人でいる孤独さ。寂しいだなんてきっと迅は言わないだろうから。嵐山が少しでも寄与出来るようにしたい…とそう思ったのだった。









4,Side 迅

今日の迅は、いつもより少しそわそわしていた。
いや、嵐山が来ると連絡してくれるときは大体いつもこんな感じだが。そうこうしているうちに、嵐山と繋がっているSNSアプリに通知が届く。今、地下行きエレベーターに乗っているからもうすぐここにつくと、律儀に連絡くれるのだ。普通の人間…といっても許可された人間しか迅の元に来ることはできないのだが、それでも上の人が来るのでさえ迅に与えられたフロアへやってくるのは入り口のインターフォンで迅の了承を得てから入るというのが通常だった。それを迅は嵐山に限って撤廃して、気兼ねなく来れるようにしたのである。だけど必ず連絡をくれるので、本末転倒じゃないかとも思ったが、嵐山らしいからいい。そうして扉がスライドする音と共に、規則正しい足音がやってくる。その姿が、だ。
「うん、やっぱり嵐山はブレザー似合うなあ」
開口一番に感嘆にくれた。今日は迅の要望で、嵐山に学生服を着てここに来て欲しいと頼んだのだ。本来の高校生らしい正統派な様子に、勝手に頷いてしまう。
「そうか?」
当たり前のこと過ぎて、当の本人である嵐山はピンとこないらしい。そりゃそうだ。学校に通うときはもちろん学生服に身を包んでいるのだから。しかも学校に行けば同じ制服の人間が山ほどいるわけで、見慣れた光景に違いない。それでも迅が過大にそう言うから、少し照れくさそうな顔を向けてくれた。
「ここの層に来る時に学生服で来る人、あんまいないから。おれには目新しいの」
先日会ったときにも告げた理由を、また言う。怪しまれても困るから、念押ししておかないとと思ったのだ。防衛隊員は、ボーダー内はなにかとトリオン体でいることが多いから、そうなると隊服ということになる。嵐山はB級隊員の隊服でいつもここにやってきていた。
「なんだか少し落ち着かないな。いや、私服よりはいいんだが」
場所的に雰囲気に呑まれそうだとでも思ったのだろうか。私服で歩くには、さすがにためらいがあるのだろう。一応、厳重なエリアだから、住んでいる迅当人はともかく、何度か足を運んでいる嵐山も未だ完全には慣れていない感はある。そもそも下層部はあまり防衛隊員が用あるものではないので、嵐山が行き会うとしたらそれは大人だ。昔は防衛隊員だった正社員が運営に回っているので、向こうは大抵スーツ姿。技術部なんかは体面が関係ないので結構自由な服装をしているが、それこそ忙しくて無駄にふらふらするタイプじゃない。
「おれはここに住んじゃってるから気になんないけど」
そういう迅も隊服でいることが殆どだ。いや…あんまり外にでないから外聞を気にしないというめんどうくさがりも一部あったが。迅の私物の購入は、ボーダー内の購買部と通販で賄っているから、偏るのも仕方ない。
「もしかしてこの制服見るの初めてなのか?ボーダーのA級はうちの高校が多いはずなんだが」
今の本部組織が整った際、三門市にはボーダー提携高校が出来た。市の全面協力な為、両方市立だが。一般的に隊員は、普通校組と進学校組と呼んでいるらしい。ボーダーの入隊資格に基本は学力試験はない為、わりと成績にばらつきがあり幅広いから二つになるのも仕方ない。それに防衛任務シフトの関係で、どうしても外せない学校行事があることを考えればやはり二校あることはとても合理的だった。嵐山の言うようにA級は進学校組が多かった。学業はボーダーの成績と比例していない…とはいえ、物事に対するやる気だとかにも多少係るため仕方ない範囲もある。一度入ったら高校を転入するまでする人間は少ないだろうし、単純にそうとはいえないのだが現状はそうだった。それは学業も優秀なのが多いから、オペレーター含めてちらほら。
「ううん。見たことないわけじゃないよ。ただ、ここにわりと学ランで来る人がいて、その人の印象が強いだけ。まあ折角の学ランも、結構着崩されて着てるんだよね。だから嵐山みたいにきちんと制服着てる人を見ると感動しちゃう」
まだ嵐山とは面識はなかった筈だから、相手の名前を伏せて言う。
嵐山のブレザーはピシッとアイロンがかかっていて、もちろんボタンは全部留められている。それが当たり前なんだが…まあ高校生っていうのはそういうものでもない思春期に該当することもあるから、仕方ない。嵐山はきっと脱ぎ捨てたりしないで毎回きちんとハンガーにかけているんだろうなと、未来視使わなくても想像が付く。
「普通校の人か。俺も知り合いを増やしたいとは思うんだが、学校が違うとなかなか難しいな」
ふむと考え込みながら言われる。まあ、まだボーダーは小南もそうだが、まだ中学生の隊員が多いし。大学生あたりになると、ホントちらほらと言ったところである。
確か、そもそも同じ学校でもボーダー隊員は組み分けでなるべく散るようにクラス分けされていた筈だと迅は記憶している。学年によっては隊員が多いこともあるので、防衛任務がかぶるとごっそりとクラスから人がいなくなってしまうとか、そういう事態は学校側も避けたいという思惑。それに総じて防衛隊員は忙しい。部活などに入る暇は一切ないと言っても過言ではない。支部所属でもない限り、学校とボーダー以外で友好関係を築くのは難しくも感じるだろう。
「嵐山の一つ年上にも年下にもサボり癖ある普通校のA級隊員いるよ。むしろ学校より、ボーダーで探す方がいいかもね」
特定の二つ顔を思い浮かべながら迅は言った。二人と共に実力があるから本部で平日昼間からごろごろしていている。外野からの文句は少ないが、それは同じ防衛隊員からの声であって、上層部からはきちんとせっつかれているというのに、ある意味あの二人はマイペースだった。
「それは難しいな。学校サボッているのを見つけるなら、防衛任務の合間ってことになるしな」
生真面目な嵐山は、きっと他の隊員と違ってボーダーの規定以上に早めに早退することなんてないだろうし、確かに遭遇しないかもと納得いった。ふつうの隊員が出歩くような場所にそもそもあの二人はそんな頻繁に出没もしない。
「じゃあ、他に見所がある奴というか。面白い奴っている?」
ボーダーは一芸で入隊出来るわけではないのだが、こんなところにわざわざ来るっていうのは総じて既得な奴だ。ボーダーの人間は、基本自己主張強いのが多いはずだった。嵐山みたいに正義感によってというタイプはいないわけでもないけど、復讐心を持ってるタイプが多いから、だいたい普通ではない。そう言う迅もまるで普通ではなかったが、他人の事は役割柄気になるものだった。
「まだ、わからないな。役に立てなくてすまない。ただ、サイドエフェクトの噂はたまに耳にするな。それも本人の口から聞くまでは噂の領域だが」
本当に申し訳なさそうな顔をされて言われた。きっと迅が求めている人材とか難しく考えているのだろう。単なる興味本位な部分も存在しているのだが、嵐山にとって他人を評価するというのはきっと簡単なことではないのだろう。やっぱりどこまでも真面目だなと思った。そういう面を考えればボーダー独特の特徴でもあるサイドエフェクトに着眼を置くのは間違いではなかった。
「あー最近はちらほらいるよね。ボーダーもトリオン能力が高い人間は詳しく検査するようにしてるし。嵐山も医務室で別検査受けた口でしょ」
サイドエフェクトに後天性はあまりない。だが、本人が特に自覚していなくて既に発現しているというパターンは存在しているから、素養がありそうな人間は検査があるのだ。ボーダーとてサイドエフェクトすべてを把握なんて出来るわけではないから、確認されている現象による確認と本人に対する聞き取り程度ではある筈だが。
「だが、おれは特になかったな」
やはり覚えがあるらしく、少し思い出すような声を出される。
「まあそっちが普通というか。ボーダー側もあったらいいなぁってくらいの気持ちが強いから。それに全てのサイドエフェクトが戦闘に使えるってわけでもないし」
あくまでサイドエフェクトは副作用である。本人が望むような能力ではないことの方が多い。基本、一生おつきあいてなくてはいけない相手みたいなものだから、常人には理解されず鬱陶しがられることも多かった。それは迅の体験でもある。
「やっぱりA級隊員はサイドエフェクト持ちが多いのか?」
さっき二人の隊員の雰囲気を出したからだろう。そんな質問が飛ぶ。
「そんなこともないけど、あればもちろん有利だから上がりやすいっていうのはあるよ。でも逆に上位者の方が持ってなくて、戦闘センスがいいとか努力だとかでのし上がってる気がするなぁ」
自分が持っているからかもしれないけど、単純にサイドエフェクトがあればいいというものでもないと思っている。活用出来るか出来ないかは本人の術なのだから。
「そうか。ただ勉強が出来るだけでは駄目ってことだな。おれも訓練頑張るよ」
「いや、嵐山みたいにバランス良いタイプがこれから台頭してくと思うよ。ボーダーはわりと何かしら特化する人間が多いけど、だからといって学業が疎かにするタイプは外で困ってるみたいだし。ああ、おれもその一人だな」
他人の事をどうとか言える立場でもなかったと、迅は活目する。迅とて学業は特に得意というわけではない。ただ未来視があるからうまく活用しているので、傍目からはそう見えるのであって、出来たら興味のない勉強を進んでしたいとは思っていないのだった。まあ、そんなことをしていると知識が変に偏ってしまうので、仕方なく嫌々と感じているのも駄目だとはわかっているが。こんなところに引きこもっていて会う人間も大抵限られているので、たまに自分の一般常識は大丈夫だろうかと不安にもなる。
「そういえば、迅はどんな中学生だったんだ?」
今高校に通っていない迅に学生姿というのがピンとこないらしく、嵐山から質問が飛んだ。
「うーん。あんまり素行がよくなかったかも。とくに三年の時は大規模侵攻あって殆ど通ってなかったから。よく卒業できたなぁって自分でも思う」
正直、忙しくてあの頃のことはあまり覚えてないというか、どう考えても学業よりボーダーの方が大切になっていた。それを後悔するわけではないけど、担任やクラスメイトには随分迷惑をかけた。それでもボーダーが表ざたになって良かったのか悪かったのかという感じだが。迅にはボーダーという事情があったわけだが、大規模侵攻時には少なからず誰も彼にも周囲に問題が起きたわけで、学校に来れなくなったものも多かった。その混乱に乗じたからこそ、出席日数が明らかに足りていなかった迅も卒業出来たのだと思う。だから義務教育はギリギリ終了してる。
「今は、勉強どうしてるんだ?」
普通に疑問だったのだろう。確かに迅は、嵐山の前で勉強している様子を見せたことなかった。
「一応、通信プログラムで勉強はしてるよ。上が勉強しろって、うるさいんだよね」
というか、成績優秀な嵐山の前で迅が取り組んでいるレベルの低さを露呈したくないのだ。普段から、片手間みたいになってるのは仕方ないが、どうしてもボーダーが優先になってしまうので、その範囲内で色々言われている。高校行かない隊員なんて今のところ迅以外いないのだから、仕方ない特例だと大目に見てもらっている部分もあって、そこは頭があがらないが。
「もしかして迅は、高校に行きたいのか?」
わざわざ学生服を着てと言ったから勘違いしたのだろうか。そんな真剣な顔をされる。
「いや、特に考えたことないよ。もし、ここに居なくちゃいけない今の状況じゃなかったとしたら…多分高校くらいは行ってたと思うけど」
例えばの仮定は、過去に視た迅の未来視の中でいくつか存在していたから、その視たものを伝える。学業にあまり感心がない自負はあったものの、高校っていうのはそういうものじゃないという考えもあった。他人とのコミュニケーションが当たり前として築ける場だと思うから。ボーダーという組織が悪いとは言わないが、初めからここにいる迅に取ってはこの社会のシステムが構築している場所に最初に慣れすぎていて、生存競争の激しい学生独特の気分というのがどうも欠落していたのだ。
「俺は、迅と同じ学校に通えたら今よりもっと楽しいと思う」
そう嵐山は綺麗に笑って言った。その未来は今はちょっと無理だけど、考えれば確かに迅の頭の中でも輝かしい形として具現しそうだったのだ。学校でもボーダーでも一緒にいれたら、それはとても絶対に。
「ありがとう。でも学力がな…多分、嵐山が思うほど、おれあんまり頭良くないよ。中の中、ど真ん中」
それでも進学校に通えないというわけではないだろうが、ボーダーという下駄があったとしてもやる気の薄い迅には少し厳しいだろうと思った。
「そうなのか?迅は頭の回転速いから、そんな印象はないんだが」
それは多分、未来視で色々な情報を取捨選択しているからこその得意要素じゃないかなと思った。それでも全てを千差万別できるわけでもなかったけど。さすがにそういうのはつき合いが長い関係で得意なのだが、苦手分野だってもちろん存在する。
「逆に未来視あるから、つい線引きたくなっちゃうんだよね。一般的な感覚が一番というか」
本当は普通が一番なんじゃないかなとも思う。もうこんな能力持ってる時点でそれは高望みだとわかっているけど。
「そういえば嵐山は、中学もブレザー?」
他人の過去までは見られないから、思わず尋ねてしまう。学ランはわりと誰でも似合うように感じるが、ブレザーはたまに着る人を選ぶ形がある。イケメンな嵐山は何でも似合うから気にしないだろうが。
「ああ、そうだな。見たいなら、弟と妹がいずれ通うから…その写真でも。でも、うちの中学も普通のブレザーなんだが。ああ、そういえば迅は?」
はっとシスコンブラコン発言が出たところで、嵐山は少し正気に戻ったようにこちらに尋ねてくる。別に気にしなくていいのに。嵐山の弟妹の立派な中学生姿は、きちんと迅の未来視には見えてる。
「おれ、中学は学ランだったよ。首元苦しかったから、割と着崩してたけど。ブレザーって着たことないから、おれネクタイしめられないんだよね。あとでやりかた教えて」
そう言うと誰かさんのことをああだこうだとは言えないなとも思う。嵐山みたいに、中高ブレザーだと慣れたもんだろう。将来がまだ確定しているわけではないが、もし迅が運営の方に回るようになったらスーツを着ることになるわけで、その時に確実にネクタイ問題は勃発するに違いない。
「もちろん構わない。で、別に本当にブレザーを見たくて俺に頼んだわけじゃなんいんだろ?」
「さっすが、わかってる。ちょっと学校のことで聞きたいことがあってね。その雰囲気作り?」
まあ単純に嵐山のブレザー姿が視たかったというのも本心だったが、それは迅の個人的興味なので伏せる。
「それってうちの高校か」
「いや、学生全員というか、えーと同じ学年というか」
範囲の広さがちょっと曖昧な答え方となってしまった。ボーダーには提携高校以外に通っている学生ももちろんいる。小南がその最もな例であるし、中学から隊員だった人間はそのまま持ち上がって別の高校に通ったりもしている。
「うちの学年?そうだな…クラスは違うがオペレーターの月見は俺より前からボーダーにいるんだから、迅の方が知ってるだろ?」
一番に目当たった相手の名前を挙げられる。オペレーターと言っても役割が防衛隊員とは違うので、同じ隊でない限りなかなか関わる機会がないのだろう。
「いや、月見はいいんだけど。むしろうちの学年が問題なんだ。なぜか、うちの学年はボーダー隊員が少ない!」
ズバリと言い切った。学生が多いボーダーでは同期入隊より、学年単位で扱うのが一般的だから、外野からもだいたいそういう扱いを受けている。言い出した迅自身がまあまず高校の通っていないからこそ、余計にそう感じた。
「確かに少ない…かもな。というか、俺の見知る限り他に思い当たらないな」
少し頭を巡らせるかのように、思い出しているようだったが、嵐山の結論も迅と同じくだった。たとえ友好関係がなくても、同学年にボーダー隊員がいれば自然に目立つ。本人が隠していても、成りすまし防止の為に隊員は名前が公開されている関係もあって自然に噂が立つのだから。それが同じ学年なら余計に意識するのも当然で、でもそれさえも感じないということはいないということだ、と。訓練性…まだ知り得ぬ訓練性の中にたくさんいる…と思いたくなる。
「大丈夫。おれが知ってる範囲でも、他にいないから。まあ、今後入んないわけじゃないんだけど他の学年に比べて少ないことには違いないし」
迅の未来の中でも、同学年の人数はそれほど爆発的には増えなかった。学年のよって偏りがどうしてそんなに出るのかわからないが、一つ下がわりと人数多いので落差がとても激しく感じた。特に三学年下を見てはいけない。あそこは優秀な隊員の宝庫だ。だから、うちの学年頑張ろうと勢いづきたくもなる。ボーダーはわりと年齢を重視する。若ければトリオンの成長に将来性もあるし、結局同期入隊しても辞めるものもいるし、実力が違いすぎて脱落するものが多いからだ。だからこそ学生は隊に所属していなければ、その学年で固まりやすいという傾向があるのだ。嵐山は年下を気軽に名前呼びしてお兄ちゃんぶりを発揮したりと、誰とでも打ち解けられるタイプだから気にならないかもしれないけど。
「でもうちの学年は迅がいるから、十分じゃないか?」
少しだけ考えた結果らしく、あっさりとそんなことを言われてしまう。
「なんでそうなるかな」
嵐山に言われると、ちょっと嬉しくなるからやめて欲しかった。
だって、迅だって嵐山がいるからいいかって気持ちになってしまうじゃないか、と。









5,Side 嵐山

その日も嵐山は、よどみなく迅の居る部屋の前へと向かっていた。もはやいつものことで、その足取りルートに錯誤などあるわけがない。迅が問題あると言わない限り、なるべく時間の空いた時はここに来るようになっていた。最初は週一でいいと言われていたことが嘘のような頻度だった。でも迅は嵐山が頻繁に訪れていても嫌な顔一つしないから、少し甘えてしまっているという自負もあった。
学校とボーダーで嵐山は確かに忙しくあった。防衛任務は多少なりとも融通をきかせてもらっている面もあるが、模擬戦や訓練などやろうと思えばボーダーに関することはきりがないもので、嵐山とて別にそれを他の隊員より怠っているわけではない。だが、特にこれといった趣味を持っているわけでもないので、学業で必要なこと以外が終われば大抵ボーダーにいるようになってしまった。
進学校に通ったのは単純に学業のレベルで上を目指すに越したことはないという考えだったが、今となってはそれでよかった。優秀な人間がたくさんいるので、中学のときより委員会やら教師からの雑用などを押し付けられる時間が減った。学校側もボーダー隊員に対してはそういうものを思慮してくれる部分もあるようで、そういう意味では提携高校というのは気楽だった。
いつものように迅と繋がっているSNSアプリに連絡すれば、了解という軽快な返事が帰ってきた。ここのところ大体行く日と時間帯は決まっているというか、前のときに大体の次の約束をするようなものなので最終確認的な連絡をするに過ぎない。さすがに嵐山より迅の方が色々とあるようで忙しくもあるが、その時間も突発的なものは少なく大体こちらがこれるくらいの時間は空けておいてくれるようだった。だから、それなりの頻度でもう通っている。それは取り立て目的があるというわけではなかったが、それくらい気軽な関係となっていたのだった。

迅の自室の前で、流れるようにトリガー認証をした。が、あれ…開かない。無条件に開くはずの迅のエリアの反応がまるでない。
「おかしいな…」
思わず独り言のように言ってしまう。周囲には誰もいないとわかっているのにだ。あくまでも無反応に何度かトリガーを近づけてみるが、結果は代わりはしない。
「もしかしたら、散歩でもしているのかな?」
厳重なエリアだったが、嵐山のトリガーで無条件に開くようになっているのは何度も実施しているから当たり前のことすぎて、あとの可能性は迅が内側からロックをしているか、本人が不在だというときだろう。ロックをしているということはないと思ったので、どこか散歩でも行っているのかと思い当たったのだ。
迅の気質からすれば、ふらっとしても別に不思議じゃないし、ここに閉じこもっているよりは余程建設的に思えた。迅とて、防衛任務を任されているし、上役は必ずしもここにやってくる訳ではなく、時には上層部に行かないわけでもないとは聞いている。ただ嵐山がもっぱら迅と会うのがここだということだ。
嵐山はちょっと来た道を戻り、エレベーターのほうへと向かう為に足を向けた。すると、ばたりと遭遇したのだった。
「あ…」
目の前に現れたのは、隊服さえ着ているわけではないラフなパーカーを着た出で立ち。まだ少年と言っても過言ではないほどの人物だった。背が随分と低いから嵐山より幾ばくか年下という印象だろうかおそらく小学生…なので自然と弟や妹と比べてしまうのは、やはり悪い癖だとは思っている。だが、明らかに弟妹より落ち着きはらった印象を受けた。パッと見は、そこらへんにいる普通の少年という印象だったが、ここそういう場所ではないから普通ではないのだろう。
少年は、じっとこちらを見ていたので、思わずこちらの身だしなみを伺ってしまう。驚いているというわけではないのだろうが、そこまで感情の起伏が激しい様子でもないようだった。それは単純な子供による好奇心とはまた違う意図を含みを持った何かに思えたのだ。
「君は?」
こんなところで誰かに会うなんて珍しいという意図も含んで、尋ねる。
「おれは、天羽。あっちに住んでる」
天羽と名乗った少年が指し示したのは、迅が住まうエリアと逆方向だった。そうして、そっちの説明は最初にここに来たときに受けたのを思い出した。
「もしかして迅と同じS級隊員の?ああ、名乗るのが遅くなって悪い。俺の名前は嵐山だ」
名前を聞いたことがあるわけではなかったが、自由自在に歩き回っている事を鑑みて見当をつけた。
「嵐山…ああ、迅さんがよく言ってる人か。はじめまして。今、迅さん。部屋にいないでしょ」
どうやらあちらはこちらを知っていたらしく、ようやく向こうも警戒に似たような張りつめた糸を解いたように思えた。
「迅の行き先を知っているのか?」
思わぬところからの助言に少しうわずった声が出る。
「うん。ていうか、さっきまで一緒にメディカルチェック受けてたし。俺はいつも検査時間短いんだけど、迅さんは俺よりチェック項目多いから長引いてるみたい。連絡なかった?」
嵐山も受けているメディカルチェックは定期的に隊員に義務付けられている。が、通常の健康診断にボーダー特有のトリオンに関する一式が加わっているくらいだった。それもB級の隊員はわりと一斉にやっている。
そうしてそこまで言われて、はたとポケットに入れたスマートフォンを持ち上げる。気が付かなかったが、いつの間にか迅から連絡が来ていたらしく、少し遅れるとの文字が目に入った。
「ありがとう。助かったよ」
そう答えながらも、天羽は相変わらずこちらをじっと見つめている。
「何か俺の顔についているか…?」
どうも慣れない感じがする。殆ど面識がない人間からの好意でもなく悪意でもなく純粋な何かを向けられて、気まずい空気が流れる事をそう簡単に嵐山が慣れるものではなく、つい尋ねてしまう。
「いや、最近迅さんが楽しそうなのはこれが原因かってわかって、すっきりしただけ」
どこか一人でに納得をする声を出した天羽はうんうんと軽く頷いて仕草さえ入れた。なんだろう…迅もそうだが、S級隊員というのはやはり一筋縄ではいかない何かを持ちえているのだろうかと、そんな様子さえ思える。
「どういうことだ?」
不思議と掴めない答えに少しの説明を求めたくなる。
「表面的には明るくしてるけど、迅さんってわりと繊細だから。今まで結構浮き沈み激しくて落ち込んだりしてたけど、それが最近ないから、良い影響を受けたのかなって」
天羽の言葉数はわりと多かったが、その年恰好にふさわしい有様ではなかった。淡々と着眼したことをこちらに告げてくれた。
「俺は何もしていないと思うんだが」
未だに思うのだ。迅のところに通っているものの、自分は何か迅に寄与出来ているのかと。求められるがままに自然体に接することしか、結局は出来ていないのだった。
「多分、それが一番なんだよ。迅さんにとっては、普通が一番。ボーダー隊員は俺含めて刺激的すぎるの多すぎるから、どうしても」
明らかに若いのに何かを悟ったような口ぶりで、返された。これは…天羽の精神年齢もかなり高そうだと、ただそう感じるしかなかった。
「嵐山!」
そんなこんなしている時、後ろから聞きなれた迅の声がかかった。
「あれ、天羽も…何でいるの?二人とも知り合いだったのか?」
軽く早足で歩み寄ってきた迅は、角度的に死角となっていた天羽の姿を見て、ちょっと不思議そうな顔を出しながら聞いてきた。
「たまたまここで会ったんだ」
嵐山が答えるより早く、天羽は漠然とした答えを返した。迅相手でも対応はまるで変わらない。
「ああ、すまない。俺が携帯を確認していなくて」
二人の会話に割り入るように、嵐山は告げた。
「そっか。あ、こっちこそごめん。連絡するのギリギリだったから、待った?」
待ちぼうけをさせてしまったかと、申し訳なさそうに少し上目づかいで尋ねられた。
「いや、ほんの少しだ」
実際、扉が開かないと判断して直ぐに天羽と遭遇したわけで、その時間は大したものではなかったと言える。
「しっかし、おまえがおれ以外の奴と普通にしゃべってるの初めてみたな。天羽とまともに話せる相手がいるなんて珍しい」
感心感心と言いながら、迅は少し背の低い天羽の頭をなでなでしている。
「面白い色してる人だから、大丈夫だった。ちょっと迅さん色にも近いしね」
今度はちょっと迅を見て、何かを判断したらしく言う。
「おまえ、それどういう基準だよ。それで何を話していたんだ?」
やれやれと言った具合に、今度は迅から質問が飛ぶこととなる。
「迅さんの事」
相変わらず天羽はざっくばらんにしか事実を語らない。確かにそうなのだが、そんな言い方では何か誤解を招きそうである。
「他人に噂されると気になるな」
対する迅はわりとこういう天羽の物言いに慣れているらしく、いつもの調子で軽く言った。
「いや、そんな大した話じゃないさ」
実際そうだった。天羽と迅に関して話したことなんて一言二言に過ぎなかったし、特に嵐山からは何もしゃべっていない。天羽が自己満足するように何かを悟っただけにも思えた。
「じゃあ、俺は自分の部屋に帰るから」
そう言いながら、天羽は既に足をくるりと逆方向に向けて進めようとしていた。なかなか気が早い。
「え、もう?折角だから、おれの部屋でぼんち揚食べない?」
迅は、いつもの上等文句で天羽を誘った。さすがにメディカルチェックの帰りのせいか、ぼんち揚を持ち歩いてはいなかったようだ。
「遠慮しとく。二人の仲、邪魔しちゃ悪いし」
それだけ言うとこちらの引き留めも気にせず、天羽はすたすたとその場から立ち去った。

「マイペースな子なんだな」
嵐山が受けた天羽の印象はそうだった。といっても、殆ど会話なんてしていないから全容は未だ掴めないとはいえ、やはり不思議だ。
「んー、そうかもな。悪い奴じゃないんだけど…まだあんまり人とのコミュニケーションがわかってないんだ」
迅も少し苦笑しながら、天羽の小さくなる背中を眺めている。
「そうだな。そんな感じがした」
どことなく雰囲気が年齢相応に見えない落ち着きは、少し見習いたいと思う反面、子供らしくもあって欲しいような気がした。ボーダーに属していると、一人一人の責任というものがどうしても発生してくる。級が上がればそれは特にだろう。迅とて、軽く嵐山に口を叩くこともあるが、それも計算の上な部分もあるのだろう。やはり同年代よりはどうしても大人びるのだろうと思う。
「二人、会うのはじめて?」
「ああ」
わりと迅のところに通っているとはいえ、エレベーターを降りると直ぐに迅の部屋に直行してしまうし、他のエリアは嵐山の認証では通れないので、地下エリアで誰がと会うのはほぼ皆無だった。
「嵐山が嫌じゃなかったら、また見かけたら声かけてやってくれる?あいつ、おれより知り合い少ないからというか、選り好みするというか、うーん難しいな」
適切などうも適切な表現がみつからないらしく、ぐるぐると頭を働かせながら迅は言ってきた。人の気持ちや行動を一概に表すのは難しいのだろう。
「彼も迅と同じように外に出れないのか?」
少なくとも嵐山は、天羽の姿を通常の本部エリアで見かけたことはなかったと思う。あれだけ落ち着き払った少年がぷらぷらしていたらさすがに気が付くだろうし。
「いや、おれとは事情が違うというか。天羽は単に人見知りが激しいだけ…かな。普通に振舞えれば、別に本部だけじゃなくて警戒区域外にだって出れるんだけど」
「いろいろあるんだな。わかった。今度からなるべく気にかけるようにするよ」
あまり詮索しないほうがよいということだけはわかったから、迅の言葉を受けて了承の意を示した。もう一人のS級隊員のことを失念していたわけではないが、最初にここを訪れて以降会話がなかったので折角なら機会があればもっとしゃべってみたいとも思う。
「あ、えーと。少しでいいよ。別に天羽の部屋に行ってって言うわけじゃないしさ」
嵐山の意気込みを受けて、突然迅は焦ったかのように少し手をバタバタしながら、言う。
「ん、ああ。迅がそう言うなら」
何だか加減がよくわからないが、何事もほどほどにということだろうかと思った。
「だって、嵐山が天羽にかまけたらおれと会う時間減っちゃうじゃん」
いつの間にか少し下を向いていた迅は、ぼそりとつぶやいた。
「えーと、迅…それは」
「あ、だから。それは嵐山の時間を割いてわざわざここに来てもらってるってことだから。特に深い意味はないから!」
がばりと顔をあげた迅から、力説の言葉がやってくる。
「大丈夫だよ。俺は、迅に会いたくてここに来ているんだから」
そう伝えると、なぜか迅はまた少し顔を俯かせた。
嵐山としては当たり前のことを言ったつもりだったんだが。









6,Side 迅

「迅、悪いが両手が塞がっているんだ。扉を開けてくれないか?」
今日は珍しく嵐山が、こちらに来る時間に少し遅れると連絡してきた。そうしていざ、どうやら迅の自室の前に立ったと思うタイミングで外からのインターフォンからそんな声が届いたのだ。
「あ、はーい」
軽い声をかけて扉のロックを解除すると、やはり扉の目の前に嵐山は立っていたらしくスライド式の扉がよどみなく開く。そうして迅の視界に一気に現れたのは期待していた嵐山本人ではなく、別の物。色とりどりの花束だった。
「迅、今両手に何も持ってないな?」
そう嵐山から声はかかるが、花々の向こう側にいるらしく顔がちょっとよく見えない。
「あ、うん。空いてるけど」
「じゃあ、これプレゼント」
軽く迅と嵐山の手が触れて、こちらにドサリとその大きな花束が受け渡される。その大きさは嵐山の顔が見えなかったくらいだったが、迅は嵐山より重心を下に受け取ったのでこれでようやく二人の顔を見やることが出来た形となった。大きさも相当だったが、受け取った瞬間にずしりとした重みも感じた。見るからに可憐で華奢な花々も、積み重なればそれなりの重さになるということか。そのギャップは今までこんな大きな花束を貰ったことがない迅にとってはそれなりな驚きだった。
思わず、うぷっと声を漏らさなくてよかった。迅の顔の前を過ぎ去った花々には無数の花粉と香りが漂ったのだから。それは決して嫌なものではなかったけど、ちょっと突然訪れるには過大なものだったから、わかっていても少しびっくりした。何となく見えてたけど予想以上の花束だ。それが自分の好きな人から、満面の笑みと共にもたらされるものとなればなおのこと。正直、これは未来視で知っていたけども、やっぱり直接貰う方が何倍も気持ちが震えた。
「ありがとう。でも、どうしたの。これ」
嬉しくはあったが、同時にわずかな疑問も沸き立つ。間違っても今日は、迅の誕生日だったり何かしらのイベント事の日ではなかった筈だ。女子ならば記念日とかを大切にするだろうが、二人はそういうものでもなかったし、だいたい二人が出会ってからどれくらい経ったのかもう馴染みすぎて迅はあまり覚えていないほどだったから。
「本部に行く途中にたまたま花屋を見つけて。綺麗だったから、迅にプレゼントしたいと思ったんだ。迷惑だったか?」
嵐山もそれが突然の出来事である自負はあったようで、少し困ったような緊張したかのような顔でこちらを覗う。
「いや、嬉しいよ。正直、未来視で知ってたけど、それでも実際に貰うともっと嬉しい」
それは本心だったからこそ、笑って迅は伝えた。
「迅はあまり外に出ないだろ?任務で警戒区域には出るとはいえ、なかなかこういうのは見ないんじゃないかなって。なにかもう少し気の聞いたものをあげられればいいんだが、思いつかなくて」
いくらボーダーから給料が出ているとはいえ、高校生からすればきっと安いものではないだろうに、ぽんっとスマートに渡して来るから、やっぱり好きだなぁとじんわり感じてしまう。っと、駄目だ。顔に出さないようにしないと。平常心。平常心…
「十分だよ。確かにこの部屋、何にもないからつまんないなと思ってたし。でもおれ、これといった趣味もないから、何か飾ったりするのも思いつかなくて」
ボーダーの基本設計にアレンジを加えていないこの無機質な部屋に、彩りを加えることは確かに有効に感じた。花は有限な命だけど、だからこそ儚くてその綺麗な姿を一心に見せてくれる。ただ枯らしてしまうのはもったいないから、ドライフラワーか何かにしてもう少し長く楽しめるようにしようと見当をつけた。ああ、なんて自分は野暮なんだ。きっときちんとした花瓶なんて部屋にないない。早く取り寄せないと。迅は金銭的に全く困っていないというと誤解されてしまうが、ここに生活していると いうことで生活は保証されていてだから特に欲しい物がないのだ。執着するのは、ぼんち揚程度と言ったところだろうか。それに変な物が増えても、捨てるのも大変という事情もある。小動物でもきっと飼うのは許可出ないと思うし、光合成できるような窓もないこの部屋では植物もかわいそうだし、一度限りではあるが花というのは一番有意義に感じた。
「喜んでくれてよかったよ」
少し安心したように、嵐山は呼応した。迅が嵐山に対していやがったりしたこと一度足りもない筈なのに、やっぱり律儀に感じてくれている。
「嵐山って案外キザなところもあるんだね。驚いた」
そうだ。これはきっとそんなに深い意味はない。嵐山はきっと迅に対して無意識に何でもしてくれる…そうわかったから、つい言ってしまう。
「どうしてだ?」
「いや、花とかって女の人にやるものかと思ってたから」
正直、今まで花を貰って喜ぶ女性の気持ちがよくわからなかったが、自分が体感してよくわかったのだ。やっぱり嬉しいものだなと。それはもちろん本当に花束を貰って嬉しいという気持ちと、その相手が嵐山であること、これが一番ではあったが。
「そういえば、おれもあまり貰ったことないな」
卒業だとか、そういうイベント事では人に渡したり貰ったりする機会があるだろうか、ちょっと考えるような仕草をされる。
「一応聞くけど、これ持って本部内を移動してきたんだよね?」
「ああ、それしかここに持ってくる手段ないと思うが、どうしてだ?」
「いや、本当に嬉しいなって」
花束を持って本部を闊歩とは、絵になる男だなと。特別でない一日でも、ほらっこうやって嵐山が色をつけてくれることが何よりも迅には嬉しいことだったから。
「そういえば、迅。それは何だ?」
一端、花束をテーブルの上に置くと、その横に何冊か詰まれた本を軽く示して尋ねられた。ここは一応、迅の仕事部屋なのであまり仕事に関係ないものを見かけたことがなかった為だろうか。
「あ、これ。漫画だよ。面白くてさー つい、休憩の合間に読んじゃうんだよね」
軽く一番上のコミック一冊をピッと指で挟んで持ち上げて、そちらに表紙を見せて示した。
「迅が、漫画読むイメージはなかったから驚いたな」
やっぱりどこか大人びていている印象を受けているの か、そういえば確かにあまり二人の会話の中でも娯楽的な話は今まで出なかった記憶がある。それは迅がここにいてあまり自由に出来ないこともあるし、嵐山自身も学校とボーダーに忙しく趣味らしいものが特に明言できないという原因もあるのだろう。
「いや、わりと読むよ。まあ本の方が読む機会多いかなあ。漫画は合間にちょくちょく読んでも前を思い出しやすいからいいね。止まらなくなる時もあるけど」
やっぱりハードカバーよりは軽く読めてしまうからと、ほどほどにしないとなぁとは思っている。今は便利な世の中でわざわざ紙媒体ではなく、電子媒体で読めたりすることもあるが、出来ることなら迅は紙を選択するようにしていた。
「そうか。それで、その漫画…どこかで見たことがあるような」
嵐山が記憶を辿るように顎に軽く指を当てた。犬のキャラクターが表紙に全面に押し出されているから、何か思い当たる節があるのだろう。
「賢い犬リリエンタールってタイトルだけど、やっぱり嵐山も知ってたか。この前、隊員の未来視たらこの漫画が見えてさ。その時は、断片的にしか内容わかんなかったんだけど、なんか面白そうだから買ってみたんだ」
未来視の副産物というものだろうか。必要な情報をピンポイントに見れるわけではないから、そういう普段ならばとりとめない内容も迅の頭の中に到来するもので、スルーするのも慣れているのだが、どうにもこれは気になったのだった。
「そういえば、そのキャラクターのバッチをつけている隊員を見かけたことがあったかも」
誰がだったかはちょっと嵐山でも覚えていないようで、少し曖昧な言葉が出る。
「俺はぬいぐるみ持ってる隊員を視た。わりと人気あるみたい」
迅の場合は直接隊員を見るというよりは、他人の未来視からそれを視るというちょっとややこしい状況ではあったが、随分と記憶に残るキャラクターであることに違いはなかった。
「どんな話なんだ?」
ふと興味がわいたらしく、少し身を乗り出して聞かれた。
「この犬、リリエンタールって名前なんだけど、しゃべるんだよね」
一概にはちょっと説明しきれないので、ざっくりとポイントを話すように努める。
「それはなかなか夢があるな」
犬好きだから、自分が飼っている犬と重ねているのだろうか。嵐山の普段よりはきはきした声が通る。
「内容はそうだなぁ…哲学っぽい」
どうもふさわしい言葉が見つからないので、端的に表現する。この漫画がどのジャンルか、そこまで漫画に読みなれていない迅からすると説明しがたくあったのだ。ただ語彙がないだけかもしれないが。
「難しいのか?」
まさか漫画がそこまで奥が深いとは思わなかったらしく、戸惑う声がでた。
「いや、おれがそう感じるだけ…かも」
単純な話ではないことは確かだった。だが、一回さらっと読んですべての内容が把握出来るか?と言われたら、迅にはちょっと考えるにあたった。読解力が試されている感はある。何度か読み返すと、また違う視点で見えてくるものがあったから、多角的に思うことは少し未来視にも似ているなとも思う。
「そうか。ますます興味が出たな」
「良かったら、貸そうか?」
すっと、重なったコミックを嵐山の前にスライドさせる。
「いいのか?」
「おれ、もう何度か読んだし」
出来るなら嵐山と共有したい内容でもあるから、是非是非と思った。
「ありがとう。じゃあ、まず一巻だけ借りていくよ」
差し出された一番上のコミックをひょいっと嵐山は持ち上げた。
「あ、何なら全巻持って行っていいよ。そんなに冊数出てるわけじゃないし」
遠慮しないで、どうぞどうぞと迅は促す。
「いや、とりあえず一巻だけでいい」
気持ちはありがたいけど、という前置きをするように嵐山は示した。
「そう?何度も持って帰るの面倒じゃない?」
「いや、そんなことないさ。それに、ここに来る口実になるからな。楽しみに読ませてもらうよ」
そうやって嵐山はさらりと明るく言うのだ。
別に何がなくても来ていいのに…でも、今はこの漫画に感謝かな。迅は、少し赤くなった顔を隠すように俯いた。だって、迅はいつでも嵐山を待っているのだから。



そんなこんなのやりとりがあってから、経ったある日のことだった。
「迅、はい」
訪れた嵐山から、ぽんっと手渡されたものがあった。それの正体を、質感から先に知った迅は。
「ああっ!」
と、目の前に嵐山がいるのも厭わずに、ついつい大きな声を出してしまった。それくらいの衝撃を受けたのだった。
「ど、どうした。迅。何か間違ったものを渡しただろうか…」
まさかそんなリアクションを返されるとは思わなかったようで、おろおろとしながら嵐山は、頭を抱えた迅を見いやった。
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだけど…」
それでも心の中でああ…と嘆きにくれる声を出してしまったと思う。勝手に一人で落ち込んでしまう。
「これ、鬼怒田さんに、迅に渡すようにと頼まれたんだが、俺が持ってきたら不味いものだったのだろうか?」
心配した嵐山がご丁寧に、わざわざこれを持ってきてくれた経緯を話してくれる。それはありがたいし、大体わかったけど…ようは迅の気持ちの問題なのだ。
「いや、嵐山は悪くないから。鬼怒田さんに事情話さなかったおれが悪いわけだし」
「それトリガーだよな。新しいトリガーか?」
そうして嵐山から改めての確認の言葉が出る。嵐山が見慣れたそれは、形状が全く一緒だ った。規格統一されているトリガーに確かに間違いはない。
「うんまあ、おれの予備トリガーとして依頼はしたんだけど、何も嵐山に渡さなくても」
タイミング悪いとしか思えなかったので、少し見えない空をあおいで、思わず愚痴ってしまう。本当は誰が悪いとかそういうのじゃないことはわかっている。可能性があったのにきちんと管理しなかった迅が駄目だったのだから、自業自得だ。
「やっぱりそんな大切なものを、俺が持ってきちゃ駄目じゃないのか?」
ちょっと困惑するような顔を見せながら、嵐山は謙虚な言葉を並べる。
「こんなことない…ていうか、あー。もうっ、これ嵐山にあげようと思って作ってもらったの!」
ちょっと顔が赤くなる自覚がありながらもバラす。もうタイミングとかそんなもの覗っても仕方ない。後から出す方が不自然だからと、迅はもごもごするのをやめてちょっと開き直った。
「俺に?」
そうして素直な謎がる顔を見せる。当然だ。
「この前、嵐山から花束もらったでしょ?そのお礼っていうか…」
そのお返しのつもりだったが、思わず口ごもりながらもこちらの気持ちを伝える。普段だったら何気なくぽんっと渡せたのに、こんなこんな展開じゃなければと、ちょっと冷静になれない。
「それは嬉しいが、別に見返りが欲しかったわけじゃないから気をつかわなくても」
返って気を使わせてしまってすまないとでも言いたそうな顔で言葉がやってくる。
「それでも、おれは嬉しかったの。だからおれも何かって思ったけど、おれは警戒区域しか外は出られないし、なんか通販っていうのも違うし。おれだから渡せるものないかなって」
自分で言い訳していてちょっと悲しくなってくる。迅の世界の視野はとても狭い。多分、世間一般で同年代の友達に渡すようなものという機転があまりに利かないのだ。きっと嵐山なら何を渡しても心から本心で喜んでくれるだろうが、それも違うと思った。だから折角なら、迅だからこそ出来ることをしたかったのだ。
「それで、トリガーか」
再び改めてそのトリガーに視線をやって嵐山は納得をする言葉を出した。
「本当に、おれが嵐山にあげたいって思った。ただ、それだけ。嵐山だって、おれに花束あげたくなったんでしょ。突然。それと同じだよ。多分…?」
つい小さく疑問系がついてしまうのは、本当は同じ気持ちではきっとないからで、でもそうでもいって言いくるめないと何だかもう後にはひけないと思った。嵐山が迅に対して持っている感情はこちらのものと違うとわかっているから。それでも。
「そうか。なら、ありがとう…だな」
そうして一度は手渡されたそのトリガーを嵐山にプレゼントする形となった。それを嵐山は素直に表現して受け取ってくれる。元に戻っただけに思えるのが少しだけ残念だけど。
まさか嵐山に渡されるだなんて…技術部からすれば迅がトリガーについて色々と言うのはいつものことだったから、その程度の心持ちだったのだろう。そうでなければ、簡単に新しいトリガーを発注なんて出来なかったので、仕方ないとは言えばそうなんだが。そもそも迅が技術部に行くのは比較的容易でぶらりとアポなし出来ることだが、上の人がここにくるにはいくつか許可を取らなければいけないという面倒くさい規定になっている。迅からすると、そんなこと必要ないと思っているのに。そんなこんなもあって、許可がいらない嵐山が本部を歩いていたら捕まえるほうが早いと思うのは当然かしもれない。だから恨んだりはしないけど、けど。
「こういうの勝手にやって大丈夫なのか?」
「設定すれば平気。嵐山ってたしかB級に上がったときに支給されたの使い続けてるよね?結構みんな自由にアレンジしてるよ。それに、一応普通のトリガーじゃないというか。でもそれ特別戦闘で有利になるチップとか入ってるわけじゃないんだ。あ、でもチップとかは自分で使いやすいようにつけてもらっていいんだけど、嵐山の認証で開くおれのトリガーと同じ仕様なんだ」
ポケットからごそりと外に気軽に持ち出せるノーマルトリガーを出して、嵐山に見せる。別に普通のボーダー規格なので、外見的に何か特別変わっているということはない。
「迅と、一緒?」
「うん。嵐山、ここに来るのに何回認証受けてる?」
「えーと、数まで数えたことはないな。二桁ちょいくらいか?」
さすがの嵐山もそれは曖昧だったらしく、ぼかされる。まあ冷静に考えてみればそうだろう。当たり前のことなのでわざわざ数がどれくらいかなんて数えない。高校への通学路にいくつ信号の数があるか逐一数えたことなんてないのと一緒で、それくらいのものだった。
「毎回、トリガーをわざわざかざして入ってくるの面倒でしょ。だから、おれのもそうなんだけど認証している人が近くに寄るだけで自動的にエリアが開く仕様になってるの、それ」
上の階層でいくつ認証をしているのか、それは迅にはしらないが、とりあえずこの地下エリアでトリガーかざすのは一度や二度ってレベルではない筈だ。ここは一応、最下層に近かった。
「すごいじゃないか!」
素直に驚きと感嘆の声をあげて、嵐山は手に持った新しいトリガーをみいやった。そして、迅にも破顔の笑みを見せてくれる。
「いや、でもそれだけだしホント」
「でも、それ上層部とかもっと上の人の社員証とかトリガーじゃないとない機能じゃなかったか?」
「そうだけど…嵐山毎回不便じゃん。だから許可もらったし、作ってもらったからいいの!」
もう押し付けたようなものだからと迅は嵐山に遠慮しないようにと、少し強く言う。
「ありがとう。助かるよ」
もっと簡略化して説明したかった。正直、まるで自分のところにもっと来いと催促しているみたいで恥ずかしかったから。
「これで今度から、一分でも早く迅に会えるな。ありがとう。ありがたく使わせてもらうよ」
でも、臆面もなく嵐山がそう呟くから…もうっ………

勘違いするな。嵐山は元からこういう人なんだと。それでも、迅は嵐山とお揃いになったトリガーをぐっと握って喜びをかみしめた。









7,Side 嵐山

迅の部屋はスライド式ドアのはずなのに、そのときばかりはどーんと扉が開くような音がした錯覚を受けた。
「おーい、迅。来てやったぞ!」
インターフォンが連打される音が鳴ったと思ったら、そんな少し大きな声が部屋の中に響き渡って、嵐山は少し驚いた。嵐山が迅の部屋に居るときに、他の来客の声を聞いたのは初めてだったから。
「え、もしかして太刀川さん?」
迅も同じく驚いたようで、きょとんとしながら相手の名前をつぶやく。
「開けてくれよー」
仕方ないという表情をありありと見せた迅は、扉の前まで歩きロックを解除するパスワードを入れた。
「ようっ」
現れたのはやはりA級一位部隊の隊長をしている太刀川だった。さきほど、迅がその名前を呼んだときからまさかとは思っていたが、見間違えるわけもない相手だ。有名人すぎる。部隊としてもトップ個人総合成績もトップ。アタッカーランキングぶっちぎりの一位。本部内でも一、二を争う有名人の登場には、さすがに嵐山も驚きにその場から立ち上がった。それは太刀川の方も多少そうだったらしく、立ち上がった嵐山の顔を見て、謎がる顔をした。
「あれ…お前は………確か、嵐山だっけ?」
おぼろげながらもどうやらこちらの名前を覚えていたらしい。そもそも嵐山はB級で、通っている学校も違い学年も一つ違う新参者。太刀川ぐらいになれば知り合いも多いだろうが、今のところ嵐山としたら直接話をしたこともなかったし、その噂自体はこちらはいくらでも聞くが直接本人の人となりの様子なんて従兄妹である小南がちらっと言うくらいだ。
「何で、こいつここにいんの?」
人をスバリと指で指しながらも、太刀川は頭だけ迅に向けてきた。嵐山がなんて答えればいいのか反応に困っている間に、迅が口を挟む。
「ていうか、太刀川さんこそ、何で来たの?」
太刀川の疑問には特に答えず、迅は少し不機嫌そうな顔をまったく隠そうとしない。迅は嵐山の前でこういう表情をしたことがなかったため、外野として見てちょっと驚く。
「何でって言われても、約束してただろ?」
今度は太刀川の方が不思議がる番らしく、迅の気持ちを全く汲み取らない表情で言葉を返した。
「それ、明日だよ。今日がいつだかわかってる?」
はっきりと証拠を見せ付けるかのように、迅はポケットから取り出してスマートフォンを太刀川の顔の前に見せ付けた。どうやらいくつか操作して、メール画面を示しているようだ。さすがに嵐山からの距離だとその内容まではわからないが、きっと何らかの日付が示されているのだろう。
「あ、間違えた」
マジでという顔をして迅のスマートフォンを覗きこんだ後は、あっさりと認める言葉を出した。先ほどの入室態度はそれなりに大きいものではあったが、案外素直な人なんだな…と嵐山は太刀川の人となりを理解した。
「今日は嵐山と話があるんだから、太刀川さんは出直してよ」
どうやら少し予定が狂ったことに、迅はちょっと機嫌が悪いようだった。別にそこまでタイトなスケジュールではないと普段から本人は言っているが、どうしたんだろう。
「いや、明日は無理だわ。別の予定入れた。な、折角ここまで来たんだし、今日でいいだろ?」
頼むよと懇願するように太刀川は両手を刷り合わせた。
「えー」
それを受けて、迅は少し嫌そうな顔をしてブーイングの声を漏らす。
「迅。おれは特に用があるわけじゃないし、別の日に出直すので構わないぞ」
助け舟というわけではなかったが、そのまま混沌状態で居られても嵐山としては居心地が悪い。何より、先ほど言ったことは事実で特に火急な用事があるわけではなかった。今日だって、嵐山の時間が空いたから来ただけだ。ならば用事のある太刀川を優先するのが道理に思えた。
「別に嵐山が遠慮することないよ。太刀川さんが日にち間違えたのがいけないんだし」
「いや、それはそうだけどさ。てか、何で嵐山がここに?」
こちらの状況を把握したのか、太刀川が割入って疑問の声を上げた。
「太刀川さんは、玉狛支部の小南と認識ありますよね?おれは、彼女の従兄妹なんです」
嵐山がここに来ることになった経緯全て話すには多少の問題がありそうなので、とりあえず差し支えがなくわかりやすい小南の名前を出した。
「あー、なーるほど。んじゃあ、小南の権限使ってここにいんの?」
ぽんっと合致が言ったようで、手を一つ合わせて質問が飛んでくる。
「違うって、嵐山はおれの友達だからいるの!」
嵐山が答えるより先に迅が真っ向否定で返した。
「いや、おまえ俺とも友達だろ?なんで、そんなに扱い違うん?」
どうやら迅の応対が釈然としないらしく、太刀川はやや言葉弱めに尋ねる形となった。
「別に太刀川さんとは単純な友達じゃないよ。でも腐れ縁とも違うな…なんだろう。めんどうくさい相手」
少し考えてからその関係を形容詞する言葉を出したが、あまり言葉がよくなったとは思えない。よく考えればたまに迅は他の隊員の話をしないわけでもなく、そこに固有名詞なく出てくる相手の一人に太刀川のような人間が該当するかもしれない。そう言われてみると、迅の友達というのがあまり思い浮かばない。二人が話していても出てこない話題でもあった。まあ嵐山が知らない人間の話をするのは憚られるとは思っているのだろうが、玉狛のメンバー以外は確かに迅と共通する知り合いがいないということもある。ただ、迅はずっとここにいるから友達関係を築くのはとても大変だとそれはわかる。
「せめてそこはライバルって言えよ。え、何…友達なら迅と自由に会えるの?毎回、上の許可いらないの?」
どうやら太刀川は迅のことをライバルだと思いたいらしい。実力からすればかなり納得の出来る言葉に聞こえた。
「そういうこと」
「だー もっと前々から迅と仲良くしときゃよかった。聞いてない」
なんだか本気で悔しいようで、地団駄を踏むように全力で残念がる方向を向けた。
「あの…やっぱり俺は居ないほうが…」
どんどんと話がまどろっこしくなっているので、迅は居ていいとは言ったが一言行ってこの場を去ろうかと思った。
「嵐山はいいの!」
瞬時に引き止める迅の声が飛ぶ。嵐山が多少その足を入り口に向けようとしたところ、隊服の上着の裾をがしっと掴まれたくらいだ。
「あ、俺も嵐山から話聞きたい。迅と友達になる方法」
はいはーいと、この空気の中で明るく太刀川は挙手をして、嵐山に向けてくる。
「そんなのないって。嵐山だから、友達なの。んもー 帰らないなら仕方ないな。今回はここにいていいよ。仕方ないけど」
二回言った。迅は確実に二回仕方ないと言った。しぶしぶという表情をありありと見せながらの了承の声だった。
「え!おまえ大丈夫なの?マンツーじゃなくて」
このフロアに響くほど驚いた声で、太刀川が疑問の声を上げた。どうやら心底驚愕したらしい。
「この前、嵐山と天羽と三人で会ったときも大丈夫だったから、多分平気」
ぽつりとしながらではあったが、その出来事を迅は口にした。
「そっか、嵐山。おまえ凄いなー」
そうして近寄って来た太刀川は、ばしばしと盛大にこちらの背中を叩いた。加減をあまり知らないらしく、正直ちょっと痛かった、ははっと笑い返す反応に留める。嵐山としては、別に何もやっていないつもりなのだから、やはりよくわからない。それにしても、太刀川ってこういう人だったのかと、そちらの方が驚きだった。小南からたまに太刀川の駄目エピソードを聞くことはあったが、やっぱりイメージがちょっと塗り変わった。
「えーと、まあ太刀川さん座ってください」
ホストでもないのに、椅子に促す形となる。何だか立ってるだけでも疲れてしまいそうだから。
「ちょうどいい椅子あったかな。基本あんまり人こないから」
独り言も含めるかのように迅は奥のフロアへと行って、丸い業務用っぽい椅子をガラゴロと転がしつつも戻って来た。いつも嵐山と迅が座る応接ソファは、そんなに何人もかけられる仕様ではないので、人数が増えるとこうなるのは仕方ないことだ。
「俺、二人の邪魔にならないか?」
よく考えると凄い相手の間に入ったということに気が付いて、思わず引き下がる声が出てしまう。
「全然。嵐山が優先だし」
相変わらず迅はあまり太刀川さんに敬意を払わない言葉を出す。仲が悪いようには見えないというか、良さそうなのになぜこんなぶっきらぼうなんだろうか。他の人と迅が話をしているところをあまりマトモに見たことはないとはいえ。
「そういえば、太刀川さんは何をしにここに?」
椅子に座って落ち着いたところで、ばりぼりとテーブルに置かれたぼんち揚を食べ初めて和み始めたので、嵐山は切り出した。
「ああ、俺は未来を迅に視てもらってるんだけど」
ぼんち揚の合間に、そのサイドエフェクトの名前を太刀川は出した。
「言っておくけど、別に太刀川さんだけがおれに会いに来るんじゃないからね。上層部の人とか、A級隊長とかのを定期的に視るように言われてるだけだから」
それはA級隊長の義務だと、迅は暗に言ったようだった。
「そう。呼ばれないと、来れない。だから今回も、半月ぶりのお呼ばれ」
かぶりを振って太刀川はアピールする。だが、その指には食べかけのぼんち揚が挟まったままなので、どうも威厳にかけるのは仕方ない。
「半月ですか?」
それは確かに随分長い頻度に嵐山からすれば思えた。
「嵐山も俺と同じじゃないのか?どれくらいここに来てるんだ?」
「一応、最初は週一って言われたんですけど」
実際はもっと全然たくさん来ている。それで迅が迷惑だとか言われないし、大体次いつ来てくれる?と催促されるくらいだったから今まで頻度なんて別段とは気にしたことはなかった。
「週一って、いいなー。おれなんてスゲー事務的対応。未来視られてちょっと世間話して終わりだぜ」
まるで迅がツチノコみたいな言われようだった。そして、どうやら自分の扱いがぞんざいでちょっと酷いことには気が付いているらしい。太刀川は随分と迅のことを気に入っているようだと感じる。
「太刀川さんって、迅のことが好きなんですか?」
それを言った瞬間に、迅の手元からぼんち揚がぽろりと落ちた。
「ない!絶対、ない。それだけはない。有り得ないから」
がはりと椅子から立ち上がった迅は、物凄い勢いでそれを否定した。そうして真顔で訴えた後、ちょっともやもやした顔を見せた。嵐山としては、単純に素直な疑問として聞いただけ…のつもりではあったが、少し大げさに捉えられてしまったようだ。
「ひでーな。まあ、迅のことは好きというか、戦いたいだけだけど」
割と慣れているらしく、太刀川は本心で迅の言葉を嘆いているようではないようだ。結構さらっとスルーして言葉を続ける。そのやり取りを見て、迅は否定しそうだけど、やっぱりこの二人仲良さそうだなと感じた。
「そうなんだよ。太刀川さんって戦闘狂だから、おれと模擬戦やりたいってうるさいんだ。毎回」
嵐山とて、太刀川のランク戦好きの噂は聞いていた。ところ構わず来る者拒まず、去る者追わずというか。大体、いつも戦闘ブースにいるのを見かけるような気がする。こういう人がランキング一位に相応しいんだろうなと嵐山は遠巻きに感じるくらいだったが、ぶっちぎりの一位だとなかなか望む相手がいないというのは確かなんだろう。迅の実力がどれほどか、たまに模擬戦をする嵐山は多少は知っているが、だからと言って太刀川と比較しろと言われてもわからない。多分、二人とも戦法がかなり違うから、一概に甲乙はつけがたかった。
「ここ戦闘ブースあるだろ?だからやろうっていつも言ってるのに」
前に見たことがあるのか。奥のブースにチラリと視線をやって、促す言葉を入れる。
「何度も言ってるけど、S級は許可なしに戦っちゃだめだって」
「だからノマトリでいいからさ。ここでやればバレないだろ?」
垢抜けたあくどい顔を見せて来る。これは全然引き下がる予感がしない。毎度、こんな応酬をしているのだとしたら、確かに迅がげんなりするのも少し気持ちがわかる気がする。それにきっと太刀川にそこまで悪意はない。本当にただ迅が強いからこそ戦いたいという純粋な気持ちでいっぱいなのだろう。だからこそ迅も無碍にあしらうのを大変にしているに違いなかった。
「駄目。忍田さんに言いつけるよ」
「うげっ」
ここで最終手段ということで、本部長の名前を出した迅に、ようやく太刀川は乗り出した身を少し引いたのだった。
「何で太刀川さんは、駄目でおれとは模擬戦できるんだ?」
そうして嵐山に生まれたのは新たな疑問だった。迅にとってだって嵐山と戦うより太刀川と戦ったほうが余程有意義だと、そんなこと誰でも思うだろうから。
「えっ、嵐山。迅と模擬戦してんの?」
その瞬間、太刀川の首がくるっと嵐山に向いて、謎の期待を向ける純粋な瞳が見え隠れした。
「いや、正確に言うと模擬戦じゃなくて訓練つけてもらってるというか」
思わぬ太刀川の意気込みにこれは不味いかもしれないということで、嵐山は多少言葉を濁すにとどまる。
「嵐山は迅と戦えるのかよ。ずりぃ…」
ぶーぶーと確実に文句をする口を見せて、太刀川は不満を顔にあらわにした。
「別に贔屓じゃないって。嵐山はそういう許可取ってんの」
「そうなのか?」
別に嵐山は特別何かした記憶がなかったから、確認の為に言葉を出す。
「おれが最初に申請してごり押ししたから、有効」
グッと親指を突き出して、勝利を示唆する。
「いーなー 俺もごり押ししてくれよー」
ちょっと年上とは思えないゴネようを太刀川は口にした。やはりそれくらい迅と打ち解けているんだろうなとはわかったけれども、対する迅は甘くないようだった。
「太刀川さんが許可もらったら、それこそ週一で詰め掛けるでしょ。駄目だって。それにここではしないけど、遠征訓練とかにはおれも参加してるじゃん」
「あんな集団戦じゃなくてマンツーでやりたいんだって。大体、おまえ人がわらわら寄れないから大体逃げてるし」
「別に逃げてるわけじゃないって。めんどうくさい悪意を排除してるだけ。特に太刀川さんとか。
もうっ…とりあえず諦めてさ。やることやろうよ」
延々と繰り返す話題に迅も少し辟易してしまったのか、話を切り替える言葉を入れる。
「ま、そうだな。それが目的で一応来てるんだし」
一応仕方ないという様子を見せて、太刀川は一旦押し黙ったようだ。そうだ。太刀川は迅に未来を視てもらう為に来たのだった。
「ちょっと太刀川さん、じっとしてよ。おれが集中出来ない」
テーブルを挟んで向き合う迅と太刀川が、きちんと対面する形となる。迅は比較的真顔でそちらの様子を覗っているが、太刀川は少し猫背でちょっと考え事をしているようだった。ちなみに嵐山は二人の邪魔をしないようにと、迅の横にちょこんと座っている。
「お前、いつもさくっと読んでるじゃん」
「二人きりじゃないから一応、集中してんの」
「迅、俺は席を外そうか?」
同席する形となってしまったが、やっぱり人がいると気になるものだろうと、嵐山は一声をかける。
「平気。太刀川さんが、大人しくしてれば………直ぐ済むし。うん。もういいかな」
何かを見定めたようで、迅は頷く言葉を出す。あまり嵐山も迅のサイドエフェクトがどういうふうに発現しているのか聞いたことはない。ただ、本人からすると生まれつき持っているものだから、それがない人間に説明するのが少し難しいらしく、抽象的に表現するにとどまっているようだ。そうして、少し頭の中を整理したらしい迅は、がたりと立ち上がって反対サイドにある作業用のデスクに向かう。椅子を引いて座ると、立ち上がっているパソコンに何かを打ち込み始めた。
「俺の未来、凄い?」
少し距離はあったが、声を張れば全く問題なく伝わる距離なので、太刀川は疑問を飛ばした。
「普通だよ。ただ、忘れそうだからメモってるだけ」
太刀川と話しながらもタイピングする手は止めていないようで、さらりと流しながら進めている。
「どんな未来が視えたんだ?」
それでも興味津々らしく太刀川は迅に促す言葉を続けた。
「いつも言ってるでしょ。直接おれに未来の内容聞くのタブーだって。重要なことは報告書にまとめて、そっちに行くから」
そうか。一応、仕事で視えているものだから、別に太刀川本人のプライベートなんて報告はしないのだろう。A級隊長として、今後のボーダーの未来を間接的に視るのだから。そうやって今後のボーダーの指針に使われているのだろうなと嵐山も判断をした。
「ちえっ、少しくらい教えてくれたっていいだろ。どう、俺と模擬戦する未来とか視えちゃわない?」
そうやって期待を込めた願望を、包み隠さずに太刀川は言う。
「ないって。もう用は済んだでしょ。他にないなら、帰ってよ。そのお茶飲んだら」
わりときっぱりと言い切った。迅からすればこれは仕事の一貫なのだから茶々が入るのはどうも作業に集中できないのか。そう言い放つと、またパソコンに向かって打ち込みを再開している。
「つれないな。まあ、今日は機嫌が悪いみたいだし、マンツーじゃないし、早めに帰るか。んじゃ、行くか。嵐山」
よっと椅子から立ち上がった太刀川は、嵐山に促す声を入れた。
「ちょっと、待って!別に、嵐山には帰ってって言ってないから」
びっくりしたのは迅の方らしく、慌ててパソコンから視線を外して、あちらもガタリと立ち上がった。
「何だ…嵐山に用あるのか?」
心底不思議そうな声を出して、その素直な疑問を太刀川は聞きなおした。
「そういうわけじゃないけど…別に太刀川さんには関係ないし」
ちょっと冷静になった迅は、すとんと椅子を座りなおして、口ごもった。確かに、太刀川が来る前に嵐山としては今日の用事は済ませたはずではあった。そう思うのは嵐山サイドなので、迅にはまだ何かある…のだろうかと思うくらいではあったが、それを太刀川は遮る。
「いや、あるな。嵐山は、これから俺と模擬戦するから」
「えっ、! いつの間にそんな話に?」
今度驚くのは嵐山の番であった。殆ど二人の会話に参加していなかったというのに、突然話を振られたようなもので、しかもこの話の流れのどこでそんなことが有効になったというのだろうか。少なくとも、嵐山が頷いた記憶はない。大体さっきから太刀川は、迅に模擬戦しようとしか言っていなかった。それでどうしてそういう流れになるのか…と、疑問しか沸かない。
「興味わいたからな。迅がそれだけ執着する嵐山に。俺は強い奴も好きだけど、見どころのある奴と戦うのはもっと好きだ。嵐山は強いんだろ?」
なにやら勝手に太刀川の中では確定事項になったらしく、上手い口車がよく回り質問された。
「まさか。迅とは確かに模擬戦をしていますけど、ハンデだってもらっていて現状到底及ばないです。それに俺はまだB級ですし、太刀川さんを満足させる戦いなんて出来ませんよ」
慌てて言い訳のようなものを並べてしまう。噂では太刀川の趣味はランク戦とは聞いていたが、自分が相手になるとは思えなかった。謎の過大評価をされてもらっては困る。まだまだ同じ土俵に立てるとは考えたことさえなかった。
「嵐山は強くなるよ。今は入隊したばっかりだからまだだけど、いずれ。ちょっと今は経験が足りてないだけで、いずれ太刀川さんとかと同じ場所まであがるから」
慌てる嵐山を尻目に、迅ははっきりと言い切った。幅広い空間にその言葉は、しんと通った。それは未来を見据えた物言いだと感じた。確かに、迅が嘘をつくわけがないということはわかるが、嵐山自身にはまだそんな実感まるでなかった。それでも迅の言葉を無碍にすることも出来ないので、今はありがたく感受しようと、そう思った。
「ますます気になった。行こうぜ」
いつの間にか、右腕を持ち上げられて太刀川にぐいっと引っ張られた。やや身長差と体格差があるので、やや強引に持ってかれる。
「って、だからって嵐山を連れてかないでよ!」
それとこれとは別の話だと、はっとした迅は慌てて引きとめようと、身を乗り出してくる。
「迅、すまない。次来るときはまた連絡するから」
ややずるずると引きずられてく嵐山に対して、太刀川は、はっはっはと笑いながら、迅のフロアから退出する形となったのだった。
嵐山より確実に年上で、戦闘もうまい人間に、逆らえるはずもなかった。結局、ろくな抵抗できるはずもなく、そのまま空いている訓練ブースにぶち込まれたのだった。





「おー、嵐山。今日は、このくらいにすっか?」
一瞬のうちにベイルアウトを食らい、ドサリとマットレスに身体が落ちる。それは、いつもより深みを感じる重さという経験だった。生身の身体は酷使していない筈なのに、どうしてか少し勝手に汗をかいているような気がするそうして露骨にスタミナ不足を露呈した。やはり上位者相手には神経が擦り切れる。トリオン体で戦っているのだから生身の方は影響ないとはいえ、太刀川相手に、向こうは年季も長いし、ただ単純に強いし、何一つ勝てるところなんてない。そうして何十戦かした後、余裕だからかもしれないが、けろりとした顔でこちらのブースの顔を出してきたのだ。
「完敗です」
思い出しても、まだ息が詰まる気がする。嵐山の些細な戦術などあっという間に押し切られたばかりだった。さすが、現状嵐山の雲の上の存在に君臨する存在だ。
「そうだなー まだまだ全然だな」
太刀川は、こういうことを全くオブラートに包まない。たとえ瞬殺だとしても、手を抜くことは決してすることはなく、ボコボコにされた。迅に期待されているのだから、普段以上に全力を出さなければとは思って対戦したわけだが、無残であった。わかっていたけど、迅にも負けて最近負け越している気がする。こればっかりは仕方ない。上の人が戦ってくれる機会はありがたいから、より高見を目指すことが出来る。
「でも、面白かったし、その気合は買った。また声をかけていいか?」
「それは、もちろん願ったりです」
それでもほんの少しでも太刀川の何かに引っかかるものがあったようで、具体的にどうとは言わないが、再戦の声をかけてくれた。嵐山も迅と戦うようになってから、少しは成長している…ということだろうか。そう思いたい。
「それで、俺と迅どっちが強いと思う?」
わくわくとしながら太刀川は尋ねてくる。やっぱりそれも目的の一つだったのだろう。見極めを求めてくる。
「わかりませんよ。大体、俺相手だと二人とも本気じゃないですから、俺で図るのは無理です。それに二人とも戦い方がまるで違いますし」
弧月とスコーピオンという武器の差という前提もあるし、逆にどこか同じ戦法ってあるのか?と感じるくらいだった。太刀川には太刀川の、迅には迅のそこはかとない強さがあって、単純にどちらか…だなんて本人同士が戦わない限り優越つけるのは無理だと感じる。
「んじゃあ、嵐山が俺レベルになってくれればいいってことだな。よしっ、ガンガン訓練誘うからな!」
嬉しそうに太刀川はどこまでも前向きな声を出した。
「ほどほどにお願いします…」
相手をしてくれることは本当にありがたいことだが、太刀川の戦法的にとりあえずぶった斬られるというのが大体だったので、そればかり食らうと嵐山の成長はそう単純に望むのは大変だと…感じた。
「迅が黒トリガー持つ前は、俺たちまあほぼ互角だったんだよ。今はどうなったのか、気になってな。巻き込んで悪いなぁとは思うけど。でもまあ、嵐山みたいなのがB級でくすぶってるとつまらないから、早く上に上がって来いよ」
骨があることを認めてくれたようで、ちょいっと人差し指で自分を示して見せた。
「簡単に言わないで下さい」
迅に稽古をつけてもらっているおかげで、めきめき上達している感はあったが、それも今あっさり覆された。たった数戦闘で粉々だ。負けてプライドがどうとか、そもそもそういう相手じゃないとしても、まるで攻撃が当える方法がわからない。太刀川はどこまでも圧倒的な力だった。迅相手にだって別に勝てるだなんて思ったことはあまりないけども、何だか全然タイプが違う。ある意味真っ直ぐな攻撃だというのに、だからこそ隙が全く見えない。いくら未来視があるとはいえ、この太刀川と互角だなんて…迅も相当なものだと改めて実感した。
「今日は、すまなかったな。迅の奴、嵐山とまだ話たがってたぽかったな」
太刀川の方が迅と付き合いが長いせいか、嵐山より何かを悟っているような声を返された。
「いえ、俺の方こそ。邪魔したみたいで、すみません。太刀川さんの方が時間ないっていうのに、もっと迅と話したいこともあったでしょう?」
いくら模擬戦好きの太刀川だとしても、普段の忙しさからすると時間的余裕は知れたものだ。迅と会う事を楽しみにしていたようだし、本当に半月に一度しか会わないのだとしたら、折角のチャンスをふいにしてしまったことになる。
「まあ、そうなんだけど、俺は迅の力になってやることは出来ないだろうかな。それに、マンツーじゃないと基本迅は駄目だから、早めに帰りたかったし」
もしかしたら嵐山を誘ったことも口実の一つだったのかもしれない。気軽そうに見えても、迅の様子をきちんと観察しているようだった。
「そう…なんですか。おれにはいつもの迅に見えましたが」
確かに太刀川相手に少し戸惑っていた部分もあったが、嵐山に対する対応はほぼいつもどおりに感じた。
「そう、そうなんだよ!だから今日は驚いた。少し症状が治ったんだなって思って。前より案外、普通になってたなー ああ、そのうち昔みたいに、こっち上がって来れないかな。だいたい上がちょっと迅に過保護すぎるよな。もうちょい緩めてやっても…」
「症状?迅は病気か何かなんですか?」
そこまで太刀川が言い切ったところで、気になる言葉が耳に入り、申し訳ないが少し言葉を遮って尋ねる。
「迅から聞いてないのか?別に病気ってわけじゃないんだが、大規模侵攻があった時にあいつ未来視に呑まれたみたいなんだ」
そうして当たり前のことみたいに太刀川はそれを語った。
「呑まれたって………今だって普通にサイドエフェクト使ってますけど」
それは間違いない事実だった。さっきだって太刀川相手に使っていたし、普段から嵐山相手にそういう物言いが会話のうちに入って、もちろん全て当たっている。それを疑うことなんて一切なかったし、本人が拒絶しているようなふりを見たこともなかった。
「ああ、一人相手なら大丈夫らしいが。複数人は無理だって聞いた」
太刀川が知っている事は、又聞きのようで少し記憶を呼び覚ますかのように解説を続ける。
「だってそれじゃあ…サイドエフェクトってオンオフできないんじゃ」
「そう。だから迅は、ずっとあそこにいるんだ。不用意に誰かと会わないように。また未来視に呑まれて倒れないようにってな」
そんな迅の事情は、嵐山にとって初めて知ったものだった。
正直、今までずっと気になっていたことだった。だけどあえて本人に聞くことはタブーとしか思えなくて、わざと聞かなかった。迅はS級だからここにいるんだと…そう思うことにしていた。だが以前、天羽と会った時はどうだっただろうか。天羽には天羽の別の事情があるのだろうが、彼は迅よりは幾分か身軽に見えた。

「そんな…ずっと迅があそこにいなくちゃいけないだなんて………」
未来視を持っているのに…迅本人の未来は、どうしたって開いていなかったのだ。









8,Side 迅

平日の夕方になると、最近迅は落ち着かなくなってしまうようになった。
もちろんこの場に来る来訪者なんて少ないから、誰かを嬉しく待ち受けるだなんて今までなかった反動かもしれないけど。だから、これから来る嵐山にそれを見せないように必死で隠すけど、大丈夫かな。嵐山は好意を向けられる機会がとても多いから、迅如きが何を思おうが、笑って受け止めてくれるだけかもしれないけど、それでも良かった。だっていつも、嫌な顔一つみせずここに来てくれる。高校とボーダーと忙しくても、嵐山は約束をやぶらないし、無条件に迅を受け入れてくれる。心配をしてくれる。だからこそ、嵐山を見ていることが迅にとっての一番になったのだ。
迅をよく知る人間は、未来視を前提に迅に接してくる。事実、そうなのだから仕方ない。家族、師匠と…それら亡くしたものがいなくなり、迅を本当の意味で支える人間は消え失せた。そう、結局いくら未来視といっても万能ではないのだ。その歯がゆさを何度味わえばいいのか。
そうして第一次大規模侵攻の際、その場の全員からリバウンドを受けたかのように、身体が壊れた。これは報いなのかもしれないと。塗りつぶされた意識への圧迫を覚えながら…感じた。
未来視があるから迅は大丈夫だろう?それが相対的な評価だったんだ。ずっと。確かに普通の人間よりは優位な点があることはわかる。でもそれは迅にとって普通なことなのだ。産まれてこの方、未来視が隣にいなかったことなんてない。だから、普通を求められても困るのに。特別だからという言葉が重くのしかかる。未来視を隠そうとしなかった迅が悪かったのかもしれない。でも、それを言えば誰かの為になると思っていたのだ。それは期待だったが、現実はそう単純なものではなかった。ボーダーの面々はいい。迅のことをよく見知っているのだから、いわゆるそれ以外が駄目だった。それも平時ならば迅とて、たくさんの人間の未来を視ることはいつものことだったのだ、昔は。でも、あの時。あの大規模侵攻で視た人々の未来は尋常ではなかった。人は繋がっている大なり小なりにも、そして本人にさえ起きた不幸。死ななくても、死ぬよりずっと辛いことがたくさん市民に厄災となって降りかかった。それを迅は直に喰らって、押しつぶされた。人々の未来は明るいものではなかったと、改めて思い知らされたのだ。そんな当たり前の事を今更…そうして結局はこんな場所で落ち着くしかなくなってしまった。
確かに周りはみんな迅を心配してくれた。こんなところにいなくちゃいけないのが健全な状況だと、迅だってそう思っているわけではない。だが、迅の持っている能力だというのに、迅が思うように未来視はコントロールされてくれてはいけなかった。別にそのことを不幸だとは思ってはいない。特異なサイドエフェクト持っているのに順風満帆に生きようだなんて、神様が許してくれるはずもないのだから。



「迅、今度一緒に防衛任務をしないか?」
その日、嵐山から意外な提案を受けた。少し戸惑ったが、折角嵐山が誘ってくれるのだからと迅は頷いた。
嵐山自身に迅のことに関しての許可を得られるような権限はなかったので、上になんとか通した。もう上層部だってわかっているはずだ。別に長らく発作も起こしていない。ちょっと嵐山に関することだけは強引に許可取っているっていうのはわかっていた。でも、上も迅が望むならとある程度我が侭は聞き入れてくれるようになっていた。だって、迅にはそれしかないのだから。
迅には基本的に望みがない。三門市の平和だとかボーダーを存続するためだとかそういうことには尽力を惜しまなかったが、迅自身に対してはまるで執着がなかった。前例があるからこそ、いつか一度壊れた身体がまたああなると、そう思ってしまうのだ。それでも生きているから、だったら出来ることをしようとは思うけど、でもそれは自分の為ではない。自分の為に生きようだとか、頑張ろうだとか、そんなことは思わなくなってしまった。何もかも叶わないのだ、もう……… 一度、あの時に迅は駄目になってしまったのだから。どうしたって、もう昔視た未来を実現できる希望はないと思っていた。
---以前、上層部の会議に参加することになったことがあった。案の定、迅は大勢の前に立つことは出来なかった。顔をしかめて、到来する未来に、瞬時に頭がガンガンとして痛くなった。ぶわっと鳥肌が立ち、勝手に汗出た。やっぱりそう簡単に制御はできていなかったのだ。



二人っきりの防衛任務ではあったが、手こずるなんてことはなかった。嵐山が提案して来た時、もちろん迅はそういう何事もない時を選んでセッティングしてシフト要請を出したのだから。いつもはもう少し他の隊が負担かかりそうなところ選び担当するけど、今日ぐらいはいいよね?とちょっと謝りながらも思った。
「北西地区は初めて来たけど、こんな場所だったんだな」
更地となった一面を見渡して、嵐山は少し寂しそうにぽつりと言葉を落とした。
普段はトリオン障壁で管理している関係もあって、縁がないのだろう。それに警戒区域内であるとはいえ、隊員はどこでも自由に歩きまわっていいというわけではない。防衛任務やパトロールをしている隊員の邪魔になる可能性があるので、ほぼ中央に位置するボーダー本部へ赴くのも地下の連絡通路を使うことが推奨されているし、外を歩く場合もルートがいくつか決められていてそこを通るようにと通達を受けている。本部以外の警戒区域内で生身でいることは時には致命傷になることもある。換装体でいることはその位置を本部に知られていることにもなるので、隊員がむやみやたらと関係ない地区に行こうだなんてすることは基本的にはないのだ。
北西地区はそもそもネイバーによって建物の殆どが蹂躙されている。その関係もあってか大型ネイバーなどの誘導に選ばれる可能性が高い。そうして無駄に障害物がないからこそ、そういった戦法が得意な隊が配置されることがある。スナイパーからすると導線が通ればいいってものでもないらしいが。他のポディションの戦術はともかく、戦略レベルまでは迅が全て把握しているものではないから、仕方ない。
「ここは、第一次大規模侵攻の時に最も戦況が酷かった場所だから」
正直あまり普通の隊員に見せるような場所ではなかった。だからあえて、誘導率をこっちにしてもらっているという部分もある。それに、この辺りに元々住んでいた隊員なども考慮されて配置されている。ボーダーの防衛任務はただローテーションでシフトを組めばいいだけというわけではない。迅とて、自分が倒れた場所には一応フラッシュバックがないようにと、近づかないようにはしているし。複雑なこのシフトを組んでいる人は相当繊細に気を使ってくれている。
「…もうすぐ、終了時間だな」
一戦闘が終わったところで、時間を確認した嵐山が声を出した。換装体のままなので時間は随時わかるが、嵐山は真面目だから普通の人以上に時間管理をしているようだった。
「うん。まあ、交代時間に新たに誘導されるってことはないから、もう一息つけると思う」
交代時間もエリアごとに少しずつずらされていて、申し送り前後の時間の余裕を持たされている。それに迅にはサイドエフェクトがあるから、そう簡単に覆ることがないだろう。最近は特に、ゲートの穴も減ってイレギュラー要因も排除されて随分と安定している。
「そうか」
迅の言葉を受けて、嵐山は一旦装着していたアサルトライフルをしまった。換装体だから目立った疲労というものはないだろうが、明らかに通常の防衛任務よりはたくさんのネイバーを相手しているに違いない。それは迅基準の誘導率となってしまうから、仕方ない部分もあったが。
「嵐山、ちょっとついてきてくれる?」
そんな中、ふと上を向いたら思いついたので、声をかける。
「どこに行くんだ?」
迅は嵐山の疑問には直ぐに答えずに、軽快に足を進める―――
この地区はあまり高い建物がないのだが、その中で唯一と言っていいほどの廃墟ビルの側面からジャンプをしてととんっと駆け上がる。本当はきちんと階段を使って登るべきだったが、ほんのりとご愛嬌だ。嵐山も追いかけるように後ろからついてきてくれた。
「ちょっとだけ、一緒に星空を見てくれるかな。ここ結構穴場なんだ」
廃墟ビルの屋上は、少し崩れた瓦礫で散乱が見られていていくばくか足元が悪かった。それでも、外壁付近に当たる一番見渡しの良いところへと移動すれば、それほど気になるものでもない。
「凄い星空だな」
足元の関係で立っている場所が限られてるせいか、嵐山が想像より近く隣に来てくれて、だからちょっとドキリした。星空の下の嵐山はただの星空よりもちろん綺麗に見えてしまうから、わざとらしく空を見上げる素振りになってしまう。首を上げると、空が落ちてくるような錯覚になるほどの見事に満天な星空。嵐山が隣にいるんだから、綺麗なのは当たり前なのかもしれないなと、盲目的なことさえ感じた。
正直、自分の恋が間違っている自覚はある。嵐山の未来から好きだなんて、どう考えてもおかしい。でも、未来でそれが起こるとわかっていても、こうやって追随してもまた好きになってしまうんだから、もう仕方ないんだと思う。
「おれ、いっつも一人だからさ。今日は嵐山がサポートしてくれて助かったよ」
外の空気をのびのびと感じなから、少し気を紛らわせるように言った。予め迅の防衛範囲は誘導率高いと警告したが、無理せずについて来てくれて、そこが一番安心した部分でもある。
「こちらこそ。迅が先陣に立ってくれるから、初めてでも何とかうまく行ってよかったよ」
嵐山もどこか緊張した部分があったのだろう。それに通常の防衛任務とは勝手が違う部分も随分と多いだろうと思う。それでも苦い顔一つしないで、付き合ってくれた。それにこっそりと思う事は、成長して格段に上達する嵐山を見てて楽しいと思ったのだ。ボーダーのトリガーには大分慣れてき始めているものの、まだまだ戦闘においては学ぶことがたくさんある。それを全て吸収するには膨大な時間がかかるけれども、やはりある程度の緊張感を得られるネイバーを相手にする防衛任務が上達には一番の場なのだ。実戦に勝る経験はない。
「背中を預けるって新鮮な感覚だった。それにやっぱり嵐山はサポートするの合ってるなぁ」
感嘆としながら言う。迅には未来視があるから、普通の人より後ろに気を使わなくてもいいものの、そもそも風刃が目の届く範囲の遠隔攻撃という性能のせいか、どうしても視覚外を気にするようになってしまっている。多少なりとも他人に任せられる部分があるのは、やはり気楽なところもある。それが嵐山だからこそ余計にそう感じるのだろう。
「そうか?まだ、あんまり経験はないんだが」
B級でもチームを組まず単独でいる限り、合同訓練でも防衛任務でも集団行動する機会は限られているから、嵐山としてはさほど実感がわかないのだろう。
「うん、将来。隊を組んだら、きっともっとうまく立ち回れると思う」
正直今回は行き当たりバッタリの付け焼刃だったが、それでも割合とうまくいった。回数を重ねればよりよくなるだろう。それはきっと嵐山が隊長になったときには一番の真価を発揮するだろうと感じたし、それを迅は未来で視ている。
「わかった、頑張ってみるよ。それと…良かったら、またこうやって防衛任務に付き合って欲しい。色々と迅には頼みごとばかりしているような気がして、申し訳ないんだが」
これも全て上に許可を取って進行していることを嵐山は気にしているのだろう。元々嵐山が迅と会う条件になっていることに規定の防衛任務の融通が入っているはずだから、それを含めてとすれば上もそこまで煩わしく感じてはいない筈だとは、迅は認識している。
「そんな…こっちこそ頼みたいくらいだよ。でもちょっと驚いたかな。嵐山から外に行こうって誘われたのは初めてだったし。いや、防衛任務だけどさ」
大なり小なりプレゼントもらったり気を使ってもらったりはしていたけど、はっきりとした行動を示されたのは初めてだった。さすがに嵐山から提案されなければ、迅とて無理に一緒に防衛任務はやらなかったかもしれないと思うのだ。
「そうだな…迅、少し話をしていいか?」
少し時間を気にしてか、嵐山のそんな前置きが入る。まだ一応、本部に帰るような時間ではない。
「うん、どうぞ」
何か、嵐山がとても真とした顔をするので、迅も向き直る。
「…実は、この前太刀川さんに聞いたんだ。迅があそこに居ることになった理由を。詮索するつもりは、本当はなかったんだ。でも、やっぱり知りたくて…すまない。他人のことを勝手にあれこれと聞いてしまって」
律儀にぺこりと頭を下げて嵐山は謝罪の言葉を入れた。
「別にいいよ。特に隠しているつもりはなかったし。おれとしては言うタイミングというか、最初にそんな重いこと言ったら、嵐山がおれに自然に接してくれなくなっちゃうだろうからって思ったからっていうのもあるし。そのせいで今嵐山には迷惑をかけてるけど」
そっか。うだうだしてしまった迅も悪かったと思ったけど、嵐山が自分に気を使う要因が増えてしまったなと、少し考えてしまう。あそこにいるってことは、いつか区切りをつけないといけないとはわかっているけど、でも結局は気持ちの問題なのだ。
「迷惑だなんて思っていない。俺は迅の力になりたい…そう思うから。でも…だからこそ、改めて聞きたいことがあるんだが…」
そこまで言い進めてから、ちょっと口ごもられた。
「何?」
何となく言いにくそうな口ぶりを珍しくも送られて、迅は促す言葉を一つ入れる。
「どうして、俺なんだと思って?桐絵と迅が仲がいいから…という理由はわかるが、いや正直に言おう。別にわざわざ俺を選ばなくても良かったんじゃないかと。謙遜とかそういうんじゃないんだ。ただ、ボーダーには俺よりもっと適切な人材がいくらでもいる…と思う。もちろんA級の人は俺より断然忙しいし、融通も利かないのかもしれないが。どうして俺をあそこに呼んでくれたんだ?」
別に嵐山は迅を問い詰めたいわけではないのだろう。それでもこの疑問にははっきりとした意志が備わっていた。
そう…疑問を抱くのも無理はない。嵐山としては、突然沸いて降ってきたようなものだろう。先日の太刀川との邂逅も、余計にそれを感じさせるものだったのだろう。そもそも嵐山を自由に出入りさせるのも、ある程度のリスクと交換して上層部との交渉で手に入れた権利だった。そこだけは他人に干渉されたくなかったから。その理由を知る権利。確かに当事者である嵐山にはあると思う。だから、迅は口にする。
「そうだな…平行世界ってわかるかな。ここではない世界だけど隣り合わせというか、おれが選び取れなかった昔の未来の行く末というか。そこでは今と違う色々なおれがいるんだ」
まるで夢物語みたいな事を語っていると迅は自分でさえそう思った。わかりやすいように平行世界という単語を使いはしたが、正確にはよくわからない。選ばなかった先の未来がどうなっているかなんて、迅にその結末を知ることは許されていないのだから。ただ過去の情報からの記憶の錯乱だけとも感じる時さえある。
「迅が、本部の地下にいない未来も…か?」
その一番の可能性に、わずかに嵐山の声は色を発したようだった。
「うん。今も別に不幸せってわけじゃないけど、やっぱりそこのおれは今よりは断然自由で…趣味暗躍だとか小南に言われたりしてて、それでもとても楽しそうなんだ。その世界では嵐山がおれの友達としていてくれたから、だから」
だからこそ迅はそれを望んで、この世界で無理やり嵐山を引き寄せたのだ。あの不自由のない世界でなら、嵐山と接触する方法はたくさんあったに違いない。きっとこんな強引に名指しで呼びつけたりはしなかっただろう。でも今の迅にはそれしかできなかったのだ。嵐山を繋ぎ止める良い方法が…ない。接触をする手段は数えるほどもなくて、だから今こうやって嵐山に疑問を抱かせてしまっていること。だから、結局は迅が選んだルートは間違っているとわかっている。それでも選ばざるを得なかった。それはこの胸の想いが押さえきれなかったからで、やっぱり自分は傲慢だと再認識させられる。
「ありがとう」
「え?」
「それなら、また迅は俺を選んでくれたんだな…って思って」
すんなりと通る声が、この夜空の下に綺麗に伸びた。
「うん」
嵐山が潔くそんな醜い迅を受け入れてくれて、どうしようもなくなった。自分がやっていることが正しいとは思わなくとも、今は嵐山が隣に居てくれる…それだけで良かったのだ
嵐山はいつも優しいから、たまにその優しさが辛くなる時がある。それでも甘えたくなる。別に、迅相手でなくとも嵐山はこうだから。迅では嵐山は変わらない気がするのだ…それでも、求めたいものがあった。

「迅、寒くないか?」
ぶるりと迅がひとつ身震いしたのを嵐山は目ざとく見ていて声をかけてくれる。それは外が寒いからとかそういうことだけではない震えではあったが、まだ迅の全てを曝け出せるほどの自信はない。
「ん、大丈夫。もうちょっと待って。空、見てて。もう直ぐ流れ星が…あっ、」
気を使ってもうこの場から移動しようかと腰を浮かせた嵐山に、迅は再び夜空を指をと示すと、あっと言うのに流れ星が到来した。それは本当に瞬きをする間という程度ではあったが、煌いて燃え尽きる瞬間の残像が脳裏に焼きつく。儚い様子は本当に瞼をかすめる程度しかなかった。
「ちょっとずるいから、おれは願えないかな」
未来視があるからこそ別に迅にとっては当然のように予期出来ていた事態だった。だから願い事を重ねるなんて傲慢はとてもではないが今までしたことはなかった。ただ、本当に久しぶりに見たことには違いない。純粋な外に出る機会だなんて防衛任務の時くらいしかないのだから。それでも嵐山と一緒というのは、さすがに狙ったわけではなかったが、これも無意識だったら怖い。だから有体な願い事はもうこれ以上は…
「そんなことはない。空は、星は、平等にあり続ける。星々にとって俺たちはとてもちっぽけな存在なんだから、迅一人が余計に一人分願ったってきっと叶うに決まってるさ。だから…出来たら聞かせて欲しい。迅の願いを」
今はもう果てない星屑となってしまった空の先を示しながら、嵐山は言った。
「嵐山は?」
こちらに向き直った嵐山に疑問を入れる。迅の言ったタイミング的に、願い事を言うチャンスはあった筈だったから。
「俺の願いは、迅の願いを叶えること。だから俺は迅の為に出来ることをしたいんだ。手伝わせてほしい。迅が何かを望むなら」
「おれの願いは…」
初めて口に出すかもしれない。これを… 今まではっきりと明確に思ったわけではなかった。ただ、無理だろうとあきらめていたからこそ余計に考えないようにと頭の中から排除していたそれが、自然と彷彿されてきたのだ。
「おれの願いは…玉狛支部に行ってみたいんだ。あそこは本来のおれの居るべき場所だから」
選び掴み取れなかった世界の未来や、これからの未来がたとえそれを示唆していなくとも、迅の気持ちはそこにあった。別に本部が嫌なわけではない。だけど、もうずっと迅は自由になりたかったのだ。それが、嵐山が来てくれて気持ちが増大した。やっぱりこんなの普通じゃない。結局隠れているも同然なのだ。だから、望んでしまう。数多の未来に押しつぶされた、最も望む未来を。馴染みの面々が揃っている玉狛を。あそこに迅の本当の未来があるのだから。
「ありがとう、教えてくれて。手伝うよ、迅の願いが叶うように。だから、歩みだしてみないか?」
対面の嵐山は、迅の手をぎゅっと握ってくれた。それは夜の寒さなんてもののせいじゃないこと、換装体だからすでにバレていたことだけど、それでも嬉しかった。確信のよう…だった。よどみなくいる筈の場所へと導いてくれると感じた。直ぐにそういう錯覚に陥ってしまうのはなさけないなとは思ったけど。
「ありがとう、嵐山。おれも頑張るよ」
深々とした静寂の中で、その手を取るんだ。だから今は悲観的にならずに涙を堪えて、澄み渡る前を向くことを求めよう。今までどこかしら冷めていた部分もあったと思う。でも、嵐山が隣に居てくれるなら、きっと。その先に嵐山がいるからこそ迅も本当に進むことが出来ると思ったから。一緒に、一歩前に進むこと。それが出来るのは、今こうやって嵐山が近くにいてくるから。そうして踏み出す勇気を与えてくれた。
皮肉なことに人間の生活区域がないからこそ、ここは余計に星々がきらめきがよく見えるのだ。人が単に有害だと毒付くつもりはない。だが、これも事実だった。

二人でいる今は、間違いなく幸せ時間だった。嵐山と世界を、外を、見てみたい。それは迅の願いでもあったから。









9,Side 嵐山

嵐山が、迅にしてあげられる事なんて本当に少ないとわかっていた。それでも何もしないよりは、行動をしたいと、そう思ったのだ。

「やっほー迅。来てあげたわよ」
次に来た時、嵐山の横には従兄妹の小南が一緒にいた。迅の住まう部屋で、揃って立ち並ぶ形となる。小南はいつもどおりの明るい声を最初にかけた。
「小南、久しぶり。嵐山もありがとう。来てくれて」
軽く手をあげてなんでもないかのように迅は振舞ってみせた。それは嵐山の目から見てだが、どうやら特に大丈夫そうだ。でも、迅は他人に動揺を隠すのがうまいから、注意していないとと嵐山は自分自身に念を入れた。
「案外、元気そうじゃない」
これが新しい一つの取り組みとなったのだ。迅いわく、ここに居るようになってから誰かと対面するときは、必ず相手は一人だったらしい。だからこそ、嵐山も迅と二人で会う事はあっても誰かを交えてということを突発的な事態以外で行ったことがなかったのだ。でも、迅は嵐山と一緒なら大丈夫かも…と示唆をくれた。この前、天羽や太刀川と遭遇した時も、迅にこれといった動揺は見受けられなかった。確かに嵐山はもう随分と一緒にいるから、今更新しいより取り見取りの未来が視えるということは少ないのだろう。だからまずは…と面識があって仲の良い小南と一緒に対談することを提案してみたら、あっさり了承してくれた。
後から知ったことだが、小南にはあまり迅に会うことが出来る環境ではないらしい。それは小南が玉狛支部所属という部分もあるだろうし、昔の云々は正直、嵐山が全て聞き及んでいるというわけではない。基本は、あまり小南が本部内をふらつくということ事態がないようなのだ。だから、嵐山も小南と会うのはもっぱら玉狛支部に限られていた。
「わりと自由にしてるよ」
迅は、小南の押せ押せな勢いに負けることなく、朗らかに笑いながら言葉を出した。嵐山もそれなりに元気な方だとは思うが、年下の明るい女子中学生にはさすがに負けると感じた。
「まあ、うちの准を貸してあげてるんだから、当たり前ね」
いつもの応接テーブルに腰掛けた三人だったが、小南は肘をついて自信満々にそう言った。
「え、俺ってレンタル物件だったのか?」
冗談だとはわかっていたが、そんな小南の言葉に続くように軽く受け流しながら嵐山も呼応する。最初に特に相談したような覚えはないのだが、小南からすれば自分の方が古株であるし、後から入った従兄妹の嵐山はそういう感じに捕らえているのだろう。
「嵐山のレンタルかー こりゃあ将来高くつきそうだな。今のうちに懐柔しとかないと」
対する迅ものり気なようで、ふむふむとわざわざリアクションを入れてくれた。
「いや、別に俺たち友達なんだから。貸すとか借りるとかじゃなくて、俺が勝手にここに来てるだけだって」
話が勝手に謎の飛躍を遂げそうなので、嵐山は苦笑しながら抑える言葉を一つ入れた。
「でも、最近の准ってつれないのよ。玉狛に夕食を食べに来なさいよって行っても、迅との約束があるからって、あっさり断っちゃうんだから」
つんっと口を尖らせながら、小南は少し愚痴たれた。何だか随分と大げさに言われている気がする。嵐山としては、丁寧に断っていて別に無碍にしたつもりはなかったのだが。
「へ?そうなの」
きょとんとした声を、迅は改めて嵐山に向けたようだった。
「先約を優先するのは当然だろ?それに桐絵が連絡くれるの、いつもギリギリじゃないか」
突発的にもたらされるお呼びに嵐山とて出来うる限りは対応していたが、出来ないときはもちろん断っていた。しかし、過剰なまでに迅を優先したつもりはなかったが、受け取る側からすればそう捉えてしまうのかもしれないと、他人に指摘されてちょっと初めてわかった。言われてみれば、断ったその回数も片手以上あるような気がする。
「こんなに可愛い女の子の誘い断るだなんて、准だから許されてるみたいなものよ?」
確かに身内の贔屓目差し置いても、小南はとても可愛い女の子ではあったが、自分で言うのは凄いなと少し言葉が出せなくもあった。
「ははっ、嵐山も小南には随分と弱いな」
微笑ましいという按配で、迅は笑いながらこちらを見据えた。嵐山が年下の女の子相手に狼狽する姿が珍しいのだろう。それは、今まで二人きりでしか会わなかったというのが原因でもあったが。嵐山も普段とはまた様子が違う楽しそうにこちらを眺めている迅というのは、何か貴重に思えた。
「迅も、准とばっか会ってないでもう少し他の隊員にも融通きかせなさいよ」
一通り嵐山に言いたい事を言った後、今度は迅へと矛先が向いた。小南は良い意味でも遠慮をしたりしない子なので、先ほど嵐山に向けた勢いをそのままスライドさせたかのようだった。しかし結構小南は好き嫌いが激しいので、そういう口調が出来るということはやはり迅とは相当な馴染みなんだなと感じた。
「いや、おれ自身は別に制限してないよ。でも、おれのトコ来る許可管理してるの上だし。ただ玉狛の人間はちょっと許可が通りにくいみたいだけどね」
やはり少し心寂しいのか、最後の方は小さめな声で迅は言った。
「それなら、ボスにもっと頑張ってもらわなくちゃね」
どうやら今度は上役である林藤に発破をかけるようだ。続く小南の元気の良さには、嵐山とて感服しそうだった。
「そう考えると、嵐山以外で一番ここに来るのって多分ボスだよ。おれが部屋にいないときも、ふらって来てるみたいだかなあ。毎回突然だからわりと驚く感じする」
未来視のある迅に不意打ちを食らわせるとは、やはり林藤は只者ではないと感じた。それでも、タイミングはきちんと見計らっているようで、一応今まで嵐山含めてとは遭遇したことはない。
「そう…迅のことを構うのはいいけど、支部に溜まってる書類の山もどうにかしてもらいたいわ」
この場にいないからこそ、つい愚痴が出てしまうのだろう。嵐山もチラリと見たことのある、支部長室の惨事には確かに同意の言葉を出したくなるのはわかる。
「今度、釘を刺しておくよ。そういえば、陽太郎がこの前本部でサイドエフェクト認定受けたって聞いたけど?」
同じ林藤繋がりで、玉狛のお子様を思い出したようで、迅は話を進める。嵐山もその話は知っていた。この小ささで、サイドエフェクトの発現が確認されるとは、将来がとても有望だと感じた。サイドエフェクトがあるということは、必然的にトリオンが通常の人間より高いということになる。別に玉狛で扶養されているから、ボーダーに入隊しなくてはいけないという法則はないが、それでも未来は明るく感じるのだ。
「ええ。とーっても生意気に元気してるわよ。迅が最後に会ってから多分、相当大きくなったと思うし。准も玉狛に来た時には遊んでくれるけど、あたしも相手するの疲れるくらい元気すぎるわ」
思い出して多少の疲労を感じたのか、小南は息を小さく吐く。子どもというものは周囲の人間に構って欲しくて仕方ないらしく、確かに常に動き回っているような印象さえある。それでも嵐山はたまに玉狛を訪れるくらいだから、そう頻度が高いわけでもないのだが、慢性的に玉狛にいる小南からすれば疲れを隠しきれないだろう。
「佐補や副がいるからな。俺は、子どもの相手に慣れているんだよ」
嵐山も自身の弟妹を思い出しながら、苦笑した。もう小学生でかなり大きくなったものの、嵐山から見れば弟妹はいつまで経っても手のかかる子どもに見えるのだ。
「あーなんかその言い方、あたしも面倒見てるって顔しなかった。今?」
なにやら思うことがあったのか目ざとく小南の声が飛ぶ。
「いや、桐絵はうちの妹たちより十分しっかりしてるよ。ところで桐絵。話し込む前に、差し入れ渡したほうがいいんじゃないか?」
話が大分本腰へと入っているのを危惧して、嵐山は催促を促した。久しぶりに会う迅相手に色々と話したいことがあるのだろうとそれはわかったが、放置しておいて後悔するのはきっと小南だろうから。
「あ、そうだったわ!」
そうして、がさりとビニール袋を迅の目の前に差し出すように応接テーブルの上に置いた。
「レイジさん特製、肉肉肉野菜炒めよ。迅、食べるの随分と久しぶりでしょ?」
どーんと目の前に示しながら、その存在を口にした。それは、思春期なんだから肉食べて成長しなさいと揶揄しているようにさえ思えた。これは玉狛を出る直前に作ってもらったからきっとまだ暖かい。
「おっ、名前を聞いただけで美味しそうだな!夕飯にありがたく食べるよ。しかし、女の子が出前みたいに持ってくるっていうの、ちょっとシュールだな」
特に小南のような可憐な女の子にはあまり相応しいとは思わなかったらしく、少しびっくりした様子で言われる。
「すまない、桐絵。俺が持つべきだったな」
「いーの。あたしが渡したかったんだから。どうせいつもぼんち揚ばっかり食べてるんでしょ?しっかりあたしから迅に忠告しておかないと」
念押しをするように小南は言った。この仕事をするフロアにはいつものダンボールの山は置いていないが、テーブルの中央に置かれたお茶請けがすでにぼんち揚の山なのできっとバレてる。そうか…そういえばそんなに昔から迅はぼんち揚の虜なのかと思った。だから。
「そうだな。迅、いくら好きでも同じ物を食べ続けるのは感心しないぞ」
呼応するように嵐山も続いた。お腹すいたなーと言いながら、ばりぼりとそれを食べているのを嵐山は何度となく目撃しているのだから。
「うわっ、二人から攻撃されると確かに重いな。最近ぼんち揚は、おやつ程度にしか食べてないよ〜」
ちょっと言い訳のように迅は答えた。食べ盛りとはいえ、学校とボーダーに忙しい嵐山は三度の食事をしっかりと取り、それほど間食をする習慣がない為、おやつがどの程度相応しいのかよくわからないが、迅のそれはやはり少し多く見えた。
「そうよ。あんたここにばっかりいるんだから、太るわよ」
そうして小南がすかさず追撃の声をかける。
「えっ、おれ太った?」
予想外のことを言われたらしく、迅は思わず自身の腹のあたりに視線を泳がした。
「いや、防衛任務で外にも出るしここで訓練も出来るんだから、別に太りはしてないんじゃないか?」
昔の迅は知らないが、少なくとも嵐山がここで始めて会った時からは変わりなく見えた。いくら会う頻度が高くとも体型に変化が見られれば、嵐山とて苦言の一つや二つ入れただろう。ぼんち揚をたくさん食べていてもいつも元気だし、好きなものを制限されると辛いだろうと思い、今まで言わなかったということもある。
「じゃあ、何かしら…幸せ太りする………とか?」
どこかに持って行きたいのか、小南は肥満に関連する言葉を出した。
「それ、こういう時に使う言葉か?大体、おれの普段の食事って本部のカフェテリアと同じメニューだし。それに、背はそれなりに伸びたと思うんだけどなぁ」
つまり、三度の食事はきちんと栄養士さんに任せているということになる。
そうして迅は、テーブルに肘付く小南に手を伸ばしてその頭をぽんぽんと軽く叩いた。背は高い方だと思うけどという含みをはらんでいる。
「そうね…じゃあ、もし迅が准より背が低くなったらもう一度言うわ」
嵐山より低くなったら疑うからと、はっきり小南は言った。
「えっ、今。俺と迅は身長一緒だぞ?桐絵は俺より迅に身長伸びて欲しいのか?」
嵐山も迅もまだ高校生なので、二人ともに身長はぐんぐんと伸びている途中だ。男だから今のところ背が高いに越したことはないとはいえ、引き合いに出されて驚く。
「言われて見ると、それも何だか釈然としないわね。じゃあ、二人はずっと同じ身長でいること。いいわね?」
確定事項のようにズバリと言われる。
「そんな無茶な…」
嵐山は多少呆れる言葉を出すが、迅には未来視という余裕があるのか、にやにや笑いながらこちらのやり取りを見ている気がする。
「だって、ホント二人共に無駄に身長だけは高いから」
少し年は離れているとはいえ、どんどん身長差が広がっているのが気に入らなかったのだろう。小南は少し腰を浮かせて隣に座る嵐山の、頭のてっぺんを軽く手のひらで触った。
「いや、別に無駄ってことはないだろう。桐絵もそのうち、大きくなるさ」
まだまだ女子も成長が止まる時期ではなかった筈だと見当を受けて、嵐山は言う。一応、学校でも長身に入っている嵐山と少し血が繋がっているのだから、見込みはそれなりになかなかだと思ったのだ。
「わかってる…少し寂しかっただけ」
置いていかれるとでも思ったのだろうか。多少のしおらしいトーンで言葉が響く。
「大丈夫。おれのサイドエフェクトにはきちんと成長している小南が視えてるさ」
勇気付けるように迅は、張った声でいつものお得意の台詞を口に出した。
「ホント?迅よりも?」
ばっと身を上げた小南は、期待する様子を全身で示して、テーブル向こうの迅に詰め寄る。
「ああ、もろちろんだ。さすがのおれも2m越えはしてないからな」
「えっ、じゃあ将来のあたしの身長って………」
「迅。冗談もほどほどにな…」
さすがにそこまでは望んでいないのだろう不安がる小南にとのやり取りに、嵐山はセーブする声をかけた。打ち解けた相手に小南が騙されやすいということは知っているが、あまり嵐山はそれを実戦しないので、いつも玉狛の人間相手にフォローに回るばかりだった。それがここでも発動するとはやれやれとは思う。
きっとそれは迅なりのコミュニケーションなのだろう。無理に明るく振舞い、からかってあげる。それは、うまく嵐山には出来ないことだから。



わいわいと和む会話の時間はとても早かった。
「今日は無理を言って、来てもらって助かったよ」
女子中学生である小南が出歩くには随分と遅い時間になってしまったので、迅の部屋を出た二人は本部から外へと繋がる連絡通路を練り歩く。このまま小南の自宅に送っていくつもりだった。
「こっちこそ、久しぶりに迅に会えたのは准のおかげね」
二人一緒で迅に会うのは初めてだったが、概ねうまく出来たよう感じた。そもそも嵐山は、迅が複数人と会って駄目だという状態をはっきりとは目撃したことはなかった。ただ、最初の頃はどこかに出かけた後に多少息苦しそうにしていたのをだけは知っている。本人も気にしているだろうから、あえてそれに触れたことなかったが、迅は嵐山の前では気丈に振舞おうとしているに違いなかった。
「桐絵のおかげで、迅もいつも以上に元気だったと思う」
それは間違いなかった。性別は違うものの、心の置ける友人というか妹みたいに見えたのだ。張り切りとは違う振舞いだったかのように思う。
「そう…安心した。実は、少し怖かったの。迅に会うのが」
ここで、連絡通路の中間に当たる休憩スペースに当たったので、小南はその簡易ソファに少し腰を付けて、いつもは明るいその顔に少しの影を落として言った。
「二人は仲がいいんじゃなかったのか?」
嵐山は立ったまま問いかける。実際、さっきまでの二人の様子に憂いがあるようにはまるで見受けられなかったから。
「そう…だからよ。准は聞いているんでしょ?迅があそこにいる理由を」
後ろ暗いその核心を、息を詰めて小南は口に出した。
「詳しくは…知らないが、大体は」
躊躇いの言葉を含めて答える。それでも嵐山が知っているのはほんの一握り。最初に接触してきた上は何も言わなかったし、太刀川とそれと迅自身からざっくり概要を聞いたのみにとどまっていた。
「迅が倒れたとき、一緒にいたのはあたしだったの。大規模侵攻がようやく一区切りして、ポーダーが大勢の市民の前に立った時だったわ…」
そうして小南は詳しい話を続けてくれた。嵐山はその事実にただ頷いて聞くことしか出来ない…それくらいの内容だった。



あくまで小南談ではあったが、まだボーダーという組織が私設集団なものだった頃。小南の少し後に入隊した迅は、最初から未来視を持っているので随分と聡い子どもだったらしい。いつも周りの状況や空気を読んでいた。だからこそ、本人は辛い素振りなんて今まで一度も見せなかったようだった。
あの大規模侵攻でネイバーをどうにか追い払って、傷つく大勢の市民と対峙したとき、迅は未来視に呑まれた…というのが概ね今の原因らしい。だから、たくさんの市民の未来視に詰め寄られた迅は、受け止め切れなかった。あの時のボーダーは単純なヒーローではなかった。それでもボーダーしかネイバーに対する対抗手段がないと判明して全ての矛先が、同時にボーダーにも向いた瞬間でもあった。
人は思う。どうして、こんなことになったのかと。そうだ。今現実にいないネイバーに憎しみを向けてもどうしようもない。だからこそ、全てを守ってくれなかったボーダーに向ける感情が強くなってしまったこと。当時は、ボーダーに入隊していなかった嵐山にも多少はわかる話だった。大切な家や家族を失った人間の未来は色々にうごめいた。
その重圧は迅の心だけではなく、一時的に身体の機能さえも壊したらしい。詳しくはわからない。随分と長く意識を失っていたらしいから。迅にとっては寝ているときが一番の安寧なのだ。
そうして目覚めたとき、迅は病院にいた。どこまでも白い無垢な世界。だが、それさえも迅にとっては心や安らぐ場所ではなかった。しばらくは市内の病院に入院した。だが、未来視の制御がうまくきかないので、病院みたいに人が多いところは駄目だったようだった。未来視の範囲はずっと一定せず、特別に儲けられた別室での療養さえ、迅には不可能だったのだ。
そうして…結局はここだ。ボーダーの本部基地地下。迅がその目で視たときはもうすでにかなり出来上がっていて、特別なそこにこもることになった。そうしてそれは今も続いている。皮肉みたいだが普段は人がいない警戒区域が迅にとって唯一の安寧の場所になったのだった。
だが、結局前進なんてなかった。今も、迅は過剰なまでのメディカルチェックで図られて守られている。複数の他人と会わなくても良い環境をボーダーは整えてくれたが、迅にはもはやどうしようもなかったのだ。それでも迅には未来視があったし、制限を加えた防衛任務なら何とかできた。他人と接しないということが、未来視にはとても有効でそうでもなかったら紛いもなりも人として生きていくことは出来なかっただろう。環境に恵まれていたともいえる。そうして、ようやくここまで回復したのだ。
「あの時の迅を知ってる人は、みんなね。迅に無理はさせられないって思っちゃうの」
そうして最後に桐絵は締めくくった。
「桐絵は、また迅が倒れるところをみたくないんだな」
優しい子だからこそ、わざと今まで迅のところに行くのも自重していたのに違いない。別に小南に悪い点はないだろう。たまたまその時に隣にいただけで。だが、それが小南のトラウマにもなった。
「実は、最初に准が迅と会うちょっと前にね。迅から相談をされたの。准をここに呼んでもいいかって」
「迅が?」
小南に予め断りを入れていたとは知らなかった。だから、今日最初に借りるだのそんな話になったのかと、少し納得言った。確かに嵐山は小南の従兄妹だが、直接的に迅と面識がないことは事実だったし、それまで小南から迅の存在が口から出たこともなかった。
「そう…だから、最初はあたし、それが迅の為でも何も知らない准と会うのは駄目だって言ったの。事情を知れば、きっと准は断らないと思ったし」
あの時の再来が、何よりも怖かったのだろう。小南も誰もかも周囲は変わる事を恐れた。だからこそ、迅と面会出来るのは今でも古参の面々に限られているらしい。
「桐絵…」
それはきっと迅の為だけではなく、嵐山の為でもあると思ったのだろう。昔馴染みだけで収めている迅悠一の事情を嵐山にも背負わせることにいつかなるとわかっていたのだろうから。
「だって、そうじゃない。いくら迅の視た未来では予定調和だったとしても、選ぶのは准自身なんだから。だから、准が迅のことを渋るなら直ぐにここに来るのは止めさせるつもりだったわ。でも…」
「心配しなくていい。迅とはうまくやってる」
結局はこうだった。迅の方がうまく立ち回っているのかもしれないが、二人の関係はすこぶる良好だったのだ。それを小南は、会う度に迅の話をする嵐山で見極めていたのだろう。そうだ。迅は一人じゃない。こうやって直接会わなくとも周囲の人間が気をつかってくれているのだ。
「ありがとう…あたしじゃ多分駄目だった。迅が倒れたのを見たボーダーの人間は、みんな再発を怖がってるから、結局何も出来ないでいるの。だから、一度しか言わない。迅を救ってくれて、そばに居てくれて…本当にありがとう」
顔をあげて小南は、はっきりとこちらに伝えた。
「ああ。これからもずっと迅の隣にいるよ」
小南には成し得なかったもの。それを確信として嵐山は返した。
「迅を、よろしくね。
一応話を疑うわけじゃなかったけど、准の話す迅は本当に昔に戻ったみたいに元気だったから。それでもまだ完全ではないのかもしれないけど…」
「これから迅に出会う人数を徐々に増やすつもりなんだ。それで今回は、桐絵にも協力してもらう形になったんだけど。
おれは迅に成し遂げてもらいたいことがあるんだ…だから、桐絵。一つ頼まれてくれないか?」
迅のおかげで知り合いも増えたし、これからどんどんとそれは推進するつもりだった。
そうして、全ての迅の事情を聞いて、胸のうちに暖めていたそれを、ようやく表に出すことを嵐山も選んだのだった。嵐山とて、いつまでも迅があそこに居続けること、それが何の解決にもならないこと。それはわかっていたから。だったら、憎まれ役でも何でもいいから、彼の為に。
自分は余計な事をするのかもしれないという気持ちもないわけではなかった。でも正直諦めているような迅を進ませたいと思った。多分、迅が嵐山を拒絶したら、それはきっと永遠なんだとわかっていても。









10,Side 迅

ボーダー上層部が、迅へ最初に与えたこの地下空間はそれなりに広かった。ただ迅は単純にだだっ広いのは好きではなかったから、ほんの一部を切り取って必要最低限の生活空間をトリオンで改めて構築してもらったのだった。その中でも、一人で居るときは大抵ベッドだけが置いてある簡素なこの小さい部屋にいることが多い。わざと狭く作られているので部屋の大きさとはしては四畳半にも満たすことはなく、シングルサイズのベッドを置けばあとはそこへ至る何歩かの場所という認識でしかなかった。まるで秘密の私室みたいで、最初はあまり夢見よくなかった。それでも迅はこのベッドの上に大抵いた。
どこまで効力があるのかは知らないが、一応トリオン障壁に似たサイドエフェクトの貫通を軽減する素材で作られているらしい。迅から引き剥がすことが出来ないその未来視が、少しでも負担にならないようにという配慮だった。それでも何も変わらなかった。あの、倒れたときの光景がフラッシュバックすることは昔に比べれば少なくなっただろう。別に再発を恐れているのではない。それもこれも必要とされて起きる現象なのだろうから。
だが、また倒れたらと心配をするのは周囲だった。たとえ迅の能力が有益であるとはいえ、馴染みの人間たちは本当の意味で迅を心配してくれている。ああなった原因がわかるようなわからないような状況で、必要以上に迅に過多がかかるようなことを周りは強要して来なかった。
ここにいれば確かに平和だった。そう…平和なのは迅だけだった。迅だけが…安全な空間に居続けているのだ。それがきっと誰かの犠牲の上になりたっていたとしても。



「迅…ここか?」
「…嵐山?」
ちょうどうつろうつろと半分夢を視ていたところだったから、それは現実ではなく夢か未来の嵐山かと思った。
「すまない…ノックはしたんだが」
申し訳無さそうに顔を控えめにこちらに向けてくる。反応がないからこそ、きっと心配させてしまったのだろう。
「ううん。大丈夫。嵐山、この部屋入るの初めてだよね。結構防音されてるから、外の声聞こえないんだ」
眠ろうと思ってベッドにいたわけでもないので、よっと起き上がってその縁に腰掛ける。ここは天井もそれほど高いわけではないから、立ち上がると圧迫感さえある。
「その…最近の調子はどうだ?」
「どうしたの?いきなり…調子はそこそこはいいよ。この前、簡単な幹部会議にもオブザーバーとして少し参加したんだ。さすがに支部長とかが全員集まる場は無理だったけど」
着実にだが、少しずつ進展の色は見えている。この前は、太刀川と風間がセットでこの場所に来たりもした。
「そうか。良かった」
嵐山が、ほっと胸を撫で下ろすリアクションをした瞬間、バチリと迅の瞼の裏にひとりでに到来するものがあった。
「ありがとう、嵐山」
「えっ」
「ごめん、視えちゃったんだ。嵐山がおれの為に色々頑張ってくれていること。だから、おれも嵐山に報いたいと思う」
未来として視えたもの。それがすべてだと迅は思っているわけではない。それでも拾いきれなかった未来のそして今までの嵐山が、どれだけ尽力していて迅に気を使ってくれているのか。それは今更だったから。そうして示された進む未来への道。結局掴み取るのは自分自身だと思い知って、だから先に言うのだ。
「いいのか?俺が何をしようとするか…迅が無理に付き合う必要はないんだぞ」
どうやら言いあぐねていた部分もあったようで、絶対的な自信とは違うそれを口に出される。
「無理な事なんかじゃない。これはおれが望んだことなんだから…さ」
そうだ。一度でも迅が渇望したという本心があった。きっと迅は嵐山の前では嘘だけではなく、見得も建前も全てを隠すことは出来ない。このどこまでも好きな人の前では。
「じゃあ、迅。ここを抜け出そう。そして、一度玉狛に行ってみよう」
「うん」
きっちりと頷いて揺ぎ無い信念を示した嵐山がいたからこそ、迅ははっきりと前を進むことが出来たのだった。





そうして、慌しい中で瞬く間に決行の日がやってきた。
迅が部屋の外でやることなすこと、基本は許可制だった。ここに来る時もここを出る時も申請を出して来ている。その見極めは最近わかるので、迅とて滅多に拒否をされることはなかったが、突然玉狛に行くこと。それがすんなりと通るわけがなかった。いきなり飛躍しすぎだ。上とて、徐々に迅が改善されていることを喜ばしく思っているのだろう。だからといって、画期的に話が進むとは思わなかっただろう。だが、嵐山はより大きい一歩を進む土台を迅の為にずっと尽力してくれたのだ。だから、その期待に応えたかった。元々、玉狛に行くということは迅が望んだことなのだから。
時間より少し早く嵐山がやってきてくれた。
「本当に、これでいいのか?」
これから先に多少の不安も見せて言われる。
「おっ、こういう構造になっているんだ。最近の隊服はなかなか機能的だなあ」
手渡されるものを受け取りながら少しの驚きの声を出す。そうして目新しい様子で嵐山の持ち物である、その折りたたまれたB級隊員の汎用服を眺めるのだ。身に着けている姿はよく見かけるが、こうやって手にとって眺めると統一性がなされていることに感心した。迅の隊服は今のボーダー組織が出来上がる前のフリーで着ていたものを継続しているので、統一隊服は一度も着用したことがない。
「サイズは大丈夫だとは思うんだが」
同じ身長だし体格的にも多分問題はないだろうとあたりをつける声がかかる。
「うん。さっそく着てみよっかな」
折角嵐山が早く来てくれたのだからやらなくてはいけないことはさっさと進めようと重い、迅は自身が着ているいつもの隊服の上着をざっと脱ぎ、横にある椅子の上にかけ、次に着ているTシャツに手をかけた。
「っと、迅。ここで着替えるのか?」
「え、あ。うん。駄目?」
Tシャツの裾に指がかかったままの状態で、ちょこっと真正面の嵐山に問いかける。
「いや、その……寒くないかと思って」
口ごもって問われて、思う。地下だからこそあまり外の季節は関係ない空間だとはいえ、換気だけはかなりしっかりなされている。年中温度調性はされているし、迅は別に熱がりだったり寒がりだったりしないので基本は自働設定に任せているから、特に気にしたことはなかった。
「うーん。そういえば、ここには鏡もないしね。ちょっと奥行ってくるよ」
嵐山が、どこかほっとしたかのような表情を示したので、そのままその場からちょっと離れる。嵐山に借りた隊服と脱いだ上着を肩に軽くひっかけて、寝室の方へと向かった。
そうして、素早く着替えてからまた戻る。
「大丈夫みたいだな」
「うん。動くのも問題ない」
ざっと迅の上から下まで視線を巡らした嵐山が太鼓判をくれたので、試しにぐるぐると手を回してみるが、別段と支障は見受けられなかった。
「迅。本当にトリガーは置いていくのか?」
カタリと隊服のポケットに入っていた愛用のトリガーをテーブルの上に置くと、一番にそう聞かれる。確かに今まであまり手放したことはなかった。これは師匠の形見で…迅が最も執着したものだと言っても過言ではないだろう。だけど。
「うん。最上さんにはちょっと留守番してもらうよ。大丈夫。今日は別におれがトリガー使うような状況にはならないから」
もしも…という事態がないとはわかっているが、それでもだからこそ黒トリガーは持っていけなかった。それこそこれは本当の意味で迅の物ということではないのだから、本部への一筋の義理立てとして残すという意味もある。
「そうか。だが、油断をするんじゃないぞ。何かあったら、俺が迅を守るから」
これ以上はないという確信を示して、嵐山はしっかりと言った。
「頼りにしてる」
それは本当に心からの気持ちを込めての言葉だった。それはもちろん単純に戦闘能力だけではなく、迅の心の支えとしての意味合いが強くもあった。
「さあ、行こう!」
そうやって嵐山がさりげなく手を差し出してくれるから、迅は前を進めるのだった。



嵐山にとっては、そこはいつもの帰る道であろう通路に違いなかった。だから迅は、嵐山に続いて後ろに付く。
上の許可も得ずに勝手に部屋を抜け出すこと、迅は一度たりともしたことはなかった。それはとても心配をしてくれているのがわかっているから。そうして、とてもありがたいことだとわかっている。でも、きっとこの平行線はずっと続くだろう。未来視には、まだまだ解明されていないことが多い。ボーダーが把握している数あるサイドエフェクトの中でも特に未知が多い部分なのだ。それでもここ数年でトリオンの研究は随分と進んだものの、そう簡単なことではないだろう。それにボーダーの発展の為にはもっといくらでもやるべきことがある。それをたかが迅一人の為にあれこれ手を尽くして貰う方が、迅自身にはとても嫌だったのだ。だからこそ迅も変化を嫌いあそこに居続けていた。
昔は自由だったからこそ、今は不便だと感じていないわけではない。だけど、迅は嵐山と本当の意味で出会ってとても贅沢者になってしまった。出来ることなら、ここだけではない世界で、彼と一緒に見たいものが出来てしまった。これが今まで扶養してくれたボーダーに対する裏切りにも近い行為だということはわかっている。でも、ただの一度でも好意を持つ人間から差し向けられたその手を振り払えるほどのことを迅にはとても出来なかった。嵐山の事を出会う前から好きだったけど、今はもっともっと好きになってしまったのだから。彼の想いに報いたい。今、この瞬間だけはボーダーより嵐山を選ぶことを許して欲しかった。
大分融通を利かせてもらっていた自覚はあったけど、正直どこまで今迅の存在が管理されているのか詳しくは知らない。知ろうともしなかった。それでも迅のトリガーで扉を開閉すれば記録は残るし、何より多分防衛任務で使うルート以外の扉は迅のトリガーでは開閉しないようになっているだろう。迅のトリガーでは所持しているだけで自働感知もされてしまうから、仕方なく置いてきた部分もある。いつものなじみである隊服を着なかったのは、監視カメラに対する気休め程度だが、それよりも普段の格好よりはマシだろう。周囲に対する目を誤魔化す目算もある。それでもこれは直ぐにバレるってわかっている。それでもささやかな抵抗は、せめて目的地につくまでに誤魔化せればいいと思うからだった。
時間帯が深夜なので、地下エリアでは誰ともすれ違うことはなかった。元からそこまで人の出入りが激しいものではないから、これに関しては予定調和と言っても過言ではなかっただろう。迅自身はこの広いボーダーの敷地に対する知識は、恐らく一般隊員よりはるかに少ない。それは今まで必要となかったから。迅が初めて本部に来た時、すでに地下に行くことは確定していたから上の世界はどこまでも扉の向こうで無関係だと決め込んでいたのだ。それが今、崩れる。
「迅、こっちだ」
予め嵐山から外に出るルートの示唆はされていて、頭では覚えていたがボーダーの壁や通路はほとんど同じ物体で構築されているので、初見では迷子になること必須だ。迷路のように入り組んでいるのは、外部からの侵入を警戒してとの事とはわかっている。所々、視界の上に簡単な案内板は見えるが、どれもこれも迅には馴染みは薄い。
エレベーターを登り上がり中央エリアに行けば、遠くの通路にちらほらと人影が垣間見える。ボーダー隊員は二十四時間勤務だし、技術部なんかは泊り込みの職員が多い。だから深夜だろうが、まったく人がいないわけではない。そうだ。このフロアを過ぎらなければいけない。そうして数々の人からの無作為な未来が、迅に訪れるのだ。一瞬でも油断すれば、多分よろけそうになるが大丈夫。嵐山が隣に居てくれるからどこまでも進むのだ。
予想以上に人が多いと判断したのか、嵐山にぐいっと左手を引っ張られて連れ立たれる。直接手つないでいるわけではないけど、この空気感がいいと思ってしまう程度にはドキリとした。
「ここまで来れば一先ず平気…かな?」
まさか本部内を走るわけにもいかないので、目立たない程度の少しの小走りで進んできた。本当の意味で迅を未来視から守るのならば、完全に人払いをしてもらえれば玉狛に行くのもそう問題ではないが、迅一人の為に大勢の隊員の妨げになるのは嫌だったから、こうやって暗躍する方が余程マシだった。そうして何とか突破すれば、ここから先は一本道みたいなものだ。
「そうだな。俺もこの連絡通路では滅多に誰かとは行き会わないし。大丈夫か?迅。疲れてないか?」
まるで迅の分も気苦労を背負っているかのように、具合は悪くないかと優しく嵐山は問いかけてくる。先ほどの移動は多少強引になってしまった部分もあったなと思う部分もあるのだろう。だが、それさえも全て迅の為なのだから愛おしく感じてしまうのだ。
「まだまだ平気。というか、距離的にはこれからでしょ」
これから玉狛へと繋がる連絡通路を伝って、一気に警戒区域を抜け出す。それこそ変に人目につかないからこそ走った方が早いくらいだ。トリオン体ではない生身で真剣に動くっていうのがちょっと久しぶりで、そちらは大分嵐山の方に分がありそうだが。
「そうだな。少し休んだし、行こうか」
そう…進まなくてはいけない。嵐山を幾ばくかの言い訳にしている部分があったとしても、それは誰かの為ではなくて自分の為に。
「本当にこの先も一緒に行くの?きっと嵐山も物凄く怒られるよ。…今なら戻れる。嵐山はおれに利用されたって言えばいい。そうすれば…」
そうして迅は最後の念押しをした。ここまで来て今更と思われるかも知れないが、自分の為に嵐山に害が及ぶことを本当は望んでいるわけがない。
それはここまで来たからもう大丈夫という、未来視がある迅だからこそ出来る啓示でもあった。この連絡通路までは本部管轄内だけど、玉狛まで一緒について言ったらもう言い逃れはできない。至難にも思える。引き返すなら本部を出る、ここが最後だ。嵐山は十分よくしてくれた。そうだ。本当は、こんなふうに嵐山を利用するつもりはなかったんだ。だけど、結局はこうなってしまった。迅は改めて自分の認識の甘さを思い知る。己の恋心さえも迅が生きる為に利用してしまったのだろうかという後悔。
「もう決心はとっくに固まってる。俺が、迅と一緒に行きたいんだ」
「………おれも…嵐山と一緒に行けて嬉しい」
あまりにも嵐山が真っ直ぐで素直な気持ちを示してくれるから、迅も本当を言った。それだけは間違いのない揺ぎ無いモノ。それに、二人ならこの距離を進むのもより早く行けそうだった。嵐山の隣がやっぱり一番楽なのだ。好きな人の負担になりたくない気持ちはあっても、嵐山が近くにいれば、彼の未来しか視えないから、そういう意味でも迅の心の安堵は保たれた。
この瞬間にも二人の間には、いろいろな未来が到来していた。そうした中で、さっと過ぎる昔感じた何か…今は大丈夫。また、昔みたいにはならない。それでも…二人きりが何よりも心地良かった。

「んーいい空気」
時間的には一時間にも満たなかったが、それでもようやく下界に出たような感覚を得た。そうだ、ここは警戒区域の外だ。久しぶり…迅にとっては本当に久しぶりだった。これが無限に広がる世界。自分が住んでいる市なのに、ここ数年の迅の世界は360度ボーダーしかなかったから。
外の明るい眩しさに少しサングラスをかけて調整する。夜だけど、煌く外灯はこちらの方が圧倒的に多い。だけど夜だからこそ余計に周囲の空気が澄み渡っているような気さえする。別に警戒地域の空気がよどんでいるというわけではないが、あそこには生活観が全くない。瓦礫と廃墟に近づきつつある寂しい場所で。人が、動物が、植物が、循環するここが本来だ。それは生きている証でもある。
「さあ、もう少しだ。桐絵に裏口を開けてもらったから」
嵐山かその方向を示すと建物が暗示される。いよいよ目的の玉狛支部のお目見えだ。
「うわっ、結構でっかいんだな」
未来視や写真などで何度も垣間見ているとはいえ、物量というか質量は身近で全体を見渡せば圧倒的だ。ほぼ初めて肉眼で接眼する迅とは違って、他の面々はいつものことだから改めて建物をそう遠くからまじまじと見ることがないせいだろう。思わず感嘆の声を漏らす。無骨な外見ではあったが中は機能的なので、なかなか味のある良い建物だなと素直に思える。
ちょっと建物の方に気をやり、首を見渡すように上げながら進むと…。
「っ、と…!」
そちらにばかり意識を集中させたせいか、ぐらりと何か不安定にバランスを崩す。
「…っ迅!大丈夫か!?」
よろける迅が、済んで引き止められる。慌てて、嵐山が受け止めてくれたのはいいが、そのまま腕にダイブした形となったのだ。二人が歩いていたのは、河川敷沿いだからそこまで道が整備されているわけでもなかったらしく、おそらく石か何かに躓いたようだった。
「ご…めん。つい、はしゃいじゃって」
自分でも気が付かないうちに興奮していたのだろう。まるで子どものような振る舞いになってしまったと、少し恥ずかしささえ感じる。
「いや、初めて来るんだろ?無理もないさ」
嵐山も、一瞬ひやっとしたようで、そう言いながらもほっと改めて息を吐いたように思えた。これは一番警戒していた本部内の移動が別段問題なかった反動かもしれない。
「そう…だね。もう無理に焦らなくても大丈夫なだって、わかったから」
あと少し。本当に少しなのだ。だから最後まで気を緩まないで、行こう。この一歩さえも未来への道筋となるように。



そして、かの地へと足を踏み入れる―――
「迅。久しぶりだな…」
「レイジさん」
リビングまで歩くと、待ちかねていたという様子で腕を軽く組んでいた木崎がソファから立ち上がった。そうして玉狛支部での対面がなされるのだ。
「小南から話は聞いている。あいにく今は防衛任務中…だがな」
木崎は別段素振りはいつもと変わらず、淡々と事実だけを告げてきた。
「そっか。小南にも会いたかったけど」
こればっかりは仕方ない。迅のサイドエフェクトで一番良い日を選んだが、その範疇に全てを組み込むことは出来なかったのだから。正直、失敗する未来だってたくさんあった。それこそ、このまま嵐山と離れ離れになるようなものさえある。迅の中での最悪の未来では、そうして嵐山は自らがもうニ度と迅に会う権限がなくなったことを示されたのだってある。
「すみません。こんな時間に…」
壁にかけられた時計にチラリと視線をやれば、深夜をとうに回っている。それでも起きて木崎は迅を待っていたからとわかり、恐縮しながら嵐山は答える。
「いや、構わない。だが…今回は随分と無茶をしたな」
そう。古馴染みの年長者として木崎は、迅をどこまでも心配をしてくれている。こちらの体調を気遣って、立場もあって、あまり本部の迅の元には来ないのも理由は知っている。少し寡黙だけど、多くを語らなくてもわかることはあるのだ。
「うん。嵐山はもちろんだけど…レイジさんにも随分迷惑をかけたね、おれ」
本部だって、本当はこの抜け道をわざと用意していたに違いない。いつか…は迅がそうするだろうという考えもあるのだろう。だから、今だってガチガチに拘束されているわけではない。ただ、その権限で立場で監視はしなくてはならないのだ。
「俺たちは別に気にはしてない。小南なんて、意気揚々と嵐山の話に乗って来たくらいだったみたいだしな。それで、どうする。どこか見て回りたい場所はあるか?」
わざわざ案内をしてくれるつもりなのか、木崎は周囲を少し示すように言った。
「レイジさん。あの部屋に入っても大丈夫ですか?」
迅が応えるより先に、どこかを示唆して嵐山が尋ね入った。わずかにその方向だけを視線で覗っている。
「そうだな。迅が行くなら、あそこがいいかもな。なら、嵐山が案内で大丈夫だな。何か他に用があったら呼んでくれ」
木崎も納得したらしく、再びリビングのソファに座りなおすように戻る。話は二人の中で進んでいた。そして終わる。
「迅。行こうか」
その行き先へと、嵐山は身体を向けて通路を進もうとしていた。
「えっ、と。ちょっと話が見えないんだけど…」
戸惑いを隠せないまま、迅は行った。迅とすれば、目的はもう終了したも同然だった。玉狛支部に行って見たいというそれは、十分すぎるほど叶った。それ以上でもそれ以下でもなかったから、これ以上は何も求めていない筈で。
「行けばわかるから、ちょっとついて来てくれ」
ずんずんと嵐山は先行するように進むので、慌てて迅も後に並ぶこととなる。
玉狛支部は、それなりに大きい建物だ。本部と比較してはいけないが、元々一般家庭とはまるで違う構造なので、それこそ慣れていない迅は迷うだろう。やがていくつかのドアや部屋が立ち並ぶ通路に入った。そこはボーダー特有のトリオンで作っているような訓練が出来る部屋とはまるで違う普通の居住区っぽい印象だった。板張りの廊下は新築ほどの小奇麗さはないが、それでもきちんと清掃が行き渡っている。だから、歩きながら迅はきょろきょろと興味深く思う部分もあった。
「ここだ。さ、入って」
嵐山は、その中にある他と別段変わりのない一つの扉を示した。特に鍵はかかっておらず、するりと入室が叶う。そうして嵐山はパチンと部屋の電気をつけた。月明かりの薄い暗闇から、部屋の様子が鮮明に映し出される。
「ここは…」
どこか…どこかで見たことがあった。その光景を。そうだ。迅はこの部屋を知っている。それは未来でもあり、過去に見た未来でもある。これからの未来は全てわからなくとも、そうここは確かに。
「迅の部屋だ」
とても声に出すことが出来ない中、その答えを嵐山は間違いなく声で教えてくれた。
本当に部屋には簡素なベッドくらいしか置いていない。それでもわかる。知っている。確かにこの胸の中にあるもの。そうだ。ここが、この部屋こそが本当に迅が居るべき場所なのだ…と。住まうべき。そう…だ。そうだった…未来の部屋に初めて。
「この部屋は別に今日の為に、即席で作られたわけじゃないんだ。ずっと…玉狛支部が出来てからずっと最初からあった。いつ迅が来てもいいようにって」
そうして嵐山が教えてくれる。だから木崎も迅と会って、このときが来たと確信するような頷きをしていたのだ。
そうだ。きっと待っていた。迅がその一歩を踏み出す日を、玉狛は待っていてくれてくれた。そうして、ようやくやってきた。それを導いてくれたのが嵐山だったから、迅は何よりも嬉しかったのだ。
「ありがとう…ずっと………ここまで来れたのは、嵐山のおかげだ」
とても感謝しきれない言葉がいくつも、止め処もなく溢れるけど、だけど、今はそれを言うくらいが精一杯だった。
「俺はほんの少し手伝っただけ…だ。迅がここまで来るって望んで選んだのだから」
「それでも…やっぱりきっと一人じゃ駄目だった」
それは間違いない。嵐山のおかげで世界が迅に優しい世界に切り替わっただとか、そこまでの傲慢は感じてはいない。でも、確かに迅は少しずつ変われた…それは事実だから。
「大丈夫。きっとそのうち本部の地下じゃなくて、きちんとここで生活できるようになるさ」
安心させるかのように、宥めるかのように、明るい未来を嵐山は口にしてくれた。迅にはいくらでも未来は視える。だけど、今まで実現が薄そうな希望にも思えるようなものは過度に期待して考えないようにしてきた。それは期待すればするほど駄目だったときの反動が酷いからで。だったら最初から諦めておけば、迅の心は傷つかないとどこまでも予防線を張っていたのだ。でも、嵐山が他ならぬ嵐山が未来を示唆してくれた。一人きりでいることが一番の安寧だった迅は、少しずつ変わりつつあるのだからと思えることが出来るのだ。
「うん。それが最終目標」
薄っすらとしていた未来が、今はっきりと決まった。ここで住めるようになる為のリハビリをする…と。
いつまでもあそこにいてはいけない。それは迅の為にも、そしてボーダーの為にもならない。やっぱり上へ迷惑をかけているのは違いない。いつまでも自分の能力を恐れていてはいけない。結局はそうなのだ。きっと気持ちの問題なのだ。サイドエフェクトは迅の中にある副作用なのだから。迅自身がきちんと認めて受け入れて制御してうまく付き合わなくてはいけない。いつまでも拒否をしているつもりなんてなかったけど、やはりどこか、勝手に心のうちで動きをセーブしていたに違いない。
「迅が自由になれれば、もう俺があそこに通うこともなくなるな」
それはもしかしたら嵐山の独り言だったかもしれないが、静かな空間でたしかにぽつりと呟かれて、迅は思わず顔をあげた。
そうだった。今の嵐山と自分の関係はなんだ?友人…だけど、それは嵐山があの本部の迅の部屋を訪れるという任務のようなものを請け負っているということで、成り立っている。きっと嵐山は優しいから同情を含めて今まで献身的にしてくれたに違いない。でも、これから嵐山一人には頼れなくなる。そうでなくてはリハビリも出来ない。
でも、それは駄目だ。きっと嵐山との糸が切れる。折角紡いだ、繋がりがだ。所詮は今まで全て迅の我が儘だった。嵐山の時間を取ってる。きっと嵐山を束縛しているから、本当は上に頼んでこの関係はやめてもらうべきだった。もう迅は十分に未来視に慣れて来たのだから。でもそしたら、あの地下にもう嵐山は来なくなる。きっと迅と一緒にいる時間少なくなる。それは嵐山にとっては肩の荷が下りることになるだろう。もう煩わしく通わなくてもよくなるのだから。それで終わり。…全てが終わってしまうとは思わなかった。でもきっとそれは、以前とはまた違う関係になってしまうだろう。一度離れてしまった後、今までのような気安い関係を維持できるのかと、自信なんてまるでなかった。
「迅!…なんで、泣いているんだ?」
突然、びっくりする声が目の前に飛び交って、嵐山に両肩を掴まれた。
「…え?」
自然にほろほろと目筋を伝うものがあったのだ。それはまるで迅が意識していなかったもので。
「俺が迅を、泣かせているんだな。…すまない」
少しおろおろとした困った顔を嵐山にさせてしまった。突然目の前の人間が泣き出したら、誰でもそうなるだろう。しかもこれは明らかに、この場に感動しての嬉し泣きではない。きっとどこまでも悲しい形相をしていただろうから。
そうしてようやく迅の決心が、すっと染み渡った。胸の中で解決したのだ。今なら、はっきり言える。どうせ駄目になるなら口に出そうと、そう思ったのだ。
「………おれ、嵐山ともっと一緒にいたい…」
でもあそこからは出たい…そんな矛盾が許されるとは思わなかった。それでも迅は贅沢で、全てを求めてしまう。なんて卑しいんだ。今まで散々迷惑をかけて、これ以上だなんてとてもどうしようもない。わかっている。そんなことは駄目だって。無理だって。
「俺も、迅とずっと一緒にいたい」
繰り返されるように、嵐山は言ってくれる。
「未来のおれ、きっともっと嵐山にいっぱい迷惑をかけてるよ」
これは予言ではなく確信。一度手に入れたら、今よりももっとずっと無理を言うだろう。迅は、きっと明確に嵐山を利用している。未来の自分は、いつも嵐山を求めていた。だからこうやって彼の懐に無理やり入り込んだ。
「俺は、迅に頼られて…最初に迅が俺を選んでくれて…あそこに呼んでくれて、一緒にいてくれて本当に嬉しかったんだ。迅と会えて関われて、幸せだった。だからこれからも…
きっと俺は、迅が好きなんだ………付き合おう…だめか?」
嵐山からもたらされた言葉は、少し自信がないような提案でもあるようなものだった。
「うん。おれも嵐山が好き…なんだ。それは、出会う前からずっと………
だからこそ嵐山のその感情は、もしかしたらおれが仕向けた事かもしれない」
そう…その不安があったからこそ、ずっと迅には思うところがあったのだ。拭いきれない罪悪感。全てを都合の良いようにしたつもりはなかった。でも、好きな人の前で良く見てもらおうとあれこれ画策をしたことがないわけではなかった。そもそも迅が選ぶ未来に、嵐山と決別する道を選べるわけがないのだから。
「俺の気持ちは偽りなんかじゃないさ。
迅だけじゃない…俺だって自分の未来を選んでここまで進んできた。そして、改めて迅を選ぶのだから…」
本当の、恋とか愛とかそんなことはこれからでいいのかもしれない。でも、この胸の中の気持ちだけはお互いに本物だと思った。今はこの押しつぶされそうな気持ちに満たされているのだから。まだまだ一緒にいたい…それが先行して、二人は抱き合った。
二人のこれからはここから始まるのだから、二人の形で愛をはぐくめば良いと思った。

嵐山と共に進めば、どこまでも鮮やかな未来が迅に到来するだろう。ボーダーの、そして嵐山の為に、迅は一人の預言者になるだろう。
そうしていつか、みんなの名前で明るく自己紹介する日がやってくる。





『本日。本部預かりから、玉狛支部所属になりました。実力派エリート、迅悠一です。ヨロシク』
と。



END...





出 会 う 前 か ら 好 き な 人