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嵐迅で、入隊から広報隊長になるまでの嵐山さんと迅さんの話。迅さんがラスボスっぽいので、性格が暗く捏造ばかりです。
はじまりは確か、中学三年生の時だったと思う。
その日、迅は珍しくきちんと朝から学校に登校した。そう表現をするほど、迅は正直あまり学校に興味がなかったのだ。それでも単純に世間一般に言われるような問題のある不登校というわけではなく、ただ単にボーダーでのあれこれが忙しかったことを大きな理由としていた。後に第一次大規模侵攻とも呼ばれる異世界ネイバーからの侵略は、数ヶ月前に三門市民に大きな爪痕を残した。子どもの頃から密かにボーダーの前身組織に所属していた迅は、これを機会に意図として表舞台に立つ事となった。一般人からすればどこか得体の知れない組織にも思えただろうが、それでも自分たちを守ってくれる存在である事には違いはなく、結局迅は周囲から腫れ物のように扱われた。それでも一応最低限ではあったが中学校に通っていたのは義務教育だし、ボーダーの大人たちが行くようにと毎度口煩いからだ。本人たちは忙しくて仕方ないと言っているが、ボーダーの仕事だけに気を使えばいい大人たちは、迅からすれば羨ましくも感じるくらいだった。
そんなわけで今日もさしてやる気もなく授業が流れるように終わり、いつものようにボーダーに帰るかと、迅は颯爽と玄関へと続く中庭を横切ろうとした。
「隣のクラスの迅悠一くん…だよね?ちょっといいかな」
珍しくも、後ろから迅の名前を呼ぶ声が存在していたのだ。
「呼び捨てでいいよ。おれに何か用?嵐山」
くるりと振り返りその姿と顔を認識した後、迅は相手の名前を呼び返した。
「俺のことを知っているのか?」
自分の名前を呼ばれたことに驚いたようで、嵐山はその整った顔に正直な表情を出していた。確かに嵐山の言うように、彼とは話したことはおろか、中学三年間で一度も同じクラスになったことはなかったせいか、まるで接点はないのは事実だった。二人の関係だけ思えば確かに。
「自覚ないの?学校で一番有名じゃん。むしろ嵐山がおれの事知っている方が驚きなんだけど」
やれやれと言った手振りを踏まえて伝えてあげる。嵐山は、品行方正で学業も運動も非常に出来る、みんなの人気者だった。こんな前途有望な人格者が本当に実在するんだなと少し驚くほどという表現は、そこまで過大ではないだろう。だからこそ、あまり学校に来ない迅でさえその顔と名前を知っていたのだ。あまり生真面目でない迅と嵐山は性格が正反対で、こうやって学校で鉢会うとはまるで思っていなかったが。
「たぶん、迅の方が有名だぞ。ボーダーに所属しているんだからな」
そう指摘されたが、迅はあまり自分自身に興味がない。ボーダーが隊員名簿を公開しているのは成りすまし防止だとか色々理由もあるだろうが、迅からすればいちいち周囲に説明する厄介がなくて良かった程度の認識でしかない。それに今のところの世間的扱いは、ありがたく思われる者半分、奇怪に感じる者半分といったところだろうか。将来はもう少し明るい未来だとはわかっているが、ボーダーもまだ世間的に本格始動したばかりと見てもよいところもあって、評価はそれほど高くはない。そんな中で迅みたいな一匹狼的存在は、遠巻きに見られることが必死というわけだ。それでも無理に学校生徒と仲良く付き合おうと思っているわけではないから、別に構わなかったが。
「ふーん、そんなものか。それで、呼び止めたからには何か話あるんだろ?」
だからと言って今更互いに自己紹介をするような雰囲気でもなかったので、迅は次の言葉を促した。
「ああ、そうだったな。少し聞きたいことがあるんだが…」
そこまで続けて、目の前の男に不釣合いな様子で少しの口ごもりを見せた。
「もしかして小南のこと?」
今のところ同じ学校に通っている程度以外では共通点があまりにないから、なぜ少し押し黙るのが疑問だったが、いくつかの見当が浮かんだ。それはボーダーで同じ支部に所属する小南のことで、彼の従兄妹だとは聞いていたから。
「そう…だな。桐絵にも相談したんだが…あまり色良い返事が貰えなくてな。実は俺もボーダーに入隊したいんだが…どうすればいいと思う?」
ここではっきりとした通る嵐山の声が響いたというのに、迅は自分の耳をちょっと疑った。
「えっ、まだ入ってなかったの?」
そう、それが迅の中で珍しく生まれた疑問だった。だって、目の前の嵐山の未来はとてもはっきりと示している。トリオン能力もトリガーを扱う素質も十分すぎるほどあり、彼は数年後には立派にA級隊長をしているのだから。それが迅のサイドエフェクトで明確に視えていた。それが当たり前すぎた。しかし、サイドエフェクトも万全なものではなく、たまにこういう錯誤もある。未来と現実が曖昧というか、学校だけではなく外を歩いていてもちらほらそういうのは視えるけど、わざわざ本人に言うものでもない。そもそも一般人にサイドエフェクトは知れ渡っていないから、当人や周りに生死の危険がない限り、ボーダー隊員以外に迅はわざわざ未来視を伝えたりはしていなかった。嵐山とてそうだ。むしろ未来の中の嵐山のボーダー内での進みがあまりに順風満帆なので、同じ学校に前途有望な隊員がいるのは知っていたが、勝手にそのうちボーダーで会うだろう程度にしか思っていなかった。それでも崩れた予定調和が目の前にある。
「いや、実は二度ほど試験に挑んだのが、落ちてしまったんだ。筆記試験は問題なかったと思う。面接も特に…なぜ落ちたか理由がわからなくてな」
残念がりながらも、嵐山はそれを語った。そうか、それでこの学校内で唯一ボーダーに所属している迅へ相談という形になったわけかと、納得に自然と頷く。
「そう…なんだ。嵐山にボーダー隊員として、素質がないってわけじゃないとは思うんだけど」
どうも迅は自分の能力的に曖昧な表現をしがちで、だから表面的にはそう答える。しかし未来がおかしいとやはり考え込む。いや、迅の未来視は基本的にそう大きくは外れない。もちろん嵐山がボーダーに入らないという未来がないというわけではないが、その枝葉の数を考えれば些細なもので、且つ本人に入隊する明確な意志があるなら尚更だった。それにしても入隊試験で落とされるということに、何か作意的なものを感じた。初期から所属している迅はもちろん入隊試験など受けたことはないが、今のそれがどんなものかは大体把握している。その実力がある嵐山が落とされるような要因が何かあるとしたら………どの未来を垣間見ても嵐山は、絶対にボーダーに必要だった。だからこそ、ほんの一つの可能性に行き当たった。
「それで、おれに口利きしてほしいの?」
それを確かめる事も含めて、迅はやや挑発的な物言いをした。そうではないとはわかっていたが、迅がよく知るのは今目の前に居る嵐山ではなく、未来の既にボーダーに所属している嵐山ばかりだったから。過去は知らない。
「違う。そんな方法でボーダーに入りたいわけじゃない。ただ、駄目なら納得したかっただけなんだ。俺にも市民を守る力があるのなら、その為に戦いたいと思うから」
そうして、彼は迅相手でさえどこまでも真っ直ぐとした瞳を向けて訴えてくる。
「ふーん。わかった。次の試験って、確か一週間後にあるよね。それ受けて。今回は受かるから」
嵐山の意志を改めて確認したところで、彼の気持ちを汲み取ろうと迅はこの時に決めた。ここで無理だと迅が告げても嵐山は気にせず受けたかもしれないが、念のためだ。
「本当か?」
迅の言葉は何の根拠もないものではあったが、素直な嵐山は真に受けてくれたらしく、期待の声があがる。わかりやすいくていい。
「おれは嘘をついたりしないよ。今までと同じように受けてくれればいいから」
そう…別に嵐山自身が特別何かをする必要性はない。だって、嵐山自身には何も非があるわけではないのだから。そうでなくては、迅の描いた理想の未来が困る。
「わかった、受けるよ。二度落ちて、自信を無くしていたんだ。ありがとう」
感嘆の息と共にこちらへ傾けられるのは、感謝の言葉。よくそんな簡単に人を信じられるものだ。それが一番、嵐山の良いところとはいえ…迅なんて殆ど初対面みたいなものなのに。
「別に。嵐山だけの為じゃないから…」
ずいぶんと冷めた言い方だったかもしれないが、前向きすぎる嵐山が眩しくてそんな物言いで別れた。
どうものらりくらりとかわしにくい相手だなというのが、この時の第一印象だった。
「迅、ちょっと話があるんだけど」
突然、自室を訪れた小南の少し強い口調を聞いて、迅はその内容を瞬時に察した。それはサイドエフェクトで知ったからというわけではなく、小南との付き合いがそこそこ長いからこそと言っても過言ではない。
部屋の扉を開けて中に入ってくる小南の姿が視界に入ると、ベッドに寝転んでいた迅はよっと起き上がり、なんでもないかのように伝える。
「あ、今日結果発表だったんだな。これで嵐山も念願のボーダー隊員か」
わざとらしく感嘆の含みを付け加えて迅は伝えた。その言い方に少しむっとしたらしく、先ほどより不機嫌そうな小南の顔が増した。さすが従兄妹だけあって、わかりやすい。髪型以外の共通点も、もっとよく探したらたくさんあるだろうなと感じた。
「そうよ…どうして准をボーダーに入れたの?」
小南は、わざとこちらには近づかずに部屋の出入り口の前で、質問を投げかける。この距離感が、今の二人の感情を物語っていた。だから、言う。
「おれは嵐山を、正当な評価の上に乗せただけだよ」
そう…別に迅は嵐山の入隊試験に、特別な口利きなどしていない。ただ、通常の他の人間と同じように受けさせられるようにした、それだけだった。
「わかってるわよ。准に素質があることくらい…それでもあたしはボーダーに入ってもらいたくなかった」
トリオンの素質に遺伝は関係ないとはいえ、なんというか…こう………わかるのだ。わざわざ検査などしなくとも、数多くの人間を見ていれば何となく適正かそうでないかくらいは。きっと小南は最初から知っていたのだろう。そして嵐山のあの真直な性格を考えれば、進んでボーダーに入隊しようとすることを。だから小南は第一次大規模侵攻が巻き起こる以前は、自分が何をしているのか従兄妹にさえ詳しく教えていなかったに違いない。だが、大規模侵攻は起きてしまった。ネイバーは無力な市民を圧倒的に蹂躙した。目の前で起きたことを受け止めた嵐山が取る道はただ一つだった。
「小南の心配は、わかるよ」
わざわざ仲の良い従兄妹を戦いに巻き込みたくはないという気持ち。たとえ嵐山が望んだとしても、進む道全てを祝福する道理はないだろう。いくら正隊員にはベイルアウト機能があるとはいえ、相手は未知のネイバーだ。絶対に安全とは言えないから、それを危惧しているのだろう。それに現状を鑑みても、わざわざ身内をボーダーに入れたがる人間は少ない。兄弟で所属している人が殆どいないのが良い例だ。ボーダーは必要だと誰でもわかっている。だが、内情を知れば知るほど自分の周囲の人間を入れたくなくなるのはわかる。防衛隊員には、あまりにも危険という負担が重すぎる。それでいて、自分自身は離れたくなくなるあやうさの上に成り立っている、そんな組織だった。
「そう思うなら…」
なぜと言う言葉がきっと小南に続くのだろう。だから、言ってあげる。
「大丈夫だよ。嵐山は死なない。それはおれが責任を持つ。だから小南も嵐山を見守ってあげよう」
嵐山は死なないと、他ならぬ迅が保証をした。それは未来視の確実性を知っている人間ならばある程度は有用で、それに迅も別に嵐山が死ぬような未来を視たわけではない。今後、次の大規模侵攻も待ち受けているのは知っているが、問題ない。嵐山はより危険を伴う遠征には行かないと、その道も十分視えている。迅とてその未来を読み逃がすことはある。少なくとも、迅の未来で嵐山は生き続けているけど、よく考えれば迅だって自分自身の未来全てはわからないのだから―――
元々、迅は玉狛支部所属で、入隊したばかりで本部所属の嵐山とはそう接点などなかった。それに最初に話しかけられた時以来、学校でも嵐山とは直接会わなかった。もともと身締めて学校に通わない迅からすれば、そんなものだろうと思っていた。だが、入隊の最後の後押しをしたのは迅であるし、小南に頼まれている以上、一応その動向は抑えておく。それにまだ心配をするような段階ではない。嵐山の進む道はとうに決まっている。それは逐一迅が口を出すようなものではなく、彼自身が選んで進むのだから。一応、本部ですれ違えば軽く挨拶程度の会釈くらいはするが、所詮はその程度だった。最初こそは二人の出会いはああだったものの、そのうち嵐山にはボーダー内で独自のコミュニティーを築いているというより、勝手に人が寄って来ているようだった。嵐山は元来素質もあり、それでいて努力家でもあり、人柄も大変いい。そうしてボーダー内でめきめきと頭角を表していくと、瞬く間に月日は過ぎ去ったのだった。
「迅」
そこは、玉狛支部から本部へと繋がる地下連絡通路の前だった。そこに立っていた嵐山に、迅は横から歩みを呼び止められたのだ。急に止まったので、とんっとしたブーツの踵が鳴る音が奥行きの深い通路に響く。
「もしかして、おれを待ってたの?」
本部からわざわざ玉狛支部へ向かう人間は少ないので横切る人物は限られているとはいえ、迅とて必ずここを通るわけではない。一体いつから居たのかとその根気の強さに驚いた。もう随分と油断していたというのもある。
「ああ、少し時間大丈夫か?」
多少こちらを覗うようなトーンで、嵐山は口を出したようだった。それにしても、久しぶりに嵐山を直にその姿を見たような気がする。迅は本部では必要であること以外はしないから、その中に嵐山は入っていない。だからこそわかったこともあって、これがほんの少しの邂逅で済む訳がなかった。
「大丈夫だけど、なに?」
こうやってきちんと話しかけられたのは、本当に最初に入隊したいと言われた時以来だった。小南に対して見守ろうと言った手前、迅からも過剰に嵐山に干渉するつもりはなくて、今までこちらからわざわざ話しかけたことがなかったのだ。
「実は、迅に報告しておこうと思って。今度、新しく隊を作ることになったんだ」
「…うん、知ってる」
そうか。もうそんな段階まで進んだのかと思いながらも告げる。これから先、嵐山は隊として動く方が長くなるのだから、未来ばかり知っている迅からすればそちらの方が馴染み深くさえ感じるほどだった。それに嵐山の本当の真価は連係プレーだ。人の短所さえも長所と出来るほど周りと調和することが出来る嵐山はソロで戦うことより、隊で組んで戦う方が今より何倍も強くなるだろう。跳躍はより加速する。迅の中に幾多も存在する未来の中でもより早く、嵐山隊は上へと登っていくだろう。
「まだ隊の申請もしていないんだが…迅がもう知っているってことは、それは…サイドエフェクトでか?」
少し驚きながらも嵐山は尋ねてきた。そういえば改めて言う機会もなかったから、迅は自分のサイドエフェクトの事を嵐山に説明したことがない。しかし、ボーダーに所属をすればそれは有名なことなので、自然と誰かから聞き及んでいるのだろう。
「そうだよ。気味が悪い?」
世間一般的な未来視を告げた反応がそうだったので、迅は先回りして答えた。そう言うことで相手から改めて非難されないという嫌な保険でもあったが。
得た人間が一番わかることだが、未来視には良い部分と悪い部分がある。使っている身としたら、常時発動というのが一番厄介と感じるのが正直な感想。特定の条件だけ発動するサイドエフェクトもあるが、それも良し悪しがあるし、結局はどうしようもない。生まれ持って得たものだから、この能力とは割り切って付き合おうと、そう割り切って考えるが得策だと迅は思っていた。しかしそれはあくまでも自分が思うだけで、他人の評価は色々だ。
「そんなことはない。ただ、本当にそういう能力なんだな…と思って。だから俺が入隊するときも大丈夫だと言ったんだな。納得した」
一度頷くようすると、嵐山は積年の確信を得たようだった。嵐山の入隊には、本当はそれだけではない作意があったのだが、真実全てを伝えることが本人にとって幸せというわけではないので、迅はそのままこの件に関しては口を噤み続けるつもりだ。はたからみれば名目上、迅が嵐山の為にやったことだって、手心を加えたわけではないとはいえ単純に正当なものとは言い切れないのだから。
「それで…何でわざわざ俺に報告を?」
そう…それが一番の疑問だった。迅の能力を知っていれば、わざわざ言う必要性もないだろうという頭がある。それとも確かめたかったのだろうか、未来視を。そういう事をされたこともあるので、警戒はするようにしていたが、あまり嵐山は回りくどい人間ではないなという印象であったから、余計にわからなかった。
「迅には世話になったから、一番に伝えたかったんだ」
紛れもなくそれが本意だとわかる言い分だった。誰もいない廊下に澄み渡るかのように嵐山の声が通る。
「律儀だね」
嵐山が公明正大で真面目な性格だとは知ってはいたが、そんなことの為に自ら望んで待ちぼうけをしていたのかと、やはり嵐山の思考は迅とはかみ合わないなと感じた。世話になったといっても、最初きりだ。それ以来、迅はわざと係らないようにしていたくらいなのだ。自分のところに上がってくるまで見守ると決めたから。
「それと…頼みがあって」
一拍置いた後に、嵐山の言葉が続く。
「おれ…に?小南じゃダメなの?」
学校での接点はもっともっと薄いから、用件があるとしたらボーダー関連だろう。それでも、はたから見ても順調に視える嵐山が、迅に頼みとは意外なことには違いないだろう。未来はともかくとしても今の二人の関係は気薄と言っても過言ではなかったのだから。
「桐絵は俺がボーダーに入ったこと、あまり良く思っていないみたいなんだ」
そこは少し残念なのか、先ほどより幾分かトーンを落として言葉を詰まらせた。肩を落とすというリアクションがこれほど似合う人間もなかなかいないだろう。それを本人が喜ばしく感じるかどうかは別だが。
「別におれじゃなくとも、嵐山はボーダー内でも友達たくさんいるように思えるけど?」
隊を組むのだってそう難はなかった筈だし、それ以外にも自然と良い友達関係を築いているように見えた。何で今更、迅にと話せば話すほどに疑問は積もるばかりだった。
「いや、やっぱりこれは迅にしか頼めないと思う」
顔をしっかりと上げて、自分自身に確信を得させるように嵐山は言った。
「そこまで言うなら、話くらいなら聞くよ」
受けるかどうかは別問題としても、知らない仲じゃないし無下に断るにしても概要くらいは聞いておこう。その程度の認識しかなかったが、しかし。
「迅。俺の師匠になってもらえないか?」
それはかなり唐突な言葉だったと思う。ちょっと面を食らう程度だったのは何となくサイドエフェクトで視えていたせいで、しかしその未来も確定というわけではなかったから、可能性の一握りとして見知っていた程度だ。
「えっと、嵐山って確かガンナーだったよね?」
少しの驚きを口に出しながら、何とかそれを思い起こす。機会に恵まれないというよりは迅が意図的に避けていた部分もあり、嵐山とは直接戦ったことはなかった。それでも全く感心がなかったわけではなく、どのポディションか程度は把握している。
「ああ。アサルトライフルに、主にアステロイドとメテオラをセットしてる」
こくんと頷きながら、その実情を述べた。
「おれ、アタッカーなんだけど」
迅としても、それなりに本部で戦うようにはしている。わりと太刀川あたりと派手にバチバチやっているのを嵐山も観戦していたことあると思ったんだけどなと、思い巡る。迅はアタッカー用トリガー以外にはさして精通してない。ランク戦などでは戦う相手であるがゆえに仕組みや戦術もある程度は理解しているとはいえ、それは自分が使用する側の考え方とはまた別問題だ。嵐山がこのまま長所を伸ばしつつも上へ登るとしたら、ガンナーを専門としている師匠を探すほうが余程有意義だろうと、そういう含みも持った返事だった。
「うちの隊はエースとして切り込める人間がいないんだ。だから、まず俺がオールラウンダーになろうと思って」
武器ポイントがマスタークラスまで到達しなくとも、さあ次をどうするかというのはある程度隊員として年数が進めば誰もが考えることであった。特にガンナーは、どこかしら尖った方向に振り切らなければ決定打に欠けると近年言われ始めてきた。だから特にA級隊員はオールラウンダーが多い。器用すぎる木崎はまた別の次元だが。
「ああ、だからスコーピオンね」
そこまで理由を説明されて、ようやく納得の言葉を出す。オールラウンダーのメインウェポンはスコーピオンの方が主流だ。ガンナー上がりの人間はどうしても銃撃が先行になるだろうし、そう考えるとアサルトライフルの相方は必然的に決まってくる。長年のアタッカー事情を組み込んでいるので、迅は弧月も難なく使えるが、最近は必要がなければスコーピオンしか使用していない。
「迅がスコーピオンに開発に携わったと聞いたんだ。忙しいことは知っている。だけど、出来たら時間の空いた時に稽古をつけてもらいたいと思って」
別に迅とスコーピオンの関係は秘密裏にはしていない。興味があれば誰でも聞き知ることは出来るだろう。だからこそあらぬ事を色々考えてぶつける輩もいるし、プライドが高い人間は逆に煙たく感じる…らしい。だからここまで素直に頼んでくる人間の方が希少ではあったが。
「ごめん…おれ弟子って取ったことないんだ。おれには誰かの師匠になる資格なんてないし」
正直、こういう希望を今までにも何度か受けたことがある。それもわりとうまくかわすようにしていたので、面と向かって迅に言う人間は少なかったけども。迅だって別にいじわるをしているわけではない。誰かに…友達関係を築いてない人間であろうと聞かれれば多少人に教えたりもするが、師匠とか弟子とかそこまで明確な関係を築いたことはなかった。自分には最上という偉大な師匠がいた…そういたのだ。それはもはや過去形。どうも師匠の背中を追ってしまう気質がある。いくばか弟子は師匠に似てしまう部分もあるのか、スナイパーを頚椎する東の弟子など今後本人が把握しきれないほど孫やひ孫弟子まで出来るが、それは東の人柄があってこそなのだろうと思う。迅にはとてもそこまで寛容的な気持ちはなれなかった。だから嵐山が言うように、忙しいを理由に全て断ってきた。本当に大切なものを隠れ蓑にして。
「わかった。師匠が駄目なら…俺と友達になって欲しい。それも駄目か?」
凛と通る声を周囲に響かせて、嵐山はしっかりとこちらに伝えてきた。それは、紛れもなく嵐山の本心なのだろうというのがよくわかる様子だった。迅は少し虚を食らった。数ある未来の中で全ての可能性を汲み取っているわけでもないから、それは有り得ないというわけではない言葉ではあったが、わりと話が突然すぎたから。
「えっと、それって…スコーピオンを教えてもらいたいから?」
嵐山は真っ直ぐな人間で、いや気持ちがストレートすぎてだからこそ奥にある真意が若干掴み難くあった。その真面目な顔からあまり打算は似合わなくも感じたので、少し揺さぶる。
「はっきり言うとそれもある。でも本当は、出来たら俺は迅と対等な立場でいたいとずっと思っていたんだ」
しっかりとした言葉で訴えられた。今まで迅の方が少し距離を置こうとしていた部分、見抜いているかどうかはわからないが、それでも嵐山は近い関係を望んでいる。それは、本当はとても単純なものだったのかもしれない。それが迅にはとても清々しく気持ちの良いものに感じた。たとえ未来視でこれが見えていたとしても、実際この身で味わうのでは感じ方が全然違う。今それを体現することが目の前で起きたのだ。
「嵐山って素直だね…いいよ。わかった。友達になろう。出来る限りでスコーピオンも教えるよ」
だからこそ、迅も珍しく素直な気持ちで了承の意を伝えた。友達というものは、改めて宣言するようなものてばないことはわかっている。事実、迅の周囲にいる人間は多少なりとも気が合ったり好敵手だったりと、理由は色々とあっても自然と話しかけたりかけらたりする関係の人たちだった。一人くらいはこういう友達の始まりをする相手がいてもいいんじゃないかなと思ったのだ。
「ありがとう。代わりにはならないかもしれないけど…俺も迅に勉強を教えるよ。出席日数が足りない分、いつも時間外にテスト受けてるだろ?」
思わぬ厚意的な提案に、迅は驚きを隠せない表情をしてしまった。まさか学校での迅の行動に目をかけていただなんて。クラスも違うし、あまり周囲に知られているとは思わなかった。嵐山の言うように明らかに出席日数が規定を満たしていない迅は、自分の取れる時間の範囲で補講を受けていた。それは早朝だったり夜だったり色々ではあったが。
「それはありがたいけど…はっきり言って未来視あってもおれの頭は並だから、物覚えそんなよくないよ。きっと嵐山が勉強する時間なくなる」
嵐山は成績優秀とはいえ、まさか全く全然勉強をしていないというわけではないだろう。成績は入隊前と変わらずキープしているみたいだが、ボーダーと両立をしつつ効率よく進めているに違いない。それに嵐山は別に天才ではないと知っている。努力をも含めて今を維持しているに違いない。そもそも迅はそれほど勉強に対してやる気を覚えていない為、嵐山が望むように勉強が進むという保証はあまりないような気がした。
「それはお互い様だ。おれもアタッカーの立ち振る舞いは初心者なんだから、よろしく頼む」
流れるような仕草で、こちら側に右手を差し出される。少し照れくさくもあったが、嵐山との関係にはそれが似合うような気がしたので、満面の彼とは違いほんの僅かな笑みではあったから、迅も握手の為の手を伸ばしたのであった。
新しく隊を組んだばかりの嵐山は忙しかった。学校にも規定の防衛任務の合間にもちろん真面目に通っているし。必然的に迅との特訓は睡眠時間を削って相手することになるが、その無理が通ったのも若さゆえだと思う。所属は違うとはいえ、同い年で同じ学校の二人が一緒にいようが、変に周りは思わなかった。迅はオールラウンダーではないからガンナーの動作連携までは把握していなかったが、アタッカーの基本はよく把握しているので、とりあえずの立ち回りを教えることとなる。一番は間合いが違うことなのだが、嵐山のスタイルからすればガンナーの攻撃メインからアタッカー攻撃の切り崩しになるだろう。切り込みをするとしたら、武器の切り替えのタイミングが重要だ。スコーピオンは非常に応用の利く武器だが、弧月に比べて一つ一つの能力が高いわけではない。決定打にかけるからこその小細工が必要だった。いくら機転も利くとはいえ、そのあたりはあまり嵐山に向いていないところだろうから、教えなくてはいけない。トリオン体になれば運動能力が向上するが、利き手と逆での剣劇は慣れるまで時間がかかるだろうと思っていた。
とりたて嵐山は物凄くトリオン能力が高いというわけではなかったが、何事にも素直で飲み込みが早かった。元々運動が出来るから、身体能力の高さにトリオン体が素直に連動しているのだ。迅のする説明を、全てきちんと理解をしてから逐一行動している。そう考えると仕組みさえあらかた知れば、別に迅が教えなくとも、いずれは強くなっていたかもしれない。それに何より嵐山は、周囲を見る能力に長けていた。自分個人だけではなくチーム全体で動けば、一はニにも三にも飛躍するだろう。
さすが嵐山の元に集まるだけあって、周囲の隊員も素直で、オペレーターも優秀だった。嵐山隊は怒涛の勢いでランク戦の階段を登っていったのだった。
もしかしたらこの時が、一番無邪気で互いにとっては何事も知らない幸せな時間だったかもしれない。
本部のいつも借りている訓練ブースに、遅い時間帯に入った迅と嵐山は今日も訓練していた。
「迅。今日はやけにこちらを見ているが、何かあるのか?」
トリオン無制限空間で、嵐山が左手からスコーピオンを取り出して構えた瞬間に、そう聞かれた。にやにやしていたのがバレたか。
「いや、嵐山の戦い方がカッコよくて綺麗だなぁと思って」
それは本当にそう思ったことだからこそ、素直な感想の声を割りいれる。感嘆の息と共に漏れたものだった。
「俺に教えているのは、迅だろ?そう思うのなら迅の指導の賜物だと思うし、それに迅の方がよっぽどスコーピオンに使い慣れているじゃないか」
改めての言葉に不思議を感じつつも謙遜を含めた思いを、嵐山は淡々と事実として述べた。
「いや、俺ってサイドエフェクトがあるからさ。どうしても相手の裏を書いた動きになっちゃうんだよね」
自分の動きに変な癖ついている自覚があるが、それは迅の能力と戦闘スタイル的に仕方ない。だからこそ、真っ当な動きが出来る嵐山の方がよほどスタイリッシュで見栄えが良かった。
「俺は、迅に教えられた通りにやっているだけのつもりなんだけどな」
苦笑しながらも、どこか疑問の声が出たようだった。よく言えば嵐山の攻撃方法は正攻法すぎた。それを逆手に取られることもあるし、より力があれば正方向で十分押せるし難しいところでもある。小細工をしなければいけないというのは、所詮力が及ばないからだと、それを体現しているようでもあった。
「嵐山は簡単に言うけど、おれは別に人に教えるのがうまい方じゃないのに、それでも言われた通りに再現できるのかなり凄いよ」
嵐山は運動も出来ているから基本があり、姿勢がとても綺麗だ。だから攻撃動作も身体の筋を通る模範的で正当な動きとなっていた。それは本当になかなか出来るものではないと思う。
「そうか。迅を手間取らせていないのなら、安心したよ」
そうやって素直な気持ちで伝えてくれるのが、迅に取っては一番だった。嵐山を相手にするときだけは、迅は何の打算も考えなくていいから楽なのだ。
「それで今日は、ちょっとおれの我が侭に付き合ってもらいたいんだけど」
下手に出るように言ったのは、やはりこれからの少しの厄介ごとを鑑みてのことだった。嵐山の性格的に迅の頼みを断るようなタイプではないとはいえ、こういうのは言い方が重要だった。
「もちろん構わないが…さっきから持っているそれは何だ?」
嵐山が目ざとく視線でも示したのは、迅が手に装着しているものだった。ここは訓練ブースとはいえ、戦闘をする場なのであまり余計なものを持ち込まないようにと決められているから、気になったのだろう。
「あ、これはカメラだよ」
ハンディタイプのカメラをちょっと掲げて示す。もちろんただの市販のカメラではない。トリオン体での撮影に長けた特注の代物だ。きちんと本部の備品を、持ち出し許可を得て借りてきた。その用途はうまく誤魔化したが。
「訓練の様子をわざわざ撮るのか。部屋のカメラがあるのに?」
訓練ブースには、自由に使える録画設定がある。一人で訓練する時などはその録画を見て、自分の良かったところ悪かったところなどを復習に使える便利なものだ。嵐山は迅と対峙して訓練することが多かったので、あまり二人の時には使っていなかったようだが、隊の連携訓練などではよく使っているのだろう。
「部屋のカメラだと死角あるし、後で編集するの面倒なんだよね。もちろん今録画設定はしてきたけど、その補助分はこれで撮ろうかなって」
今も絶賛録画中だと安易に告げた。さすがにだらだ喋っているので、音声はオフにしてあるけど。
訓練ブースは高性能で360度どこからの視点でも録画が可能だが、それは障害物が全くない場合に限る。内側からの撮影には限界があるのだから。本当に欲しいアングルやその人間視点を得たいと言うのならば、望んでいる人間自身にカメラを取り付けるのが一番だ。そういうための小型カメラもあるにはあるが、そこまで大事にしたいわけではなかった。
「それで、一体何を撮影するんだ?」
今更的な声を嵐山が出すのも当然だった。迅に稽古をつけてもらい始めならばともかく、もう二人はかなりそれをこなしているのだから。それに迅自身はもう嵐山に教えることはないと思っている。スコーピオンの基本はとうに教えたし、応用パターン展開も嵐山は暗記済だ。だから最近では実戦での戦闘というか、オールラウンダーとしての全体的な立ち回りをしつつ迅が応戦するという形を取っている。それでも迅にはサイドエフェクトがあるわけで、嵐山の攻撃がそう単純に通るわけではないから、悔しい思いをしているだろうとは思っていたが、今の反撃は勉強になったと感心して頷くから、こちらの方が動揺する。そうなのだ。迅が他人に教えることをあまり快く思わないのは、どんなに相手が頑張っても大抵迅の裏をかくことが出来ないからである。やりがいがない…というか。相手の為にわざと尊大な攻撃を食らうことも考えたが、ボーダーに入隊している時点で誰もかもがそれなりにプライドの高い人物であることに違いはなく、それをやってもあまり良い結果にならないと未来が告げている。だからこそどんな状況でも受け入れてより高みを目指す嵐山は、迅が戦っても楽しい相手と言えた。
そう…だから今目下の問題は嵐山以外の人間相手である。
「実はさ。最近、自分にもスコーピオンを教えてくれって言ってくる隊員がちょっと多くてさ」
未来視があるからこそ避けられる事態でもあり、そこまで困っているというわけではないが、あまり数が増えると迅とて予測の範囲が広すぎて断るのが厄介になってくる。自分は弟子など取らないと声をかけてきた人間にはきっぱり言っているというのに、それが広がっているのか伝わっていないのかよくわからないが、それでも噂よりそう思う人間が多いということだろうか。
「それは…俺が迅に教わっているからだな。俺は迅に贔屓してもらってるんだな。すまない、迷惑をかける」
申し訳ないという顔をありありと見せて、嵐山は謝りの言葉を入れてきた。このままにすると深く頭を下げそうなので慌てる。嵐山からすれば、最初にそう声をかけて来たという気持ちもあり、罪悪感も含んでいるようだった。
「いや、嵐山は友達だからって言ってるよ。ちゃんと。いくらおれが未来視で知ってるとはいえ、名前もそれでわかる程度の相手に突然弟子にしてくれと言われるって、ちょっと無理だなと思って」
土下座とかされるとさすがに弱い。嵐山に教えているんだから自分にも教えてくれ…的な事、確かに言われないわけでもないが、別に嵐山を責める為にそれを伝えたわけじゃない。
「迅は、ファンが多いからな」
そういう言い方を出来る嵐山の方が凄いと思う。あれをファンと呼ぶのか…と。
「あんまり本部に来ないからレア感だよ、きっと。それに単純なファンって言うよりは、未来視ってすげー的な中二病みたいな扱い受けることあるんだけど」
それには、正直げんなりとしている。別に無理に誇ったことはなかった筈だったが、噂が噂を呼ぶように誇張されている気がする。未来がわかれば何でも出来るとでも思っているのだろうか。本当にそうならば、良いとは迅は思わない。未来は自らの手で掴み取る為にあるから、趣味暗躍といわれるほど動いている。実際はそんなものだ。万能じゃない。
「昔に比べたらサイドエフェクトを持っている人間も増えたから、少しは注目が分散したんじゃないか?」
比較的最近入隊した年下の代にはちらほらと見かけるようで、それを思い出す声を出された。
「そうだな。ボーダー創設期には居たみたいだけど、最初のころはホントおれくらいしかいなかったし。本部所属してて注目の的な、影浦とか菊地原はマジ偉いと思う」
「あの二人は大変そうだな」
サイドエファクトのせいで、性格にやや難アリと勝手に周囲に認定されてしまったことを残念に思うような声を出された。嵐山はこういう時にも他人の心配をするのに惜しみない。
「ていうか、ファンと言ったらさ。嵐山の方が群がられてない?特に女子に」
直接アタックせずとも、遠巻きにきゃあきゃあ言われているのを何度も見たことがある。ボーダーもそれなりの人数がいるから、そりゃあ顔が整っているとか中にはモデル上がりなのもいたりするが、その中でも嵐山は顔良し性格良しと文句なしだろう確かに。それに近寄りがたい的な雰囲気も醸し出してない。
「それは女性がいる隊が少ないからな。うちには木虎がいるから、おれにも声をかけやすいんじゃないか?」
本気でそう思っているらしい。彼女たちの猛進に嵐山本人が気が付いていないとは、少し同情さえ感じた。さわやかも度を過ぎると周囲は困るんだろうなと思う。
「そんなわけないって。みんな嵐山目当てだって」
選び放題のくせに未だに彼女も作らず、自分と訓練と勉強ばかりしているのが拍車かけているのかもしれないと思うと、多少迅とて悪い事をしているなと思うわけでもないが、嵐山本人にその積極性がないのだから仕方ない。今だってこうやって突いているのに、反応はこの有様だ。
「しかし、俺なんかより加古さんの方がよほど女子が群がっているが…」
女性だけの隊が一番人気だからこそ嵐山も隊単位で自分を含めて考えていたのだろうが、それは違う。そもそもその考えが間違っていた。
「ダメダメ。あそこと競おうなんて思っちゃ。いくら嵐山とはいえ、それははなから負けてるよ」
それだけは悪気もなく本気で思ったので、迅は大否定した。嵐山がきゃあきゃあ言われるのはボーダーの男性の中でという範囲だ。ボーダー隊員の中で女性人気No1は間違いなく加古である。バレンタインなんかとても直視出来ない。迅の男としてのプライドが粉みじんになる自信があるほどだから。カリスマ性のある女性の複合効果半端ない。
「加古さんこそ、弟子にしてくださいと言われることを見かけるのが多いな。女子限定だけど」
「羨ましすぎる…」
そうなのだ。加古は男子受けが悪いというわけではなく、普通の男でも負けてしまうほどカッコいいので、逆に男子が易々と話しかけられないという高嶺の花的な存在なのだ。遠巻きに見られているせいで、本人は自分は男子に人気ないと思っている。それを迅が訂正しても、あまり真に受けないというか。そこは自分と同い年の月見を入れて二大双璧となっている。防衛隊員とオペレーターにそれが揃っていると、もはや男共は身動きが取れない。
それに比べると迅の嵐山いわくファン?らしき者たちは全員野郎であるからして、全く嬉しくない。それは迅の自らの趣味であるセクハラが駄目なせいとはわかっているが、たまには女子に頼られたい的な思いはある。
「それで、どうするんだ、迅。諦めて誰か弟子でも取るのか?」
話が随分脱線してしまったが、本題がそれだからこそ、生真面目な嵐山は立ち戻った。
「いや…弟子とか絶対無理。嵐山相手にするのも、友達だからこそ出来た事だし。それにおれに時間がない」
改めて考えても、未だに弟子という存在にピンとこなかった。今まで嫌だ嫌だとかわしてきたせいもあり、余計にそれは増大している。
「迅が弟子を取るなら…迅の時間を割いて貰っているのは俺のせいだから、無理を言って訓練に付き合ってもらっているの、もう終わりにするのでも構わない。残念…とは思うが」
ここで迅の為を思ってか、嵐山の妥協の提案が響く。弟子を取るのは悪いことではないと嵐山は思っているのだろう。事実、迅より年下で師匠になっている人間はもう結構存在している。嵐山でさえそういう提案を受けているだろう。自分が未だに迅に教わっている身だからと、断っているようだが。
「だから別に嵐山との特訓は負担になってないって。ヤバいのはおれの勉強の方だよ…折角嵐山に教えてもらってるのに…高校マジやばいな。テスト範囲、朦朧とする。嵐山が先生やってくれなかったら、おれ絶対中退してたね。断言できる」
ぐっと握りこぶしを噛み締めた。あの成績不信な太刀川でさえ高校通えるのだから、迅が脱落したら一生言われる。ボーダーの黒歴史に名を残してしまうに違いない。ボーダーとしても隊員から落第者を出すわけにもいかず、勉強を教えていると知った嵐山に発破をかけてくるくらいだ。迅自身に発破をかけても効果がないと、さすがよく知っている後方射撃。
「じゃあ今日の訓練が終わったら、早速昨日の続きの勉強だな」
とたんに嵐山は前向きな次の言葉になった。これに関しては嵐山の方が優位だから、仕方ないことだったとはいえ。
「そうなる…よな。やっぱし、弟子の件は嵐山におれのスケープゴートになって貰うよ」
改めの決心を迅は口にする。
「どうやって?迅の弟子希望者におれが教えるとか…無理だぞ」
とても出来ないという顔と共に、多少の疑惑が入り混じる。
「それが出来れば一番なんだけどね。それは嵐山がおれに勉強を教える時間がなくなるから却下。だから、こいつの出番ってわけ」
もう一度ハンディカメラを嵐山に向ける。まだこれ自体の録画機能をONにしているわけではないが、意味ありげにレンズを覗いて示す。
「ん?」
カメラ越しの嵐山は疑問の声を出す。レンズを通しても嵐山のイケメンぶりは変わらないのはさすがだ。
「これで、スコーピオンの基本モーションを録画する。んで、希望者に教育訓練用として渡す。そのうち普及すればおれの手を離れるから万事オッケーってわけ」
まだオフレコなので上の許可とか全く得ていないが、これをやって、たとえ無駄になったとしても悪い未来じゃないと思って言った。
「直接指導するんじゃなくて、模範的な見本を示すってことか。なるほど。確かにボーダーはこれからもっと人が増えるだろうしな」
うんと頷いた嵐山は、なかなか良い案だとの納得の動作を入れられてきた。
そうなのだ。嵐山あたりは今の本部が出来てから割と早く入隊したが、その後ろの隊員がどんどん増大している。別に師弟程度が悪いと、迅は言うつもりはない。自分だって最上という師匠がいたからこそ存在するのだから。でもそれが出来る人間と出来ない人間がいることも知っている。今までは皆なんとなく師匠とか探してだったけど、これからはもっと大規模な新人研修を必要とする。その資料になるとはおこがましくも思っていないが、示唆の一要因とはなるかもしれないと感じてはいた。それは未来。
「そもそもスコーピオンって奇襲用に使われたりもするからさ。中途半端なとこもあってアタッカー界隈で、あんまり方向性が確立してないんだよね。それがいいところでもあるけど、だからこそ初心者が悩みがちというか。弧月は正方向だけどだからこそ、余計にそう思うのかもしれないけど。そんなわけで製作に関わったおれに対しての期待も高いわけだけど、だからって俺が理想の動きが出来るわけじゃない。でも今は嵐山がいる」
手を広げて、その期待を大いに示す。
「なんだか、気恥ずかしいな」
もしかしたら、迅の提案は嵐山に壮大に聞こえてしまったのかもしれない。録画すると言って気を張らない人間の方が少ないわけだから、それが当たり前の反応だろう。
「おれの面倒をなくす為の協力だから、そんなに深く考えないで。それにおれも嵐山の相手して映るわけだし」
戦闘訓練には相手が必要だ。仮想モードでネイバーを出現させることも出来るが、人間を相手にしての訓練も重要だったから、まずはそれが先だ。
「迅が映る気があるなら…迅主体で撮ればいいんじゃないか。カメラなら俺が持つぞ」
「いや、どうみても嵐山の方がイケメンでしょ?需要需要」
冗談だが事実でもあるので、笑って伝える。
「それ訓練に関係ないだろ?それによく迅は俺の顔を褒めるが、俺だって迅の顔が好きだぞ?愛嬌は迅の方が余程ある」
臆面もなくよくそんなことを言えるなといつも思うが、これが嵐山なのだから、付き合いも長くなり慣れた。
「好きなのは、顔だけ?」
だからこそ、そうやって悪びれない切り替えしが出来るようになった。とても気安い関係…二人はそうなったのだ。
「いや、悪かった。訂正する。全部だな」
互いが笑い会える程度の関係は築いている。それは迅にとって、とても良い未来だった。
「おれもだよ。だから…嵐山の方が適任ってわかるんだ。こういうのは役回りが必要なんだ。嵐山は良い見本。俺は悪い見本の方をやるからさ。嵐山は悪い立ち回りする方が大変だろ?」
それはいつか教訓として生かされる。初心者には何かよくて何が悪いか分からない時期がある。だからこそ、その違いをはっきり映し出すことから始めようと思った。
「そう考えると…レイジさんの方が一番基本に忠実で良い被写体になるかもしれないな」
木崎は玉狛支部に所属していて迅以上にあまり本部に来ないから、嵐山もあまり見かけたことはないはずなのだが、それでも印象に残っているらしく名前をあげる。
「そうだね。確かにレイジさんは何でも出来るし、基本に忠実なフォームしてるから、今後スコーピオン以外にも録画をすることになったらお願いしようかな。でも今回は無理かな…レイジさんの相手がいない」
特にレイガストは使い手が少ないので、それこそ木崎以外の誰にも頼める人間はいないだろうと思う。そうなると迅自身がレイガストに精通しているわけではないから木崎に指示だしもしてもらわなくてはいけないが、やはりその相手も考え物だと感じた。
「迅が相手すればいいんじゃないか?」
「そうしたいところなんだけど、こういうのは同じ体格同士の人間じゃないと見本にならないから」
迅が木崎の相手をしたら、凸凹になってしまう。迅とて別に身長が低いわけではないが、木崎と並んではいけない。それに体格だって全然違う。あの筋肉と対等を得る相手を得るのは相当難しい。今の現役隊員でいただろうかと思うほどだ。しかし訓練映像は被写体の動きが重要なわけであって、被写体本人に注目が行くようになってはいけないのだ。技術部に頼めばある程度の録画画像の編集操作は可能だろうが、やはり違和感があるに違いない。それにまだ秘密裏にしておきたい気持ちもある。
「ああ、そういえば俺と迅は同じ身長だったな」
二人は体格もさほど違わない。周囲に双子みたいだと冗談でからかわれたのがここで役立つとは思いもしなかったけれども。
「あれ?嵐山、もしかして背伸びたんじゃない?」
ふと気が付いて、迅は嵐山に近づく。
「そうか?」
成長期とはそんなものだろう。迅だって勝手に身長は伸びているのだから当然だったが。
「だっておれ、昨日背測ったら伸びてたからさ。でも今、目線一緒じゃん」
よくよく見なくとも、顔の位置が全く同じで声を出した。
「自分じゃ、なかなかわからないな」
嵐山は軽く手を伸ばして、自分の頭と迅の頭の間に手をぽんっとのせた。それは確かに水平になった。
「ようやく嵐山の背を抜いたと思ったんだけどなー」
本心含めて盛大に残念がる。よく考えれば初めて会ったときから大体同じ身長で、伸びる速度もなぜか一緒だった。服の貸し借りとか出来て楽でいいけど、今のところの範囲ならば背は高いに越したことはないと思う。戦闘にしても。男としての矜持としても。
「きっとこれからも俺たちは同じ身長だろうよ」
何かどこか見知ったかのように嵐山は言った。
「何、嵐山も未来視えるようになったの?」
茶化すように迅は言った。別に感化されたというわけではないだろうが、よどみないその言い方は普段迅が未来を告げるときより断然と確信に迫るようなものを感じたからだ。
「さあな。でも迅には視えているんだろう?」
「そうだね。じゃあ、その時が来た時のおたのしみってことで」
別にそんなことに、根拠がなくとも良かった。ただ、二人が進む為には………
嵐山の全面協力もあって、モーションの録画は順調に済んだ。といっても一度で全てを撮りきるのは大変だから、とりあえず今日はスコーピオンを左右の手と両足あたりに出してみてというきりの良いところで終了というお流れだ。録画自体より編集の方がどう考えても大変だから、そのあたりは玉狛のエンジニアあたりに協力をお願いしようと思っている。
さて、今日はそれで終わりではない。迅からすると終わって欲しいものであったが、こわーい先生が待ちかねているのだ。学生の本分、勉強の時間だ。いつも訓練の後は、本部の嵐山隊の作戦室で教科書を広げている。嵐山隊の他の隊員は年齢的にあまり深夜までここにいることはないから、迅が一応の先輩として後輩に不甲斐ない姿を見られずに勉強出来る良い場所だった。年下でも綾辻と時枝あたりなら逆に迅に勉強を教えてくれるという勢いだろうが、佐鳥は自分の成績を省みないでこちらを邪魔するだろうし、木虎は良い意味でも悪い意味でも鋭い言葉で迅を励ましてくれるだろう。そのどれも迅には遠慮願いたかった。
それにしても嵐山にスコーピオンを教える代わりに勉強という建前ではあるが、自分のことだから余計に感じる。どう考えても、迅に勉強を教える方が大変だったと今になってからは思うのだ。なんせ、迅にはあまりやる気がない。高校に通うのも、上層部から口をすっぱくするほど言われているから仕方ないという感じだし。早くに母親を亡くした迅にとっては、ボーダーが親代わりみたいなものなので、うるさいのは仕方ないのかもしれないとそこは諦めている。ただ昔からいるので知り合いが多いから、きちんと勉強をしているか?と何人にも声をかけられるのは多少うざったるく感じる。それに防衛任務でもないのに平日昼間から本部にいれば、うるさいうるさい。そこに関してだけは早く大人になりたい。一つ上の太刀川や一つ下の当真もそんな感じだったので、余計に厄介扱いされた。そんな迅に、根気よく勉強を教えようとする嵐山はすごいと、まるで馬鹿みたいな感想を目の前の男相手に思った。
「どうして迅は勉強に、サイドエフェクトを使わないんだ?」
なんとかひいひい言いながら宿題のプリントを片付けたところで、一息つくためにコーヒーを入れてくれた嵐山は珍しく質問を投げかけた。それは単純な疑問としての発案であるかのように思えた。
「意外だな。嵐山がそんなこと勧めて来るとは思わなかった」
嵐山は真面目だが、必要とあらばルールに対して柔軟な対応をすることがある。だが、未来視が嵐山の中でその枠に入るとあまり迅は思ったことがなかったのだ。
「別に勧めているわけじゃない。ただ、サイドエフェクトは本人の持ってる能力の一つだろう?現に戦闘では使っているじゃないか」
嵐山は迅をよく知っているからこそ、周囲が文句を言う権利などないと思っているのだろう。だが、そう思うのはほんの一握りの人間だと迅は知っている。卑怯だと、それに類似する言葉を今まで直接でなくとも何回言われたことやら。それでもいざとなったら迅のサイドエフェクトを期待して未来を知り得たいと思うのだから、都合の良い人間が多いものだ。それに関しては辟易するのももう過ぎ去った感情だった。
「まあボーダー内はおれの能力が知れ渡ってるから、いいかなあって。それでも太刀川さんには勝てないんだもんなあ」
相手が何のサイドエフェクトも持っていないからこそ、余計に悔しさがある。太刀川の実力は十分に認めているが、いや太刀川という存在がいて迅には救いだった。じゃなかったら迅の性格はより増長していただろう。未来視に溺れていた可能性さえある。もちろん迅より強い人間は何人も存在する。忍田もそうではあったが、何より同年代で五分の条件で、上がいるからこそ目標も出来たし自分の足で前に進む気になれた。
「スコーピオンになってからは五分だろ?」
「そうなんだけど、弧月時代の借金があるからなあ。それに最近下の世代がどんどん強くなってるし、おれもうかうかしてられない」
迅の未来がそれを知らせる。まだ入隊していない若い芽の中でも、スーパールーキーがちらほらと視えるのだ。彼らがボーダーで鍛えられて頭角を見せれば、やがて自分と同じ土台に上がってくるだろう。それが嬉しくもある。
「そういえば、鈴鳴支部の村上も迅と同じくサイドエフェクト持ちの実力アタッカーだな」
一つ年下の、嵐山とは真面目の方向性が違う真面目すぎる人物の名前があがった。
「鋼のサイドエフェクトはおれらみたいに常時発動ってわけじゃないけど、まさか寝ないわけにもいかないから、条件は一緒って感じかな?」
生きるためには睡眠は不可欠で、多少本人の領分でそのタイミングを賄えることは出来るけども、結局は一緒だ。サイドエフェクトは勝手に発動する。それは本人が望んでも望まなくても。
「ボーダーに入隊したからこそサイドエフェクトと認定されたが、村上のような能力を持った人物は知られてないがいるんだろうな」
俗にいう天才というやつだろうか、方向性は色々存在する。村上自身はそれを認めはしないだろうが。それに村上自身、決して努力をしていないわけではない。本来の能力に上乗せされているのだから、元が駄目ならいくらサイドエフェクトがあろうと0からは向上しないだろう。
「ホント。自分に特殊能力がある!って自覚ある奴は、トリオン能力高いんだからみんなボーダーに入隊してくれればいいのに…」
ぶつくさと文句を言うようではあったが、ボーダーの人材不足は慢性的なのでついついそんな愚痴を吐きたくなり、唇をつぼませる。
「そうだな。そうすれば、防衛任務のローテーション間隔がもっと伸びて、こうやっておれたちみたいに任務の後に訓練して、今こうやって勉強するような人間が減るわけだ」
現状を示唆しながら嵐山は言った。確かに目先の宿題は終わったが、続いての小テスト対策はこれからである。
「嵐山は別に成績はいいだろ。問題はおれだって。殆ど授業受けてない俺がサイドエフェクト使ってテストでいい点とったら、天才か何かともてはやされるだろ?学校でそんな扱い受けたくないし」
ボーダーでも本部に行けば割と注目されて疲れるのに、学校まで面倒を抱えたくない。やる気のない場所ならば、それなりに楽にしていたいのだ。ボーダー提携校に通っているとはいえ、一応それなりに緘口令というか生徒のプライバシーは守られている。噂程度にはなっているだろうが、同学年が少ないためか今のところの学校での迅の周囲は平和だ。未来視が知れ渡っていたら、それこそ不平不満だから、何かとバランスが難しい。
「でも迅なら無理に良い点を取らなくても、周囲に目立たない点数を取ることもできるだろ?」
嵐山の提案は確かに合理的だし、実際過去にやったことがないわけでもなかった。でもなんかしっくり来なかった。成績に無頓着な迅は、かつては卒業出来なくてもいい程度の認識だったから、それを変えたのは嵐山だ。だからある程度は勉強をしようという気持ちになった。
「そうだな…うーん。何だろう。多分、おれは勉強をしたいんだと思う」
きちんと学校に行かないくせに何を言っているのだろうとは思われただろうが、それが一番すんなりと来る答えだった。誰だって馬鹿にはなりたくないから、それは当たり前の言葉なのだろうが。未来視はわりと情報過多だった。そっちに気を取られると、本来の勉強に使う分の脳みそ圧縮されているという気持ちにもなる。言い訳がましいけど。特に理数系は壊滅的だ。だから未来視で視たものを書きうつしていたら理解もせずにただ公式という名の答えだけが羅列すれば、将来地獄の沙汰となるだろう。知識として知りえていないと、未来視で視ても迅の脳裏にかすらないということはある。
「それにしても、嵐山って教えるのうまいね。家庭教師のバイトでもしたことあるの?」
別段、塾などに通ってないとは知っているが、それにしてもわかりやすかった。元々迅は、わからないことがわからないというやつだ。別に自分が馬鹿だとは思っていないが、よくもわるくも平均的にしか理解していない。物事の本質すべてをわかって問題を解いているわけではないのだ。だからかみ砕いて説明してくれるのが大変ありがたかった。時には小学校の知識まで話がさかのぼったりしてそれは悲しかったが。迅は疑問があると先生に聞くほどまめではなかったから、嵐山という指針がいるだけで大分助かった。それでもそれほど熱心に授業に参加していたわけではないので、なんとか赤点は取らないくらいだったが。平均。あくまで平均をキープ出来ればいい。それ以上は望まない。
「バイトはしたことないが、弟と妹がいるからな。わりと昔から頼られているから、教えるのは慣れているんだ」
きっと、なるべくわかりやすいように教える努力をしていたのだろう。嵐山の弟妹は双子だから、一つの勉強範囲で一度に二人に教えれば効率がいいのも納得いった。しかし迅の勉強も見ているというのに、この上弟妹までとは、相変わらず感心するばかりだった。
「そうなんだ。どうりで面倒見がいいと思ったよ。そんなんで嵐山自身が勉強する時間取れるの?」
嵐山とてプライベートがないとうわけではなかったが、あまりにも学校とボーダーに吸い取られているように見受けられた。本来の学生らしく遊んでいる暇がないのはこちらも一緒ではあったが、今は趣味ボーダーくらいの気持ちでいるから、迅は気にしていない。
「迅に勉強教えるようになってからは、あまり自分の為の時間をわざわざとらなくなったと思う。忙しいと、授業をきちんと真面目に聞いて理解しようと頑張るようになったからな」
「嵐山のノートって細かいトコまでよく書いてあるからなあ。しかしこれだけでそんなに成績良いものなの?」
借りてるノートを改めて開いて、パラパラと眺める。字も丁寧だが、要点が纏めて欄外にまで記載されている。ただ黒板に書かれたものを書き写すだけではなく、独自の解釈やテストで出そうなポイントが逐一だ。ちなみに迅のノートは穴抜けばかりだ。元々授業にあまり出ていない事と、黒板を全部書き写すという労力の兼ね合いの結果で、つまり役に立たない。それに集中すると先生の解説を聞く気がなくなるし、結局は中途半端というやつだ。テストは教科書から出題というよりは各々の先生によって傾向が違うから、ノートこそが教典となりうるとはわかっているが、どうもこうも身が染みない。このノート覚えれば嵐山と同じ成績になれるとはさすがに思わないが。
「さすがにそれは無理かな。むしろ迅に改めて教える方が自分の復習になって、よく覚えられるから助かってるよ。他人に教えるということは、噛み砕いて新たな視線で見せてくれるからな」
良い発見だとでも言いたいのか、どこまでも嵐山は前向きだった。逆境さえも自分の見方につけてしまう才能があるのかもしれない。
「おっ、それならおれもそのうち嵐山に追いつけるかな?」
やっている土台が一緒ならばという微かな期待が浮かぶ。別にそんなに成績がよくなりたいというわけではないが、今みたいに突発的にひいひい言いながら勉強をするような状況を避けたいと思う事は別に傲慢ではないだろう。
「言っておくが、俺が復習になっている部分は一学年前の勉強範囲だからな。本当のテスト範囲はこれからだ」
引き上げてやるから…という嵐山の意気込みが伝わる。
「げげっ…」
奥底から本心が漏れ出す。随分と長く勉強を見てもらっているとはいえ、まだまだ先は長いようだ。
「別に迅は勉強が出来ないわけじゃないだろう。ただ日数が足りないだけだ。追試を受けないように、もう少し融通を利かせて授業を受けられないか?」
それが一番の合理的な提案で、迅もそれはわかっているが、当たり前だった。そもそもボーダー隊員は通常の防衛任務をこなしているだけならば、何の問題もないはずだ。ボーダー提携高校なのだから、ありがたいことにかなり出席日数に色がついている。平日昼間で出席日数が足りないという事態にはならない筈で、いくら迅が古株でS級なせいで通常のA級隊員以上に任務が入っているとはいえ、学業を鑑みてシフトが組まれていることには違いない。つまり、あれだ。サボっているということである。学校側から見れば単純なサボリだろうが、迅としては言い訳がある。少なくとも太刀川や当真よりは何かしている。寝ていたり、ランク戦に没頭しているわけではない。なんやかんやと暗躍しているから、ボーダーの為という言い訳。そしてそれ以上に、それが迅自身の為だった。
「うーん。おれ、どうも人が多いところは勉強に集中できないんだよね」
それは事実だったので、差しさわりのない程度に言い訳を出す。
「もしかして、サイドエフェクトのせいか?影浦みたいに…落ち着かないか?」
迅の口ごもりに心当たりがあったのか、疑問をあげられる。
「いや、影浦とはまた違うっていうか。それに嵐山が悲観に思うよりは、割とコントロールできてるつもり。このサイドエフェクトとも付き合い長いしね」
未来視のせいで、あまり授業が身に染みないというのは事実だった。オンオフが出来るならともかく、迅の意志など無視をして勝手に発動するわけで、他人がいれば嫌が翁なしに、迅の脳内には誰かしらの未来が訪れる。何か走馬灯として駆け抜けるような感じというか、それでもスルー出来る精神は長年のおかげで養ったことには違いない。だが、出来るなら人数の少ないところで追試を受けたりするほうがマシということだ。テスト中もそれは同じだった。直ぐに集中なんて出来るわけもなく、それなりに気が散る。
「でもやっぱりそうだな…おれには嵐山の個人レッスンの方が性に合ってるかな?」
笑いながら茶化した。だってそれが事実だったし、それ以上はない。
「そう言って貰えると、教えがいがあるな」
嵐山も笑いながら、追随してくれた。そう…これは迅の我が侭でもあるのだから。
そんなこんなで、二人は学校で部活動には入っていなかったものの、ボーダーでの任務と訓練と学校での授業と勉強と、気がつくと迅必然的に半分くらいは嵐山と一緒にいるようになっていた。友達として。そう…それがいつの間にか当たり前となっていたのだ。
その日の迅は、直属の上司である林藤に呼ばれて本部にやってきた。持って来いと言われたものがあったからだ。そのディスクを手にした迅は、色々と思う事があったが、命令なのだから仕方ない。やや重い足取りで進む。しかもその行き先がそれなりに問題だ。今日は幹部たちの定例会議の日だと迅は知っていた。急な案件の場合、臨時に集まって色々会議しているらしいが、それとは別に毎月決まった日に主だった幹部が全員集合し、毎月の予定や今後のスケジュール話し合っているらしい。防衛隊員も関係する人間がいると呼びつけられたりはするが、それは臨時会議の方で定例会議はたまに程度である。だから迅もあまり縁がなかった。
会議が多いことが良いかどうか、それは知らない。迅にとってはボーダーが全てだったし、こんなものかと思っている。それにしても問題がよくよく起きるものだとは思う。本部が出来てから随分と年数が経ったが、未だ謎の多いネイバーを相手にするような組織で問題が出ないわけがない。便利なサイドエフェクト持ちは個別に呼ばれたりもするからいつものこととはいえ、防衛隊員は基本A級隊長クラスが呼ばれる。戦術レベルは現場に一存されることも多いから、戦略や今後の開発トリガーに関することが多いからだ。迅も隊長のような扱いを受けるし、呼ばれる回数が多いので仕方ないという気持ちで入室した。
「失礼します」
大方の予想通り、大会議室にはボーダーの主要面々が着席していた。城戸司令はもちろんの事、各部署の部長クラスがずらりとそれに林藤を初めとした支部長クラスが。なかなか壮観な眺めだと言っても過言ではないだろう。今、この大会議室にネイバーが押し入ったとしたら、ボーダーは内側から壊滅状況に陥らせることが出来る程のだった。
それでも迅は呼ばれる頻度高くて慣れているから、上層部たちも迅に大してはあまり気にしない。それは、迅のサイドエフェクトを高く買ってもらっているからだ。ありがたいことと思えるのも、紙一重と言っても過言ではないが。
「迅くんも、来ましたね。では、次の議題に入ります」
途中で参加する形となったので、まず傍聴するような様子になる。今回の発起人は根付さんらしく、主体に話をしている。林藤に命令を受けたとはいえ、本当に用があったのは根付のようだ。口ぶりから判断できる。このディスクの内容まで知っているかどうか判明しないが。そして、どうやら迅待ちをされていたらしい。未来視があるとはいえ、会議全てに役立てるというわけではない。会議というものは討論をし、周囲が納得したところで進むのだ。たとえ未来を迅が知っていたとしても、結論だけ述べたって意味がないし、言う人間の総意全てを未来視でわかるというわけではもない。そういう反面がある以上、迅がいることを前提に進む会議は、考えがまとまらないとか厄介な案件ということだ、必然的に。だからこそ余計な口出しはしない。
「この議題も何度目か重ねましたが、そろそろ最終判断を仰ぎたいと思います」
会議室の真ん中上部に現れた大型スクリーンに、根付の用意したと思われる資料がぼうっと表示される。随分とね情報量が多い。経営的な範囲は唐沢の協力を得たらしく、その胸も記載されている。とりあえず、手元のコンソールパネル必要な部分だけアップにさせる。なるほど…
「では、ボーダーの広報活動させる隊を決めようと思います。メディア対策室とすればこれはイメージ向上に必須です。具体的には市民を守ることを考えると、優秀なA級隊員を希望します」
とうとうその話が舞い込んできたかと、迅は淡々と思った。前々から、メディア対策は方々色々と努力している。個別の案件は今のところ問題なく消化しているが、次は打って出ようというのだ。今までは第一次大規模侵攻の被害を引きずっていて受身だったことに違いない。しかし、それは根付の本意ではない。ボーダーには、よりもっと大きくならなくてはいけない。いや、なってもらわなくてはいけないのだ。それにはより大きく宣伝をしなくてはいけない。それも合理的に。まだ隊員がどんな活動をしているか詳細には知れてないし、あまり詳しくは言ってはいない。その隠匿をアンチボーダーに叩かれる部分もあった。だったら…曝け出せばいい。それもボーダーに必要なところだけだが、それでもクリーンな部分はうたえる。示せる。実際に活動している防衛隊員にそれを望むこと、それは当然のことだった。きっと絶大な効果だろう。
「それで、肝心の人選はどうするんですか?優秀なA級隊員と言うと、実力順から考えると太刀川隊になりますが」
この案件議長である根付の言葉が始まると、方々から意見が飛ぶ。疑問だ。それも探りあいも含まれる。各々、色々と思う事もあるのだろう。
「広報をするとなると忙しくなるから、さすがにA級1位部隊にやらせるのは無理じゃないか?いざという時に、戦力を温存したいし」
太刀川が好きで本部待機しているとはいうわけではないが、いざというときの抑止力になっていることは確かだった。当真もそうだが、彼らが本部にいるからという安心感が防衛任務中にさえある。実際、イレギュラーの対応に出かけた事は一度や二度ではない。迅や天羽もそれに含まれる。
「個人的な意見も入りますが、慶の性格は広報に向いていないと思います。それに、唯我の件もあります。彼を広報に出すことを彼自身は気にしていないでしょうが、色々と問題もあるでしょう」
ここで愛弟子である太刀川を憚ってか、本部長の忍田が口を挟んだ。さすが師匠。弟子のことはよくわかっている。太刀川が広報をする未来…別に悪いものではないが、色々とちぐはぐな面も多いだろう。それに唯我はA級隊員の中でも特に取り扱いを気をつけなければいけない人物だ。それを気にしていないのは太刀川隊の面々くらいだ。だからこそ唯我はあの部隊にいてきっと幸せなんだろうが。金がなければボーダーは運営できないわけで、それを言い訳に贔屓と見られること、手段として悪いと思う部分の人間の方が多いだろう。だが、実際あの扱いでは太刀川隊に入れて羨ましいと思えるのか?と周囲に見られていると本人は知らないだろうが。
「では繰り下がり、冬島隊ということになるが…」
次の人物で、皆が押し黙る。
「冬島隊長には申し訳ありませんが、防衛隊員のほとんどが学生です。冬島隊長を全面に出して、彼を基準に考えられると…新規入隊に問題が出てくるかと思われますが……」
うんうんと面識の薄いであろう支部長の面々さえも頷く。学生アピールをしたいと力強い気持ちは強くある。若いトリオンほど余計にだ。スポンサー問題は唐沢の手腕であらかた解決しているのだ。今、急速に求めるのは新戦力と言ったところだ。今のボーダーに人手はいくらあってもいい。だからこそ試験の振り落としもトリオン量と犯罪歴くらいに留めているほどなのだから。
「冬島に広報やらせるくらいなら、技術部の仕事を手伝って欲しいくらいだ」
ここで鶴の一声とばかりに、鬼怒田が口を挟む。元々冬島は技術部あがりなので、防衛隊員に持っていかれたのを根に持っているらしい。鬼怒田とてスカウトした女子高生には弱いから仕方ないとはいえ、これ以上はということだ。それに冬島隊はオペレーターを入れても三人の部隊である。仕事を分散させるのも色々と難しいだろう。
「では、風間隊はどうでしょう」
次の隊の議題が上がる。ここまで来たら順繰りやるつもりだ。
「風間隊長は非常に優秀な人物とはいえ、ある程度の子供含めて幅広い層相手に愛嬌が必要です。それに、先ほどのニ隊もそうですが上位部隊には遠征任務もありますので」
遠征が隠密で侵入が基本となることを考えると、現状風間隊以上に密偵として相応しい部隊はない。広報に携わるとなると遠征から外さなければなければならなくなるのは痛手すぎた。
「そうだなー 蒼也に広報は俺も無理だと思う。第一、年齢相応に見えないし。それに歌川はともかく菊地原が愛想振りまくとか無理だろ」
苦笑しながら、林藤が答える。菊地原の素直ではない口ぶりは知れ渡っている。彼の境遇を考えれば仕方のないこととはいえ、だからこそ無理に外に押し出す理由もない。人に愛想を振りまけるかと、甚だ疑問になるのもわかった。
「市民に慕われる存在が必要ならば、ここは女性から選抜するのはいかがですか?そう考えるとA級部隊からだと加古隊が相応しく思えますが」
そうして女性のみで構成されている加古隊の名前があがる。先ほどまで男オンリーの部隊ばかりあがっていたせいか、反動で紛れもなく華やかさを感じる。とても良い案にも感じられただろう。
「しかし、ボーダーの構成員は圧倒的に男性が多いですから、女性目的に入隊を希望されたりするのは厄介かと。いえ、もちろん女性は必要です。男ばかりと思われるのも心外ですからな。将来は、隊員の男女比率を半々にしたいと考えていますけど、まだ早いと思います」
確かに、上層部を含めても男ばかりだ。現場上がりの沢村のような女性これからここにも増えるだろうが、やっぱりそれを鑑みても男ばかりだった。加古隊はみんな美人揃いだし、やろうと思えば加古が広報も出来なくはないだろうけど、そう…貴重な女性だけの部隊なのだ。男ばかりではできない事のフォローや気遣い、そんなことを加古はしている。これは男たちに全てを任せることは出来ない。
「二宮隊は隊員に女性もいますし、確か遠征に行く予定もなかった筈ですが…いかがですか?」
二宮隊の隊服がスーツなこと、外から見たら良いことなのか悪いことなのか判断しにくい。確かにさきほど出た問題点全てを二宮隊はクリアしていた。顔もいいし広報向けに思える、しかし。
「二宮隊長に広報?無理でしょう…」
そこは、完全な全会一致だった。良いとか悪いとかそういう問題ではなく二宮の気質によるものだ。それだけは、上層部であろうが本人の意思を捻じ曲げることはできないし、了承するとは思えない。ボーダー隊員の多分誰よりも隊長クラスでは無理な人間だと感じて、議場の空気は一致した。
「では、男性ばかりですが影浦隊は?チーム内は、とても仲が良いようですが」
無理だろう…と発言した本人もそう思ったらしい…が一応名前があがった。影浦はチームメイトには優しいが、自分に悪意向ける人間には容赦ない。ある意味ボーダー内随一の問題児と言っても過言ではないのだから。とても外向きではない。
なんだか、隊の名前があがるたびに消去法になってきた気がする。たしかに、どの意見も納得できる部分がある。反論ではなく、良い点だけを上げたいのだが、そんな完璧は難しい。そうして議題はふつふつと煮詰まってきた。悩み事は尽きない。
「実は私の方で新しく広報専門部隊を着手していますが、まだまだB級にあがるのも先のことでしょう。広報は重要なことです。あまり先延ばしには出来ませんので、今回ご永訣頂きたい」
根付が困った顔で、しかしはっきりと断言した。迅は知りえないが、それはもう何度目かの討論なのだろう。消去法でやっているとキリがないだろうし、さすがの根付も痺れを切らしたのだろう。今回必ず決めると暗に伝わった。
「迅、おまえ広報できるか?」
ここで林藤が黙り続けていた迅に対して話しかけた。皆の視線が一気に迅に集中する。別に慣れてるけど、この場はあまり良いものだと感じない。
「ちょっと無理かな。だいたい、おれは今は隊に所属してないし、模範的なボーダー隊員とはあんまり言えないと思うよ」
たとえ玉狛第一とまとめてというのも無理だろう。それにこれは派閥の問題もある。ネイバーと仲良くしようだなんて、本部内で言うだけでも非難なものだというのに、被害に合っている市民の前で吹聴するような形になること、許されないだろう。迅は元から選択範囲外だ。
「迅くんならサイドエフェクトがありますから、うまく立ち回れると思ったのですが」
ここで根付が残念そうな声を落とした。もしかして根付に花丸をもらったのが迅だったのだろうか。これは…この場に参加できて回避を出来た事良かったと思う。確かにボーダーがいろいろ世間に隠し事をして画策しているのは事実だから、ボロがでないようにしなくてはいけない。そういう面を考えれば迅が最適といわれるのも確かだったが、迅の場合は知りすぎていて、逆に口が滑るかもしれない。
「では改めて聞こう。今、ボーダーの広報を担当する隊を考えている。お前は、どこの隊が相応しいと思う?」
そう言って、城戸司令は迅へと深く語りかけた。その返答に一陣ばかりの嘘は許されていない。それは迅本人の意見を聞いているのか未来を聞いているのか、そのどちらでもあるようにさえ感じた。きっと城戸はわざとその隊の名前を出さなかったのかもしれない。
「そうですね…」
そう呟きながら、迅はその場に視えたモノをそのまま伝えた。彼の隊の名前をだ。
そうして、林藤が持ってくるようにと要請した、新人研修の為のディスクをその後にスクリーンに投射することになったのだった。
数日後。嵐山隊に広報活動を命じるという辞令は、瞬く間にボーダー内に広まった。これで良くも悪くも彼らの部隊は一番に注目される存在となったのだ。広報活動に、嵐山隊以上の適任はいない。それが迅の結論でもあった。
玉狛支部の屋上は、ぼうっとするのにとても適している場所だ。支部の大きさの割りに詰めている人間が少ないので、滅多に誰も来ないということ。そして河川の中ほどにあるせいか、周囲に余計な建物がないということもある。市街地の反対側、少し先の警戒区域周辺には高い建物がないから余計にそう感じた。ごろりと寝そべれば、もはやその視界には空しか見えない。それも今は夜だからこそ空気は澄んでいて、冬の星ばかり視界に集まる。煌く星空を、ロマンだなんて迅は思わない。あの星のどれかはネイバーが住まっているのかもしれないのだから。それにゲートが突然開くかもしれないことを考えると、三門市に完全な安堵は訪れることないのだから。外は世界は無限に広く誰も見えないからこそ未来が視えないようにもあった。好きだった。
「迅、もしかして寝ているのか?」
誰かが屋上へ続く階段からあがってきたということは、感覚器が知らせてくれて、でもその相手までは迅の範疇にはなかった。
「嵐山…来てたんだ」
ひょいっと身を起こして立ち上がる。ぱんぱんとズボンのほこりを叩くが、そんなに汚れたかはわからないのは、外灯が少ないせいか。別に嵐山が来たことを意外だとも思わなかった。いつかはきちんと改めて対峙するだろうと思っていたから、むしろ遅かったくらいだ。
「桐絵に呼ばれてな。あまり広報活動のことをよく思っていないみたいで、釘を刺されたよ」
少し寂しそうな顔をして、嵐山は答える。元々最初から小南は、嵐山がボーダーに入ることを快く思っていなかった。だからこそその後、嵐山だけは認めたのだ。だって、彼が入らなかったら彼の弟や妹が入りたいと言うかも知れない。そのストッパーを今度は嵐山が引き受けたのだ。二人はそれで暗黙の盟約をしている。
「そう…だろうね。広報してると忙しくなるし」
小南とて、広報の仕事がどこからどこまでか全て把握しているわけではないだろう。おそらく彼女が考えるよりはよほど大変なことになるから、言うのも当然だ。今はまだ始まったばかりだが、そのうちただの広報部隊というだけにはならなくなる。もう嵐山隊の身代わりはいない。根付は次の広報部隊を考えているらしいが、それも一石二鳥には無理だろう。
「それは別に構わないんだ。おれが選んだことだし、隊のみんなも忙しい中協力してくれている。今回の件で、結束力が高まったような気もするしな」
きっと嵐山は、根付からの要請を受けて他の隊員と相談して直ぐに決めたのだろう。彼の中ではもう打診された時点で決まっていたに違いないが。
「そうなると…思ってた」
わかっていた。もちろん知っていたのだ。迅は、よくこう言ってしまう。相手の気持ちがどうであれ、未来として視ているそれがあったのだから。
「迅。こういうことははっきりしておきたいから、聞くんだが。俺を広報に推薦したのは迅というのは本当か?」
嵐山はきっと怒ったりはしてない。でも確認と納得をしておきたかったのだろう。真っ直ぐな気持ちを、そのままストレートに疑問としてぶつけてきた。
「そうだよ。おれは、嵐山が一番適任だと思ったんだ」
改めてはっきりと伝える。それは会議の場であった、消去法ではない。もう最初から、嵐山という存在に出会ったときからそれしか考えられなかったのだから。未来が物語る…彼は新たな次のステップを踏む前に随分と長く広報隊長をやるという運命が決まっていたのだと。それ以外、考えられないほどだった。そこに迅の意志は必要とされていない。そうなるとわかっているのに、わざわざ反意する必要もないと無防備になるほどのものだった。
「それはありがたいことだが…やっぱりそれもサイドエフェクトなのか?」
どこか思う事があるような口ぶりだった。あまり嵐山は迅の能力に対して口を挟まない。それが迅の意志か未来視なのかわからなくても、丸ごと受け止めてくれていたから、それが迅には心地良かったのだ。でも、今は改めて確認された。
「そう…おれが嵐山を選んだ。入隊する前から知ってた」
それは紛れもない誤魔化しようのない事実だった。嵐山が今の仲間と隊を組むこと、A級に上がること、広報隊長になること、最初から全てを知っていて迅はこうやって彼と向かうことになる。嵐山には、ボーダーを選ばないという選択肢がいくつもあった。迅にはそれしかなかったからといって、巻き込む必要性はないという罪。
「迅は、俺のこの先の未来も知っているんだな」
己の全てを見透かされること、嵐山は嫌だと迅に言ったことはない。だが、きっと気持ちの良いものではないだろう。誰だって未来全てを知られたくない。それが自分に近い人間なら尚更のことだ。そうして全てを知った上で、迅は嵐山の友達のふりをしていた。卑怯な人間なんだ。
「そう。これはボーダーの為なんだ。嵐山…そんな簡単に引き受けちゃって大丈夫?これでもう嵐山はボーダーから離れられない。周囲がそれを許さない。今ならまだ引き返せるよ。どうして…そんな簡単に受けちゃったの?」
いつかはこうなると知っていた。現に上層部に推進もした。今更、言い訳なんてできるわけもない。だからこそ逃されない。上層部が絶対にそれはさせないし、一度引き受けた以上嵐山自身が責任によってそれを許さないだろう。相当なことがない限り、嵐山は今後ボーダーに縛り付けられる。もう逃げない。それはきっと嵐山が死ぬまで。
「周囲が…迅がそれを望んでいるなら、俺に出来ることなら叶えたいと思ってる。別に迅のせいだとは思っていない」
そうだ。別に迅が直接嵐山に命令したわけではない。上層部から広報に推薦されて、引き受けたのは嵐山自身である。そう言いたいのであろう。そうだとはいえ、迅は関係ないわけではない。諸悪の根源を一人選べと言われたら、間違いなく自分に違いない。
「周りの人間が、全てが嵐山みたいな綺麗な人間じゃないって、わかってないよ」
そう危機感を伝える為に、暗くつぶやいた。迅が暗躍してボーダーに入れた人間は、何も嵐山が始めてというわけではない。今までも何人もいた。未来視があれば、この人間がボーダーに入る資質があるかどうか、それがわかるのだから。だから迅は暗躍をやめない。ボーダーには常に人間が必要だ。それはトリオンが必要だから。結局のところ、迅がやっていることはネイバーとそう違いはない。ボーダーの為にトリオンが欲しい。だけどさすがに殺すことはできない。まだ電池のような蓄電もうまく行っていないのだから。だったらどうするか。本人の意思と見せかけてボーダーに入隊させるしかない。居心地をよくしてやらなければいけない。決して辞めないように。学校にもいかず、その画策ばかりしてきた。だから、迅の周りの人間がボーダーに関わってどうなって行ったのか。決して良い結末だとは言えなかった。それを隠して、迅は嵐山に近づいたのだ。
「でもボーダーに入るのは俺が望んだことだ。迅は自分を責める人間が欲しいのか?どうして己が悪いように言うんだ」
そう確かに嵐山は自ら進んでボーダーを求めた。そこには迅の意志は介入していないはずだ。でもそれ以降はどうだろう…迅は友達になってくれた嵐山の意志だけは捻じ曲げたくなかったから、必要以上に干渉したつもりはなかった。でも、それは迅の表面上だ。本人の為と画策したもの全てが嵐山の為になっただろうか?知らぬ知らぬのうちに、それは嵐山の未来を操る要因になっていたのかもしれない。そこまで全てを迅が知り行くことは不可能だったから。完全な自信なんてないんだ。未来はどこまでも不明瞭で、だから今回は吐露をした。
「だって、おれは周囲を利用していかないと生きていけないから。だからきっと無意識に、嵐山も誘導していたと思う。ボーダーで上に登るように。スコーピオンを教えたのもそういう理由だよ」
そう迅は結局のところ一人では生きられない。未来視は自分以外の誰かを必要とするのだから。嵐山さえもその数多の一人にした。迅の行動にはどんなことにも意味がある。それを嵐山に伝えていた。意味のないことなんてしないということは、嵐山と友達をしているのも意味があるからだ。未来永劫ずっとそれは続くだろう。辞めることは出来ない。彼が隣にいる限り。それが、サイドエフェクトで迅が生きているという実感を得る存在意義でもあるのだから。
「迅は、俺を利用していたとでも言いたいのか?」
嵐山をそこまで導いてきたのは間違いなく迅だとしても、どこかそれを認めたくないのか。直接的な言葉が捧げられる。そう言われてもしかたなかった。迅は嵐山を利用するためにボーダーに入れたようなものなのだから。
「そう…おれは周囲の人間を利用して…利用し尽くして来た。ボーダーを存続させるために。それは嵐山も例外じゃない」
ボーダーの為だを全ての言い訳に、後ろめたいことをし続けてきた。別に迅は自分のことを神様だと勘違いしているわけではない。それでも他人よりは優位に立てている面あることに違いはなくて、それを取捨選択して…全てボーダーの良いようにと立ち振る舞ってきたこと、これは事実だった。
「何か…理由があるんだろ?ボーダーは未来へ続く組織とはいえ、迅がそこまでボーダーに固執する必要はないはずだ」
何かが…迅のボーダー執着が明らかにおかしいと気が付いたのか、嵐山が疑問の声をあげる。確かに嵐山も迅と同じくもう生活の殆どをボーダー中心に生きていることに違いはない。学校はきちんと通っているが、それは必要とされる部分だけだろう。それは学生だかこその義務感。嵐山にはこれといった趣味がない。家族という当たり前のものを大切にする、それだけしか彼には出来ない。専門的に、特に何かに固執することがないのだ。それほどもうボーダーという組織に侵食されているに違いない。嵐山より長くボーダーに所属している人間はたくさんいるが、皆それなりに楽しくボーダーでやっているのに、彼はどこか義務感を覚えさせるようになってしまった。そう結局は、嵐山は迅と同じ類の人間なのだ。一度こちら側を知ってしまってはもう離れられない。それはA級隊長になる必須条件でもある。あのクラスはみんなどこかがボーダーに束縛されている。迅はそれが一番強い。ボーダーでなくては駄目だから。
「理由なんて一つしかない。自分の為だよ。おれは自分の為に、周囲を利用する人間なんだ」
ボーダーの為、市民の為、布いてはネイバーの為という口は、所詮は詭弁だった。
「でもそれは当たり前だろ?誰でも無償で尽くすわけがない。ボーダーだけじゃない。どこにいてもそうだ」
迅の主張。それは、はたから見れば真っ当なものに嵐山も聞こえただろう。迅からすると、嵐山の本意はわからない。少なくとも迅よりは自分を投げ捨てて周囲の期待に応えようとしている人間に違いないが。だからこそ、迅は嵐山を選んだ。自分より迅を優先してくれそうだから。そういう打算だ。その見当がなかったら、今はきっとこんな関係になっていなかった。嵐山の横はとても心地よかった。それも自分が傷つかないように取捨選択した相手だから当たり前なのだ。
「そうだね。そうありたかったけど…許してくれなかった。迅悠一が、自由にしていられるのはボーダーだけなんだ。おれのサイドエフェクトがそう言っている」
その、いつものセリフを光彩のない瞳で、嵐山に向けた。
「ボーダーでの人生は、迅が選んだ最良の未来ということか?」
驚いたように少し考えた後に、嵐山が的確に迅の意図を汲み取って質問してきた。
「そう…ボーダー以外に俺の居場所はなかったから。サイドエフェクトってさ。指摘されないと本人には曖昧なんだ。おれは未来視だったから知ってたけど、希少な能力だと知れたら、どの未来でも実験体になってた。どこかの研究機関、怪しい宗教施設、独裁的な国家権力…監禁されたのは日本じゃないことも多かったかな。だからサイドエフェクトに理解のあるボーダーを選んだ。ここだけがおれに自由を許してくれたから」
それは幼い頃から未来を知りえた迅だからこそ出来たことだった。ボーダーだけが迅にとっての救いの場所だったから、逃げ込んだ。これ以上の場所はない。そうして自分だけが安全な場所にいるのだ。なるべくサイドエフェクト持ちはスカウトしているが、それでも見過ごしている人間はたくさんいる。全てを救い上げることはできない。結局は、それだってボーダーへ入隊を促すくらいだ。サイドエフェクト持ちは同族にも近いというのに、結局は世間に公表していないのがいい例だ。それはとんでもないことだ。世間一般にはまだそこまで知れ渡っていない。全て迅の安寧の為に出来うる範囲でしかしていない。だからこそ、迅は狡猾で、誰かの犠牲の上に成り立っているのだ。
入隊したサイドエフェクト持ちの人間だって別に幸せじゃない。理解がある筈のここでも問題は起きている。だから彼らがこれで最善の道だったのか、それはわからない。でも迅は同類を欲した。仲間を欲した。自分を正当化する為にだ。サイドエフェクトが希少にならないよう、自分だけが目立たないように、彼らも迅が利用しているのだ。結局のところは。
「迅にボーダーが必要だと言うなら、俺も出来る限りのことをするよ」
嵐山はこれで全てを知った。迅の意図も。それでも言葉が続くのだ。城戸をはじめボーダーには各々の思惑が混在する。それでも、迅の為に存在させなくてはいけないボーダーの矢面として広報に携わると言ってくれたのだ。
「おれはこれからもきっと嵐山を利用するよ。それでも?」
確約どころではない、それは事実だ。何度も何度も。本人の意思が伴わなくとも必要だというなら記憶だって消すし、最悪上層部から命令させる。そんなことを出来るのはボーダーだって未来視が惜しいから、互いに成り立つ存在だから、迅を見捨てさせないように…未来視に頼るようにこの体制を少しずつ変えてきた。それでも城戸たちが全て迅の思惑に乗ってくれはしないとそれはわかっていたけど。それだけのものを迅はボーダーにもたらしてきた。それは事実だったから。互いに失うことは出来ない存在ともう成り得ている。ボーダーも迅も、もう引き返すことは出来ないのだから。
「迅は、ボーダーから離れられない。俺も、これで離れられなくなった。もう、迅は一人じゃない。俺も一緒にいさせて欲しいんだ」
ずっと側にいると、約束するかのように促してくれた。
「嵐山って、どうしておれにそこまでしてくれるの?」
わからなかった。別に離れて欲しかったわけじゃない。迅にも嵐山がもう必要で必要で仕方なかった。でもそこには嵐山の意志を完全には必要ではなかったから。彼がどこまでも変わらずあり続けてくれること、迅を受けて入れてくれること、ありがたくは思ったけど釈然とはしなかったのだ。
「俺は迅のことを友達だと思っているから、友達を助けるのは当然のことだ」
それでも嵐山はいつもの様子で、硬く頷いてくれる。
「友達…」
疑ってはいなかったが、なんとも言えない顔をしてしまったと思う。どう反応すればいいのかわからないのだ。年数にしたらそれなりに長く友達をやっているからという今更感より、友達として振る舞ってきた…つもりだったのだ。確かに。でもそれは迅にとって本当だったのだかろうか。わからない。
「迅は、俺と友達になってくれる道を選んでくれたんだろ?」
選んだというのが本当は迅にとっては、苦手だった。いくつもの道があって流れに沿ってということは少ない。他人ならいざしらず自分の未来には、何かしら迅の行き先には介入が存在する。
「それは…その方が嵐山を動かしやすいからであって」
思い起こせば、最初は手段の為の取り決めだった。提案は確かに嵐山からではあったが、迅もそれに乗ったのだから、迅の意志でもある。そう、友達になれば扱いやすいだろうと。事実、目標の一つである嵐山を動かす事は、とてもスムーズに進んだ。広報隊長に関しては、誰かが前に踏み台になる未来だってあったんだ。その決定打が、会議場で示した新人研修のディスクだった。模範的な嵐山の行動が、そのプロモーションが、上層部に太鼓判を最終的に押さした。これは迅が意図としてやったことではなかったつもりだった。その時はただ単純に…考えただけだった。しかし未来は勝手に動き出す。必要なものはどんどん取り入れられる。この時は林藤によってだけど、そんなことはこれから何度でもあるだろう。迅が一番望む未来へと邁進するために、もう止まらない。友達だろうが嵐山に容赦することはない。きっと、また都合の良いように操るに違いない。
「迅は、自分が利用したい人間を全員友達にしているのか?」
そうはとても思えないと、嵐山は首を振っている。
「確かに明確な友達はあんまりいないけど…」
その定義だとすると迅の友達は全員、利用する人となる。確かに誰もが多少は、その部分はあった。迅の友達にはボーダー関係者しかいないのだから、必然的にそうなるしかない。
「友達というのが演技だというなら、それでもいいんだ。でも、俺はそうは感じなかったし、それでも俺は迅に出会えて良かったと思っている。それとも迅は俺のこと、本当は友達だと思っていなかったのか?」
確かに築けたものがあると思うんだという確信を得ているかのように、ぐっと嵐山は言葉を詰めた。確かに、誰もかもが迅の都合の良いように動かす相手ばかりじゃなかった。それは嵐山が一番そうだったのだ。だから、感謝なんてしないでほしい。だって、そんなこと迅には言われたことがなかったから。
「えっと、ごめん。多分、おれ今まであんまり周囲を単純な友達だと思わなかったからわかんないというか」
大なり小なり利害関係を考えて周囲と付き合ってきた後ろめたさがあった。友達より上はもっと無理だった。恋人はおろか、早くに母親をなくして家族さえもわからない曖昧を未だ引きづっている。迅にとっては、この世の中は自分とボーダー関係者とそれ以外で構成されているように視えていたのだ。
「迅の友達は、俺だけじゃないと思うぞ。きっとボーダーの仲間も口に出さないけど、迅の事を友達だと思っている。みんな迅のサイドエフェクトを知っていて付き合っているんだから」
そう明確に嵐山は告げてくれた。迅の脳裏に、賑やかな面々が駆け抜けた。彼らは、迅をどこまでも平等に扱ってくれた。サイドエフェクトをただの才能であるように。それはトリオンを知っているから、生まれ持った能力の高さに付随するもの程度に見てくれたのだ。全てがわかって彼らは受け入れてくれる。
「ずっと不思議に思っていたんだ。ボーダーの仲間だけは、おれの能力を知っても気味悪がったり避けたりしないんだ」
だからこの未来を選んだということもある。他の未来はみんな酷いものだった。同じサイドエフェクト持ちでさえ険悪で、未来視は特に軽蔑された。だからこそボーダー内でさえ、利用されてもも利用しているのはこちらだからと割り切っていた。でも本当はそんなこと思いたくなかったのだ。誰もがそうではない。それは友達だからだと納得した。それがとても胸に染み渡った。
嵐山と友達になってから、たくさん一緒に居た。感化されていたのかもしれないが、本当の自分はこれだったんだと気が付いた。欲しかったものがあった。寂しかったんだ。悲しかったんだ。一人で。誰も本当の迅を理解なんてすることは出来ないと思っていた。でもそうじゃない。側にいてくれるだけで良かったんだ。
「じゃあ、きっと嵐山はおれの一番の友達だな」
こんなこと本人の前で言うべきことではないかもしれないとどこかわかっていたけど、自然に口に出たのだ。
「ああ。俺も迅が一番の友達に今本当になった気がする」
だから今度こそは、きちんと行かなくてはいけない。ボーダーの為、市民の為、そして自分たちの為に二人は未来に向かって進み続けるのだ。それさえもステップの一つでしかない。この未来の先導者となる為に、ここでつまずいているわけにはいかない。
「嵐山ってさ。意外とおせっかいだよね。おれにきちんとした友達なんて出来ないと思ってたのに、覆されるし」
未来視がある限り、友達なんて出来っこないと思っていた。みんな迅を利用する為に近づいて、心の底からはいないと見当をつけていたのに、きょとんとそう思った。
「そうか?迅の方がさりげなく面倒見がいいだろう。それこそ友達じゃなくともボーダーの誰もに目をかけているじゃないか。だからこそ、おれは迅ときちんと友達になれて嬉しいよ」
どうしてこんな厄介な奴と友達になりたいんだか、わからなかった。嵐山が望めばどんな人間でも寄ってくる。それは今後、広報をしていれば寄り更にだ。本人の範疇以上の存在にこれからなることをまだ知らないとはいえ、今でも予兆はたくさんある筈だ。
「まあ、そうは言ってもこれから嵐山は今以上に忙しくなるし。もうおれが今みたいに嵐山を独り占め出来るのも無理だろうから」
良い友達でいようと心は繋がったが、時間はそれを伴わない。嵐山の助力のおかげで、これからボーダーは隊員が増えまくるだろう。そうなれば嵐山も忙しくなるし、同時に迅も忙しくなる。正直、そろそろ潮時だと思っていたんだ。スコーピオンの訓練なんてもう嵐山が他人に教えるレベルになっている。勉強も…まあこれは迅の見立てだから完全ではないが、このままいけば高校を卒業するのに支障はないだろう。それくらい嵐山からよく勉強は教わった。これ以上はいいと思った。
「そう…かもしれないな。いや、迅が言うのだからきっとそうだろう」
訣別をうたわれて、嵐山はどこか物寂しそうに納得するような声を出した。
「なに?やっぱり忙しいの嫌?」
ある程度は想像しているだろうが、一応ボーダーで広報部隊という前例はないし、まさか心配なのかとも思う。だけど嵐山ならきっと大丈夫だと励まさなければいけないとは、あまり思わなかったけど。
「いや、忙しいのはいいんだ。別に。でも今までみたいに迅と一緒にいられないのは寂しい」
それは心の奥底から伝わってくるような、とても素直に響き渡る声だった。嵐山の喜怒哀楽はわりとわかりやすいとはいえ、かなり落ち込んでいるように見受けられた。
「うーん。まあおれはそれも同感かな。でもそんな深刻な顔する事じゃないだろ?」
ははっと笑って半分誤魔化した。嵐山はイケメンだからいつでも良い顔だが、暗い顔は似合っていない。だから笑って欲しかった。嵐山はずっと前向きだったから。迅が本当の気持ちを吐露してもこうやってずっとだ。だから、どうしてここに来て、沈んだ顔をするのか謎だった。偽りの気持ちがなかったわけではないとはいえ、自分たちはずっと友達関係を円満に築いてきたと思っていたのだ。それはきっと演技ではなかった。確実なものもあった筈だ。だからそれ以上だなんて。
「俺は、迅が好きだから…一緒にいたいと思うのは当然なんだ」
それは、迅の未知の領域を突き抜けるものだった。好きだとかそんなのは冗談の欠片で互いに言い合ったことはある。でもそれは友達の延長のおふざけ的な雰囲気だったから、それはいつも笑って鼻で飛ばせるものだった。でも今、嵐山が言ったものは紛れもなく違う。それだけはわかったから。ぽんっと次に思い立つものが。
「おれ、男だけど?」
さっきようやく心の底から友達になれたばかりで、次のステップアップが早すぎると思ったわけではないが、一番がそれだった。それさえも嵐山らしいと、一瞬過ぎったけど。
「わかってる。それでも迅が好きなんだ。てっきり迅は、サイドエフェクトで俺の気持ちなんてとっくにわかっていたのかと思ってたんだが」
照れるというよりは、困惑するような顔を向けられた。未来視は人の気持ちまでわかるわけではないが、感が良ければ察することは出来る。だが、それは第三者視点の場合だけだ。自分自身に向けられている感情は酷く曖昧だった。あまりに近くに居すぎたことの弊害だったのかもしれない。
「いや…ていうか、こうやって嵐山と対峙するのは視えてたけどなんていうか、喧嘩別れするような内容だなと思ってたし」
だから単純に驚いた。でも案外冷静に受け止められている自分がいる。嵐山のそういう好意など、考えたこともなかったけど。迅に近い人間であるこそ未来は枝分かれしやすいから、不確定だ。それは迅が故意にせよ無意識にせよ介入しやすいからだ。そしていつかコントロールしつくすだろう。友達だと気安く寄ってくる彼を、都合の良いように。いつまでも。
しかし嵐山は、それを告げても良しとする。まるごと受け止めてくれる。未来の嵐山は迅がどんな選択をしても変わらなかった。自分を軽蔑したりしないし、嵐山であり続けた。意外と頑固なのだ。芯がどこまでも通っている、これが嵐山准と言う人間。それは最初に会った時から、それこそ死ぬまで変わらない。迅には嵐山を変えられない。変わるとしたらそれは迅自身のほうだった。
「返事は?」
嵐山が促してくるのは当然だった。押し黙ったまま、この寒空の下に呆然と立ち尽くすわけにもいかない。
「わからない。おれは、愛とか恋とかよくわかんないんだ。今まで周囲の人間って自分の利害の為に理由する相手って認識だったから」
それは嵐山とて例外ではない。きっと多少好意を持った人間が出てきたとしても、それでも未来視があるから迅は勝手に知らぬうちに操作しているという可能性がある。好きな人間をそうするなんて耐えられない。
でもそれでもいいと、その意志が揺るがない人間が、今迅の目の前にいるではないか。
「じゃあ、俺と付き合ってみて、それを知るんじゃ駄目か?」
それには嵐山の僅かな期待が含まれていたと思う。こちらを覗うようにそろりと提案される。
「駄目だと思う…」
直感的にそう思った。頭の中をその結論が駆け抜けた。そんなにややこしい事を感受できる人間では、自分はないと想ったから。
「そうか…」
残念そうな音階の含みで声が漏れる。断られたと思ったのだろう。だから迅は言葉を続ける。
「だって嵐山以上の恋愛相手っていないと思うから、きっとお試しでも付き合ったら…おれはきっと嵐山をとても好きになる…と思う」
それが迅の本当の想いだった。まだ自分の気持ちは、はっきりと決まっていない。でもその可能性を考えた未来が、それを示唆している。とても明るく幸せな未来をだ。そこまで未来が固定されるほどの存在だった。
「そう思うなら、選んで欲しい。迅はずっと選び続けて来たんだ。俺も、きちんと迅に選ばれたいから」
そうして嵐山から差し出された手は、かつて二人が友達になったときにした握手とはまた違うものだったけど、迅は喜んでそれを握った。
これから二人は友達として、そしてそれ以上の存在として共にボーダーを邁進させるだろう。
それは互いの為でもあり、誰かの未来の為でもあると、信じたくありたかった。