attention!
嵐迅で、嵐山さんがサイドエフェクト持ちという酷い捏造設定なので十分にご注意ください。
初めて出会った頃、迅悠一は嵐山准のことが苦手だった。
ボーダーに入れば迅が未来視という奇特なサイドエフェクトを持っていることをいつかは自然に知ることであり、本気な人間も冗談の人間も誰もが一度は、自分の未来を教えてくれと迅に声をかけるのが当たり前のようだった。だからそんな興味本位を向けられるのは迅にとっては、いつものことだ。多分、自分も自分以外の人間がそんな能力を持っていたら同じように声をかけてみるだろうし、そのこと自体には不快感などを持ち合わせたことはない。しかし実際自分が答える側となると良い意味でも悪い意味でも面倒は多いので、わりと当たり障りのない言葉でかわしたりしてきたが、嵐山准という男は一度たりとも迅にその言葉をかけなかった。迅の趣味は人間観察というわけではないが、未来視を持っていると必要以上に相手の事を知ってしまうので、ある程度頭の中で人を見極めが始まっていた。だからこそ、未来視の事に全く触れない嵐山は、その迅の把握パターンから外れた存在だった。善意の塊に見えることは誰もかもが口を揃えて言うし、実際に迅が嵐山を見ていれば未来含めて何もかもが真面目で誠実で問題など存在しえなかった。だが、どこか掴めないように勝手に思ってしまうのは、やはり自分のセオリーの中に入ってくれないことだからだろう。
嵐山はとても良い人間だ。それは絶対に間違いない。だから勝手な思い込みでぎくしゃくするのは嫌だと思い、出会ってから随分と経った後ではあったが、迅は思い切ってそう尋ねた。
「嵐山、自分の未来を知りたくないか?」
迅が、こうやって積極的に他人に未来視を呼びかけたのは初めての事だった。別に未来視を使うことで疲れたりリバウンドを受けるということは全くない。だが、必要以上に未来に頼ってはいけないという気持ちもあるからこそだ。そうして、よく人に囲まれている嵐山が珍しくラウンジで一人休憩しているのを見計らって、声をかける形となった。突然そんな偶発的な事を聞かれて、嵐山はやはり少し驚いた瞳を見せた。
「そうだな。迅の未来なら知りたい…かな」
さすがにちょっと考えたようで、その形の良い顎の下に軽く悩む指を置いた後、閃いたかのように嵐山は答えた。
「えっ?なんで…」
そんなこと初めて言われたので、ぎょっとする。そういう切り返しは求められたことがない。散々他人の未来を視ているからこそ、その矛先が自分に向けられたこと自体に驚いたのかもしれない。
「迅のことをもっと良く知りたいから」
そうして破顔と比喩するのにふさわしいがごとく、当たり前じゃないか的な顔を向けられる。わりとストレートな物言いだったが、嵐山の屈託のない顔を向けられたのが今までに一度や二度ではない。
「いや、おれの事はいいから。嵐山自身の未来はどうなの?」
なんだかそれを直に受け止めたら不味い気がしたので、ぶんぶんと左右に手の振りを入れて、迅は誤魔化すように本筋へと話を戻す。大体、自分自身に多大に話題が向けられることはそんなに得意ではない。
「うーん、自分か。知りたくもあるし、知りたくもないような気がする」
そう…そういう人もいることを迅は知っている。特に知りたくないと断言するような人間は、はっきり迅に勝手に視るなとか宣言してくれる。正直、直接来る人より遠巻きに揶揄してくる人の方が多い。それが冗談でも、本心ではなくとも、結局は誰もが迅を多かれ少なかれ利用しようとしたが、慣れっこだったから別にいいけど。
「もしかして、おれが未来視持ってるって信じてない?」
そこまで迅に言わせた相手が、期待していた反応をしてくれないので、少し言葉が悪くなる。本当にそんな奇跡みたいな能力をもっているのか半信半疑だと言われたことは今まで何度もあった。別に信じたくない人に無理に信じろとは言わないが、だったら自分の心の中にでもしまっておけばいいのにとも同時に思うのだ。嵐山が単刀直入に未来視について言わないのは、きちんと空気が読める人間だからじゃないかとさえ思い始めた。
「いや、迅はとても素晴らしい物を神様から貰ったんだなって思うよ」
しっかりと頷かれた後、もちろん信じているという言葉の上に、いつも以上の良い笑顔を向けられて言われた。まるでその言葉を貰っただけでも神に祝福されて愛されているような気持ちになれた。だからこそ自信が薄れてしまった。
「そう…かな」
きっとそう言ったのが嵐山でなければ、迅は素直に受け入れていたかもしれない。でも自分は、この眩しく真っ直ぐな感情を向けられるような人間ではないとどこかで知っていたから、口ごもるのだ。
「サイドエフェクトがあってもなくても迅は、迅だし。きっとなかったとしても迅はみんなの為に人知れず動いて、あるならこうやって自分の能力を使って未来を良い方向に進めようとする頑張り屋さんじゃないか」
未来は自分で切り開くもので他人に左右されたくないとか、今まで散々色々なことを周りから迅は言われていた。未来視は他人が思うような良い事ばかりではない。どんなに悪い事とでも直面しなくてはいけない。迅は嵐山のように、純粋に誰かの為にだとか人の為にだとかそういう正義感を出して表舞台に立てる人間ではなかった。だから嵐山が認めてくれていたことが、迅は本当に嬉しかったのだ。
きっと嵐山は、サイドエフェクトだけではない…迅をまるごと理解してくれている。
それ以降、二人は良い友達としてうまくやっているのだと、迅だけは思っていた。
◇ ◇ ◇
今にも飛び立ちそうな、その羽根を見つけて、迅はよっと軽く右手をあげて馴染みの名前を呼ぶ。
「嵐山」
「迅。来ていたんだな」
くるりと踵を返した嵐山は遠巻きに見られていたその場所から少し歩き、よどみなく迅の元へとやって来た。
ここはC級ランク戦のロビー。先日、四か月に一度のボーダー隊員正式入隊日を迎えたに先立ち、嵐山隊は例年通り入隊指導を担当していた。
「抜けて大丈夫なのか?」
嵐山は入ったばかりの新人の、攻撃手と銃手の現場監督を務めている。今日は初日ではないのでまだ落ち着いているが、ボーダーの顔である嵐山に対しての質問攻めはよく見かける光景だった。そのどれもが好意的なものであるとはいえ、半分素人相手に複雑なボーダーの戦闘を理解させるということは、簡単なものではないだろうに。
「ああ。それに少し休憩を取ろうと思っていたんだ。折角だから迅に付き合わせてくれ」
こちらからそれを頼もうと思っていたのに、先に好意的な声がかけられるのはさすがだ。
「助かるよ。おれ、本部所属さえないからね。ここに居ると浮いて仕方ないから」
別に迅は不審者ではないが、C級ランク戦のロビーはボーダーに所属している人間ならば誰でも自由に出入りできるオープンな場だ。同時に級が違う者同士が交流する場ともなっている筈だが、そう簡単な敷居ではないのが現実。訓練生の殆どは迅本人のことを知らないとはいえ、基本的年齢層は迅より年下ばかりだし、何より訓練生の隊服でない時点で目立ってしまっていた。
「そうだな…じゃあこれならどうだ」
そう言いながら嵐山は流れる動作で自身の首にかけていたネックストラップを外して、迅の首にかけてきた。付いているクリアファイルが少し大振りなのでストラップ部分がやや短い。そのままふわりと首の後ろに手が回される。
「っ、!」
同じ身長、同じ視線。それは随分と顔の近くなる行動だった。手を外した嵐山の指が迅の後ろ髪を、意図を持って撫でたような気さえした。
「ああ、突然ですまない。だけどこれなら迅も関係者っぽいだろ?」
そうしてストンと迅の首にぶら下がったのは、カードホルダーにもなっている業務用パスケースだった。わりと大き目なこのクリアファイルを他の正隊員と区別する為にか、嵐山隊は全員がしていた。
「確かに嵐山はその顔で十分証明になるだろうけど…」
間違いなくこの場にいる全員が嵐山の顔と名前を知っているであろうと、それはわかるが…嵐山はわりと普通に距離感ゼロな事をしてくるので、迅はもだついた。
「折角だから、そっちの仕事が終わったら、迅も訓練生に指導してみるか?」
なかなか様になっているじゃないかとでも言いたいような口ぶりで、前を示される。
「えー。おれ、人に教えるのそんなにうまくないし。もし、弟子取れとか言われても無理だし」
正直、嵐山のように心から誠意を持ってなんて、誰かと真摯に向き合うのは得意じゃない。自分自身に変な癖がついているのも自覚している。
「そうだな。迅に弟子が出来たら嬉しい反面、少し寂しい」
愁いを帯びた顔で断言される。
「なにそれ。大体、おれなんかより嵐山の方が弟子にしてくださいって、大告白よく受けてるじゃん」
本部に常駐しているわけでもない迅が何度か見かけたことがあるという頻度なのだ。実際はもっとたくさん声をかけられているに違いない。彼らの気持ちはわかる。それに、プロモーションビデオ通りの模倣的な動きが出来る正当な嵐山の指導を受けられるこの場にいる訓練生が羨ましくもある。
「広報の仕事があるからな。要望に応えられなくて申し訳ないと思っているよ」
なんという模範的解答ではあったが、嵐山が言うと嫌味に全く聞こえないのはさすがだった。
「嵐山は何でも気負いすぎ」
もう少し肩の力を抜かないとと、両手を広げるジェスチャーをした。それこそ自分のようにとまではいかないだろうが。実際問題、希望する人間全員を弟子にしていたら二桁で済めばいいけどという状態になるから、それが正しいと迅は思っている。
「そうか?迅の方が大変だろ。今だって仕事してる」
「んー まあ、ぷらぷらするのも好きだよ?」
頭の後ろに腕を組んで何でもないように、嵐山の真っ当な言葉を横にする。
「で、どうだ。みつかったか?」
二人は少し移動して、フロアの中でもあまり人が来ない場所へと足をやった。同じフロア内とはいえ、この場メインである訓練室の空き情報パネルが鋭角な角度になってしまいきちんとは見えない位置だ。
「うーん。今のところはゼロだと思う」
直接的な表現は伏せたが、嵐山も事情はわかっているのでそれで伝わる。
迅は四か月に一度のオリエンテーションがあると必ず新人の顔を見に来る。それは、新人の中にサイドエフェクト持ちが存在するかを確認する為だった。
ボーダーが本格的に公に始動してから四年半が経った。その間、増える隊員は基本的にトリオン能力が一定以上あることが採用条件となっている為、中には稀にだがサイドエフェクトを持っている人間がいた。一般人はサイドエフェクトの存在を認識していないので、自分がサイドエフェクトを持っているとわざわざ宣言してボーダーに入隊する人間はまずいない。だからこうやって迅が事前に調査しているのだった。
目の前を訓練生が、こちらに会釈しながら通り過ぎる。嵐山と一緒にいるとどうしても嵐山の方が目立つので、正直申し訳ないが便乗出来てありがたい。未来視を使うには一定以上に近づかなければいけないから。彼らの未来を視るとわりと一様である。若さゆえの微笑ましい者、将来を見据えて野心を持った者と色々だ。迅もまだ十代な筈だがそれでも普通の十代よりは戦場に身を置く時間が多かったせいか、どうも若人相手にすると感慨深くなってしまう。
その昔、嵐山にサイドエフェクトは神から与えられたものと言われたが、だからこそ特別な事を本人は自覚しなければいけないと思っている。何かしら迅の脳裏に引っかかる人物がいたらば、一通りの検査をしてから本人には伝えられる。一応、誰がどのサイドエフェクトを持っているかは全員が全員知っているわけではない。やっかみ問題も発生するので周囲に言うかどうかは本人次第だし、検査前に何とかなくバレている時もある。迅自身はボーダー内では特にサイドエフェクトについて隠していないので、わりと知れ渡っていた。迅は未来視を持っているからこそ人に伝えて、酷い未来は回避させなればいけない。ある程度、自分の発言が真実だと理解しておいてもらわないとそれも出来ない。本当に生死に関係するならば上層部からの命令だとか何でも出来たが、出来るならばその場できちんと人の言葉として伝えたいと思っている。やっかみだけは何度言われてもさすがにあまり慣れないが。
「今季の新人で、サイドエフェクトを自主申告してくる奴は確かいなかったよな。トリオン量がとかく高いのって誰かいた?」
「そうだな、ちょっと待ってくれ。玉狛の二人を除くと………」
何気なく迅がそう尋ねると、嵐山はポケットから携帯端末であるPDAを取り出した。入隊指導するのに必要な新人の基本データを素早く開いて、その羅列の中から確認をしている。
「とりわけ数値が高い新人はいないな」
数値化されているグラフなどをいくつかスクロールした後、こちらに教えてくれる。
「そっか。なんか遊真もいないみたいだし、じゃあ次はスナイパー組の様子でも見にいくかな。千佳ちゃんも気になるし」
年齢のわりには背が小さいとはいえ遊真の存在感は圧倒的だ。ざっくりフロアを見ても姿が見えないので、次を示唆する。
「俺も付き合うよ。スナイパー組は賢に任せっきりだしな」
迅がそう言うと、嵐山も腰を浮かせて狙撃手たちのいる訓練場へ繋がる通路へと歩きだした。二人は横に並んで立ち歩くこととなる。二人の身長は一緒なので歩幅もほぼ同じ。歩く速度も楽でいい。
「それにしても、迅はいつも直接評価されないフォローばかりしているな」
もう少し表舞台に立てと言いたいのであろうか、今までも何度かそういうことを言われた気がする。でもそこは自分には合わないので是非ともこのまま嵐山に頼みたいものだったから。
「いやいや。単純におれがサイドエフェクト仲間を増やしたいだけ」
「そうだな。残念ながら、まだまだ少ないな」
ふと嵐山は己が知っている限りの人数を数えているらしく、だが折られるその指は両の手にも満たなかった。
「いつかさ。サイドエフェクト持ち集会というか、慰労懇親会しようと思ってるんだ」
壮大な計画というわけではないが、少し張りきった声を出す。
「それは面白そうだな」
嵐山も興味があるようで同じように声が張った。
「だから、もう一度は声をかけたんだ。今いる面子に」
「そうなのか?」
「菊地原には速攻断られたよ」
珍しく一人でいた菊地原の足を止めるということに成功した迅は(ぼんち揚ではつられてくれなかった)サイドエフェクト持ちで集まる事をとても楽しく提案したというのに、こちらに向けられた目はとても冷たかった。何意味わからないこと言ってんだろう的なゴミを見る目をされた。あれは忘れられない。この前の黒トリガー争奪戦で一番に離脱させたことで、余計に未来も遠のいた感がする。
「気にするな。菊地原は懐いている人間の方が少ないからな」
少し苦笑しながらではあったが、嵐山もその気難しさを理解しているようで、援護する声を優しくかけてくれる。
「一度も手合わせしたことない鋼でさえ、無表情で他の皆さんも行くならばと答えてくれたのに…」
やはり寂しい。元から人数少ないのにあの二人にそう言われては、計画は頓挫したのと変わりない。別にサイドエフェクト持ちはまだ市民権を得ていないから堂々としたいというわけでもない。それでも少しでも狭い肩身をしているのならば、何か悩みがあるのならば解決してあげたいし、人からの追及をうまくかわす方法を教えてあげたいと思っていた。もう少し…もう少し人数増えたら了承してくれる人を先に確保してからリベンジをしたいと思っている。
そうこう歩いているうちに、狙撃手たちが集まる訓練場へとたどり着いた。奥行は言わずともだが、天井もわりと高いので空気が広い感がする。本部基地の中はわりと閉鎖空間なので、広々としている場所は悪くなかった。訓練生たちは目の前の的という一定方向を見ているので、後ろである入口から来た迅と嵐山はそれほど目立つものでもなかった。佐鳥もどうやら現場監督がてら訓練にもちゃっかり参加しているらしく、お得意のツイン狙撃を披露していた。見本としてやって見せているのだろうが、あれを真似する後輩は未だに出現していないことを佐鳥はわかっているのかいないのか。現場監督が若干疎かになっている気もするが、東さんがいるから大丈夫だろう。
「おっ、千佳ちゃんも頑張っているな」
邪魔にならない程度の距離でブースの後ろを練り歩くと、必死にスコープに集中している千佳の姿が目に入った。今日は、さすがにアイビスは使っていないが、それでも銃の大きさのわりには小さいのは変わりない。
「声をかけなくていいのか?」
「先輩として見守るっていうのが理想なわけですよ」
「なるほど、迅らしいな」
さすがに壁は直っているとはいえ、先日の騒ぎで玉狛は目立っている。平穏無事な訓練という当たり前がしばらくはこの子に必要でもあった。若い後輩たちの未来は明るくある。
「っと、すまない」
一言こちらへ謝りを入れてから、嵐山はポケットからPDAを取り出した。こちらから画面は見えないが手早くスクロールをしてその内容を確認しているようだった。
「あれ?嵐山、PDA二台持ちしてんの?」
今嵐山が見ているのはボーダーが支給しているPDAではなかった。さきほど新人のデータを確認するのとは違うものを取り出したので思わず聞いてしまった。別にプライベート用のPDAを持ち込んでも構わない規定とはなっているが、迅の記憶の中にあるそれとも違った筈だ。
「ああ、ちょっと緊急用のは分けているんだ。……………すまない。呼び出されたみたいだ」
本当に申し訳なさそうな顔をしながら、こちらに詫びを入れてきた。
「いいって。こっちも十分付き合って貰ったし、またヨロシク」
「ああ、またな」
やや速足で先に訓練場から出ていく姿を、迅は軽く手を振って見送った。
さて、このフロアにいる新人も大体眺めたが、特に問題はないようだ。あまり一人でぷらっとしているのも目立って仕方ないので、この場を後にしようと思った時だった。
「あ…」
一人なのに声が出た。うーん、まずった。嵐山に借りていたネックストラップがそのまま迅の首にかかったままなのだ。佐鳥に返してもらおうかとも思ったが、訓練中に声をかけるわけにもいかない。攻撃手と銃手フロアにいる他の嵐山隊員に渡すという選択肢もあったが、迅は少し考えた。さっき嵐山と離れた時に視たモノの中で、彼は入隊指導に戻ったわけではないと知っていた。あの光景は多分…広報室のあるフロアに向かったはずだ。直接返した方がいいと判断した迅は、早々にその場から離れた。今から急げばきっと間に合う。
迅はそれほど広報室に馴染みがあるわけではなかったが、嵐山がいると思われる場所に見当はあった。たしか視た場所の近くには給湯室があった筈だ。とりあえずそこを目指せばいいと判断して、足を進める。迅を含めて普通の隊員は広報室と縁がないので、段々と通路で行きかう人も少なくなって来たと思った瞬間だった。T字路の向こう側からメディア対策室長の根付が颯爽と横切って行くのが見えた。ちょうど嵐山がいると思われる場所へと進んでいたので、ああなんだ。根付さんに呼ばれたのかと思って、迅はそのまま追いかける形となった。予想通りT字路を曲がると、嵐山と根付が何やら会話しているのがちらりと見えたので声をかけようと思ったのだが、それは叶わなかった。根付が、傍から見ると何もない場所に自身のカードキーをかざすと認証されたのだろうか、その壁が自動開閉したのだ。こんなところに部屋があったのかと驚いて、迅の足は止まる。本部はトリオンで出来ているから自由自在とはいえ、知らなかった。迅はボーダー本部建設当時から所属しているが、一度も本部所属になったこともないため、その全てを知りえているわけではない。特に広報室あたりは全くテリトリーではないから別段不思議なことでもないのかもしれないけど。よどみなく嵐山と根付はその中に入った。そのままゆっくりと手広い扉が閉まろうとするので、とっさに迅はその隙間から中へと滑り込んだ。勝手に入ってしまったというのは後に思ったことで、反射的にとでもいえるだろうか。直ぐに戻ろうかと思ったが、どうやらこの場から出るのもなんらかの認証が必要なようで、先ほどは不自然に開いていた扉がまたただの壁に戻っている。わりと厳重区域らしい。
それにしても声をかけるタイミングを失ってしまった。入口の影に隠れるような形になってしまったが、急に出て来ても驚かれるだけなのでとりあえずそのままでいる。二人の話が終わったら声をかけるかと迅は耳をすませた。
「今回、保護されたのはこの少女一人ですか?」
恐らくそれほど広くないフロアなのだろう。嵐山の通る声が壁に反響するように伝わってくる。
「ええ。基地東部のフェンス隙間から警戒区域に迷い込んだみたいです。近くでゲートが開いて、バムスターと遭遇。直ぐに風間隊が駆け付けたので本人に怪我はありません」
報告書を読んでいるのか、根付の声と共にバインダー用紙をめくる音も響く。
「迷子ですか?」
「どうやらそうみたいですね。所持品から保護者との連絡は取れています」
ちらりと気になって少し身を乗り出した迅は様子をうかがうと、二人が影になってよく見えないが、それでも小学生低学年と思われる女の子が、少しぐったりとした様子で椅子に座っているのが確認出来た。眠っているのだろうか。
「最近、増えましたね」
「四年半経って、三門市も人の出入りがあって、第一次大規模侵攻を知らない世代も増えましたからね。警戒区域に対する意識が薄れているのかもしれません。アンチボーダーや、度胸試しと称してわざと警戒区域に入る学生も問題ですが」
「根付さんが日頃からの奔走してくれていますから、これでも少ない方だと思いますよ」
「いえ。嵐山くんのおかげですよ」
ここまで話を聞いていてようやく嵐山が呼ばれた理由を迅は察した。少女が目を覚ました時に近くにいるのがボーダー職員という大人では不安を与えるに違いない。保護者が迎えに来てくれれば一番だろうが、警戒区域内にそう簡単に一般人を呼べるはずもない。だから嵐山だ。ボーダーの顔であり比較的年も若い兄的な存在がいるのなら安心するだろう。さて、この場の状況は理解した。自分はどうするか…と少し考えたその時だった。根付の声が響く。
「それではすみませんが、後はお願いします」
「はい。時間的にはどれくらいですか?」
「風間隊が保護した時間とこちらへ連れて来た時間。そして保護者の証言から、半日ほど切り取ってもらって構わないかと」
「わかりました」
どこか…なにか…掴みどころのないわからない会話が二人の間でされた。気になった迅は再び顔をそちらに向けた。いつの間にか根付は椅子に腰かけた少女から少し離れた横へと移動していた。そうして肝心要の少女の前には嵐山が一定の距離を持って立った。そして、ゆっくりと右手を伸ばし、少女の頭の…顔の目の前に手のひらをかざした。
視てしまったという事、それに頭の中にやってきた情報量に一瞬で混乱した迅は、再び壁を背にして身を隠した。何を…何をしているのか。これが何をしているのか。直接的に迅は見たわけでもないし、視覚的に認識できるようなものではなかった。それでも迅には曖昧でもなく視えてしまった。嵐山の行為に見え隠れするソレを。そうだ。今まで嵐山の未来を視ても………嵐山が一般人と対面しているだなんてありふれすぎる光景を視たとしても疑問に思うわけがなかった。だから。
「迅、いるんだろ?」
自分の事が精いっぱいで、いつの間にか近寄って来た嵐山に直ぐに対応することが、出来なかった。
「ごめんな」
そうして、迅の眼前に嵐山の手のひらが向けられても、動くことも出来る筈がなかったのだ。
◇ ◇ ◇
「えっ、迅くんに見られていたんですか?」
後ろから根付の驚きの声が混じると、不味いことになったという顔をこちらにありありと見せられる。
「大丈夫ですから、根付さんはこの子を連れて行って下さい。保護者との約束の時間になってしまいますよ。迅の事は俺に任せて下さい」
意識を失い壁に寄りかかっている迅の身体を支えながら、嵐山は時間を説いた。
「そうですか。では、お任せします。しかし、いくらあなたたちの仲が良いと言っても………困ったものですね」
嵐山准は、記憶封印措置を施せるサイドエフェクトを持っている。
ボーダー隊員にはトリオンがあるから比較的何でも出来ると思われているが、さすがに人間の精神の根幹に左右するような危険まで手を出してはいない。だが能力が能力なので、隊員たちには記憶封印措置は開発研究の成果で実行しているのだと、訓練生にさえわざと知らせていた。辞める隊員相手にもそうだが、ボーダーには機密事項が多すぎる。他人からの干渉で勝手に自分の記憶を失って良いと思う人間はそうはいないだろう。だから有り体にいえば恨まれる。それを嵐山個人ではなくボーダーという組織がしているということにしたのだ。迅のサイドエフェクトである超直感もそうだが、すべてのサイドエフェクトが知られていて良いというものでもない。この事を知っているのは嵐山本人と本の一握りの上層部の人間に限られていた。
根付と少女がフロアから出ていくのを見守った嵐山は小さく息を吐いた。迅の切り取った記憶は数十分ほど。間もなく起きてしまう。ほんの少しの意識が飛んだだけだから、あとは外に出て何事もなかったように振る舞えばいい筈だが。
「迅、また来てしまったんだな。困ったな。今月もう二度目だぞ」
意識がないとわかっても話しかけてしまうのも仕方ない。毎度のことなので根付もそれを言いたかったのだろう。直感が強い迅には、もう何度も数えきれないほどこうやって目撃されてしまっていて、その度に記憶を封印している。迅が嵐山の能力を知ってしまったら、きっとまた気負う事が増えてしまう。それだけは留めたくて。
ふと、迅がこうやって追ってきてしまったと思われるネックストラップに手をかける。
そうして、その唇に一つの淡いキスを―――
迅は過去を視ることは出来ない。だからこそ、記憶を消すたびに嵐山はまたキスをするだろう。
キスをして欲しいから迅は自分を追ってくるのだと、せめて…そう思いたくて。